1. ホイクベースラジオ
  2. #89 保育に「数学的思考」は活..
#89 保育に「数学的思考」は活かせるか?──構造を捉え、見立てを深める
2026-05-20 41:48

#89 保育に「数学的思考」は活かせるか?──構造を捉え、見立てを深める

現役保育園看護師のチロ先生と高校の同級生たちによる保育の情報ラジオ「ホイクベースラジオ」。


今回は『世界のエリートが学んでいる数学的思考法』(マーカス・デュ・ソートイ著)をご紹介。オックスフォード大学の数学者が、数式を一切使わずに「考えるための数学」を解説する一冊です。


公式を覚えるのではなく、なぜそうなるのかを理解する。複雑に絡み合う日常の課題を構造として捉え直し、補助線を引くように整理していく。本書が伝えるそうした"数学的な態度"は、実は保育現場にも深く通じるのではないか──そんな問いから始まる回となりました。


子どもが噛みつく、落ち着きがない、といった現象を「この子の問題」と短絡的に片づけるのではなく、いつ・どこで・誰と・何をきっかけに起きているのかを要素分解して見ていく。保育で言う「見立て」とは、まさに構造を捉える行為であり、ベテラン保育者の引き出しの広さとも結びついている──そんな話が広がっていきます。


人間は関数なのか、感情も合理的に理解できるのか、課題は「見つける」ものなのか「作る」ものなのか。論理・合理・数学的思考の違いを探りながら、保育の現場で日々向き合う"正解のない問題"にどう手を動かしていくかを、三人で考えました。算数・数学に苦手意識を持ちがちな保育関係者の方にこそ、ぜひ手に取っていただきたい一冊です。


▼「ホイクベース」ダウンロードはこちら

iOS版

⁠⁠https://apps.apple.com/jp/app/%E3%83%9B%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B9/id6503190795⁠⁠


Android版

⁠⁠https://play.google.com/store/apps/details?id=com.hoikubase&hl=ja⁠⁠


▼ラジオの感想、質問などは以下フォームよりお送りください。

⁠⁠https://forms.gle/99JjK5eacPnjN7YAA⁠⁠


BGM : MusMus

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

本エピソードでは、保育現場に「数学的思考」を応用できるかという問いを探求する。オックスフォード大学の数学者マーカス・デュ・ソートイ氏の著書『世界のエリートが学んでいる数学的思考法』を基に、数式を使わずに「考えるための数学」を紹介。複雑な日常課題を構造として捉え、補助線を引くように整理する数学的アプローチは、保育における「見立て」や子どもの行動分析に通じる点が強調される。 特に、子どもの問題行動を個別の問題とせず、発生状況を要素分解して構造的に理解することの重要性が語られる。感情も関数のように捉え、合理的に理解する可能性や、論理・合理・数学的思考の違いについても考察。正解のない保育現場の課題に対し、構造を捉え、仮説を立て、試行錯誤を繰り返す姿勢が、問題解決の鍵となることが示唆される。また、数学的思考は問題を見つけるだけでなく、新たな問いを生み出す力にもなり得るとし、保育者が「見立て」を深めるための有効なツールとなりうると結論づけている。

