舞台の本番が終了
おはようございます。
おはようございます。今起きたの?
うん。9時40分に起きた。
どうでしたか、この3連休の多い2月は。
ちょうど2月の半ばに、イベントの本番を控えていたんですけれど、
2月の半ばにその本番が終わったので、カタロニが降りて、かなりリラックスして日々を過ごしております。
イベントっていうのは何がどこであったんですか?
三重県でやっている舞台みたいなのがあったんですけど、それの企画制作みたいな感じで僕は関わっていて、
その本番が無事終わりました。
三重でやる舞台っていうのが奥ゆかしいですね。いいですね。
三重のコーリーズホールの方がコンセプトを理解してくれて、色々協力してくれてやる舞台みたいなのがありました。
じゃあそれを終えて、平和に。
うん。めっちゃ平和。
日々に落ち着きが訪れたと。
昨日舞台を見に行ったんですよ。
はいはい。
舞台の時って、何回終わった後に演者さんが舞台に出てくるかって暗黙のルールがあるじゃないですか。
4回出てきますみたいな。
3、4回。
ガルシア・マルケスの「百年の孤独」の話題
話して、途中までは座ってやるんだけど最後の1回だけみんなで立って拍手をするみたいな。
最初から立つ時もありますけどね。
そのルール言っといてくれへんかなみたいな。
どういうこと?
めちゃくちゃ言っといて欲しいんですよ。
初心者としてはわからんから早めに何て言うんですか。
最初から立つ場合もあるでしょ?
でも別に良いと思わなかったら座ってっていいんですよ。
そう?そうか。
あれはお客さん時代なんで別に。
そうなんだよな。勝手に。
クオリティに関わらずお客さんの反応ってお客さん側で作るっていうか。
もちろんすごい良かったらみんな自然と立つと思うんですけど、
なんかそういうみんな立とうぜみたいなお客さんがいると立つみたいなのありますよね。
ある。あるある。
だからそういう人が多い回だったじゃないですか。
そういうこと?確かにな。
女性9割5分くらいだったね。
音楽だったら曲の時に拍手が途中で湧いてるから感覚がなんとなくわかるじゃない?
今日は熱量高めの会場ねみたいなのがわかるんですけど、
舞台って最後の最後までこっちは一般的なところではずっと座ってるだけじゃないですか。
あんまり感度が読めずそんなにみんな感動してたんだみたいなのを最後の立つ時に知るっていう。
それは経験ですよ。わかりますよそのうち。
今お客さんが集中してるかしてないかとかは。
集中してる時の空間の密度みたいなのは半端ないんですよ。
もしくはドリフトさんがいつもいいやつしか見てないから、
常にお客さんが集中してる場しか知らないから差分を知らないだけかも。
そういうこと?
もうこれダメだなみたいな。
だれちゃってるやつを一回見るとなるほどってなるかも。
それはそれで苦行ね。
そしたら途中で帰っていいね。
なるほどって聞かせて、確かに自分としてもつまんないから帰ろうって言って帰るわけ。
確かに。
去年行ったししゃものライブは途中で帰ったな。
あ、そうなんだ。ダメでした。会わなかった。
ちょっと会わんかったな。
そんなに俺は恋愛ソングをたくさん聞きたいわけではないと思って帰っちゃった。
そういう会う会わないがありますからね。
今回みきさんに私から言って100年の孤独を読もうって言ったじゃないですか。
これ面白いって言える人マジかっけえなって思いました。
たのみさん自分で言ったけど、ちょっとハマらず。
面白い人がいることはめちゃくちゃわかるんですよ。
これ面白いって言うんだろうなって人がいることはめちゃくちゃわかるんですけど。
なんでしょうね、俺がもっかいこれを熱望して読めるかって言われるとすごく難しい気がしますと。
これを、この人はノーベル文学賞も取ってるし、
いろんな作家さんとかが100年の孤独、この魅力みたいな話をしてるのを読む前も後も見ると、
すごいなっていうのはあり、
大概これすごい良いっていう人って読書家の方が多いんですけど。
そうですね。
小説の内容についての意見交換
だから、すごい良いのすごいの悪いのでいろんな文学に触れてくると、
これを素晴らしいですねって言える日が来るのだろうかっていう独語感。
はいはいはいはい。
ちょっと言いたいことわかります。
これ良い本ですよって言える大人かっこいいですよね。
かっこいいのか、それは何を難習するとそこに行けるのか。
それは私の独自体験の延長線上にあるコースなのかどうかもちょっと今は判断不能ですね。
いや難しいね。難しいね確かにね。
だからかっこいいとも思わない。
この100年の孤独、みきちゃんって今回読んだのは初めて?
