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【特別編】済東鉄腸×本の虫のススメトークショー
2026-09-12 55:17

【特別編】済東鉄腸×本の虫のススメトークショー

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映画ライター、作家の済東鉄腸さんをゲストにお招きした公開収録の模様をお届けする特別編。新刊『生まれるのも生きていくのもめんどくさい 超訳シオランの言葉』を軸に、3人が熱く語ります。



【紹介した本】

・済東鉄腸「生まれるのも生きていくのもめんどくさい! 超訳シオランの言葉」飛鳥新社


【よりぬき】

・超悲観主義シオラン
・落ち込んでいる時にドス黒い本を読む
・象牙の塔から日常へ引きずり下ろす試み
・病気は才能、可能性
・絶望をシャツのように取っ替える
・本の使命は読者の魂に傷をつけること
・済東鉄腸さんにとっての無力感とは

感想

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サマリー

この特別編では、映画ライターで作家の済東鉄腸さんをゲストに迎え、新刊『生まれるのも生きていくのもめんどくさい 超訳シオランの言葉』を中心にトークが繰り広げられました。済東さんは、自身の引きこもり経験やルーマニア文学との出会いから、超悲観主義者として知られるエミール・シオランの言葉を独自の「超訳」で紹介するに至った経緯を語りました。シオランの難解な思想を、自身の経験や軽やかな文体を通して一般読者にも伝わるように工夫した本書は、読者の魂に傷をつけることを使命とする本のあり方を体現しています。また、病気や絶望といったネガティブな要素を、可能性や才能の源泉と捉え直す済東さんの視点や、哲学と自己啓発の関係性についての考察も深められました。本は読者を挑戦させ、魂に傷を刻みつけるべきという考えに基づき、済東さんの「無力感」というお気に入りの「絶望シャツ」についても語られ、人生を生き抜くための軽やかな姿勢が示されました。

オープニングとゲスト紹介
それでは、済東鉄腸さんと本の虫のススメ、ススメと本の虫のススメ、トークショーを始めさせていただきます。よろしくお願いします。
一応、初めて聞いた方のために、本の虫の説明、本の虫の説明じゃない、本の虫のススメの説明をさせていただきたいと思うんですが、
本の虫のススメは、生物学者の椿さんと書店のサトゥーがやっている読書系のポトキャストです。
結構、来てくださっている方は、聞いてくださっている方も多いかなと思うんです。ありがとうございます。
雨なんですが、来ていただいて本当にありがとうございます。
お金がやばくなれずに着くのに。
そうですね、予報がちょっと危ない予報があるので、皆さま気をつけて、皆さん、やばそうだったら、もうダッシュで帰ってもらいたいと思います。
足元が危ないから。
ダッシュ危ないから、足元気をつけながら帰っていただいて大丈夫ですので、よろしくお願いします。
今日はちょっと特別バージョンということで、斎藤店長さんにお越しいただいているんですけれども。
ありがとうございます。斎藤店長と申すものです。エッセイストをやらせていただいております。
もうね、自己紹介というよりね、たぶん3冊の題名を言えばいいと思います。
はい、1冊目言います。
1話からほとんど出ない引きこもりの俺が一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話。
30年。30年の道筋がこの50字にぶち込まれております。
50字なんだ。
そうそうそうそう。50字ぶち抜き暗記に。作者にすら暗記に1年かかった。
で、こちらね、2冊目。
クソったれな俺をマシにするための生活革命。
俺としてはこっちも入れたいね。脱引きこもり中の引きこもり。男らしさを考え直してたら人間として生き直すことになった。
これがここから脱引きこもりして2、3年の道筋を描かせていただき。
そしてこの裏側で同時進行させていたのがこの新作。
生まれるのも生きていくのもめんどくさい。蝶躍しおらんの言葉という本を7月に出させていただき。
そこでもう結構な、もう2年?
2年くらいになりますかね。
の、ほんと親友である2人。
嬉しい嬉しい。
そうそうそうそう。トークショー開かせていただき、ほんとありがとうございます。
こちらこそです。
こちらこそありがとうございます。
イエーイ。
済東鉄腸と「本の虫のススメ」の出会い
イエーイ。
そう、もともとね、私がてっちょうさんのこの通称を。
しばる。
しばる。
50字長いんで。
読んで、すっごいほんとに衝撃的に、頭殴られるような面白さの本だったので、すごい熱く紹介させていただいて。
この虫のすすめでね、紹介して。
それを当時YouTube登録者数30人くらいだったんですけど、その30人のYouTubeをエゴサーして。
そう、私ね、Twitterもね、インスタもね、エゴサーしまくってましてね。
そのエゴサーをしていたら、2人の本の虫のすすめで、つばきさんがこのしばるを熱く語ってくださってる。
のびて、これは面白い、最高、ありがとうございますとなったわけなんですけども、
その後に、それで本の虫のすすめっていうのが、生物学者さんと書店員さんがやってるという、なかなか生物学者の人が読書、ポッドキャストやってるっていうのは、結構珍しいんで、へーって思って。
