2025-05-28 42:31

#EXTRA3 「(小野田対談)坂爪真吾の新書はなぜこんなに面白いのか②」(ゲスト:文筆家 坂爪 真吾)

(本エピソードで使用した資料はこちらから)

https://drive.google.com/file/d/1IbYY4aMO7LHsqg9Bpst-FQWMeIiGtWbq/view?usp=sharing

 

坂爪 真吾(さかつめ・しんご)1981年新潟市生まれ。東京大学文学部卒。2008年、障害者の性問題の解決に取り組む非営利組織「ホワイトハンズ」を立ち上げる。脳性まひや神経難病の男性重度身体障害者に対する射精介助サービスを全国各地で実施。2015年、風俗店で働く女性の無料生活・法律相談事業「風テラス」を立ち上げる。「見えづらい」「つながりづらい」と考えられてきた風俗の世界で働く女性たちに対して、SNSでの情報発信やデジタルアウトリーチを通してつながり、弁護士とソーシャルワーカーの相談会につなぐ仕組みを構築。9年間で延べ1万人以上の女性に支援を届ける。2025年4月、夜職従事者のための伴走AI「YOLUMINA」の開発を行う団体・ヨルミナを立ち上げる。

⁠X:https://x.com/shingosakatsume⁠


著作のご紹介風俗嬢のその後 (ちくま新書 1847) ⁠https://amzn.asia/d/0cX3Kkw⁠

「身体を売る彼女たち」の事情――自立と依存の性風俗 (ちくま新書)

⁠https://amzn.asia/d/8LGimaD⁠

パパ活の社会学~援助交際、愛人契約と何が違う?~ (光文社新書)

⁠https://amzn.asia/d/9IJMASB⁠

性風俗のいびつな現場 (ちくま新書)

⁠https://amzn.asia/d/aXRCVDq⁠


内容:濃度とパンチライン/息が止まるフレーズ/ルポでも論文でもビジネス本でもない/社会課題の解像度をあげていく/まだ言語化されていないもの/坂爪真吾は逃げない/書いていくうちに見えてくる/著書のスタイルの変遷/頭から尻尾の先まで言語化し切る/問いを立て、それを解いていく過程を見せるというエンタメ/締めがうますぎ問題/二項対立を否定する/社会学的アプローチを徹底する/ABEMA Primeでの議論について/非審判的態度/没入的読書体験/紙の方が燃えない/モヤモヤを保持する


ようこそsocial hive WAITING CAFE 点描の弧へ。

ここは東京文京区本郷三丁目駅の裏にある、小野田総合法律事務所併設シェアオフィス『social hive HONGO』のメンバーが立ち寄るWAITING CAFEです。

毎週この時間のWAITING CAFEは、決まってメンバーの誰かがふらっと立ち寄って面白い話をしてくださるんです。

まるで世界の見え方がほんのちょっと、変わってしまうような。

※番組へのお便りは、socialhivehongo@gmail.comまでお寄せください。


聴き手 :⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠岡田壮麻(スタートアップ支援家)⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

常連 : 和賀未青(株式会社ニイラ代表)

HP:⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://niila.info/index.html⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

制作 : 小野田峻(弁護士/小野田総合法律事務所)ほか 

小野田総合法律事務所 : 

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠HP:⁠⁠⁠⁠https://www.ot-lawoffice.jp/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠


X [Twitter] :⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ social hive HONGO(@socialhiveHONGO)⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

*ご感想は 「#点描の弧」 でお願いします。

BGM:zippy(作曲家。X [Twitter]:zippy@zippy_zippy_)

ーーー

Welcome to social hive WAITING CAFE Tenbyo no Ko.

This is the WAITING CAFE where members of "social hive HONGO," a shared office attached to Onoda Law Office, located behind Hongo 3-chome Station in Tokyo's Bunkyo Ward, stop by.

Every week at this time at WAITING CAFE, one of our members stops by to share an interesting story.

It may be a story that will change the way you see the world just a little bit.

サマリー

坂爪真吾氏の著書は、その濃密な表現や独自の視点によって、多くの読者を魅了しています。対談では、彼の作品がどのように一気に読み進めさせるか、また社会課題に対する洞察がどのように言語化されているかが語られています。坂爪氏の著作は、潜入ルポ的な特性を持ちながらも、自己の意見や答えを明確に示すことで、読み手に深い理解を促します。特に最近の著作『体を売る彼女たちの事情』や『風俗上のその後』では、当事者の声を前面に出しつつ、社会課題への解像度を高める手法が非常に効果的で面白いとされています。坂爪氏が新書の面白さと社会課題について語るエピソードでは、政府における偏見やセカンドキャリアの問題に焦点を当て、社会学的アプローチの重要性が強調されます。また、彼の独特の文体と論理構造が読者を没入させる理由として挙げられています。坂爪氏は偏見や問い直しについての考えを共有し、自由な読書体験の重要性を強調しています。対話を通じて、人々が自分自身の偏見を見つめ直すことによって、より豊かな思考が生まれる可能性が示唆されています。

