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#88 「本当のこと」を書くって、どういうこと?
2026-05-13 49:06

#88 「本当のこと」を書くって、どういうこと?

現役保育園看護師のチロ先生と高校の同級生たちによる保育の情報ラジオ「ホイクベースラジオ」。


今回は土門蘭の『本当のことを書く練習』を紹介。


「本当のこと」とは他者の目線を気にせず、自分が感じたことに素直であること。そのために必要なのは「一人になる」こと、そして誰にも読ませない日記を書いて自分の内側に水路を通しておくこと——著者はそれを"インフラ"と呼びます。


保育士は日々の記録を書く仕事ですが、子どもの姿は数値で測れず観察に依存するため、書き手の感性が出やすい仕事でもあります。一方で保育現場には「一人になる時間」がほとんどない。AIで上手な文章はいくらでも書ける時代だからこそ、自分にとっての本当のことを書ける力が大事ではないか、という話に広がっていきました。


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サマリー

今回の「ホイクベースラジオ」では、土門 蘭さんの著書『本当のことを書く練習』を特集。この本は、他者の目を気にせず、自分自身の感情に素直に書くことの重要性を説いています。著者は、そのためには「一人になる時間」を確保し、誰にも読まれない日記を書くことで、自分自身の内面との繋がりを深める「インフラ」を築くことを提唱しています。保育士は日々の記録という形で文章を書く機会が多い職業ですが、子どもの成長は数値化しにくく、書き手の感性が反映されやすいため、この「本当のことを書く」というテーマは特に重要だと考えられます。しかし、保育現場では「一人になる時間」がほとんどないという現実があります。AIで文章作成が容易になった現代だからこそ、自分にとっての「本当のこと」を書く力を養うことの意義について、リスナーと共に深く掘り下げていきます。番組では、書くことの多様な形態や、保育士が記録を書く際の難しさ、そして「本当のこと」を書くための具体的な方法についても議論が展開されました。

オープニングと書籍紹介「本当のことを書く練習」
こんにちは、保育園看護師のチロ先生こと佐藤です。 こんにちは、保育園看護師のチロ先生こと佐藤です。
新規事業の力で日本を開国せんとす合同会社黒船の基礎です。 新規事業の力で日本を開国せんとす合同会社黒船の基礎です。
同じく黒船のコアジーです。 はい、僕たちは高校の同級生3人で、保育業界向けの新規事業を作ろうということで日々頑張っております。
はい。 このラジオではですね、毎週保育士の皆さんにぜひ読んでもらいたいなと思っている本を紹介しながら、
ちょっとそこからね、いろんなお話に展開していければいいなと思って続けているそんなラジオでございます。
はい。 なんか今日はね、ちょっととんでもないことになってますけど、頭、すみません。
大丈夫だよ。 お気になさらずということで、おひげがこいよ。 おひげがこいのはしょうがないんですけどね。
今日は、基礎さんからのプレゼンツということで、はい、お願いします。
まあなんか、何紹介しようかなと思ってたんですけど、結局のところ今日はこちらですね。
本当のことを学ぶ練習。 チロー知ってんの?この本を。 持ってます。買いました。
素晴らしい。 冒頭だけ読んで、詰読されてます。
で、今日ちょっとね、うすーくで。 本当のことを書く練習。
えー、面白いタイトル。 そう、まあ普通にちょっとタイトルが面白かったっていうのもあるんだけど、なんか読んでみて思ったのは、何だろうな、書くことって愛だよねっていうことだった。
今日は愛を聞けるということで、ぜひ皆さん今後期待。 はい。
すごいな、愛を知らないけものから愛を教えてもらえるんだ。 そうそうそうそう。 言い方言い方、言い方言い方。
間違いない。 一番愛を知らないやつからね。 愛を知らないけものだって、すごいな。 じゃあね、我々、愛がある側の二人でちょっとね、いろいろ聞いていきたいと思います。
我々の方が絶対愛あるもんね。 なるほどね。 体現してるはずなんで。 なるほど、そういう読み方もあるか。
はい、ぜひじゃあ楽しみにしております。よろしくお願いします。 はい、よろしくお願いします。
はい、というわけで、ドモン・ラン先生の本当のことを書く練習という本なんですけど。
ドモン・ラン、かっこいいよね。 名前がず思うか。あれなんだけど、ドモンさんっていうのはなんか、まあ肩書き的には文筆家って言い方をしていて、
本当にすべからく書くことに、アンステは一通りのことをやっている人。まあ小説もそうだし、短歌やエッセイ、まあそういったものもいろいろ書いていると。小説とかも書いていると。
もう、なんだろうね、もう書くことをすべてやってますみたいな。キャッチコピーとかも書いたりしているらしい。
あ、すごい、幅が広い。 小説家とかじゃないんだ。もう本当に書くことすべてをやってる人。