はじめに:数学的思考法との出会い
こんにちは、保育園看護師のチロ先生こと佐藤です。 新規事業の力で日本を開国せんとす合同会社黒船の基礎です。
同じく、黒船の川地です。 僕たちは高校の同級生3人で、保育業界向けの新規事業を作ろうということで日々頑張っております。
このラジオではですね、ぜひ保育関係者の皆さんに読んでもらいたいなと思っている本とかコンテンツを紹介しながら、
いろいろ保育だったり、そうじゃなかったり、いろんな話を展開していけたらいいなと思って続けているそんなラジオです。
今回、私、チロ先生から紹介させていただきます。 私が紹介する本は今日はこちらです。
世界のエリートが学んでいる数学的思考法という新書が出ていたので、
なんか久々に買ってすぐ読み切れたというところも踏まえて、今回はこちらの本を紹介させていただきたいなと思います。
やっぱね、僕らといえば世界のエリートですもんね。 まあまあまあ、間違いないですね。
エリートオブエリートということでね、やっぱり学ばないといけないかなと思いまして。 そうだね、そうですね。
いやでも正直な話、チロから数学的思考法っていう本が出てくるとはね、結構びっくりですね。 そうでしょう。
一応捕捉しておくと、チロさんと僕は大学が文系の大学に行ってるんですよね、文系の学部に。 そうだね、一応ね。
で、唯一この中ではチロさんが、 なんで笑うんですかね、なんで笑ったんでしょうね。
まあやっぱね、18年の重みがあるからね、我々は。 文系の学部に住んでいるが、一番数学に苦手意識が強いのは、下手したらチロさんなんじゃないかっていう。 そうだね。
あの、その通りでございまして。 なんですかね、僕は途中で数学、どっちかというと挫折した側の人間だと思ってるんですけど、
なんでこれがこうなっているのかわからぬまま、とりあえず計算をしていたという事実がありまして。 受験のための数学だったのね、我々は学んでた。
計算ができないわけではないが、概念としてあまり理解できていなかったというか、興味があまり湧かなかったというか。
で、今からものすごい偏見を言いますけど、保育士さんって多分数学苦手なんですよ。
いや、でもその偏見は俺も持っている。 保育士さんに限らず、割と数学って聞くだけで一定のその危機感を示す人って多いよね。
多いね。 割合、保育関係者の方とか、看護師もどっちかっていうとそんな気がしますけど、数学が好きっていうタイプの人は少ないのかなっていう印象があるんです。
休日、暇で数学やってますみたいな人いない。
なので、なんかちょっと僕の中で数学っていうものをね、なんかどっか理解したいなっていうのが、なんかここ数年ずっとあったんですよ、頭の片隅に。
ちゃんと分かりたいなっていうのがあった中で、でも読み物としてこう完結してるものってあんまり出会ったことがなくて。
まあ、だいたい問題解かされるもんね。 教科書的なものだと問題集とかになっちゃうしね。
そうそうそう、数式を解くとかっていうことではなく、それが何なのかっていうのが知りたいなと思っていたら、ちょうどこれあの今年2026年の5月に出版されたばかりの、5月の5日初版で出ている新書なんですけど、
あ、俺読みたかったやつやと思って、すぐ手に取って読めたんですね。
で、とても面白かったので、ちょっと今回はこちら紹介させていただきます。
お楽しみ。
よろしくお願いします。
数学への苦手意識と本書の魅力
よろしくお願いします。
本題の前にぜひ聞いておきたいんだけど、明確にチロス先生は数学が嫌だと思ってた?
それとも、できはするけど興味がないぐらいだった人?
それで言うと、できてはいたと思います。少なくとも中学レベルまでの数学は全くもって問題なく解けていたし、数3Cまで一応やったはやりましたが、
あり系だったもんね、一応コースとして。
うちのね、われわれが書いてた湘南高校って、数学の教科書としてはだいぶニッチなものを使っていた記憶にございますか?
あんまったくないです。
全くないですか?準拠っていう、なんかすごい珍しいタイプの教科書を使ってたんですよ。
なんか言い方だけが、すげえそっけない感じの教科書だったよね。
そうそうそうそう、サニアックな。
で、多分それがハマる人もすごいいたんですけど。
