1. ホイクベースラジオ
  2. #57 理想の大人ってどんな人?..
2025-07-10 40:54

#57 理想の大人ってどんな人?幼児教育から逆算してみた

現役保育園看護師のチロ先生と高校の同級生たちによる保育の情報ラジオ「ホイクベースラジオ」。

今回のテーマは「理想の大人像を逆算して考える幼児教育」。
チロ先生が憧れる“場を和ませる凛とした大人”、きそが目指す“いかがわしい大人”、かわじが重視する“自分で機嫌を取れる大人”──三者三様の視点から、幼児期の経験が将来の人格形成にどう影響するのかを語り合います。
大人と子どもの境界線、主体性の尊重、多様性を育む保育のあり方などを漫画ネタも交えながらゆるく深掘り。あなたにとっての“理想の大人”とは? ぜひ感想をお寄せください!

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BGM : MusMus

サマリー

このエピソードでは、理想の大人像について議論され、幼児教育が成長過程や経験に与える重要性が語られています。特に、理想の大人が持つべき特性や人間関係の築き方について深く考察されています。 話者たちは、理想的な大人像について議論し、幼児教育との関連性を探ります。彼らは自分のなりたい大人の姿を比較しながら、成熟や自立の概念について意見を交わします。 このエピソードでは、理想の大人像を幼児教育の観点から逆算して考えます。可能性や成熟、周囲の大人との関わりが子どもの成長に与える影響について深く掘り下げ、自己認知やオリジナリティの重要性が語られます。 最後に、理想の大人像を幼児教育の観点から考察し、習い事の必要性や親子の時間の重要性について議論が展開されます。

理想の大人とは
こんにちは、保育園看護師の千尋先生こと佐藤です。 新規事業の力で日本を開国せんとす合同会社黒船の基礎です。
同じく黒船の川治です。 僕たちは高校の同級生3人で、保育業界向けの新規事業を作ろうと日々頑張っております。
このラジオでは現役の保育園看護師である僕千尋先生と、保育は未経験ですけれども、IT企業とかで働いている同級生のお二人とで、いろんなテーマについて語りながら、
保育や保育園看護の面白さだったり、奥深さみたいなものをお伝えできたら良いなと思って細々と続けております。そんなラジオでございます。
今日はですね、理想の大人ってどんなものっていう話をしながら、そこに至るためには幼児教育でどんなことがあるというんだろう、保育園でどんな経験があるんだろう、みたいな話をしていけたらいいなと思っております。
はい、いいですね。逆算ラジオということで。よろしくお願いします。 よろしくお願いします。
はい、というわけで、これ実は毎回割と僕が持ってきてるんですけど、今回千尋先生がね、パッと出してくれたテーマだったりするので、
良かったらね、千尋先生から理想の大人みたいなのがあれば聞いてみたいんですけど。
なんかあの、ちょっと詳細は言えないのであれですけど、職場でね、いろんな人間関係のあれやこれやって、どこもあるじゃないですか。
で、その中でちょっと同僚と話してたんだけど、なんかこう、
なんとかある種反面教師的に、こういう風な大人にはならないようにしたいな、みたいなこともあるじゃないですか。
すごいオブラートに。 めちゃくちゃ冷静に聞いてるとなんか、うんなんだけど、あれだよね、なんか反面教師っていう言い方はしてるけれど。
確かに、理想の大人があるっていうのの裏返しに、こうはなりたくないようにっていうのがあるみたいなのはあり得るもんね。
そうそう、なんか、お手本にしたい大人もいるし、こういう大人にはなりたくないなって思う方ももちろんいらっしゃるし。
反面教師。
っていうところで、なんかこう、そういえば自分の理想の大人像ってどんなだろうなって、ちょうど今日収録日、なんかそんな話をしたもんで、
なんかちょっとお二人の理想の大人像とかも聞いてみたいなっていうのと、なんか僕は、
あんまりない、今まで目標がすごい高くあるとか、こういう人になりたいみたいなのってそんなにはないんですけど、
でもやっぱりこう、なんかそういった人間関係のいざこざを全く、なんかこう、ない人っていうか、
なぎみたいな人っているじゃないですか。 うん。
なんか、そういう人にもなりたいな、ちょっとかっこいいなって思うし、なんかそれは、単純に人と関わらないからとかではなく、
大人像の具体例
人と関わっている中で、その人がいることで、そこがすごく健全な場になるというか、