そう、文筆家っていうふうな言い方にしているみたいだけど。珍しいよね。珍しい。 そういうふうに、肩書きが一定じゃないというか。
全部って人。
やっぱさ、小説家って言った方が他社からはわかりやすいけど、この本のタイトルにもあるように本当のことを書く練習っていう本を書いている人が、
まあ小説家って言ったらやっぱ嘘になっちゃうというか、この人にとっての本当のことではないっていう。
あんまりよろしくないよねっていうので文筆家を名乗っているらしい。
「本当のこと」とは何か?他者の目線と自己との対話
まあまず、ちょっとみんなに聞きたいのが、ここで言ってる本当のことってどんなことだと思いますかという問いをあげたいなと。
俺に聞く?それ。
さあ、腹割って話して。
絶対このラジオお得意のその本当の自分なんていない論、いない論ね。
このラジオお得意っていうか僕お得意のね。
そうだね。
ぜひ話して。
本当のことって何でしょうっていう。
だから、ないよね、人間が書く文章に本当のことはないというものは。
なるほどなるほど、真っ向から戦いに行くね。
どこかで絶対解釈を伴った二次情報にならざるを得ないんだから、ゼロの本当の真実というものは存在しない、ホイドランサー。
すごい、崩さないね。
絶対に崩さない。
ブレないね、姿勢が。
いいっすね。
この辺にしておいていこうと思います。いかがですか。
私、でもなんかその、あの何、冒頭だけ読んだんですよ。
そっかそっか、若干答えを知ってる。
そうそう、著書のドモンさんが、こうまあ、なかなかね、いろんな辛いことがあったというか。
へえ。
辛いことがあったというか、そういうところを乗り越えて文を書くことでこう、なんというか、取り戻してきている人生みたいなことを、そんなような内容だった気がするので。
ごめんなさい、今すごくざっくりしてますけど。
いいですね。まあまあまあ、かすってはいるよね、やっぱり。
そうそうそう、だから本当のことを書くっていうのは、まあ、自分を知っていくことだみたいな、なんかそんな秘訣なのでは、ファイナルアンサー。
え、アンサーだとフワッとしてたけど。
どこが、どこがアンサーだったのか、ちょっとわからなかったけど。
トータル、私が言ったことをトータルでね。
トータルでアンサー。
じゃあ、まあこれ正解というか、この本の中で言ってる本当のことっていうのは、逆に本当じゃないことっていうのを考えてみるとわかりやすいんだけど。
本当じゃないことを書くっていうのはどういうことかというと、やっぱり他者の目線を気にしてこう見られたいとか、こう思われたいみたいなのが前に出てたりする文章を、本当のことじゃないっていうふうに定義をしていると。
へえ、面白い。
逆に言うと、本当のことっていうのは、自分が思ったことに素直であると思う。
だから、他者の目線を入れずに、自分がどう感じたかどうかみたいなことをきっちり本当のことっていうふうな言い方をしていると。
あー、なるほどね。
急に思い出したわ。俺、そこまで読んだわ。
よかったよかった。思い出してくれてよかったよ。
よかったよかった。
だから、この本当のことを書くっていうのが、実は結構難しいことだよねっていうのが。
確かにです。
どうしても。
自分にね、素直になって、素直に書こうと思うのに、どっかちょっと、やっぱ目線を気にするというか、義務教育のせいですね。
感想文とかね。
感想文。
なんか、死者の思いに寄せすぎるというかね。
うんうんうん。
なるほどね。
この後話す話かもしれないけど、今その第一印象として思うことで言うと、
人に届けるコンテンツと本当のことを書くは、またちょっと目線が違うのかもなと、今、第一印象で思ったというか。
なんでかっていうと、自分自身、YouTubeの台本を作るとか、ノートを書くとかで、
人に伝える文章をコンテンツとして出すみたいな時って、
自分が出したいものというよりは、視聴者や読者が欲しいと思うものから逆算しようね、みたいなのが多分一般論としてあると思っていて、
そうした時には結構逆だよね。本当のことじゃないよね、今の、その姿勢って多分。
まさにまさに。
そうだと思う。
で、ちょっと今ケイタが言ってくれた話に関わるところで言うと、
外に対して伝えていく文章とか、人に読まれることを想定する文章であっても、基本的にその本当のことを書いていきたいと、書くようにしたいっていうのがこの人の趣旨なのね。
実際それで本当のこととしてエッセイを書いたり、本当のこととして小説を書いたり、本当のこととしてインタビュー集を書いたりとかっていうこともやってるわけですよね。
面白い。インタビュー集の本当のことって面白いよね、なんかね。
そうそうそう、経営者の孤独って本だったかな、本というかあれだった気がするけど。
だからこの人の中では本当のことを書くっていうことと他者に読まれる文章を書くっていうのは、別に必ずしも相反しないことであるっていうことになってる。
いやな解釈していい?
難しい、いやな解釈していいよ。
それ本人が面白いからなんとかなってくるわけでさ。
つまんない人間がさ、やったらさ、つまんないよ。
ドモンさんの視点でいうとつまんない人間なんていないんだぐらいまで言ってるんじゃない?
