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2025-07-17 46:01

#58 幼児期の習い事は必要?自由な遊びの大切さを考える

現役保育園看護師のチロ先生と高校の同級生たちによる保育の情報ラジオ「ホイクベースラジオ」。

今回は「幼児期における習い事の是非」をテーマに、習い事のメリット・デメリットから、自由な遊びの重要性まで深掘りしています。

3〜5歳で約半数の子どもが習い事を経験する中、習い事がもたらす社会性や身体能力の向上といったメリットがある一方で、子どもへのストレスや自由な時間の減少といったデメリットも。

現役保育園看護師の視点から「習い事をさせることより、させない時間の大切さ」や、親の意識が子どもに与える影響、目に見える成果を求めすぎることの危険性など、子育て中の方必聴の内容です。

自身の習い事経験も交えながら、幼児教育の本質について語り合いました。

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BGM : MusMus


サマリー

このポッドキャストでは、幼児期の習い事が子供に与える影響について議論されています。習い事のメリットとして社会性や学力の向上が挙げられる一方で、ストレスや親の期待によるプレッシャーといったデメリットにも触れています。このエピソードでは、幼児期における習い事の重要性とそのデメリットについて考察し、自由な遊びが育成においてより重要な影響を与える可能性が探求されています。また、経済的背景や保護者の意識が子どもに与える影響についても議論されています。教育のあり方や自由な遊びの価値が強調され、親子の関係や保育園の役割についての課題にも触れています。幼児期の習い事について、ストレスや本質が考慮され、自由な遊びの重要性が強調されています。

習い事の現状と影響
こんにちは、保育園看護師のチロ先生こと佐藤です。 新規事業の力で日本を開国せんとす、合同会社黒船の基礎です。
同じく、黒船の河地です。 僕たちは高校の同級生3人で、保育業界向けの新規事業を作ろうと日々頑張っております。
このラジオでは、現役の保育園看護師である僕、チロ先生と、保育は未経験ですけど、IT企業系で働いている
僕たちと一緒に、いろんなテーマについてちょっと語りながら、保育を深掘りにしていこうという、そんな企画で動いているラジオでございます。
というわけで、今回のテーマは河地さんの方からちょっとお伝えいただければと思いますが、いかがでしょうか。
今回はですね、幼児期における習い事の是非、みたいなところをいろいろお話ししていきたいと思ってます。
いいですね。前回のあれだよね、話の後半にちょろっと触れた部分だよね。
そうですね。
それをちょっと深掘りましょうと。
はい。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
賛否両論お願いします。
賛否両論お願いします。
はい。
じゃあ最初にですね、習い事の是非っていうので、僕らが主観的な意見を交わすのも当然ラジオとしてあるんですけど、
まずその一般論として、こんなことがあるよねっていうのをザーッと僕がAIに調べてもらったのがあるので。
それをまず簡単にちょっとお伝えした上でお話ができればなと思ってます。
というので、幼児期の習い事。ここでいう幼児期って0から6歳のことなんですけど、一般的にやっぱり皆さん聞いてる方もご経験あると思いますが、
スイーミングとか、リアの配送、英会話みたいな習い事をやってるっていうのが多くて。
で、これ学研.jpからの調査なんですが、日本では大体3歳で23%、4歳で40%、5歳では51%の子供が何かしらの習い事を経験してるって調査があります。
なるほどね。
結構だよね。
結構だね。5歳では2人に1人は絶対習い事をやってるぐらいってことでしょ。
まあ、母数の対象範囲が多分ちょっと偏ったりとかあるだろうから、何個も言えないだろうけど、でも場所によってはこれぐらいの数字が出るぐらい、何かしらをやっている。
体感的にはそうかもしれない。
実際どう?千尋先生の働く縁では。
確かに。いわゆる3,4,5歳の幼児グループの子供たちが新しく習い事を始めましたとか、実際自分の子供が行ってる保育園なんかはそこで習い事を行かせてあげますじゃないけど、
自演でいろいろ講師を呼んでやってますってやりませんかみたいなのがあったりもするんで、体感的には半分以上何かしらやってるなっていう気はしますね。
メリットとデメリット
なるほどなるほど。
一応そのざっくりとポジティブな影響とネガティブな影響みたいなものを調べてもらってるんで、さーっと話しちゃうんですけど、
まずポジティブな方は大きくいくつかあるんですけど、かいつまんで話すと、まず社会性の発達と対人スキルの向上っていうのがありますと。
単純にその普段家族じゃないところに行くっていうところがあるので、改めてこう始めましてからそこで振る舞うみたいな社会に生まれるみたいな経験があるので、
ある種対人スキルとか社交性とか、あとあの自尊心やレジリエンスを高めるみたいなことが示唆されてるそうです。
なるほどなるほどね。