初めて読みました。
最初にこのタイトル中とかこのガルシア・マルケスなんちゃらっていうのはもっと若い時から?
そう知ってた。もちろんそのノーベル文学賞を取った作家、ノーベルの作家ぐらいは知ってました。
それでも手が伸びなかったのはこの厚み?
そう厚み厚み。
厚みか。厚みだよな。
あと私、ノーベル文学賞と100年の孤独っていうタイトルだけでちょっと難解な作品だと思ったんですよ。
ノーベル文学賞って言ったら村上春樹が取れてないやつっていうイメージがあるじゃないですか。
だからその村上春樹みたいな100年の孤独でしょ?
村上春樹みたいな解釈の難しい物語を孤独っていうテーマで100年かけてすごく分厚くやってると思ったんですよ。
それは孤独っていうテーマで100年かけてやってるのはそうなんですけど、
なんかもうちょっと真剣な物語が展開されてると思った。
なるほど。タイトルの、確かに村上春樹的な地下に遊兵されてそこで100年みたいな世界観の内容でも全然いいわけですもんね。
カラマーゾフの兄弟と同じぐらいのハードルで捉えてたんです私は。
どうですかミックスさんの独豪感。カラマーゾフの兄弟やな。もろもろ感じていた。
これが思ったのと全然違って、これはおばあちゃんが語る昔話じゃん。100年の孤独っていうのは。
あー、おばあちゃんの語る昔話ね。
神芝居みたいな、おいでおいで今から話が始まるよって語るような物語を100年分やってるじゃんって思って。
それが意外でした。
あー、まあそうね。確かにね。
一人の人が100年間孤独でしたっていう話ではなくて、確かに昔々あるところにっていうぐらいのところから始まる一連の流れがありますもんね。
こういう夫婦がいて、こういう夫婦がこういう事情で逃げて村ができて、この村がこうやってはさかえて、こうやってその時こういう子供が生まれて、こういう人が結婚してみたいな。
で、その時村入って盛り上がって、また盛り上がって、最終的にこういう県庁町でしたっていう。
ずっとその目の前の昔々あるところにおじいさんとおばあさんがっていうのを台座にやってるっていう感じでした。
それがすごい意外だった。
マコンド村っていう、主人公一家みたいな一家がいて、その一家の祖先みたいな人が元々住んでた町から逃げて作ったコロンビアの架空の村を舞台にして、
家族がこうめちゃくちゃ繁栄したり、村長ぐらいの勢いをずっとやるところから最後滅亡するまでの100年間っていうのを描いていく物語ですね。
100年以上あるっぽかったけどね。だいたい100年間。
ある夫婦がいて、それがいとこ同士で結婚しちゃったもんだから、近親相関が良くないみたいな感じになって、それで追われるんですよね。
それで、そういう時に人間関係でも埋めて、結局その夫婦が抜け出すんですよね。
この村にはもう住めないから新しいところに引っ越そうって言って、逃げ出して何もない2階の家にたどり着いて、ここにうちらの村を作ろうって。
それがマコートっていう村なんですよ。
その村を開拓して、最初に一緒に来た人たちに土地を分配するところから始めて、村ができて、ちゃんとした村になっていって。
実地が認められて、栄えたり栄えなかったりしてっていう話ですよ。
この話の100年いろいろありましたっていう軸というか、一本のお話だと思うんですけど、
突然人死ぬし、突然魔法チックのやつ出てくるし、突然セックスしだすし、
このガルシアン・マルケス、酒飲みながら書いてたのかなっていうのを途中感じるばかり。
あまり論理的、合理的な人間とかが出てこないし、その人間の内省とかなくて、
あくまでこの村でここに家が建ってこういうことが起きたっていうことだけが連なってて、
その人が何考えてるのかとかは全然わかんないから、そういう気持ちになるのはわかりますよ。
ね。この娘がいたら、街の人みんなが不眠症になって、眠らなくなり、みたいなの出てきたときにはぁーみたいな。
しかも2年くらいみんな眠らないんですよね。
2年くらいみんな眠らない。
すごいすぎるでしょ。よく知らないよな。
2年眠らない人が出てきたり、精神的に不安定になると土食べ出す女の子がいたり。
うんうん、いたいた。
死んだと思ったら出てくる錬金術師みたいな。
そこはだいたい死んだと思ったら生き返る。