人はみんな本来面白いというか、一人一人がスペシャルなんだみたいなところない?なんとなく。
問いかけられた、急に。
オンリーワンなんじゃないの?っていう。
そう、で、ちょっとここで考えを助けるというか、ちょっと過去に紹介した本とかでもちょっと近しい話をしてたことがあったなというふうに思っていて。
前、チロが紹介していた、はたのさんと写真家の人が出してる本、上手くていい、上手くてダメだけど、上手くてダメな写真。
上手くてダメな写真。
上手くていい写真はすごくいいぞ。
上手くていい。下手だけどいい写真と上手くてダメな写真。
そうそうそうそう。っていうふうなのがあって、あれで言うところの下手だけどいい写真っていう話が、この本で言うところの本当のことだと思う。
別に文章表現として上質化とかっていう話ではなくて、その人にとって本当のことを書いている。
そこに嘘がない。っていうことが基本的には、いい本当のことを書いているというふうな話になっている。
なるほどね。はたのさんの本で出てきた図で言うと、上手い下手といい悪いの4軸あって、本当にトップオブトップのプロは上手くていい写真を撮れるけど、
なんかだんだんこう、なんていうの、微妙なというか、よくあるところに落ち着いちゃうとうまくてダメな写真になってしまうけれど、素人なんだから下手だけどいい写真でいいじゃないかっていうのをすごい推してる本だよね。
そうそう、技術的に上手い、口説はあんまり気にせずに、その人にとって本当であるかみたいなところが重要だよねと。
確かに確かに。ちょっと通じてるかも。
そうそうそう。で、このドモンさんがこの本読んでどう思ってほしいかっていうか、最終的には自分もなんか書いてみようかなっていうふうな気持ちになると嬉しいという話をしていて、
で、さっきちょっと千朗が言ってた、このドモンさんがいろいろあってみたいな話っていうのは、なんかドモンさん確かなんだっけな、どっかの国とのハーフかなんかで、
その自分のアイデンティティーがちょっとよくわかんないというか、みたいなことがあった上で、昔からちっちゃい頃特に死にたい願望がすごい強かったらしいなって。
そうだったね。
で、そういう自分との付き合い方の中で、書くことでそれを乗り越えてきたっていう経緯があって、その書くことによってやっぱ救われた自分がいるという話をしている。
保育士の記録業務と「本当のこと」を書くことの関連性
俺なんでこれ保育士さんに読んで欲しいかって思うと、保育士さんって基本的にその記録とか実は書く業務結構あるじゃないですか。
いや、ありますよ。仕事でだいぶ強く糸がのしかかってますよね。
のしかかってますよね。
記録っていう作業。
そうそう。で、記録は完全にもう記録のためでいわゆるファクト的なことを書くものであるから、そんな自我を出すものではないんだけど。
でも逆に言うと、それだけいろいろ書くことに日常的に関わってる保育士さんがそういう自分にとっての本当のことみたいなことを書いていくと、なんかこう保育園がもっと面白くなるのではないかっていう。
めちゃめちゃ面白いな。
そうそうそう。
いや、思うんだよね。保育の記録って、またこれ看護とか医療における記録とはまたちょっと違っていて、っていうのもやっぱりどうしてもエピソードが多少あるから、で、そのはっきりと数値で測れるものでもない発達の度合いというか状況というかって、
サバがあるし、今日できてても昨日できなかったりとかしながら、気づいたらできるようになってるみたいな、そんな姿を書いていくので、看護師だったらね、本当決められた記録の方式があって、
主観的な情報と客観的な情報とそれに対するアセスメントと、やったケアとそれがどうなってこうなってみたいなのがはっきりあるから、よりファクトベースで書けるというか、テクニック的で書けるのよ、あれって。
帰ってきた私がちょっとあまり信憑性はないですけど、僕が学んできた記録の方法が今もそうなのであれば、あれはテクニック的にかけ売るな、必要な情報を集めてくるというセンスと経験が乗っかってくれば絶対パッと書けると思うの。
でも保育の記録って、その日の1日の中の子供のどの姿を、どうそいつが、そいつだったじゃない、その保育士さんが見たかによって、書く内容が変わるというか、見たてによって変わってくるというか、結構その保育士さん経験によっても全然見え方が違ったりとかするし、
そこに対して評価が乗っかってこないというか、いろいろあるにはあるんだと思うけど、その良い記録と良くない記録とっていうのは、でもあまりその質を、質のとこまでまだ手が回ってないというか、とにかく記録を揃えるっていうところに集約されがちで、
記録を振り返って、その記録に対して何かフィードバックがっていうのが、業界全体にすごく行き届いてるわけではないと思うから、ある種なんか変な文章がそのまんまとかさ、あの本当の思いじゃない状態みたいなのっていっぱいあるだろうなって今ちょっと思って、長々と喋っちゃいましたけど、共感したって話です。
今、千代先生の話を聞きつつ、まあ記録の話を聞きつつ、正直最初は、僕天の弱なので、その下手だけどEを目指すって、下手だけどダメを生むだけじゃねっていう気持ちで聞いてたんですよ、多くの人が、いやいやこれ下手だけどいいんですよっていう奴って、98%は下手だけどダメに着地するからですか。
いいっすねー、絶対にブレダイマンとして、肩書き変えようよ。絶対ブレダイマン。絶対ブレダイマンでいこう。
なんでかっていうと、尖れないからというか、本当になりきれないからだと思ってるんですね。結局は。どこかで、そのスイッチを押し切れないというか、分かんないけどこんなこと言ったら炎上しちゃうんじゃないか。
はいはいはい。