00:13
ようこそ、socialhive WAITING CAFE 点描の弧~。
ここは東京文京区、HONGO3丁目駅の裏にある法律事務所併設シェアオフィス、socialhiveHONGOのメンバーが立ち寄るWAITING CAFEです。
毎週この時間のWAITING CAFEは、決まってメンバーの誰かが、ふらっと立ち寄って面白い話をしてくださるんです。
まるで世界の見え方がほんのちょっと変わってしまうような、そんな話が聞こえてくるかもしれません。
socialhive WAITING CAFE 点描の弧ス 新しい当たり前をデザインする実践者たちの日常
今回は、いよいよ対談の内容に入っていきます。
対談内で触れられている坂爪さんのご著書と小野田さんが使用されている資料は概要欄にリンクを添付しておりますので、適宜ご覧ください。
では小野田さんと坂爪さんの対談をぜひお楽しみください。
坂爪真吾の著作の魅力
坂爪さん、もうなんて言うんですかね、念願なんですよ。
本当ですか?
ありがたいですね。
坂爪さんの本って本当に僕、むちゃくちゃ面白いなと思ってて。
ありがとうございます。
なので、共通の企業家の繋がりでお会いしたことがあって、それ以降、読んだ本とかの感想、坂爪さんの本の感想をメッセンジャーで送ったりとか。
僕、いろんな本を読むし、フィクションもノンフィクションも。
特にノンフィクションとか、そういうのってだいたい読めば、この著者がこの本で何をどこまで伝えるのかというのは分かるんですよ。
例えば1、2ページくらいの情報を何百ページに引き伸ばしてるな、この本が。
で、それってある意味本もビジネスなので、例えば伝えたいテーマがむちゃくちゃあったり、
すごいその人オリジナルの言語家があったら、全部を1冊に盛り込むのってもったいないから、
普通は何冊かに分けて出版したりするとかっていうのも一般的だと思うんですよ。
でもそうすると1冊の中の濃度みたいなものが下がっちゃうんですけど、
坂爪さんの本ってむちゃくちゃ濃度が濃いっていうか。
聞いてたけどすごく嬉しいです。そこは結構意識して書いてる部分はあるので。
普通だったら、パンチラインが多すぎるんですよ。
パンチライン?
ラップでいうと。
ラップのパンチラインみたいなものが2、3ページごとに出てくるので、
僕なんか本読んでて、このフレーズすごいなとか、この言語家はすごいオリジナリティあるなとか、
これはちょっと自分の中で拾いたいなみたいなフレーズがあったら、
ページ端折って線引いたり書き込みしたりするんですけど、
手元に今日自分の本持ってきてるんですけど、坂爪さんの本はもう、
折るページが多すぎて。
それはめちゃくちゃ嬉しいですもんね。
本がすごい変な形になっちゃってるんですけど。
なんかそれこそ和賀さんにさっき、
本田先生お風呂の中で読んだんですか?って言われたぐらい。
パッと見ると本がフニャフニャになってる。
いやいやいや。
そんだけ読んでて、本当にもう調子に乗りにつきます。本当に。
でもそれぐらい、何て言うんですかね。
良いフレーズったら変ですけど、
やっぱりこの言語家上手いなとか、
俺を言語化した人って他にいないんじゃないとか、
そういうフレーズが本当に定期的に出てくるというか。
で、それってなんか僕は優れた小説家の作品も、
なんか似てるところはあると思ってて、
いわゆるなんか今の小説とかって、
リーダビリティとか読みやすさばかり重視されて、
さーって読んじゃうんですけど、
なんかすごい小説って、
ところどころにあっていうか、
止まってしまうような書きぶりがあるというか。
そこあるかも。
なんか一文とか一フレーズに、
なんかギュッと情報とか感受性とか、
表現が濃縮されてるみたいな。
そこなんか分かります。
自分作家なんかね、
三島彦男は結構昔好きだったんですけど、
三島もすごいなんか濃いイメージを書く人だったので、
そういうの影響もあるかもしれないですね。
かつなんていうんですかね、
ちょっと筆が乗ってるところは結構こう、
比喩とかなんか詩的な表現とか、
文学的な表現も割と多いですよね。
そうですね。
ちょっと恥ずかしいんですけど、
なんかこう乗って出てくるのが
ついつい書いちゃうみたいな話ありますね。
そこは。
で、なんか締めのフレーズとかも、
すごいまあある意味キャッチーだったり、
かっこよかったりというか、
ポップだったりするというか、
だからそういう意味で、
いやもうなんかその、
いかに面白いかだけでも、
何時間でも喋れるぐらいの。
ありがとう。
あれなんですけど。
いや要はだから僕、
新書とかルポとかも色々読むんですけど、
坂爪さんの本って、
岡田さん、若田さんの話の中であった
一気読みの感覚
3つの役割を1人の坂爪さんがやられてるっていうところも
関わると思うんですけど、
単なるルポでもないし、
研究者のある種の論文の書籍家でもないし、
企業家のビジネス話でもないというか、