なんていうの、みんなのトゲを上手に抜いてくれて、すごく上手なクッションを果たしてくれる大人って、かっこいいなってちょっと思ってる節があり。
割とクロート寄りの発想の絵なんか。
そうだね。なんか、こう、すごく尖って何かに固執しているみたいなのもすごいかっこいいんだけど、
なんかそんないろんな人たちを上手くまとめている人、実は影で一番すごいのはその人なんじゃないかな、みたいな、
すごくざっくりした大人像があって。 なるほどね。
常に、なんかある種冷静沈着であり、でも情が深く、なんかこう、人を大切にしてるみたいな、
なんかそんな大人に憧れるなってちょっと思ってます。 結構言うはやすし、行うはかたしの内容だよね。
そうそう、で、なんか、だし、自分、この人は、なんか変な話、逆らわないほうがいいなじゃないけど、
あの、そういう大人、何ていうか、ほら、いつも人をね、こう、なんか、けなしていたり、
なんか強く指示をしていたり、なんかイライラしているような人から、別にどう思われてもあんまりね、
どうとも思わないんですけど、なんかそういう、こう、普段から柔らかく優しくっていう人の方が俺厳しい気がしてるんですよ、ずっと。
なんというか、あの、言葉遣いが優しくて、強く当たらないけれども、芯があるタイプの人間。
真綿で首を絞めるタイプ。
そう、なんか。 急に物騒な、なったような気がするけどな、なんでだろう。
なんか、なんていうかな、こう、滅多に怒らないからこそ怒られたら怖そうみたいな、自分の中でセンサーがあって、
あ、なんかこの人に見限られたら、なんかちょっと、少なくともその組織の中ではちょっといられないかも、ぐらいな強さを感じるのよ。
なんか、具体的にこの人みたいなのが明確にあるわけではないんだけど、なんかそんなような大人の人、今まで何か会ってきた中で、
その、優しさの奥にある厳しさみたいな、強さみたいなものが、これは、やっぱ、どう年を重ねていったらできるんだろうなーって。
なんか、そういう人が言う言葉って、すごくこう、なんていうの、言霊がすごくあるというか、あの、フリッと言葉を聞くような感じがするのよ、なんとなく。
大人に対してもそうだし、なんか子供に対しても、なんか、僕とかがね、もう本当に、
やめて、ほんとにやめて、みたいに言っても、あの、もうキャッキャキャッキャして、わーってなっちゃうような場面でも、なんかその、ちょっと芯のある強い人が、ほら、じゃあやめよっか、みたいな。
言葉としては別に強くもないし、圧も語気にすごく圧があるわけでもないし、大きい声っていうわけでもないのに、なんか、スッと通るみたいな。
なんか、今聞いててすごくパッと浮かんだ漫画の登場人物がいて、ケイタとかはわかると思うんだけど、3月のライオンの、あの、お母さん役の、名前が出てこねえな、3月のライオンの三姉妹のお母さん。
三姉妹のお母さん、お姉ちゃん? お姉ちゃん、そうだ、お姉ちゃんだね、お姉ちゃんだね。
日向さんかな? そう、日向さんが結構そういうイメージあるかもしれない。これがわかる人はどれくらいいるのかはわからないけど。
あの、凛としてるというか。そうそう、いや、なんか結構笑顔なんだけど、その、強めの、口調も柔らかいのに迫力があるというか、そういう感じっていう。
そういう言霊の込め方というか、なんかやっぱこう、すごく背筋が伸びてる感じがあって、あの、まだ真似できないし、到達していないけどかっこいいなってすごい思ってるっていう話でした。
これはあの、僕や木曽さんはチェロ先生をね、その高校時代から知ってるからだけど、なんか、まあね、到達はしてないかもしれないけど、同じ道にはいるタイプでのチェロ先生はって思いながら聞いてはいたけどね。
そうだね。言ってて、ちょっと思いました。比較的僕も、なんていうか、角が立たないように回る。そうそうそうそう。逆回りをすることの方が多い。そうだね。その道を歩いてはいるよね。うん、いるいる。
でもそれってあれだよね、なんか自分でさ、ここに到達したなってわかりづらいよね。そうだね。他人からしたら、なんかこう、なんだろう、なんか物越し柔らかいのに迫力あるなみたいなのわかるけど、
自分が柔らかく接している時に相手がどう感じてるかって、自分がわかりづらいそうだね。ねえ、実はチェロ先生だって別の職員の方から見たら、その域に達してるかもしれないけどね。達してる可能性あるよね、全然。
そこを名実とともに、自他ともに認める域まで行きたいなってちょっと思いながら、でもなんか、大人相手の方がまだ立ち振る舞えるんだけど、子供に対してなかなかこう、やっぱ夏の、自分が思い描いてる家になかなか行かないじゃないですか。行くことが全ていいわけでもないけど、
