控えめな想像力の重要性
こんにちは。本茶本茶へようこそ。
毎回一種類のお茶を味わいながら、一冊の本をきっかけに、ゆるやかに語る時間です。
静けさのデザインとケアを通して創造性の器を育む、スタジオステルネスのFuyutoがお送りします。
毎週水曜日19時に更新しています。
今日ご紹介するのは、滝陽介さんという方が書かれた、
『プロジェッティスタの控えめな創造力、イタリアンデザインの静かな革命』という一冊になります。
これまでデザインに関係する本はご紹介をしてこなかったかなと思うんですけれども、
実は僕自身、仕事の中でデザインに関わるということが少なからずあるんですが、
何度も読み返しているとても大好きな本になります。
そしてこれはイタリアのデザインについて書いた本なんですが、
またデザインという言葉がイタリアに輸入される前に、いわゆるデザインをしていた人たちのことを書いている本になります。
このプロジェッティスタというのが、まさにイタリアにおいてプロジェクトを考えて実践する人たちというような意味合いの言葉になっています。
当時、特に第二次世界大戦後すぐ、まだ資本主義とか消費主義的な価値観に染まりきっていなかったイタリアにおいては、
いわゆるデザインと呼ばれるような、表層的に見た目を整えていくということではなくて、
このプロジェッティスタとかプロジェッタツヨーネという、哲学やプロセスに立ち返りながらものづくりをしていく、彼らなりの手法というものが、
これから未来の創造性を考える上で、とても大切な視点だなということで、今日は取り上げたいと思います。
もう一つ、実は今日この本をご紹介しようと思った理由がありまして、
今、六本木の東京ミッドタウンの2121デザインサイトという場所で、
デザインの先生という企画展が、来年の3月の頭ぐらいまでですかね、開催をしています。
これは、今の世界のデザインの源流を作ってきた先生、イタリアだったりドイツ、スイス、生まれの6名の巨匠たちを紹介する、そんな企画展なんですけれども、
僕も2度ほど見に行きまして、そこで特集されている6人のデザインの先生の中の3人ですね、
いずれもイタリア生まれの方なんですが、ブルーノムナーリさん、アキレカステリオーニさん、そしてエンゾマーリさん、
この3名が本の中でフィーチャーをされているということで、タイミング的にもいいのかなというふうに思っております。
ご紹介の切り口は本日も3つで、1つ目が控えめな想像力、2つ目が想像力の機の進歩と対抗、そして最後に遊びから始め客観値に変換する。
お茶の紹介と本のテーマ
それではまずは今日も一緒に楽しむお茶から。
今日はちょっと趣向を変えて、ほうじ茶、さらに言うと青ほうじ茶というものをいただきました。
これは鹿児島県に宗市という場所があるんですが、そちらの末吉製茶工房さんの青ほうじ茶、かぐわしというものになります。
ほうじ茶というと、みなさんもよく飲まれると思うんですが、緑茶をこう焙煎されていってですね、香ばしくした、そして茶葉やお茶の水色も茶色いものになるんですけれども、
こちらのかぐわしというのはですね、青ほうじ茶という浅入りのほうじ茶になります。
なので、一般にある抹茶色になるまで焙煎をするのではなくて、ギリギリを見極めながらですね、ほうじ茶のような甘みを出しながらも煎茶が消えないような、そんな絶妙なところで焙煎されているお茶になります。
飲むと本当に両方のいいとこどりみたいな感じでですね、ほうじ茶って飲むと茶色っていう感じの味がするじゃないですか。
見た目もそうですけど。
ただ、この青ほうじ茶は、はじめやっぱり茶色っていう感じがするんですが、その後に緑色がちょっと顔を出してくるよ、みたいな感じの香りと味わいのバランスですね。
とてもおいしいお茶になっております。
今日はこちらを飲みながら本のご紹介をしていこうと思いますので、皆様もお気に入りの飲み物とともにこの後をお聞きください。
いやー、このプロジェクティスタの控えめな想像力というのは、結構これについて話すのが難しくてですね、ずっと紹介したい本リストにあったんですが、何度もスキップして何とか頑張ってみようと今日は思っております。
一つ目、控えめな想像力というのは、まさにこの本のタイトルになっている、ここで取り上げられるイタリアのデザイナー、まだデザイナーと呼ばれる前の方々ですけれども、どちらかというとプロジェクティスタと呼ばれるプロジェクトを行う人たちの性質を端的に表す言葉になります。
想像力というのはわかりますよね。この時代、建築家的な方が多かったんですけれども、それこそ身の回りの小さなものから建物までプロジェクトのように作っていく人たち、そういう方々が想像力にあふれるというのは理解がしやすいかなと思うんですが、一方でこの控えめなというところがポイントになっています。
私はですね、この控えめさというのを二つの方向で読み取っているんですけれども、一つ目はデザイナーあるいはこのプロジェクティスタという人が自分のイメージを押し付けるということではなくて、
