2022-01-23 31:08

#06 ぼくらの現在・過去・未来(前編)大ちゃんの目指す先生像

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今回はゲストなしで2人のことをじっくりフカボリします/ テーマは「ぼくらの現在・過去・未来」/ 前半は大ちゃん編

現在は「先生」/ 引っ張っていく教員ではなく、伴走する先生 / 「認任=ニンニン」を大切にしている / 自己決定をいかに大切にできるか / 大ちゃん先生は現在30歳 / 変われた決定打は子どもの姿 / いかに子どもに任せるかに徹する楽しさしか味わえない

過去は「教員」 / 過去はひどかったと思う / 「教えること」に違和感があった / 今は子どもと一緒に学ぶスタンス / 過去の自分は「カリスマになりたかった」のかな? / 分かりやすく手取り足取り、こちらが主導だった / どうして変われた? / ①新しい教育を実践している先輩がいた / ②本との出会い(オルタナティブ教育) / ③子どもの姿が明らかに違った / 自分は必要ないのかな?→任せてみたときの教員のあり方があると気づいた / 僕はあまり得意なことがない→得意なことがある方と繋がれば早い

未来は「先生をつなぐ人でありたい」 / 地域にいる八百屋さんも先生 / 地域にいる方は誰もが誰かの先生→宝であふれている / 子どもが先生になるときもありえる / 学校がハブになればものすごい教育力になる / 好きやこだわりがある人はみんな先生 / 「カスタマイズできる」=学び方や場を選べるようになったらゴール / 何をどこでどう学ぶか自己決定できたら、幸せな教育になる


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【つぼけんTwitter:@tsuboken_mol】

00:09
こんにちは、ほぼ教育最前線あなたにかわって、私が聞きます。始まりました。つぼけんです。
大ちゃんです。
ということで、今回3回目の収録なんですけど、なんと初のリアル収録になります。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。お越しいただきありがとうございます。
今までZoomでの収録でしたからね。
はい。
しかもですね、ただのスタジオとかではなく、大ちゃん先生こと大野大輔先生の勤務している小学校にお邪魔しております。
ようこそ。
よろしくお願いします。今、応接室のPTA会長の写真に四方を囲まれて、荘厳な雰囲気でございます。
プレッシャーがすごいですけどね。
そうですね。いい収録になるんじゃないかなと思います。
というわけで、ちょっと番組説明をします。
この番組は、ほぼ教育最前線、あなたに代わって私が聞きますということで、学校教育をはじめ学びの最前線にいる方をゲストに呼んで、僕たち2人がじっくり話を聞いた上で、ほぼ最前線に迫っていこうという番組なんですが、
今回はですね、特別編ということで少し趣向を変えて、2人だけで話してみようということになったんですよね。
はい。
僕たちのことをより知ってもらおうという回にしたいなと思っております。
収録3回目ということで、2回目Jリーグ鈴木潤さんに来ていただきましたけれども、反響いかがでしたか?
良かったですね。レスポンスありまして、実際に自分は何が地域でできるんだろうかっていうことを考えるきっかけになったって。
声とか、あともう少し大ジャン喋ったらっていう。
もうね、ずっとね、ラジオじゃわからないと思うんですけど、めちゃくちゃうなずきながら聞いてた結果、あんま喋らなかった前半っていうのはね。
でもそんなのもありながら、やっぱりこう自分ごとになるきっかけになった方がいたみたいで嬉しかったですね。
嬉しいですね。本当に自分ごとっていうテーマになっていましたけど、地域っていうね、身近な中で何ができるかっていうのは、
確かにどなたにとっても自分のことを考えられるきっかけになってたらいいなーなんて思いますね。
もっと喋ってよってことなので、今日はもう自分のことなので。
今日ね、たくさん喋るから宣伝しておきます。
よろしくお願いします。
というわけでテーマに参りましょう。収録3回目のテーマはこちら。
僕らの現在、過去、未来。
ゲストの方にじっくり最前線を聞くわけではなく、我々のインサイドに迫っていこうという思考で今回やってみようかと思いますが、準備はよろしいですか?