でも、本当に辞めてほしい時とか、自分の息子とかに対して、もう本当に、もうそれ以上は本当に無理っていう時が、本当に辞めてっていうものが、まあ、年とか二十歳とかもあれど、なかなかやっぱ本気具合が伝わらないなって感じることが多くあって、
言葉だけでは伝わらないし。でも、これ以上強く言ったら、変な話的役体案件みたいに何か出ないしとか。なんか、うわー難しいな、どうやって伝えたらいいんだろうなーというか。でも、その言葉がちゃんと通じる大人というか人と、
なんか、変な話、まあ舐められるって言い方があってるかわかんないけど、なんかヘラヘラってされてしまうタイプの人と、やっぱり言って、この同じ言葉同じぐらいの音量で、同じニュアンスで言っててもどうしてこうも、何とか伝わり方が違うんだろうな、みたいな。
たしかにね、大人の方が、まあ今調子良いですけど大人の方ができるって言ったけど、確かに大人の方が技術の介入余地とか、合理さというか、この人は立場が上だからとか経験が上だから先輩だからとか、決裁権があるからとか、いろんな合理的外部要因で態度をいろいろやることができるけど、
大子供、それも1歳2歳とかのレベルになると、もうかなり、なんというか、そういう要素ではないよね。本能的なものというか。
でも何かが作用してるんだよなとはすごい感じる。何か違いがあるのはわかるんだけど、何だろうね、人生の経験のあれから来るのかな、苦労とか。
でもほら、なんかやっぱさ、ちょっとこう、すごい大御所というか、いろんな経験をしてきたおじいちゃんの何か、なんでもない立ち振る舞いがすごいかっこよく見えるみたいなのってなんとなくあるじゃないですか。
なりたくない大人
なんかそれに近いものを感じるんだよね。
そういう何か立ち振る舞いというか、生き様みたいなところで、ちゃんと言霊に乗っけてメッセージを伝えられる大人になりたいなっていうのが僕の理想の大人です。
へー、面白い。普通に面白いね、この話。
どうですか、お二人は。何かありますか。
何かありますか、大人と。
すっごい勘で言うけど、規則なさそー。
いやいや、あるよ。あるある。ちゃんとありますよ。
なさそー。
ねー。しろ選手はわかってもらえると思うけど、なさそうだよねー、この人。
きそたかやすという男は本当に、まあ、なんというか、そういう目標とか、なんというか、憧れみたいなものって基本的にはあまり感じない。
なんだろう、なんていうかね、こうなりたいとか、なんか共感できるとかみたいな意味で、なんだろうな、こうありたいみたいのは全然あるんだけど、割とそう荒れてるから、あんまりこうなりたいがないかもしれない、そこに関しては。
もうすでに理想の大人に。
性格とか、取り巻く状況、環境とかは、割とそういうイメージに近いというか、自分が楽しい状態の環境になってると思う。
でも、なさそは、なりたくない大人像は、小玉有彦っての?
うん、それはめちゃめちゃある。そこめちゃくちゃあるね。
だから、なんか、なりたくない大人をつけつめてったら、もうこいつしかいねぇじゃん、ぐらいな大人像がつけできそうな気がする。
あー、なるほど、全部埋めてったらもう一個しか道が残らなかったみたいな。
なんかすげー詰められてるみたいなんだけど。
でも、そうね、俺のなりたいとか、俺的に居心地がいい自分の在り方っていうのは、誰かにとってはたぶん居心地が良くない在り方ではあるなと思ってて。
そりゃしょうがないよね。
さっきから、話の流れで言っちゃうと、漫画の話はちょこっとしたけどさ、このお二人にはたぶん伝わると思うんですが、
イメージとしては、こういう大人でありたいなっていう意味で言うと、
一つは、ハンター×ハンターのジンだね。
理想の大人像の考察
で、もう一人は、同じトガシ作品にはなるんだけど、レベルEのバカ王子。
バカ王子っぽいね。
だからさ、それ嬉しくて。
なんかバカ王子は単純にこう、からかい続ける楽しさみたいな。
自分が単純に楽しんでいくために混乱を起こすみたいなところが好きで。
で、ジンに関しては、憎まれ口を叩かれる大人っていいなって俺すげえ思ってて。
なるほどね。
憎まれ口を叩かれたい欲があるんだよね。
だから、二人がこうめちゃめちゃ責めてくれると嬉しい。
いいよいいよ、全然。
いいよいいよ。
ドレグってことでいいか。
あと、俺的にこういう大人でありたいっていうテーマ1個あって、
いかがわしい大人。
いかがわしい大人。
いかがわしい大人。
