無関心な世界の描写
Nozomiさんの気になったところの、「私には関係ないの。射程は長い。」ってどういう意味?
これ、どこで思ったんだっけな。すごい大事なことだなと思って。
まず、奥さんは、全然モンターグに興味ないじゃん。
途中、夫婦で会話をすることがあるんだけど、全然モンターグの問題に寄り添う気持ちはないわけ。
逆に言うと、もちろん冒頭から、モンターグが本とか読む覚醒前の状態で、
奥さんの方が、睡眠薬みたいなやつをガーッと飲んじゃって、偉い状態になってみたいな話も出てくるじゃん。
あんまり奥さんのあれに興味なさそうだなぁ、みたいなふうに見えるわけ。
だから多分、この世界ってみんな、この人は私には関係ないなと思ってんだなと思ったのよ。
わかる。
でさ、その、射程は長いって何で書いたかっていうと、
究極のことを書くと、いろんなことについて私は関係ないなって言えちゃうじゃん。
だから、そういう意味で、私は関係ないって結構…
なんて言うんだろう?
そこら中にあって、あらゆる問題に適応ができて、結構破壊力の強い言葉だなぁと思ってさ。
多分、この本の中の世界は、私には関係ないなってみんな思ってんだろうなと思ったのよ。
彼のファイアマンの職場でも、モンターグが本を読むことに、唯一、意地悪するB.T.っていう人だけが、多分、モンターグに変な意味で関心を持ってるんだよ、関係が。
そうそう、B.T.だけだったね。
他の人は、モンターグがどうなるかなんて、別に関心を持ってないんだと思うのよ、多分。
だから、すごい関心のない世界だ、ここで。
ひるがえって、我々の世界に帰ってきたとしても、私には関係ないなぁの程度が、ここまでじゃないにしても結構ありそうだなぁって思った。
モンターグの内面的変化
っていうのが、私には関係ないの射程はならないっていう。
だから、そういう私には関係ないという武器が、ワールド社会であんまり発射されてないけど、たくさんあるなぁって思った。
確かに、歌詞451の世界の中で、私もすごい思ってたのが、みんな人の気持ち考えないなって思ってて、この人こういう気持ちなんだろうなとか。
それが本を読まないと、そうなるってことなのかなって思ったんだけど。
物語の後半の方で、上司のベイティーがあんまりにもモンターグを挑発するもんだから、モンターグがちょっとアーってなっちゃって、上司を燃やしちゃうじゃない?
勢いを持って、燃やした後に、でもあいつは死にたがってたんだって、一人で考えるシーンがあるのを覚えてます?
うん、そうだね。印象的なシーンだね。
あいつは、もう防線とかもついて、ベイティーが死にたがっていたって書いてあったんだけど、私そこが、この人初めて他人について解釈をしたなって思って。
モンターグ自身がってこと?
そうそう、死にたがってたんじゃないか?みたいな。初めて他人に矢印を向けた瞬間だなって思ってたことを今思い出しました。
やっぱり今、この話聞いて、本を読まない世界で、めちゃくちゃ他人に関心を超寄せない世界で、本を読み始めたら、他人に関心を向ける他人を自分の中で解釈するみたいな行き止めが同時に起きてくる。
そういう仕組みになってたんだなって今思いました。
なるほどね。
この本の話じゃなくなっちゃうんだけど、直近読んでるユウ・コセキさんの「頼りない話」っていうニュースレター、私すごく好きで。
私も。
最近来た6月末かなんかのニュースレターの内容が、「頭をよく見られたいので学ばない」っていう。
あー、ね。読んだ読んだ。
ミイキさんが今言ってくれた話と同じような構造の話だなと思って。
何を言っているかというと、自分の頭の良さを示したいっていう時に、一般的なというか、社会的にそうだよなっていうのは、頭の良さを示したいんだったら勉強して話せるようにしましょうみたいなことなんだけど。
一方で、最近こういうことあるよなっていうのは、逆に問題の詳細を知ろうとしないっていう。問題の複雑さを知っちゃうと、簡単なことは言えなくなっちゃう。
ディストピア社会の危険性