で、その紹介文を見たら、このかいめんすてきなすかすかというね、本を書いてらっしゃる人で、
で、俺まさかの、これ読んでました。出た時に読んでたんですよ。
だから2021年8月5日か。出たあたりで普通にこれ読んでまして。
多分聞いてくださった1、2年前ぐらいにもう読んでくださった。
そうそうそうそう。
だから結構これが出て、8月とか、これ8月に出たんですけど、その月ぐらいに読んだよっていう、読んだよっていうかもっと熱いツイートをしてくださってね。
ツイッターにね、読みましたっていう感想ツイートを残してまして、
そんで感動してそれを寄りツイートしながら、うわーこんな縁ができるとはみたいな。
それでもう普通に友達になって、そんなもう本当に普通に出させてくださいよって、俺から直談判して。
ありがたいことに、へー番組のゲストは挙手生という。
すごいね。何様だよっていうのが本当にありがとうございます。
ポッドキャストの良いところはそういうのじゃないですか。
でもそうかもしれない。繋がりがこうやってできて。
Xでまさかのゲスト出演出させてもらいたいですって書いてくださって。
ダンパーで。
これってしゃこじだよね。
そうそうそう。
こうやって本気にしていいのかなみたいな。これを言ったら逆になんか、いやそんな顔になかったみたいな。
いや全然全然全然。俺はガチです。
いやそう思って、でもでも勇気を出してね、声をかけてみたいですよね。
そんでこの本を書いたのが千葉県の市川市にあるショッピングモールの日記コルトンプラザってところの風のコート、3階の風のコートなんですけど、
そこで丸亀生命をすするサラリーマンのすする音を聞きながらこの本を書かせていただいたわけなんですけども、
もうそこ来てくださいっつって。
そうそうそう。
2人来てもらって、そこでポッドキャスト収録をね。
スターバックスでね。
そうそうそうそう。
めっちゃ濃い話を。
そうそうそうそう。
69回周辺だったと思うので、まだ聞いてらっしゃらなかったら、よろしければ。
ぜひぜひぜひ。
そんでもう普通にそこからね、友達になりまして。
で、そこで本屋の書店巡り、例えばこの本で出てくる、
代々木原の、代々木原ってところのシティライトブックっていうバー券書店のほうに行ったり、
で、他にも、ここ丹町ですけど、周りのいろいろな書店さんが。
生活つづり方さんとかいろんな書店さんがあるんで、そこを巡ったりとか。
そうね。
で、しかもここのよにげ書房をオープンする前に、物件を探してた時に、
この丹町にちょっと気になる物件があるから見に行くんだ、これからって言って、
で、一緒にてっちょさんを。
そうそうそうそう。この前に行ってたんですよ。
写真あるよね、まだ。
そうそうそうそう。
ここ元ガレージなんですけど、そこがまだ、大谷さんがガレージとして使ってらっしゃった頃の写真がね、残ってるよね。
そうそう。
人のサイズそのぐらいか、てっちょさん立ってください、とか言ってたんですよ。
言ってたな、その前。
またね、内県も行く前に、丹町っていう町を全然知らなかったから、
内県に行くかどうかをまず決めたいね、検討したいねっていう時に、
一緒に。
そうそう。
まさかの。だからよにげ書房ができる前から。
前から来ました。
そう、伺ってもらってる。
そんでね、行ってからね、そっちのジョナさん行ってね。
そうそうそうそう。
でもここができたら、俺絶対にトークショーやらせてくれと、やりたいと、何でもやるんでっていうことを言ってたんですけど、
とうとう実現しましたね。
本当に。
したよ。
ありがとうございました。
新刊『生まれるのも生きていくのもめんどくさい 超訳シオランの言葉』の制作背景
私たちだけじゃね、でももちろんてっちょさんもですけど、来てくださる方あっても、
本当にトークショーですので、本当に今日すごい雨の中。
雨の中。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
というわけで、てっちょさん、身長、生まれて、あ、ごめんなさい、生まれるのも、生きていくのも、めんどくさい。
省略しおらんの言葉ですよ。
です。書いたよ、本当に。書きました。
どんだけ書かったんでしたっけ?
7月出たんですけど、その前か、さかのぼって2年半。
だから、2024年の1月か、企画書が届いたのは。
だから、2人が日記来てくれたの、いつだっけ?
いつだっけ?
2024年の6月、7月。
持っとけよって言う今日の話。
そう、でも出会った頃にはもう企画があった。
もうこれの企画をやってまして、
さっき言ったフードコートで、しおらんっていう人の言葉をいろいろ集めて、
どれを紹介するかみたいなのをやってたのは、本当にそこからやってまして、
いや、長かった。
いや、でもこれ、本当に、何?すごい?すごいって、めっちゃ語彙力が。
急にないんですけど。
いつもの本物のやり方で紹介して、やってくださいよ、この本は。
急にすごいね。
いや、でもなんかね、実を言うと、
私、張役ってちょっとなんか、本当に正直に言うと苦手意識があったんですよ。
なんていうか、やっぱり単純化することで、失われるものってすごい迷惑とかあるよなっていうのがあって、
ちょっとだから、てっちょうさんが張役やるって聞いたときも、ちょっと最初、うえっって思ったんですよ。
そこまで?