今言った3つがガシッと組み合わさって、
かつ絶対一気読みなんですよね。
そう言ってたけど本当に。
一気読みって言ってたけど。
本当にだから読み始めると、
絶対坂爪さんの本って一気読みで、
かつ読んでる間、
何て言うんですかね、
独特のこれ後でも言いたいんですけど、
没入感覚というか、
面白い本って読んでる間って、
ずっと幸せというか、
すごい没入してると思うんですよ。
でも永遠続けばいいのにというか、
ずっと読んでたいみたいな感覚というか、
だから坂爪さんの本が仮に僕、
峡谷夏彦並みの分厚さでも、
僕は読むと思うんですよね。
一層の折りぐらいの分厚さでも読むと思うんですよ。
今度出しますよ。
本当に分厚い本どんどん出して欲しいんですけど。
ありがとうございます。
なので、そういう意味でも単純に、
より多くの人に読んで欲しいなって思っているので、
今回ちょっと新刊が出られるっていうことで、
ちょっとお声掛けさせてもらったっていうところが大きい。
もともと僕何冊か読んでる中で、
社会課題に対してのアプローチが似ているなっていう風に思う
当店がいくつもあって、
社会課題へのアプローチ
例えば要は現場、
僕も社会企業家向けのシェアオフィス併設の法律事務所っていう意味では、
自分の伴奏する相手の近くに自分の拠点を置いてしまうみたいな、
それってフーテラスの発想と似てるし、
その目の前の社会課題を二項対立で捉えない、
要するにそういう単純な支援者・非支援者とか、
加害者と被害者とか、
そういう二項対立では成立しないっていう。
さらに言えば解像度を上げていく。
目の前の社会課題の解像度を上げていく。
いわばそこに当てる物差しの、
例えば世の中のメモリーがすごい荒いメモリーだったら、
物差しをすごく細かくしていくとか、
要は課題に対して当てる物差しを細かくしていく作業。
僕もそれこそ事務所のホームページに、
世界の解像度を上げていくって書いてあるんですけど、
社会課題に関わる人の、
要は持ってる物差しはみんなバラバラで、
目がバラバラな時に、
例えば人とかお金とか、
例えば制度とかを作る人たちの物差しも荒かったら、
そこから導かれる施策とかも荒いし、
費用対効果がむちゃくちゃ悪いものに、
お金が投下されたりっていうのが起きちゃうから、
社会課題の当事者中間支援制度を作る、
いろんなステークホルダーいるけど、
みんなの解像度、
社会を見る目の解像度を上げていくっていうことを、
一つソーシャル配布としても、
弁護士の僕としても、
課題を掲げてるんですけど、
そこはすごい共通のものを感じる。
しっかりそうですね。
これは言語化されてこなかったものを、
きちんとみんなが理解できる形とか、
ある程度共感も含めて、
読んで、そうなんだって思ってもらう形で、
本として出していくというところだと思うので、
自分もすごい同感ではありますね。
本当にそれを言い換えれば、
何か西風族っていう入り口があって、
何か特定の事案、
例えば子供を放置した西風族での
従事のしてる方が自分の子供を放置して、
子供が亡くなったとか、
あるいは被害者、加害者の刑事事件が起きた時に、
入り口としての西風族というテーマと、
一つの事象としての事件の間には、
たくさんの本当は論点みたいなものが、
多層的に重なってるのに、
でもそれを一足飛びでというか、
本当はめっちゃ細かく飛び石を渡っていかないと、
向こう岸に渡れないはずなのに、
それをすごく単純化して捉えようとする、
ある種のバイアスとか思い込みが、
世の中あふれてるし、
かつみんなやっぱりすぐ答えに飛びつきたがるというか、
しかも正解がありますから欲しいって思っちゃう。
これそれこそ我がさんともよく話す、
もやもやを保持する力みたいなものが、
弱まっているとか、
あるいはなかなかそれが育まれる場がないみたいな、
答えをすぐに出さずに立ち止まってみるとか、
ただただ悩んでみるみたいなことを、
みんながやらずに、
何かしらすぐ答えに飛びつこうとしちゃう。
でもそれを、何て言うんですかね、
自然に高森さんの本を読んでると、
そこの間の細かい飛び石が見えてくるっていうか、
読んでるうちに別に、
もやもやを我慢することがしんどいっていうんじゃなくて、
心地よくなってくるというか。
それはすごくありがたい、こういう言葉だなと思っています。
だからそういう意味で、
坂熊さん、ご注意書をたくさん出されてますけど、
この坂熊さんの本をいろいろと読んでいくうちに、
間にある多層的な論点を、
考える癖が自然についていく、
じゃないかなって、読み手の側が。
っていうのはすごい思うので、
もちろん一冊一冊見ると、
良書だっていうコメントとかがAmazonとかに入ってますけど、
他も是非複数冊、
一冊のみならず、
読んでほしいなっていうところがありまして、
これ以外にも
お声掛けした理由はあるんですけど、
ちょっとそこを含めて、実は今日、