簡単なことを言えなくなっちゃうと、賢くも言えない。モゴモゴモゴって。こういうケースもあるし、こういう場合もあるし、みたいなことを言えるようになっちゃうから、逆に知らないことによって、いろんなこのシャッシャッって切り捨てることができるようになる。
だから、明日の良いことを示したいが故に、物事を学ぼうとしないっていうスタンスがあってさ、なるほど、そういう人いる?と思って楽しく読んだんだけど。
なんとなく、みきさんが言うように、本を読まない世界で他人に関心を持たないってなると、逆に、それを突き詰めていった社会は、この歌詞451度で。
だから、まとめ方というか、自分の中で納め方が難しいんだけど、同じことを言ってるなと思ったのよ。この本の中のすごく、そういう論理もあるかと思った部分が、レイティがモンタグになんで本を燃やさなきゃいけないのかみたいなことを話してるシーンで、
黒人はチビクロサンボを好まないから、じゃあ燃やしちゃえばいい。悪人はアンク・トムの小屋をよく燃えないなら、燃やしちゃえ。
で、タバコが好きな人は、タバコと肺癌の関係の本は嫌だから燃やしちゃえばいい。嫌なことがあれば全部燃やしちゃえばいいんだよ。
そしたら、平和で無事なのモンタグっていうところがあってさ、争い事はもう全部あるんだったら、その火種を焼却ると燃やしちゃえばいいんだよって言う。
そっかー。
このレイティってさ、たぶんさ、もともと本を読んできた人なんだよね。まだインジになる前から生きてきた人っていうか。
めちゃめちゃ強要的な引用というか、あそこに書いてあったやつだよねってめっちゃ言うもんね、この人ね。
そう。
だからさ、そんな人がさ、「もういいんだよ、燃やしちゃえば!」みたいに言うってことはさ、すごいマインドチェンジみたいな苦労をしたはずじゃん、レイティって。
真っ直ぐその論理に行ったっていうよりかは、自分の中でいろいろな歪みの結果、そういうことを言うしかない、生きていくためにみたいな、本当はそういう人物だと思うんだけど、全然そういう共感とかできない、ただのムカつくおじさんなの、なんでなんだろうね。
なんでなんだろうねー。
なんか、「はー?」みたいな、「そうそうそうか?」みたいな、何がレイティの言ってるか聞くと、「はー?」みたいな。知らんし。
それをモンターグなりに解釈すると、「あいつは死にたかったんだなー。」になるっていうことなのかもね。そうやって人をいらつかせて。
ファイヤマンにはそういうスタンスを取るっていう。めちゃくちゃいらつくおじさんだもんね、これね。
でも多分本当は複雑な人間性じゃん。他の同僚人物は、「じゃあ本のために死にます。」みたいな、そういう絶望を意識して死にますよね。
ティアリーは多分自分の心と行動が割と同じペクトルだったけど、プイティーは多分ねじれてる人だったんだけど、全然愛しくなかったね。
そうだね。この側面切り取るとすごい共感するのが難しいキャラクターだよね。
再切った後というより、ちび黒三暴を燃やせばいいんだよ、みたいな。それが問題なら問題ごと消してしまえばいいんだよ、みたいな。そういう短絡的だなって。
短絡的なんだけど、でもさ、それ一つのロンリーじゃない?
だからさっきのユーフ・コセキさんの頭をよく見られたいから学ばないっていう。だって勉強しちゃうとさ、いろんなことをシャープに言えなくなるでしょ?みたいな。
その頭をよく見られないからさ、勉強しない方がいいんですよっていうのって、そうじゃん?なんて言うんだろう。そうなのよ。
だから、無邪気にそういうことを言う人がいたとするでしょ?で、その人に対して私が関心を持っていないとすると、「まあ、そうですね。」みたいな。
そうかもしれないですねって俺は言うなと思ってさ。だから、どうもこの世の中を燃やす世界にいて、関心を持たないって言うんだったら、まあ、そりゃあそうかってなるのかなって感じがしたね。
まあ、そりゃあそうなんだけどなシューの第1がそれで、第2がさ、中盤から後半ぐらいにある大統領を選挙するみたいなシーンで、その奥さんが言ってるときにさ、「大統領はちょっとシュッとしたイケメンなのよ。