はい、いきましょう。
03:01
現在、過去、未来ということで、現在取り組んでいること、今まで過去取り組んできたこと、これから未来取り組みたいことをお互いに話してみようということです。
それではほぼ最前線に参りましょうと普段は言うんですけど、そこまでじゃないと思うんで、僕たちのことを知ってもらう回にしたいと思います。よろしくお願いします。
さて、今回のテーマは僕らの現在、過去、未来ということで、だいちゃん先生の学校に来てですね、お互いのことを話してみようと思います。
例えばですね、だいちゃん先生現在を一言で表すと何ですかって聞きますので、取り組んでいることですね、職業とか肩書でもいいですし、材料の有名でもいいですし、何か一言にしてもらってその内容を説明してもらうという流れで考えております。
よろしいですか?
はい。
じゃあまずはだいちゃん先生の現在、過去、未来から聞こうと思いまして、だいちゃん先生の取り組んでいることを表す現在から教えてください。
私の現在は一言で言うと先生なんですよね。
はい。
教員ではなくて。
教員ではなくて先生を一言で言うと先生。教員でもあるし先生でもあるというイメージですけど。
何か違いがあるんですか?
私の中での違いなんですけど、教員っていうのは教えるって言葉が入っていて、僕の中の捉えとしては少し子供たちの前にいて、こっち行くぞと引っ張っているようなイメージがあったんですね。
でも今だいぶ変わってきて、横並びで伴奏するようなイメージに変わったんです。
先に生まれただけであるってことで、でも一つのロールモデルとして伴奏するっていう意味での先生が現在ですかね。
伴奏するのは先生、教員は教えるって字が入ってるから、一方通行みたいなイメージなんですかね。
そんなイメージですかね。
先生として、教員じゃなく先生として今やってることって何かあったりしますか?
いかに子供に認めて任せるのににんなんですけど、とにかく子供の自己決定を促す、どこまで決められるかっていうところですかね。
やっぱり前までの子供に決めていいよっていう部分と、今のこの決めていいよって部分がだいぶ違くて、そこがだいぶ伴奏したとして、子供が決めたことにいかに寄り添うか。
06:06
子供がより良い自己決定を促せるように、こちらはいかに伴奏するかっていうそこが変わったことだと思いますね。
にんにん、にんじゃんはったりくんみたいな。
大好きで。にんが最初は認めるのにんなんですけど、認めて任せる。
これ信じるっていう根底に、子供信じるっていうのがあるので、だから認めて任せますよって。
その代わりに見捨てずにもちろん伴奏しますよっていう。
そんな風になってきたかなと思います。
なろうと頑張ってます。
まず今の職業というか活動のことを詳しく伺いたいんですけれども、現在はどういう学校で何年生を教えている形なんですか?
私は北区の赤羽省なんですけど、今56って持ち上がって6年生の担任をしているので、あと3ヶ月でね、お別れと。
そうだ。
なんかこう、すべての活動でだんだんラストを迎えるんですね。
例えばイベントもラストの運動会だったりとか、ラストの調理実習だったりとか、いろいろラストを迎えると子供といい気持ちになるんですよね。
これで終わりかって思いながらも楽しかったなとか思える。
そんな6年生を担任していて、ほんと今の子供たちすごいなと思うのが、任せれば任せるだけ子供たちは作り上げるっていうところがすごく感じて味わえた子供たちですね。
具体的に学芸会っていうところで、本当に子供たちと何やるから始めて、どうやってやるかとか脚本だったりとか、とにかく子供と一緒に作ったっていうところで本当に感動して、
僕たちが多分強引に引っ張って作ったものよりも明らかにいいものができたんですよね。
なんか子供の力すごいなっていう部分だったり、それはイベントですね。
日々の授業の中でも子供が、例えば時間割をある程度決められる部分を作ったりとか、どうやって学ぶかを子供が決めるっていう。
さっき言った自己決定っていうところをいかにこちらが用意するかってことを今子供たちを楽しんでいます。
そんな6年生担任です。
まずすごい根本な話から伺うと、収録3回目にしてまだ年齢と言ってなくて、おいくつなんですかね、だいちゃん先生は。
これね、31の年で30歳です。
若いんですよ。
前まで20代ですって自慢してたのが、自分から言わなくなったなっていう。
いやでもこんなね、小学校6年生を前に任せることが大切なんだっておっしゃってる情熱ある先生が、31の年、30歳。
09:00
30歳、いやすごいなって思うんですけど。
ありがとうございます。
多分、過去何回か聞いていて、だいちゃん先生多分40代、ベテランの先生なんじゃないかって思ってるから顔も見えないですからね。
たくさんいらっしゃると思うんですけど。
皆さん、若いんですよ、だいちゃん先生。
実は。
ということは教員何年目になりますか?
