1. 本質志向のスピリチュアルラジオ
  2. 「子供の頃から哲学者」読書感想
2024-12-23 18:40

「子供の頃から哲学者」読書感想

子どもの頃から哲学者 ~世界一おもしろい、哲学を使った「絶望からの脱出」!
https://amzn.asia/d/5bcGZ6d

⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎


1000冊以上の読書を経てヒーラーになった元霊感ゼロ人間です。「本質のスピリチュアルをわかりやすく」をメインテーマに、幸せのために役立つ情報を発信していきます。

公式 LINE
https://lin.ee/q2dVxVA

ココナラ
https://coconala.com/users/299112

ポッドキャスト書き起こしサービス「LISTEN」
https://listen.style/p/kazu?ZcYquAEx


※シータヒーリングによる潜在意識書き換えのセッションも行っております✨
セッションのご予約は24時間いつでも公式LINEのリンクから受け付けています。
ご希望の方は上記の公式LINEよりご連絡またはお申し込みください✨


【プロフィール】

元ゲームオタク。
20代前半に新社会人として社会デビューするも、世の中の厳しさに圧倒されて人生を挫折。
その後、ゲームに費やしていた時間全てを読書に充て、
「なぜ自分の人生はこんなにも辛いのか?」
「どうしたら幸せに生きられるのか?」
といった人生の根本的疑問について本を読みながらひたすら考え続ける。
10年以上の読書の中で、自己啓発、成功哲学、心理学、科学、宗教、哲学などの分野を調べわたった末に、心から納得できる人生の答えをスピリチュアルに見出す。
現在ではシータヒーリングを学び、セッションを行いながら、幸福な人生の本質についての自らの知見をわかりやすく発信している。


⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

#哲学 #苫野一徳 #苦悩 #自分の人生を生きる #読書感想 #スピリチュアル
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/64eaf2064cfd06ca8ba481e5

サマリー

トマノ一徳の著書『子供の頃から哲学者』では、著者の人生や哲学との関わりがユーモアを交えて描かれています。特に、彼が感じる絶望や哲学者キルケゴールの教えが示す可能性について深く考察されています。このエピソードでは、著者トマノイットクの「子供の頃から哲学者」について、哲学的な問題意識やスピリチュアルな視点から彼の成長や思考が探られています。特に人々が互いに承認し合うことの重要性と、それを実現するための欲望の変化について語られています。