今この場でスライドを画面に出してるんですけど、
スカツメシンゴの新書はなぜこんなに面白いのかについて、
スライドを作りました。
それに沿ってというか、
いかに面白いか、
単純に読めと、みんな読もうぜと。
読もうぜと。
ただ時間内に収めるのが難しいので、
ちょっと事前にスライド作ってきました。
ちょっと3つほど話したいなと思いまして、
1つ目はですね、
スカツメシンゴは逃げない。
いいですね。
しびろはんは動かない。
スカツメシンゴは逃げないっていうところで、
きれいごとじゃないものをきれいごとじゃないままに
表現しつつ、
でもそれでも理想を語るっていうことは、
坂爪真吾の執筆スタイル
やっぱりさっき言った3つの役割を
全て持っていらっしゃるからできることかなと。
しかもこの手のある種の
潜入ルポ系とか、
あるいは人文社会系の研究者の方が本で出す場合って、
問いかけっぱなしとか、
確かに投げ壊した時期ありますもんね。
語りっぱなしとか、
あるいは扱うテーマがセンシティブであるがゆえに、
著者自身の思う答えみたいなものは
あえて書かない、書けないみたいなこと多いと思うんですよ。
もちろん何か特定の事件を
追っかけてるルポってあれば、
それはもうありのまま書くだけでもすごいヒッチのものとか、
迫力のある優れたルポたくさんあるんですけど、
スカツメさんは一つの事件にというよりは、
いろんな方の話とか、
あるいはいろんな正ビジネスの話を
横断的に書いた上で、
最終的に必ず自分なりの答えを書かれるじゃないですか。
そうですね。
そこは結構こだわってます。
やっぱりこだわってらっしゃる。
そこがないと、こうやって何が言いたかったのになるじゃないですか。
ただ分析並べて終わりとか、
当事者の方に並べて終わりになっちゃうと、
自分的にはうまく納得いかない部分があるので、
現時点でベストではないけど、
答えはやっぱり書くべきだとは思ってますね。
それって出筆作業の時に最初から見えてるんですか?
それとも書いていくうちにたどり着く感じなんですか?
初めから見えてる場合って、
大抵つまんない感じになっちゃうので、
やっぱり書いてる中で見えてくるのが一番面白いかなと思う。
今回の風景のその後の本も最後結構境界線的な話になってるんですけど、
あれもインターネットの中でやっぱりそういう話がいっぱい出てきて、
それをヒントに発想した部分があるので、
どっちかというと演劇的より機能的な方に
結論が見出してくるような、面白くなるような気がします。
本としては。
現場で見ていく中でっていう意味では、
新刊の特徴
例えば御著書のパパカツの社会学とか、
西風族の歪な現場とか、
これって割と御著書の中では初期の方だと思うんですけど、
これって割といわゆる
潜入ルポ系に近いじゃないですか。
具体的な事案的なものがバーッと書いてあるけど、
後半とか終章、終わりの章とか後書きで、
僕は一気に坂爪さんなりの
整理とか答えみたいなものがバーッと書かれてる。
そこが本当にある種気持ちよくて。
スカッとする。
前半の割り切れない現実とか、
現場をどう捉えたらいいんだろうとか、
どういうふうに自分の中で
ひとまずしまうというか、
良いんだろうって読み手として思った
ぼやぼやに対して、
本当に綺麗にというか、
きちんと真正面から答えてくれるっていう
その在り方がミステリー小説の
解決編に近いというか。
そこはあんまり意識しなかったけど、そうなったら本当に嬉しいですね。
ただ問題提起して終わりってのは、
確かに今逃げになっちゃう部分があると思うので、
こんな大量な現実があるよねって終わりってなってくるのは
やっぱつまらないかなと思うので、それを踏まえた上でどうするかっていうのは
自分もゲームの人間なので、
そこはやっぱり意識してますね。
このパパカツの社会学とか西風読に微塵な現場を
読んだ時に坂爪さんにメッセージで
すごいこういうところが面白かったですっていうのを送った時に、
特に終章とか後書きがあって、
こういう坂爪さんの
ある種坂爪節じゃないですけど、
坂爪さんのこういうのをもっと読みたいですっていうのを
そこで書いてた中で、直近の
体を売る彼女たちの事情とか風俗上のその後は、
割ともうそういう坂爪さんなりの
お考えが前編にわたって書かれてるので、
よりこれまで以上にすごく面白いニュース
よかったよかった。
ある意味この
体を売る彼女たちの事情、自立と依存の西風俗って
これは割と過去の本の
終章とか後書きに書くようなことが
もう最初から前編にというか、
間々にずっと書かれるっていうスタイルになってて、
さらに新刊の風俗上のその後に関しては、
逆に当事者の声を
ここまで紹介するっていうのは、これまでやってこなかった
ここら辺のある種の
諸々のスタイルの変遷みたいなところは
何かお考えとか意図とかあったんですか?
いくつか
西風俗のいびつな現場的な
結構いろんな情報をリポート的に詰め込んで
