1. 本茶本茶(HON-CHA HON-CHA)
  2. #10 何もできなくても、見てい..
2025-10-22 14:41

#10 何もできなくても、見ているだけでいい『傷を愛せるか 増補新版』

狭山茶(日本茶)を淹れながら、『傷を愛せるか 増補新版 (宮地尚子 著)』についてご紹介します。


見ているだけでいい/矛盾として残る古傷/傷を愛せるか


収録後記、書き起こしはこちらのnoteに!

https://note.com/honcha_honcha/n/nabdf4fbe5311?app_launch=false


🍵 本日のお茶 🍵

https://www.satenteashop.jp/items/25750020


📕 本日の本 📕

『傷を愛せるか 増補新版』

宮地尚子 (著)

https://amzn.to/3WiJZrD


📗脱線してご紹介した本📗

『傷のあわい』

宮地尚子 (著)

https://amzn.to/4o1nIL3


👤 スピーカー 👤

Fuyuto


「静けさのデザインとケア」を通して、創造性の器を育む、Studio Stillnessとして、コーチング、プログラム開発などを行っています。


Instagram → https://www.instagram.com/___fuyuto/

note → https://note.com/honcha_honcha

00:09
こんにちは。本茶本茶へようこそ。毎回一種類のお茶を味わいながら、一冊の本をきっかけに、ゆるやかに語る時間です。
静けさのデザインとケアを通して、創造性の器を育む、スタジオスティルネスのFuyutoがお送りします。
今日ご紹介する一冊は、宮地直子さんという方が書かれた、『傷を愛せるか 』。こちらのちくま文庫から出されている文庫版ですね。増補の新版をご紹介したいと思います。
この著者の宮地さんは、精神科医であり、医学博士でいらっしゃるんですけれども、臨床以外に文化精神医学であったり、医療人類学をご専門としている方で、トラウマ研究の第一人者である方になります。
今日は、そんな宮地さんが、傷、特に心の傷について書かれたエッセイを、三つの切り口からご紹介したいと思います。
一つ目が、見ているだけでいい。
二つ目が、矛盾として残る古傷。
そして最後に、傷を愛せるか。
では、まずはその前に、本日のお茶から。
本日のお茶は、日本茶。
東京の西大木窪にある、サテン産というティースタンドで購入させていただいた、埼玉県埼玉市の横田園産の、オクハルカの深蒸し茶になります。
先日、このサテン産のですね、ワークショップっていうんですかね、セミナーに参加をしてきて、日本茶の入れ方とオペレーションっていう内容だったんですけれども、
ちょうどその時に、このオクハルカを、店主さんが何個かの違う入れ方で入れてくださって、
はじめは、一煎ずつ、氷水を使ったり、お湯の温度を変えながら、蒸らしの時間を変えながら、
うま味であったり、苦味であったり、香りを、一煎目から五煎目まで入れ分けるっていうんですかね、
03:08
ほんと同じ茶葉なのに全く違う飲み物を5ついただいているような、
そんな体験をさせていただいた後に、香りとか苦味とか味、うま味、それをバラバラじゃなくて、
全部その一杯のテイクアウト用のカップに込めるための特殊な、ちょっと僕は初めて見た入れ方をしてくださったんですけれど、
それがもうめちゃめちゃ美味しくて、ちょっと家でもやりたいと思って、同じ茶葉を買ってきました。
まあまあうまくいったような気がしますね。
そして、今回10回目を迎えたんですけど、いきなり冒頭お茶の音から始まるっていうのがですね、
なんかすごい褒めてくれる人と、戸惑う人といるようで、
ちょっとお茶の時間を間に入れる形で、少し構成を変えてみています。
ここからまた本の紹介に戻りますので、
皆様もぜひ何かお茶とかお好きな飲み物を飲みながら聞いていただければと思います。
本のですね、紹介の方法もちょっと変えてみようかななんて思っています。
だいぶ毎回引用しまくり、ちょっと難しいですよね。
どこまで行っても紹介しきれないなということで、
これからちょっとポイントを3つに絞って紹介してみるっていうことを試しに始めてみたいなと思っています。
そんな第1回目の傷を愛せるか、宮地直子さんの作品なんですけれども、
これはですね、ちょっといつどう買ったかはあんまり思い出せなくて、
ただこの宮地さん、結構本いろいろ専門的なものからエッセイまで書かれているんですが、
この傷を愛せるかっていうものと、もう1冊文庫になっている傷の淡いっていうエッセイ、
この2冊を一緒に買ったことを覚えています。
この宮地さんの文章はですね、何て言うんでしょう、
なんかお医者さんの方が書かれる文章って難しいのかなとか、
もしかしたら思われる方いらっしゃるかもしれないですが、
すごい読みやすい、まあ軽やかな語り口のエッセイなんですけれど、
一方でこう何て言うんでしょうね、
こう物事の少し耳が痛いというか、何か自分にも心当たりがあるようなところにもしっかり向き合いながら、
それがちゃんと文章に落ちていっている、そんな雰囲気を僕は感じ取っています。
そしてそんな宮地さんの眼差しに関わるのが、
1つ目の紹介ポイントの見ているだけでいいという言葉になります。
06:04
冒頭、何もできなくてもという章があるんですけれども、
