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こんにちは。本茶本茶へようこそ。毎回一種類のお茶を味わいながら、一冊の本をきっかけに緩やかに語る時間です。
静けさを通して人の創造性を見つめ、関係性をケアする、スタジオスティルネスのFuyutoがお送りします。
本日のお茶は、第一回の時と同じウーロン茶のV岩茶という岩に茶、レー岩茶という種類の八景寒、白い鶏の冠と書くものをいただいています。
だいぶ涼しくなってきたので、あったかいお茶でホッとできるような、そんな天気になってきました。
なんかこう、中国茶は何千にも分けて、少しずつ少しずつ楽しめるのがいいなぁと思いつつ、あれですね、ポッドキャストをやっていると、なかなか途中で飲むということはできないと最近気づきました。
ちょっと本茶本茶の危機ですね。初めに一口だけ茶を飲めるという、そんな形で進めております。
そして、本日ご紹介するのは、キムテウさんという韓国の方が書かれた、二つ以上の世界を生きている体、カンイイン、これは韓国のカンにイインですね、の人類学という一冊になります。
この本もですね、よくこちらの本茶本茶で出している三賢ジャヤのトワイライトさんで購入をした本になります。
確かこの時は、このキムテウさんが書かれたこの本と、チンウニョンさん、キムギョンヒさんという方が書かれた文学カウンセリング入門という本、ちょうどお二人とも韓国の著者の作品を買ったことを覚えています。
そしてこのキムテウさんという方はすごい面白くてですね、もともと大学では科学を専攻していて、その後自動車の会社で働いていたそうです。
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30歳を過ぎてから人類学というものを学び始めて、ニューヨーク州立大学で文化人類学の博士号を取得されたそうなんですね。
そしてこの本のテーマというのが、その博士課程にいらっしゃった時に、韓国における二つの病院、一つは西洋医学をベースにするいわゆる病院というものと、
もう一つは東アジア医学をベースにする管医院、これは漢方とか針球みたいなもので治療をする施術ですね。
この二つの異なる医療にまつわるところをフィールドワークをしながらまとめた論文をもとに書かれた書籍になります。
こういうようなその医療におけるフィールドワーク等々をやるものは、医療人類学という分野があるそうで、まさにこのキューテルさんもその医療人類学ということを実践されている方になるそうです。
日本でいうと急に具合が悪くなるとか、他者と生きるという本を書かれた磯野真帆さんという方もまさにこの医療人類学ということと文化人類学を専門とされている方ですね。
あとはですね、カウンセリングということの専門家で、最近新刊結構分厚いカウンセリングとは何か変化するということっていう新書を出された遠畑海人さんもこの本の中でカウンセリングは何かっていうことをひも解くために、
臨床の観点からというよりも、社会とかユーザーのそっちの視点からカウンセリングを描くために、この医療人類学というものを活用したと、そんな風に書かれていたりもします。
ちなみにこのカウンセリングとは何かもめちゃめちゃいい本なので、もちろんカウンセリングに興味がある方とか、あるいはコーチングとか対人支援のようなことをしたり興味を持ったりする方は絶対にこれは読んだ方がいい一冊になっています。
ちょっと脱線してしまいましたが、この医療人類学というものが、医療というものをまさに解剖学的とか科学的にだけ語るというよりも、人が自分の命をどうやって生きて、自分の体をどのように気遣ってケアしていくかということを、
その本人の視点であったり、とりまく人々の視点、社会の視点で聞き取ったり、参与観察をしたりしながら明らかにしていくというような学問だと個人的には理解をしているのですが、
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このキムテウさんの書籍であったり、戸畑さんのカウンセリングとは何かもそうですが、医療人類学というものをもとに書かれた書籍は、非常に実際の現場でどういうことが起きているかという描写が非常にリアルに見られる。
その後に何かそこをもとに概念化されていくような、そんな読みやすさと深さを感じる読み物になっています。
例えばですね、冒頭でこの著者のキムテウさんが午前中に病院のフィールドワークをして、午後に看医院のフィールドワークをする日があるんですけれども、その看医院を訪れた時の描写を少しご紹介します。
この看医院の内部構造は、受付窓口と待合室、院長室、診給室、油泉室、かっこ患者の看保薬を頂材する部屋からなる。この空間は壁で分けられているが、それぞれ分断されているというよりは一つにつながっている印象を与える。院長室の二つの扉がこのつながっている感じを醸し出している。