そうなんだ。
そこまで。
いや、でもね、すごいびっくりしたのが、
これ、けっこう想定とか、中のデザインとかもめちゃめちゃ凝ってて、
それ自体で、所有欲をそそる本でもあるんですけど、
表紙自体もめっちゃ、しおらんっていう、けっこう重厚性のある。
そうね、本当に文学的な。
しおらんがそもそもあれですね、反出生主義ですね。
生まれてこないほうが幸せだったんだ、人間はっていう、
すごいネガティブを超えたネガティブみたいなことを考えてる。
あれだ、ちょっとしおらん紹介するから。
そこか、はい。
しおらんっていうルーマニアの哲学者、反哲学者、思想家と言えばいいんですよか、
そういう人がいまして、フランスのパリで、フランス語で書いて思想を深めていた人なんですけど、
普通は、家族って素晴らしい、友情って最高、生まれてきてよかった、みたいなね、前向きなことを言いますが、
生まれてきたことが不幸のすべての源だとか、友達とかは後で敵になるかもしれないとか考えなきゃいけないから一番めんどくさい関係性だとか、
本当に冷水をバシャーってぶっかけるようなこと、
だから本当に普通は家族愛、喜び、楽しみとかだけど、
この人は絶望、不安、崩壊、そういったことについてだけしか話してないという、
本当に悲観主義を超えた超悲観主義みたいな人なんですけども、
その人の、ある種、悲劇を見るときに、悲劇を見て、うわー、やばいなって思うときの心が浄化される感覚みたいな、
それカタルシスなんて言ったりするんですけど、そういうカタルシスをこの人は持ってくれる、
すごい暗いときになっているときって、あまりにも明るい、それこそさっき言った家族愛って素晴らしいとか、
そういうことを言っている奴を見ると、むしろ自分孤独すぎて、むしろへこむわみたいなのが慣れる中で、
暗いときにこそ暗いものを読むと浄化の感覚、そういうものがあるんじゃないかっていうのを思ってて、
俺は正直、大学時代、受験失敗、東日本大震災、サークル失恋するって、
ホップステップジャンプで絶望に突っ込むという、もう2021年。
そんな状態の中で、映画見るか図書館で本読むかだったんですけど、
そのときにしおらんっていう人に出会って、さっき言った浄化みたいなのがあったんですよ。
それでもう本当に大学時代なんとか生き延びて、2015年くらいで引きこもり生活、
就活とか失敗して突入するんですけど、そこでは映画を見てて、
自分が何回やってるかを出したいから、未公開映画見てその批評について書いたら、
すごいかっこいいんじゃね?みたいな。
コンタンで、いろんな未公開映画見てるときにルーマニア映画を見つけて、それに衝撃を受ける。
その点末はこちらに書かせていただいてるんですけど、
そんで、なんとこのしおらん、フランス語で書いたけども、実はルーマニア人。
ルーマニア語が母語、みたいなことを知って、
すごい面白いってことで、ルーマニア映画にめちゃくちゃ衝撃を受けたので、ルーマニア語を学び始めたんですけど、
ルーマニア語で、最初は日本語でもちろん読んでたんですけど、ルーマニア語でこの人のことを読み出したりしてたんですよ。
そこでこういう本を出すにあたって、こっちでもしおらんの紹介させていただいたわけですけども、
やっぱりすげえ文学的で難解なんですよ、ほんとにしおらんの言葉って。
だからさっき言った、読めと暗い時にこそ浄化の感覚があるとか、
それでも生きていけるんじゃないのかみたいな、心が震わされる感覚というものを一般の人は知れない。あまりに難解すぎて。
でもその難解さの奥の本質としてそういうものがあるからこそ、一般の人にもどうやって伝えればいいのかっていうのを考えていって、
自分としてはここで普通にこうやって自分で今語っているような文体でしおらんを紹介する。
それの拡張版として何か解説本を書く日が来るのかなとか思ってたんですけども、
それで、どこだっけ、そう忘れもしない2024年1月12日。
この日にこの飛鳥新社の編集さんが張訳しおらんの学章をバーンと送ってくださって、
それで今までは変異な言葉でしおらんを解説するであるとか、
そのしおらんの言葉をツイッターのつぶやきに切り取ってバーンと流すみたいな感じでやってたんですけど、
そのしおらんの言葉自体を変異にしちゃう、張訳しちゃうのは正直思ってもみなかったことで、
やっていいの?それって。でも千葉流の文体でこそやってほしいっていうのがあって、
編集さん天才かって思いながら、じゃあもう千葉流の文体でバーンとやるかっていうのが始まったのが1月、2020年1月。
そんで2年半、やりましたね、もう本当に。
このしおらんの本のいいところが、張訳本って紹介してる人の顔ってあんまり出さないんだけど、
ね、そうね。
手帳さんが書いたこのしおらんの言葉っていう、手帳さんフィルターを通して書かれてるんですけど、
それがすごくいい。自分が引きこもりをしていたこととか。
これ構成なんですけど、こっちにちゃんとした自分でやった普通の翻訳。
で、こっちで張訳って書いてありますけど、飛ぶ方の張訳みたいなのがありますよね。
その張訳を編集者さんと共に完成させて、だから結構文章としてぶった切ってる。
お尻ぺんぺんの毛叩けるときがある。
そうそう。こんだけ長いのをこれだけにバッとやったりみたいなのがあったりして、
かつその後ろにこういう600字のミニエースで。
600字なんですね。読みやすい。ちょうどいい。
隙間でも読める。
だから最初に言葉を200個くらい抜粋して編集者さんと一緒に。
そこからさらに100くらいまで絞って、それでさっき言った普通の訳と張訳と600字のエッセイ。
3つを1セットとして、それで100くらいやる中でぼつるのももちろんあるわけで、
そんで厳選して75になる。
その道筋で2年半かかってしまいました。
確かにめちゃめちゃ言葉、しおらんが残した文章がある中で、
その中で100選ぶってこと自体が大変ですよね。
この人の場合まだマシなのが、
この人ってアフォリズムっていう結構短めの文章、
ともすれば1行くらいの、時には10行くらいみたいな。
でも正直アフォリズム集って1ページ未満が多いくらい。
アフォリズムって何でした?