でここで得た成功体験、習い事でできるようになったことが増えたっていうのが自己肯定感とかにも繋がるよねみたいな。
があったりとか、まあ分かりやすいところで言えば、やっぱ当然学力とか身体能力に効果があるっていうのもそのための習い事だね。
そりゃそうだな。
なのでまあ社会性の面でも、その学力的な面でも、身体的な面でも、まあ分かりやすくメリットが生まれやすいよねっていうのはまずメリットですと。
一方で習い事でデメリットも当然ありますと。ネガティブな面としては、やっぱり単純に忙しい。
幼稚園行って保育園行って帰ってきたら習い事して土日も行ってみたいになると、やっぱ過度なスケジュールでストレスが子供にもかかると。
実際これは絶対ありそうだよね。
大になり小なり忙しくて睡眠が削られるとか、これはこれ僕がAA出した結果の中ですけど、ある小2専門家ではやっぱ自由に遊ぶ時間っていうのは習い事と同じぐらい授業であるみたいな意見とかもあるので、その自由な時間もちゃんとやるよね。
いいこと言う。
とか、あとはその子供が興味ない適正がないことをやらせてしまうみたいなことも言えると。
全然音楽興味ないのにピアノやらせちゃうとか。
運動神経が全然こう良くないのに体操がとか、そういうアンマッチが生まれちゃうとストレスにつながっちゃうかもしれないとか。
あとはその習い事が過度なプレッシャーになっちゃう。
フィギュアスケートをやらせてこの子にオリンピックに行かせるんだとかまでなっちゃうと。
これは親の問題な気がするね。
結構ストレスになりやすい。
というので、さっき社会性面、身体面、学習面でメリットがあるんだけど、
子供のストレスになりやすいっていうところが大きなデメリットになるんじゃないかっていうのがありますと。
誤解と親の役割
なるほどね。
メリット、デメリットをすごく端的に言うとそういうところです。
一応これAIさんが一緒に保護者の方がありがちな誤解とか議論ポイントみたいなのを整理してくれていて。
なるほど。
これもちょっと簡単に話しちゃうんですけど。
まず1個目が、習い事が早ければ早いほどいいっていうのは実は誤解なんだ。
それは当たり前じゃん。
そりゃそうだよな。
なんかついつい早いことやってる方がって。
お得な感じがね。
ここは本当に内容によりそうだよね。
それこそ絶対音感が欲しいとかさ、その時期に習得しないとその後習得が難しいこととかだったら一定合理性はあるかなっていう気がするね。
というので、特定の領域。
それこそ体操とかフィギュアスケートとか本当に子供の頃からやらせないとだよねっていう領域はあるけど、一般論として脳の発達とか子供の発達っていう意味ではむしろ自由な遊び経験の方が発達を促すみたいなこともわかってる。
そうなんですよ。
というのが、ここは千尋先生のメッツ入りポイントな感じがしますね。
そうなんですよ。
あとは、主に学習面のメールっていう話ですけど、幼児期に勉強を先取りさせると有利になるんじゃないかっていうのもこれもよくある誤解ですと。
子供の0から6歳のうちに足し引き掛け割り、小学校でやるような算数ができちゃうみたいな状態にさせちゃうっていうのは逆に逆効果になるみたいなことがあると。
なぜなら、それで勉強が嫌いになっちゃう。
自分でやらなくなっちゃう、みたいなことも起きやすいので、先取りして詰め込みさせすぎるのも良くないよねとか。
ぽんぽんって、若干習い事が多ければ多いほどいいってわけでもないし。
ちょっと思うやついるかも。
あとは、子供が家立っててもやり続けさせればいつかできるようになるはずなんで、そういうちょっと根性論みたいな。
難しいとこだね、確かに。
結構難しいとこだね。
これはちょっと難しい。
とはいえ乗り越えたら良くなることもあれば、やっぱ無理地位が逆効果になることもある。
トラウマみたいなものになっちゃう。
あとは、これはちょっと逆の視点なんだけど、親がやらせたい習い事を選んじゃうっていうのは、これは親のエゴなんではっていうのも、これはちょっと考えすぎっていう。
これも正直よくある話だと思うけどね。
そうそうそうそう。
いや、そりゃ2歳3歳4歳5歳6歳が、自分のやっぱ難しいよねと。
知らないんだから。
そうそうそうそう。
であれば、まずは親御さんがやらせたいことをやらせてみる。
その中で子供がこういうのをやりたいっていうことがあれば、やらせてあげればいいし、一歩目は出してもいいよね、みたいなこともありますし、何より子供はやっぱり親の顔を見ているので。
親が喜んでくれるから楽しいみたいなこともあり得ると。
あり得るね。
というのがあるので、親がやらせたいことをやらせるっていうのも別にそれはそれで間違いじゃないですよっていうのが、今、習い事でありがちな誤解を話したところでした。
はい、という感じです。
なるほど。面白い。納得感あるという、まあよくある議論のポイントだよね、確かに。
そうだね。
そうだね。面白いね。
という感じでこう一般論を話してきましたが、まあちょっとケンケンガクガクの議論をする前に、みなさんはやってました?習い事。
うん、俺結構やってた。
アイスやってたよね。聞いた話だとね。
そうそう、かなりやってたね。
それはもう本当に0、6歳ぐらいのちっちゃい頃かな?