で、なんかすげえいいことを言うし、ハキハキ喋るみたいな。で、感じなんだけど、奥さんがさ、もう一人の候補者の人のことを言って、「野党はなんであんな人を候補にしたのかしら?背の高い相手にあんな背の低い人を担ぎ出すなんてねえ!」みたいな。
「それにあの人、もごもご喋るし、話の半分は聞き取れなかったものみたいな。おまけに聞こえたところはわけがわからなかった!」とか言うのが、Dボタンを押しまくってる奥さんなんだけどさ。
「なんか、小泉真次郎現象じゃないけど、こうやって…」
ヤバい!日本であれ起きてるじゃん!確かにヤバくない?同じことを聞いてね。ヤバいね。
読んでるときはおもろいねんけど、なんていうのかな? 結構笑えなくない?今、真次郎の声なんか乗せ不上してんじゃん。
この本の中では笑えるやん。「いや、そういうことで大統領を選ぶの用はないで!」みたいな。
その結果、戦争が続いてるってみんな言うてて、本を燃やしてて、そういうふうに読んだら用はないねって思うけど、でもこうやって選挙の時に投票してる人たぶんいるなあみたいな。
真次郎しっかり、国民民主党の代表の人しっかり、ちょっと池尾寺風じゃん。 シュッとしたね。
多くの人は多分そうやって決めているし、逆にみんなだから石場さんのことはあんまり…
内容もいろいろあるのかもしれんけど、それはやっぱりそうやろな。 石場さん、ビジュアルいいしか見ないといけないもんね。内容とか云々とかより。
そんなことを言わんといてあげてよ、みたいな。言わんといてあげてよっていうか、でもそういうことを言いたくなっちゃう気持ちは、こういうことなんだろうなあっていう。
ディストピアSFがやろうとしていることというかさ、そういう時によく感じることっていうのがたくさんある。
ディストピアやなあ、おもろいわあ、あれ? 冷静に我々のこの現実に帰ってきてみると、っていうのがたくさんあるから。
メキさんが最初に言ってくれたみたいに、レイ・ブラッドベンに上手いのかもね。
そう、でも確かこの新二郎のことを思い出すので、でもちょっと最近の世の中が違くなってきてるかなとか思ったのが、
やっぱり最近もうみんな効率主義に疲れ始めてるっていうかさ、速いのよくないみたいな、スロームーブメントとか、美術館とかでアート作品鑑賞をするときにスロールッキングとか言って、とにかくめっちゃじっと見るみたいな、
そういうスローなんちゃらみたいなのが流行ってるのね。 だから一応、もうちょっと後のSFだとそういう逆に超ゆっくりしかできないっていう速度が禁じられる世界とかはあるのかな。
速いといろいろ物語を考えすぎてよくないっていうSFがこの時代から生まれる可能性もあるよね、とか思ったけど。
確かにね。 言われてみればじゃないんだけど、
速さと深さの関係
これを読んでさ、この旅の間、移動がたくさんあったからオーディブルをたくさん見てたんだけど、
Amazonのオーディブルさ、村上春樹作品がほぼ全部あるのよ。 だから長編はほとんど全部聞けたんだけど、
村上春樹作品超スローだね、今言われてみると。 だからみちさんが言うようにSFで超ゆっくりじゃないのかもしれないけど、
ああいうものが未だに多分人気があるっていうのは、そういう通定した何かなのかもしれないね。
効率を求めうんうんって言われるが、故に反作用としてちょっとゆっくりってなるのは、そういうことなのかもね。
だから人間がほっといたらどんどん速くなっちゃうとかは置きづらいのかなとか思ったけどね。
しっかり抵抗力があるっていう。 そうそうそう、でも小泉慎二郎が総理になりかけてるっていうのを忘れてたから、ちょっとハッってなったけど今。
ちょっと思っていたことがあるんだね。 確かになぁ。
っていう感じかな、私は。 なんか早く深くって難しいのかなっていうのが一番考えたいことですかね。
早く深くね。 それはもしくはスイッチを早くってことなのかも。めっちゃ早く考えるときと、
深く考えるとき。で、結局その2秒後にそのような思考モードになるとかってちょっと難しいという感覚ない?