断片っていう感じで、短く言って格言真言みたいな、
そういう形で書いてるんで、
だから1冊にアフォリズムが400、500くらい入ってるのが、
多いな。
めちゃ多いからこそ、そういう書き方でやってるから、
本当にツイッターと相性がいいからって、
そのツイッターのしおらんBOTっていうのが、
1万7000くらいのフォロワーになって、
なんかツイッターの機能が変わっちゃったんで、
もう更新してないんですけど、3年くらい。
未だに1万7000くらいフォロワーがいるみたいな。
そうそうそう。
そういう風にやってたんで。
だからアフォリズムに関連してなんですけど、
「超訳」の意図と読者へのアプローチ
そもそもが短くて、私としては結構、
自分の極端に走りがちな性質もあって、
読んでてそもそもが心地よくて、
あんまり調約しなくても、
一つ一つは文学的なきちんとした解釈とかは置いておいて、
それ自体に読みにくさを、
自分自身は感じなかったんですね。
しおらんを読んだときに。
だからそれを調約っていうのを聞いたときに、
ウェッって思って、
こういうことってちょっと思ったんですよね、実は。
なんですけど、すごい比べてるっていう、
そのまま、いわゆる普通の翻訳をされた文と、
手帳さんの調約を並べられてるっていう構成を見て、
自分がやっぱり、
これ私結構、本ってバーって読み始めたら全部読んじゃうんですけど、
なんかちょっともったいなくて、
これは3回ぐらいに分けて読んだんですね。
ありがたいっすわ。
結構やっぱり1号のカロリーが高いっていう。
それもあって、ちょっと違うコンディションのときに読んだんですけど、
そしたら、すごい自分が疲れてるときに、
調約のほうしか頭に入ってこなくなったんですよね。
だから、たぶん私自身が、
言語理解的な体力が、
たぶん基礎体力が既にかなりあって、
その中で、
なんだろう、考えていたのと、
ちょっとそれが疲れ果ててて、
落ちてるときに読むのとで、
本当に調約っていいなって。
初めてそれを感じてというか、
やっぱり人それぞれやっぱり、
いろんな状況があるので、
伝わらないともったいないっていうか、
本当に手帳さんが最初の前書きのところでも書かれて、
今もおっしゃったことなんですけど、
精神状態が最悪の時期は、
ドス黒い本を読みまくると変に落ち着く。
本当にこれなんか、
この本を貫くテーマかなと思うんですけど、
それってでも別に言語的な体力がある人だけの話じゃなくて、
誰にでも共通することで、
そこに対して、
かつじかつじかつじってなってる人間だけしか入れないっていうのは、
すごくもったいないことだなっていうのを、
改めて実感として思ったっていうのが、
個別のこのことはいいよね、話したいっていうのの前に、
全体として私がすごい思ったことです。
そうっすね。
俺はもうこれに限らず、
この著作全部であるんですけど、
本当にまずこのチバルに関してなんですけど、
自分の人生もそうなんですけど、
ルーマニア映画、ルーマニア文学、ルーマニア語っていう、
正直みんな全然知らないし、
詳しく語られてるのはやっぱり学問会くらいのところみたいなものを、
じゃあいかにしてその造芸の塔から引きずり下ろして、
一般の人に知ってもらうにはどうすればいいかっていうのがあって、
さらにこっちではフェミニズムであるとか、
クイアリーの性的消失者の人が社会についてどう語るかみたいな、
そういうものを知って、
男性って性差別にしろ人種差別にしろやりがちだからこそ、
よりましな男性像、多数派男性像を築いていかなきゃいけないよなっていうところで、
フェミニズム、クイア理論の助けを借りて、
自分は今試行錯誤の、まだ全然途中ですけど、
そういうことをやってる中で、
じゃあそれを一般の人に伝えるためにはどうすればいいのかっていうのを、
ここでやらせていただき、
全体的にやっぱり造芸の塔って何階だから、
こもりがちというかこもらせがちになっちゃうものを、
いかにして一条のものにするかっていうのがあるんで、
たぶんそれを千葉流を読んでわかってくれた編集者の人が、
試行錯誤をそういうふうに造芸の塔から引きずり下ろして、
この日常に根付かせるかっていうのが重要なんだなっていうのを見てくれたっていうのがあって、
それもあって天才かこの人って思った覚えがあり、
かつそういうのを考える上で重要だったのが、
日記コルトンプラザのフードコート。
さっきも言いましたけど、
そこでいろいろ書いてると、
丸亀生命すすってるサラリーマンの人であるとか、
子供をあやしてる家族連れであるとか、
風船割っちゃったりする小学生軍団とか、
いろんな人がいるわけで、
その中の人で、
たぶん読書が普通の趣味っていう人は結構少ないと思うし、
別に趣味なんていっぱいあるしね、
サッカーであるとかYouTubeであるとか、
あと読書してるけど疲れて読めないみたいな。
そういう人もいる中で、
そういういろんな人に対して、
でも読んでもらえる文体っていうのは何かなっていうのを、
模索する中で、
俺としてはこうやって今トークしてる漢字のを、
そのまんま活字にするにはどうすればいいのか。
原文一体というか、原文半地帯?