9年目ですね。
そうか。
前まで足立区で7年間やっていて、今北区に来て2年目を迎えました。
なるほど。
そうなんです。
そんな若いだいちゃん先生ですけど、任任任せる。
そうやってお話を聞くと、とっても素敵だなってことを思いますし、伝わってほしいなって思うんですけど。
本当にできちゃってるんだっていうのが、毎回話を聞くたびに驚きなんですよ。
だって、小学校6年生ですよ。
まだ、わがまま通したいとか、人のことを何でもかんでも考えられる。
大人だってそうじゃないですけど、子供はもちろん子供じゃないですけど、小学生ですからね。
でも、任せたほうがいいんだって思えるってすごいなって毎回思うんですよね。
そうですね。
いろんな先輩の話聞いたりとか、いろんな本読んだりとか、もちろんたくさん勉強したんですけど、決定打は子供の姿だったんですよね。
任せてみたっていう、僕の教員5年目の大転換期があったんですけど、
そこで、任せてみたときのこちらの驚きはもう忘れられないですね。
それを1回味わってしまうと、そこからいかに任せるかに徹する楽しさしかもう味わえなくなるんですよね。
大きなターニングポイントがあったってことなんですね。
ありましたね。
それがちょうど重なるんですよ。中立先生の、あなたの隣の先生は幸せですかって、あの言葉をいただいた時期と本当に重なるんですけど、
僕は子供を幸せにできてるのかって疑うようなきっかけがあったんですよね。
それで、じゃあどうすればいいんだってときに、幸せの一つが選べる自己決定っていうのがあるんじゃないかって。
今、子供はどれぐらい自己決定できてるのかって考えたときにものすごく少ないなと感じました。
で、それをいかに増やせるかって、教員たちと話し合って、少しずつですけど増やしていったっていう、そんな経緯があります。
なるほど。分かりました。どうもありがとうございます。
ちょっと現在の話もたくさん聞きたいところでありますが、ちょっと次のステップに入りまして、では過去に入りようと思いまして。
教員は9年目ですけれども、過去一言で表すとどんな言葉になりますか?
教員。
12:00
なるほど。
先ほどから教員ではなく先生とか言っといて、過去は教員でしたね。
なるほど。
つまりは教える、一方通行で教えるっていう面がやっぱりあったと。
あったと思いますね。
特に3年目、教員3年目が僕の中ですごくひどかったなと思ってます。
なんか自分の中では、あのときうまくいってるとか、これでいいんだとか思ってたんですよ。
今思うと、それって全然自己満足で、子供にとっての幸せではなくて、あくまでも自分っていうのがあったと思いますね。
教えなきゃ子供はわからないだろうとか、そう思ってなくてもなんかこう、自分がそういう行動してしまっていたし、子供を怒ることもあったし。
なんかそういう意味では、今思うと違うなと思いますね。
でも先生が一方的に教える存在なのは悪いことじゃないと思いますし、子供を叱ることがあった、怒ることがあったって、そりゃそうでしょって、それこそ先生でしょって思いますけど、でも違ったってことなんですね。
これちゃんと言っておきたいのは、教えることが悪いと思わないです。それが大事な場面だってきっとあるだろうし、でもなんか違和感があったんですよ。
で、子供っていうのはすごいんだって気づいてからは、こっちが教わることが多いし、一緒に学ぶことが多いと思いますね。
今って常に情報も新しくなるし、前までいい価値だったものが、もしかしたら今、いい価値かどうかわからないって、そんな時代になったときに、子供と一緒に学ぶスタンスのほうがいいだろうというふうになったっていうのと、
これたぶん1回目で話したんですよね。何が正しいかどうかなんていうのは、本当にもうわからない中で、こっちが一方的に、たまに僕もありますけど、怒ってしまったりとか、どうなるなんていうのは必要なのかっていうのを疑った時期だったと思いますね。
でも、その過去はまさしく教員だったと思います。自分は。
3年目のとき、具体的にどんな感じだったかって聞いても大丈夫ですか?
