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2024-08-19 16:25

『ホモ・ルーデンス』講談社学術文庫(2018/1974)/Homo Ludens(1938)

サマリー

『ホモ・ルーデンス』では、ヨハン・ホイジンガが遊びの重要性を提唱し、文化の本質における遊びの役割を考察します。彼はホモ・サピエンス、ホモ・ルーデンス、ホモ・ファベルという人類の三つの本質を対比し、遊びが文化の起源であることを示唆しています。この著作は、遊びが文化や学問、芸術、戦争などの基盤であることを論じ、遊びの本質を探求します。著者は、遊びを通して人間のあり方を再考し、読者に遊び心を持って読むことを促します。

ホモ・ルーデンスの紹介
本の紹介です。22冊目になりますね。今日は、ヨハン・ホイジンガさんの書いた、ホモ・ルーデンスを紹介したいと思います。
このLISTEN to booksは、その本が何が言いたかったのか。本の解説とかをするわけではなく、細かくその本について論評するわけでもなく、私の思い出の本を紹介するというコンセプトでやってるんですが、
LISTEN to booksというタイトルにもあるように、番組名にもあるように、その本の声に耳を傾ける、あるいはその著者の声に耳を傾けたい、私なりに耳を傾けたいということです。
これは当然、聞く人によって伝わり方は違うわけなんですけれども、このヨハン・ホイジンガのホモ・ルーデンス、前からタイトルは知って名著なんですけれども、読んでなかった本ですね。
最近、非常に興味を持ちまして、買ってパラパラと見て、細かくは実は読んでないんですが、とても一気に読むのはもったいない、味わって読みたいなという感じですね。
ポイントとか内容については、このエピソードの概要欄・説明欄に、ヨハン・ホイジンガのウィキペディアの情報、リンクですね。
それからこの書評が良かったなと思ってまして、講談社ブッククラブ、私が手に入れたのは講談社の学術文庫版なんですけれども、その発行元の講談社のブッククラブということで、これ2018年の4月に書かれた、このホモ・ルーデンスを取り上げて書かれたエッセイですね。
これがとてもいい感じで書かれてるなと思ったので、それのリンクも貼っておきました。
あとは、私がこのホモ・ルーデンスね。結局、ホモ・サピエンスじゃなくてホモ・ルーデンスっていう考え方もあっていいんじゃないかということが、ホイジンガさんは言いたかった。
実はホモ・サピエンス、賢い人ね。頭のいい人。ホモ・ルーデンス、遊ぶ人。もう一個ホモ・ファベル、働く人、作る人ですね。作る人ですね。道具を作る人。
だから考える人、遊ぶ人、作る人、どれだと。ホモ・サピエンスっていうか人類の本質ね、はどれだっていう話なんですね。
いやどれもそうじゃないかと思うかもしれないけども、このホイジンガさんは実は遊びが先っていうわけじゃないけどね。やっぱ遊びがいろんなものを作ったんじゃないかっていう想定の下でいろんなことを考えてみたってね。
ねちねちといろんなことを考えてみた。それがこのホモ・ルーデンスなんですね。必ずしも完成された本ではないわけだけども、ホモ・ルーデンスっていう本質付けから見ていったときにどんなことが見えるだろうかっていうことをもういろんな角度から書いてるわけですね。
まぁ私の印象はもうこれはホイジンガさんはもう遊び、人類の本質は遊びだっていうことで全部考えてみたいと一度。そういう欲望、欲求を抑えきれずにこの本を書いたということなんですね。
しかもそれは真面目に書いた。だけどそれは遊びで書いたとも言えるっていうね。そんな感じがするわけですね。この真面目と遊びっていう問題。だけど我々はっていうか、遊ぶときは結構、真剣に遊ぶんですよね。真面目に遊ぶわけね。
遊びをいい加減に遊んじゃいけない。真面目に真剣に遊ぶわけね。トランプやって負けたら怒ったりするわけ、泣いたりするわけね。真剣に真面目に遊ぶということをやるわけだから、だから真面目と遊びは必ずしも対立するものではないという。そんな話も出てきますし。
それから一番この本の問いかけは、文化の中に遊びがある。人類の文化の中の一要素として遊びがあるんじゃなくて、むしろ遊びの中から文化が生まれたんだと。だけど現代の文化においては遊びが意外と追いやられてしまっていると。端っこにね。