へえ、そうなんだ。いや、たびたび話してますけど、僕物心ついたのは22歳なんで、まだちょっと感覚としては12歳ぐらいの記憶しかないので。
なるほどね。
ちょっと覚えてないですね、16、17の。
いや、たぶんね、かわじさんは数学できるタイプの方ですし、あなたが行った学校というか大学というか、あれは数学の学校なのでほぼ。
文系なんてちゃんとおかしいと常日頃思ってますが。
文系の最高峰とは名ばかりの数学オタクが割といる学校だと思います。
本当に。統計とかね、そういうのも。
苦手意識はあれど、できはする人が読んで面白い。完全に苦手な人が読んでも読めるような。
いや、そうで、これは完全に数学ができない人でも読めると思いました。
すごい、すくいじゃん。
なんていうか、まず数式が一つも出てきませんし。
それはすごい試みだな。
計算式とかも一切出てこない。
ちょっと読みたいわ、それは。
題名にもあると言う、数学的な思考法というところを重視してお話をしてくれている、
オックスフォード大学のすごい数学者の方が考えるための数学っていうのを教えてくれている講義から抽出したような本なんですよね。
本当だ、著書の名前、マーカス・デュ・ソートイさんっていうんだ。
すごいね、面白かったんですよ。
何が面白いかって、取り扱われているまずテーマからして、すごく身近というか、日常に密接しているようなところから数学的な思考法を用いて考えていくっていうのが本の進み方としてはそんな感じでして。
やっぱり数学に対して苦手意識を持っている人って、なんとなく計算とか意味わかんねえなみたいなところでつまずいていると思うんですよ。
それで数学ってちょっと苦手だわって方が多いと思うんですけど、そうじゃなくて、我々がやってたそれこそ計算とか数式とかっていうものがどう日常の中で役立っているのかというか、どういうふうに扱われているのかっていうのが、
文章として読んで理解できるレベルまで落とし込まれていて、なるほどだからこの時私たちはこういう計算を学んでいたんだなというところの気づきがまず一つ面白いっていうところと、
もう一つは、なんで保育士さんに読んでもらいたいかっていうところにつながっていくんですけど、このオックスフォード大学の方も書いてあるとおりなんですけど、公式を覚えるというよりもどうしてそうなってるのかっていうのを理解していこうとするその思考法がそもそも数学的な考え方、数学的な思考法を用いていろいろ深めていくことができると。
保育と数学的思考法の共通点:構造の理解と「見立て」
これってすごく保育だなって思うものがやっぱりあって、なんでかっていうと、例えば保育って何か正解がピシッと1個に決まるわけではない、必ずこうだっていうものがあるわけじゃないんですよね。
なんとなく我々が学生の時解いてきた数学って答えを一つに絞っていくようなイメージがあるから、数学ってそういうふうに答えを決めるものじゃないかっていうイメージがあると思うんですけど、実はそうではないっていうところがすごい面白かったんですよ、僕的には。
むしろ、物事を考えていくときに、例えばこういう前提、こういう条件であれば、こういうような考え方を用いて、こうこうこうなっていくみたいな道筋こそあれど、ただ世の中いろんなものはすごくそれらが複雑に絡み合ってるよねっていうことを繰り返し言っていて、
とにかくもう複雑なんだと世の中、日常、1個の方程式ではとても表せないんだが、問題を構造として見ていくとか、それらの問題を整理していくっていう過程で、例えばこの数公式に当てはめてみるとか、こういう考え方をしてみるっていうような手法が数学を知れば知るほどその引き出しがものすごく増えていくというか。
なんかそれって僕は保育にもすごく必要な考え方だなと思って、要は例えば子供が噛みつきますとか、この子落ち着きがないっていうような現象があったときに、なんかこれはこの子の問題だからみたいに短絡的に答えを求めるじゃないけど、考えるのではなくて、
ちょっと数学的な思考法的な感じで、いつ起きてるのか、どこで起きてるのか、じゃあ誰といるのか、何がきっかけなのかとか、いろんな要素を分解して見ていく、分解して見ていく、構造的に見ていくみたいな視点ってものすごく現場に役立つじゃないかって、読んでいてすごく思ったんですよね。
その感覚僕すごい分かって。