あるかも。あるじゃん。 だからなるべくピッピッって思考モードを切り替えるみたいなこととかは私は追求したいんだけどなぁと思っている。
そういう部分は早くありたいというか。 日本の
すごい良いチョークメーカーが倒産しますみたいな時にさ、世の中の数学者が買いまくったみたいなニュースなんか
あったじゃない。 それはゆっくり考える
ための メディアとして
黒板とチョークっていうのがめっちゃいいっていう ことなのかなっていうのと、あと数学ってやっぱりこうなんて言うだろう
早くっていうかは深く行かなきゃいけない ものだからさ、2秒で切り替えとかじゃなくて秒というか
数学者の人たちはもしかしたら 黒板とチョークっていうさ
代替品がもうバカほどあるわけじゃない?別にコンピューター上でやってもいいし ホワイトボードにマーカーでもいいけど
その黒板とチョークっていうものがさ 強制的に遅らせるものとして
めっちゃいいっていう。 だから逆に切り替えをやるためには
意識しようとかじゃなくてもう触るメディアごと変えちゃうのがいいっていう
うーんとなんかもねー 早く深くなー難しいのかもねー
早く深くなー ができたらいいよねって思ってしまう自分を感じながら読んだかな
速さも失わずに深さもできたらいいよなーって 深さもできたらいいよなーって
そう早いイコール喪失であるっていう感じがすごかったからさ
そうだねこの感じを見ているとそうかもねー
あと最後にさ、もどみさんの感想でさ この世界に冗談とユーモアを残るんだろうかって書いてあるけど
冗談とユーモアの難しさ
どう思う?この歌詞451の世界にさ 冗談とかユーモアって
残ってると思う?なんか本読んでてさ 誰の発言にもその冗談っぽいものとかさユーモアっぽいものって
残らない じゃない?
しみんきさんが言うように速さの中ではさ 速さに全く貢献しないじゃん冗談とかユーモアって
だからその広告がめっちゃ長いってことだけがユーモアじゃない あーまあな、その我々からしたらってことでしょ
うーん
そうだねー でも誰かその広告を作る人はいるんでしょう?
AIが作ってるのか
AIが作ってるしあれじゃない?広告も基本的にスーパー機能推しなんじゃない?
そうかそうか うん、さらに速くなれますとかさ
もっと幸せになれますだから
その 最近、去年?今年?その会社のロゴをひっそり新しくしてさ
下にあの3単語ぐらい入れたのよ
うん、何て言えてるの?
そのフェア フェア
ちっちゃいね、フェア、ニュアンス、ユーモアって入れてるんだけど
その速度もさ、コンサルタントの仕事
あるいはフリーランスがやる仕事って基本的に速度を求められることが多いじゃない?
速度を前提にしてつまりなんか納期まで早くその中で良いクオリティのものを出してくださいっていうものが多いとしてさ
速度を出すことは当然あるんだけどその時に犠牲にされがちなのがこの3つだと思ってさ
フェアでない方が速度は出せるでしょ?さっきの
何て言うんだろう?この本不快だなぁ燃やしちゃえってスーパー速度早いけどフェアじゃないと個人的には思うわけ
私ニュアンスってキビの話なんだけど速度が大事にする時にその絶妙なグラデーションの中のニュアンスって切り捨てた方がいいじゃない?
なんかこれは絶対に良くないのか、これは良くないケースがありますなのか
これは良くないことがありますなのか、いや大体のケースこれ良くないですなのか、これはニュアンスの話だと思うんだけど
なんか切り捨ててバッドっていう、タグを張る方が早いけどそれでニュアンスを損なっていることだし
最後ユーモアっていうのも多分時間の速度を大事にするときって切り捨てた方がいいものだと思うんだよ
直接的に言うのが良いっていう、これ良くないですね、バッドですっていう時にそれをいろんな文脈を踏まえてユーモラス冗談として言うっていうこともできるわけじゃない?
だからこの3つはすごく信念として大事にしたいなと思ってロゴの下に入れたのよ
なんかこの世界にこの冗談、ユーモアさも、この歌詞451の世界の中にペアさとニュアンスがないことは理解をしたのよ
冗談とユーモアってずらしみたいな話じゃん、本来こうだけどずれてるから面白いみたいな
体の使い方がずれてる、頭の使い方がずれてるみたいな、ずらしの地点じゃん要するに
だけどこの世界、歌詞451の世界ってずらすことを許さない世界じゃん
すっごい速いスピードで前だけ見てなさいとか、この没入型演劇で言われたセリフだけやってなさいみたいな
ずらすことを許さない話だからなんかないだろうなって思った
ファイヤーマンの組織の公式スローガンが灰になるまで焼け、そのまま灰を焼け、だからずらしたことないよね
ないのかもね、あるとしたらなんだろうって考えたんだけどね
体がゆっくりすることも許されたら広告長っていうのが面白くなるんだけど、速度すら許されないからさって思いました
そうかもね
記者の良い尺を聞けて良かったです
じゃあ次の本でお会いしましょう
ではまた
またね