いうことがあるんじゃないかということも書いてたりするんですね。これとても面白いです。もう本当に全部で12章かな。12回の講義を聞くような感じでね。楽しんで1章ずつ聞いたり読んだりするという。
この時ホイジンガンさんの肉声、日本語喋れるかどうかは別として、今だったらAIが翻訳してくれると思うので。肉声で聞きたかったですね。結構、笑ったりすましたりしながら遊びながら語ってたんじゃないかなと思ったりする場所は結構いっぱいあります。
ちょっと面白かったのは第2章でね。いろんな言葉、ギリシャ語、サンスクリット語、ロマン語、ゲルマン語において遊びっていうのはどういう概念、どういう表現をとられてきたかなんてことも検討してるわけね。
遊びの特徴と実践
この人、サンスクリット語研究から歴史研究に行った人なんで、その辺、詳しいんですけど、言語学的なね。セム語における遊びの表し方。日本語も出てきますよ。日本語における遊びの表し方、中国語における遊びの表し方っていうのも出てきて。
アメリカの先住民族の言葉における遊びの表し方なんていうのもあって、いろんな民族の言葉で遊びはどういうふうに語られてきたか、どういう概念として語られてきたかなんてこともさっくりと、さっくりとね、さっくりと検討されてるわけ。
これ面白かったのは、もう全部網羅的にはできないと。知識の隙間を全部埋めることはできないと。だけど、この本を書くか書かないか迷ったと。でももう私の心の中にしきりに動く何かに誘われてとうとう私は書いた。これ前書きの最後なんですけど、これもうちょっとね、私なんか笑って読んじゃうんですけど。
とにかくね、完璧に書けなくても書きたい。書くか書かないかどうしようか。でももう心の中にしきりに動く何かに誘われてとうとう私は書いた。ここから前書きが始まって。
それで第一章で、文化現象として遊びが語られるんだけども、これまでの遊びの定義っていうのはある意味、不完全だったと。文化の一要素として遊びを語ること自体がそもそもちょっと違うんじゃないか。遊びの中には真面目さもある。
さらに遊びやるときは大体、競技。競技っていうかゲームなんか、例えばトランプなんかね、勝ち負けがあるとかね。真剣に遊ぶとかね。いろんな遊びの要素を引っ張り出してくるわけね。
これちょうどこの講談社のブッククラブでは遊びの特徴5つぐらいにまとめてくれてますけどね。さらに機能的特徴、形式的特徴。遊びは自由な行為だ。それは仮構。フィクションではないけど仮の世界ね。日常とはちょっと区別された仮構の世界だっていう。
お前は悪の敵だ。俺は正義の味方だって遊ぶわけだよね。これは仮構の世界で、現実の世界とは区別されて一線を引いて遊ぶっていう場を作るということなんだよね。
噛んだり蹴ったりしても、これは遊びでやってるんだ。そこがいつしか本気になって遊びを超えちゃう瞬間があるんだけど、その遊びとの境目っていうことなんかも考えたりするわけね。それから遊びってのは場所と時間が限定されるという性格を持ってる。
それから遊びの中には実は秩序がある。遊びはルールを作る、秩序を作るっていう。だから遊びの中でやっぱりズルをすると非難されるわけだよね。お前それズルだろうってね。そこから遊びをやめて本気になっちゃったりして喧嘩になっちゃったりするんだけど。
遊びには秩序があるとかね。あと遊びはちょっと秘密めいているという。これ、だってなんかちょっと親に隠れて遊んだことあるでしょ。禁じられた遊びになんてありましたね。遊びはちょっとこう秘密めいてたりとかね。まあこんな特徴があったりするだろうということ。
それからあとは遊びには演技、演じるってことがある。これ例えば、おままごと遊び、なんとかごっこ、これ全部演技なんだよね。真面目に演技しないと遊びにならないとかね。おままごとでお母さん役やる、ママの役だとママになりきらなきゃいけないっていうね。こういう遊びの世界がある。
遊びと文化の関係
もう一個は遊びっていうのは競技、あるいは戦いね。チャンバラごっことかもそうですけど。あるいはさっきの正義の味方。お前は怪獣だと。俺は正義の味方だと。俺は仮面ライダーだとか言って役をやりましたね。私も小学校の頃。遊びなんだけど遊びで戦うわけだよね。
