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こんにちは。本茶本茶へようこそ。
毎回一種類のお茶を味わいながら、一冊の本をきっかけに、緩やかに語る時間です。
静けさのデザインとケアを通して創造性の器を育む、スタジオスティルネスのFuyutoがお送りします。
今日ご紹介するのは、河合駿さんの『心の処方箋』という一冊になります。
これは前回の沢会でも少しお話をしたんですが、
これまで10回いろんな本を紹介してきて、一番読んだとか、買った、借りたというリアクションをいただいたのが、
第2回の河合先生と小川陽子さんの対談本だったんですよね。
なので、この河合駿さんの王道というか、名調一冊をご紹介してみたいなというふうに思っております。
今日ご紹介したいポイントとしては3つあって、
1つ目が、答えはないけど聞けてよかった。
2つ目が、51対49の心の勝負。
そして3つ目が、わかりませんな。
この辺の切り口でご紹介をしていきたいなと思っております。
では、その前に、まずは本日のお茶から。
本日のお茶は、台湾烏龍茶になります。
京都にある茶芸館、池阪山というところの台湾茶、老鉄関納を入れてみました。
これは、1980年代に成茶をされた少し昔のお茶になります。
台湾台北に木作地域というところがあるんですけれど、そこで採れた鉄関納という茶葉になります。
そこから長きに渡って熟成を経た貴重なお茶ということで美味しくいただいています。
まずこれ、色。水色がすごい綺麗なんですよね。
ちょっとただの茶色ではなくて、綺麗な琥珀色。
何でしたっけ、たまにいいお弁当とかに入っている果物みたいな、杏子か。杏子色みたいなのが少し混ざった、とても綺麗な色をしています。
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味も全く苦味はなくて、まろやかな甘み、美味しい一線になっております。
なんかすごい不思議ですよね。自分が、もしかしたら生まれる前に成茶されたお茶を今飲んでいるという面白さが、時を超えた飲み物を飲むというのは、なかなか面白いなと思います。
では、今日はこの老鉄観音をいただきながら、本の紹介をしていきたいと思います。
皆様もよろしければ、お茶とか何か飲み物を片手にゆったりとお聞きいただければと思います。
この心の処方箋は、もともとは1992年、今からもう30年以上前に新聴者から単行本で出たものが、その後新聴文庫になって、今日僕は文庫版を手にしています。
実はですね、文庫版になると解説のような形で、三つの言葉っていうタイトルの谷川俊太郎さんの一節がついてくるので、めちゃめちゃお得で面白いという感じですね。
そしてこれは心をテーマに、河合先生がエッセイ集のような形で、55の章に分けてですね、書いている本になっています。
ぜひ、もし図書館とか本屋さんで見つけたら、目字だけでも読んでいただけると、めちゃめちゃ面白いんじゃないかなと思うんですが、
本当ですね、目字が名言集みたいになっているんですよね。
例えば、「物事は努力によって解決しない。」とか、「生まれ変わるためには死なねばならない。」
「嘘は常備薬。真実は劇薬。」
「裏切りによってしか距離が取れない時がある。」
一番最後の章が、「すべての人が創造性を持っている。」こんなような章立てになっています。
そして、それらを全部読んだ後の、僕の独語感、感想というものが、先ほどご紹介した3つの切り口の1つ目。
答えはないけど聞けてよかったというものになります。
この本の一番初めの章が、「人の心など分かるはずがない。」というなかなか強いタイトルなんですけれども、
その中の一節に、「一般の人は人の心がすぐ分かると思っておられるが、人の心がいかに分からないかということを確信を持って知っているところが専門家の特徴である。」という部分があります。
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心の処方箋というタイトルをつけて、読者の方は何らかしら心にまつわることを知りたい、読みたいと思ってくる中での冒頭に、
人の心がいかに分からないかということを言い切るところからスタートする。
やはりこの心の問題というのは、55の章を1個1個読んでいっても、なかなか明確に答えが出るということはないんですよね。
どっちかというと、何ともしがたいということが分かる、そんなような印象を僕は受けています。
例えば、「己を殺して他人を殺す。」という名前の章があるんですけれども、この章は河合先生のもとにカウンセリングに訪れた一人のクライアントさんの事例を取り上げて、
この方は常に自分を殺して、己を殺して、周りを優先して、いい子とかできる子として生きてきた方。
一方で、ずっと自分は我慢しているはずなんだけど、ある時その職場で自分が勝手者であるという評判が出ているということに驚いて、
カウンセリングを受けに来る、そんなクライアントさんの話になります。
これどういうメカニズムかというと、いつもこの子は生まれてから我慢をしてきたと、
いろんな人の言うことを聞いて、いろんな人のいいように生きてきたんだけど、
時にはたまらなくなって、少しここはもうっていうタイミングで自分勝手なことをしてしまう。
でも周りからすると、意外とそれがここでそれやるのかっていうタイミングになっていたりとか、
普段はそのいい子として生きているので、よくも悪くも印象がない時にいきなり勝手なことをしでかす人、
そんなような部分がハイライトされてしまうと。
その事例を出しながら、川合先生は、己を殺しても殺し切るということはできないんだと。
その殺し切れなかった部分が生き返って、逆に他人を殺してしまう。
それはリアルにというよりも、他人の気分を殺すというような意味合いですよね。