最後の最後でお一つきみたいな話ですね。
あれもすごくいいんですけど、
体を売る彼女たちの事情ですね。
支援者の声であったり、ゲーマーの声を
振りまぜて構成していくっていうのもあったんですが、
そういった形式も今までやったので、
当事者の声ですね。多分読者が一番見たいのはそこだと思ったので、
当事者の声を基本的に最初最後にバッといっぱい並べた上で、
分析と数字を入れていくっていうのが
一番刺さる形になるのかなって思って、
今回はここで組み出してみた部分がありましたね。
社会課題へのアプローチ
特に今回の新刊の風俗上のその後みたいな
このスタイルだと、
当事者の声、数字、坂爪さんの論みたいな
っていった時に、
一事例とか数字のところになると
ある種の面白さというか、
表現としての余白がなくなるがゆえに
面白くなくなりそうな面もある中で、
本当に最初から最後まですごく面白かったんですよ。
そういう意味では、
坂爪慎吾は逃げないのところに書いてある
頭から尻尾の先まで言語化しきるっていう
あんこの詰まったたい焼きみたいな。
坂爪さんの本って、
冒頭から終わりまで
押し付けとか断定とか
誘導がないのに、
ずっと数字が通ってるんです。
僕それってすごいなと思ったんですよ。
目の前にある課題の
都合のいいところだけつまみ食いすれば、
書き手の都合のいいストーリーというか
一本のラインって引けるじゃないですか。
そうですね。
そういう本って、
わりと読み始めてからすぐ分かっちゃうんですけど、
坂爪さんはすごい読みやすくて、
ずっと飛び石みたいに
止まらずに一気読みなのに、
その姿勢がわざとらしさがないというか、
すごくフラット。
僕は最後まで見えた上で書いてるようにも
読めたので。
そういう意味では行き着いて、
例えば今回教科編って言葉が出てから、
頭から書き直すとか手入れるみたいなことはあるんですか?
確かに結論が見えてきたら
それに合わせて、
若干微調整するってやっぱりそこはありますね。
実際に書いてる中で。
しっかり伏線がうまく決まるような形でちょっと回ってくる。
そういうのは確かにありますね。
基本的に大幅には変わらないんですか?
そんなドカンと変わることは今まであんまなかったですね。
それはすごいな。
それはすごいです。
アクション的な側面も持ってるというか、
物語というんですかね。
読み手に一つの体験を提供している感じがあるというか。
そこは多分結構編集者の
教えてもらったり、
大学のゼミの論文のやつとかで結構学んだ部分があるのかなとは思うんですけど、
問いを立てて、
その問いをどういうふうに解くのかっていうのを見せていくみたいな感じですよね。
本と構成としては。
情報とか仮定とか流れの中で、
こういうふうな情報があって、こういうふうな声があって、
こういうふうな結論を出していくんだねというような仮定が出ることができれば、
それだけで一つのエンタメっぽくもなりますし。
そうですね。
それはまさにエンタメですね。
風俗のいびつな現場はわりとその辺を意識して書いた部分はありますね。
今回はその後の本も
風俗とはそもそも何かという問いを一番初めに何ら投げたりとか、
目の前にどうすればいいかという問いを投げて考えていくみたいな形で進んでいるので、
基本的に自分は問いを立てて、
仮説を立てて、
それをうまく立証していくみたいな感じで書くことが比較的多いのかなって感じ。
そういう意味では研究者っぽいですよね、確かに。
でも同時にその仮説検証っていう、
仮説を立てて検証っていうスタイルは起業家的でもありますよね。
そうですね。
基本的にPD、CSI系の人材を回すみたいな感じもありますしね。
ソーシャルハイブ、ウェイティングカフェ、天霊の子。
新しい当たり前をデザインする実践者たちの日常。
一つ目、逆詰め信号は逃げないっていう話。
これ、締めがうますぎとか、
指摘すぎ問題っていうふうに、
問題って別に問題じゃないんですけど、うますぎだろって思うんで。
結構やっぱり締めもセーフ考えますね。
アドバイスの最後とか一番最後の章の一文とかっていうのがやっぱり、
あれこれ、うむうむなって考えたりとかしてますけど。
いや、だって、この体折る彼女たちの事情とか、
要は答えは風の中に舞っているって、
風俗の風と風がかかってるんですよ。
ヤバくないですか?
ボブジェラン・ティナシオとか。
それぞれの本の締めも本当に秀逸なので、
皆さん読んでもらえると最後まで気持ちよく読めると思うんですけど。
3つ準備してきたもので、
2つ目で言うと、
私たちの解像度を上げるっていう、
私たちっていうのは読み手というか、
これさっきも話しましたけど、
やっぱり社会課題の場合って関係者の解像度が低いと、
そこらから導かれる行政の施策とか、
企業の取り組みとかも荒くなっちゃうし、
費用対効果もすごい低いものになりがちだと。
だから分かりやすさとか単純化に抗うみたいな、
そういうこととか、
