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こんにちは、本茶本茶へようこそ。毎回一種類のお茶を味わいながら、一冊の本をきっかけに、緩やかに語る時間です。
静けさのデザインとケアを通して、創造性の器を育む、スタジオスティルネスのFuyutoがお送りします。
毎週水曜日、19時に更新しています。
遊びの広範な捉え方
今日ご紹介するのは、ミゲル・シカールさんという方が書かれた、『プレイ・マターズ 遊び心の哲学』という一冊になります。
この本は、もともとMITプレスというマサチューセッツ工科大学の持つ出版社が出している、プレイフルシングスという書籍シリーズの一冊になります。
このプレイフルシングスというのは、ゲームスタディーズ、ビデオゲームとか、そういったものを学問分野の対象としたものに関する比較的短めの書籍シリーズで、
このシリーズ20冊以上の本が出ているようなんですが、この本ですね、プレイ・マターズというのはその中の一冊で、2019年に翻訳がされたものになります。
このシリーズ自体はですね、主にビデオゲームに関する様々なテーマを扱っているんですけれども、このプレイ・マターズという本は少しですね、趣が異なっていて、
遊びの単なる一つの形式に過ぎないゲームにのみ焦点を当ててきた従来のゲームスタディーズに意義を突きつけ、
物、空間、人間、人間関係など多様な事柄が関わる遊びの生態系全体の観点から遊びを捉えていくことの重要さを提示する。
そんなような紹介のされ方がされています。
そんなゲームだけではなくて、遊びとか遊び心全体に焦点を上げた部分がとても面白かったので、今日はこちらで取り上げたいと思います。
紹介したいポイント3つありまして、1つ目が流用的で創造的。
2つ目が秩序と混沌を行き来する。
そして最後に、態度としての遊び心。
この3点でご紹介をしていきたいと思っています。
では、今日もまずは一緒に楽しむお茶から。
はい、今日は日本茶ですね。
以前もご紹介したことがあると思うんですが、東京の西尾木窪というところにあるサテンというティースタンドで購入をした、
無脂製玉緑茶。
これは長崎県の東尾木という場所のものになります。
この東尾木というのはですね、ちょうど海と山に挟まれたというか囲まれた場所になっていて、古くからお茶の名産の地になっています。
そしてちょうど山の反対側がですね、佐賀県の嬉野市というところになっています。
この嬉野っていうのもまさにお茶の名産地ですね、ということもあって、
以前はこの東尾木で採れたお茶も、その佐賀県嬉野市と合わせて嬉野茶ということで流通していたのも多かったそうなんですが、
東尾木だけでですね、自分たちのブランドを作りながらお茶を育て始めて、
最近ではいろんな品評会でも東尾木というのは名前を聞くようになってきたかなと思います。
その東尾木の玉緑茶、一部では栗茶と呼ばれることも多いですが、とても水色が鮮やかで綺麗なお茶で、
飲むとすごいうまみがありつつ爽やかという感じですね。
結構うまみの強いお茶って、少し酔っ払うというかクラッとしちゃうようなお茶もあったりするんですが、
この無性玉緑茶はすごい爽やかだけど味わい深い、そんなお茶になっています。
ここから本のご紹介に戻ろうと思いますので、皆様もお気に入りの飲み物とともにぜひお聞きください。
冒頭で少しご紹介をしたように、この本はゲームとかビデオゲームというよりも遊びを中心にした本になっています。
一文ミゲルさんの言葉を引用すると、
私は遊びを現実や仕事、儀式やスポーツと対比するつもりはない。
というのも、遊びはそうした全てのものに見出せるものだからだ。
遊びは言語、思想、信仰、理性、神話などと同じように、世界のうちに存在するモードの一種である。
ということを言っています。
このスタンスでですね、かなりこの本の読者層が一気に広がるというか、
それこそ、僕自身そんなにゲームとかビデオゲームってする方じゃないんですけれども、
例えば、勉強の中に遊びを見出すとか、読書の中に遊びを見出す、仕事や政治活動の中に遊びを見出す、
そんな幅広い可能性を持った遊びということをこの後、みげれさんは論じていきます。
これ、ちなみにみなさん遊びって言われると何を思い浮かべますかね。
結構これもしかしたら世代によって違うのかなって思いながら読んでいて、
例えば僕自身だと遊び、特になんか子供の頃の遊びと言われると、
そうですね、なんかみんなで野球したりとか、外でかくれんぼ鬼ごっこみたいな、
もちろんテレビゲームもプレステとか64とかありましたけど、
なんかもう少しフィジカルなものを想像するなと思いつつ、
もっと最近の子はもしかしたら遊びと言われるとすぐにデジタルの世界のゲームが出てきたりとか、
もっとそのネットワーク上でいろんな人とつのがるような、そういうものを想像したりする世代もあるのかななんていうことを考えていました。
遊びの要素と創造性
早速一つ目のテーマに行くと、流洋的で創造的というものになります。
これはですね、第一章、遊びというチャプターで、
著者の方が遊びを7つの要素で定義をしているものになります。
ざっと挙げてみると、文脈依存的であり、カーニバル的であり、流洋的、攪乱的、そして自己目的的、創造的、個人的、
こういうふうにですね、遊びのことを定義しているのですが、
そのあとを読んでいくと、特にその中でも流洋的というものを大切に語っていることがわかります。
この流洋的というのはですね、既に成り立っている文脈であったりとか、
その構成要素を遊びの目的のために乗っ取る、流洋するというよりも、もう少し乗っ取るというイメージみたいですね、という形になっていて、