そこで宮地さんのご友人の方がパートナーを病気で亡くされた、
その時に何もできなかったというエピソードから書かれた部分を少し抜粋してお伝えしたいと思います。
何もできなくても見ていなければならないという命題が、
何もできなくても見ているだけでいい、何もできなくてもそこにいるだけでいいというメッセージに変わった。
この宮地さんは小さい頃から様々なことを見ている子だったようで、
何もできなくても見ていなければならない、一部指示を見届ければならない、
そんなような命題が自分に課されているような気がずっとしていたとおっしゃっています。
それはその後、お医者さんになられた以降も続いていくんですけれども、
このご友人のパートナーを病気で亡くした時に何もできないというエピソードから、
何もできなくても見ているだけでいい、そこにいるだけでいいという考え方に変わっていった、そんな話をされています。
何もできないということを認めるというのも非常に大切な向き合い方の一つだなというふうに思っていて、
見ているだけで何もできないもどかしさみたいなことがあったり、
ちょっと行き過ぎちゃうと、その何もできない罪悪感を消すために本当は必要のない行動を起こしてしまう、
みたいなことが自分自身あるなと思った時に、
そこにいることとか、見ていること、あるいはそれしかできないことっていうのにちゃんと向き合う、
そんな宮路さんの眼差しが非常に心にしみるなと思っています。
そんな宮路さんの眼差しが冒頭の章で語られた後に、さまざまなストーリーがエッセイとして続いていくんですが、
その中で僕が結構受け取ったのは、もちろんジェンダーの話であったり、トラウマの話であったり、
しっかりと大きな心の傷についての文章も書かれているんですが、
それ以外にも、何て言うんでしょうね、
自分にとってはそもそもその傷を負ったことも、もしかしたら忘れてしまっていたり、
意図的に消去していたりするんですけど、
09:00
何かの表紙に傷んだり、何かの表紙に少し痒くなったりする古傷、心の古傷のようなものを、
この宮路さんの文章から受け取っています。
それが二つ目の矛盾として残る古傷という言葉にしてみました。
例えばですね、ブルーオーシャンと寒村の海、寒い村の海と書いて寒村の海という章があるんですが、
ビジネスでよくありますよね、ブルーオーシャンとレッドオーシャンみたいな話があって、
レッドオーシャンというのはまさに血の海、いろんなビジネスをやる会社がたくさん入り込んできていて、
すごい競争の激しい血で血を争う海。
一方でブルーオーシャンというのは、そういう人たちがまだいない、入り込んでいない、
自分しかいないような青く輝いて、のんびりと満喫できる、そんな海。
ビジネスをする上では、なるべくブルーオーシャンを見つけていきましょう、みたいな話がよくあるかなと思うんですが、
そんなようなところに対して語っている一節になります。
私は人口密度の高いところが苦手で、人が群がっているだけで息苦しくなり逃げ出したくなる。
みんなが持っているものより自分だけのお気に入りを見つける方が嬉しい。けれどもどこかでわかってもいるのだ。
一旦競争の場に置かれると負けたくないと思って、自分が釈迦力になってしまうことが、
なんかですね、この人口密度の高いところが苦手でっていう話と、その後のけれどもわかっているのだっていうところが、
個人的にはですね、非常に自分の中に残る古傷みたいなものに引っかかる、そんな文章だったなと思っています。
自分はやっぱり競争とは違うところに行くんだと思いつつ、いざ一旦その競争に入り込むと釈迦力になってしまう自分。
そういうところにはいかないんだと言いつつも、巻き込まれるとその中での生き残り方を考えてしまう。
なんかそういう矛盾がですね、ずっとその痒いかさぶたの跡のように残っている気もして。
もちろん宮司さんはこれを傷だということは言ってはないんですけれども、
僕にとっては、そういうようなかゆさ、矛盾を抱えた古傷、そんなものも含めて認めていこう、なんていうことを受け取った文章になります。
最後に、この本のタイトルにもなっている、傷を愛せるか。
12:04
実はこの傷を愛せるかというのは、この本の一番最後の章のタイトルになっている言葉です。
これは、ワシントンDCにあるベトナム戦没者記念碑を、この宮司さんが訪れた時の話をしながら、
自分たちがどう傷と向き合っていくか、傷を愛せるか、そんなことに触れた章になっています。
ここからも一文引用させていただくと、
傷がそこにあることを認め、受け入れ、傷の周りをそっとなぞること、
体全体をいたわること、
引きつれや反感を抱え、包むこと、
さらなる傷を負わぬよう、手当をし、後期の目からは隠し、それでも恥じないこと、
傷と共にその後を生き続けること、
まさに、この本を通して、どう傷を治せるかということではなく、
傷を愛せるかということに関係する様々なエッセイを締めくくる形として、
この一文がとても心にしみるなというふうに思います。
今、まさに心の傷に悩む方にもおすすめですし、
生きる中でいろんな傷を負って、それを治してきた方々にもぜひ手に取っていただきたい一冊になっています。
今日は、サテンの横田園のさやま茶、オクハルカをいただきながら、
宮地直子さんの傷を愛せるかをご紹介しました。
また、ノートにて今日の書き起こしと本のご紹介、そして写真や収録後期を投稿しております。
よろしければぜひご覧ください。
それではまた。
14:41

コメント

スクロール