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2023-07-04 25:13

研究者とアーティストのまぐわり:"葬いとカメラ" #3

冷たい手と温かい手

境界線上の感覚

厚みのない表面と人間の関係性

多次元理解の境界線の難しさ

キムさんとジヌスさんの対談について

テキストでの映像再現の困難さ、筋道の整理がされている二藤さんの情報

言葉にできないアーティストの想いや映像の表現における言葉の大切さ

映像のメリットについて

キムさんと地主さんの良好な関係

ならでは感は本当にすごくある

タッグの本

社会的立場とプライドが邪魔すること

東京の部屋

次の本:幸田文さん


00:11
あらためて、面白いなって思った、不全発達者がより理解できた、Nozomiさんのおかげでなんですけど、
二藤さんが言ってた、手を合わせるワークみたいなのじゃないですか。
片手で熱いお茶を持って、もう片方の手で冷たいお茶を持って、
片方を温めて、片方は冷やす。
で、その後に手を合わせてください。
そうすると、熱い方の手はもう一方の冷たい方の手を感じるし、
冷たい方の手はもう一方の熱い方の手を感じているはずだけど、
脳としては、脳の認知では多分一つのものを感じているような気持ちになります。
みたいなことが書いてある。
あるね。
この同時に二つのものを感じている。
なんか境界線上に発生する。
何が言いたいかわからない。
だけど、そういうことかって、今の同僚さんの話を聞いて、
なんと、つまり、
境界線上に発生するものって、
だからその境界線上の右と左とか上と下とかわからないけど、
同時に二つに、二つのことが起きてるけど、
それを人は境界線上で感じるっていうことがあって、
そうすると境界線上だから多分一個のことみたいに感じちゃうけど、
実際にはその二つのものを同時に感じているみたいなことを、
そういう感覚をレクチャーしたくて、
この右手と左手のワークをやりました、みたいなことが書いてあって、
そのことを今よりちゃんと理解できたなと思った。
予想式っていうのは、足跡であった予想式っていうのは、
確かに同時に二つのことを確認しているんだなっていうこと。
なんか言葉でしたらシンプルになっちゃった。
でも個人的にはすごい納得できた。
なるほど。
あと言うと、右手と左手、冷たい右手と温かい左手を合わせるときに表面を感じます。
それを皮膚だって言ってしまうのは簡単だけど、
そうじゃなくて厚みのない表面っていうものを人は感じてるんだと言ってて、
その後にキムさんがそれを引用して、
そういう厚みのない表面っていうものは死者と生者の関係性、
もしくは人間と世界の関係性に置き換えることもできるのかなと思ってますって言ってて、
それをすごいなるほどと思ったかも。
多くのところで教会っていうものから何かが生まれるんだとすると、
大概の場合って教会の片方を自分が持っていて、
もう片方の方は別の人が持ってるわけですよね。
大概はね。物体だったり他人だったりするわけですけど、
03:04
それは両手をやることであって、両側を自分が持ってるっていうことになるわけですよね。
すごいなぞみさんの言語化力が。
何かを切り離したり分割するためのじゃない教会。
だからそれが厚みのない表面であったりとかするのかもしれないけど、
っていうものがあるなってことをよりちゃんと理解できた感じがした。
お茶のワークを見た時になんかすごい面白い、不思議って思ったことの理由がそれだと思ったかも。
そうなんだよな。
もうちょっと今話しながら思っていたことは、
教会みたいなことを考えると、
頭の中のイメージとしては、今手っていう話からも言ったように、
3次元の空間で手のひらが合わさっているっていう、面が接しているっていうイメージもあれば、
平面に線を一本引いて、2次元のところで接しているっていうのも、
線の上で接しているっていうのもあるわけじゃないですか。
多分これって結構人間の認知の限界なんだと思っていて、
さっきだったら足跡とかで言うと、その教会の話もあるし、
過去いたっていうことと今いないっていうのって、
多分全然別の次元の教会なんだと思うんですよ。
で、これって、
何言ってもすごく難しいんですけど、
本当はもっといろんな切り取り方があるはずなんだと思うんですよね。
足跡があるっていうことについて、
今って2つの次元でしか物事を扱えてないんですけど、
過去いたかどうかっていう話と、今いるかどうかっていう2つしか扱えてないんですけど、
もちろんそのまま伸ばせば未来帰ってくるかとか、
将来いるんだろうかっていう、
次元も本当はあるはずだし、
本当はもっといろんな人間の理解の境界線っていうのが、
多次元であるはずなんだよな。
まあいいです、なんかちょっと自分で言っててよくわかんなくなってきた。