ものの素材とか人、環境みたいなものと真摯に対話をしながら作るあるいは育てていくというような環境に対する控えめさというものを一つ感じています。
一文引用すると、インゴルドが提唱する、このインゴルドというのはティム・インゴルドという人類学者ですね、控えめな想像力の場合、作り手は自分のイメージを一方的に押し付けるのではなく、対象となる素材や人間や社会、環境の間に潜り込み、混じって作業する人となる。
まるで土に混じって植物を育てる庭師や農家の人のように、手元にある素材や人や環境と慎重な対話を交わしながら、無理な負担をかけず、それらを自然な形で育てようとする。
作るというより育てるという動詞がふさわしい想像力だと言えるだろう。
想像力と言われると、結構このひらめき、そしてそれを押し通して作っていくというような解釈もできると思うのですが、
このイタリアのプロジェクティスタたちの控えめさというのは、どちらかというと周りに合わせながら育てていく、そんな想像力を表しているようです。
そして2つ目の控えめさというのが、自分が生まれる前の長大な歴史に対するリスペクトや控えめさを感じます。
こちらも一文引用すると、
まずひたすら個の独自性を称賛する現代社会のトレンドとは反対に、戦後イタリアのプロジェクティスタたちは、歴史の流れの中に身を浸しながら作る人たちだった。
想像とは、神のように自分がゼロから一人で作るものではなく、過去の知恵や技術の遺産を継承しながら新たな一歩を踏み出すものであるという、
御子知心的な謙虚さ、ハンブルネスを忘れなかった。
やはりここでも、想像性というと、何かゼロイチ、全く新しいものを生み出すような考え方もある中で、
すでにこの世に存在しているものに対する敬意、あるいは、そういうものに込められている知恵や努力が隠されているのではないかという好奇心を感じています。
もう一文添えると、
あの日最大の衝撃は、彼が自分を膨大な数のものや道具が作られてきた、この長大な歴史の最高尾にいる人間と認識していることだった。
自分が一人で作るのではないのだ。
こういった態度が、彼らの控えめな想像力というものを体現しているようです。
想像力の木のメタファー
そして、そこにも少し絡むのですが、2つ目の切り口が、想像力の木の進歩と対抗というものになります。
この本の中で、著者の滝さんが、想像力の木というイラストを用いながら、さまざまなものを解説してくださっています。
この想像力の木というのが、どういうイラストかというと、
1本の大木を横から見ているような絵になります。
非常に大きな枝が大きく広がっている木です。
枝がたくさん伸びているのと同じくらい、地中に根っこも伸びています。
地平線で線対称になっているように、枝の伸びの広がりと地中の根っこの広がりが、両方とも非常に大きく広がっています。
そのような木のイラストになっています。
この木のメタファーが何を表すかというと、
土壌は 自然や地域社会や 自然遺産など さまざまな環境のことを 指しています。
そこから生える根っこと 幹は まさに人間性です。
地中に埋まっている部分は 根っことしての 暗黙地のようなところです。
その上に立ち上がる 太い幹は 明治地のようなところです。
このようなものを 表しています。
最後に その幹に支えられて 枝をたくさん伸ばしながら あらゆる方向に 広げている樹幹と 木の冠の部分が 技術文明にあたります。
このような メタファーです。
環境に 根をはり 暗黙地 あるいは 明治地を へながら 技術文明に 広げていく 想像力の木です。
この想像力の木には 2つのベクトルが 働きます。
1つは 進歩のベクトルです。
土壌から 幹を通って どんどん 枝葉を 広げようとしていく。
外に 向かっていくのが 進歩のベクトルです。
まさに 文明化も その1つだと 思います。
もう1つは 退行のベクトルです。
退行のベクトルは しりぞくに 行きます。
後ろ向きに 歩いていくような 退行のベクトルです。
これが どういうことかを 引用します。
これらの 人々の 活動を通して 先へ行く 速度を 上げることよりも 少し立ち止まって 反省的に 考えます。
それによって 生や 想像の根源へと 降りていくことを うながすような ベクトルを持った エネルギーが 絶えず 歴史の中には 姿を 表していました。
このように 退行のベクトルについて 紹介を しています。
そして 常に この想像力は 前に進める 進歩と 後ろに戻ろうとする 退行という 2つの 逆行するベクトルの 総合として 作用します。
1つ 面白いことは もちろん 枝端にある 先端技術が どんどん 進行していくことも あります。
創造性のプロセス
例えば 伝統工芸も 先端にある 今あるものを ただ先に 伸ばして 拡大させようとしていると 進行のベクトルだけに なってしまいます。
そもそも それが どういうような 環境から 始まって どういうような オリジンを持って そもそも 何のために 存在していたのかという 幹であったり 土の中へ戻る この退行の動き 退行のベクトルを 取り入れないと 先端技術と同じように 進歩化をしていってしまう。
