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2024-08-06 21:44

東大教養学部テキスト『知の技法』 #3

- 話者は長年、演劇関連のコミュニティマネージャーのような役割を果たしてきた。そのコミュニティのメンバーは主にフリーランスの俳優や芸術家で、話者にとって楽しい経験だった。

- しかし最近、サラリーマン限定のメンバーを募集し始めたところ、普通のサラリーマンが集まり、議論が面白くなくなってしまった。話者は自分が楽しめていたのは、メンバーの多様なバックグラウンドによるものだったと気づいた。

- 話者は、相手の発言の論理や前提を理解することの重要性を説いている。相手の論理を共有できれば、コミュニケーションが円滑になると考えている。

- しかし、相手の論理を変えることは難しい。話者は質問攻めをしてしまうが、それでも相手に伝わらないことがある。

- 最後に、論理、モラル、技法の3つを組み合わせることで、コミュニケーションの改善が期待できるという示唆がなされている。


サマリー

彼女は演劇関連のコミュニティマネージャーとしての仕事が楽しい経験である一方で、サラリーマン限定のコミュニティに参加し活動を始めてからは楽しくなくなり、思考技法の必要性を感じています。そして、コミュニケーションの難しさやモラルの問題にも取り組む必要があると思っています。このエピソードでは、知の論理とモラル、そして技法についての議論が展開されています。また、演劇やアートにおける論理やモラルについても言及されています。