中略で、看医院の動きと行為に基づき空間がつなげられている。主査室が別にあり、検査室が別にあり、薬局が別にあり、またその間の区画が明確な病院の空間とは異なる。
僕はこの看医院というものに行ったことはないんですけれども、何かこういう描写を見ながら、実際に自分が実体験をしているようなそんな臨場感をもらいながら、その後半で、看医院では診察が看医師の手から離れることは滅多にない。そのことが看医院の内部空間に現れている。
病院と看医院の内部空間の違いは一つの伏線といえよう。病院と看医院で行われる医療行為、ひいてはより深くにある医学の内容までつながっている伏線。というような解説がなされていきます。
また別の箇所ではですね、この病院と看医院の先生の動き方の差にも言及している箇所があって、病院では医師は患者が診察室に入ってくる瞬間、通常は機上のモニターを眺めている。
看医院の診察室では、扉を開けて入ってくる患者自身を眺める看医院の姿を目にすることになる。
この一文を読んで、確かになぁと思ってですね、ちょっとまぁ僕自身は看医院に行ったことも、あまりその東アジア医学的な診療室に行ったことはないんですけれども、確かにこう病院に行くとですね、先生はこちらの患者さんのことを見るというよりも、モニターを見ているなぁというのは言われて思い出すみたいな。
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確かにあったなぁというそんなシーンを切り口にしながら、この2つの医学、西洋医学と東アジア医学の異なる身体感みたいなものをそこから紐解いていく、そんな本になっています。
1つは西洋医学という先ほどのお医者さんがモニターを眺めているという側の医学ですね。
なぜそういうことが起きているかというと、西洋医学において診断をするにはですね、何かその前に検査が行われていると。
その検査の結果、例えばレントゲンなのか血液検査なのか、そういう画像や数字に虐待化されたものを見ながら診断特定をしていく。
例えば血液検査の結果で特定の数字が何か異常値を指してますとなると、それを下げるということをまずまずの目的に治療も進めていく。
なのでこの人の体みたいなものを数字や画像というもので特定、固定してそこに対してアプローチをするというもの。
その時の患者の体というのは客観的な対象として扱われて、お医者さんはもちろん体自身を見ることもありますけれども、どちらかというとモニターであったりこの検査の結果というものを通じて患者さんを見るというのが一つ。
もう一つはモニターというよりも入ってくる患者さん自身を眺めているという東アジア医学。
こちらはどちらかというと患者さんの顔色とか声とか態度とかあるいはその脈みたいなことを通して患者さんの状態、あとは流れという言葉が使われていましたね、を読み解いていく、そんなような営みだそうです。
気。これは気持ちの気ですね。気であったり流れというもののバランスを見ながら患者と医師の対話の中でその治療のテーマや方針というものが形作られていく。
ここではその患者さんの体というのは何か数値か客体か固定化されたものというよりも流れや関係、状況の中で変化するものとして捉えられる、そんなことが言われています。
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なので同じその患者さんの身体、体というものも西洋医学においては客体として測定される対象というふうに扱われ、だからこそお医者さんはモニターを見ると。
東アジア医学では関係性の中で流れを持つ存在として表れ、なので患者さんの振る舞いであったり脈というものを見ながら包括的に見られる。
この2つの異なる身体感というものがまさにこの本のタイトルにあった2つ以上の世界を生きているからだということにつながっていく、そんな内容になっています。
この著者のキム・テウさんも、この2つを二項対立的にどちらかが良くてどちらかが悪いということではなくて、それぞれの異なる身体感みたいなものを浮かび上がらせるということがこの本のポイントなのかなというふうに思っています。
こういう人類学系の本は、何か結論だけを教科書的に書かれるというよりも、非常にその描写であったりとかリアリティを持って楽しめる本になっているので、よろしければ手に取っていただければと思います。
本日は、中国の烏龍茶、V元茶の発見感をいただきながら、キム・テウさん著、2つ以上の世界を生きているからだ、簡易院の人類学をご紹介しました。
また、今日の配信の書き起こしと本のご紹介、そして収録後期をノートに投稿しておりますので、そちらもぜひお楽しみください。
それではまた。