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このマドンナのお話、後半はこのマドンナの写真ってどういう意図を持っているんだろうか、みたいなことを丁寧に解説していくっていうやつですけど、
一番最初の書き出しというか、なんか見てると、
知の技法って知るっていう単語ですけど、これは発見の概念とすごく強く結びついていますっていうところからこの章が始まるんですよ、確か。
ところで発見とは一体何だろうか、みたいなところを最初に書いていって、柳田邦夫みたいな、プロイトマンみたいな話が進んでいくんですけど、
私だからタイトルの中にマドンナの発見とか書いてるから、なんかそういう話かなと思うじゃないですか、マドンナの発見とは何かとか言われたので、
なんかすげーなーみたいな、重いなーと思いながら、面白ーと思って読んでましたね。
ここで終盤で言い切ってるっていうか、このマドンナの写真集はポルノグラフィックなヌードだけじゃないものがあって、
そこに隠された真理とか美しさみたいなものは、私たちが繊細な知を獲得しないと発見できない。
だから私たちが求められているのは繊細さですって書いてて、それがすごいグッときたというか、あんまりこういうふうに言い切ってくれる人はいなかったなーっていうふうに思いました。
なるほど、なるほど、そうね、いやなんかこの今美希さんに言われて改めて思うと、このマドンナの、なんだっけ、この章の真ん中から後半ぐらいのところに、
私たちが行きつつある20世紀末は最初から何もかもが裸になっているといった露骨さえの執着がますます増大しつつある時代なのですってところだよね。
そうそうそうそう、だからその分かりやすい方がいいみたいな風潮ってずっとあるじゃないですか、特にこう最近は。
でもそれって分かりやすい、昔からと思うんですけど、分かりやすくなっているってことはより露骨に裸になっているみたいな話であって、
露骨に裸になっているものって多分繊細さとかいらなくて、そういう逆を言われてるなって分かる。そういう分かりやすくなくても繊細に感じ取れることが知なんですよって言ってるっていうか。
そうだね。
そういうことを感じたなぁと。
でも一見分かりやすく、ほらかっこいいじゃん、女性がセクシーでしょっていうことをやってるように見えて、そうじゃない繊細なことをやってて、
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それはあなたの繊細さがないと発見できないし、それを教えられて知るっていうことじゃなくて、発見しないといけないんですってことを言ってると思って、それが食っときましたね。
なるほど。
この私たちの知の課題は今やすでに剥き出しになった裸系の心理にいかに繊細に触れるかという問いに移ってきているように思いますと。
この時に求められるものは明石さよりもむしろ繊細さですと。
そうだね。
もう、なんか今ちょうどミキさんが住んでいらっしゃる東京は東京都知事選が終わったところですけど、
選挙のやつ見てると裸で裸の殴り屋みたいな感じなんですか?
あれはもうキャラクター勝負でしょ。キャラ立ち選手権みたいになっちゃってね。繊細さもクソもなかったですね。
そういうものの方が効くっていうのはあれですね。このマドンナのやつを見て改めて思うと、知性の否定だなっていう感じがすごくするキャラ勝負ね。
繊細さと逆の勝負っていうか、キャラ勝負ってことが明石さんに近いっていうか、キャラが立ってるか勝負だったっていうね。
そうだね。
いや、そうね。でもこのマドンナのこのメトリックのところはすごく良かったなぁと思いながら私も読んだですね。
ですね。
もう一個あげてた。翻訳。
翻訳ね。はいはい。
柴田本幸さん。
はい。
私も読んでいって、最初の方から私頭から読んでいったんですけど。
この1個前にあるフィールドワークとかっていうのはまあそうだよなぁとか思って見つける。
資料、歴史の資料とかってのはそういうことあったんだへーと思いながら見ていくわけですけど。
この翻訳あたりからね。
あ、学問ですねみたいな面白いなって思い始めたのはこの辺からでしたね。
普通に柴田本幸さんが翻訳をどういうふうに捉えて、自分はどういうふうに翻訳してるかってことを書いてて。
例題がすごい面白かったですよね。
じゃあこの英語を翻訳してみましょうって。直訳するとこうです。
だけどこれだと作品の良さが合わせてないから私ならこう翻訳しますっていう。
原文直訳柴田訳って3つ出てきた時に直訳と柴田訳が全然違うので。
それがもう笑っちゃったっていうか感動しちゃった。
プロの仕事だなっていう感じがするよね。
どこだっけ探して。あ、あった。
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なんだろうこのでもさ翻訳さんが言うように3つ読んでみるとさ全然違うじゃない。
そうなのよ。
この違いをさどう違うんですかって言われた時にすげー説明しづらいなと思ったんですよ。