そうだね、たぶん本当に0、6歳…6歳…0から…0ってことじゃない?
0と…さすがにね。
さすがにね。
そう、でもたぶん体操とかそれこそ2歳ぐらいからやったと思うし、苦悶とかもそのぐらいの時期からやってたし、まあ辞めたりしてるけどね。
苦悶ね。
そうそうそう、辞めたりはしてるんだけど。だから、あの、少年の方に引っ越してくるまで、だから小学校の途中まで地上に住んでた頃はめちゃくちゃ習い事言ってたよ。本当に週4、5ぐらいのレベルで。
へー。
なるほど。
それは小学生ぐらいまでってこと?
そうだね、小学生ぐらいまで。
小学生。
うん、その量は小学生ぐらいまでかな。それ以降はもうちょっとなんか興味があることをやってたって感じだけど。
へー。
だから俺は割と習い事ポジティブ派なんだよね。
あ、そうなんだ。
なるほど。
辞め辞めはあれだけど、単純に自分が結構いろいろやったおかげでなんか面白かったから。
へー。
俺は割とポジティブ。
へー。
なるほど。
千尋先生はどうなんですか?やってたんですか?
やってたけど、たぶんそんな幼稚園生とかそれぐらいの時期は何もやってた記憶はなくて。
うーん。
なんかまあ、全職ガチャだったから水泳やってたのと、
あー。
えーと、マフィアの愛中仲なし君の指摘でやってた。
うーん。
自分の家がちっちゃい寺小屋みたいな学習塾みたいなのを親がやってたから、そこに一応通ってたみたいな感じでいたぐらいで。
トヨルとピアノは小学生の間しかしてないし、自分ちも中学生までの間しか行ってないから。
うーん。
まあ、やってなくはないけどって感じ。
あ、バスケはずっとやってたからか。
うん。
小学生からバスケをやってたから。
あー。
そこから中高、大とずっと続けてやってたけど。
うん。
うん。
結構いろいろっていうよりはバスケが一番やってて。
あ、そうだね。
みたいな感じだった。
そうだね。
だからあんまピアノも、なんか習ってたわりに何も弾けるようになってない。
うふふふふ。
そんな感じだな。
いや、これ僕も多分、幼稚園、まあ僕は保育園、保育園なので。
保育園。
うん。
その、平日に習い事とかは多分なくて。
はいはいはい。
まあなぜならその、うっすらだけどやっぱり外が暗くなるぐらいまで保育園にいたし。
うん。
あー、確かにね。やる時間ない。
そうそうそう。
小学校、中学校の先生だったらもうね、もうやるね。
そうそうそう。
そりゃそうだわ。
保育園っていうのもあったし、多分水泳とかはなんかやってた気がするけど。
うんうんうん。
で、小学校入ってからの方が、友働きないのもあって、習い事をいろいろ入れられたというか。
うふふふふ。
やらされた?
そうそうそうそう。
テニスとピアノと、高学年ぐらいからちょっとバスケットを。
うんうんうん。
水泳はなくなったのかなとか、こうやってたけど。
でも、なんかやりたくてやったっていうより、お兄ちゃんがやってたから、まあやるよみたいな感じだったかな。
あー、そういうのもあるのか。
そうそうそう。
なるほどね。
これ下のコアルあるね。下のコアルある。
そうそうそうそう。
っていう感じだったので、別に習い事のおかげで、で、バスケもなんつーの、小学校5、6年ぐらいからなんかやってたけど。
あんまこうボールテール走ったりとかの時間の方が多かったから、中学校のでかつでちゃんとやるようになったっていう感覚が強いから。
あー、なるほどね。あー、そうなんだ。
だから、なんかゲームの記憶の方が全然強いね、基本的には。
なるほど。なんか、やりたくて好きでやっていたものの方が多いんだね。
そうそうそうそうそうそう。
なるほどね。
幼児期の習い事とその影響
で、考えるとでもやっぱりみんな、なんか水泳とか音楽とかそういうのはなんか、僕ら多分近い層というか、その子も同じらしい。
そうだね。言っても高校一緒ってのは確かに大きいかな。
そうそうそうそう。で、やっぱみんなそうなっていくんだねっていう感覚があるね。
ある。
多分僕らの同級生片っ端から引いてっても、みんな何かしら多分似たような回答にはなってくるだろうしからね。
何かしらやってるよな。ハチゴリ型何かしらやってるよな。
大小はあるとね、多分僕とかちろう先生がそんなにやってない方だったんだね。
そうだね、そうだね。多くはないと思うけどね。
木曽さんが多分、何種類くらいやったの?全部で。その、ちょっとやめたとかも。
やめたとかも含めると、体操、水泳、テニスの屋敷、少年野球、サッカー、テニス公式もやって、剣道もやって、あと何やってたかな。
まあそれこそ苦悶とか、あとピアノもやったし。何やってたっけ。なんかまあ主要なスポーツは大半やった気もするしね。
すごいね。