あるいは分かる分からないじゃなくて、
一旦立ち止まるみたいなこととか、
その辺とかはやっぱり意識されてるところですかね。
そこ完全に大学の社会学にはいけるですね。
社会学自分が結構ハマってたので、
基本的に二項対立を否定する学問みたいな部分があって、
基本的にそのものとの前提を疑って相対化していく、
っていう風なアプローチを取るような学問でもあるので、
だから基本的に分かりやすい図式とか、
単純化をバッサリ切るみたいな、
そういうところが社会学の影響かなと思います。
答えとか安易な処方箋を求めないみたいなところっていうのは、
本当に読んでいて、
ほぐれていくというか、
自分たちの思い込みもほぐれていく感覚があるというか。
解像度を上げるっていう意味では、
僕がポッドキャストを収録した会で、
エキストラ会議っていうのがあるんですけど、
そこで四証言の話っていうのをしたことがありまして、
言語章、言中章、
真中章、真語章っていう、
現場の課題があって、
社会課題に対するアプローチ
その課題が何で起きてるかって考える作業って、
言語章に対して言中章じゃないですか。
例えば政府属の領域で、
例えば偏見があるとか、
すごい傷ついてしまうみたいなことが起こってる現場に、
偏見をなくすにはどうしたらいいかとか、
あるいは政府属に関しての法律制度をどうしたらいいか、
みたいなことは言語章に対して言中章だと思うんですけど、
それに対して坂戸さんのアプローチって、
今あることが良い悪いとか、
どうすべきっていうのは、
言語章に対して言中章、
今あることが良い悪いとか、
どうすべきっていうのは、それは議論としてはある。
でも現にも、例えば苦しんでる人がいるとか、
現に政府属を辞めたい人がいるっていう時に、
その人にどういう制度が、
何、伴奏の仕方があり得るかとか、
どういうロールモデルを示すか、
みたいなことは、
例えば性の領域におけるジャッジを置いといて、
それはそれとして、
今目の前のもののために、
どういうことがあり得るかっていうことを、
ある種真中章を考えて、
シング章、こういう取り組みがあって、
だからそのアプローチが、
すごく僕が意識してるアプローチとかとも近くて、
余計にやっぱりだから、
すごい共感するなっていう。
そこは社会学で、
社会学って基本的に価値判断を脇に置くんですよね、
目の前の現象に対して。
研究者がその目の前の現象に対して価値判断しちゃったら、
そこで研究が終わっちゃうので、
ジャッジをしてなくて、
自分の発想は脇に置いといてっていうアプローチが多いので、
その影響はすごいあるかなって思いますね。
なかなかそれをフラットに実践し続けて、
一つ目さんの本を読んでて、容赦ないなというか、
ある種、なんていうんですかね、
緩みもないというか、
自分にも厳しいというか、
本の中でのある種、
なあなあ感がないというか、
今のある種の社会学的なアプローチを、
徹頭徹尾に貫いてるっていうところを感じるんですけど、
そのジャッジを横に置いておくっていう意味では、
例えば昨日の僕、
アベマフライムの見させてもらったんですけど、
まさにあそこで起こってたような議論が、
ある種、象徴的だなというか、
だから結局、
政府属の領域に関して是非とか、
偏見みたいな、
でもそれはそれとして置いておいて、
セカンドキャリアについてどう考えるか、
っていう話を本来すべきところが、
偏見という言葉をテーマに、
それこそ空中戦的な話になってしまうというか、
どうしても偏見って一緒に、
マジックワード、
スティグマとかってこともあるんですけど、
だと思って、
そういったマジックワードを使った社会課題を、
言語化しちゃうと、
そもそも偏見って何?っていうのもあるし、
当然数値化できないし、
計量も比較もできない偏見ってそもそも、
何をどうすれば偏見がなくなったかって言えるのかって、
当然何も言えない部分があるので、
空中戦やってても仕方ないなっていうのは、
本当に昔から思ってましたね。
どうしても社会課題って空中戦が多ければ多い領域であるほど、
解決が遅れてるところが確実にあるので、
本当に昔から空中戦ばっかりやってた領域ではあったので、
そこはちゃんとそういったものを全部吹っ飛ばして、
現場の声ですよね、困ってること、焦点を当てて、
議論の難しさ
そのための支援やっていくっていう、
一緒にこれまでのアンチ的なスタイルでやってきたっていうのはやっぱりありますね、
自分としても。
そういう空中戦とかマジックワードが使われれば使われるほど、
解像度は荒いままというか、議論が深まらない。
そうなんですよね。一方に深まらないんですよね。
パチパチやってるだけになっちゃうので。
おっしゃる通り偏見っていう言葉の意味自体が人それぞれ違うし、
かつ、ああいう議論の中で
金塚さんは本当に現実を捉えた、
すごい対話をされてたなという風に感じたんですけど、
偏見をなくすなんていうのは