ね。かつこの100年の孤独、めちゃくちゃ難しいのが、みんなアルカディオっていう名前とアウレリアノっていう名前がめちゃくちゃいるでしょ。
だから生き返ったアルカディオなのか、今生きてるアルカディオなのかもう途中分かんなかったです、もう。
それ冒頭に一応掛け図ついてるじゃないですか。
ついてる。
私もうそれ120回ぐらい見返したとおもいます。
分かるわー。分かるわー。
誰だっけって言って戻ったら、あ、こいつだこいつだって。一応今メインが1個下の台にずれたんだ。
ふむふむ。
分かる。
2ページに1回確認しながら。
分かる。
やりましたね。
このページめちゃくちゃ見たわー。
掛け図としても結構不思議じゃないですか。
斜めの線何これみたいな。
兄弟2人と斜めで繋がってるやついるけどこれ誰とか。
なかなか面白い。
双子について全然区別がつかないまま同じ人だと思って寝てた女とかいる。
いるよー。
双子の男。
いるよー。
周り別人みたいなテクニックを持った男かと思ってたら実は別の人だったみたいな。
そんなことある?
なんかほがらかですよね。全然日本人の感覚じゃない。
気にするところが全然日本人と全然違いますよね。ラテンアメリカって。
これをラテンアメリカの特性と言っていいかどうかちょっともうガルシアマルケスがえぐいっていう。
すぐ暗闇の中の相手のお家に忍び込んですぐ一緒に寝ちゃったりするしな。
しかも全然前に親戚とか寝てる中でやったみたいな感じの時とかあるし。
みんな気にしないんだなって思います。
ねえ。
のみきさんが読んでて、本当にいろんなお話があるじゃないですか。
村を出てった男が帰ってきましたもあれば、
村が戦場になりましたみたいなやつもあれば、
物語の特徴
本当に最後の最後もいろいろとすっごいいろんなストーリーがある本だと思うんですけど。
一番のみきさんなりのハイライトはどこにあるんですか?
ラストですけど、ハイライトとかないですよね。
これは私たちが慣れ親しんでる物語とか小説っていうのは、
メインの主人公っていうのがいて、メインの事件っていうのがあって、
その人の目線とかもしくは出来事とかを追っていって、
ああこういうことだったのかとか、
心情の変化とこういうのがあるんじゃないかとかっていうのを想像していくんだと思うんですけど、
これは昔話の連綿なので、
ハイライトとかないですよね。
うーん。
この一度の話か、
1個下の台に映ってたら、
で、また1個下の台に映ってたらっていうのを追っていって、
ただそれなぜか終えてしまうし、
結構そういう不思議な事件がたびたび起きるので、
ああ、そんなことかと思ってるうちに見進められたっていう気持ち。
ああ、なるほどね。
ハイライトとかないくないですか?
孤独や幽霊の描写
そうだね。
そうだね。
なんか突然、なんていうんだろう、
一番謎が解決されて気持ちよかった瞬間みたいなのも別にそんなにないし。
一番最後ですよね、それって。
まあそうだね。
最後かな。
でも最後だけ盛り上がろうと思ったらさ、
3分の1くらいの厚さでいいじゃない?
そうだね。
永遠と読まされる感じ。
そりゃそうなんだよな。
でもそれで私、確か最初130ページくらい読んで、
ああ、これ無理かもって思って後書き読んだんですよ。
そしたら後書きの解説で、
カヌシア・マルケスのおばあさんっていうのが物語を語るのがすごい上手な人で、
カヌシア・マルケスはおばあさんからお話を聞くのはすごい好きだったみたい。
カヌシア・マルケスって物語って人から伝えられて、
みんな村の人が集まって聞いてワーって盛り上がるみたいな。
そういう物語の面白い部分だと思って書いてたに違いないみたいな。
書いたやつだね。
あ、なるほどねと思って、
私も電波とか通じない山の奥に行って、
民族のキャンプみたいなところに遊びに行って、
民族のおさっから物語を聞かされてるっていう気持ちになるんですよ。
自分も体育団に行ってるって、竹に囲みながらって。
それはそのシチュエーションにまで自分をセットして読むと結構面白いです。
あー、なるほど。
あと、やっぱり南米の気候と日本って全然違うし、
日本の幽霊と南米の幽霊って全然違う概念だと思うんですよね。
日本ってジメジメしてるし、
幽霊で成仏できなかった人が残ってるものだったりとか、
ちょっとジメッとしたものがあるし、
多分南米の幽霊そういうんじゃない?