なんでこっちの翻訳の方がこっちより良いんですかっていう。
一応例を出すと直訳普通に訳すとこうなりますっていうのを2行読むと。
普通の訳は上司が何も知らずに階段を上った時階段のてっぺんに恐ろしい顔が見えた。
これが普通の訳。
これを一応死なんですけど死の声を活かして訳すと私ならこうやりますと。
上司が階段登ったらそこに出てきた怖い顔。
これが原文は普通に漢字とかも使ってるのに対して直訳は普通に訳した文は漢字とかも使ってるのに対して柴田訳はもう平仮名で全部開いてる。
あと読んだ時のリズムとかも全然違うっていう。
読んでる人には全然違うってわかるけど確かにどう説明したらいいんですかね。
もともとのこの英語の文章はジョージ・D・ペインターという人が書いたMeeting with the Devilっていう詩ですと。
英語を見ると全部韻を踏んでるんだよね。
うん踏んでる。
文末にunawaresっていうのとstairsで踏んでいって次はpranks、thanksで踏んでいるとか。
この韻の踏み方があった時ミキさんが最初に読んでくれたジョージが何も知らずに階段を登った時階段のてっぺんに恐ろしい顔が見えた後になるとこの韻が全部消えちゃうんだけど。
その韻を踏んでるというよりかは日本語としての気持ちよさ。
絶対最後この2行の詩でいうと2行目が七号っていうリズムに全部統一されてるっていうこともあるし、この何なんだろうね。
言葉としての気持ちよさにすごいなってるよね。
その時になんでこういう感じにしたかっていうと、もともとの原文にはいかにも聞き慣れた感じ、子供の頃のお話みたいな感じが大きな要素として含まれていたので。
谷川俊太郎の名訳マザーグースの文体を拝借しましたって書いてて。
この取り方すごいですよね。
じゃあ韻を踏んでるか同じところで韻を踏むように考えようとかじゃないっていうね。
それが作品の声を聞くってことなんだなって。
それの方が原文の濃い充実だって言ってるのがね。
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確かに言っても惜しい。
新卒で入った会社でグローバルオフィスがたくさんあるので、アメリカとかドイツとかそういうところのオフィスが作った資料とかがあって、それをプロジェクトで使おうっていうことってあるわけですよ。
それをお客さんに分かるように日本語訳して出したいなっていう時にさ、その上にいるマネージャーの人によって全然扱い方が違うわけ。
とある人はもうとにかく直訳せよと。
グッタの人の意図にまっすぐにできる限り厳密な単語の対応をさせてあくべしという人と、何ならメッセージ変えてもいいと。
スライドのボディの部分に何が書いてあって、そこからどう読み解くかっていうのは、読み解き方というのは人によって、文化によって、受け取りによって違うんだから、
メッセージを直訳する必要さえないと。
全然違うこと書いてもいいっていう人もいてさ。
毎回英語のマテリアル落とされたらどっちがいいですかって聞いてたんだけど。
この柴田さんの役は、その2つのどちらでもない奥行きのある何かな感じがするよね。
確かにその意訳を超えた作品の声を聞く。
ただ何かこういうことを言いたいんでしょうで役しました。ではない。
ではないね。
こういう思想があるはずだからここは生かしてますとかね。
意識的に聞き取るのではなく自然と聞こえてくる作品の感じをつかむって言ってます。
だからそのメッセージを変えるとか意識的に聞き取るっていう感じですよね。
そうだね。
この翻訳のところのサブタイトルは作品の声を聞くですかね。
これの翻訳の考え方も面白かったんですけど、
柴田本由紀って尖ってるんだなって思ったのが、
最後の結び方がこれでこの程度なら俺だって私だってできるわって思った方は
ぜひ役者の1枚上、役者の作ったものの1枚上の新役を自分で作ってみてください。
僕も自分が翻訳をする上でのエネルギーは、
学生時代に下手な翻訳を読ませた悔しさなんですって言って。
まずやってみろと。
自分はそれがエネルギーになってるっていうのと、
最後、今はもう誰も大学が物事の奥深さを発見する上で役に立つ場所だとは思ってません。
だからなんかこう、
学生にお客様気分でいるんだよっていうニュアンスとか、
結局自分が、よし上回ってやるみたいなガッツがあってやるのが一番楽しいよみたいなメッセージを受け取った気がして、
上手くやってるっていうか、すごいエナジェティックな人なんだなって思えて、
より好きになりました。
そうねー。
なんか翻訳ってどうしてもちょっと浮気味みたいな、
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あ、ごめんなさい。
ちょっと浮気味があって、
なんかこうやってやるぜみたいな感じがあって、
好きだなって思いました。
柴田本幸さん、今もTBSラジオのアフターシックスジャンクソンとかにたまに出てらっしゃる、
めちゃくちゃ元気っていうか、バキッと思うものをおっしゃるわけですよね。
この本書かれた時だから今から30年前でしょ。
はい。
