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2020-11-26 1:13:00

第五十回:Takさんとバザール執筆法について

第五十回:Takさんとバザール執筆法について

00:00
はい、打ち合わせキャスト第50回ということで、今回もゲストにたくさんお迎えしてお迎えしております。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、今回50回ということで特別記念なことは特に何もなくいつもと進めるんですけども、
最初に宣伝というか、僕の方からなんですけど、SF雑誌「オルタニア」という電子だけで出てる雑誌がありまして、
名前というとSF作品を集めた雑誌なんですけど、それのボリューム9の「大阪SF」という号に寄稿しております。
もう発売されております。で、オルタニアって結構珍しい雑誌で、
ブックスっていうサイトでしか販売してないんですよね。多分、多分、多分なんですけど。
なので、オルタニアのナンバー9ぐらいで検索かけてもらうと、僕のSFが載った雑誌が見つかると思います。
で、もう2つ、このBotCast以外に、ベックさん、ベック1240さんがやってる「ベックスハックスレイディオ」というのの第79回にお邪魔しております。
これもアンカーで探せると思うので、よろしかったら聞いてください。
同じく、ゴルゴキャストの第何回かわからないんですけど、
「ブックカタリスト」っていうテーマで、MOTという本「愛と想像、支配と進歩をもたらすドーパミンの最新の科学」っていう本がめっちゃ面白いよっていう話を、
これまた1時間ぐらいしてきましたんで、そちらの方も、よろしければ、非常に暇つぶしになると思うので聞いてください。
いろんなことをやってますね。
で、主要な広告なんですけども、つい先週、今週か、に発売されたたくさんの新しい本、「佐々木さん自分の時間がないんです」という本が発売されております。
これ、Kindle Unlimitedにも対応済みですかね。
はい、対応済みです。
お値段の方は?
お値段は、買うと550円。
なるほど。
Kindle Unlimitedだと入ってると無料で読めますと。
いところタイトルに「佐々木さん自分の時間がないんです」と書かれてますが、この佐々木さんって誰?佐々木翔吾さん。
翔吾さんです。
名前のない技術のボルワン、ケースワンに登場されてる佐々木さんですね。
はいはいはい。
で、以前佐々木さんと、さっき名前があったゴリゴさんとの対談をまとめた、「佐々木さんの記録って何の役に立つんですか?」の姉妹編に位置づけられていると。
うん。はい。
姉妹編なんですけど、今回はたくさんその者が佐々木さんにインタビューをしているというのをまとめられたと。
はい。
僕も早速、買ってその日に読んだんですけども。
ありがとうございます。
まず一つ思ったのは、例えばこれまでのインタビュー本、いくつか種類があるじゃないですか。
はい。
僕がインタビュアーになってやったとしたら、多分違った本になるだろうなという感触を覚えたんですけど。
03:03
はい。
この本に関しては、多分僕ならまとめられなかっただろうなと、まず思いましたね。
はい。
この大音の適切さは見てないですけど、この話を僕は多分どうもまとめられなかっただろうなと、まず思いましたね。
はい。10ヶ月かかってますからね。
これボリューム自体はそんなに多くはないんですよね。
そうですね。4万あるかないかじゃないですかね。
文章としても別に非常に読みやすく、対談ならではの形に仕上がってるんですけど、立ち上がってくる分かりやすいテーマ性みたいなのがあんまりなくて。
もちろんその通年してるものはあるんですけど、分かりやすいトピックっていうのがなくて。
これはまとめづらかったよなーと思いましたね。
まあやっぱり正直言って今までで一番途中で投げ出そうと思った。
そうでしょね、きっと。
これやってたらもうこれだけで今年終わっちゃうみたいな感じだったんですけど、
まあでもやっぱりどうしてもやりたかったというか、うまくできたかどうかわかんないですけど、
これをちょっと形にしたかったというところがあって。
あのーそうなんですよね。だから佐々木さんにインタビュー本っていうのは前も一度やったことがあって、
「書くための名前のない技術のケース1」で佐々木さん。
あれは僕の本なんですよ、位置づけとしては。
僕がインタビューして、僕が佐々木さんにインタビューした僕の本なんですけど、
今回はもう本当に純粋に強調。むしろどっちかというと佐々木さんの本。
自分の中では佐々木さんの本っていう感じなんですけど、
ただ僕のアカウントから出してるんで、
なんとなく僕の方が厚く宣伝してるのでなんか僕の本っぽい感じになるんですけど、
今回も完全に佐々木さんあってのものなので、
そういう意味で全然位置づけが違いますね。
自分が何か表現するんじゃなくて、
佐々木さんが語ったことをどうテキストにするかっていうのが今回やってることなんで。
確かにそうですね。たくさんの考えとか、これまでの例えば「名前のない技術」の場合やと、
まとめっていうところでもありますけど、
その本文の部分でもたくさんの考えがちらほら出てきたような印象があるんですけど、
今回はほとんど疑問というか、それってどういうことですかっていう質問が大半で、
あまり出てこなかったですね。
出てないです。最後のまとめも佐々木さん自身が。
そうなんですよね。
だから僕はなるべくニュートラルに、ニュートラルというか、
自分の考えは表に出ない、疑問しか表に出ないという形ですね。
06:03
これね、裏話をしてしまうと、最初佐々木さんに僕お願い、
これ僕からお願いした話なんですけど、
佐々木さんの語り、インタビューじゃない、対談じゃなくて、
佐々木さんの語りの形式で書きたいと僕言ったんですよ。
要するにちょっとゴーストライターじゃないけれども、
佐々木さんが書いている体で僕が書くみたいなまとめ方をしたいというのが、
そもそもの最初だったんですけど、それをやったらできなくて。
多分できないでしょうね。できないよく分かります。
ロジックが繋がらなくて。
分かります。
結局その自分の中にある、その分からない、
その質問、疑問を入れて繋いでいかないと繋がらないとなってしまって、
結局普通の対談形式になったという経緯がありまして。
だから、いわゆるインタビューして書いたんじゃなくて、
本当に、本当にこれ佐々木さんに本当に申し訳なかったんですけど、
何回も話し聞かせてもらって、
最初は喫茶店で会ってやってたんですけど、
後半はね、もう直接会うのが適切でない状況になったので、
Zoomでリモートでみたいな感じで、
細かい打ち合わせを入れて6回ぐらいやってたかな。
まとめて話し聞いたのは多分3、4回ですけど。
で、聞いて、こっちがまとめて、
7バージョンぐらい作ったんですよ。
いろんなまとめとかで。
で、なんか2回ぐらい佐々木さんにリジェクト、リジェクトじゃないけど、
ちょっとこれはなんかよくわかんないみたいな、
よくわかんないっていうか、そういう悪い言い方じゃないですけど、
ちょっと今、自分でもそう思ったし、
佐々木さん的にも、これだとちょっとよく売れないんじゃないかなとか、
わかんないんじゃないかなみたいな感想をいただいて、
そのたびに作り直して、
最後今の構成になった後で佐々木さんに渡して、
佐々木さんに見てもらって、
必要があれば画質修正してくださいって直してもらって、
で、また帰ってきてみたいなやり方。
ほんと強調なんですよね。
なるほど。
いきなりもうこの話、本の話になってるんですけど、
まとめるのが難しかったっていうことはあると思うんですけど、
本の中に確か、
初めから主要な聞きたいことがあってインタビューしたんではなくて、