もっと陽気な感じ、たぶん。
もっとカラッとした感じとか、
そういうのを想像しながら読むと、
土とかも南米食べる文化あるからね。
確か食文化で。
そうなんだ。
ミネラルとして、
そういうのをちょっと知ってて、
自分を南米の環境にセットしてた。
ふーん、なるほど。
その時にヒントになったのが、
ネットフィニックスがドラマ関係で持ってて、
ネットフィニックスにティザーがあるんですよ。
そのティザーが正解とはわかんないんですけど、
だいぶ空気感はわかります。
見ました?
私が見たの1分ぐらいの、
みんながこう交差ってやってるやつ。
でもあの音楽の感じとか、
昔々みたいな、
あるところにマコンドという村があって、
陽気なおっさんが喋ってる感じだし、
スペイン語の語感とかあって、
なるほど、このぐらいの感じでやってんだねって、
グルーブがわかったりとか。
あと、
私この日本版の表紙がすごい良くないと思って、
この表紙意味深じゃないですか?
この筆で書いた、ピピってやったみたいな。
白紙に墨っぽい黒でグッと、
なんか抽象が書いてるみたいな。
そう、抽象が書いてるみたい。
これに何か深い意味があるのかと思ったら多分なくて、
かっこかな100年の孤独の表紙見たんですよ。
そしたらみんなもっと、
ちょっと送ったリンクにあるので、
そしたらマジこれは批判されてて、
多分やりすぎ、ミニマリストやりすぎって書いてあったんですけど。
増えたらみんなもうちょっと南米の自然インスパイア、
もしくは情熱的な二人インスパイアとか、
もうちょっと当時の気候下を放送させるような表紙のものが多くって、
もしくは二階土地を開拓した村の話とか、
もうちょっとこの南半球の赤道に近い位置にある、
あとみんな幅広の麦わら帽をかぶってたりとかね。
こういう人たちね、みたいなのがすごい分かって、
この辺とかを見ながら読むと、
ちょっと物語に浸れる感じにはなりました。
なるほどね。
日本人のまま読むのはとりあえず辛いわなって思った。
読み終えて思うけど、孤独感あんまりないですもんね。
私たちと言っていいのか分からないですけど、
日本人が考える孤独のイメージってあるじゃないですか。
そのイメージに近いような孤独って、
あんまり描かれるシーンってない気がするんですよ。
そう、だからその幽霊の孤独も、
日本人の思う幽霊とか、
日本人の思う孤独とかじゃないやつなんだっていうのは、
すごい思いますね。
でも日本人の思う孤独って、
ロンリネスみたいな感じじゃないですか。
そうだね。
だけどこれ、100 Years of Solidenceなんで、
やっぱり英訳も。
そういう、もうちょっと違う感じなんだろうなって。
Perhaps too minimalist to be meaningfulって書いてるね。
他のやつ結構、この一家の肖像画っぽく描いてるとか。
色彩ももうちょっと鮮やか、原色っていうか、
日本では見かけない服装っていうか、
服装の色っていうかなんか。
あとは今度があるであろう、
ジャングルっていうか山っていうか、
緑緑しい感じだったりするもんね。
確かにこのイメージの方が合うのかもね。
あともう一つ想像するのが、
日本って湿気がジムジムしてて、
あんまり植物とか苔みたいなのしか生えない、
木みたいなのしか生えないけど、
多分ここら辺の気候って、
放っといたらどんどん他肉植物みたいな、
もう食われんじゃないかみたいな、
植物がバシバシ生えちゃって、
アリもすごくてみたいな。
放っといたら生き物の方が強い、
生き物に食われかねない、
みたいな感じなんだろうなとかも思います。
なるほどね。
確かにここら辺とか面白い。
その表紙面白いですよね。
こういうのをテッドしてから、
そういう街で木の家建てて、
植物に半分食われそうになりながら、
街を保って、
百羽広の麦わら帽子被って、
打点系の音楽でパーティーしながら、
過ごしている村で語られる、
おばあちゃんの昔話、
っていう気持ちで読むと結構面白いです。