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こんにちは。HON-CHA HON-CHA)へようこそ。
毎回一種類のお茶を味わいながら、一冊の本をきっかけに緩やかに語る時間です。
静けさを通して人の想像性を探索する、スタジオスティルネスのFuyutoがお送りします。
今日のお茶は、中国茶。
第一回に飲んだのと同じ、ブイガンチャというウーロン茶の種類。
前回は、確か八景寒というものをいただいたのですが、
今日は違う種類のダイコウホウというものをいただいています。
いつもの茶風で入れていただいているのですけれども、
すごい華やかで、花とか果実のような甘さと香りを感じながら、
中国茶とか台湾茶というのは力が出るような印象を僕は受けていて、
結構日本茶は癒やしとかリラックスなんですが、
中国茶、台湾茶はリラックスもありつつ、ちょっとエネルギーをもらうような気がします。
そして今日の一冊は、スウェーデンの著者の方で、
ヴェルナティコ・リンデブラッサンが書かれた、
私が間違っているかもしれない原作のタイトルだと、
I May Be Wrongという本をご紹介したいと思います。
この本は発行されたのが今年の7月なので、まだそんなに日は経っていないのですけれども、
東京・新宿のブックファーストで、ワンスパンの棚が全部これでPRされているところだったので、
かなりその後も人気なんじゃないかなということを思っています。
本の表紙には、スウェーデン年間一位、台湾年間一位、みたいなことが書いてあったりもします。
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この著者の方、お名前が非常に長いですね。
この方は、もともとスウェーデンで生まれて、いわゆる大企業でエコノミストとして働いている立場だったんですけれども、
ある週末に、15分くらい瞑想の寝言って書いてあった気がしますが、
する中で、今の仕事を一旦手放して、次の一歩を踏み出す時だというようなことが立ち上がってきて、
会社を辞め、そこから右翼曲折を経ながら、最終的にはタイに森林派という仏教宗派があるそうなんですけれども、
そこに入門して僧侶になるというような経歴をたどった方になります。
この方、森林派に入門した後、17年間をタイであったりイギリスであったり、僧侶として修行しながら過ごされた方になります。
ちょっとユニークなのは、このビョルンさんはその後、46歳で、この仏教の世界からもう一度母国のスウェーデンに一般人として帰るというようなキャリアをたどられます。
その後、なかなか修行中の環境と一般人の環境が大幅に違う中で鬱病になったりとか、
一方で生涯のパートナーを得たり、仏教的な考え方や物語を広く広めるような指導者としてツアーをしたり、
そんなようなことをしながら、その人生における気づきであったり、学びというものを主には修行中の逸話であったりとか、このビョルンさんもどなたかから聞いた物語、実体験みたいなものと合わせながら語られているのがこの本になります。
非常に章が多くてですね、38章あって、一つの章にストーリーと学びみたいなものが詰め込まれているような、そんなような形で進んでいく物語になっています。
この内容は非常に多岐に渡って、知性であったり、自分の体、身体の話であったり、関係性の話であったり、あるいはその正しさであったり、手放すといった、その仏教の教えの中から人生の様々な出来事と交差するポイントの話が書かれているんですけれども、
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このタイトルにある、「私が間違っているかもしれない。」という一節もそこで学ばれた知恵の一つですね。
世の中に対して、もしかしたら私が間違っているかもしれないというような立場で臨んでいくというようなこともこの中で一つ語られています。
この中でですね、僕が好きな学び、気づきというものを一つご紹介をさせていただくと、「奇跡が起こる余地を残しておくこと。」という学びになります。
これはこの著者の方が僧侶になって、かなりキャリアを積んだ後ですね、10年とか経過した後に、どちらかというと先生のような立場で、何かその瞑想会みたいなもののリーダーをする立場になっていくと。
初めてのそのリーダーを目の前にしながら、非常に緊張しながら立派に役目を果たすために熱心に練習をしながら、そんなようなことをストレスを抱えながら準備をしているこの著者に対して、
一緒にですね、修行している女性の僧侶の方が、おそらくこの何でもコントロールしようとして、著者の方が非常にストレスを抱えていることを見ながら、この方に対して、
奇跡が起こる余地を残しておくのを忘れないでという一言をかけてくれると。
もちろん何かに目指して、そこに向けて準備をしたり、しっかりとストレスを抱え緊張をしていくということは必要な要素ではあるものの、
全て何もかも自分の思い通りにしようと、どうしてもしてしまう気持ちって、自分なんかはあるなぁと思うんですが、
そこに対して手放した方がいいよとか、そこまでやりきってもわからないことはわからないよっていう言い方ではなくて、
何かその奇跡が起こる余地を残しておくのを忘れないでっていう、少しウィットに富んだというか、前向きで希望のある一言。
なんかこの言葉の救いの力っていうのは大きいなぁということを感じています。
まあこんな感じでですね、とても素敵な、やはりその学びっていうことだけではなくて、
それがどういう体験とひもづいて語られるかっていうことがこの本の面白さであったり、味わいなんだろうなというふうに思うんですけれども、
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実はですね、この物語、後半ですかね、終わり3分の1ぐらいのところから少し様子が変わってくるというか、
この著者の方がスベイデンに一般人として帰った後の話で、お父さんが肺の病気になってしまうっていうことであったり、
ご本人もですね、難病と言われるALSだというふうに診断をされる瞬間があります。
冒頭の気づきや知恵の話を聞いている時は、なんとなくまあそういう西洋のアイデンティティを持ちながら仏教的なことを学んだ人の視点からの教えっていうような読み方をしていたんですけれども、
その後半で様々なこの避けられない死みたいなものとの気配が出てくると、
なんかですね、すでに読み終わったいくつものストーリーにまた違う味付けがされるような気がして、もう一度戻って読みたくなるような、個人的にはそんな印象を受けました。
もう一つですね、その後半で出てくる一文を少しご紹介をしたいなと思うんですが、
この方がスウェーデンに戻ってパートナーと出会ってですね、結婚をする時、自分の結婚指輪に珍しい言葉を刻んでもいいかということを彼女の方に聞くんですよね。
その文字というものが、昔ペルシャの王様にまつわる物語で伝えられたものなんですけれども、
これもまた過ぎ去る、this too shall passという言葉なんですよね。
もちろんその結婚するということに対して、この言葉を刻みながら、その無情みたいなものを心に留めたというエピソードなんですけれども、
実はもう一つこの言葉が出てくるパートが後半にあって、それはこの著者がエーレスであると診断をされて、そこから言葉もなく家に帰って、
翌朝ですね、嵐は永遠には続かない、これもまた過ぎ去る。
こんなように人生のある意味失意の底でも、この同じ言葉がこの人を救っていると。
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もちろんこれもまた過ぎ去るというのは、完全に手放してギブアップということではないんですけれども、
何かそういう伝点に立つことで、より一層良い時も悪い時も大切に向き合える、そんなようなことを私は受け取る一説でした。
それ以外にも、おそらくいろんな暮らしの中でいろんなタイミングにいらっしゃる方が聞いてくださっていると思うんですが、
さまざま心にひっかかる部分であったり、何か自分の頭の中にあるものをとてもうまく言語化をしてくれるような箇所があったりする本じゃないかなというふうに思います。
ぜひ手に取ってみていただければと思います。
今日はウーロン茶のヴィーガン茶対抗法をいただきながら、ビョルンナティコさんの私が間違っているかもしれないをご紹介しました。
それではまた。