トマノ一徳の人生と哲学
はい、こんにちは、カズです。今日は、子供の頃から哲学者という、トマノ一徳さんという哲学者の方の本を読んだので、これの感想なんかを簡単に話す回にしようと思っています。
副題は、世界一面白い哲学を使った絶望からの脱出というふうに書かれているんですけど、すごい読みやすい本で、哲学の本というよりは、哲学者のトマノ一徳さんの書いたエッセイみたいな、自分の反省を綴ったエッセイみたいな感じの本だったんですけど、すごい面白かったので、ちょっと紹介したいかなと思いました。
何が面白かったかというと、著者の人生をセキュララに面白おかしく語りながら、自分を変えてくれた哲学との絡みみたいなのを語っていく本になっているわけなんですけど、このトマノ一徳さんのこじらせ具合というか、人生の体験談というのが結構やばいレベルで、
それを、もうすごい恥ずかしげもなく、明らかに大平に語って、すごいネタにしているので、それがね、なかなかすごいんですよね。語られている著者の人生経験のレベルが結構やばいっていう感じ、それが面白かったっていう感じだったんですよね。
なんかね、かなり深刻な中二病じゃないかなと読んでて思うんですけど、小学校時代、小さな頃から哲学者なんで、ちっちゃい頃からすごい苦悩しまくってたっていうことらしいんですけど、どんな小学生だったかというと、トマノさんは、まず流行には乗らない、テレビゲームとかは全然やらないとかね、
スーパーマリオとかがブームになった世代で、みんな外で遊んでたのが、うちに引きこもってゲームするようになったっていうその転換期だったらしいんですけど、流行には乗らない、周りと同じことはやらないっていう精神で、全然ゲームとかやらなかったらしいんですよね。
で、漫画も周りの子たちが読んでる漫画を読むんじゃなくて、トマノさんはね、手塚治虫しか読まないみたいなのを貫いてたらしいです。
その頃のバイブルが、手塚治虫のブッダと火の鳥だったらしいんですよね。結構ね、ヤバいですよね。
手塚治虫の火の鳥を読んで、死んでしまうっていうことよりも、もし生き続けてしまって死になかったらどうしようみたいな、そういう恐怖に震えてたらしい、そんな小学生だったらしいんですよね。
あと、その後何回も躁鬱病を繰り返したりとか、あとなんかね、早稲田大学時代に宗教を作って教祖様になったりしたらしいんですよね。
人類愛教っていう、ちょっとした宗教ができてその教祖様になったりしたらしいんですよね。
この辺聞いてね、結構ヤバいなみたいな、この人ヤベェなみたいな感じだったんですけど。
ウェルテルの悩みと自殺
あと語られているエピソードとしては、文豪のゲーテの「若きウェルテルの悩み」っていう小説があるんですけど、これにドハマリしたっていう記述があるんですよね。
このゲーテの若きウェルテルの悩みっていうのは、ゲーテ自身も後に言ってるんですけど、ウェルテルは危険な小説だって言ってるような、ちょっとヤバい小説なんですよね。
親友の婚約者に恋してしまったゲーテ、自身の苦悩を描いた初感体の小説ということなんですけど、最後主人公のウェルテルは自殺してしまうっていう結末なんですけど、
これを読んだ大勢のファンたちがですね、18世紀末に世界中で大ベストセラーになったらしいんですけど、この作品のファンたちがもう相次いで自殺してしまうっていう、そういうウェルテル効果って多分言うと思うんですけど、
そういう社会現象まで引き起こしてしまったっていう、かなりヤバい小説なんですよね。
で、著者のトマノ一徳さんはこれにドハマリしてしまった時期があったという感じなんですよね。
でもこの本の中で書かれている通り、自分でもあの頃若きウェルテルの悩みにドハマリしていた自分の精神状態っていうのはかなりヤバかったんだっていうことを書いてて、
ウェルテルは世界文学の揺るぎなき最高傑作だ。でもこの本を揺さぶるように読んでいたあの頃を思い出すと、今の僕はちょっと怖くなる。
あんな精神状態になるのはもう二度とごめんだっていうふうに書かれているんですよね。もうすごい鬱が極まってて、
何か木の葉が舞い落ちただけでもなんか死にたくなるというか、多分そういう精神状態をすごい流霊な美しい文章で、
天才芸手は感傷的に書いているので、感覚が鋭敏になりすぎてるっていう感じだと思うんですよね。
鬱の人って何が起こっても死にたくなるというか、マイナスに解釈しちゃうっていうか、そういう感じだと思うんで。
だから文学の傑作であることは間違いないんだけど、でもあれにハマっていた時期にはもう戻りたくないっていうのは本音でトークされてましたね。
絶望と可能性
そんな著者のトマノ一徳さんなんですけど、そんな苦悩しまくりのトマノさん、もうちっちゃい頃から人生に悩みまくってた著者なわけですけど、