まあでもなんかやらされてた感は実際あんまなくて、割と俺がやりたかったとか誰かがやってるからそれに活かしてほしいみたいな感じでやってた気がするので。
やらされ感というよりは俺の中で遊びだったと思う。だからいろいろやれてたんだと思う。
これはどっちかっていうとその、やっぱさっき言った習い事のデメリット、ストレスみたいなものは多分僕らはあって感じなかったんだ。
そうだね、感じなかった気がする。
僕やチロ先生は多分どっちかというとやるもんだぐらいの、積極性というより消極的諦めでやっているみたいな。
消極的諦め。下の子だし。
下の子っていうのはあるかもね、確かに。
そうさんはどっちかっていうとやりたいからやってるみたいな。
面白そうでやってた気がする。
なるほどね。
そういうところだと。
確かにやってるけどストレスなかったのはそこに対して成果を求められるとかマジでなかったからだと思う。
確かに確かに。
やっぱね、いい金持ちだからじゃない。
それはそういうのだよ。
習い事でも話になると絶対経済力とかっていうのはもちろん大事なポイントじゃないですか。
さっきチョロって言ったけどやっぱ僕らって一定環境に恵まれたっていう前提が強くある。
文化的資本も金融的資本の面でもあるのでやるもんでしょって言ってるけどできないよっていう絶対存在するからね。
するね、俺もだからいっぱい習い事してた吉祥寺の小学生時代の時から変更して湘南のほうに行って
そっちのほうの、どっちも高利貸なんだけど行った時にやっぱり周りにいる人の層が結構変わって
本当になんか習い事ができないっていうのもおかしいかもしれないけど
習い事をやってない人たちっていうのもいっぱいそこで出会って
そういうことがあるんだなっていうふうなのは知ったから
我々は確かに統計的に言うと結構偏った位置にはいるよね。
いるいる、絶対いる。
バイアスはかかってると思う。
保護者の幼児教育への意識
まあとはいえ、ポッドキャストというものを聞く人っていうのは
まあどちらかというと僕らに近い人が多いと思うのでその前提で話しちゃうけど
それと今の子たちもチロ目線結構似たような感じなの。いろいろやる。
今の子気になる。めちゃくちゃ。
いやすごい意外だったのは、確かに自分が言ってる幼稚園とかでもそういえば
そういうクラブ活動みたいなのがあったなって思い出したんだけど
サッカーを習う子が結構多かったりとか
もちろんピアノをやってます。やっぱりスイミングも多かったり。
保育園って基本的に両親が就労していてフルタイムで保育しているから
送り迎えとか。
なんていうか、そんなにそんなに時間的には余裕がないというね、一日の中で。
子どもは保育してるから。でも子どもの習い事のためにこの日は早帰りしますとか
012の間は全然そんなことなくみんな普通にフルタイムで使って
それこそ延長とかも使ってってなってるんだけど
3、4、5歳になったら途端にそういうお迎えも増えてくるみたいな印象があって
やっぱり平たく言えば保護者の方の幼児教育的なことへの興味だったりとか
就学に向けてスタートダッシュしたいじゃないけど
あるいは小学校の受験のためにとかももちろんあるし
そういう意識があるそうだよな、地域的にも一応東京都内だし
すごいありそう。っていうのは感じるかな。
確かにね。これ議論の本質じゃないのでさらっと話しちゃうけど
確かに地方になるだけで全然違うだろうなとはちょっと思っちゃうね。
そうだね。で、どういうクラスターがそこの保育園に来てるかっていうことでも大きく変わりそうな気がするね。
絶対変わる。今のはでも千尋先生のある種
それは千尋先生の働く保育園先での話ってことよね。
そうだね。僕が見ていて感じることだから。
千尋先生はもう一側面として自分がパパっていうのもあるわけじゃないですか。
その佐藤県における習い事の教育方針はどうなってるんですか。教えてください。
私たち佐藤県はですね、一番上の子を育ててるときに、今二人いるんだけど
とりあえず子供ファーストでひとまず生きていこうということで
基本は子供ファーストでやってきたんですが
最近いろいろ無理が多々あってちょっと大変ですけど
それはそれでね。それは置いといて。
なんかその子が興味あるとかやりたいって思ったらやらせてあげたいな
そういうところにお金をかけてあげたいなって思いはやっぱりあるし
それは自分たちも親にしてもらってきたことだと理解してるから
それは子供にも関与してあげたいって思いでいるので
ピアノとか弾きだそうとかなんかこれやりたいみたいなのが
自分から言ったら、言ったことに関してはじゃあいいよって言ってやらせてはいるというか
やってみてる
何かしらその習い事的なものに通わせたりもしてるってこと?