自由に話を進めてもらったのを、
数回繰り返したと言われてたと思うんですけど、
その非目的感で始めたインタビューやったから難しかったっていうのはあるんですかね。
もちろんそれはそうですよね。
目的があれば、
その目的から離れないように当然話をするので、
09:01
今回は目的、それでも単に何も目的しないで話しましょうって言ったわけじゃない。
その都度、要素のテーマはあるんですけど、
ゴリゴさんと佐々木さんのこの姉妹編の
佐々木さん記録って何の役に立つんですかっていうのが、
佐々木ちゃんとゴリゴさんの対談をまとめる形でやって、
あれは元がポッドキャストがゴリゴキャストでやってたんで、
それをまとめる形でやってて、
実はあれの収録してる横に僕はいたんですよね。
ゴリゴさんが何かの用事で東京来た時に一緒に会って、
会議室みたいなところで収録してた時があって、
実はその横にいて聞いてたんです。
なので、あと単独で普通に撮った時もあるんですけど、
それで聞いてて、個人的に「あそこもっと聞きたいな」
「自分が聞きたいな」みたいなところが結構出てきてて、
前の「記録って何の役に立つんですか?」の中のとこに、
佐々木さんの仕事の時間のかけ方というのかな、
エネルギーのかけ方というか、
そこにまつわる佐々木さんの話が、
僕、自分には非常に重要に思えて、
そこの話を聞きたいと思ったんですよ、まず最初で。
なるほど。
で、締め切りに遅れないっていうことと、
できるまで時間をかけるみたいな、その2つの話があって。
その話をまず聞きたいっていうことで聞き始めた。
だから本当は仕事術的な話だったんですよね。
そうそう、だからこの本ってジャンルなんないかなっていうのはちょっと思うんですよね。
そう。
で、その話を聞いてるうちに、でも時間をフルにマックスにかける。
でも時間ないですよね。
そんなにかけるだけの時間がないと思うじゃないですか。
はいはい。
どうやってその時間が出てくるのか。
で、そもそも無限に時間かけたら納期間に合いませんよねっていう当然の疑問が。
ありますね。
で、そこからその時間をどう扱うかっていう話にだんだんなっていって。
はい。
で、さらにその時間っていう時に、その仕事の時間もある。
じゃあ仕事に無限に時間かける。
じゃあ自分の時間ってどうなっちゃうんだっていう話が出てきて。
で、あとその仕事だけじゃなくてやりたいことっていっぱいありますよね。
夢も音楽やりたいような人もいるし、家族と過ごす時間がないことに悩んでる人もいるし。
そういう総合的にその時間というものを佐々木さんはどう考えて扱ってるんだっていう。
まあそういう、言葉にしようと簡単ですけど、そういういろんな右右曲折があってだんだんその自分の時間。
自分の時間が取れない、それをどうするかっていう話にこう修練してたというか。
12:03
なるほど。
うーん。
まあだから結構、あんまり優等生的な作り方じゃないですかね、本当に。
ちなみにその一番最初に思ってたその仕事、マックスにあのとしみきに間に合わせるっていうそのについての疑問ってたくさんの中で解消されました?
解消されましたね。
ああ、そうかそうか。それはよかったですね。
うん。
されたというか。
はい。
うーん。
あの自分の中に一時点を見つけられたというか。
うんうんうん、なるほどなるほど。
あのー、すごく簡単に言っちゃうと、例えば30分言語を書く予定にしていて、書いていたら30分で終わらなかったというときに、
30分で止めるよりも50分かけた方がいいっていう話ですね。
なるほど。
うん。あの、無理にその時間を区切ろうとすることよりも、そこの時間を、時間というかそのエネルギーを100%そのときできるものを100%出しちゃった方が結果的にはいいっていう、その感覚は自分の中にすごく一時点があったので。
うん。だからその、時間のかけ方っていう意味では、あの、疑問じゃないけれども解消したというか。
その際には締め切りはもう2番、優先順位として2番手になってもやむないってことなんですかね。
やむない。もちろんその、そうだから締め切りに間に合わせることを最優先するんじゃなく、もし間に合わなかったら謝りますというのが正崎さんの言い方なんですけど。
はいはいはい。
で、ただまあもちろんね、その自分の会社員だった経験から、締め切り、現行の締め切りは謝ればいいかもしれないけど、お客さんから重ねて納期は、それじゃ済まないとなっているところももちろんあるんですけど。
あります。
ただそれでも結果的に、あの、もちろんまさに今、あと20分後に締め切りが迫っているのに50分かけようっていう話では当然ないと思うんですけど。
はいはいはいはい。
ただその締め切りまで、例えば逆算して2時間かかりそうだと。だから、30分30分30分30分で4回に分ければできるっていうような考え方で、30分経ってまだ終わってないのに、そこで区切るっていうのが本当にいいのか。
っていうとそうじゃないんだろうな。
それはまあそうですね。
それは確かにそうでしょうね。
で、まああとやっぱり、どうしてもね、時間管理タスク管理っていうとこ、そういう発想になっちゃいがちなんですけど。
はい。
うーん、そうじゃないなっていうところはありますね。
だからタスク管理とかに対する、そのダイレクトな解を求めて手に取ると、多分片透かしを食らうでしょうね、これは。
15:04
だから記録っていう、前回の姉妹編の記録って何の役に立つんですか?やっぱりその、ちゃんと記録、タイトル通り記録って何の役に立つんですか?っていうことの佐々木さんのその回答が述べられてたわけですよ。
だからタイトルに疑問がついてて、その中身が本能とタイトルの疑問の解消っていう構造にはなったんですけど、今回はそのタイトルが疑問じゃないんですよね。
どうしたらいいんでしょう?ってタイトルになってないんですよね。
それは特徴的やなと思ったんですけど。
聞き手が自分の時間がないんですって言ってるだけで、自分の時間がないと、それで佐々木さんの何か答えが明確に示されているわけではないんだけれども、
まあでも示されているとも思いますね。
まあだから、なくてもいいんですっていう、てか、ない方がいいっていう場合すらあるっていうことが分かる。
時間の、自分の時間を作り出すためのノウハウというよりは、時間というかその行動をどう捉えるかっていう、ちょっと思想的な、こう言うと佐々木さんは嫌うでしょうけども、思想的というかそういう定数学的な観念的なパラダイムシフトを迫るような感じですよね。
そうですね。唯一はっきり言えるのは今のあれで言うと、自分の時間を作り出すためのノウハウではない、アンチ自分の時間を作り出すノウハウみたいな感じですね、逆に。
そういうことをむしろ拒否して、自分の時間はゼロでいいっていうのはあまりにもインパクトがありすぎて、その言葉通りにだけ受け取っちゃうとちょっと違うんですけど、自分の時間を無理に取ろうとしない。
やっぱり印象的だったのは、自分の時間と他人の時間ってそんなに簡単に区別できるんでしょうかっていう、佐々木さんの言葉で、いかにも佐々木さん的な言葉ですけど。
そうですね。僕はできると思いますって答えますけど。
でもね、やっぱり例えば深く関わって、例えばまさに今倉下さんと喋ってるじゃないですか。
はいはい。
これ僕の自分の時間なんですけど、でも倉下さんの時間でもあるわけですよね。
もちろんそうですね。
要するに相手の自分の時間に侵入するし、相手も自分の時間に侵入してくる。
例えば家族と関わっているときには、自分だけの時間じゃないけど自分の時間でもあるし。
そうですね。その多重性はありますね。確かに。
でも、そんなに確然と区別できるものじゃない。だから自分の時間を取るために他人の時間をどんどん削っていこうとすることに、今のスタッフ管理とかスケジュール管理とかなりがちなんだけれども、