そんな著者を変えてくれた人生に役立つ哲学のエッセンスっていうのも最後の方に紹介されていました。
これがちょっと、なるほどと自分でもね、これはちょっと使えるなみたいな話が載ってたんで、これもちょっとシェアしたいなと思います。
紹介されているのがキルケゴールっていう哲学者、この人絶望の天才なんですけど、この人も苦悩しまくりの哲学者で、僕もちょっと親和性あるんじゃないかと勝手に思っている哲学者の一人なんですけど、
この人が言うにはですね、あらゆる人間はもう絶望するんだと、絶望してるんだみたいなことを本の中で多分言ってるんですけど、
そういうあらゆる絶望っていうのはなんか多種多様なように見えるけど、実は全部自分自身への絶望なんだっていうふうにキルケゴールは言ってるらしいんですね。
で、このあらゆる絶望が自分自身への絶望なんだっていう、これかなりスピにも通じる話じゃないですか、多分。
結局全部自分なんですよね。
結局、これスピリチュアルの話ですけど、全部自分自身との関係性、世界で起こる全てっていうのは結局自分自身との関係性の話なんだって言い換えることができると思うんですよ。
なぜなら、全部鏡の法則の鏡であり、ワンネスだからなんですよね。
自分の目の前で起こる人間関係とか、そういうものって全部突き詰めれば、世界イコール私であるので、自分自身との関係性と言い換えることもできると思います。
で、そんなスピリチュアルの感覚をキルケゴールはね、キルケゴールが言うにはあらゆる絶望は全部自分自身への絶望なんだって言ってるわけなんですけど、
で、その後、このキルケさんはその絶望を深く分析していくわけですけど、
じゃあそのあらゆる絶望は自分自身に対する絶望であって、じゃあどうすればいいかっていう話を、キルケゴールはこういうふうに書いてるみたいなんですね。
気絶した人があると、水だ、大どころんだ、ホフマン的罪だと叫ばれる。しかし、絶望しかけている人があったら、可能性を持ってこい、可能性を持ってこい、可能性のみが唯一の救いだと叫ぶことが必要なのだ。
可能性を与えれば、絶望者は息を吹き返し、彼は生き返るのである。
っていうふうに、キルケゴールは書いているということです。これね、確かにっていう感じが僕もありました。
絶望している人は何が必要かって言ったら、可能性なんだって、キルケゴールは言ってるわけなんですよね。
確かにね、希望と言い換えてもいいかもしれないけど、可能性をね。
可能性が見失っているから、絶望しているんだっていうことですよね。逆に言ったら。
で、ここから、じゃあどんな可能性を持ってくればいいのかっていう話は、キルケゴールはね、ちょっと宗教チックなキリスト教の神に走る感じになってるんですけど、
それだと、ちょっとピンとこない人も多いということで、この本の中ではルソーをここで引っ張ってきてるんですよね。
ルソーは、不幸のことについてこんなことを言ってるそうなんですよね。
私たちの欲望と能力との間の不均衡のうちにこそ、私たちの不幸があるというふうにルソーは書いているそうです。
私たちの欲望と能力との間の不均衡のうちにこそ、私たちの不幸があるんだって言ってます。
つまり、僕らの不幸っていうのは何で起こっているのかって言ったら、それは欲望と能力とのギャップなんだっていうふうに言ってるわけなんですよね。
これも確かに考えてみたら、なるほど、そうも言えるかもしれないなみたいになると思うんですよね。
不幸イコール、欲望と能力とのギャップっていうふうに言ってます。
で、不幸の原因がですね、欲望と能力とのギャップにあるとしたらば、その不幸を解消する、そこから抜け出すには3つ考えられると思うっていう話をこの本の中でされています。
1つ目は能力を上げる。
2つ目は欲望を下げる。
3つ目は欲望を変えるなんですね。
1つ目の能力を上げるっていうのは、一般的、世間的かもしれないですね。
野球選手になりたいっていう欲望を持ったら、その欲望を叶えるために一生懸命練習しようとかね、それが一般的だと思うんですけど、そういうことですね、能力を上げる。
これはなんかみんなすぐに思いつくことだと思うんですけど、その不幸を解消するため、不幸が欲望と能力とのギャップにあるんだったら、じゃあどうすればいいかっていう話で、1つは能力を上げて欲望に追いつかせるっていうこれが考えられますと。
2つ目は欲望の方を下げるっていうことですね。
これちょっと仏教的なアプローチでも言えるかもしれないなと思うんですけど、諦めるみたいなのにちょっと方向性としては近いかなっていう感じですね。
欲望と能力のギャップ
でも仏教で言う諦めるっていうのは、決してネガティブな意味合いじゃなくて、明らかに見極めるっていう意味合いが仏教的な語源だそうなので、だから執着をなくすって言ってもいいかもしれないですね、この欲望を下げるっていう2番目のアプローチ。