半文。
普通にこうやって喋ってると言い淀みとか、
同じこと言ってるとかそういうのあるんで、
だから活字にするにあたって、
整理はするけど、
という意味で半分合ってるんです。
どっちものいいところを取る。
それを俺的には原文半地帯、
みたいに言ってるんですけど、
だからそういうのになってるんで、
まさに疲れてる時、
張訳の方が入ったっていうのは、
本当にそういう人にこそやっぱ読んでほしい。
飛鳥新社って結構ビジネス賞とかも出してるところなんで、
だからむしろそういうところの人が結構、
読んでくれたらいいよなっていうのもあったりするんで。
なんか自己啓発賞とかのコーナーに行っても全然いい。
全然いい感じの。
だから最近とかショーペンハーワーとかの、
ショーペンハーワーってドイツの哲学者で、
結構しおらんも影響を受けたりした人がいるんですけど、
韓国でベストセラーになったショーペンハーワーの解説書の翻訳が出て、
その横にトラノモンのマグマフックスってとこは、
それと一緒に置いてくれたり。
だから多分普通に前からしおらん読んでた人はむかつくだろうけど、
俺は結構自己啓発として書いたところもある。
いやこの人反自己啓発なのむしろみたいな。
言うけど、俺は結構その自己啓発。
俺が思うのは、哲学っていうのはむしろ昔というのは古代ギリシャ、古代ローマ。
病気や絶望を捉え直す視点と本の使命
プラトンとかアリストテレスとかキケロとかセネカとか、
その時代の哲学って、
自分はどう生きるか、人生をどうすればよく生きられるかみたいな、
哲学イコール人生哲学だったと思うんですよ、プラトンとか。
よく生きるためにやって、セネカ、キケロとか。
だから人生哲学ってことは普通に自己啓発。
哲学と自己啓発はちゃんと手に手を取ってたと俺は思うんですよ、昔は。
それが科学とかキリスト教とかが入って、それが2つに分かれて、
そんで純粋哲学と自己啓発と分かれちゃって、
そんで2ついがみ合うみたいな、
自己啓発はビジネス書のブースの方にあったり、
心理学にあったりしますもんね。
哲学で、ほんと哲学の人って自己啓発めちゃくちゃ目の敵にして、
自己啓発読んでないくせに、自己啓発の罠とかでそういうのは読んでる。
なんかちょっと耳に詰まされるかも。
で、人生哲学としての哲学を最後にやってたのは、
モンテーニュ、エッセイっていうエッセイの元、エッセイの子祖ですよね。
そういうのを書いた人で、俺もこの書いたときは言及してたんですけど、
それで、その人生哲学としての哲学は死んじゃったかもしれないけど、
ぼつぼつと人生を生きるにあたっての哲学、密論に語る人がいて、
その少ない一人が俺はシオランだと思ってて、
俺が言ってるこれが反哲学者って言ってるんですけど、
それは自己啓発としての哲学やってるから、今の哲学と違うから反哲学してるけど、
俺としてはこの人こそが本当の哲学者なんじゃねっていうのは、
自己啓発も兼ねてるから。
っていうのは思ってて、だからあえての自己啓発としてやったりするし、
だから、シオランの解説書って日本語だとやっと2冊目なんですよ。
1冊が7年前かな、7年6年前に、
生まれてきたことが苦しいあなたに最強のペシミスト、シオランの思想っていう、
これが新書で出て、
これ本当フランス語もルーマニア語もちゃんとわかってる、
ルーマニアで研究してる、シオラン研究してる人の新書なんで、
マジ決定版で、だからここから新しい解釈が出ると思ったら、
もう7年出ない、みたいなのになって、
そこでやっと俺が1冊出せた、みたいな感覚があり、
でもそのくせ2冊目なのにちょっと異端かもしんないっていう。
異端なのは間違いないですね。
でもシオランの時点で異端なんじゃない?
まあそれは確かに。
話はあるよね。
この中でブッダに影響を受けたシオランが書いてるんですけど、
そのブッダが言ってること、欲望と心理を付けすぎてわかんない。
どこから話すか。
とにかく欲望とか、
そういう人間らしい人間であると心理は追求できないっていう、
そういう欲望とか執着とかを捨てされっていうのがブッダの教えなはずなんですけど、
それに対してシオランは、それは人間は不可能だっていうことを書いてる。
まあ無理ですよね。
どうだったかな。ちょっとパッと出てこないのであれなんですけど。
だから逆張りの逆張りというかさ。
実際苦しみ、具合悪すぎみたいな。消化器悪い。
シオランがね。健康体だったり。
超不健康。流末やら、最後アルツハイマーとかで亡くなっちゃうしみたいな。
病気にまみれた生活を送る中で、
なんかそういう。
だからもう本当にそういう、難しいけど。
そんでなんかこう、自分としても結構クロン病とかだったり、
もう本当、虚弱ですね。
虚弱。そう虚弱。
もう俺33にして高血圧になって、高血圧の薬飲まなきゃいけないみたいな。
もうなんだよ。Gだわ。
あの、消化器の難病だわ。鬱だわ。高血圧だわ。
もうなんですけど、そういうのもこの人は結構語ってくれて、
かつ、むしろ病気にこそ可能性あるんじゃねえかと思う。
疲れやすいな、俺の才能。
だから疲れやすいことも、俺の虚弱もあるし、才能であって、
そこから始まるもの、可能性あるんじゃないのか。
だからさっきいろいろ本当に暗いことばっか、絶望とか不安とか、後悔とか、
そういうものばっか語ってるって言いましたけど、
やっぱりこの人はそういうのを語りながら、それの価値を反転させる。
むしろ病気とかそういうものから始まるものあるよ、みたいな。
で、実際俺もクローン病、小学期の何病、クローン病かかったときに、
ノートってブログの形式のあれじゃないですか。
あそこにくそ暗いクローン病って書いて、それで糖病気書いたんですよ。
それも1ヶ月で1冊分くらいの分量だったんですけど、
それを読んだ編集者の人が、このクローン病のエッセイの文体で、
ルーマニア語で小説を書いた経験について話してくれませんか?つって、
企画書を送ってくれたのが、できたのがこの1冊目だったんですよ。
だから、まあ、転んでもただじゃ起きねえよ精神で、
もうクローン病をネタにしたら、これに繋がった絵、
曲がりなりにもエッセイストとしてちょっと成形立てるというか、
そういうのはあるわけですけども。
だから、そういう意味で、才能であったり、ここに可能性あるんじゃねえのかっていうのを、
この人が言ってくれたからこそ、それあるんじゃね?みたいなことを、
こうなって踏ん張れた。みたいなのがあり、
かつてそういうのを伝えたいという思いがあったからこそ、これを出版した。
っていう感覚はちょっとありますよね。
たどり着いた。2年半だ、2年半。