18:00
そうやって他人の時間をどんどん削っていこうとすることで、自分の時間として求めている、自分の中の何かが逆に侵されていってしまうというか。
そういうことがあるんですよという話をしてるんだと思うんですよ。
はい、わかります。
だからじゃあ、自分たちはどうやって生きるのかっていうところは、また佐々木さんは特に答えを示しているわけじゃなくて。
もちろん佐々木さんは自分はこうやってますっていう意味で答えを示してますけど、実用性的にこうやればうまくいくんですよとは言っていない。
ただ佐々木さんの中で非常にリアリティと根拠と蓄積を持ったものだということは非常に伝わってくる。
それを伝えたいと思ったっていうところを、テキストを作る側としては。
はい。
でもやっぱりギリギリまでこれ本当に伝わるのかとかいいのかがわかんなくて。
本当にギリギリで大丈夫これでいけるっていうふうに思えたんですよね。
なるほど。
2,3日前に。
なので、あとは読んだ方が判断していただくしかないんですけど。
文章自体は非常に読みやすいんですけど、その思想の部分、この本だけ読んでも多分重前には捕まえられへんのではないかなという気はしますけどね。
ある部分、コアの2,3割はわかるでしょうけど、もうちょっと佐々木さんの著作家活動全体で見るヒント、ちょっとわかりにくい。
わかりにくいというか、どう言ったらいいかな。
例えば、グッドバイブスっていう本があるじゃないですか。
あの本はわからないなりにわかるんですよね。
結構丁寧に説明されてて。
個々の話に納得はできなくても、論理の筋はわかるんですよね。
この本はたくさんの疑問によって、論理の階段がいくつかは明らかになってるんですけど、まだ全部はなってないなという気はしますね。
やっぱりそうやって一人の人間の思想がそんな簡単に重前に紐解かれて明らかになるというふうにはやっぱりならないですね。
特にベーシックというか、基礎の部分の認識が結構ずれてると、同じ言葉を使っても全然文脈が違ったりするんで、伝わりにくいとこはあるでしょうね、きっと。
やっぱりたぶん佐々木さん自身にもそういう悩みじゃないですけど、やっぱり伝わらないっていう気持ちが、これは僕の想像ですけど、あるんじゃないかなと思ってて。
だから逆にたまには他人のフィルターを通した言葉で表現してみるとまたちょっと違うのかなっていうこともちょっと思えるんですけど、
21:13
ただやっぱり難しいですよね、その人の言葉って難しくて、特に佐々木さんのロジックでちょっとバックドアから入ってくるような感覚があって。
今回も結構セミニアイじゃないですけど、佐々木さんはもちろんその音声を録音してその音声を起こすところから始めたんですけど、
佐々木さんの言い方を文字にするとすごく2階の裏口から入ってくるみたいな感じに見えちゃうんですよね、自分には見えちゃって。
だからもうちょっとストレートに聞こえるように表現を直してみたりするわけですよね。
でもそれってもしかすると佐々木さんの中で非常に重要な何かを壊している可能性もあるので、
なんとかギリギリ壊さない範囲でそれをやったつもりでやって、
でも当然佐々木さんに一回見てもらう、これで本当にいいですかって見てもらう、
必要があったら直してくださいっていうところを直って帰ってきたところを見ると、
やっぱりこっちが分かりやすくしたつもりだったところがまた違う表現に戻って、
そしてこの表現に、やっぱ確かに佐々木さんはこの表現が重要なんだって思うんですよね。
そうすると以後もうそこはやっぱりいじらないようにする。
はい。
やっぱりまっすぐストレートに、これはこうなんですよってストレートに表現できない何かがその佐々木さんの中にあって、
で、それを佐々木さんの読者にしてもそうだし、僕もそうだけども、
それをどう感じてどう解釈して表現するかっていうことが起こるわけじゃないですか。
つまりその面白さがありつつ、難しいんですよね。
その分かりにくいものを分かりやすくすればいいというものじゃないっていう。
もちろんそうですよね。
ただやっぱりそのやりとりをしながら、本当ね、佐々木さん本人が書けばいいんだけど、
それを単純にその言葉の上っ面だけこっちが言葉にテキストにしちゃうと、なんかね、奇弁みたいに聞こえちゃうことになる。
なるほど、なるほど、なるほど。
でも佐々木さんの話聞いてれば奇弁じゃないことはわかる。
わかんなくても奇弁じゃないことはわかるんですよ。
なるほど、なるほど。
これは本物だということは伝わってくるんで。
それをどうやって自分のこの、
あのー、そのテキストに落とす中でその表現できるかっていうところが結構難しい。
うーん、これはもうお疲れ様です。
しかももう、いいようのない仕事をやったと。
24:01
これまでの仕事とは全く違う感じを受けましたね。
だってやっぱり到底自分は使わない言い回しがたくさん出てくるじゃないですか。
はい、はい、はい。
でもだからすごくそういうなんか筋肉が鍛えられる。
あー、なるほど。それはあるでしょうね、きっと。
でもやっぱり自分が、あー確かにでも、
100%わかりきれないけどでも本物だって感じたその「でも本物だ」性が何とか伝わってればいいなーって。
なるほど。
うーん、やっぱり自分が伝え方がやっぱりダメだったせいで
佐々木さんが伝えたかったことが伝わらないっていうのはやっぱり良くないんで。
ただ一応佐々木さんは読んでくれて、これOKですって言ってくれたんで。
伝わってるといいなーとは思いますけどね。
その全体性みたいなものは多分ちゃんと伝わると思いますね。
その、それが目指しているとこっていうかこの考え方が思考する方向っていうのは多分伝わってきますけど、
個々の説明が一つ一つ受け入れられるかどうかは僕にはわからないですけども。
そうですね。
だからまあそこは本当佐々木さんのその本質的ななかなか伝わりにくい佐々木さんの思想っていう面もあるし、
そのそれを捉えた僕の側のその力不足ももちろんあるし、
まあそれは色々ですよね。
うーん。
うーん。という、まあでも、あの面白かったですよ。
(笑)
面白かったですよ。
あー。
良かったな、良かったなと思います。
まあまあそれはでもこれは、この仕事やったら多分相当負荷がかかってただろうなと思いますけどね。
この原稿をしてあげるのは自分自身の原稿でも結構しんどいですからね。
うーん。
まあ難しかったですね。
もちろんね、10ヶ月ずっとやり続けてたわけじゃないんですけど、
あのゴリゴさんとの方先にやってたし、平行してやってたんでしょうね、実は。
あー、なるほど。
うーん。
まあでも、その佐々木さんの今の考え方の一端は形にできたかなとは思うので、
それは確かにそうですね。
もし興味のある方はぜひぜひ読んでいただけると。
で、結構半分ぐらい過ぎたんですけども、どうしようかな。
えーと、まあメルマガで以前書いた、僕が最近やっている本の書き方を勝手にバザール執筆法と名付けたんですけども、
それについて話そうかなというのが今回の主テーマなんですが。
それ聞きたかったですね。
どうですかね、一応僕がメルマガで説明した内容をもう一回言うと、
えーと、3つのツールを使うと。
で、一つは原稿をそのまま書くエディター、僕の場合はリッチじゃなくてテキストエディターを使うと。
27:00
で、次に構成を扱うアウトライナー。
で、アイディアを保存するリアルの情報カード。
この3つを使って文章を書き進めていくっていうのが、一応バザール執筆法なんですけども。
意識としては、ほとんどアウトラインプレスプロセッシングと同じことをしていると思っているんですよ。
うんうん。
で、逆に僕が聞きたいのは、僕がメルマガを書いたのを仮に読まれたとかでしてますけど、
なんかこう質問とか疑問とか、ここどうなってんねんみたいなのってありました?