今はしてる。ちょうど下の子が生まれるタイミングと重なって
育休とか産休とかいろいろあったから、それができたから
今はとりあえず時間をとれてるけど
これだから2人目の子供も保育園行き始めたらお互いフルタイムになるわけで
通えないねっていう感じで。その問題が二直面思想って感じで
あとはもう一個は、それこそ自分の子供が行ってる保育園は
割とその辺が最近の保護者のニーズに恐らく
狙ってるというか
合わせてやっている園だと思うんだけど
その自園に講師を呼んで、今日頃から
普段の保育からそういう体操があったりとか英語のなんかやったりとか
いろいろやってる園なの
その一環でさらに小学校に向けて鉄棒とかそうやって体操もやりますとか
英語の教育もっとやりますみたいな習い事の別料金
習い事があって、それを保育時間中に連れてってやりますみたいなことがあって
結構クラスの大半行くのよね
本人が体操は行きたいっていう風に言って
見学も行ってやりたいって言うから
いいよって言っている人はいるけど
ここからが僕がちょっと懸念するポイントというか
もちろんやりたいだろうし、それをやらせてあげる
そこにお金をかけるっていうのは全然いいなと思うんですけど
このデメリットとかでも言っていたように
決められたそういう技術的なね
自由な遊びの重要性
ピアノとか体操とかスポーツとかもそうだけど
一定の動きとかそういったものを求めるような習い事を通じて学べるところと
そうじゃない自由遊び、英語とかいろんなものとか
全然そんな関係なく友達とただ遊ぶみたいな時間が
自分のいる保育員よりは息子のいってる保育員のほうが少ないのよね
すごく自学自習みたいな時間もあるもんだから
文字とか書けるようになるのすごい早いし
読めるようにも早いし
親からするとすごい目に見えて分かりやすい変化だし
見える学力って親としても嬉しくは思うじゃない
ある程度こういった学歴者系の中で勝ち残ってほしいと思えば
そういうところを伸ばしていくみたいなのも分からなくはないんだけど
自分の縁で大切にしてる保育官というかとは全然違うから
うちの縁はね、どっちかというとそういうのをあまりにもやらなすぎてる節はあるんだけど
割と両極端な感じになってる
でも子どもがやりたいと思ったことに対して
じゃあ全力でどう大人が向き合っていくのか
それをするためにはじゃあどうしたらいいのかを
子どもと一緒に考えながらやっていくとかっていう経験って
そこが、その子が別に現時点で字が読めないとか
そういう学力の差こそあれど
ある種何か課題に対して取り組んでいく姿勢とか
それこそ、さっきのね、社会もっともっといろんなことがあって
その都度どうしようもなくなって
でも何とか頑張って生きていくみたいな力の根本は
そういう自由な遊びとか経験から培われていくものだと思うと
もうちょっとバランスを取りたいな
バランスを取ってやってほしいな
自分の子供にもって思っちゃう
感覚的にはちょっと習い事が強いんじゃないかっていう
習い事として幼児教育とか
そういったものを何というかやらせなくてはじゃないけど
これ目に見える結果をすごくこう
何か求めすぎてはいないだろうかっていうところ
やっぱり目で見てわかるものじゃないから
その自由遊びによる効果みたいなものってさ
せいぜいね、この日こういったもの作ったよって
何かこう製作物があればまだいいけど
それこそレゴとか何やれ作って
あーし楽しかったーっつって
もうそのままバラして片付けちゃったらなくなるぐらいのものってさ
なかなか伝わりにくいじゃない
でもそこにどれだけ全力の保育者があった
その子に開示して一緒に考えてやって
何かその時間はすごい愛おしく感じるんだけど
これがちゃんと伝えきれてないっていうのも課題だし
それ何かそこの重要性って
何か正しく保護者というか一般的なお母さんお父さんたちには
多分プロというか保育士たちが思ってる以上に伝わってないだろうなっていう気がちょっとしていて
それは目に見えて英語教育してますとかっていう保育園の方が
なんとなく水が高まってしまうような気もするというか
わかりやすいし保育者としても楽だし
外部講師来てくれるのが楽じゃなくてね
とか何かいろいろそういう風に見ちゃうなーという感じがします
僕はまだ子供がいないので
親の側面を想像でしか言えないけど
やっぱり親が習い事させたいっていうのは
今チョロ先生が言ったことの裏返しというか逆に近い
それこそ一番言ってた自由な遊びが与えるポジティブな影響っていうものが見えなさすぎるので
子供に苦労をさせたくないから若いうちから英語をさせた方が
今自分が英語が喋れないことのコンプレックスの裏返しでみたいな
あるよね
とかがあるじゃないですか
よかれと思って
そうそうそうそう
そうなんだよな
だいたい子供の教育は親のコンプレックスの裏返しになるから
それは得てしてそういうものだと思うし
というのがあるのでね
なのでどっちが主語なんだっけっていうのが