いかがわしい大人。
ちょっとセクシーみたいな。
なんかね、ちょっと何やってんだこいつ。
よくわかんねえなみたいな。
いかがわしい大人って俺好きなんよね。
単純に自分がそうありたいというよりはそういう大人が好きだから。
自分のキャラクター性の振り返り
魅力感じるんだ。
そういう方向性にいられるといいなとは思っている。
そう思うと十分いかがわしいもんね。
うん。
死にもっていいよ、大丈夫。相当いかがわしい。
やっぱりね、これがたまんないんだよね。
憎まれ口を叩かれて。
レベル2も読んでるし、ハンター×ハンターも読んでるし、
若王子のこともジンのこともわかるけど、
憧れたことは一回もないなあ。
人間としてね、偉いとかは全然ないけど。
高校生ぐらいの時に読んでるからさ。
純粋な憧れは少なくても生まれにくいじゃん。
ちっちゃい頃に悟空がかっこいいみたいなことにはなりにくい。
カメハナハグ地形みたいにはならないよね。
そうそうそうそう。
っていう状態だとしても、
レベル1とジンを見てこうなりてえなあってなる人間っているんだ。
なんかそういう風に見たことなかった。
こういう大人楽しいなって。
いないで欲しいなあぐらいよね。
ジンに至っても出てこねえじゃん、しばらく。
しばらく出てこない。
レベル1という作品を読んだことない方のためにちょっとだけ補足すると、
レベル1っていう、そうするに地球に宇宙人が来る話で、
その宇宙人のとある星の王子様なんだよね、そのバカ王子。
そう、バカ王子。
そいつがもう本当にめちゃくちゃ頭いいんだよね。
もう超頭いいんだけど、その頭世の良さを全部悪巧みに使うっていう、
最悪のリソースの振り方をしていて。
で、そいつの人の腹心というか部下みたいな人が言ってたのは、
あいつの悪巧みは本当に最悪の最悪まで想定しろ。
その斜め下のことをやってくるみたいなセリフがあって、
それぐらいの予想につかない悪どいことをめちゃくちゃやるっていう、
なんだけど結果的に誰かのためになってるとかも時にはするみたいな。
それが面白いなと思う。
なんかこう、才能の無駄遣い的なもの。
そうそうそうそう。
で、誰かにとって迷惑な存在でありたいと思ってる。
面白い。
なるほどね。
すごい、ちゃんとその道にいて面白いね、やっぱり。
褒められてるのかけなされてるのかわかんないけど、
まあでもそういう感じだな、個人的に。
今でもちょっと面白いなと思ったのが、
この話を始めるときに思った、
理想の大人と自分が目指すキャラクター性は必ずしも一致しないかもなって思った。
それは全然あるかもしれないね、確かに。
僕の話をすると、理想の大人っていう単語を聞いたときに思いついたのは、
どっちかって言って、やっぱり自分で自分の起源を取れるとか、
ある種、場を乱しすぎないとか、
漏悪的じゃないとか、そういうところだったのね。
そういう人の方が一緒に働いてて楽だし。
はいはいはい。
僕その、場を見、なんか空気を読まないっていうか、
あえて乱しに来るみたいなのがムカつくので。
はいはいはい。
何甘えてんだって思っちゃうので。
自分の気が自分で取れよみたいに思っちゃうタイプなので、そういうのがあるんですけど。
それになりたいか、なりたくて思ってきたかって言われたら、
そんなこともないな、なんかどっちだって必要だからやってるなというか。
そういう感じの方があるなーっていうのを今、言いながら思ってて。
で、ちょっとキソ君っぽく自分のなりたいの方に例えると、
僕はどっちかっていうと、同じ土俵で例えると、キルアとかの方がやっぱ好きなんだよね。
蟻を刺されていたキルアとか。
なんか何でもできそうだけど闇は抱えているし、
あとは自分のことをあんまりこう、何考えてるかわかんないことを思われたいとか。
確かに、あんまり自分について話さないっていうのがあるよね。
そう、ちょっとひねくれたところを持っているみたいな。
でも妹には優しいみたいなね。
妹に優しい。
あとあれでしょ、弟を殺して歩く人なんでしょ。
そうですよね。実はやっぱこう、真面目なのはそっちになっちゃう。
ぶっ飛んでるのは本当はゴーンで、やっぱりなんだかんだ天才のようで常識人悪に収まっちゃうのがキルアみたいな。
確かに冷静さは持ってるよね、キルアって。
そうそうそうそう。
っていうのを持ち込めて、相手が自分のことをこう思ってるだろうなを客観視しながら、あえてそこを裏切りたくなるみたいな。
これやっぱメタ認知力のなせる技じゃない。
たぶんそうだね。
アワジはもうそこを極めてるような感じ。客観性を極めてるような感じで。