やっぱりこの作品、あるいはこの前後の感覚っていうのはすごく良かったです。
なんかこの本の最後の方に、
キムさんとジヌスさんでこの本をどんな風に作るかっていう、
対談っていうものをどんな風に文章にまとめるかで、
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一文着ありましたみたいなのが最後に書いてあると思うんですけど。
かみ合わなかった話についての話っていう商題でまとまってます。
こういう議論とか討論を文字起こしした人が、文字起こししたことがある人なら全員わかると思うんですけど、
これかみ合ってねーなーとか、この人同じ話何回もしてるなーとか、
このコメント無駄だなーとか、めちゃめちゃあるじゃないですか、普通にやっちゃうと。
それをどれぐらい読み手に向けて整えるかっていう時に、
整えましょうって言っているキムさんと、
いやいや、そのまま基本的にその場のトーンを活かしてお願いしますって言っているジヌスさんと。
どこまで手を入れるかっていうところで、かなりいろいろ文着がありましたって話があるんですけど。
その話し合い自体がすげー面白いなと思うし、
その中で二頭さんのこれはどんな風に処理されてこうなってるんだろうなっていうのはめちゃくちゃ関心がある。
なんで整理されてる気がする。
他の人の語りのところってかなり生っぽいんですよ。
正直何言ってるんだこの人みたいな話し方というか書き方をしているところもかなりあるし、
一方でこの二頭さんのところはなんか筋道がとても追いやすいみたいな、やたらと整理されてる感じがするっていうのもある。
全然その視点で見てなかったけど、これすごい整理されてる気がしますね。
現場も結構はてなはてなの時間が多かったり、だんだん自分じゃわかってくるみたいな場所だったんじゃないかと想像するが、
そんなことまでそれを再現しようとした。テキストで再現するのは確かにしないんですよね。
難しいだろうね。難しいよね。
だからこの映像をテーマにした闘技っていうところで、
そもそもこの映像っていうのを言語でどれくらい紹介するかっていうところでもかなり議論が。
そうっていうのもあるし、その場の中でのトーンで伝わる文脈とか言葉遣いっていうのもあるだろうし。
いやこの編集者の人大変だっただろうな。
本当に。
基本的にはキムさんが編集して、そこに俳優さんの編集者の人も入って、
こういう情報を補足したらいいんじゃない?みたいなことも言いながら編集したって言ってましたよね。
そもそもだって言語で考えてない人とかもいるじゃない?と思っちゃう。アーティストなんて特に。
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うーん、そうね。
あるいは考えてるかもしれないけど、言語で表現しようと思うと、
いやこれじゃねえんだよなって思いながら表現せざるを得ない人もいるだろうしね。
いやそうだろうな。
最近タメセさんが何かで書いてたのを見て本当そうなんだろうなって思ったのは、
アスリートがインタビューで本当のことを話してるシーンがいかに少ないかって話をしてて。
うんうんうん。
自分の身体感覚とか、試合に臨む心持ちとか、当然インタビューで聞かれるわけじゃないですか。
でも本当に思ってることを話して全く理解してもらえないとしたら、
本当のことを話す取り組み自体、野暮だしやらないじゃないですか。
は?って言われるし。
うん。
だから多分アーティストの人もそうなんだろうなって思ってて。
映画監督とか、あるいは舞台に出る演出の人もそうだし、俳優の人もそうだし、作家さんとかもそうだけど、
今回の作品に込めた思いはみたいなことを聞かれたときに、
はぁ?って思ってる人めっちゃいるんだろうなって思って。
そうかもですね。
特にそこに商業的な価値を見出してない人とかは特にね。
うーん。
ヘッディングに協力する意義を感じてない人は特にね。
そうそうそう。
本当のというのが何を意味するかはそうだけど、
作品性っていうところとは気に離された、言語説明が上手い人の方が周りの人は扱いやすいじゃないですか。
マーケティングする人とか。
そういう人の方が売れるんだろうなみたいなことをね、思ったりはするですね。
うーん。
それはしょっちゅう感じますね。
それはしょっちゅう感じるよね。
ミキさん感じてそう。
うふふふふ。
映像っていうものは、今回のこの本の中でみんな見てる映像もそうですけど、
言葉にどれくらい頼るかっていうのもあるんでしょうしね。
単純にこうブーッと撮っていくってやり方もあれば、コメンタリー入れるかどうかとか。
うんうんうんうん。
映像っていいメディアだよなぁ。
でもなんかこのキムさんとジネシーさんが結構率直に話し合える関係性、
ポジションの違いを、ポジションが違うから考えが違うのは当たり前で、