一言で言うと、カリスマになりたかったみたいなふうに、僕は今見てますね。過去の自分を。
いかに僕の教員によって子供がいいクラスになったよとか、自分がこうしたことによってわかるようになったとか、こちらからの上から下に流れる指導ですよね。によって変わるみたいなことで、たぶん自己満足していたんじゃないかなって。
15:01
一言で言うと、カリスマになりたかったのかな、あのときはって思いますね。
例えば最近の学芸会とかイベントごとでは、任せて思いもよらないようなアイデアが出てきて大成功っていう経験をされてますけど、まだ若かった頃はイベントごとっていうのはどんなふうにコントロールしようとしていたんですか?
例えば、楽しくやろうっていうのはもともとあったんですけど、それもこちらの主導ですよね。いかに楽しくこちらが盛り上げて、わかりやすく教えて、必要があったらちょっと子供怒って、みたいな。だからこちらが全部主導だったと思いますね。
今みたいに任せて問いかけが多いような、こちらの働きかけっていうのではなかったと思います。
すごいでも反省されてますし、全く別の方向に向かわれてますけど、それでもその反省している対象の若い頃が全然悪くない。先生ってそうでしょって思うし、ありがたいなってむしろ親としても思っちゃうぐらいですけどね。
今の自分のあり方がどうかっていうのはこれからも探していかなきゃいけないなって考えてます。
なるほど。じゃあカリスマ教員になりたかった過去ですけれども、今のその任せてみようと思えるようになるにはどういう経験があったから思えたんですかね。
ものすごい深い質問ですね。きっかけですか。きっかけとか。
やっぱり3つあるのかなと思ってて、1つがやっぱりそういうのをやっていた先輩いました。
その先輩のクラスを見に行かしてもらったりとか、飲みながら話を聞いたりする中で、どうやら今自分がやっている教育っていうのは違うんじゃないかなって思えるきっかけはお話や、実際見てみて気づいたことがありますね。
もう1つは本との出会いが大きくて、その当時の校長先生とかいろんな先生からおすすめの本を教えてもらって読んだんですね。
その中でこんな実践してるのかっていう方法論もあるし、そういう考えで教育をしているのかっていう出会い、特にオルタナティブ教育の本との出会いが大きくて、
そのオルタナティブ教育が考えるコンセプトの部分に共感をして、子供を見る目が変わっていったっていうのが本との出会いだと思います。
3つ目はやっぱりそれを試してみたときの子供の明らかな違い、子供の姿が決定だってさっきも話したかもしれないんですけど、それで衝撃だったんですよ。
18:06
こちらが前まで教員と呼んでいた過去だとすると、こちらがいかに頑張って用意して盛り上げてやっていたのと、手放して任せてみたときの子供の反応が明らかに校舎が良かった。
子供にアンケートを取ったり話を聞いたりして、全然こっちの方が楽しいよって言われて、最初ショックでしたね。自分っていらないのかもって思ったけど、でもそうではなくて、任せてみたときの、それはそれで教員のあり方があるので、それに気づけたという意味では子供との出会いというか子供の姿でっていう、その3つだと思います。
なるほど。周りの良い教育をなさっている先生と本と子供のリアクションというかですね。
オルタナティブ教育って何ですか?