それこそ理想の大人を振る舞うこともできてしまうぐらい。
理想の大人って聞いたときにパッと思いついたのは、日々の社会生活をうまく回せるようにするような人間像はどんなものかぐらいの感覚で捉えたなあ、なりたいではない。
そうなってくれると社会がうまく回って、自分は動きやすいなっていう像で考えたっていうのを今感じたから。
かなりこう、実践的というかね。
そうそうそうそう。
プラグマティックな感じがする。
チロ先生の言うのは、俺の理想の大人像にたぶん近い、チロが挙げてくれたの。
そうかね。
で、キスオくんのはもう全然逆。
好きだけどね。
もちろんもちろん。
上司にはいないでほしいかな。
っていうので、自分のキャラクターと大人っていうのはちょっと引っ張られたかもね。
大人と子供の定義について
大人っていうものを無意識的に社会を回す一員みたいな意味合いで捉えて、認識を持っていたなっていう感覚が今あったなと。
確かに。大人とはっていうところは1個あるかもしれないね。どう捉えるかって。
我々もね、だって一応大人は古いですもんね。
ダントツで大人よ。
ダントツで大人よ。
余裕ある大人よ。
確かにな。大人って何を持って大人とするんだろうなってすごい思う。
そうだよね。これだって、多分元来となって、本当に立ち返れば子供と大人って社会的に分けたものなわけだから。
そうそうそうそう。生物学的な区別とかがあるわけじゃないよね。
そうそう。自然科学ではなく人文科学で分けているものなわけだから。
確かにね。
明確な定義なんか本来はないはずなのよね。
そうだね。
でもほら、子供が発見されたって日本語が合ってるかわかんないけど、
子供をちゃんと子供として、社会の中で役割がというよりは育つ家庭の大人のミニマムじゃないんだって認識に変わったのって割と最近じゃないですか。
19世紀の初めぐらいでしょ、確か。
そうです。
そうじゃない時代の方が圧倒的に長いことを思うと、子供扱いをするみたいな意味あいて、言葉としてね。
なんか決してよろしくないような気がするね。
だから僕は大人とか子供とかじゃなく、みんな一人の人として関わっている方が自分の思う理想の大人としてはすごい合致するというか。
人と人との関わりっていう意味で対峙してる時の方が、よりいい保育ができているような気がするの、なんとなく。
なるほどね。
子供だからとかではなく、今のこの子の発達段階で、じゃあこういった支援が必要で、
でもその子の人と自分という人間との会話というか対峙というところを意識できている時はすごくやりとりが成立しているような感じがするし、
もうここ最近の人手不足の中でも、とりあえずどうにかこうにかするみたいな中で、ある種作業的にどうしてもなってしまうような場面で、
すごくやってて疲れるし、子供も子供たちでね、いろいろ感じてるだろうから、みんないつものリズムで寝れなかったりあるだろうし。
そうね、確かに理想の大人というテーマを聞いて、まず考えたのは、理想の大人じゃないね。
なんか単純に人としてこうありたいというか、
そうだよね。
大人っていうものがあんまりわかってないから、
そうだよね。
そうなったんだと思う。
単純に人としてこうありたいが普通に出ただけっていう話。
すごいね、日本語って面白いよね。
そうだねと、そうだろうねと、こんなにもニュアンスがある。
言い方も結構あるけどな、あそこに関しては。
もう一個入れるかいないかで、どんなに印象が変わるんだって今、いい例ですね。
いいサンプルだね。
僕の意図をちゃんと伝わってくれる千代先生はやっぱすごいです。
ちゃんと僕は明確にそうだろうねにこう意図を込めたので。
込めたんで。
読解力がね。
読解力がね。
すごかったですよ。
伝わったーと思いました。
いいね。
そうだ、確かに大人、何をもって大人とするか。
大人みたいな子供もいるし、子供みたいな大人もいるし。
そうね、だから本当にでもなんか、なんていうのかな、
ある種偏見というか、イメージでしかないような大人って。
確かに。
大人って言われてさ、基本的には成熟しているとか、
なんかそういう自立しているとか、
そういうキーワードが出てきがちかなと思うんだけど。
で、まあ、年を減るにつれて老年期に向かい、
まあ、なんていうのかな、
よりこう逆に実るほど神戸を垂れる稲穂かなという感じで、
謙虚になっていくみたいなことがあると思うんだけど、
なんか俺は。
私よりはダサそうだな。
そう、成熟っていうものが嫌なんだよね、多分。
自立とかはいいんだけど、なんか完成されているものにあんまり興味が湧かないんだと思う。