なのでブレーキで、下手だけどEを目指したはずが、下手だけど本当でもないみたいなところに着地するっていうのがあるあるだと思ってるので、僕は上手いをまず目指した方が、何かしらの向上はあるんじゃないかと思ってましたが、
なるほど。
一方で、最近僕はもう自分で文章は全く書いてなくて、
そうなんだ。
ほぼフルAIで書いてるんですよ。
なるほどね。
なると、上手いはもうそれでたまたでき得るんですよね。
確かにね。
間違いないね。
こと文章においては下手だけどがもうなくなるんだろうなと思ってて。
前提AIに読ませるっていうか、渡せるってことだろうね。
Eをとにかく思考しなくちゃいけないっていうのを目指そうと思ったら確かに本当のことを書けるようになった方がいいよなっていうのは一定の納得感があるなとちょっと思いました。
そうだね。技術的な部分はAIに代替されるというか、ある程度の正解が出せちゃうからね。
実際、僕これとは別で、二人もしてる高校時代の友人とYouTubeをやったりしてるんですけど、
やっぱその友人に同じ自分がこういうAIを使ってこうやって書いてるよう伝えて出してきたものってつまんないんですよ。
なんでだろうと思って、こんな同じ手順を踏んだら同じものが出来上がると思ってたんだけど、
AIを用いても、かつやり方はほぼ同じにしてるはずなのに、こいつのつまんねえ名が生まれるっていうのがあるので、
やっぱりこの本当のことっていうのをちゃんと書けるみたいなのは一瞬もあって大事なんだなっていう感じがすごいするなと思いました。
まさにそうかもしれない。
いや、この本の中で、そもそもその本当のことが書けない理由っていうのがさ、基本的に多くの人が書けなくなったり書けない理由っていうのが、
いろんな他者の反応を経験するうちに自分を相対的に社会的に見るようになってしまう。
まさに褒められてもそうだけど、これ褒められたからこういうことを書こうとか、
そういうふうにやっぱりどうしても他者を介在してしまって、自分のことをわかんなくなってくるねと、お化粧しちゃうよねという話があると。
で、この本の趣旨としては、本当のことを書くために必要なことって何かっていうと、一人になること。
本当の意味で一人になることっていう、なんかまずその他者の目線みたいなことがまず一個、なくなることが一人なんだけど、
それでも実はまだ一人じゃなくて、書く自分、書く私と読む私っていう、一人なんだけどそこに二人いて、
で、その読む私っていうのがどうしてもこれまでの経験とかから、こんなんじゃダメだとかダメ出しをしていってしまう。
で、一旦書くときはもう書く私だけ、読む私すら退場してもらって、書くことに集中しようねっていう話をしていて、
で、一人になるってことは、実は自由になることだよねっていう話をしてます。
で、すべての表現はその自由から始まるよねという話をしていると。
保育士さんに読んでもらいたいと思った理由のもう一個が、その一人になるっていうところ、このプロセスにおいてのこの一人になるってところが、
実は保育士さんって結構子供と関わり、職員さん同士でのコミュニケーションを取りっていう意味で、一人になる時間とかっていうのが意外と少ないのではないか。
つまらなかった。
めちゃくちゃ早かった。
ないよ。
AI時代における「書く」ことの価値とアウトプットの多様性
ビデオである利点を生かして。
ないですよね。
そうだよね。少なくとも仕事中はほぼないじゃないですか。
ないないない。
で、プライベートでもね、もうそういう他者をずっと意識して生活してるんであればなおさらそうだけど、少なくとも現代社会において本当にそういう意味で一人になるタイミングって実はそんなになかったりするよなと思って。
なんか、そうやって一人になって描いていくことで、もうちょっとこの人のこの本の中で言ってることの一つに、本当のことを描くっていうのは自分を知っていくことだよっていう話をしていて、
で、私は世界の一部だから、つまりそれは世界を知っていくことにもなるよねという話をしてたりとか。
で、描くことって問うことだよねっていうふうな話をしていて、そうそう。
で、結局はそういう本当のことを描く練習を通して、ありのままの自分を肯定するみたいなところに行き着くというか、していけるようになるんじゃないかみたいな話をしている。
なるほど。面白いね。
なんかその、僕お仕事で最近、無線ラジオのパーソナリティの樋口さんという方が会社の顧問になってくれまして、たまにこうミーティングとかでご相談させてもらったりとかをしてるんですけど、
そこで樋口さんがポッドキャストって最初もう最大1年ぐらいできるだけSNSとかで告知しない方がいいって言ってて、
で、なんでかっていうと、今、樋口さんがちゃんと近くて、リアクションがあると人間はリアクションに何かしらの反応を示してしまうので、コンテンツがブレるんですよみたいな話をしてて、
なるほど。
これが褒め言葉ですらそうですってまさに言ってて、
まさに。そうだね。
特にさ、僕らみたいに誰も知らないみたいなのなら別だけどさ、一定な有名人、インフルエンサーと呼ばれるような人がやるとさ、絶対何かしらの返答が返ってくるわけじゃないですか。
賛否ありますよね。
そうそうそうそう。
フィードバックがね。
それがもう邪魔だから、できるだけ聞かれない方がいいって言ってて。
おー。
粛々とコンテンツを貯めるに徹した方が、よりやろうとしてることに近づくみたいな感じなの。
そう、自分のやりたいことみたいなのとか言いたいことみたいなものをできるだけぶらさないようにした方がいいっていう論だし、
これは、いってポッドキャスト好きな人たちってその本音っぽさ生っぽさが好きだから、それを出させるためにもそういうのが必要だよねっていう。
なるほどね。
それこそ客観的に見てどうとかじゃないところから話せるようになってからが真にコンテンツとしての価値があるっていう感じなのか。