今の既存の教育とは違うよって意味がオルタナティブっていう元々の言葉なんですけど、結構過去、アメリカとかで言うとなかなか歴史がありまして、戦争中からも全然あった言葉なんですよね。
その教育じゃいけないって考えた人が、じゃあ新しい教育のあり方を考えようって言って始まり、今日本でもたくさんあります。増えてきてますし、どんどん成果を上げてるので、今後増えるだろうし、公立学校もその考えを受けていろいろアップデートされていくっていうのはあるでしょうと。
オルタナティブ教育と公教育ではっきり分ける必要はなくて、むしろお互いに取り入れられるところは取り入れた方がいいだろうし、一つ、僕としてオルタナティブ教育の良さっていうのは子供をどう見てるかの見方がものすごく勉強になりました。
目線の違いっていうのもあるんですね。
だからまさに子供を信じようっていうのも、言葉で言うのは簡単だけど、もっと具体的にどうやって見てあげるかとか、子供はどういうことができるかとか、そうすると見方が変わると我々の動きが変わると思うんですよ。
それで少しずつ自分の中でも変容があったんじゃないかなって振り返ると思いますね。
なるほど。
カリスマ教師になりたいと思って頑張ってらっしゃる姿って全国にたくさんそういう方もいらっしゃると思いますし、それ自体は素晴らしいことだなと思うんですけど、でもそうじゃなくて自分を変えようってまた違うエネルギーだと思うんですよね。
なかなか自分を否定しなきゃいけない部分でもあったりとかして、結構大変な部分もあったのかなと思いましたけども、すんなりこっちの道だっていけたものなんですか?
いやー、すんなりだとは思わないですね。
当時入っていた研究会でも、いかに自分が授業上手くなり、その姿で憧れられる先生になるかっていうのは少なからずあったと思います。
21:10
でもそうじゃないなってじわじわと変わっていったのは、やっぱり目の前の子供たちの姿が明らかにいいので、それは間違いないなって立ち戻れるようなところは子供のおかげですかね。
でも一つこれはちゃんと言っておかなきゃいけないのは、カリスマの先生は絶対に必要だし、今たくさんいらっしゃって、それはそれでいい影響を与えているので、僕は絶対必要だと思うんですよね。
自分自身がそれから離れていった大きな理由が、僕はあんまり得意なことがなくて、じゃあ得意なことがない中でどうするかというと、得意なことを持っている人とつながれば早い。
その得意なことがある方に手助けを求めてお願いしたら早いかもしれないし、子供たちもきっとその方がいいかなっていう、それもいい意味で頼り出して任せていったというところがもしかしたらあるかもしれないです。だから離れられたかもしれないですね。
なるほど、じゃあ基本的には子供の顔を見てアンケートもしたりして、じゃあ目の前の子供たちのために何がベストかって考えたときに、自分一人のスキルをとことん上げるっていうことじゃあ自分自身はないんじゃないかって気づいたってこと。
そうですね、社会にそれから地域にたくさんいるんですよね、すごい方が。その方々の力を借りた方が子供たちにとっていいなと思いました。
なるほど。
そうですね。
じゃあ徹底的に自分とか子じゃなくて徹底的に目の前の子供たちっていうことなんですね。
そうですね、その通りですし、またその仲間が結構いたので、同期の仲間だったりとか後輩先輩もいますけど、その方々と話してると安心して子供に任せられたっていうのがあります。
素晴らしい、じゃああの周りの方にも恵まれて。
恵まれました。
ありがたいです。
ありがとうございます。
過去から現在までその流れがとってもよく見えてきました。
どうもありがとうございます。
自分自身もね、言って初めてそうだったのか。
そうですか。
よかったです。
じゃあ、未来いってみましょうか。
こんなことに取り組んでみたいな一言で言うと何かありますか。
未来はですね、先生をつなぐ人でありたいと思ってますね。
先生をつなぐ人、どういう意味ですか。
先生っていうまずその捉えから話すと、私本当は誰でも先生だと思ってるんですよ。
24:00
例えばその地域で八百屋の方、これって野菜とかそれから商売に関して先生ですよね。
あと最近出会った方で演劇の方がいらっしゃるんですよ、自分の地域に。
その方は演劇で先生ですよね、子供にとって。
だから地域にいらっしゃる方々が誰もが先生なんだっていう捉えなんです。
誰もが誰かの先生になり得るってことだと思いますけど、
そう考えると、僕は学校という立場でいかにその先生方をつないで子供たちに届けたり、
もしくは子供が先生になり得るときもあるというか、
で、子供を地域とつないだりとか、そういうやり方に向かいたいっていう面と、
あと単純に今本当学校で働く先生たちと先生たちをつないでいくことで、