なんか、この本の中でもすごい印象的だったのが、
しおらんの思想が、ある人すごい極端だっていうことが書いてあって、
でもそれって、普通の人が健康だとか勤勉だとか、
善だ、いいことだってすることに対して、
その反対のものを、すごいいいことだ、それすることが価値なんだって言っていくことで、
逆にそのバランスを取ろうとしている。
意外と、ひとりしおらんっていう人間だけをフォーカスしたら、
すごい極端な人なんですけど、
引いて社会全体を見たときに、
しおらんみたいなポジションを取ることで、
しおらんは逆にバランスを取る人だったんじゃないか、
みたいなことを書かれていたじゃないですか。
それがすごい印象的で。
そうそうそう。そうやって冷や水をかけたり、やったりで。
だから、俺が思ったのは、
この人は悲観主義を超えた超悲観主義だって言いましたけど、
普通の悲観主義は、プラスにマイナスを加える。
だから、プラスにマイナスを加えたらマイナスになる。
で、マイナスにマイナスを加えたら、さらにマイナスになっていく。
この人はマイナスをかける。
で、プラスにしちゃう。
プラスにマイナスをかけたら、マイナスになるけど、
マイナスにマイナスをかけたらプラスになるわけですよ。
かつ、それがただのポジティブ、前向きかというと、
それはまた違って、やっぱりマイナスを減っているプラスだからこそ、
また何か違うものがあり、
俺としてはそれを前のめり。
だから、前のめりだから結構危なっかしいんですよ、この人は。
病気に可能性あるって、それはいいことかもしれないけど、
じゃあ、それで病気悪化させたらやばいだろう。
そういう危うさがこの人の思想にはあるけども、
でも、そこから学んで何か掴めるものがあるんじゃないか。
よく少年漫画とかでも、
敵のパワーを得ることによって、
それをうちに秘めることでパワーアップするみたいな。
少年漫画の王道的なのがあったりするじゃないですか。
なんか、しおらんはそれにおける闇の力になってくれる。
人にとっての。
でも、そんなことめちゃめちゃ毒吐きまくってるくせに、
80いくつまで生きてるっていう。
それがすごい可愛いよねってなって。
そんなこと言って、20代とか30代とかで、
自分で自死して亡くなったり、病死してしまったりするんじゃなくて、
大王女してんじゃん。
そうそうそうそう。
そんな長生きしてんじゃんみたいな。
済東鉄腸の無力感と人生哲学
この中で好きなのが、絶望シャツのように。
そうそうそうそう。
軽いんですよ、この人ね。絶望。
なんて言ってたかな、絶望シャツのように。
私も付箋があるけど、やっぱりあり過ぎ。
生きることになれるためのコツは、シャツ着替えるみたいに絶望もとっかえていくこと。
ゲストにフォローしていただいて。
これや。
生きることになれるためのコツは、シャツを着替えるみたいに絶望をとっかえていくこと。
さっき言った絶望、不安、後悔とかって、やっぱり重苦しいもので、
それに捉えられてると、やっぱりベッドから起きられない、動けないみたいな、
そういう重々しいものだって思いがちだったり、実際そう感じたりするけども、
この人はそういう感覚を軽やかに抱きながら、
なんかいろいろ酒の、なんか路上出たり、カフェでコーヒーも飲まずにただただベラベラ喋ってるとか、
そういうことをね、意外とやってるんですよ、この人は。
で、そういう風な形で、そういう絶望とかみたいな負の感情と付き合うっていうことが意外とできるんじゃないか。
この人の言葉を読んでるとそういうことを思える。
で、さっき言ったアフォリズムっていうので、1行経ったらその次全く別のこと書いてて、
なんか数行書いたら開業されてまた別のこと書いてるみたいな。
その形式自体もまた軽やかに別のこと言って、別の負の感情について喋ってるみたいな。
しわらんの作品、開業めちゃ多いから、ある種この開業が風通しの良さにも見えて、
そういう風に生きていけるんじゃないかっていう、
勢いとかそういう軽やかさとか、なんかそういうものがあるんですよね。
だから見た目として、俺も開業増やしたし。
確かに。
開業増やしたし、あと彫薬で意識的にやったのは、びっくりマークつける。
確かに。
全然元のやつ、びっくりマークついてるやつ少ないんですけど、
俺としては、さっき言ったマイナスにマイナスをかけてできるプラスを表現するための
前のめりな勢いをやるためには、びっくりマークをつけたほうがいいっていう思いがあって、
彫薬だったらびっくりマークつけていいだろう、いいだろうっていうことで、
結構びっくりマークを加えたのが多いっていうのが結構あったりしてるんですよ。
びっくりマークの中で、一番かわかんないですけど、私がすごい好きなのは、
遅刻したら死刑。
これが、見た時点でもう、おい!ってなるんですけど、
てっちょうさんの解説が面白くて、一行目だけ読むんですけど、
今まであれほど怠け者だったり、ぐーたらすることの理をしおらんは解いていた。
そんなわけで、遅刻なんていう怠け者の代表行為をこの人はどうアクロバクティックに擁護してくれるのかと思ったら、
まさかの悪口、しかも死刑だろ死刑ととんでもなくハードコアなことを言い出す。
そうそうそうそう。
本当にこれまでの一貫性っていう観点であれば、絶対に遅刻こそが法上な約束とか言い切らしそうな。
読者の予想も裏切っていきます。
それも本当に軽やかさ。
あとその矛盾がかわいいというか、全然一貫してないんじゃん。
すごい良いこと言ってたと思ってたのに、遅刻は死刑とか言うと、
お前今日一緒に約束してた人遅れたやろみたいな感じの。
それがね、いとおしくなってくるというか。
そうそうそうそう。
だからそういう、俺としてしおらんっていう人は、さっき言った通り哲学者思想家とかなんで、
結構じゅうじゅみたいなイメージのされ方するんですけど、
俺としては、クソな時代においてちょっと悪い道に引きずってこうとするけど、
でもそいつがいたからこそ、何とかやってこれたのかもしれないなっていう悪有感なんですよ。
悪有としてが、この自分とってのしおらんみたいなところがあって、
でも多分こいつ普段は酒の場とかで酒めっちゃ飲みながらくだまいて、
なんか話しかけてやべえこと言ってるんだろうな。
でもやべえこと言ってる中に結構いいこと言ってる時あるんだよなっていう、
そういうやばいやつ。
そういうノリでこのイメージを積み上げて。
で、だからそんなやばいやつだから矛盾することは普通だし、
だからこの人もたしかインタビューとかで、
断章っていうのは一つ一つが瞬間の真実だから、
断章って?
