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糸車 その3
2026-10-24 15:22

糸車 その3

0212 261024 山本周五郎 糸車 その3 朗読:田畑竜介
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サマリー

山本周五郎「糸車」その3。お鷹は鍛冶所と墓参りに出かけ、帰りに自分が五歳まで暮らした貧しい生家を訪ねる。翌日、山辺の出湯で過ごした後、鍛冶所から与田の父の手紙を渡され、西村家の娘として戻ってほしいと説得される。与田の父が貧しさゆえにお鷹を手放した苦悩や、現在は引き取れる身分になった事情が明かされる。しかしお鷹は、糸繰りで家計を支えながらも与田の父と弟と暮らす生活を幸せだと語り、松城へ帰る決意を変えない。

お鷹の墓参りと生家訪問
おしゃべり本棚 この時間は福岡のRKB毎日放送のアナウンサーによる朗読をお送りします。
山本周五郎作 日本不動機より糸車
その3 明る朝起きてきたお鷹の目が痛々しいほど赤く腫れぼったくなっているので
鍛冶所がびっくりして、どうお推しだと尋ねた。 お鷹は淋しげに微笑んだ。
寝疲れたのでございましょう。少し休み過ごしましたから。 それならいいけど。
鍛冶所は確かめるようにこちらを見ていたが、すぐ思い返した様子で、 今日は山辺の井出湯へ行くから支度するようにと言った。
ここから一里余り山の方へ行ったところで、湯もきれいだし美しい眺めもあり、 疲れた時などには良い保養になります。
ありがとうございますけれど。お鷹は目を伏せながらそっとこう言った。 私、きょうはできますことならお墓台寺へ参りたいと存じますが。
ああ、それなら山辺へ行く途中ですよ。少し回り道をするだけですから、参景して参りましょう。 いいえ。
お鷹はかぶりを振った。 私、きょうはお参りだけにいた人をございます。初めてのことでございますから。
初めて祖先の墓へ参るのに、油産を兼ねるのは不作法だと思う、そういう意がはっきり現れていた。 鍛冶所はさすがに重はゆそうだった。
それなら山辺は明日のことにしましょう。 こう言ってその日は墓参りということに決めた。
墓台寺から帰る道で、お鷹は自分の生まれた家が見たいと言った。 鍛冶所は進まない様子だったが、一緒に行った弟の靖野城が先に立って案内した。
深市というところの橋に近く、身分の軽い侍屋敷が一塊になっている。 その中でも貧しげな古びた幾室家の中にその家はあった。
目隠しというばかりの兵を取り回した中にささやかな庭があり、枝振りのいじけた勢いのない松が門の脇に立っていた。
板吹きの屋根は口乾いて松笠のようにはぜ、小さな玄関の柱やはめ板は雨風にさらされて、洗い出したように木目が高く現れていた。
軒は傾き、日差しは波を打っている。周りにゆとりがあるのと部屋の数が少し多いかと思えるだけで、そのほかは松代の家とは大差のない住居だった。
「わたしはこの家に五つまでいたのですよ。」 靖の嬢はそういって何のくったくもなく笑った。
「あの窓の下の地面に蟻地獄がいましたっけ。それをとって手のひらをはわせるんです。するとそいつは手の皮の中へもぐりこもうとする。むずむずしてくすぐったいんですが、その恰好がおもしろいのでよくやったもの
です。ごぞんじですか。」
そんなことを凶ありげに言った。
お鷹はふと、この弟も今の屋敷よりはこの貧しい家のほうに心ひかれているのではないか。そんなことを考えながら、まもなく首筋を返した。
山辺の出湯と与田の父の手紙
翌日は火事所に連れられて山辺の出湯へ行った。それは城から東北にあたる山懐にあり、清らかな流れと谷合いの眺めの美しい場所だった。
親子は一緒に湯に浸かったり香り高い草木の芽をあしらったひなびた御食を食べたりした後、まだめずらしい山うどを土産に屋敷へ帰った。三日目は家にいて兄弟たちと話したり自慢の道具を見たりして暮らした。その夜の
ことである。
自分に当てられた部屋で火事所と相対した時、お鷹はあす松城へ帰らせていただくと言い出した。火事所はそう言われるのを予期していたらしい。そっと部屋を出て行ったが、すぐに一通の封書を持って戻ってきた。
よだ殿からあなたにあてた手紙です。とにかくこれを読んでごらんなさい。
