とよだくんは他に気になったところとかはあった?この本で。
えっとねー、えっとねー、あ、これもさっき出たけどそのトーク、このトークの教室で情報的な価値を伝える、じゃなくて感情を再現する価値があるよみたいなことを書いてあってどっかで。
それがさっきのニンのところで言った話なのかな。
なんだっけ、俺はポッドキャスト。
それどこら辺に書いてあったっけ?
それね、メモってなくて、本当にメモで1行残してるだけだから、どこに書いてあったかわかんないんだよね。
うんうんうん。
どこだろうな。ジャガモンドの斎藤さんの話の後かな。
だから第5章とかか?多分その辺りに書いてあったんじゃないかなと思ったけど。
あとね、トークとは言葉で絵を描くことであるっていうセリフが終わりの方に書いてあって、
これは我々がビジュアルシンカーで、我々が喋ってること、相手の話を聞いてそれを頭の中に思い浮かべて絵を描いてるというか、お互いの頭の中に。
っていうことをやってるんだなと思ったし、この番組で。
あとはそのラジオのトークは電話に似ているっていう風なことがどこかにそれも書いてあって。
2人でやってるってやつね。
これは我々Zoomとかでカメラとかオンにしてないじゃない。
あーそうだね、確かに。
カメラオフにしてもう完全に声と声だけ。で、いつも収録して。
で、ポッドキャストで配信して聞いてる人も声しか分からないよねっていうのでやってるのが、僕はすごいいいなと思ってて。
だからこれ間違ってなかったんだなと思って、こうやり方がね。
映像がない方が、その相手の頭の中で絵を描きやすいんじゃないかなと思って。
そうね、手振りとかでは伝えられない。表情でも伝えられないから、言葉でちゃんと伝えようとしてると。
はい。
例え話とかもね。
っていう戦略。
そうだね、してるね。
戦術か、戦術。
なんだなーと思ったっていう話かな。感じたこと。今なんか言おうとしてくれてたけど。
なんか、我々がやってて、それをこの本田さんが肯定してるっていう意味では、その点もそうだけど、
なんか自分の話をするのがいいんだよって話をしてて、その時になんか噛んだりとかさ、しても全然いいよみたいな。
間が開いてもいいよとか。なんかこれってとよだくんがさ、一番最初ら辺にも言ってたような気がして、なんか僕は結構それを気にしてた気がするんだよね。
噛んじゃったりとか、フィラーが入ったり、え~とかうまく言えてないとか言い直してるとか、でもいいんだよみたいな。
なんかそういうのが含めて気持ちが出るもんというか、言葉が詰まるのも含めて、言ったらいいんじゃないみたいな。
なんかそういう感じで言ってたのも、この本田さんが言ってることと被ってるなと。
これはトークの教室の方の話をね。
こういう風に例えば頭の回転を良くするためにはこういうトレーニングが必要ですよって言われたら、
うん、そうだね。
あ、そうかと。じゃあやろうっていう感じになる?
まあでもちょっとやってもいいかなっていうのは、簡単にできるのはやってもいいかなって思ったけどね。
あー。
まあどこかにこの話が上手くなりたいとか、ちょっと面白い話できたらいいなっていうのはあったりはするし、
うん。
この前の講演みたいな機会の時にも役に立つ部分はあるだろうなと。
うん。
で、生成AIじゃないけど自分たちの頭ってやっぱりニューラルネットワークでこうやって訓練すると、それに対するリワード、報酬があって強化される。
それをガーッと繰り返してると、それに特化したというか、脳がニューラルネットワークが出来上がるんだなという感じで、
だからお笑い芸人の頭も本当に強化学習をめっちゃ働かしてるというか、
このNSCみたいな単位で見るとさ、いろんなお笑い芸人の卵っていう粒っていうのかながあったり、ニューラルネットワークがあって、
で、それを会場というお客さんからのフィードバック、報酬を分け与えて、いかに世の中の情報を圧縮して、
瞬時にいい最適な言葉を次に出す、それでいい笑いを取るみたいな最適化するエンジンが回ってるのが自分の頭の中で想像できてて、
なるほど、やっぱり人間はGPTだってとよだくんと話したのを思い出したりとかして読んだよね。
そうよね。
こういう大きなシステムでニューラルネットワークを鍛えてるんだなっていう感じがした。
なんかね、それが自分の意思でこれをやっぱり鍛えてる。俺はこれで鍛えてるんで強化学習してるんだっていうので、やるのはすごいいいなと思うんだけど。
なんかこう、強化学習されてるというか。
自分の意思とは関係なくなんか周りの環境とか流れに乗ってそうなっちゃうのが自分すごい嫌だなって思ってるんだなって思った。
それむずいよな。
難しいね。
自分の意思で強化学習してるのか他人の意思で強化学習しちゃってるのかって難しいよね。切り分けできないような気もしたな。
そうね。解釈、解釈なのかな。
そうね。
もう一個、一冊目に戻るんだけどトークの教室で行ってもいい?