断章、アフォリズム。
断片の断に本の章。
断章。
だから別に矛盾してもおかしくないだろって開き直ってるんですよ。
でもなんかそれも確かにいっぺんの真実というか。
そうそうそう。
だから開業した次で矛盾したこと言ってるみたいなのを、
自分から開き直ってこれでいいだろってやってる。
そういう面白さがいい。
だから俺もなんか、
俺自身もここでは結構いろんなことに意味を求めるなっていうことを解説してるのに、
なんか孤独のところで孤独にも意味があるかもしれないとか言っちゃってて、
俺自身もなんか解説でちょっと矛盾してるところだと。
あるけどもそういうのを引き締めて、
これがクソみたいな人間だろ、やってこうぜみたいな感じで、
やってくれるのが俺はシオランだと。
ちょっと思ってる。
これの全体的なまた話になるんですけど、
すごい印象的だったのが、
すごい軽やかな言葉で、
テッチョウさんが小役だし、
解説のところも書かれてるんですけど、
結構背景の説明とかもしてくれてて、
例えば自己実現しようと頑張ってるやつは全員やばいっていう。
SNSとか見てる時にふっと容疑るようなこと書いてたりするんですけど、
それに対して小役なんで、
SNSでもこういうのあるよねとか軽く解説するんじゃなくて、
もちろんそれも大事な側面だと思うんですけど、
これはおそらくシオランはキリスト教ひいては宗教批判のつぶやきとしてこれを書いているのだろうとか、
そういう背景のふっとこっちに引き寄せすぎずに、
時代的なシオランが立っていた場所っていうのに、
ちゃんと引き戻してくれるような文章っていうのもきちんとあって、
私が小役苦手だな、怖いなって思ってたのが、
文脈から切り離されすぎてしまって、
全く別物になってしまうっていうところが、
それってすごい危ないなって思ったりもしてたところなんですけれど、
やっぱりやる人によってはそれだけ、
バランスをとってできるんだなっていうのもすごい言葉のはしばしで、
例えば言語でもちょっと忘れちゃったんですけど、
これはルーマニア語では日本語でかっちりくるのがないんだけど、
みたいなこととかも結構追いかれたりしていて、
そのあたりっていうのはやっぱり長役で結構私は切り捨てられがちなところかなって思ったところを、
きちんと拾って、注意深く書いてくださっているっていうのが、
もしかしたらそれが2年半かかった理由なのかもしれないですけど、
バランスっていうのは本当にこんなことできるんだって。
最初にさつさんが、
俺の引きこもり経験みたいなのをきちんと解説に入れてくれて、
そこが良かったみたいなことを言ってくれたんですけど、
最初この600字のエッセイ、
オーダーとしてはなるべく鉄鳥さんの人生のことについては入れずに、
解説者として、だからさっき言ってくれた、
名前の長役っぽい感じ。
こういうキリスト教育費というのは、
そういうことの解説として、
第3者として客観的にやってくださいっていうオーダーがあったんですよ。
それで80個くらい普通に書いた後に、
相反する中で、やっぱり俺の内容を入れた方がいいと。
俺の人生についても入れた方がいいっていうことで、
結構第2項で自分のところは向こうのオーダーに即しながら、
自分の経験を入れていった。
めちゃくちゃ大変ですね。
そうだよ、大変。大変でした。
やり直しをしたわけですね。
そうそうそうそう。
大変だ。
大変でしたね。
でも、だからこそ、バランスがいい視点の王冠。
王冠ってあんまりあれですね。
王冠ってなんだ?
普通言わないな、行き来。
行き来。
あるのかなっていうのはすごい感じて、
どっちでもやっぱりちょっと危険っていうか、
あんまり面白く読めなくなったり、
逆にちょっと面白く読めすぎてしまって、
そう言ってたのとちょっと違うんだよなって、
なりすぎてしまったりっていうのがあると思うんですけど。
しかも伝えるってすごく難しくて、
性格性と面白さっていうのを両立するのもすごく難しい。
そういう仕事やってるんですけど、実は。
そうだよね。
科学の分野でやってるから。
本当に科学も、さっき象げの塔から引きずり落とすっていうのを
てっちょうさんが言ってたんですけど、
まさにそれをやらないといけないなと思って、
私もちょっともともと研究者だったんですけど、
研究畑をちょっと半歩出て、
いろいろわかりやすく社会とつないでいくにはっていうのを、
人生のライフワークみたいな感じで、
鋭利企業でもあるんですけど、
ほとんど人生の関心として取り組んでるんですけど、
そこからも本当に響き合うというか、
やっぱりわかりやすさっていうのを追求しすぎると、
どうしても別物になってしまったり、
イデオロギーみたいに一人歩きしてしまったり、
そこの部分の解釈の不確実性みたいな、
こう解釈もできるし、ああ解釈もできるっていうか、
しかも、著者さんがこうなんだって言ってしまうことによって、
違うものになってしまうってこともあるんだよね。
本当に。
そこのバランスを、この短い文字数で、
短いってほんと難しいんですよね。
二人とも文章を書く人だからね。
そうなんです。全然違うものを書いているんですけれど、
本当に短くこういうふうにまとめたっていうのは、
全然ジャンルは違うんですけど、
書き物の同業者としての本当に敬意を表したいと思います。
どうしたんですか?