そうだね。
っていう論は僕はすごく納得したけど、まあでもこれ一定の有名人しか効果ないよなと今でも思っているので。
我々理想的ってことですよね。
じゃあね。
僕は有名人じゃないので。
その行き着く先がどこなのかっていう。
そうそうそう、僕らはまず有名にならないと。
フィードバックが有り余るほど来るような状態になったらそういうことを考えなきゃいけないんだと思うんだけどね。
でも僕はもう一個やってる方のyoutubeで、最近クソコメみたいなのが一件だけついて。
おー。
なんかその、いやお前らの知識足りてねえじゃんみたいな。
うんうんうん。
普通なんかここからまず考えるよねみたいなクソコメがついて。
うん。
で、同じ人が2回コメント別の動画にして。
へー、ファンじゃん。
こういう時、一般論としては、ちゃんとかまってあげることでアンチはファンに転ずるみたいな。
うんうんうん。
一般論としてあるのよ。
うんうんうん。
僕も最初、なんかその人低評価つけたわみたいなの冗談っぽく言ってて、
低評価つけられて悲しいですみたいな、笑みたいなの返したんだけど、
もう一個のコメントはなんか本当につまんなくて、なんか不快で、
ははははは。
なんかただただ不快で。
へー。
面白いアンチならいいのに、つまんねえアンチって何の価値もないじゃん、もう見ないでほしいと思って。
うんうん。
コメントブロックしたね。
そしたら出てこなくなって、すごく精神衛生上良くなったので、
ほんとつまらない人間には見ないでほしいなと思って。
まあコンテンツ発信の宿命だよね、でも。
見る人を選べないっていうのはね。
つまんないやつは僕のコンテンツ見ないでほしいなと思って。
あれだよね、なんかあの私名義でやってるTikTokのさ、
まあ保育のあるあるみたいなのをなんか曲がりなりにもちょっと上げてきたけどさ、
うんうん。
こうなんか盛り上がったコメントがある。
なんかやっぱり盛り上がってくるとすごい面白い盛り上がり方してる人何人もいるじゃない。
うんうん。みたいなね。
あれ面白いよね。
もちろん面白いよねでいける人。
別に自分の発信としてやってないからさ。
うん。
自分。
「一人になる」ことの重要性と具体的な方法:日記とインフラ
客観的に見てる。
あれはだから本当のことじゃないわけよね。
本当のこと。
それで言うと。
僕の目線から見た保育のあるあるだったり、
なんかそういう状況みたいなのを脚色して出しているだけではあるけど、
それに対してのそのなんというかすごく真面目な返答だったり、
それにそのコメントに対する戦い方みたいなのが繰り広げられるのを見てると、
ああいやみんな本当に時間あるんだなっていうね。
すげえなあっていう。
大言葉だね。
思っちゃった。
お時間あるんどすねって。
そうそうそうそう。
時間あるんだよね。そういう意味で。
もう一杯お茶いかがどすって言いたくなっちゃう感じ。
むずけの時間でしょ。
むずけでもいかがどすか。
そうそうそう。
私さっきの高谷さんの話聞いてて、
一人になるっていうのは確かに保育者ないなって思ってるのが、
やっぱあって、
文章、記録書くとかもそうだけどさ、
なんか書くってなるとどうも人がいると書けないなっていうのはなんとなく感覚としてあるのよ。
人がいるってのは同じ空間に。
そうそう。物理的に一人の方が書きやすいよなっていうのはなんとなくあって。
でも環境的にそういう一人になるみたいなスペースは保育園ほぼほぼないだろうし、
もう一個俺本当は一人になった方がいいって思ってるのは感情労働だからこそ、
ちゃんと自分をケアする時間を物理的にも精神的にも取れた方が絶対いいだろう保育者はっていうのがなんとなくあるんだよね。
逆もしっかりで周りの人と話したり愚痴りあったりしてっていう時間ももちろん大事なんだけど、
それは組織として縁側が設定すりゃいいと思ってるのよ。
でもこの時間っていうのは意識しないとやっぱり取りにくいだろうし、
特に家庭があって普通に働きながらやってますってママさん保育士さんたちは、
もう家に帰りゃ子供と旦那の世話をしなきゃいけなかったりとか、
ってなると究極この時間って俺は皿洗いの時間は結構小なんですよ。
授業にとって。作業に徹せられるからっていうところで。
あの瞬間ってめんどくさいし疲れるしあれなんだけど、
最近職戦記とかでやっちゃってますって家庭もたくさんあると思うんだけど、
皿洗いが一番頭がクリアなんだよね、なんとなく。
自由である瞬間じゃん。
そうそう、すごく自由な瞬間なのよ。
家事やってるって目の前で子供が喧嘩してても大義名分、自分は皿洗ってますみたいな顔もできるじゃん。
っていうのも含めて、すごく守られた瞬間な気がするのちょっとだけ。
でもやっぱ保育園の環境的にも、そういう職員一人一人がちゃんと個の時間を作るみたいなのを設定してるみたいなの、あんまり聞いたことがないから。
あんまないだろうね。
あってもいいなってすごい聞きながら思ったね。
だから保育園が用意するのも一つの手だし、
あくまで個人の時間だからこそ、プライベートの時間にそういう時間を作るっていう意識的にね、っていうのもあるかなっていうふうに思っていると。
この本で本当のことをどうしたら書けるのとかっていう話になってくるんだけど、
いろいろ紹介はあるんだけど、具体的な方法として一個あるのが、誰にも読ませない文章を書こうっていう話で、つまりそれは日記を書こうということなんですよ。
なるほどね。
日記っていう、日記も今ちょっと半分外向けみたいな日記もあり得るんだけど、
まず誰にも読ませない文章を書くというのに最適なのが日記ですよっていう話をしていると。
別にそれ多少つたなくても誰にも見せないから基本的にはいいし、なんかそういったことをやっていきましょうと。