そうですね、バザールっていう言葉を選んだ意図ってなんだったのかなっていうのが、
どうしてもガラントバザールをもしも甘い言葉じゃなければ、多分意識をされているんだと思うんですけど、
この一人で書く、一応前提の中で、エディターがあって、アウトライナーがあって、カードがあってっていう、
その中で、バザールっていうとどうしても酔ってたかって、みんなでワイワイやりながらっていう、
オープンソースの哲学を表現した言葉なので、そういう印象の中で、
この一人で書く手法の中で、バザールっていう言葉を選ばれたのがなぜなのかなっていうのを、まず聞きたかった。
まずね、どっちかっていうと、バラントバザールは頭にはあったんですけど、
イメージとして平面で広がっていく小さなものっていうイメージがあったんですよ、最初に。
平面、はいはい。
で、バザールって、おいバザールやるよーって集まるわけではなくて、
その、原初のバザールっていうのは、広い場所があって、誰かが小さい区画に店を出すと。
そこから少しずつ、じゃあ俺もここで売ろうかって人たちが集まってくる、徐々に広がっていくっていう、
いわゆるボトムアップのイメージですよね。
はいはい。
で、僕が自分で今書いてるものも、それにまず近いなと思って。
で、最初にアウトラインを深くは組み立てずに、深く?うーん、どう言ったらいいんやろな、精度高く。
階層化しすぎだいって感じ?
流度も荒く、階層も1階層だけで、小立てだけですね。小立て、小立てというか、その小に何を書くかぐらいですね。
だから見出しも適当で。だけを立てて、文章をいきなり第一章から書き下ろすと。
で、ここがもう僕の中で一番違うんですよね。
今まではそこのアウトライン、荒いアウトラインから、漆筆の間にはかなりの期間と工程が入ってたんですよ。
で、よく引き合いに出す紙ツール使うタイミングですよね。
はいはい。
30:00
で、そこで本来は文章のアウトラインや何とか、荒っぽい輪郭線を少しずつ狭めていって、こういう流れになるだろうと規定して文章を書くっていう設計図を書いてたわけですね。
それを一気に飛ばしたんですね。
設計図を書くところを飛ばした。
飛ばして、文章をただ毎日千字ずつ書き足すと。
一応その前の流れを受けつつ書くっていうことと、その章のタイトルにつけてるもの、荒っぽいものに即したものを書くっていうぐらいで、
実際何を書くかはその時次第で書き並べていくと。
で、当然順番もむちゃくちゃですし、重複もひたすら出てくるんですけど、とりあえず書き続けていくと。
で、まぁだいたい1万5千から2万字ぐらいで、この章で言いたいことをだいたい言えたなっていうところで一旦終わると。
で、そこからアウトラインを組み立て始めるんですよね。
話の流れ的にここ、実際はサビを見つけるっていうのが最初だって、この中で自分がMAXに言いたいこと、
MAXに光輝かせたいところかな。
読者がつい目を止めてしまうようなところ、ここを覚えてほしいところはどこかっていうのを見つけて、
これが一番きれいに並ぶラインをアウトラインで考え直すわけですね。
で、この時はいわゆるワードのアウトラインモードではなくて、またつまり折り畳んだテキストを動かすんじゃなくて、
1からアウトライン、アウトラインなどに作ると。
これも、たとえいう風に章の中なんで項目だけですね。
それより下はあんまり考えずに。
で、順番だけ整えて、今度はそれを見ながら、
ゼロペースでまたその章を書き始めるんです。
基本的にこの繰り返しで、多分1回か2回ぐらいですね。繰り返すっていうもの。
っていう形で進めていくと。
まず、エディターに書きたいこと、書けることを広げてしまう。
バーッと出してしまう。陳列してしまう。
これがいわゆる露天章に近いなと思ったんですよ。
そういうことなんですね。
そうなんです。
商品がとりあえず自分のカバーになるものをまず出すと。全部。
で、売れ方とか商品の並べ方によってやっぱり売れ方って変わってくるんで、
そのいい並べを出し切った後に考えるっていう。
だから普通の店の設計って絶対棚の設計から入るんですよね。
あたりまえですけど。
でも露天章って、多分作品を並べるところから入るんですよ。
そうですね。
で、それをイメージを拝借して、さっきのガーンをイメージしてのバザールっていう言葉やったんですね。
そういうことなんですね。
だからその並べてる段階では、
その、当課な、当課っていうか、
どこが重いか軽いかっていうことをあんまり考えなくて、
33:00
ただこう並んでるわけですね。バーッとこう。
一応、話の続きを意識して書くけども、
基本的なアウトラインに採用される見込みはほぼゼロに等しくて、
この流れの中で何が言えるのか、
自分が言いたいのか、
頭の中から出てくるのかを確かめると。
いうことをするのがファーストドラフト。
あるいはドラフト以前。
で、その後アウトラインを考えて書き下ろすと。
やっぱりそれぞれ、このやつのポイントはそれぞれを別として捉えてるってところね。
そうですよね。そこですよね。
今までは全部を、これを効率よくしようとして、
アウトラインでアウトラインを立てて、
アウトラインで文章を書いて、
アウトラインで直すっていうのを最初目指してたんですけど、
アウトライン上で文章を書くのがちょっと僕には無理やってることがわかったんで、
アウトラインとそのテキストファイルを何とか連動させられないかなってずっと考えてたんですけど、
それを一切廃棄して、
常に新しくいこうと。
で、その2回目の原稿もほぼゼロから書き下ろすんですよね。
当然そのドラフト以前の文章で使えそうなものはコピペして持ってきますけど、
全文をコピーして細かい修正を加えるんではなくて、
基本的に書き下ろすけどたまに使うぐらいの意気込みで。
で、なぜそうしてるかっていうと、やっぱりね、
修正+書き足しみたいなのを同時にすると、
僕の手が止まるということが経験的にわかってきたんですよね。
書き下ろすときは絶対に止まらないんですよ。
だからこの方法の主案はいかに自分の手を止めないかにあるんですね。
そうすると、1回1回新しく起動し直してやる。
常に新しいものとしてやっていくことが、
倉下さんの中では一番手が止まらないということですね。
そういうことです。それがわかったので、それに合わせて、
全てをデザインし直している。
アウトラインも毎回新しいものとして。
前のアウトラインを修正するんじゃなくて、
その章のアウトラインが新しく書かれる。
原稿も、テイク2のときはテイク2の更のテキストファイルとして書き下ろすっていう。
明らかに手間というか労力増えてるんですけど、
明らかに手は止まらないですね。やっぱり。
結果的にはもしかしたらその方が早いかもしれない。
多分早いと思います。きっと。
これはでもあれですよね。非常に示唆的というか、
「やっぱりそうなんだ」って思う人はいるんじゃないですかね。
ひょっとしてそうじゃないかと思ってたみたいな。
それはね、でも、いや、わかりますよ。感覚的に。非常に。
いろいろな説明ができると思うんですけど、これって。
よく言うのが、頭を使う部分が多分違うっていうのがあって、
36:03
書き下ろすときと修正していたりとき、
そのときとか、あと、上の構想について考えてるとき、
この文章を書き下ろす、修正する、上の構想について考えるっていうのは、
多分それぞれ違うんと思うんですよ。
違うってことはつまり脳が同時にそれに注意を振り向けるのは
かなり難しいということだと思うんですよね。
そうするとやっぱり分離した方がいいっていうのは当然なんですけど、
単一のツールでやると、どれやってるかがわからない。
自分って明確ではないっていうことがよく起こるんですよね。
なので例えばアウトラインとテキストエディターを分けることで、
文章を書いてるときは今はこれは書き下ろすモードやと。
アウトラインはだから上の構想について考えるときやと、
下の文章については書かないと。
分けることで、その、注意の分散が避けられる。
だから一つの行為に集中できるっていうことはあると思うんですよ。
面白いですね。面白いっていうか非常にわかるし、
ある意味ではその、アウトライナー以前に先祖外裏してるようにも思えるけれども、
その文章とアウトラインを同時に扱えるアウトライナーというものを経て、
そこに戻るっていうのがまたちょっと違いますよね。
おそらく違うと思います。
だからこれって先に進むしかない原稿用紙の書き方なんですね。
エディターだけを見たら。
でもエディターに原稿用紙と違うのは結局、
原稿用紙の位置から書き直すのと、
エディターからの位置から書き直すのはやっぱり違うので、
テーマとかいう問題もありますし。