楽しかったコミュニティ生活の変化
なんか私、長らくずっと演劇関連のコミュニティマネージャーみたいな仕事をやってるじゃないですか。で、なんか今までずっと楽しかったんですよ。
そしてコミュニティメンバーがあまり私の世界にはいない人。 俳優がやりたいからバイトをしながら生きてますとか、俳優で食っていけてるからバイトしてませんとか、
一緒にライターやってますとか、あんまりサラリーマン系じゃない人が多くて、そういう人たちと話してるだけで楽しかったから、
コミュニティってのはそういうもんだって思って生きてたんですけど、今年かな、ちょっと趣旨変わって、サラリーマン限定みたいな感じで募集かけて話すようになって活動を始めたんですけど、
そしたらもう本当に私が普段知っているような普通のサラリーマンが集まってきたら、議論とかをしても本当にすごい楽しくなくなっちゃって。
今まで私が会話できてるって思ってたものって単純に持ってるバックグラウンドが違うから、ただ違う、違うね、面白いって言ってただけだったみたいな風に思っちゃって、
すごいがっかりしたっていうのがあるんですよね。何が言いたいかっていうと、こういう同意しない姿勢とかでちゃんと向き合ってたわけじゃなかったのかもって思って、
似たようなバックグラウンドがある人たちとも、同意しない姿勢でもってもっと話せたらいいのに、なんか全然面白くないなーっていうのが最近あって、
うーん。
なんかこの地の技法を追加私にね、もっとあればなーとかを最近思ってるんですよね。
急にあれですけど。
おーねー、なるほどねー。
あー、そう、なるほどね。
その、みいちさんが言うその技法っていうのはさ、何て言うんだろう。
なんかいろんな表現の時のこの技があるじゃない?
例えば、あなたに同意してますってことをどうやって言うかっていうのもある種一つの技法だし、
どうやってそれを検証するかとか、自分でどう感じるかを確かめるっていうものも技法だし、
それは違うと思いますっていうことを、どう訴状に乗せるかっていうのも技法だし、
みいちさんの中ではどういうことなんだろうね。
その感じている事象の中で、足りないと感じる技法は。
えーと、どう説明したらいいんだろう。
それがまずどういう技法が足りてないか分かってないので、直面していることで言うと、
例えば、極近で感じたことで言うと、
みんながみんな自分の知っていることをベースに、それを物差しとしてかざして話してくるっていう感じが、私は凄い心地が悪くて、
うちの会社ではこういうことがあって、それっていいよねとか、
だから公務員だから、うちなんかそういうのにへーみたいな感じになっているのとかは気持ち悪いっていうのも、
あともう一つは、質問に答えてくれてない感じがして、どんどん質問をしちゃうっていう印象が私にあるんですよ。
例えば、私って意味ないことってやらない方がいいって思うから、つい口を出しちゃうんですよね。
質問責めや意見の一致に関する難しさ
でもなんかそれってあんまり良くないことかもしれないから、意味ないことには意味ないなって思って、もう心の中で言わないように我慢してますって言われて、
それ自体で私は意味あるって、それを思われとっている意味あるであって、絶対的な物差しじゃないのになんでそんな意味ある、
絶対的な正しい意味あるないかを思っているみたいな感じで言うんだろうとか、
何か一つの事象が意味がなくてはいけないと思っているのはなんでだろうとか、
かつ意味っていうものが統一して一貫して変わってないものでなければいけないと思っているのはなんでだろうみたいなことがバーって思い浮かぶんですけど、
それをこういうふうに言ったら攻撃してるみたいになるじゃないですか。
だから攻撃しない感じで、なんでそんなこと言いたくなるんですかとかって聞くと、
え、だって意味ないじゃないですかとか帰ってきて、全然質問に答えてくれてないと思って、
手を返しながらいろんな質問をすると、また質問攻めしてたねみたいな、質問多いんじゃないみたいなふうに他の人から言われちゃう。
例えばそういう事象をすごい経験していて、
てかそういう、まだ私の質問に答えてくれないっていうのにすごくストレスも溜まるし、
私が知っているような想像がつく気持ちがしちゃうような人たちばっかりと喋ってて、面白くないみたいな感覚がすごいある。
へぇー。
時に、そんなわけないじゃん、面白くない会話しかできない人たちなわけないじゃんって思いつきに、
どういうことがあれば面白い、私の好奇心で満たされるんだろうみたいな。
こういうここに書かれてることとは程遠い事象を起こしてしまってるなっていうふうに思いますね。
なるほどね。
あー。
ちょっと伝わりました。
なんとなく、どこまで行ってもなんとなくになってしまうのがすごく難しいところなんだけどね。
なるほど、そうだね。
あー。
これ、なんて言うんだろう。
自分が、今の仕事をしてて楽しいなって思うことの一つでもあるんだけどさ、
経営コンサルティングという仕事をしていると、基本的にお客さんのマインドって開かれてることが多いじゃない?
話を聞きたいとかさ、物事を考えたいとか、自分が間違っているかもしれない、合ってるかもしれない、わかんないとかさ、
開かれてるっていう表現が一番しっくりくるんだけど、逆に閉じている業務って私はすごい話をしててつらいのよ。
さっきのミキさんが言うところの、これは意味ないじゃないですか、以上みたいな、議論の余地なしみたいな。
この前提は疑うべからずみたいな。
そうそうそうそう。
ある人って、自分と彼に同じ価値観を持っている人であったとしても、一緒に働くのはしんどいなと思うのね。
だからコンサルの業務をやっても、例えばマーケティングの最適化をやってますとかさ、
業売集のDDやってますみたいな人って、開かれ度でいうと閉じてるのが高いのよ。
基本的には絶対買いたいですとか、AB達は絶対やったほうがいいですとか、