特に幼児の場合はさ
主体性というものがどうしたって存在し得ない
ある子はあると思うし
これが好きじゃないの判断はできても
知らない世界の知らないことをやりたいとはならないからね
そうだね
というのがあるので
たぶん一応別に習い事するなってわけじゃないけど
もうちょっと習い事じゃない側面の良さを見付ける世界だといいよねっていうメッセージをね
なんというか自由保育が
ただ好き勝手やってるだけになってしまってるような気がするんだよね
イメージもそうだし
変な話保育者たちも含めて
自由保育を歌ってやっているっていうところが
どこまでちゃんと保育士たちに伝わってるんだろう
この法人とかこの縁がやりたい自由保育の
根本みたいなところがちゃんと体現できてるんだろうかみたいな
問題提起をしたいなという感じ
なるほど
結局大人というかある程度大きくなってたら
じゃあ自由にしてくださいって言われた時に
一番その人って出るじゃないですか
自由が本当に自由なんだけど一番面白いし一番難しいと思うんだよ
人によってはある程度絞られて
自由な遊びの価値
じゃあこれをやってくださいって言われた方が
よほどノンストレスで頑張れますって人もいるだろうし
でもはいどうぞ自由ですってなった瞬間
何もできませんっていう風になっちゃう可能性だってあるし
正直大半がそうだとは思うけどね
というか感覚値だけど別にそれが正解だと思ってないし
完全に俺の主観でしかないけど
はい自由になりましたって
急に何すればいいかわかんなくなるっていうのは
自分でこれがしたいあれがしたいっていうのが基本はないわけで
それまで基本多分誰かの要請に応えるということを繰り返してきた人に
ありがちなのかなっていう風に思ってて
それが良い悪いではなくてね
何なら今の教育の仕組みだとそっちの方が多いと思う
そうなんだよ
だからこれって教育もそうだし
ある種の習い事っていうところで言うと
宿題が出るのが当たり前
それをやってるというところで完結してしまって
もっともっと自由な音楽を奏でればいいのに
与えられた課題の曲しか弾けないみたいな
それって音楽の本質とちゃうやんって
もっと発祥で弾いていいのにな
狙い事って誰のためなんだろうねっていうのと
何を期待してやるものさせるものなんだろうねっていうのがめっちゃ気になるよね
どの時間軸で見たら幸せかもしれないけど
違う時間軸で見たら不幸せになるみたいなことはいっぱいあるわけじゃないですか
そうなんだよ
逆もしかりだけど
これはねあくまで0歳から6歳の幼児期に限った話を僕はしてるけど
もっとそれこそ小学校中学校とかになってピアノの習い事をすると
だったらそれだけの目的と狙いといろいろあるわけじゃないですか
この乳幼児期に習わせるって
それこそ水泳トゥールだったら体力を上げるとか
それこそ全速勝ちの子がトゥールをやったら
それこそ心配機能が上がることで
おこしにくくなるとかっていうのはもちろんエビデンスとしてあるわけだから
全然やっていいと思うし
ピアノとかだって
もっともっと音楽に親しみを持って触れるみたいなところが
狙いでやってると思うのよ
ヤマハとかそういうところって基本そういうプログラムだから
プログラムプログラムしすぎてる面はあるだろうけど
でもちゃんと年齢に合わせたことをやってるっていう意味では
そこも素敵だと思う
でもやっぱりやっぱり
そういうふうに考えて世の中の商品がみんななってると思うんだけどね
保育園とかこの日中過ごす大半の時間を過ごす保育園とかは
なんか自由に遊ぶ
好きなことを遊んで
自由に遊ぶ、好きなことをして遊ぶ、みたいな時間や経験をたくさん積んでほしいし、それを丁寧に支えたり関わったりする保育者たちでいてほしいな、と。
一応、おねがいくんのおねがいです。 そうだね。
あの、「習い事の是非」っていうテーマで始まってるけど、
たぶん一番伝えたいのは、習い事じゃない時間が大事なんだよっていうテーマがあるかもね。
その、自由保育と呼ばれているものにこそ本当は価値があるっていうところがもうちょっといけると思う。
習い事とその影響
なんかそれで言うと、習い事やってた割に好きなことやってたなって思う。
だから高谷先生みたいに、それこそほら、やりたいと思ったらもうお金を出すから、じゃあやんなって。
やめようが、やらなかろうが別にお前の判断でいいぞ。
だからそれが理想的よね、なんか。
いわゆる習い事、お金を払ってやる習い事じゃない時間も、なんかそんだけ習い事やってた割に結構あったっていう感覚があって。
それこそ、俺はその頃虫とかさ、つかん系がめっちゃ好きだったから、
その辺で片っ端から捕まえに行く時間みたいなのあったわけよね。
それ今思うと、どうしてそんな時間があったんだろうってめっちゃ不思議なんだけど。
確かに。
うん。結構そういうこともやってたから、まあやっぱストレスなくそういうことをやれてたんだろうなって気はするし。
習い事行くって言ってなかったんじゃない?