例えば無理なのは、
例えば情報格差によって起こることであれば、
これから生まれてくる子どもたちとか、
若い人たちっていうのは、当然情報の格差があるわけだから、
情報の格差が生まれ続ける以上は、
それこそ風俗が当たり前の家かそうじゃないか、
みたいな話を金塚さんされてましたけど、
要するに知ってるか知らないかで偏見が生まれるっていうのは、
本当にその通り古史的の通りだなって考えてると、
そうするともう全員の認識を揃え続けるなんてことが
無理な以上は偏見ってなくならないわけなんですよね。
そう、そうですよ。
にもかかわらず偏見っていうキーワードを
テーマにしちゃったもんだから、
その風俗の業界に入る、
知り合いが入る、家族が入るって時に、
自分だったら止める止めない、
それは偏見か否かみたいな議論。
業界に入るっていうことの話にすり替わっちゃってましたけど、
昨日のテーマは業界から出る人とか、
出たい人に関してどうするかってあって、
入ることの是非を論じる場ではなかった。
むしろ逆にそれを置いておかなきゃいけない場だったのに、
それがテーマで時間いっぱい使われちゃってましたよね、ほぼ。
金地下さん以外の方が。
だからやっぱり横に置くって難しいんだよね、
自分の立ち判断を横に置くってのは非常に難しい、
誰にとっても思うので。
あともう一個、すみません、
昨日のアベプラが象徴的だったんで、
もう一個出席されている方とかで、
政府属の従事者に対してリスペクトがあるんだとか、
そのケアっていう側面があるんだとか、
っていう言葉も出てましたけど、
それも僕、ある意味ジャッジが入ってるなと思ってて。
まあ確かにそうですね。
特に僕リスペクトって言葉を出す、
政府属に関してリスペクトって言葉を出す男性の発言ってすごく荒いなと思ってて。
やっぱり、
政府属に対して偏見がないからといって、
その反対側がリスペクトって言っちゃうっていうのは、
行き過ぎっていうか、
あえて、
私はリスペクトっていう価値観を持っている私です、
みたいなことをアピールしているように僕は正直見えちゃうというか、
もちろんそういう価値観を持つ人たちも多いし、
そういう人たちが、
僕はその偏見でもなくリスペクトでもない、
その間っていうか、
なんでもっとフラットに見れないんだっていうふうに思っちゃう。
そうですね。
非認でも公認でもなくて、
要認っていうのも自分の言葉を使うんですけど、
そもそも皆さんが非認かリスペクトっていうのを言っちゃうと、
どっちかにやっぱり触れちゃうじゃないですか。
なので、
そういう中庸を辿るってなかなか確かに大変かなって思いましたね。
男性の側がリスペクト、
それこそ今回の補聴書の中で、
風俗上のその中にも、
辞めた方が現役の方とか自分の過去の先輩を尊敬しているとか、
今も応援しているとか、
坂爪の著作の魅力
気になるって発言出てくるじゃないですか。
当事者同士が自分とか当事者をリスペクトしているとか、
尊敬しているっていうのは分かるっていうか、
それはある種尊厳に根付いた発言だと思うんですけど、
それは何か関係者でもない、
特に男性の側が、
例えば性的サービスをいわゆる享受するという性質を持っている、
男性の側が、
その議論をリスペクト、
彼女たちみんなをリスペクトしているんですっていうことを、
自分の論の入り口にすることの危うさとか、
もしくは、
もちろん、
場に出ていた通り、
古代ギリシャローマの時代から、
生産業というのがあって、
かつ古代ギリシャローマの時は、
生産業に従事する女性が、
ある種リスペクト対象だったっていう風に、
例えば、
アイザック・アシモフとかの本で書いてたりとかするので、
ある種はそういう側面とか、
文化的な意味合いはあると思うんですけど、
でも、こと昨日の場はあくまで、
セカンドキャリアを論じる場だったのに、
何かこう、あえて、
ネガティブ、偏見でもなく、リスペクトでもなく、
フラットにっていう議論が本当はなされるべきところだった、
だろうなと思いながらちょっと見てたというか。
最後、ソーシャルワークというその人、非審判的タイトルですよね。
ジャッジを置いておく。
いや、なので、
逆に言うと僕も、いわゆるさっき言った4省限的アプローチ、
言語省、言中省から新中省、
新語省っていう、これがもうなかなかできない、
難しいからこそ、
このアプローチで社会課題とか、
みんなの解像度を上げていく、
それこそ線を引き直していくということかもしれないですけど、
それはすごい重要だなっていうのは思っています。
最後3つ目で没入的読書体験っていうのを、
なぜ坂爪さんの本が面白いのかの
3つ目の理由で挙げてるんですけど、
本当に言語化がすごいのと、あと一つなぎの文章っていうのは、
ワンピースの大秘宝じゃないですけど、
本当に坂爪さんの文章って、
この手のルポとも違う、
研究者の論文の書籍家とも違う、
相場な的に書きました、みたいな本とかあるじゃないですか。