だからその書きやすい流れで、しかも全体の統一を整えられるものをしているって、
これって結局やっぱりアウトラインプロセッシングと同じ精神やなと思うんですよね。
やってることの細かい部分が違うにしても。
やってることは。
あのー、
はい。
実は、
自分も、もちろん僕はアウトラインナーの中でやるんですけど、
あのー、やっぱり自分の中での変化もちょっとそれに似たものがあって、
あってというか、
今、スクリームーナーのコルクボードを使うことを試し、
あれ、使ったことない、ほとんど使ったことなかったんですけど、
はいはい。
役に立たないなと思ってたんですけど、
あのー、あれね、単文を書くときに、
例えば二三前字書くときに、
コルクボードに書き出して、
で、
それをアウトラインとしてそのまま使うんじゃなくて、
並べたコルクボードを見ながら別に書くように。
はいはいはい。
で、それが結構うまく、楽に書けるなと思うことがあって、
コルクボードってカードのメタファーで平面に並ぶじゃないですか。
はいはいはい。
39:01
だから、あれってちょっと並べ替えができるツイートみたいな感じになるんですよね。
そうですね。
コルクボードを使うと。
で、しかも回想化できないから、
自然に平面に、
そうですね。
なんていうんだろう、横にトランジションしていく感じになるというか、
水平面で移動するしかなくて、
下手にこう、はまらないというか。
わかりますわかりますわかります。
あのー、なんだろう、ナラティブがこう、
すんなりつながっていくというか。
はいはいわかりますわかります。
そういう感覚を覚えるんですよね。
で、ちょっとそれを使ってやることをちょっと実験していて、
割にうまくいくなと思ってて、
今度じゃあもうちょっと長いものをそれでやろうと思って、
ちょっと思ってるんですけど、
はい。
要するにアウトラインの中でこう、組み立てたり膨らませたり、
まあそれはもうやり方として自分の中で確立しちゃっていても、
それはもうそれで置いといて、
そういうちょっと違うやり方してみると、
あのー、結構メリットがわかるというか。
はい。
やっぱりその、
それもアウトラインというか構成を考えることの各ことを分離しているわけですよね。
そうですね。
うん。
で、その分離をすることを今までアウトライナーの中で分離していたんだけれども、
はい。
わざとちょっと外してみるとまたちょっと見えてくることがあって、
うんうんうんうん。
あのー、奥が深いなとちょうど思ってたんですけど、
まあそれをそのはるかに大きいスケールで、
多分、倉田さんがやってるような感じをちょっと今受けたんですよね。
うーん。
多分似てると思います。だから。
うん。
あともう一つはその昔、
あのー、山名一郎さんというライターさんが、
はい。
90年代の半ばにいつも昔の本の話をして申し上げるんですけど、
この『知能コンピューター活用術』という本。
で、結構アウトライナーの話を書いてて、
はい。
で、山名さんはアウトライナーを使って、
結構びっちり本文まで含めてアウトラインを作っちゃうんですね。
ほいほいほいほいほい。
で、そのアウトラインを膨らませて本文にするのかと思いきや、
そのびっちり本文レベルまで作ったアウトラインを画面の右端に開いて、
真っさらな白いアプラの画面を出して、それを見ながら書く。
はい。
って言ってたんですよ、山名さんが。
はい。
多分同じことなんですね。
同じことになります。はい。
だからやっぱりその、そういう意味でのそのプロセス、
プロセスだけじゃなくツールも分離する。
はい。
っていうことに、要するに頭をなんか、
一から起動し直して、そのたんびに同じことをやって、
書いてるんだけど起動し直すっていうことには確かに何か意味があるんだろうなと、
思いましたね、今の話。
うーん。こう考えてみると、
例えば、小説とアウトラインっていうのは結構密接な関係がありまして、
42:00
小説を書く人にももう先にアウトラインがっちり書いてっていう人と、
そんなの使わないぜっていう人がいて、
まあ後者は村上春樹が有名ですけど、
まあ普通にアウトラインをピシッと立てて書く人も結構多くいるんですよね。
それでそういう作品が劣ってるというわけでもなくて。
で、よくよく考えてみると、小説というのは階層がないんですよね。
はい。
ナラティブのレベルは絶対一段なんですよね。
うん。
だからアウトラインを使っても、
僕らが実用書を書くときの、
悩みっておかしいな。
注意を向けるレベルが一個少なくて済むんですよね。
うん。
もちろん時系列とか、本の中の視点での上下っていうのはありますけど、
構造レベルでは基本的にないんですね。
一つのナラティブが走っているだけなんで。
うん。
だから結構相性はいいんですよね。
その同時にやっても大丈夫みたいな。
で、逆に論文やと、逆にその構造はあるんですけど、
構造を動かしたらあかんことになっているので、
あれ、序盤文との分かれがあって、結論っていうの。
アウトラインはありますけど、その構造は固定なので、
考えたりしなくていい対象なんで、ほぼないと一緒なんですね。
で、僕とかが書いてる本っていうのは、
構造レベルも自由にいじっちゃっていいっていう自由があるんで、
それが厄介なんですよ。厄介というか、
余計な思考を要求してしまうんですよね。
うん。
本文だけで前後を考えたらいいぐらいであれば、
そんなに悩まないと思うんですけど、
多分、なんかね、本文を書いてるときに、
上の階層について考えてるんですよね。
うん。そうですよね。
だから、2章とかのテーマと、
今書いてる文章のテーマとか、
その間にあるものの構造について考えてるんですよ。
この思考は多分、だから、
小説にはそもそもその膨らみがないですし、
そういう構造じゃないですし、あれは一つのナレティブで全体ですから。
うん。
で、論文の場合はそれが決まってますから、
論文に書く文はこれを書くべきだって決まってるじゃないですか。
で、私たちの自由度の高い本は、
1章を何にするか、
例えば盛り上げる部分にするのか、
静かな説明にするのかっていうのが決められるじゃないですか。
はい。
それが多分、書いてるときにも考えちゃうんでしょうね、きっと。
うん。だからやっぱりその膨らみがないと。
それを考えないようにしたい、
制限したい、切断したいっていう感じじゃないですかね、きっと。
ナラティブだけを考えたい。
ナラティブだけを考えたい。
そのときは、文章を書き下ろしてるときは。
うんうんうん。
それを終わって、ふうやりやれって一息ついて、
45:00
文芸器評家のように自分の書いた文章を見て、
ここはこうした方がいいんじゃないかとアウトラインレベルで考えて、
このときは文章を考えずに考えて、
で、それを見ながら再び執筆者の顔に戻って書き直す。
で、書き直すんじゃないですね。
やっぱり、もう一回書き下ろすという感じかな。
出てくる文章も似てるものもありますけど、
また書き下ろすときに新しく出てくる視点もあるので、
全然無駄じゃないですね。
無駄なことをしてる感じではないですね。
同じことを二回してる苦行というよりは、
たくさんに話した話をベックさんに話すような、そういう感じ。
それって、それこそ分岐しちゃったりじゃないですか。
それこそ、よくオープンソースのプログラムをフォークして、
違うものとして発見してるじゃないですか。
そういうこと起きないですか。
ありますあります。
そこの整合性は分析者というか、執筆者の顔から戻ったときに取りますね。
アウトラインに戻ったときに。
結合する、統合することもあるし、切っちゃうこともある。
だいたい切っちゃうことが多いじゃないですか。
そのメイン、そのサビの部分が見つかったときに、
流れがだいたい決まってくるんで、
余計な話かどうかがそのときに初めて分かるというか。
まあ、編集者ですよね。だからそれをやってることは。
だからもうはっきりそう分けたというか、
モードを聞き分けたというか。
だから文章について考えるという一つの言葉でも、
それぞれのモードによって働く思考の向きというか、
ベクトルというのが違っているので。
それをツールとしても明示的に分けるし、
自分自身の中でも、これは今そういうことをするときですよと、
はっきり意識するみたいな。
それでだいぶ楽になったという言い方が一番適切ですけど、
楽になりましたね。苦労が減ったわけじゃないですけど、
余計な苦労は減りましたね。
なるほど。
やっぱりなんかその構造的に説得しようということと、
そのナラティブ的な必然性というか、
その文章が勝手に流れていく、
どう流れていくのかを自分で探っていくっていうのが、