はい。
これ、最後の章かな。その話が面白いと人が反応することに関してなんだけど、人はうまくいかずに悔しかったこととか恥ずかしかった、切ない、みじめだったとか悔しかったことを話すと、
しかもその時にいかにその時に熱量があったかを伝えると相手に伝わるみたいな。
そうすると面白いと思ってもらえるみたいな。結果的に笑ってくれたり笑ってくれなくても共感してくれるんだよみたいな話があったんだけど、
あんまり僕この悔しがったりとかさ、恥ずかしい、切ない、みじめだった話って人に話さないし、そもそもその量が少ないというか、
なんかこううまくいかなかったとしても、じゃあどうしたらいいかなみたいな感じで割と淡々と次に行くみたいな。
なんかこの悔しいと思うメカニズムみたいなのがちょっと人と違うのかなとか思ったんだよね。
一つの例として、例えばバスケみたいなのをやってたとするじゃん。で、1個打ってあー入ったーとかあー入んねーみたいな感じですごい悔しがる人いるんだけど、
僕は1個1個にあんまり執着しなくて、シュートのフォームがいいかどうか。1回これ外れたけど、10本打って3本入ったからOK。
姿勢良くするためにとかシュートフォームどうするっていう風に考えをして、1個1個に一喜一憂しないようにしようっていう考えが常に働いてるわけよ。
だからあとはそういうこうみじめだったとか悔しいみたいなのを不快だと思ってて、そういう風に思ってる時間をね。
だからそれをなるべく最小化しよう、思わないようにしようということも常に働いてるわけ。なるべく忘れようとかね、気分転換しようとか。
だから基本的に自分の記憶にこういうものが残らないようになってるなーって思ったんだよね。
今ねそれ聞いて、それすごい良い特性なんじゃないかなと思ったんだよね。あんまりそういう一喜一憂しないで淡々と自分の目指してる方向に向かっていけるってことじゃん。
それでその悔しいとか悲しいとかそういうネガティブな感情が残らないっていうのは、むしろ良い特性だなと思って。
で、それで残らない、早々のことがないと残らないっていう構造になってるにも関わらず残る、残ってしまうぐらい大きいものっていうのが多分あると思ってて、それがより共感性を呼ぶネタになるんじゃないかなと思ったんだよね。
だから簡単なことで残らない方がむしろ良いんじゃないかなって思ったんだよね。
なるほどね。
だからそれ良いんじゃないかとても。
本当にクオリティの高い悔しさしか残ってないんじゃないか。
なるほどね。
質の高い、純度の高い悔しさ。
本当に一個一個覚えてないことを気にする必要なくて、こんな構造だけども残ることがあれば、それは相当みじめだったり相当切ないという。
それこそがやっぱり人の共感をより強く呼び起こすんじゃないかなと思ったね。
なるほどね。
ありがとう。かなり肯定された。
いや、率直にそう思ったね。
とよだくんはどう?そういう悔しいとかは結構思う方かとか。
いやあんまり思わないね。
なるほどね。
やっぱそこも諸行無常というか、あんまり自分ではコントロールできない感じがあるから、自分の思い通りにならないとか、
あんまり悔しいとか悲しいとかはあんまり思わない気がするね。
なるほど。そっか、だから悔しいとか切ないとかは、と好き嫌いは別なわけだよね。
感情、といえば感情だけど。
で、切ないとか悲しいとかは思わないけど、とよだくんは好き嫌いははっきりさせる。
そうかな。なんかね、その好き嫌いもね、やっぱ自分のために好き嫌いをはっきり出してる感はあんまないんだよなーと思って。
自分のため?