あー、なるほどね。
そう。で、まあ、なんか美しいものとか儚いものみたいなの、
なんていうのかな、それが完成されていることに、
なんていうのかな、完成されたものとしての美しさは感じるけど、
大人の定義と成長
個人的なその愛着というか、執着がわからない感じがして。
だから完成された大人にあんまり興味がないんだよね、俺多分。
やっぱりシャーマンキングのみかんはあんまり納得してなかった。
これわかる人少ないやろ。
そう、みかんはね。でもあれは面白かったしな。
あー、なるほど。
ちょっとずれるけど、シャーマンキングで繋がった話をするんだけど。
おお、繋がった。いいね。繋げてくね。
大人の定義っていうほどのものでもないけど、
僕も個人的にはその大人がどうとかって話はあんまり、
大人だから子供だからっていうものではないと思いつつ、
年齢を得るにあたって唯一変わってくるものは、
やっぱり可能性の幅はどうしても狭めざるを得ないよね、とは思っていて。
なるほどね。
これがシャーマンキングの主人公のお父さんの見聞きさが。
見聞きさ、天井が見える。
そう、ある日やっぱり天井が近づいてきていることに気付くんですよね。
そうなんですよね。
ずっと上にあるように思ってたんだけど、
ふと見上げたらそこにあるみたいな。
これは一つ悪いことではなくて、
可能性を狭めるということは深く探求できるということでもあるので。
そうだね、間違いない。
必ずしも悪いことではないんだけど、
起き得る変化の一つはそこかな。
年齢を減るというのは、大きな可能性をちょっとずつ狭めていく行為なんだろうな、
というのはちょっとあるかもしれない。
確かにね。
でもなんか今の聞いてると、その天井が見えるっていうところまで
ある種、鍛錬をしていったわけじゃないですか。
それって大人になるにつれていろんな勉強をしたり、
いろんな社会で揉まれたりとかもありつつ、
そういったものを鍛錬とするならば、
自分の限界というか、天井みたいなものを理解、
そこが見えるっていうところが一つ成熟なのかなと今ちょっと聞いてる。
いや、そうだね。
その成熟を感じて理解した上でどうなっていくのか、
そこからが真の大人へのフェーズみたいな。
いろんな可能性の中でやっていろんなものを積み重ねていくっていう過程が、
大人へのステップみたいな感じ。
教育と愛着の形成
天井が見えたっていうのが、可能性としては確かにどんどん狭まっているんだけど、
その自分の最後の可能性のところから、最後成熟して、
なんというか立派な大人になっていくみたいな、
そんなイメージを今すごい聞いてて思ったな。
そうだね。
可能性としてできることが、可能性の幅が狭まるっていう観点もあるなって思うし、
年とともにそういうふうに狭まるものと広がるものがあるよねっていう感じがするかもしれないね。
でもなんか子供みたいな大人の人っているじゃない。
いつまでも若いもそうかもしれないけど、
なんかちょっとキャッキャしてる感じの、いい意味で、悪い意味でなく。
日々楽しそうだな、この大人はみたいな人って。
なんかある人はその天井が見えるみたいな成熟の仕方ではなく、
今高瀬が言ったような、なんかすごく逆に幅が広がってもっと可能性が見えて、
わー楽しいって言ってる子供と同じような無邪気さというか、
好奇心旺盛な感じとかっていうのが、いつまでもあるタイプの大人の人って、
なんかこうちょっと子供っぽい、子供みたいな大人みたいな表現になることあるなって感じ。
確かにそれはあるかもしれないね。
難しいよね。たるを知るじゃないけど。
大人のすごい悪い定義としてはさ、
なんていうのかな、諦めること。
その可能性の幅が狭まるに近いんだけど、
諦めていくことが一個大人だと思うんだけど、
例えば今から俺たちがさ、フィギュアスケーターになりたいっていう、
その道はもうほぼないわけじゃないですか。
なんかそういう感覚で、すごいやりたいかどうかはさておき、
その道をある種消極的に諦めているわけだよね。意識的ではなく。
みたいなことがさっきケイタが言ってた可能性の幅が狭まるっていう話だと思ってて、
そういう職業とかその社会的なあれ、なんていうのかな、
社会人としての大人みたいな部分と、
最初の方にチロが言ってた、なんていうのかな、
人間的な部分としての大人。
社会人的な文脈での大人と、
人間的な文脈での大人がまたちょっと違うよなとか、
そうだなー。思うよね。
何をもとに大人を考えるかっていう、どこに目線を置いて大人を考えるかで、