両方同時にあるから。
大変なんでしょうね。
文章的な流れていく必然性もあるけれども、
でもそのときに同時に、構造的に説得するにはこの流れでいいのかって、
みたいなことを同時に考え始めると、
多分それが不一致を起こしちゃったりとか、
あるいは二つのことを同時に考えるような感じになっちゃって、
それで負担がかかるっていうことなんですかね。
おそらくは。最近さっき、
コリュさんとのポトキャストで紹介した『MOD』っていう本があって、
色々な面白い話が出てくるんですけど、
人間の脳の処理について、
48:01
身体に近いもの、身体近傍空間と呼ばれるものと、
身体外空間、身体の外にあるものについての情報処理の場所が違うと、
機能が違うっていう話があって、
今ここにあるもの、五感から感じられる、
今この瞬間っていうものが身体近傍空間で、
距離があるもの、外とか、
未来とかっていうものは身体外空間になるらしいですね。
そういうときに、ナラティブって今なんですよ。
常に。今の繰り返し。
構成っていうのは、こうしたいっていうことなので、
外なんですね。身体外の方なんですよね。
つまり、これは別のもの働きなのではないかというふうに思ったんです。
だとしたら、そんなものを同時に働かせるのは無理に決まってるんですよね。
無理ですね。
だから、それを切り分けるのは、
文学的にもしかしたら論拠のあることなのではないかと、
今ちょっと思ってるところなんですよ。
なるほど。
だから、シェイクのトップダウンとボトムアップの違いとも、
またちょっと違う分離ですよね。
そうですね。
似てるけど違うんですよね。ちょっとそこ。
おそらく。だから、重なる部分はあるんですけど、
今自分が語ることと、その作品が目指す方向について考えることは、
やはり異なるのであろうと。
異なった方がいいのであろうと。
うん。
ただ、当然、その、なんか、
頭の中で方向性を考えるのとは別に、
そのナラティブ的な必然性によって、
そっちに向かっていってしまうっていうことがあるじゃないですか。
その、向かっていってしまうことをピックアップして、
その構造に反映するっていうことも多分あると思うんですよね。
あると思います。はい。
その辺の、例えば、さっきの例だと、
バザール的に書いた後でアウトラインを組み立てて、
改めてそのアウトラインを見ながら書くって言ってたじゃないですか。
アウトラインを見ながら書くときに、
またそのアウトラインを外れてっちゃうみたいなことが
起こりうるわけじゃないですか。
もちろん。はい。
で、それは、そうするとすると、今度それに基づいてアウトラインを修正するわけか。
いや、とりあえず書き切った後に同じことを繰り返しますよね。やっぱり。
で、その繰り返す、作り直すアウトラインは、
その元のアウトラインを直すんじゃなくて、またアウトラインを作る。
そういうことになりますね。
ああ、そうかそうか。そういうことか。
で、おそらくこれって無限に続くように思われますけど、
実はね、ある程、今の感触だと、確信が増えていくんですよ。
これはもう動かせようがないっていうところが。
はいはいはい。
で、さっき言った5タツが、その確信部分に触れるような変更は却下されるんですよね。
なるほどね。
だから減っていくんです。だんだん可能性という分岐度可能性が。
だから、そんなに多くはならないと思います。
まあ、というか、そのコアの部分が早く見つかれば見つかるほど、
どんどん収束を早まっていくと思います。おそらくは。
51:01
で、どこの時点で、これで決まりだっていうのは多分感じられるわけですよね。
おそらくはね。で、それも多分8割とかじゃなくて、多分6割ぐらいで、
もう次の章に行っちゃう。
結局その章の完成も、2章を見ないとわからないはずなので、原理的に。
はいはい。
だからここは、その、再起的に進んでいきますよね。
この2章をざっと書いてっていうのをやって、2章と1章を見てっていうのをやってっていうのを繰り返して、
全体に波及する。
うーん。
そうか。だから、今のって、例えば1章の中のアウトラインみたいな話ですよね。
今アウトラインってさ。
はい、そうですね。
全体のアウトラインってのも当然あるわけですよね。
でも今は持ってないです、僕は。今1章しか書いてない。
1章のアウトラインと、さっき言った最初に立てた大雑把なアウトライン。
で、この2つは連結してないんで。
だから、まだ1から、例えば何章かわかんないけど、7章ぐらいまで書いたら、
その7章のアウトラインを眺めてっていうことになるでしょうね、おそらくは。
うーん。
そうか。
その後どうなんでしょうね、7章のアウトラインなんかもって。
だからその、7章のアウトラインで、2章と3章の順番を入れ替えるようなことは多分起こるでしょうね、きっと。
それでまた、でも、そこでその章、それぞれの章のサビが動くことは多分ないんで、
章全体のサビを、1章から7章の中のサビを見つけるっていうことになるんでしょうね、きっと。
うーん、ああ、全体の中でのサビ。
で、それを、例えば中央に置くか、あるいはもう逆に先頭に持ってきてインパクトをつかむか、
あるいはその徐々に説明を重ねて最後にするかっていうことはあると思うんですけど。
うーん。
まあでもまあ、その辺は今のところやってないんで分かんないですけど、おそらくそうなるであろうという予想ですね。
うーん。ちなみにそれはなんか、あれですか、僕らの生存戦略でやってるのか。
新しく始まってる商業出版の本でやってます、はい。
はいはいはい。
そうか、じゃあそれはまた今後おいおい明らかになるわけですね、今後どうなるか。
はい、そうです。で、だから、当然その時間はかかるんですけど、さっきも言ったように手が止まってないんで。
うーん、はいはい。
同じ時間がかかるって言っても、毎日進んでるんで。
うーん、それが何より重要ですよね。
それが何より、そう、僕はここの物書き生活10年間続けてきて、毎日何かができてるっていうこと以上に大切だと思うんですよ。
いやー、いやー、そうですよ、そうですよ。
うーん、だからそれがキープできて、当然締め切りも間に合って質が良いものになるのが一番なんですけど、やっぱり手が止まり続けるのって精神的にも収入的にも良くない。
いや、しかもそれは両方重なるな。精神的に悪い上に収入にも悪いし、それが収入が悪いことに精神的に悪いことにフィードバックしちゃうんで。
だから。
だから、その。
胸が胸が痛い。
一番重要なこととして、手が止まらないような作業を組み立てると。本のデッキはとりあえず作ってみようなわからないので何とも言えないですけど。
54:02
そういう形で作業できたら、本の生産数が上がるかどうかわからないですけど、僕の精神性、経験性は保たれるだろうなと。
やっぱり今まで考えすぎてたんですね、一人で。特にセルフパブリッシングは特にそうなんですけど。
で、結局一生どう書いたらええなっていうのは、先ほど言ったように全部書いてみると決定しないはずなんですよ。
それは結局だから、さっきの話を言うと、バザールの商人がカバンの中身を全部出さずに売り方を決めているようなものなんですよね。
本来は僕はだからまず全部荒く書き終わった後に始めて、じゃあ一生どうしようって考えるべきやったらと今思うんですよ。
うん。なるほど。
だからそっちに今、僕らの精神性はだから、今は一章は完成させてレビューアーさんに読んでもらってっていうのをやったんですけど、今もとりあえず先に進めてますね。
2章3章4章と。荒書きでもいいんで書き進めて、全部1回書き終わった後で、さっき言った工程を経て2章を1回書き直すっていうのをした後にレビューアーさんに読んでもらおうかなという感じで考えてますね。
なるほどですね。はいはい。
だからその、バザールの比喩で言うと、だから業者人が全部並べて、自分の店の中での売り方を決めると、並べを決めると。
そうすると、例えば両隣の店が何を売ってるかで、今度バザール全体の順番っていうのができるじゃないですか。
で、これが何々通りみたいな、こう更新料ばっかり売ってる店の通りみたいなのができるっていうのも、結局それぞれの店が商品を陳列した後に分かることですよね。
はいはいはい。
だからやっぱり先並べようっていう、並べた後に適切な範囲地を考えようっていうことですね。
という意味でのバザール。
バザールなんです。はい。
よくわかりました。
(笑)
面白いですね。でも、こういう本、話をいわゆる文章読本的な、作文技術的な本で目にした記憶が、
僕ももちろんそんなに全てを読んでるわけじゃないですけど、あんまないですけど、ないような気がしますよね。あります?