いや行ってましたよ、その頃は。送り迎えされてましたよ、たぶん。
そうね、だからなんか、習い事とそういう時間の両立というかバランスはもちろん時々とか家庭事情とかいろんなことによって変わる気はするんだけどさ。
そうね。
普通にさっき冒頭でケイタが出してたAIのメリット・デメリットとか誤解の話とか、俺各トピックについて結構話せる気がするんだよね。
うん。
もうそれぞれ1個の回にできるぐらい俺多分話せると思う。
ひたすらここしばらく習い事の回だけが続くとかあるかもしれない。
確かにね。習い事じゃないほどの良い側面出してくれる。習い事は習い事で、その可能性を広げるっていう面では当然良いこともあるからね。
圧倒的にね、選択肢は増えるから。
そう。
だし、そこにしかいないやつと出会えるのも結構その、まあ自分はさ、保育園じゃなかったからなんとも言えないけど幼稚園側だったし。
でもなんかその子供ながらに限られたコミュニティの外の別のコミュニティの人と関われるっていうのは結構面白かった。
確かに対応であればあるほど広がりはもちろん出るわけだからね。
そうそう、まあ喧嘩とかもあったけどね、いっぱい。
ちなみになあ、幼児期から小学校期ぐらいの数少ない記憶全部一人遊びの記憶だもんな。
消えたらしい気がするけどね。
質が出るね、内向的なタイプか外向的なタイプかって、やっぱその時期からね、よほどあるもんね。
それなりにテニスみたいな何人か生徒で受けるようなことをやってたはずなのにさ、
そこにいた人っていうと名前も顔も一人も思い出せないからさ。
あまり興味がなかった。
そんなことは思い出せないんだけど、小学生ぐらいの時に多分一人でデッキ二つ作ってデュエルマスターズ一人で対戦してたなとか覚えてるもん。
一人でやってたの?
最前紙をお互い出す場合みたいな。これで二人分楽しめるじゃんみたいな。
なんかもう将棋のプロみたいな。
詰め将棋。
詰め将棋というか。
それはでもなんか、ケータのその知力を底上げするような人に立ってそうな気がするわな。
結果的に変に習い事するよりも、よっぽど自分と対話してるよね、それはね。
常に自分の限界と戦い続けてるわけでしょ、それって。
そうだね。でも確かに苦問式とかは一切行かなかったのよ。
老朽生とかで苦問式行ってる人とかって小学校、高学年とかで、もう二次法定式があったな。
やっちゃった、思い出した。やっちゃったかも。
因数分解があるみたいな、ちょっと先のことをどやるみたいなことを言ってる人で、一人も僕と同じ高校に行った人間いないので。
あるっすよね。
俺も小学校5、6年生のときに、とりあえず高校1、2年生ぐらいのところの数学も確かに進んでたんだけど、
途中から全然わかんないし、でもやんなきゃいけないしめんどくさいから、
うちはちょっといろいろ特殊な事情があって、答え合わせとか全部自分でやって提出してよかったから、
全部見て、書いて、丸して出してた。
理解をすっ飛ばすよね。
そうそうそう、ほなしてしまって。
パズルでしかないというか。
そうそうそうそう。
そうならドリルだね、基本的に。
そうそうそうそう。
でもやっぱそうだね。
まあ一定価値はあると思うけどな。
でもやっぱ自分が好きでやってきたこととか、
自分の好奇心とか、やりたいと思った気持ちでやったこととかって確かにすっごい覚えてるし、
それこそ受験のときの話であれだけど、
生物とか本当に何も食うじゃなかったから面白かったし、
試験勉強とかテスト勉強、問題を解くのもすごい好きだったから、
それだけは本当に何も考えなくてもというか、
数学と英語の勉強の合間に生物で休憩するみたいな気持ちちょっとあったかもな。
そうだね。
だから一口に勉強や習い事って言ってもそれに対して本人がどういうスタンスで関わるかって結構変わるよね、それによって。
そう、そう、そう、だし、やっぱ親も、よくも、なんていうのかな、
いい意味で三大先生みたいに放任なほうが、なんかやっぱいいのかもしれないなってちょっと思って。
まあだからなんかあれだけど、やめるって選択肢を残した上でやらせてくれるのはすごく良かったと思う。
結局は何をやるかとかどれぐらいやるかっていうところ以上に、親側の意識がどこにあるかが一番。
それがたぶん子供に対しても出るから、子供も顔色をうかがうもんね、そういうところで。
影響、一番大きく影響し得るポイントだと思う。何するかじゃない気がするな。
そうだね。
なんかその、たぶん0歳から6歳の習い事のアドバンテージって、小学校の低学年頃ってめちゃくちゃ出ると思うんだよ。
例えばその苦悶をやってたら、明らかに簡単なわけじゃない学校の授業とかっていうのがあるからさ、
親の役割と保育
なんかその時は間違いなく、あのなんていうのかな、こうなんていうの、習してしまえば、
その中でこうやっぱちょっと上の方に位置することになると思うんだけど。
もちろんその段階では幸せだし、それがある種の達成感とか自己肯定感に繋がる側面は絶対あるなっていうふうに思いつつ。
なんかその子供本人はさておき、その親がさ、それをどう捉えてるかはめちゃくちゃ大事だなと思う。
その子供に対してそれが結果的にめっちゃ出るなと思う。
そうだね。
そうだよな。
いや面白いと思うわ、なんか習い事って。
さっきお二人も言ってたけど、結局そう、ほら自分ができなかったことの裏返しみたいなところで、
子供に求める節があるっていうのはさ、絶対的にそりゃそうだよなって思うとこもあるし。
なんかそれが行き過ぎた結果やっぱ潰れちゃうとか、うまくいかないとか、