閉じてる人が多くなればなるほど、しんどいなっていうのを思っていて。
言うように、これどっちなんだろうとちょっと思うのは、開かれた人とうまく議論する方法って、この地の基本の中にもたくさんあると思う。
例えばアンケートを取りましょうとか、こういう論理を使いましょうとか、言うところはあると思うんだけどさ、
閉じている人を開かせるってなんかすげー難しいなと思うのね。
それはミキさんが言うように、普段のこうだっていうのももちろんあるし、逆に同じ話になっちゃうけど、東京都知事選を見ててもさ、頭悪いみたいな人もいるじゃない。
その主張倫理はどれほどロジカルでしょうかみたいな時に、絶対こうなのだよみたいな。
聞いてないんですねっていう人とかを見てるとさ、この人の思想を変えるのは原理的に可能なんだろうかみたいなことを思ったりするのよ。
わかりますね。それを私の人から言われたんですよ。そんな質問で面しても、変えようと思ってるんだったら無理だと思うけどみたいな言われて。
でもなんか、私はその私の質問で答えてくれてないってことすら伝えられないのが切ない気持ちにもなっちゃうんですよね。
そんなことは聞いてないっていうことが返ってくるわけじゃないですか、聞いて。そんなことは聞いてないって言いたいけど、それすら伝えられないの?っていう。せめてだから。
なるほどね。
それすら伝えられないんですかね。
どうだろうね。でも伝えている人としてさ、たぶん典型的に広雪とかさ、最近話題の落ちちゃった石丸さんとかはさ、そういうのを言うわけじゃない。
あなたは答えてないですよねみたいなやつを激詰めするっていうことを言う。あれはたぶんみきさんの今の課題意識には答えてると思うんですよ。答えてないですよねっていうのをスーパーマックスストレートに言うっていう。
いや答えてないですよねって言われたら、え、答えてますよって書いて終わると思うんですよね。
お互いに言う?
いやだから、つってもう一回同じこと言われて。
悲しいよね、なんかね。
そうだよね。なんなんだろうね。
という時にさ、これなんか一応三部作の一番最後がこの地のモラルっていうやつじゃない?
でこの地のモラルってさ、なんて言うんだろう、そういうことをやめましょうねっていうのって暗黙の前提としてあると思っているんですよ私は。
なんか質問責めうんぬんとかさ、なんかこう、なんていうのかな、もうモラルを共有できていない人とはコミュニケーションが難しいと思っちゃうわけ。
言ってもいいんだけど。
うーん、なんて言うんだろうね。
なんていうのかなぁ。
めっちゃ冷静にやろうと思ったら、もう一回地のモラルをお互いに同じモラルを共有するところから始めましょうとかなると思う。
でもそれ原理主義的すぎるし難しいじゃないですか。
なんかこれをね、なんかそう。
なんかまだその回、私も回は見つかってないんですけど。
なんだかなぁって思ってるっていう。
なんだかなぁ。
なんだかなぁ。
なんでしょうね。
私も結構質問責めっぽいことやってると思うんだけど、なんで質問責めにしてますよねって言われないんだろう。
でも業務でやってるからじゃないですか。
私はゆるくトーク会みたいな場所でやっちゃってるからかもしれないけど。
場の問題っていうこと?
うん、文脈。
ほーん。
へぇー。
あ、でもあたし聞き方の問題かも。
うーん。
私もちょっと声のトーンを下げて、なるほどって言いながらもっとゆっくり聞けばいいって話なのかもしれないんですけど。
いやー、まあそうだよな。
この地のモラルの一番最後に、モラルの問題にプロはいないって書いてるよ。
いないのかもね、解決できる人は。
そうかー。
これはお悩みそうだっていうか、この本から話は取れるんですけど、質問に答えてくれたね、議論の余地はないです以上みたいな人に対してどう働きかけるかっていうのはちょっと難しいですねって話が今あったと思うんだけど、それとは別に、うちの会社ってこうだからとか、だからこうなんだよねとか、公務員ってでもこういうもんだからさみたいな、
なんかそういう働き、社会的経営管理みたいなものに依存して、事実をただ話してるだけみたいな、それを事実を順番に出し合ってるだけみたいな場がすごくつまらないと思ってしまうんですけど、それってどうやったら解決できると思います?
どういうこと?うちの、私の家の当たり前みたいなのをみんなで話している場があったとして、それをどう面白くするかってこと?
本当はその先に行きたいのに、ただ事実を出し合っているだけで終わっているように感じるときってことです。
そこがどう考えるかっていうのを聞きたいのに、うちってこうなんだよねみたいなぐらいで終わってしまったりとか。
私だったら真っ直ぐに、あなたそれどう思ってるんですかって聞いちゃうけどね。
でもその、あそこも難しい。私にとってはあなたそれってただ事実を出しただけですよねっていう解釈だけど、多分その人からしたら意見を言っている風なの。
もうすでに考えを述べている風なの。
考えを、あなたはこの問題についてどう思いますかって質問を仮にしたときに、うちの卒期ではこれが普通なんですよが返ってくるってこと?
そう。
知の論理とモラル
私だったらうん、でって言っちゃうけどね。わかりました、そうなんですか。で、あなたはどう思うんですかっていう。
多分その時の私の表情の作り方、ぜひ万人にシェアしたいんですけど、本当にまだ途中ですよねの顔をしていると思う。
確かに、そこね、それでっていう顔をしてるのか。
うん、そう。
その時に別の人が面白いですねって返しちゃったときは?
何が面白いですかって聞く。
私は全然面白くねえよって。
でもその違いが知らなかったですよ、ちょっと。
知らなかったですか。なるほど。で、面白かったですって言われたら、ああそうですかそうですか面白かったですね。
で、さっきのやつの意見なんですけどってもう一回戻しちゃう。