ありがとうございます。
敬意表されたね。
いやいやいや。
どうやって知らないんだろうなと思って。
わかんなくなっちゃった。
本すごいなと思って。
本当にすごい本だと思う。
最初に本当にすごいなって言ったじゃないですか。
だいぶすごいながら開けてきました。
わかりました。
ありがとうございます。
でも結局、すごいってことを言おうとすると、
すごいになっちゃったりしますよね。
本の使命と済東鉄腸の「絶望シャツ」
面白いとかすごいとか。
いろいろ言いたいこといっぱいあるんだけど。
渋滞しちゃう。
渋滞しちゃう。
結局、すごいしか出てこなくなっちゃうところはあるけどね。
でも本当にすごい本。いい本。
ごめん。いい本のつながりで先に。
本は読者を挑戦し、その魂に傷を刻みつけてやる。
それこそが本の使命っていう。
まさにこれ、本の使命を果たそうとしてる本だなっていうふうに。
嬉しいな。
2年頑張った甲斐が。
ありますよ。本当に。
それだと角度が全然違っちゃう話になるんですけど、
人生に適応する秘訣は絶望シャツのように変えたことってさっきの話に戻るんですけど、
そこで徹長さんがお気に入りのシャツと言えるものが無力感。
自分にはできないっていう無力感だっていうふうに書かれていて、
私はそれが意外でもあり徹長さんらしいなっていう気持ちもありで、
ちょっと深掘りして聞いて、もし差し支えなければ聞いてみたいんですけど、
徹長さんすごいじゃないですか。
行動力あるし、こういう本も出して、
自分の人生を自分のカラーでしかできない、本当にオンリーワンの人生を生きてるなってすごく思うからこそ、
その中で自分自身が自分にはできないって思ったりする瞬間とかってどういう瞬間だったりとかするのかなって聞いてみたかった。
やっぱりね、俺それに関しては多分こっちでめちゃくちゃ取り上げたクソったれな俺を真似するための。
やっぱ俺として、死にてーっていう、なんかまあ既死念領って言っていいのか、そういうものを感じる中で、
でもなんかルーマニア語で小説バーって書くの楽しいし、読書するのとかめっちゃ楽しいし、
あれなんで俺死にたくなくね、どういうことなんだろうっていうことを分解していく中で思ったのが、
生にっていうのは、生きると生活するに分けられると。
生きるっていうのは、より精神的な営み、だから芸術制作するとか、魂を豊かにするために哲学読むとか、
で、それはすごいやりたい。ずっとやりたいけど、生活するかどうしようもできない。家事とか、
で、あと俺クロン病なんで本当に料理とか、料理について考えるのがきついとか、
あともう引きこもって働くとか、いろいろ投げ出してきた過去もあるんで、今なり働くの怖いとか、
そういうのがある中で、そういうのを生活する時をちょっとずつやっていこうって思ったのが、
こっちなわけですけども、本一冊書いてもまだまだ難しいですよ。
やっぱね、俺の無力感感じるのは生活するということにおけることはものすごく全然できないし、
っていうか恥かきたくないから前に出て、みたいな感じになっちゃうっていうのはあるから、
それをもうちょっとちゃんとどうにかしたいっていうのはありますよね。
しおらんの場合はしもぬぶえってパートナーに丸投げしてたんで、それはまず、それはダメだな。
それはダメ。それは俺はちゃんとやろうっていう。ここは反面拒否しようという思いがある。
無力感、たぶん引きこもりをしてたりとか、自尊心っていうものを失いやすい環境にいたっていうこともあるのかなと思ったんだけど、
でも、やってることとか実際に行動してることと自分の自身の自己評価っていうのがちょっと離れてるのが、
てっちょうさんらしく、知ってるからてっちょうさんらしいなとも思いつつ、
なんかどういうところなのかなっていうのをもう一回聞いてみた。
だから生活すると生きるの習熟度の違いがあまりにもでかすぎて。
離れてるとこですね。
ここから趣味にどうやって持っていくのかがちょっと、
今何時?今何時?
今55分くらいです。
55分すげえ。
すごいレジで時間を確認してる人走ってるみたい。
ここで。
確かに。
でもいいね、なんかスタイリッシュだね。スマホちょっとなんかあれだもんね。
LINEしてるみたいだよね。
それはさすがにないか。
LINEはしない。
クロージング
手時計ね、なんか忘れちゃってんの。
スタイリッシュに時計の確認ができない。
スタイリッシュに確認するつもりなくここにあったから。
そういったところでですね、生まれるのも生きていくのもめんどくさい、
跳躍しようらの言葉を軸に、
世帳さんにお話を伺ってきました。
ありがとうございます。
本当に何回も言うけど、雨の中も聞いてくれて本当にありがとうございます。
ありがとうございます。
ここまでで本の虫のすすめの公開収録は一旦終了とさせていただきます。
ありがとうございました。
もしよろしければですね、私がせーのと言いますので、
もしよろしければ本の虫のすすめの最後にいつも良い読書体験をといって締めてるんですけど、
入っても大丈夫であれば、一緒に本の虫のすすめじゃない。
ずれる。
良い読書体験をと言っていただければ嬉しいです。
私が言うよ。
じゃあ、せーの。
良い読書体験を。
ありがとうございました。
55:17

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