そんなようなことが 書かれているのが 非常に 興味深いなと思いました。
そして この本で 紹介されている プロジェッティスターたちは 何か新しいものを 生み出す あるいは 課題を 解決するときに こういう 枝端から スタートするのですが そこから 退行を 繰り返して 問題を 定義したり そもそもの 歴史を 調べながら 一度 地中にもぐり 深く根を 張ってから また 進歩させていく。
そして 最終 枝端の先に 到達をしていく。
そういうような 流れを たどっていたそうです。
実際に 本文の中では どのように この退行を しているかであるとか どのように そのものから 地中に 戻っていくための 学びを 得ていくかが 書いてあって 非常に 興味深い部分に なっています。
そして 最後のテーマが 遊びから始め 客観値に 変換する ということになります。
これは ブルーノ・ムナーリさんという プロジェッティスターの 紹介の中で 出てくる ポイントなんですけれども
彼は グラフィックデザイナーや イラストレーター 絵本なんかも 作っている 数々の作品を 残している方なんですが
晩年 創造と教育に関する 非常に多くの 取り組みを 成し遂げた 人間でもあります。
その一つである 創造力の教育法 ムナーリメソッド ということから この遊びから始め 客観値に 変換する という ポイントを ご紹介します。
これは 暗黙値と明智値を 分離させずに 統合していく そんな教育の プロセスになるんですけれども
また一つ引用すると ムナーリのメソッドは 文字通り 手探りで 物質と戯れながら得た感覚
かっこ 暗黙値的な経験を その後 極めて合理的な知性によって 整理 分担して 明智的な知識 情報に 変換することを学ばせる。
この 遊びとその客観値 明智値 という原則を 極めて体系的な形で 実践するのが ムナーリメソッドである。
少し 解説をすると いきなり 明智値 答えを 与えるのではなくて まずは 好奇心を 刺激しながら 遊びから 入っていく。
その 遊びも いろいろ 実験しながら 試してみることを やりながら それを 観察したり 分析したり していく。
一方で その遊びで 終わるのではなくて 後半 その分析や観察したものを 知識や情報や結論という 客観値 内視は 明智値に 消化させていく という
前半と後半を 合体させた プロセスが 彼の メソッドになります。
実は 僕自身が 今 主催をしている 身体行為の 探求ワークショップを やっているのですが そのプロセスに 非常に似ていて 何か とても 勇気をもらった パートになります。
どういうことを やっているかというと 毎回 動詞を 1つ テーマに するのです。
たとえば 刻む 包む 舞う という 動詞を 探求している 職人や アーティストを お招きしながら その動詞を みんなで 探求していきます。
その時に ついつい 能書きとか どういう風に やるかという レクチャーから やりたくなってしまうところを いきなり その行為を みんなで 実践してみる 試してみる。
そこから 立ち上がった たとえば その 包む という行為は どういうことなのか とか
包む という行為を 通した時に 自分自身は どういう風に 立ち上がってきたのか ということを 後半 みんなで 共有をしながら 明治地化していく というような ワークショップを やっています。
この本文でも かつて 舞踏の名手 中島夏が 自分たちの 創作作業の 重要な ポイントとして
身体的に 遊んだ後で 必ず それを 言語化することが 重要だと 筆者に 語ってくれたことが あるが
胸有りメソッドにおいても 遊びと その客観値 言語化が 方法論的に 必ず 連動して 行われていた。
そんな風な 記載があります。
最後の方は すみません。何だか 自分の話ばかりに なっちゃった気もしますが
今 デザインという言葉が 非常に 拡張されてきていて 何もかも デザインされうるような 世の中になってきている中
あるいは この資本主義というものと 密接に 関係している中で
少し立ち止まって そのより原点 あるいは そのデザインの前に
どういう創造性が 発揮されていたかということを 知るには とてもいい一冊になっていると思いますので
ぜひ お読みいただければ あるいは 2.1.2.1の企画展も とても面白いので
訪れてみていただければ というふうに思います。
本日は 末吉製茶工房の 青ほうじ茶 家具和紙をいただきながら
瀧陽介さんの 書かれた プロジェクティスタの 控えめな創造力
イタリアンデザインの 静かな革命を ご紹介しました。
また ノートにて 書き起こしと 本のご紹介 そして 収録後期を 投稿しています。
よろしければ そちらも 概要欄から ぜひ。
そしてですね ポッドキャストって あの 例と 星いくつ みたいな 制度があることを 最近発見しまして
もし よろしければ ぜひ 星で評価 つけていただけたら うれしいです。
では また。