例えば、普段駐車場になっているところで突然泥系を始めるとすると、
もともとは車を止める線であったりとか、その平らさみたいな文脈があったものが、
いきなり警察と泥棒の対決の場であったり、一部が檻として使われていったり、そういうように乗っ取られていく、そんなような意味になります。
そしてまさにこの流洋的であるというポイントがあるからこそ、遊びのためだけに用意されたフィールド、
例えばビデオゲームの中という場所以外にも、この遊びというのは起こり得るということ。
そして、さらにこの文脈を乗っ取ろうとするときに、遊びというのは想像的な特性を発揮するということなんですね。
二つ目の切り口に移ると、秩序と混沌を行き来するというものがあります。
秩序と混沌の関係
これはだいぶ前の方でですね、遊びがなぜ重要であるかの理由の一つに、
遊びは秩序と混沌を行き来する運動なのだという一文があります。
あるいはもう少し後に、想像と破壊のバランス、そんなようなことも書かれています。
一つこれを読んで思い出すのは、何回か前に千葉雅也さんの「センスの哲学」という本をご紹介しましたが、
そこでも人間というのは生き物として安定状態を目指すという大きな傾向を持っているという中で、
遊びはわざとその不安定な状態、緊張状態を作り出して、それを反復するのを楽しむこと。
そんなようなことが書かれていたのを思い出しました。
もう一つちょっと雑談になってしまうんですが、
デザインの分野で専修大学にいらっしゃって、今は立命館かな?にいらっしゃる上平先生という方がいらっしゃいます。
子デザインという書籍を書かれていたりするんですけれども、
以前上平先生にお話を伺ったときに、あらゆるものが仕組みとしてデザインしていかれるこの世の中において、
どうやってデザインする側はもちろんそれを意図的にアップデートしたり揺さぶったりできると思うんですが、
それに巻き込まれる側、例えば何かそういう仕組みのユーザーであったりとか、
あるいはその仕組みのユーザーとしてすら認知されない偏向の人々は、
この仕組みとケアのデザインのループというものにどう立ち向かえるんだろうかということを質問したことがあります。
そのときの回答として一つのポイントが、それを乗っ取ったり、遊んだり、ハックしたりすること。
その仕組みの中で遊ぶことがその仕組みのデザイン自体を使う側から揺さぶる一つの方法であるという回答をいただいたことを思い出しました。
何か秩序の中で押し付けられてしまっている側が、どう混沌にもう一度それをひっくり返せるかみたいなところにも、
この遊びというものが大変一つの面白いポイントなんじゃないかなと思っております。
遊び心の実践
そして最後のポイントが、態度としての遊び心。
これもしかしたらすいません、ちょっと順番を変えて話した方がよかったかもしれないんですが、
この文の中で、ミゲルさんは、
遊びと遊び心の主な違いは、遊びが活動、アクティビティであるのに対して、遊び心が態度、アティチュードであるという点にあるというふうに述べています。
ちなみにですね、原文だと遊び心というのはプレイフルネスというふうに書かれているようですね。
さらにこの遊び心というのは、遊びの文脈の外側で遊びを使う能力のことだとも定義をしています。
つまりですね、例えば仕事という活動があったときに、それを遊びに変えてしまうということをすると、目的自体が変わってしまうと。
特に遊びは自己目的的であるという定義がされているので、何も目的を持たないものに仕事が変わってしまう。
これでは本末転倒なわけですよね。
一方で仕事というもの、その目的は変えずに、手段を変えるというのがこの遊び心の使われ方です。
例えば利益を出すなのか、何か商品を届けるなのか、もともとあったその仕事の目的というものを変えずに、そこに至るまでのプロセスとか態度を遊びの文脈で変えていく。
そうやって遊び心を使っていくことで、遊びの外の世界、仕事とか個人的な活動、政治、さまざまな中においても、自由と個人的な表現という遊びの本質的な特質をもたらすことができる。
そんなふうにまとめています。
これは完全に個人的な解釈ですけれども、そうなると、やっぱりどうやって遊び心を育てるかみたいな視点になっていくと思うんですが、
その時に、なんとなくですけれど、遊びのためのフィールドが完全に出来上がった世界、それこそビデオゲームみたいな中でだけ遊ぶというよりも、もう少し遊び自体を作っていくような遊び。
決して遊びのために作られていない文脈であったり道具から遊びを生み出すような、たまたま近くにあった丸いものと棒状のものを使って野球っぽいことをしてみるとかゴルフっぽいことをしてみるとか、その中で部屋の一部をゴールやゴルフのカップに見立ててみるとか、
そういう体験が意外とその遊び心というものにもつながったりするんじゃないかなと、そんなことをモヤモヤ考えながら読んでいました。
この本は230ページぐらいの本なんですけれども、実は本文はそこまで長くなくてですね、中に50ページぐらい割かれているという、なかなかリッチな中がついているので、それと本文を行ったり来たりしながら読むとちょっと大変なんですけれども、もしご興味ある方がいらっしゃったらぜひ読んでみてください。
今日はサテンの長崎県東園木さん、虫性多摩緑茶をいただきながら、ミゲルシカールさんの書かれたプレイマターズ、遊び心の哲学をご紹介しました。
またノートにて書き起こしと本のご紹介、そして収録後期を投稿しております。そちらもぜひ概要欄からご覧ください。
それではまた。