で、これを書いてるドモンさん自身も表に、要するに何かしら他社に読まれる文章以上に、やっぱりその日記というか誰にも読まれない文章をいっぱい書いてる。
っていう話をしていて、日記を書くってジャーナリングとかもそういう話だと思うけど、結局そうやって自分と向き合うというか、書く技術も徐々に鍛えながら、書くことに慣れていきながら、でもちゃんと自分と対話していけるみたいなところがいいよねっていう風に言っていて、
で、この人はこの本の中でその日記を書くみたいな、誰にも読ませない文章を書くことを、なんかこう、推論の点検っていう風に言っている。インフラというか文章が。
推論だった。文章が出ていくのが推論なんだ。 そうそう、推論。自分の感じた本当のことっていうのが、ちゃんと文章として表に出るための推論を書いていくっていう、
それをまあ点検していきましょうと。これはもうインフラですよみたいな話をしていると。 面白い、そうそう。
で、まあここも畑野さんの本とかに近いんだけど、本当のことは上手な表現、文章を凌駕するという言い方をしていたりとか。で、本当のことを書くために、あとまあもちろんそうやって日記を書いていくとかもそうなんだけど、
実は書くことがありませんとか、そういう話になってくると。で、じゃあ本当のことを書くために書くことがないってなるとどうなんっていうのもあって、本当のことを書くためにというか、
体を動かそうっていう話。要するに積極的にいろんな体験とか外に出てみましょうという風な話をしていて。
で、そこがね実は結構大事かなと思ってるんで、要するに一時的な経験をしましょうっていう話。何か大したことなくても自分が経験したことっていうのは自分にとっての本当のことだから。
力。 そうそうそう積極的に。 張りてないよね現代社会きっとみんな二次三次情報ばかりで流れていってしまうよね時間がね。
そういうことなんですよっていう風な話をしてる。で、まぁちょっとザザっとこの後、この人にとってドモンさんにとって書く文章の形態はどういう位置づけなのかみたいなのバーっといくんだけど、日記は常に稼働させておくインフラですという話。
さっき言ってた水路ってやつだね。 水路ってやつだね。で、単価、単価は写真ですと。 へー面白い。 そうそうそう単価は写真なんだって。
へー。 単価は写真なんですか。 そう写真なんです。 えっ単価って5、7、5、7、7? うん31文字。 木もなくてもいいんだね。
で、この本の中で何で単価は写真なのかみたいな話ももちろんちょろっと触れてるんだけど、単的に言うとその限られたところから世界が立ち上がるものだからっていう話をしていて、31文字から世界が立ち上がる、写真も静止画なんだけどそこから世界を立ち上がらせるみたいな。
まあ要するにスナップショット的な限られた情報からより広い世界をっていう。 なんとなく見えるものがあるな、なんか。 うん。なんか単価は別にさ、なじみないけど、ゆわんとしてることはちょっとわかるよね。
感じられるものは。 まあ産業日記みたいなもんよね、そのわかりやすく言えば。 ああまあそうそう。
限られた文章量からどれぐらいの世界が広がるかっていうところを結構気にしてるみたいだけど。いや素敵だな。
実際その写真家と別の人の対談がその事例として出ていて、その写真家の言葉から単価って写真じゃんみたいに思ったみたいなことが書いてあって。
いいね、こう芸術と芸術がつながる瞬間ってすげえ素敵だよね。 面白いよね。千尋先生も単価とかやってみませんか。
書くことの多様な形態:エッセイ、小説、インタビュー、企画書
確かに。 千尋 それはむり、なぜなら僕は。 できてるできてる。
千尋 今57まで来てる。 57まで来た。 おお半分できたよ。
才能あるな。 千尋 ちょっと夏井先生に評価してたやつ。 確かにね。なぜなら僕はいりません。
千尋 あなたの話なんです。これ自明です。
いいね。 千尋 はい、ということで単価は写真なのよ。で、エッセイは外に向いてた文章の第一歩っていう言い方をしていて、ここ結構詳しく書いてあるんだけど、端落ちちゃうけど、
要するにエッセイってさ、自分の体験とかを書くことだから、本当のことになりやすい。保育士さんなら保育士さんのエッセイになるし、
俺とかケイタみたいな生活をしてる人ならその生活のある意味本当のことが出やすい。かつ外の人に載ってもらうっていうことを意識すること。文章になりうるという話。
エッセイね。エッセイね。自分がエッセイってあんまり読んだことがないんだよね。今になって思うと。
千尋 でも多分書籍として読んだことなくても、例えばウェブにある文章とかでエッセイ的なものって結構あると思うんですよ。まさにノートの話。
ああ、でもノートはそうか。うん、確かに確かに。
千尋 っていうことだったりとか、小説は自分のまま他者になる手段。
ああ、でも、いいじゃないですか。だからさっきタワジェが言っていたことをちゃんと回収してくれたんだね。
千尋 そうだね。嘘じゃんみたいなところが。
千尋 自分のまま他者になるか。いい表現だね。確かにそうだよね。
そうなんだよ。これも面白いなと思った。だから小説はそういう。
なるほどね。
千尋 で、インタビュー記事は2人で見つけた本当のこと。
一人じゃなくね。
千尋 そうそう。お互いに見つけていくっていう。で、キャッチコピーは初心を思い出す本当のこと。初心を思い出すキャッチコピーがついているものに対して。
もっと根源的なというか。
千尋 確かにすごく突き詰めた世界だもんね。キャッチコピー。
エッセンス中のエッセンスみたいなものをまさに出していく行為だからね。
千尋 あと企画書は本当のことで描いた未来。書いた未来。
へえ。急に企画書がすごい素敵なものに見えてくる。
千尋 ね。文学作品に思えてくる。
千尋 企画書っていうのは自分にとっての本当のことを、それを見た人にとっての本当のことにしていくためのもの。共有していくためのものであるというふうに書いてある。