こういったものが実はベースにあって、文化はむしろ遊びから生まれたんじゃないかっていうことをホイジンガさんは一生懸命書いてますね。
さらにそこにとどまらず、実はスポーツ、競技、これも遊びから生まれたと。競い合いっていうことでそこから生まれたんだ。それから裁判、裁判も遊びから生まれた。戦争も遊びから生まれた。学問も遊びから生まれた。詩、ポエムも遊びから生まれた。
哲学の中にも遊びの形式があるとかね。芸術も音楽も遊びから生まれた。そんな話をして、最後の方で現代文化において遊びの要素はだけどどういうふうに捉えられちゃってるだろうか、みたいな形でね、書かれてる。
ホモ・サピエンスであるだけでなく、我々はホモ・ファベル作る人、道具を使う人だけじゃなくて遊ぶ人。ホモ・ルーデンスなんだっていうね。しかもそれは文化に先立ち、戦争に先立ち、政治も遊びから始まった。
すべては遊びから始まったじゃないかといって、もう真剣に遊び心満載で書いた本がこのホモ・ルーデンスだと思うんですけどね。なので、いろいろつまみ食いして読んでたりします。
例えば芸術やってる人、音楽やってる人、建築やってる人、哲学やってる人、学問やってる人、スポーツやってる人。もうその部分だけ読んで、なんかホイジンガさんこんなこと言ってるけど、まあ確かにそういうとこあるよねとかね。レスリングも遊びから始まったとかね。
昔、相撲とかとりませんでした?お父さんとかとね。遊びがいきなり本気になっちゃう瞬間って、なぜそうなってしまうのかとかね。そういうことも含めていろいろ考えるにはいいんじゃないかと思いますね。
だから、まあポッドキャストなんかやってる人は、なんかネタ、ネタに困ったらホイジンガさんのホモルーデンスでも、ちょっとね、遊び心で読んでみるとネタ満載じゃないかなって思ったりしますが。
ただこの本はもう最初に出たのが戦時中ですかね。1900、戦間期ですかね。1938年ぐらいでしたか。なのでちょっと読みやすいわけじゃないです。
最近はもう語り言葉でね、もう噛み砕いて誰でも読めるような本しか読んだことない人が多いと思うんですけども、そういう時代に書かれた本じゃないので読みにくいです。
けどこれぐらいの本を遊びで読めないようだとホモ・サピエンスもやばいかなと。サピエンスを名乗れないんじゃないかなってね、私なんかは思ったりするわけですけど。ホモ・サピエンスであるのであればね、もう100年近く前に書かれたこのホモ・ルーデンス、とてもいい本ですからね。
ホモ・サピエンスのプライドをかけて、ぜひ真剣に読んでみてはいかがじゃない、いかがでしょうか。ということでホモルーデンス、紹介になってませんが、こんな本ありますよ。タイトルは知ってるけど読んだことない人は結構たくさんいると思うので。
今、2018年ぐらいに講談社学術文庫で新版出てますし、これはやっぱりいいですね、いい本ですね、古典ですよね。ある意味ね。ここに書いてあることは正しい云々じゃなくて、こういう思考をね、問答というかこういう思考実験をしたというね、こと自体がもう財産ですね、我々ホモ・サピエンスにとっては。
そしてホモ・ルーデンスたる我々にとっては、こういうのがこそ古典であり財産だなと思うので、やっぱりぜひ真面目に楽しんで遊びながら読んでいきたいなと思っているということで、まだ読んでいる途中なんですけれども、つまみ食いしている途中なんですが、紹介したいと思います。
ホモ・ルーデンス、講談社現代学術文庫。2018年に新版が出てます。もともとは河出書房から出たもので、この里見さんという方が訳されたのと、もう一個、高橋さんという方が訳された中公の系統がありますが、どっちが読みやすいか比較してないのでわかりませんが、この里見さんの訳は読みやすいなというふうに思いました。
ということで、ホモ・ルーデンス、文化のもつ遊びの要素についてのある定義付けの試みということで、あくまでも試みですけどね。こんな本ありますぜということで紹介してみました。何かの遊びの足しになれば嬉しいかなと思います。ということで、ホモ・ルーデンス紹介でした。ではまた。
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