それこそレジリエンスが育ちません、自己効力感が低いですとかっていうのが、
まあ昨今よく話題になってることを思うと、
やっぱね、子育てをしている親に対する、
親をどう育てるかみたいな視点が社会にやや勝手でいて。
確かに。
本来だったらそれも、保育園って一種そこを担っているんだけど、
親御さんの養育力というか、子供との関わりとかを、こういうふうにするといいようじゃないけど、
見せながら子供と一緒に親も育てていくみたいな感覚が、
たぶん古き良き保育士さん、あるいは保母さんぐらいの時代の人たちならあるのかなって思う反面、
やっぱりこういうサービス系の、それこそ習い事をさせますとか、いろんなことをやりますっていう保育園が増えていく中で、
保護者に求めるものも大きくなってて、そしてそれを育てようというか、
一緒にやっていこうみたいな気持ちがなかなかこう見えてこない保育園も増えてるような気がして、
なんかそれは僕すごい、一般的に幼児教育っていう分野の、なんか、サービスとか商品とかに、なんかその辺を感じてしまうんだよね。
なんかすごい、求めてる保護者のレベル感というか、
あの、求められている保護者像がすごく狭くて、ここに到達していることを前提とした商品がすごいたくさんあって。
しろは結構、本当になんか視点が結構福祉的なんだろうなっていう気がするな。
なんか、俺なんかさ、もうどんどんさ、作れよって思っちゃうし、
なんかそう思うんだけど、しろの話を聞いてると、そういうやっぱその、機械の平等みたいがないことに対して、
すごく、なんか違和感を感じてるというか、強く言うなって思う。
まあそうだね。しょうがないね。福祉業界で働いてるから、そっち、いやそれに、なんつーの、その差によって、
利益を奉る子供たちがこんなにいるんだなぐらいには、やっぱびっくりなわけね。自分がいかに恵まれてたかがよくわかる。
だし、子供自体は本当に全員天才ですし、いかようにも育ち得ることを思うと、
もったいないなとも思うしね。 そうだね。まあ大人なり、ある種環境の責任と言ってもいいかもしれない。
ここにはでもやっぱ介入の余地があるし、やりがいももちろんあるし、そこをボトムアップしていくことっていうのは最終的には、
我々の生活だったり今後のことだったりにも、絶対プラスの側面にはなり得るなって思うと、もっともっと、
だからいろんな多角的に保育をみんなに見てほしいし、いろんな企業が保育をやればいいし、
頭のいい人が福祉に入りゃいいのにっていう。それはずっと言ってるよね。 そこに通じてるんだと思う。
なんとなく。 そうね、だから一部でそういうことが起こってるけど、そもそも気づかれない
習い事に関する一般論
世界の話みたいになっちゃってることも、そういう感覚。 いかに取り残されるじゃないけど、
いろんなものが求めてる保護者像に実は該当していない保護者の方が圧倒的に多いっていう事実が、
僕の感覚的にはそういったものが、すごく
もやもやするポイントですね。 そんな感じでしたが、ちょっとじゃあ、川瀬さんの方に
要約していただいて、今日の話を。 AIじゃん。人間AI。
最初にね、あの、習い事っていうものはメリットもある一方、子供へのストレスが大変だよねっていう一般論的な話をしましたが、
たぶんパチロ先生の一番のポイントは、習い事をさせようではなくて、させない時間を大事にしよう、それに気づこうみたいなポイントが一番大きいし、
あと、なんていうか、こういうものに関して正解とか最も効率が良いみたいなことを求めちゃいけないよねっていうのはすごくあるというか。
そうね、目に見える成果を、すぐ出る成果を期待しすぎる。 そこが一番大事、なんていうの、正解がある一番効率よくクリアするゲームだと思っちゃうと、
子供にはこのタイミングでこういうことをさせないとダメだを、できるだけなくすみたいな思想を持ってもらった方が。
小学校受験とか最大のものだもんな。 そうなんだ、それもすごい思うとこいっぱいある。
それも一個でその甲斐ができるね。 確かに。
まあ、ご両親にとってもお子様にとっても、なんていうか、人生って長いですし、僕は正直、こんなこと言ったらたぶん違うんですけど、
この0から6歳児の経験より大人になってからの経験の方がでかいよっていう思想の持ち主なので。
それもまた面白いよね。
なので、ここで習い事をどうしてしまったから良くないって考えを思い詰めすぎないようにねっていうのはあるかな。
そう、それもある、それもある、ほんと。
はい、という感じだったと思います。
経験の重要性
はい、ありがとうございました。
というわけでね、今回はそんなような話をしてまいりましたね。
自分が言ったこのように。
まあね、いろいろやっぱ違う視点から見ると面白いですよね、こういう話って。
面白い。
なかなか習い事っていうありふれたテーマなんですけど、どこへでもジャンプできるというか。
面白かったです。
こんな感じで、保育にちょっとでもかすっていれば私たちは保育に着地させるという、そんなラジオで撮っているので、
これからもそういったようなことを続けていきたいと思っています。
概要欄などにGoogleフォームのURLを書いているので、ぜひぜひ感想、質問、賛否両論、ぜひ送ってください。
お待ちしています。ということで、本週もありがとうございました。
ありがとうございました。
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