面白いな。
千尋 この人にとっての書く文章というか、媒体とかの方法の違いの位置づけはそんな感じで、書くことは一つのレジスタンスなんだよっていう話で、最後の方に言葉の暴力性の話とかももちろん書いてあるんだけど、
書くことの身体性、音声入力、そして感情整理
基本的にはちょっと書くっていうことが面白いよね。あと途中でその日記とエッセイの話をしたんだけど、
日記とエッセイの中間に実はその、まあ要するに誰にも読まれない文章と誰かに読まれることを想定した文章の間に、
誰かに限られた人に読まれるみたいな位置づけのものがあるような話をしていて、
このドモン先生自体が実際にやっていたこととしては、ノートを有料でエッセイとかのものを書くと。
限られた人しか見ないけど、でもちょっと開かれてるみたいな。閉じつつも開かれてるみたいな位置づけのものもいいよっていう話だよね。
いや、今の話めちゃくちゃ面白くて、で、聞きながら思っていたのは、書くっていう表現、例えば今の僕らがさ、文章を書くって言ったらさ、
ナチュラルにタイピングする、あるいはフリック入力をするみたいなのになるじゃないですか。
作業だね。
これをじゃあ、手で書くのがいいのか。あるいは僕個人的には人によっては、喋るほうが楽っていう人も多いと思うんですよね。
はい。
そう、まさにまさに。
海外の人の喋るほうが楽だと。
普通は。
そういう意味では、日的なもの、エッセイ的なものは、もしかしたらこういうラジオとかにしちゃうとかも、一手段としてあるかもしれないなと思ったりしました。
iFlogみたいなものを、まあ音声のデータがでかくなっちゃうから、保存性がみたいな話はあるんだけどね。
そうだよね。
一覧性がとかタイプ性がとかあるから、音声入力ぐらいでやっちゃうとかはあるかもなと思ったり。
全然あり得るかもね、現代的なやり方として。
だから、僕の解釈としては書くっていうか、まあアウトプットするみたいなぐらいの行為としてあるのかなという感じはなんとなく受けたけど、それでもなお書くのほうがいいのかな。
そうだね、まあなんかそっちのほうがいいっていうふうな書き方はしてないけど、一応そこら辺の話も実はされてて、書くことは身体、フィジカルな行為だという話をしていて、
で、さっきの外に出ていろいろ感じるみたいなこととかもあったと思うんだけど、なんかそういう部分って結構大事だよなっていう言い方をしてて、
身体を動かして実は生きるという行為をしていると。
そうだよね。
ほぼなんかメディテーションだ、なんかこうマインドフルネスに近いというか。
メディテーションだね、マインドフルネスだね。
そうそう、いやごめんなさいね、私の語彙がちょっとあれなんで。
なんかでもそのほら、もともとドモンさんのバックグラウンドにその既視念領があるっていうところからスタートしてると思うと、
なんかそこにある種、なんか哲学的なところが乗っかってこない、乗っけていかないと、生きるということをこうなかなか組み立てられなかったんだろうなっていうのが。
普通はあるじゃない、ほっといても生きるなんだけど、この人はある種生きるために書いていたというのもあるし、でも逆に書くために生きてたみたいなところもある。
なんかそこがうまく回るようになって、今のお仕事につながって、今のドモンさんになっているっていうところがすごい素敵なところなんだけど。
身体を動かして生きるということをしましょうと。
で、自分の中のそれらで感じた変化を観察して考えるということをしましょう。で、その考えるを考えたことを書く、本当のことを書くということをしていきましょうっていう話をしてるんだけど、
で、一応そのこの本では日記とか手書きで書くといいよって、これ書く練習だから書くことについての話だから、そういうふうに言ってるけど、
情報の記録とか考えたことの整理みたいな意味だったら、今ではケータが言ってたように、こういう形式でアウトプットする。
でもこの本の中でも一応言ってるのは、書くと話すは連動してるっていうふうに言っていて、要するに書く行為と話す行為っていうのは基本的にはもう連動してるものですよという話をしてて、
だからその話す方が明らかに得意とか、抵抗がないんだったら話すっていうことをやってみるといいんじゃないかなっていうふうに、これは俺の解釈というかね。
この本で書く以外のアウトプットの方法について特に書かれてないんだけど、書くの話だから、現代的にやるならそういう方法もありだよねっていう。
話すって、そうだね、話すことで考えるはもちろん長あるんだけど、やっぱ書くほうがよりフィジカルな行為なんだろうなっていうふうに思うかな。
さっきの一人になるっていう、一人としてそこに向き合うみたいなことを考えると、これとかラジオ収録とかこういうふうに複数日もやってるけど、
本当に一人で喋るっていうことが得意ならそれは一人で考えるみたいなことにつながりそうだけど。
そうだね。
いや、ちょっとわかるなと思うのは、僕割と3000字ぐらいの文章を書くみたいなときに感じるのが、ハイピングは追いつかない感覚なんだよね。
ハイピングがめんどくさい。書きたいことはバーって脳内にあるんだけど、ハイピングがめんどくさくて嫌になる。
それはわかる。
だって、どう考えても頭で考えてる速度のほうが早いに決まってんじゃん。
手で書くのも嫌なのはそれで。
めっちゃわかるよ。
思考のアウトプットに対して手の文字が読めるレベルで書こうと思ったら追いつかない。
わかるわかる。
だから、しゃべるのがたぶん一番楽。
まあそういうことだなと思う。思考と一番追いつかないアウトプットはそれなんだよね。
まあでも現代的なやり方としてはそれもありだよね。
まあこんだけ音声のログというか、テキスト抽出もね、かなり良くなってきてるから、速度的なことを考えたら断然音声だろうね。