そりゃ若手の柴田本幸さんでしょ。
そりゃ尖ってるよね。
学生の時さ、うわ、マジ下手だなって思ってたってことでしょ、みんなのこと。
絶対自分の方がうまくやってる。
学生の時は、うわ、マジ下手だなって思ってたってことでしょ、みんなのこと。
絶対自分の方がうまくやってる。
いやー、そうかもねー。
私、この作品の声を聞くとかも、
分かりやすい、発見に近いと思ってて、
そこにはあるんだからこうやって自分で掘っていきなさいみたいな、
そういう感度を求められてる感じがしますね。
今改めて思うと松浦さんと言ってることのコアな部分を同じ気がするっていうか、
自分の感度を磨いて、ちゃんとその繊細さを繊細さっていうか、
あったりしたかっていうか、
自分の感度を磨いて、ちゃんとその繊細さを繊細さっていうか、
この本最後の最後に、
チョタの顔写真と絵歴と一言みたいなやつが載ってるんですけど、
柴田本幸さんのところの一言、私すごい好きで、
一応最後の280ページぐらいにあるんですけど、
今後は英語教育の星と言われていますが、
これは流れ星なので時期に落ちる予定って書いてるのが私もすげえ最高だなって。
確かに。
最高。
これ54年、だから出版された時に、
これが出版された時に、
これが出版された時に、
これが出版された時に、
これが出版された時に、
これが出版された時に、
これ54年、だから出版された時40歳ぐらいっていうことですよね。
そうか。
それまだまだ現役ですね。
そうね。
素晴らしい。
この柴田さんのこの最後の、
今ではもう誰も大学が物事の奥の深さを発見する上で役に立つ場だと思っていません。
学生や教師がそのような風潮を少しでも逆流させることに貢献したとき、
学生は初めて受験勉強の元を取ったことになるのであり、
教師は初めて給料分の働きをしたことになるでしょうと。
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あっけえと思ったんですけど。
かっこいい。
みきさんは物事の奥の深さを発見するのはどこだと思ったの?
どこというのは?え?
大学だと思ってるのか。
大学じゃないとしたらみきさんはどこで発見できると思います?
どこで発見できるみたいな類のものなんですかね。
その華麗なプロセスの中で、
年を重ねるプロセスの中で少しずつ獲得していくものかなと思ってましたけどね。
その奥の深さみたいなものは。
町の中にあるっていうこと?
そう、人生の中にある。
大学ぐらいは結構自分の人としか会わなかったりとかして、
もちろんいろんな人としてるけど、それでも一定のレイヤーの中に収まってることとかあったりして、
それがどんどん年を重ねて影響がいくほど、
例えばそれこそ旅行に行ったりとかいろんな人と接する中で、
信じられないことが起きたり、
信じられない人がいたりとかみたいなことを知る中で知っていくのかなっていう。
まあそうだね、なるほど。
つまり、
こういう繊細な、
私たちに求められている知っていうのは明石さではなく繊細さで知用とか、
翻訳について考えようみたいなことって確かに学生の時に主にできてたと思うんですよね。
ただ考えて議論するとか、
好きなことについてどことも語るみたいな経験っていうのは大学とかが多くて、そこは大事だったんですけど、
その時はただ楽しいからやってたって感じで、それがめぐりめぐって、
奥深さとかこういうことだったのかって、心的に書かれていることを、
本当にこういうことだったんだって気づくのはもうちょい先かなみたいな感じがあって、
それは結局、軽いプロセスの中で獲得していくんじゃないかと今思った。
40とか50歳過ぎてから大学行く方が楽しいのかな、そういう意味では。
つながる話でかなって思って、
こういうことを求められてますみたいなことを言われるのはいつでもいいと思うんですけど、
こういうことだったのかって気づくっていうのは、
つながる時が来るんじゃないかなって思ってて。
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40歳になってから行った方が楽しいのかなっていうと、
もうそうすると幹部が普通の大人になっちゃってるじゃないですか、その時には。
だからそれで大学行っても、
それ大学行ってもコスパみたいなことしか考えられないのかな、
いいって可能性もあるなっていうふうには思っちゃいます。
なるほどね。
柴田茂之さんの一言が書いてある1個下に高田泰成先生っていう人も同じように、
一言を寄せてるんですけど、
比較文学、比較文化っていう、
ご専門らしいんですけどその一言がさ、
スキルは中英語ではなぜか理性の意味に使われたと。
思想にとって理性はおそらく重要な要素であろうが、
技法そのものが同様に重要かどうか大いに疑問っていうさ、
この地の技法っていう本に寄せる一言として、
確かに。
最高の一言を寄せてらっしゃるんですけど、
例えばさ、地の理性っていう本とさ、地の技法っていうタイトルの本が2つあったとしてさ、
どっちも英語はスキルになってるとするじゃない?