私この知の論理に対して私は結構まっすぐなので、かなり知の論理原理主義者だと思う。
そんなことしたら馬を掌握しちゃうよって思って。
いいんじゃないの?ダメなの?
その時はしたくなかった。
ああ、じゃあ難しいもんね。
すでに運営みたいな立場だったから、そんなに喋りたくなかった。
ああ、なるほどね。
もう二択だけど、私もどうでもいい場だったら、自分の意見なんか無視して気持ち悪からおうと、もう皆さん好きにやってくださいって言って、皆さんが良かったら良いですって心をゼロにしてやるっていう。
もう全然あるあるけど、私がやってるのは仕事だからね。仕事だと成果を出さないといけないっていうマインドが前提にあるからさ。
そうすると、なんだろう、この人が言ってることを正さないと成果に繋がらないと思ったら常に介入するっていうスタンスになっちゃう。
うんうん。
でもその地の技法に書いてあることってさ、そういうことじゃないよね。
そういうことじゃない?
そういう文脈がなくてもできそうなマインドが書かれてるよね。
だから仕事だから成果を出さなきゃいけないとか、自発地の関係がなかったとしても議論ができるみたいな風に結びが書かれてたからと思って。
そのちょっと今その結びを思い出して、私もそういう議論したいなーって思ったっていう感じですね。
うーん、そうだね。
でもね、そうだと思うのよ。そうだと思っている一方で、
なんだろう、自分がどういう論理に従って行動しているかっていうことをさ、
相手に開示してあげるのって私はものすごく親切なことだと思うんですよ。
で、それを隠しているか、そもそも知らないか認知してないかみたいなところにどっちかにいるとすると悲しいことになるのがすごく多いと思うよね。
で、例えばさっきのさ、その公務員の人がうちはこうなんですよって言ってるとしたら、
その人はなんかどういう論理の中で従って言ってるんだろうかっていうことをこっちは考えるじゃない。
で、その論理の共有ができてたら、別に自発地の関係がなくても仕事の場じゃなくても、
まあなら家庭でも親子関係でも全然いいと思うんだけど、
論理が見えないところで、地の技法を屈するって私はすっごい難しいと思う。
確かにね。
なんかなんとなくこういう仕事をしていると、この人はこういう論理で発言してるんだなってことをさ、考えるようになる。
そのアンテナがあるだけでももしかしたら地の技法を使えるシーンってのは増えるのかもしれないなと思う。
確かにね。
よね。
演劇とアートの論理
さっきの柴田素之さんの翻訳の時に、
この人は多分直訳をしてるんじゃなくて、こういうのがいい翻訳だと思ってやられてるんだなってのがわかったら、
これって原文にこんな単語ないですよねとかっていうのを言うっていうスーパー強打めなことはやらないじゃない。
はいはいはい。
気に踏んでないですよねとかね。
何ですかこれみたいな。
原子力踏んでるのにって。
何ですかこれって言わないからね。
論理の共有、そうだよな。
その人の論理の読み解きって、
解示するってのは一番最初かもね。
なんとなくその相手はこういう論理になってるんじゃないかなってことを推測をなんとなく立てるっていうのとか、
あるいは自分その人の論理の読み解きっていうのが一番最初かもね。
でもそれってさ、一方通行でもまずはいいのか。
うん。
だからこちらの論理を開示し、うんそうね。
うん。
開示するっていうのは一番最初かもね。
うん。
あるいは自分その人の論理がわかるような質問をこっち側から投げかけられるようになるとかっていうのももしかしたら難しいんだよなあ。
なるほどねー。
3つセットで読むのがやっぱりいいのかなと最後思ったね、多分この論理とモラルと技法っていうのが3つちって言葉についてるけど。
うん。
論理とモラルは教養して場に教養してなんぼだからさ。
ぽいぽい。
演劇の人ってどういう論理とどういうモラルのもとを、演劇に限らずアートっていう文脈だけど、
私はそこにも何かしらの論理があるんだと思うんですよ。
こういうものはいいよねとか、これをやったら次これやりたくなるとか、こういうことは間違ってると思うとか。
そうね、なんか嘘だからさ演劇って。嘘を合法的に嘘ついてるあたりもあるけど。
だからその、当たり前に合法的に嘘つきたい人たちが多分無意識的に集ってたりとか、嘘みたいなのが多分あるかもね、論理としては。
なんか面白いね、その集団に嘘は良くないことですかっていう質問をなんかアホみたいな質問しちゃったりするじゃない。
うん。
なんか一般募集団でアンケートを取るのとは違った結果が返ってきそうだね。
でもそうね、だからやってるんですって言う人が多いかもね。
良くないことだからここだったら合法的にできるからっていうような人多いかもね。
面白いね。
いいね。教養学部でこういうのをやるのいいよね。すごいいいなと思った。
思った。じゃあ私はまだまだ足りないから頑張ろう。そしてじゃあ本の本も読もう。
いやでもなかなか固くて読み、読みづらいと言ったらちょっとあれだけど、大学の時に読んでたら他の授業と連動するからさ、学べる吸収力が高そうだけど。
うん。
なかなか今こういう感じになるとね、なかなか集中して読むのも難しいよなーって感じだね。
ですねー。
まあそうね、アイテム論理、まあでも私もこちらの論理を開示してなかったかもって思ったので。
開示しようかな。
違う話かもしれないけど。
うんうん。
どうぞ。
どうぞどうぞ。
今クロージングしようとしたので、違う話かもしれない話をしてください。
大丈夫大丈夫。もういい時間ですから。
じゃあまた次の方はまた決めてお連絡します。
にんちさんが楽しそうなやつを是非教えてください。
ほい。
はいじゃあねじゃあね。
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