いや、そうだね、それこそ我々専門職がやってるような、客観的に残さなきゃいけない、気の狂いなんてのは、もう荒れ草って言いたいよね、本当にね。
やっといて。
最近、OK Googleって言ってジェミニーが立ち上がったりするから。
確かに、それすごいな。
OK Google、ばー喋ってジェミニーこれ予約してって言ったら出来上がるかもしれないよね。
すごいな。
いや、その未来はもうほぼほぼあると思う。
僕のアンドロイドが反応しました。
反応した。
やめてやめて。
そうだね、たぶん記録スピードとか、当然考える速度が速ければ速いほどそっちの方がいいっていうか、何を持っていいとするかだけど、
情報の劣化が少ないというか、考えてることをより生で取り出しやすいとかっていうのはあるかもしれないけど、
この本においては書くというのは割とプリミティブというか、フィジカルの行為ですよという話をしていて、
たぶんあえてそのスピードに同期させることにも何かしら意味があるんじゃないかなっていう風なニュアンスのことは書いてあったね。
書く速度と考える速度を同期させるみたいなことが書いてあって。
保育現場での記録と「本当のこと」のバランス、そしてエンディング
すごい面白い問いというかあれだよね、気づきだよね。音声入力でいいんじゃねっていう話は。
確かにって思うしね。そんなような話で、この時代に書くっていうことについてちょっと考えたいなと思って本を読んだっていうのもあるんだけど、
保育士さん確かに書いてるし、あんまり一人になる時間ないし、こういう行為を通して保育園で働いてる保育士さんのある種自己肯定感が高くなるというか、
みんながこう生き生き働く環境になったら面白いよねっていう感覚があって、一応今日はこちらのですね、本当のことを書く練習というドモンランさんの本を紹介しました。
はい、紹介ありがとうございます。
本当、保育の仕事は書くこととはすごく密接だからね、得意不得意すごく苦手ですって人もきっと一定数いるでしょうし、逆にもう感情を動かさずに書けちゃいますっていうベテランの人もいると思うんだよね。
技術的に行けちゃうってことだよね。
でもなんだろうな、やっぱ保育の魅力って本当にその子供一人一人のことを保育士さんたちが本当によく見ていて、それに対して対応というか相手をしていて、やっぱそれが記録にちゃんと乗っかってきていると、そのお子さんのことが本当にありありとわかるというか、
こういう成長が起きてきて、そういうところにここに課題を抱えていて、それに対してこういうふうに対応したからこういう姿として今成長していってるんだねっていうのが見えるんですよね、ちゃんと記録の中に。
それはもちろん外に出せるものではないし、監査所必要だったりとか、最終的にそのお子さんが小学校行くときに養育っていう形でどこか一個にまとまって小学校に送り出すものではあるんだけど、
もっと活かされてもいいなと思うし、変な話保護者と共有できたっていいじゃないかって思うところもあるのよね、お子さんの育ちなんだからさ、
本当はそこも共有していけたらいいのにな、ある種保護者の方に公開する連絡帳のその日の一言メモみたいなものが、そのまま記録として扱ってもいいよっていうふうに最近すごい言われるようになったのよ、
やっぱ記録が大変だから、日々の業務の業務改善の一環も含めて連絡帳に書いてる内容コピペでいいよって言ってくれる指導員というか監査員の方がいらっしゃって、
多分全国的にそうだと思うんだけど、それをどこまでやりきってる縁がいるのかちょっとわかんないですけど、
ってなってくると、どうしても本当のことだけではない、ある種書けない、仕事においてはね、出てきちゃうんだけど、なんかその辺のバランスをやっぱ上手くとっていくっていうところも含めて、
ドモンさんがさ、誰にも見せない自分だけの日記として書くっていうところにさ、その水路としてね、自分の感情をやっぱりちゃんと流そうとしてるのがなんとなく聞いていて思ったんだけど、
まさにそうだね。
ある種、そこがすごく苦手だからこそ自分で道を作り、水を流し、ちゃんと感情整理するっていうことができるようになったから、今こうして書いて生きているんだと思うんですよ。
で、みんな得意不得意あると、あとキャパの多い少ないというか、その感情労働に対して何も苦労せずできるタイプとすごく苦労してやってるタイプと、人育士の中にもたくさんいると思うんだけど、
その感情を流してあげるっていう意味で、日記を書くっていうこともそうだし、相手の話でも何でもいいけどっていうことがやっぱり、大臣援護職としてはみんな意識的にもっとやりやすいツールだったり何だったりあったらいいなって聞いていて最後思いました。
いろんな本とかコンテンツ紹介しながら、ぜひ保育士の方にも知ってもらえたらちょっと何かプラスなことがあるのではと思って続けているそんなコンテンツでございます。
今のところ特に私たちの活動に水を指すようなコメントはいただいたことございませんけれども、あったらあったで楽しく読ませていただくので。
めっちゃブロックします。マジでクソリップ送ってきたら全部ブロックしてやるからな。覚悟しとけ。
誰と戦ってんだよ。
お前のことだぞ。
愛はどうした愛は。
確かに誰と戦ってんだろうな僕はね。よく思いますそれは。すいませんでした。
世界が平和でありますようにという願いを込めて。
僕だけですこんなこと言ってる。
GoogleフォームのURLはそっと置いておきますので、優しいコメントご意見等お待ちしております。
というわけで今回もご視聴ご清聴ありがとうございました。
ありがとうございました。
49:06

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