こう言ってそれを渡した。受け取ってみると、まさしくよだの父から彼女にあてたものだった。今度松城へお前を帰すにあたってはいろいろ考えたが、西村からこれまでの養育料としてかなり多額な代物をくれる話があり、
それだけあれば自分は電池でも買って松之助と二人安穏に暮らしてゆけるし、お前も西村の娘として幸せな生涯に入れるであろう。自分のためにもお前のためにもこうするのが一番よいと思う。
直にこの行くたてを話した上心よく別れを惜しみたかったが、顔を見ていてはお前の気持が決まるまいと考え、無慈悲なようだが偽りを言って立たせた。どうか今度はわがままを言わずに承知してもらいたい。
西村へ行ったら両親に高校を尽すよう、兄弟と仲よう幸せな行く末を祈っている。そういう意味のことが与田の父らしく特実な筆付きで書いてあった。よくわかったでしょう。
家事上はお鷹の読み終わるのを待ってしみじみとこう言った。今になってお前を取り戻そうというのは勝手かもしれない。けれど父上やこの母の気持も察しておくれ。お前の生まれた自分は父上の御身分も軽く子供を多く
抱えて、恥ずかしい話だけれどその日のものにも差し支えるようなことさえある。貧しく苦しい暮らしでした。
人の親として血離れしたばかりの子をよそえやらなければならないそれがどんなにつらい悲しいことか。やがてお前がこう思ったらわかってくれることでしょう。身を切られるようなというそんな言葉では言い表せないつ
らい悲しい思いでした。
それほどの思いをしてもお前をやらなければならなかった。もう耐えきれない。一家が飢え死にをしてもいいから取り戻しに行こう。何度そう思ったか知れません。暑さ寒さ朝に晩に泣いて言わしないか病気ではないかと
心にかからぬときはありませんでしたよ。
家事上は袖口で目をおさえながらしばらく声をとぎらせていた。父上の御運がひらけてどうやら不自由のない明け暮れを迎えるようになってから父上と私はお前を引き取る相談ばかりしていました。
松城へ人をやって尋ねさせると長く病んでいる与田殿と幼い弟の面倒を見ながらお前が糸繰りをして家計を立てているという貧に迫られてやったお前が今は自分でその貧と戦っている。それを思うと私たちはとても安寛と暮
らしてはいられなかった。
お鷹が松城へ帰る理由
これまでの苦労をいくらかでも償ってあげなければ海の親としてどうしても心が済まないのです。与田殿には決して悪いようにはしません。鷹さんこちらへ帰っておくれ。この西村の娘になっておくれ。ねえ。」
膝の上にそろえた両の手を固く握りしめながら、お鷹は怖ばった顔をじっとうつむけていたが、家事所の言葉が終わると静かに目をあげて、
おぼし飯はよくわかりました。本当にありがとうを存じますけれど、私やはり松城へ帰らせていただきます。」欲要のない声でそう言った。家事所の方のあたりがかすかに引きつった。
でも、与田殿とはもう話がついているのです。どちらのためにもこれが一番よいと与田殿も言っておいでなのですよ。それをご本心だとおぼし飯しますか。
お鷹はそっとかぶりをふり、彼女の目を見上げた。
与田の父がそうおっしゃるのは、こちらへの定義からだとはお考えになれませんか。あなたは今、人の親としてこうよそへやることがどんなにつらいものかということをおっしゃいました。
しばなれをするまでの親子でもそれほどなのに、十八年も一緒に暮らしてきた親子はそうではないとおぼし飯ですか。
お鷹はそう言いながら、松本へ行けと言われた夜のことを思いうかべた。
あのとき与田の父はこちらへ背を向けて、お鷹に肩を揉ませながらあの話を切り出した。
父はお鷹の顔を見ることができなかった。自分のつらい顔も見せたくなかったのだ。
それが今、お鷹には痛いほど直に思い当たる。
ああ、どんなにおつらい気持で松本へ行けとおっしゃったろう。
お鷹は胸を刺されるように感じながら静かに続けた。
与田の家は貧しいございます。私が糸繰りをしてかつかつの暮らしを立てているのも本当です。けれどもそれは、あなたがお考えなさるほどの苦労ではございません。
こう申し上げては言葉が過ぎるかもしれませんけれど、今度のことさえなければ、私幸せ者だとさえ思っておりました。
与田の父はもったいないくらい良い父でございます。弟も親身によくなついていて母のように頼っていてくれます。
私にはあの家を忘れることはできません。今になって父や弟と別れることは私にはできません。
15:22

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