全く近い、同じようなことを言ってる本は、たぶん、僕があったらもっと前に実践してるはずなんてないと思うんですけど。
比較的ワインバーグの執筆、文章読本やったかな。
はいはいはい。
エラルド・ワインバーグの使徒が石を踏んでいくっていうメタファーで、執筆法を紹介してましたけど、ちょっと近いですけど、僕の場合は一旦石を並べておいて、
壁っぽいのを作ってから、もう一回壁を作り直すっていうことなんで、もう一段階違いますね。
うーん。あんまり、この特に、何だろう、分離する、一度広げてアウトライン、無意識に同じようなことをやってる人はいるだろうと思うんですけど。
57:06
はいはい。
逆に、むしろアウトライン、それこそアウトライナー以前に行われていたことに近いんだけれども、
多分ちょっと違うっていうあたりが、新しいのかもしれないなっていう、アウトライナーのメリットを理解した上で、またそれをあえてやるっていうところに結構意味があるんじゃないかなと思っちゃいますね。
だから、アウトラインは作るものを一回作って終わりじゃなくて、組み立て直して使うものだっていう思想をまるっきり受け継いでて、
そこに原稿用紙って書き進めるしかないよねっていうのをブレンドしているわけですよね。
そうですね。
僕なんかが言ってたのは、アウトラインの中に本文も全部入ってるんですよっていうのを言い続けてきたわけじゃないですか。
それがアウトライナーなんですよ。
で、それはある程度自分の中で確立してるけれども、それができる環境があるけれども、
あえてアウトラインと本文は別に書く。なぜなら、さっきのナラティブの問題があって。
なんかもう1個踏まえて先に言った、先なのか並行なのかわかんないですけど、すごい面白いですよね。
逆にアウトライナーに向かない人ってやっぱり明らかにいるんで。
逆にそういう人が、むしろアウトラインの恩恵をより受けやすい方法かもしかしたら知れないし。
とかとかいろいろすごい思いますね。面白いですね。
それ本書きましょうよ。
とりあえず、これの手法で本が書きやがったらちょっと考えます。
いやでもこれはね、自分の中で今までやってきたから一番しっくりきてますね。
理念が先にあるんじゃなくて、自分の手が一番止まらない方法はどうかっていう体験ベースで組み立ててるんで。
うまくできて当然というか。
そこがやっぱり個人の方法論として一番大切な部分かなと思うんですよね。
そうですね。
あとアウトラインプロセッションがなかったのが、情報カードの存在ぐらいですかね。
これもずっと悩んでたんですよね。こういうのってどうやって保存しようかなと思って。
でもやっぱり辿り着いたのは、それ自身だけ独立して扱える形で保存しておくのがたぶん一番だなと。
そうすることによってカードとして保存したものと本文が別になってしまうので、
その時にわざわざ書き下ろさなければならない手間が発生するんですけど、その手間を引き受けた方がいいなと。
1:00:05
そこですよね。
やっぱりカードに取ったことをエヴァノートに転記して保存しておくという話ではたぶんないんですよね。
ないんですね、それは。
まして写真を撮ってエヴァノートに入れておくことでも、そっちの方が違うかな。
それはどっちでもいいんですけど。
素材として残すもの、文と本文で生かされる形の文章ってのは当然変わってくるんで。
文章として残ってるからいいってもんでもないですし、文章で書いた未使用のものが未使用のものが残ってたところで、
本に転用するためには一回リライトというか、素材の形に戻して本文に直さなあかんので、
だからもう素材となるものは素材となるもので残しておくと。
で、これは思考のエンジンで紹介されてた文章扱う時の2つのテキスト操作っていう話があって、
本文の扱うものと、アーチって呼ばれてて、ポイントとアーチだったのか。
文章そのものについてのアイディア、構造的なアイディアについてっていう。
これまでは全てを一つのポケット式に全部を一箇所にまとめてたんですけど、
素材は素材として保存して、文章そのものについてのアイディア、構造的なアイディアはアウトライナーに入れるようにしてますね。
結局それってその本でしか使えないアイディアなので、
そのジェネラルな素材、マテリアルではないので。
逆に言うとカードに使うのは、その本に使えるけども、他の本にも使えそうな情報という形ですよね。
越境的な。
で、アウトラインに入れるのはその本についての考えという。
そこがちょっと切り分けられてると。
面白いですね。
そんなとこかな。
テキストファイルとか使ってると、新しく作るよりは書き直したくなるんですよね、そこの文章に。
それができる、エディタブルなのがあれなんで。
でもね、それがね、僕の書き下ろしのエンジンを阻害してたの気が強く最近してますね。
引っ張られてたというか、そのツールの便利さに。
今もうVSコードを使ってるんですか、エディタって言ったら。
100VSコードを使ってますね、今のとこ。
いろいろでも、本当、ツールとは何かとか、書くときのプロセスとは何かとか。
これだから、いろいろ入ってますね。
書くときのプロセスって言って、かなり自覚的になった1年でしたね、特に今年は。
1:03:06
特に止まってるときに自分は何を考えてるのかを、かなり自覚的になりましたね。
だいたいね、次の文について考えてる、考えてつつ、何か別のことも絶対考えてるんですよ。
そう、うんうん、わかる気がします。
パラメーターが複数ある変数の決定をしようとしてて、それは無理やなっていうのが、1つの結論ですね、やっぱり。
そんな高等なことができるのを思ってないなと。
ですよね。
あと、これでいいんかっていう疑問もね、それもわからないっていうのが答えだっていうのがわかりましたね。
これでいいかってのは、書いたものが。
この章とかこの項目において機能するのかどうかみたいなことは、書き終えてない、見ないとわからないっていうことで、判断を保留するようになりましたね。
だから、明らかに自分が見てもちょっと不自然やなって思うときも、とりあえず無視して先進むようになりましたね。
はいはいはい。
これだから、よく言うんですけど、思ってることがあって、それを表すために文章に書くとする。ツイートでもいいんですけど書くとするじゃないですか。
で、書いたものを読んで、ちょっと違うなと思って書き直すことってあるじゃないですか。
はい。
で、それって結局書かないとわからないんですね。書かないと最低。
そうです。
分からないんですよね。で、文章っていうのは文でできていて、章っていうのは文章でできてるんで、
最適的な構造をしているとしたら、結局同じことが言えるはずなんですよ。
一章で書きたいことっていうのは、一章書いてみないとその差異がわからないはずなんですよ。
だから、やっぱりバザール的に先に並べることを優先すると。