自分の利得を最大化するために、これが好きだとかこれが嫌いとかって言ってる。
でも嫌いはそうかもしれないなーと。
寄せ付けないためにね。嫌いなんだよねーって言っとく。
いや、ちょっと今俺何を言おうとしたのかわからなくなっちゃった。
いいや、ちょっとスルーしてください。
あとは反応しない練習みたいなのが回あったじゃん。仏教思考を使って。
こういうのを身につけてるとやっぱこうみじめに思うとか、
なんか心が反応してる機会もやっぱ最小化できちゃってさ、
あんまりこう面白い話とか共感を得る話っていうのがネタがやっぱ減るんじゃないかなとは思った。
淡々と生きてて何も普段デコボコがないというか。
いや、ネガティブな話はあんまり感じない方が幸せな人生なんじゃないかなと思ってて。
ポジティブな方?これが嬉しかったとかこれが楽しかったとか、
そっちは感度高くできるんじゃないかなって思ったけど、そっちを増やせばいいんじゃないか。
それはできそうな感じある?
できる気はするんだけど、あんまり面白いと思ってもらえないかなっていう。
自分が面白いと思ったことを他人が面白いと思ってくれるかどうかがちょっと怪しいって感じ?
いや、なんていうのかな。
今、文脈的には悔しいとか恥ずかしいとかをネタにする。
で、人が共感したり面白がってくれるみたいな。
そういうオーディエンスを想像すると、そういう人に自分はこんなに嬉しかったとか、こんなに楽しいっていうのを言っても、
その同じオーディエンスは面白いと思わないだろうなと思って、
自分は他のオーディエンス、同じような興味、同じようなことに共感してくれる人たちは面白いと思ってくれる。
そこのオーディエンスが違いそうだなって思って、そういうことを想像してた。
なるほど。
ネガティブな方が万人に受けるってことなのかな。
万人っていうのもわかんないけど、面白い、そういうのを面白いと思って期待してる人っていうのは少なからずいるような気がしていて、
そういうときにあんまり提供できるものがないというか。
まあそれはいいんじゃない別に。
提供しなくて。
そういう提供できるネタがあればすればよくて、別にないんだったら提供しなくていいんじゃないか。
他にはなんかそろそろ時間がきてはいるんだけど。
なんか今回その面白いトークについて考えるっていうテーマにしたんだけど、
その面白いトークって一体何なんだろうっていうのがやっぱね、わからなくて。
まあいろんな定義があると思うんだけど、我々が目指す面白いトークとは一体何なのかっていうところはちょっと意識合わせときたかったなって思ってさ。
ちなみになんかどう思うよ。
まあでもこの一冊目をより意識したというか、自分たちがどう思うか、どう感じてるか、何に気づいたかをひたすらシェアする。
で、それを面白がって聞いてくれるっていうなんか。
面白いの定義になってないな。
面白いは、そういう個人的な何かをその人しか語れないことを面白さとするみたいな感じなのか。
はいはいはいはい。
どう?
仮にそれだとするとさ、我々って何か変える必要あるのかなって。
特になさそう。
まあ僕はもっとちゃんと自分のことを言わないといけないかもしれないけど。
それを勝手にブレーキかかるから。
しおくんの今回の学びとしては、自分のことをもっと話すっていうのを意識するっていうことなのかな。
はいはい。
逆に僕はさ、どうしたらいいと思う?どうやったらもっとさっき言った面白いトークに近づけると思う?
どうだろうね。まあ大きな方向性としてはもう変える必要ないんじゃないのって思ったけどね。
全然。
細かいテクニックとか。
で、2冊目の方から、これだったら使えそうになるなみたいなのは、話をより聞きやすくする。
受け入れてもらいやすくするみたいなTIPSは、試していいかなっていうのがあったらやってみても、
これは練習だから、トレーニングだからやってもいいんじゃない?
例えば、最初の言葉を聞き取りやすくするとかね。
名前、漫才お笑い芸人がさ、チーム名とか言うときに、初めての誰も知らない新人なのに早口で言っちゃって聞き取れなくて、
その後も何度言っても聞き取れないからお客さんずっとモヤモヤするみたいなとか、
あとは大事な言葉をゆっくりとか、なんかそういうのって割とポッドキャストでも大事だなと思ってて。
白米FMってちゃんと言ってないとかね。
それをゆっくり大事なとこだけ強調して言うとか、なんかちょっと応用できることはあるかなとは思ったけど、
それは別にとよだくんだけじゃなくて僕自身も。
うんうんうんうんうん。いやーそうね、そうだね。
あとは7分ぐらいのパッケージにするみたいな話ってあったの?どっか覚えてる?
なんかあった気がする。
ああいうのも結構僕は無頓着だったなと思ってて、たぶん僕の一文って長いんだよね、普通の人より。