うんうん。
地の技法は売れそうだけど、地の理性って売れなさそうだよなと思っててさ、
売れなさそう。
ちょっとその話とどれぐらい論理的につながるかあれだけど、
みきさんが言う繊細さもそうですさ、
この千葉さん出てくる奥深さもそうだけどさ、
そこに価値を置いてる人って、
少なくとも今この時代だと少なそうだよね。
少なそう。
私繊細なんですっていうことをやる時ってさ、
多分ネガティブじゃない?どっちかっていうと。
うん。繊細さんとかってちょっといじってるもんね。
うん。多分鬱になりそうだな、大丈夫?みたいな感じじゃない?
みたいな、そう。うん。
で、奥深いねって言ったらそれってなんか褒めてるかどうか超微妙じゃん。
いやいじってるでしょ。
いやそうなんだよなぁ。
どっちも好きっていうか大事だと思うからさ、
いや繊細な感覚ですねとか言いたくなる時あるわけ。
でも言ったらこの人が嫌な意味で捉えるかなと思ってさ、
難しいなっていうのと、
でもやっぱりこういう、この本読んでて改めて
その繊細な感覚とか奥深さを求めるみたいなのって好きよなって、
改めて思うですね。
ね。
それでさ、この本の結びも結構私は好きで、
うん。
なんかその対話の作り方みたいなことが書いてあったと思ったんだよね。
うん。
で、最後、じゃあこういう地の技法とか考える観点とか
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テーマとの向き合い方みたいなものを得て、
それで、じゃあどうするのかっていうと、
私たちはそれで議論をするんだと。
で、その時に何か意見っていうものは
ぼーっとしてたら勝手に発生するものじゃなくて、
自分で何か作るものですって。
で、だからそうやって意見を作って、
望まなきゃいけないし、
意見を作るにはどうしたらいいのかっていうと、
心がけとして同意しないっていう心がけをしてくださいみたいなことが結びに書いてあって、
うん。
これ明言されてるのいいなって思いました。
うーん。
なんか今ってさ、そういう感じじゃなくない?
優しい世界じゃない?
こう、
うん。
例えばさ、何かワンオンオンした時にグッドフィードバックしようとか、
そういう意見を作るにはどうしたらいいのかっていうと、
うん。
例えばさ、何かワンオンオンした時にグッドフィードバックしようとか、
グッド&モアで一回しましょうとか言ってさ、
ああ。
もう同意しない姿勢よくないみたいな心境ないですか?
まああるかもね、あるかもね。
うん。
それは確かにそうだね。
同時にこの人が言ってるさ、この同意しないっていうことにも技術っていうのがあって、
ただ真っ向からあなたの言ってることはわかりません。
違います。
とか言うっていうのは決して意見を作ることではないっていうのもこの最後に書いてあると思うんですよ。
だからどっちかしかないんだと思うんだよね。
ミイキさんが言うように優しく、
なんか同意とかすると相手がなんかこう気分を害するかもしれないかなとか、
グッドフィードバックでみたいなぐんと、
とにかく同意しないことって大事だみたいなことを言って、
とにかく何があろうと、
もう同意しないって決めたら延々と同意しないっていう、
何て言うんだろう、
とにかく同意しないぜみたいなことと、
どっちも多分言って、
まあ私個人的にはどっちもすごく苦手なんですけど、
そういう人多いよなっていうのはすごく思うね。
辛いよね、なんかね。