結構また大人も違うかもなって。
大人論とはちょっとずれるかもしれないけど、
個人的に年齢を減るほど、
割と僕は仕事を軸に考えちゃう人間なんだけど、
仕事がスキルから自分自身に寄っていくみたいのが必要だなという感覚はある。
スキルらしく。
これ一般論的に言われるキャリアの考え方みたいなのがいるので、
VSOPっていうのがあって、
きっと君は聞いたことあるかもしれないけど、
20代はV、バラエティ、いろんなことをやりなさい。
30代はS、スペシャリティ、専門性を持ちなさい。
40代はオリジナリティ、独自性を持ちなさい。
50代はパーソナリティ、人物、人間性で仕事をしなさいって言われる。
50代ぐらいの人が、2、30代ぐらいの一番環境も分かってて、
自流もなんとなく自分の感覚と近いものがあって、
新しい技術とかにもガンガンキャッチアップできますよみたいな人に
まっすぐ戦うのって結構厳しいですと。
そうだね。
保育士さんとか、肉体を使うものもなおさらじゃないですか。
生物学的な年齢の差は絶対あるもんね、そこに。
まあ確かにね、ちょうど一緒に鬼ごっこを素早くするとか。
そうそうそうそう。
確かにね。
でも50代の人も全然戦えるの。
なんでかって言うと、その人の経験があるから、独自性とか、
その人なりの良さみたいなものにスキルを転換していけるから、
なんとかなっているよねっていうのがあるので、
ある種成熟の議論とは違くもわかんないけど、
自分自身にこれまでの仕事の経験みたいなものを
自分自身への価値へ転換できると大人だなっていう感じがするかもな。
大人っていうか年齢を減るにあたってそうしていった方が
買いが利かなくなるよねぐらいの感じかもしれないけど。
確かに。
これは今考えることだけど、
それを見越して幼児に今のうちからこうしようこうは何もないけどね。
まさにそうなんだよね。
でも、そうはいえだよ。
そうはいえ、その年代になったときに健全に働ける心身であることであったり、
そもそもそういうふうに自分を振り返れるっていう自己認知力みたいなものだったり、
仕事ができるというかたはすればいいんだけど、
ある程度の学力を持ってとかっていうところを全部加味していくと、
やっぱり入院時期にちゃんと関わる大人がそこにいて、
この子を受け止めてもらった感覚っていうところからすべてがスタートしていって
愛着が形成されてっていう、人間の核となるところが、
言い方はちょっと悪いけど、障害されずにずっと育ってくる。
あるいは何かそういったハンディキャットがあったとしても、
それをちゃんとサポートする体制が国として地域として、
家の中でいろんな中でちゃんとある。
要はその子を見てくれる大人がいるっていうことが、
何よりその子の人生を支える土台を作ると思うから。
多様性と人間らしさ
そうだね。
全ては繋がっていくとは思うけどね。
でも意図的にじゃあ、例えばここで今日話したさ、
チロみたいな将来像というか大人像を持つ人とか、
俺みたいに迷惑かける大人みたいなのと、
ケイタみたいに冷静さを持ちながらスキリを生かすみたいな。
それぞれにそれぞれを目指す、それぞれを理想とするような人を
育てようと思って育てられるものでもないよなっていう感じがする。
でも、ある種その子が持っているこの子自身のオリジナリティだったり、
最終的にその50代に自分のパーソナリティに繋がり得る
その子の枠となるようなものって、
ある程度生まれ持ってくると思うんですよ。
キャラクターは人一人で違うしさ、性格的なところって。
ある種環境が作る面もあるとは思うけど、
その子からのオリジナルが、その子由来のものっていうのはやっぱりあると思うから、
それがその子のオリジナルのまま発揮されるといいなと思うかな。
それらが発揮できる、要はどこかでそこが発揮できないぐらいに
歪んでしまっていたらやっぱり発揮できないだろうし。
逆にその育てる側の大人がこの子のキャラクターと全く違うものを
こうなりなさいみたいにやるのは、やっぱり今のこの時代、
あまりよろしくないとされるでしょうし。
了解な。
そういう感じがするな。
でもどこまでその時点のキャラクターを正確に理解できるのかっていう課題はずっとありそうだよね。
そうだね。
ずっとありそう。
通知化できないし、書かれるものでもないしね。
パターンも結構はめられないしね。
だからこそ、この主体性を大切にしようみたいなところにも実はつながる話なのかもしれない。
でもなんか、AIとかでさ、いろいろこう、
統計的に正しいこととか瞬間的に答えが得られるような世の中でさ、