そうやって考えると、己を殺して他人を生かそうと思っていたのに、
実は己を殺すと他人を殺すことに繋がってしまうんだと。
なかなかこれはその心の難しい部分だなと思います。
一方で、そんなことをやめようとして、始めから己を生かしていきようとすると、
それはそれで分かりやすく勝手ものということになってしまうので、そちらもまた難しいと。
この己を殺すか、己を生かすかということも、結局の答えとしては、
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どちらか一方を美徳としてやりすぎるということではなくて、
己を殺したとしても、殺したはずの部分がどうなっているかというところには、
気を配らなければいけないというようなことで締められています。
結論は、どっちでもないということなんですけれど、
このエピソードってすごい過去自分にも何か心当たりがあるようなエピソードで、
こういうことが起きうる、こういうことがある、心というのはそういうものなんだというのを、
もちろん解決にはなっていなかったとしても、知っておけてよかった、聞けておけてよかったと、
非常に思う章になります。
こんなように、他の章にも明確にズバッと答えがあるわけではないんだけれど、
ただ、そういうことなんだという、何か自分の言語化しきれなかったものが、
一旦文章に落ちて、それを読めることの安心感というか、そういうものを感じる本になっています。
二つ目の切り口が、51対49の心の勝負。
これはですね、実は全く同じ名前の章があります。
この章は、河合先生のカウンセリングのもとにですね、
来たくないんだけど、無理やり連れてこられた中学生とか高校生の話。
先生はそういう来たくないっていう人が来ても、何で落ち着いていられるかっていうことを書いた章なんですが、
一文引用すると、心の中のことは、だいたい51対49くらいのところで勝負がついていることが多いと思っているからである。
そんなふうにおっしゃっています。
これはその、カウンセリングに来たくないか来たいか、話したくないか話したいかっていうのは、
実は51対49くらいの本当に微妙な差で、今は来たくない、話したくない。
実は人間はそういうふうに思っているんだけれど、
ただ、その底のほうの49くらいは無意識に沈んでしまっていて、
意識に上った表面的なところだけ見ると、2対0で話したくない。
そういうふうに見えているっていうことだそうです。
やっぱり2対0で話したくないと言われちゃうと、なかなか焦ったり、どうしようって思うんですけれど、
その底に沈んでいる49まで一緒に見ることで、意外とその話したくないっていうのは本当に微妙な差であると。
そんなことを安心しながら、そこに立ち向かえる、そんなようなお話をされています。
これもですね、すごい自分の中にも腹落ちがするとともに、
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結構この51対49の差をどう自分でも感じられるかとか、
自分の中でそれが2対0の話なのか、51対49の話なのかっていうのを、
ちゃんと心と体で感じるっていうのは、とても大切なことだなというふうに思った部分になります。
そして3つ目、最後の切り口が、「わかりませんなぁ。」
これはですね、冒頭にお話しした、少しおまけで谷川俊太郎さんが1章書いている、
河合先生の口癖に関する章から来ているものです。
谷川さんに言わせると、河合先生は3つ口癖があると。
で、そのうちの1つがこの、「わかりませんなぁ。」というもの。
ちなみに後の2つは、「難しいですなぁ。」っていうのと、「感激しました。」っていうものだそうです。
で、このわかりませんなぁっていうのは、どうわがいてもわかんない難しいことを河合先生に質問するとですね、
帰ってくる答えが、「わかりませんなぁ。」とか、「難しいですなぁ。」ということなんだそうです。
でも、なんかその片透かしをくらったというよりも、少し安心するような返事っていうようなことを書かれていて、
自分なりにこれを解釈すると、軽々しくわかったつもりになるような、浅いこうわかるわからないっていうことでもなく、
全く両手を挙げてギブアップ、「もう諦めましょう。わかりませんなぁ。」っていうわからないでもなく、
もっと深く本質的なところに向き合う、その中でのスタート地点としてのわかりませんなぁ、
そんなようなことなんじゃないかなと僕は受け取りました。
谷川さんの一文引用すると、「安易に答えを出すよりも、まずわからないと思う方が答えに近づく道だということを私は納得する。」
なんかこの、とても本質的な問いであったり問題に対して、本質にちゃんと向き合ってわからないからスタートしていくっていうような、
そんな河合さんの姿勢が見えるような気がしました。
思い返せば、この心の処方箋の本の構造自体、先ほどご案内したように、
第一章の初っ端に、人の心などわかるはずもないっていうところから始まっていると。
これは何かその河合先生なりの読者に対して、非常に難しい、そしてわからないかもしれない心っていうものへの本質的な向き合い方に、
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読者を誘ってくれるというか、誘ってくれる、そんな入り口の章だったのかなと後から妄想をしたりしています。
誰もが抱える心に関するいろんな角度からのお話が、とても気軽に読める本だと思いますので、
ぜひ何かの機会にお手に取っていただければ幸いです。
今日は、京都茶芸室池藩の台湾茶、老鐵観音をいただきながら、河合駿さんの心の処方箋をご紹介しました。
また、ノートにて本日の書き起こしと本のご紹介、そして収録公表を投稿しております。
そちらもよろしければ概要欄からぜひご覧ください。
それではまた。