揉めたりとかイラッとしましたみたいな、ちょっと揉めてみたいな言いましたとか、
ちょっと正直イラッとしましたみたいなこととかも率直に話し合ってるのもいいなって思いました。
いい関係性だな。
いい関係性。ね、めっちゃいい関係性ですよね。
12:00
キムさんはキムさんで言うことバキッと言うし、
ジネシーさんも、なんて言うんだろう、
それ考えてないですとか、わかんないですみたいなことを結構この討論の中でもさらっとおっしゃってるなっていうのを感じていて、
この二人が、二人の同士でもカラッとコミュニケーションしているっていうのはすごくいい、
あり得な言葉を使うと羨ましい関係性ですよね。
そうですね。
それが人間ができてるからなのか、それとも同じテーマを取り扱っていたからできたことなのか、
相性が良かったのか、なんかわかんないですけど、いいなって思いました。
なんでしょうね。
そうね、そうだよな。
結構そのポジションが違うけど、お互いに分かり合おうとしていることは、
共有できてますみたいな前提を作ることってすごい難しいじゃないですか。
難しい。
諦めちゃったり、もう前提が違うんだったらもういいやって諦めちゃったりとか、
ポジションが違うんだったらもういいやって諦めちゃったり、
前提揃えることも可能だけどめんどくさいからいいやって諦めちゃったり、
それの中で、諦めなさみたいなのはどういうところから来てるんだろうみたいな、
諦めなさって言ったら変だけど、分かり合えてる感じ?
違うけど分かり合えてるみたいな感じを出せてるのってすごい良いなっていう。
そうね、そうだよな。
だいたい今日ちょっと分かり合えてるっていうか、
同じポジションの似た者同士の2人が出した強調とか、
なんかそういう感じじゃないですか。
多いですよね。
もしくは本当に対談みたいな、全然違う2人が対談してみたみたいなやつしかなくて、
こういう感じのポジションの違う2人が変調でやるみたいなのって、
すごい見たことないかもとか思いながら。
揉めましたっていう敬意の記載も含めてね。
うんうんうん。
確かにね。
大人な感じがするというか。
大人力の問題なのか何なのか。
でも本来ってこういうことをやらないと、
強調というか一緒にやることの意義ってあんまりないですよね、ぶっちゃけね。
まあ確かにね。
逆に言うとそれをすごく感じて、
どっちか1人がリードして討論会をやって、
できた本って全然違う形になると思うんですよ。
うんうんうん。
似たような2人やったらどっちかかけても似たようなものってできそうですけど、
多分今回のこの本って、
キムさんとジヌシさんのどっちかがいなくてもどっちかにすごい偏った、
結構不思議なというか、それはそれでいいのかもしれないですけど、
本にこの形には絶対にならない気がする。
確かにこの一般向けの本にはならなくて、そうすると研究用とか、
関係者向けみたいな同人誌的なものになったかもしれないですよね。
15:01
そうなんですよ。
ただ論文みたいなものがいくつかまとまった論文集か、
あるいはこういう作品があってこういう思いがこもってます。
みたいな、カタログ的な。
そうそう、になっちゃうかね。
なんかならでは感は本当にすごくある。
うんうんうん。
すごい面白かったな、だから。
ねー。
こういう本も増えないかな。
こういうタッグの本。
こういうタッグの本ねー、そうなんだよなー。
あんま今他にあるかなーって思って思いつかなかったかも。
そうなんだよ。
感覚的にはどっちかの社会的立場とかプライドが邪魔すると、
こういうのって成立しないんですよねー。
うんうんうん。
確かにだからこれがもともと出版を想定された企画じゃないってこととかが、
だからかーみたいなとこありますね。
そうね、それはそうかもね。
それはそうかもなー。
それはそうかもなー。
さっきの、いつもの言葉を哲学するじゃないですけど、
その本の中に紹介されて、そんなのあるんだと思ったのの一つが、
なんだっけなー、えっとねー、ドイツかなんかの、
あれは言語学者なのかなー。
ちょっと待ってねー。
えっとねー、えっとねー、
カール、カール・クラウスっていう人がいて、
その人がどっかの新聞でやっていたエッセイの一個が、
言葉の実習っていうタイトルのエッセイをずっと続けていて、
その二つの言葉の違いとか微妙なニュアンスみたいなことをずっと考えて、
こういう違いがあるはずだとか、
そういうことを浮き彫りにする作業をずっとやったんですって。
それめっちゃいいなーと思って。
去年?今年?なんか読んだ本の中ではすごい良かった本の一つが、
CDIの石井さんっていう人が書いた、経営者の。
会社という迷宮?
そうそう、超良かったんですけど、
それなんで私がすげー良かったのかなって思ったかというと、
なんか一個一個の言葉の実習を経営、あるいは事業っていうテーマですごく真剣にやってるからだと思って。
18:03