みんなで教育をより良くできるんじゃないかっていうのがあります。
素晴らしい。
前回お話しいただいたトモハグプロジェクトとね、
その地域のことを地域のスペシャリストを集めて子供も時には先生にしようというのは、
まさしくもう既にやってらっしゃることって感じですね。
走り出してはいますね。
やっぱり自分の地域でいうと本当に溢れてるので、宝で溢れているこの地域っていうので、
この帰宅の中でいかに教室っていう枠を外して、
地域自体が教室になっていうか、地域が一つの教室であるために自分が何をすべきかって考えたときに、
つなぐっていう役割を見出したと思います。
なるほどね。
過去に目指されていたいろんな得意があって、
カリスマ的な先生ももちろん素敵だと思いますけど、
自分には得意がないからさっていって、
いろんな人のハブとしてとことん動いていこうって思うのも、
それはそれで素晴らしいなって思いますよ。
ハブっていいですね。
まさに学校がハブになったときにものすごい教育力になるというか、
それは憧れますね。
たぶん聞いてらっしゃる方もいろんなご職業の方とか、
子どもに対してどう接したらいいかとかっていろいろ悩んでらっしゃる方もいると思いますけど、
なんかカリスマじゃなくていいっていうのは一つメッセージかもしれないですね。
カリスマとは何かもありますけど、
何か一つ好きだったりとか、
何か一つこだわってることがある時点で私先生だと思ってます。
それだけでも十分です。
なるほど。
つまりだいちゃん先生の教員じゃなく、
先生っていうのは教え合う誰かの先生っていうことなんですね。
そうですね。誰もが誰かの先生になり得ると思います。
27:03
素晴らしい。
今後こんなことやっていきたいなっていう具体例は伺えたので、
じゃあこんな未来になったら満足、大満足だな。
よかった、生まれてきてよかったみたいな。
こんな状態みたいなあったりしますか。
いい質問だな本当に。
イメージは子どもが、もしくは地域の人もそうですけど、
選べてる状態だと思うんですよね、いろいろと。
学び方だったり、学ぶ場だったりとか、
そういうのを選べるようになっていたら、僕ゴールだと思っていて、
かっこいい言葉で言うとカスタマイズできる。
そんな教育になっていると、きっとゴールなんだろうなと、
そんなイメージがありますね。
なるほど。
自分で選べる。
今まで通りの塾に行って、一生懸命勉強するっていう方法も選べる。
そうですね、それも一つですね。
そうじゃなくて、地域にいる八百屋さんであったり、
いろんな本当の意味での先生たちと学び合うみたいなことも選べると。
そうだと思いますね。
まず自分が小学校の間って、特に自分が何が好きかとか、
自分はどんなことに興味があるのかとか、
自分にはこんなことできるっていうのに、
気づけばいい段階だと思っているんですね。
そうすると、一斉一律で何かを教わるとか、
それも大事かもしれないんですけど、
僕はやっぱり選べるっていうのが大事だと思っていて、
何回も出しているワードで自己決定っていうのが今回にあるんですね。
何をどう学ぶかとか、どこで誰と学ぶかとか、
そこまでカスタマイズできてくると、
すごく幸せな教育になるんじゃないかなと考えています。
素晴らしい。
例えば、今、不登校の。
私、不登校って言葉もなかなか抵抗があって、
私はそれも一つ選んだ。
選んだんだと思います。
やっぱりこの元々の学校のあり方で合わなくて、
子供が合わなかったんじゃなくて、
多分学校が合わなかったと思うんですよ。
その中でその子たちに対して選べる、
ちゃんと場が作れているのか考えたときに、
やっぱりまだまだできることがあって、
例えばお家からでも学べる環境を作ったりとか、
その場所づくりもそうだし、
心の居場所づくりもそうですけど、
まだまだこうできることあるなと思いますね。
選べる、いいですね。
選べるって楽しいですよね。
今日もツボケンさんと語るって選ぶをしてるわけですけど、
30:01
僕はこれは楽しいわけですよ。
よかったよかった。
どうもありがとうございます。
だいぶ流れが見えましたね。
なんかいいです。
自分で話してて自分が聞いてるみたいなイメージで、
大ちゃんこんなことしたいのか。
自分。
いいですね。
いやでも苦手も含めて良くしていこうっていう、
なんか人生の流れも見えてきましたし、
なんかとっても素敵だなって思いました。
ありがとうございます。
どうもありがとうございました。
じゃあ公衆交代で。
いったんじゃあここで全編終了としてもらいます。
どうもありがとうございます。
31:08

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