で、ただ著者のトマノさんはこの本の中でこの3つ目が一番大事なんじゃないかなっていう話をしてるんですけど、それがですね、欲望を変えるっていう話です。
これは確かにスピトもここも通じてくるんじゃないかなって読んでて思ったんですけど、スピリチュアルだとそもそもそれは本当にあなたの望みなのか、本当にあなたのやりたいことなのかっていうのをちょっと問い直す感じになると思うんですよね。
だいたい今の世の中って、自分の欲望を本当に自分のやりたいことではないのに、これが自分のやりたいことだって、自分のゴールだっていうふうに勘違いしてる人が大半だという実感が僕の中にあるんですよね。
なので、不幸は欲望と能力とのギャップにあるんだっていう話から、1つ目、能力を上げればいい。2つ目、欲望を下げればいい。3つ目、欲望を変えればいいっていう3つ出しましたけど、その3つ目、欲望を変えるに関して、ちょっと僕としてはね、ここからそもそもその欲望っていうのは社会によって他者によって外から洗脳されたもの、植え付けられたものなんだって。
その自覚をまず持ってほしいと。で、実際、簡単な凄いしょぼい例で言うと、別にそのテレビコマーシャルを見る前の自分はその商品欲しいと1ミリも思ってなかったのに、それを見ることによって自分の中に欲しいっていう必要性が生み出されて、それが欲望になったんだっていうことがすごい小さなレベルですけど言えると思うんですよね。
そんなような感じで、情報化社会の中で常に洗脳みたいなことにさらされ続けられてるんですよ、僕ら。なので、魂の望み、本当の自分のやりたいことっていうのが結構ね、分かんなくなっちゃってる。
で、その他人から捏造させられた、作り出されてしまった偽の欲望みたいなのに一生懸命頑張って走り続けてるんだけど、それがとろーに終わって人生虚しいみたいなのが結構ね、現代人の現実的な姿なのかなと思ってるんですけど。
なので、本当のあなたの魂の望みっていうのは別にあるのかもしれないぞっていうことをまず知ってほしいなと。そういうような話に持っていきたいなっていうね、勝手にこの辺を読んで僕が思った感想で、そんなことを思ったりしました。
これめちゃめちゃスピリチュアルな話ですけど、でも多分哲学でも現代思想の風光とかボードリアルみたいな人たちはこういう話をしてると思うんですけど、まあそれは良いとして、で、全体まとめての感想というか、最後にざっと感想を述べるとしたら、
なんかね、読み終わって思ったのは結局のところ、問題意識は同じだよなっていう感じがしたんですよね。このトマノさんと、なんかスピリチュアル。僕は自分なりの人生を生きて、その自分なりの人生から生じた問題意識の結果、今スピリチュアルっていうところに立ってるわけなんですけど、でも結局問題意識は同じなんだよなっていうのをすごい読んでて感じました。
このトマノさんは、そもそも人生苦しくて、なんか絶望してて、あと人からめっちゃ承認されたくて、っていうところからスタートして、いろいろ、なんか右翼曲説でやって、今、なんかねミュージシャンになりたいとか小説家になりたいとかいろいろあったらしいんですけど、でも結局、武田誠二先生っていう方と出会って哲学者に今なってるわけで、
今その、今現時点でのトマノさんのミッション、やりたいこととしては、どうやったら人は互いに承認し合って平和に暮らしていけるのか、みたいなのを哲学的に突き詰めているっていうのが、今の著者のライフワークになってるそうなんですけど、これだからなんか問題意識は同じだなっていう感じがすごいしたんですよね。
結局、どうやったら人は互いに承認し合って仲良く暮らしていけるのかっていうのは、まあスピリチュアルでも多分、なんか似たようなとこだと思うんですよね。
あの、アテンションして分離の人間性の世界から愛と調和の世界に移行しましょうみたいなのって、結局これじゃないですか。どうやったら人は互いに承認し合って暮らしていけるのかっていうテーマは同じだと思うんですよね。
だから、うーん、何だろうな、だからその別にスピリチュアルと哲学ってちょっと葉竹が違っても、読んでて問題意識に共感できるところはすごい共感できるし、
その自分の中の深い問題意識からいろいろ悪戦苦闘してる著者の人生になんか敬意を払えるというか、読んでて、ああもうよく頑張ってるなぁみたいな感じですごい読んでてね、面白かったっていう。
はい、そんな感想を言って、今回は終わりにしたいかなと思います。
そんなわけで、今回は本の紹介ということで、子供の頃から哲学者、トマノイットクさんの本をなんとなく喋ってみました。
では今回はこれで失礼したいと思います。どうもお聞きくださりありがとうございました。
18:40

コメント

スクロール