例えば、市場ってそもそもなんすかとか、
顧客ってそもそもなんすかとか、
開発ってなんだっけみたいなことをその本ってすごく丁寧に言ってるんですけど、
なんか俺改めてそういうことやりたいなってすげー思ったんですよ。
へー。
だから、なんか私全然異分野の人とそういうのをただ話すやつやりたいなと思って。
10月ぐらいから私東京にお家ができるんですけど、
そこに行った時に、いろんな全然違う分野の人と言葉のニュアンスみたいなやつ話したいなと思って。
うんうんうんうん。いいんじゃないですか。
事業開発の面白いやり方とかそういうことじゃなくて、
あなたにとって事業とはつまりそれはどういう言葉のニュアンスですかとか、
やる方がよっぽど新しい発見がある気がするんですよね。
うーん。
じゃあお家に集落スタジオつけて。
そう。
観覧ブースもつけて、私観覧しに行ってみます。
だから、戸越銀座に国王が作る集合住宅みたいのがあって、
うんうん。
そこに入居予定なんですけど。
へー。
そこ確かね、結構おしゃれ空間みたいなこともあるはず。
テラスハウスみたいな。
俺そんなキラキラしていいのかな。めっちゃいいじゃん。
戸越銀座に集合住宅作ったらテラスハウスになっちゃうんじゃない?
え、テラスハウスって戸越銀座なの?
いや戸越銀座じゃないけど、そんなシャレたとこに集合住宅作ったら
確かに。
テラスハウス化しちゃうんじゃない?
出ちゃう、出ちゃう、これ。
ザ・キャンパスフラッツ。
あ、そうそう、それそれ。
へー、それって誰でも入れるんですか?
なんかね、入居面接みたいなやつがあった。
あーそうなんだ。
それで一応、私合格したのかな?してるような気がする。
え、住む?シェアスペース?それとも住宅?
えっとね、住宅って部屋もあって、だからシェアハウスみたいなやつと一緒だよね。
自分の部屋の中にもろもろ全部ある、水もあるとかも含めて全部ある部屋もあるし、
そうじゃない、すごくミニマルな部屋もあるしっていう。
あーでも野上さんは東京出張用の宿だから。
そうそう、真ん中ぐらいのやつかな?
フルフルで全部あるわけじゃないけど、ベッドだけみたいな感じではないっていう。
全住宅、アクタスの家具付きなんじゃないですか?
そうなんですよ、オシャレなの。東京のお家はここになる予定でございます。
まだ入居者募集してるっぽい。
説明会まだやってるよね。
うん、そうなんですね。じゃあまだ埋まってないんだ。
21:02
ここで言葉実践ができるとめっちゃいいなと思ったんですよね。
赤くは問い合わせないと出てこないと。
あるあるの、BtoBサーズみたいなやり方ですね。
えーいいですね。
国用の人も入居するらしいですよ。
うーん。国用ハウス。
絶対その国用ハウス、人が集まりやすい時に収録して観覧します。
観覧するやつね。
自分なりの視座が必要ですよ。さっきの足跡のメタファーとか自分から出てくる気ないもんな。
すごかったな。
ほんとですね。
めちゃめちゃいい本でした。
そう、よかったです。説明できて。一緒に読めてよかったです。
思ったよりめっちゃいい本だった。
人間好きが葬式を研究した文化事業学の本だと思ってたのよ、ほんとに。
全然違った。
読む人にとってはそういう読み方もできちゃいそうですしね。
そういうとこだけ抽出すれば。
感性によってはできちゃう気がする。
後半はあと書きだからいいやと思って読まなかったりしたらね。
次の本どうしますか?
次はですね、さっきの話が前振りになってしまった恐縮なんですけど。
いつもの言葉を哲学するのを本の中に一章かけて、一章どこかで紹介されてたのが神田彩さんの文章で。
神田彩さん、はいはい。
神田彩さんのエッセイが紹介されていて、めちゃくちゃ素敵でしたと。
エッセイたくさんあるんですけど、その中の何にしようかなと思ってるんですが。
台所のことかな。台所の音かしら。
その本の中でも神田彩さんの料理の表現がすごくいいって話をしてて。
台所、なんと台所調ってやつと台所の音っていうのがあるんですけれども。
台所の音かな。
別の神田彩さんの新聞に寄稿した文章集みたいなやつを一週間ぐらい前に読んでたんですけど、超よくて。
24:07
なんかの紹介の文章にも江戸前の切り口みたいな、江戸前の語り口って書かれてたんですけど、まさにその通りっていう。
先輩っていうことで、高校生ぐらいの時に結構読んだんですけど、全然印象に残ってないですね。
台所の音は高段車のところに書いてある紹介文を読むと、女はそれぞれ音を持っているっていう。
式のある文章があるので。
当時の文章なので、女とはみたいなやつ結構ありそうですけど、ぜひ楽しみながら読めればという感じですね。
はい。
じゃあ今日はそんな感じで。ではではぜひまた。
ではではではまた。お疲れ様でした。
25:13

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