で、これは明らかに絶対書き直すことが決まってるんで、どう考えても無駄なんですよね。
既存の生産性システムで言えば、恐ろしく無駄なことをしてるんですけど、
恐ろしく脳の機能的には非常にギアチェーンがきれいにできる方法だなと思います。
だから、コンピューターと人間のその違いって、だからそのプロセッシングの切り替えが
CPUごと簡単ではないっていうことなんですね、きっと。
はいはいはい。
パソコンはマルチタクスは、いわゆる作業の高速の切り替えでやってるじゃないですか。
はい。
あれはできないんですよね、人間は。
できないです。できないですね。
でもだから面白いですよね、人間にとって一番楽なことは必ずしても一番効率的なことだとは言わない。
そういうことですよね。
そういうことですね。
でも、体感的に分かりますよね、それは。
それははっきり分かります。だから、そもそも文章を書くっていうことが、
知的生産っていう行為って、頭を働かせる行為、つまり負荷を発生させる行為なんですね。
だから、原理的に生産性向上と極めて相性が悪いんですよね。
1:06:02
悪い。
その文章を書くことの生産性を最大限に突き詰めたらAIが文章を書くことですけど、これって結局知的生産度合いゼロですから。
ですね。
だから頭を働かすことは絶対に削れないと。
あとはそのどう頭を働かすかっていう話にしかならないんですよね。
だからその効率性とかって突き詰めていくと、じゃあ考えなきゃいいじゃんって話になっちゃって、噛み合わないんですよね。
うん。
だからこう、楽、深い。苦労は避けられないが、どうやるんだ、面倒は避けられないが、多少苦労は減るぐらいかな。
なんかそういう言い方なんですけど。
でもそう、苦労をしてもその方が楽かもしれない。
楽かもしれないっていうのはあるね。
面白いですよね。
まあだから、汎用的に言うなら、自分が一番うまく文章がスラスラ書けてるときを観察してみましょうっていうふうに、教訓的には多分言えると思います。
そうですね。
人によってはまた違う感じで。
違う方法はあるでしょうけど、だから結局それって自分も観察しないとわからないんで、このやり方がうまくいく人もいる。
まあでもやっぱりツイートを重ねるって結構多くの人がやってるんで、ああいうのはやっぱりやりやすいとは思いますけど。
そうですね。
レンツイだと結構な長さの文章を折にスラスラと書いちゃえるっていう人いますよね。
いますって言うと自分もそうだけど。
だからあえて極端に言ったら、僕が毎日センジ原稿ファイルを書くっていうのは、センジのレンツイをしてるっていうあるテーマにおいて、センジのレンツイをしてるっていうことだと言ってもいいと思いますけど。
だからやっぱり、例えば書き下ろすときに構造を考えすぎると、一生で言ったことをきちんと踏まえて、名詞がきちんとなるようにとかっていうことを考えてしまって、語れるはずのことが語れなくなってしまうんで。
それはやっぱり避けたいですね。
ちなみに、書くことについて興味がないテーマについては、この方法は使えないということだけは言っておきます。
そうですね。
これは文章をひねり出す方法ではないので。
ナチュラルな流れを阻害しない方法であって、書きたくない文章を書くための方法ではないので、それは多分必死にアウトラインを固める方法が多分あってると思います。
かもしれないですね。
まあ、こんなところですかね。
まあ、でもよくわかりました。
ということは、たくさんは今、新しいプロジェクトに着手されているということですかね?
1:09:01
着手したというか、再開したというか。
今度はもう自分の書き下ろしで。
自分のです。
なんかやっぱり、心地よさというか、なんか新しい気分はあります?
でもやっぱり、対談ものでやりたいのもあるんですけど、ちょっと1回自分のやらないと。
なんかもう1年以上対談ばっかりやってるんで。
そうですね。やりたいし。
やっぱり、結構、この状況で、本業とかも色々ちょっとあれなんで状況も変わってきちゃってるんで、逆に、
もうこれで、この後これしかできないとなったらどれを選ぶかというと、こっちを選ぶなっていう感じ、もし選ぶとして。
いや、そういうわけじゃないですけど。
わかります、わかります。
こっちをやりたいですね。
やっぱり、楽さ、自由さ、書き下ろしならではの、どう言ったかな、自由さ?みたいなのありますか。自由って言うとちょっとあれですけど。
自由ってか、やっぱりいかように書き換えてもいいっていうのは。
ありますよね、やっぱり。
あります。それが逆に大変。自由度が高いから大変っていうのはもちろんあるし、
繋がらなかったら繋げばいいっていう。
そうですね、ありますね。
こういうのは、じゃあ、今後にとか同時にとかできればいいですね。
結局でも僕もやっぱり、今は他のプロジェクトを並行で進めないと難しくなってますね。
ちょっと1週間ほど締め切り遅れたんで、ちょっと巻きで作業してますけど、1日4000字を書くと他の作業はちょっとしづらくなりますね、やっぱし。
いや、でも別にメルマガ書く日は1日1万字書いてるんで、その負荷ではないんやろなと。
多数のものの負荷じゃなくて、頭の中で現行的なデータを扱ってる負荷が多分強いんやろうなと。
やっぱり全体の構造について扱ってる部分が負荷を取ってるんやろうなと思うんですけど。
1万字を何らか書けるってのはおかしいですね。
いや、でも書けます。そういうのができる人用の執筆術なのかもしれませんけど、さっきのは。
野口幸男先生でさえ、4000字書くのはきついみたいなことを。
そうなんや。
きついっていうのは、もちろん書けるんだけども、4000字単位の現行っていうのがあんまりいない、そのぐらいの、ツイートマンからいらない現行が書くのが難しいっていう話を。
要するに1テーマでは書ききれないけど、みっちり論じるには短い。
1:12:01
そうそう。2000字だと軽いテーマで書けて、1万字くらいだと3テーマくらい論じられるけど、その間くらいだとちょっと難しいですね。
1.5テーマくらいになっちゃう。
それわかりますね、確かに。
なかなか4000字ずつってのは自分はきついなと思いますね。
でもブログを毎日更新したから普通に余裕で書いてましたからね。
書いてましたよね。
どういう生活を送っているのか今からなと思いますけど。
こっちが聞きたいですね。
というわけで、今週はこの辺にしたいと思います。
感想等あれば、#打ち合わせキャストまで、ひらがなで打ち合わせアルファベットキャストまではお送りくださいということで。
もうさすがに年内に出版予定とかないですかね。
ないです。ないと思います。
じゃあ来年をまた楽しみにしております。
はい、お疲れ様でした。
はい、ありがとうございます。よろしくお願いします。
(☉_☉)
01:13:00

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