そういうなんか、やっぱり人間、生物としてのその、なんていうのかな、
多様な人間が存在するっていう、いろんなジャンル価値観の人間が存在することって普通にやっぱ面白いなってめちゃくちゃ思ってて。
なんか生物学的にやっぱそういう多様性があることがちゃんと生き残っていく秘訣なんやろうなみたいな感覚があって、
だからなんていうのかな、
AIの時代だからこそそういう画一的なものとかの価値は下がって、
そういう、なんていうのかな、ある種のオリジンというかさ、その子らしさとかっていうところだと思うんだけど、
っていう部分、俺的にはずっとここら辺の時代のテーマとしては人間らしさとか人間性みたいな、
人間性って言うとちょっと性格みたいなの入っちゃうから、人間らしさ、人類らしさって言うとあれだけどさ、
愚かさも含めて、なんか人間らしさってめっちゃ今の時代大事だよなって感覚があって。
失われつつある力ですしね。
だから保育ってめちゃくちゃ人間らしさに関わるよねっていう面白さが。
そう、人間の塊、人間の原性を。
そうそうそう。
なんかドロドロの中から徐々にできていく過程みたいなのの初期プロセスみたいな感じがするから。
なるほど、なんかその手の話2個あって、
理想の大人像と多様性
1個は、人間らしさみたいなものを作ろうねっていう教育からはやっぱ生まれるんじゃないかなっていう感覚もあるというか。
分かる分かる。
規則みたいな存在って規則みたいな存在を作ろうとしても作れないというか。
分かる分かる。ちょっと逆だよね。
規則みたいな人間を作らんとした結果こうなってる。
そうそうそうそう。
社会ってこっちの方向っていうものがあるから逆が生まれるみたいな。
カウンターが生まれるわ。
そうそうそう。
があるから一概に、じゃあみんな規則みたいにしようねみたいな社会に向かったらその逆が生まれる。
うん、絶対カウンターが生まれるね。
っていう意味では多様を作るっていうことは方向を生まないっていうことなのかもしれないなとかも。
なるほど。
でもそれはそれで何にもならないとかもなっちゃうよなっていうのも思って。
今何を考えてたかというと、幼児に習い事をさせまくるのがいいのかいいのかみたいな時はあるじゃないですか。
それも結構永遠のテーマな感じするよね。
そうそうそうそう。
僕は子供とかいないし保育園の仕事とかもチェロ先生が聞くくらいだから別にどっちでもない。分かんない。
なんだけど、でも確かに分かんないどころか、どっちかというと時間を大切にした方がいい。親子の時間を大切にするためにしない方がいいにちょっと傾いてたぐらいだったんだけど。
やらせてないと何にもならないよねっていうのも確かにあるなという気もしていて。
いろんな方向にやってみないと可能性があるかどうかも分からないよね。
一歩目すら踏み出さずにこの子は絶対フィギュアスケーターになれないからやらせないっていうのも違うような気もするし、多様性っていうんだったらやらせるべきだよね。
なんだけどそれって社会的資本の差とか金融的資本の差とかもあるし。
これラジオ聞いてる人は分かんないと思うけど本当にケータが悩んで悩んでっていう険しい顔してるのがめちゃくちゃ俺的に。
なんかむずいねっていう話がありますね。
そうだね。
なんかそれ一本でまたテーマにできそうやな。
いや本当にちょっとあのすごく安易な気持ちで理想の大人っていう話をし始めたんだけど、結構広がりがあるテーマだったねこれは。
習い事の是非
ちょっと奥深いテーマだということに気づいたので、ちょっとまたこれ次回に続けてスカボって。
次は習い事の是非について。
習い事あたりは結構面白いと思う。
習い事の是非からちょっと奥深さ、人間とは何かを考える。
最終的にはそんな話に着地できるかもしれません。
ヌルッと終わっちゃいましたが、こんな感じで保育園に関する情報、保育園に関する情報ではもはやないですが、
子どもたちと対峙するということの本当に愛おしさというか、大切なんだっていうところの一端を少しでも伝えていけたらいいなと思って今後も続けていきたいと思っています。
概要欄などにGoogleフォームのURL等を書いているので、感想、ご意見、反対意見、そんなのはちげえだろみたいなことも含めて何でもいいのでいただけると励みになります。
よろしくお願いしますということで。
また来週お聞きください。
ありがとうございました。
40:54

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