ありません、確かに。いろんなものを詰め合わせになる。
でもその感じがないんですよね。
本当にさっき言った通り、頭から尻尾の先まで
全部きちんと繋がっていて、
それが独特のリズム、
文体とか文脈の独特のリズムになるなと思ってるし、
基本的には全部繋がってるからこそ、
切り取りを許さない本というか、
相場な的な本とかルポ的な本って、
一部分だけ取り上げるみたいなことは簡単じゃないですか。
詰め合わせみたいな本だから。
でも坂爪さんの本って、切り取れないんですよね。
どの部分に着目しても、
それが前と後ろに繋がっているので、
容易に切り取れないっていう強固さを持ってる。
炎上しがちな世の中の中で、
このある種の
ロジック自体が、
炎上リスク回避になってるなというか。
それは非常にありがたいご指摘というか、
フーテラスも自分一回も炎上しなかったのは自慢というか、
生活の中で自然にやってて、そこはあるので。
だから基本的に自分の持論ではないとか、
紙って意外と燃えない、紙の本って、
そんな燃えない部分があるっていうのはあるんですけど、
基本的に炎上ポイント、地雷を踏まないような形、今設計したところはありますね。
しかも、
読んでるとフィールドワークって話が、
岡田さん岡さんとの話の中で出てましたけど、
自由な読書体験の重要性
それを追体験させてもらってるっていうか、
ある種ツアーを一緒にしてるみたいな、
感覚に慣れるっていうところが面白いなっていう。
だから、その意味では読みやすさと、
すごい濃度が両立してるというか。
ありがとうございます。
自由的読書体験っていうところなんで、
ぜひ分厚い方のアーティストになってくださいね。
絶対東京読売社分厚い方になってるように頑張ります。
岡さん、お二人の話を聞き耳を立てて聞いてみましたけど、
いかがでしたか?
聞き耳を立てて聞いてみて思ったのは、
社会学がベースにあるっていうのは、なるほどなって思った。
あと、
二項対立をそうじゃないものとして考えていくっていうのも、
そういうふうに考えることができるのかって思ったし、
あと、偏見の是非っていつも、
いろんな炎上案件にいつも出てくるような気もしてて、
偏見があってはいけないって思ってる人がすごく多いし、
でも、私の中にもいろんなうちのある偏見っていうのはあるし、
あったうえでどう思うかっていうのを、
問い直していくみたいな作業みたいな、
そういうのがあって、
そういうのがあって、
問い直していくみたいな作業みたいなことを、
自分の中でしたり、
あとは誰かと話して、
それを、もちろん否定しない人を選んでですね、
話していくわけだけど、
そういう丁寧な問い直しみたいなことができたら、
きっともうちょっと、
まっすぐに燃えないっていうのかな、
ゆったりはないっていう、
しょうもないような、
言葉の議論みたいなことではなくて、
どうやって考えていったらいいのかなって、
時間をゆっくり刻めるような気がしたんですよね。
確かに。
ジャッジメントせず、一旦あるよねって言って、
受け止めて考えるみたいな。
それに何か言ってほしいわけじゃなくて、
そう思ってるんだねって言ってほしいぐらい。
で、それってどういうこととか、
話を広げたり、深めたり、
違う話したりとか、いろいろあると思うんですけど、
なんか偏見が悪いものなのかっていう、
疑問とか、議論とかがないなって。
すごく偏見すらもフラットに捉えるみたいな、
そういうものもあるよね、みたいな。
あるでしょ、みたいな。
大事なことを、自分の中に問いかけるチャンスにも、
なってるんじゃないかなと思ったりして。
確かに。
それが、ある種の逃げないみたいな、
一つの姿勢なのかもしれないですね。
そんな気がしました。
事実を積み重ねていくってことは、それだし、
それに何か脚色しないっていうのも、そういうことなんだろうし、
でも自分の意見を言うってこともやっぱり大事だし、
上とか下とかじゃなくて。
思ったのは、ホールドして持ち続けることによって、
勝手に解像度も上がっていくのかなとか、
いうふうにはちょっと感じましたけどね。
だから、まず持ってみるみたいなのは大事なのかなっていうふうに感じました。
そうですね。聞き耳。
引き続き聞いてみましょうか。
偏見についての問い直し
今回カフェに立ち寄ってくれたのは、文筆家の坂爪慎吾さんでした。
ご著書のご案内は、ぜひ概要欄をご覧ください。
概要欄からは、ソーシャルハイブ本郷を運営している
小野田総合法律事務所のホームページもご覧いただくことができます。
また、番組のお気に入り登録やフォロー、
SNSのアカウントのフォローもお願いいたします。
そして、番組ではお便りを募集しています。
概要欄のお便りフォームから、感想やご質問をお寄せください。
明日はどんな自分をデザインしますか?
それではまたのご来店、お待ちしています。
42:31

コメント

スクロール