さすが数学好き。
人間って関数だと思うんですよ。
思ったことないです。
人間って関数なんですね。
fxで。
fxで。
インプットがあったときにアウトプットが出る物体なんですよ、人間って。
うんうん。
なんだけどその関数の中身それ自体は何かっていうのはやっぱり1位には表せないじゃないですか、ブラックボックスってやつなんですね。
だけど何かインプット入れたらこういうアウトプットに変わるっていうのは、人間なんとなく分かる。
そのアウトプットのものをマッピングしたり、結果を微分したり積分したりすることで、多少その関数を絞り込んでいこうねっていう行為が、人間を理解するっていう行為だと僕は思っているので、微分と積分って役に立つよねって思ってるっていう。
本当同じこと言ってましたよ先生。
積分の考え方。
実はこれ書いてた。
実はね、ペンネーム。
ペンネームか。
マーカス・ジュ・ソートイさんだな。
この声思いつくわけがない。
マーカス・ジュ・ソートイさん。
でも本当その関数的に考えるっていうか、我々もさ、中学1年生で一時方程式みたいな、YイコールなんとかXみたいなさ、線上のグラフをまず習うじゃない。
はいはいはい。
で、あの時って本当ただただそのXとYを求めるゲームぐらいなものでしか捉えてなかったんだけど、線形台数っていうのかな、そういう。
台数ですか。
線形であるということ、物事が。
リニアであるってことで。
そう、グラフが直線になって現れるってさ、出力と入力が一定の倍数となるみたいなさ、言葉にすると一瞬ギョーギョーしいんだけど。
確かに。
なんかでもこれがある、この線形方程式を理解するっていうことがすごく偉大な発見なんだっていう話とか、やっぱりそこからさらにどんどんどんどん複雑になっていっていろんな現象になっているとか。
だからこう台数学っていうのはとにかく強力なツールなんだっていうところがすごい面白くて。
それこそ飲食店の選び方一つとっても、あとダイエットのこととかね、なんかこう日常的じゃないですか、すごく扱われているテーマが。
なんかそこから考えていくと、あ、これってこういう数式というか、数学的な考え方で我々実は判断してたんだっていうのが、これを読むとすごくすっきりとわかる。
イジネスとか飲食店とかの売り上げ予想とか行動も全部数学的に考えるみたいなのができるもんね。
論理・合理・数学的思考の違いと実践への応用
そう、なんか面白いな。やっぱ川尻さんがすごい得意としている分野だなっていうのも同時に思ったんだけど。
なんかこうなんとなくね、保育現場もそうだし看護もそうなんだけど、看護はまだエビデンスを重視しましょうっていうふうに言われるから。
なんとなくそういう分解して考えるとか、そういう文化があるかなと思うんだけど、どっちかというと感情ベースにというか、子供一人一人に合わせてみたいなところで、
気持ちが優先されすぎる場面が保育の現場ってどうしてもあると思うんだよ。それが素敵な部分でもあるんだけど、
でもどこかそれだけだとスッキリしないというか、足りてないなって思うポイントってこの数学的思考法にまとまってるなというのが読んだ時の率直な感想でして。
すっごい極論をあえて言うんだけど、感情ですら数学的思考で理解できると思ってるから。
おー、詳しく。
感情も関数じゃないですか。シチュエーションというインプットに対する態度というアウトプットの後のスループット部分が感情というか人のものだから。
それってある種さっき言ったものとあんまり変わんないというか。
確かにね。
感情と合理をそんなに切り分ける必要がないというか。
ある種感情を合理的に理解するっていうことができるはずなのに、そこに至ってないだけっていう感覚が僕の中ではあるなっていう気がする。
ある種感情をシステムとして理解できるっていうような。
そうそうそうそう。
いやー、やっぱ数学を深く理解してるとそういうふうに思えるんでしょうね。この世の中をね。
なんかでもこの先生もきっとそうだと思うんだよ。この偉大なる繊細数学者って書いてあるんで。
一緒じゃんって思って見えてるだろうね。
そういうふうに、もう突き詰めた結果そういうふうに物事が見えるんだろうなっていうのはすごい面白いなと思うんだけど。
でも多くの保育者はそうは捉えていない部分が多い。
そうだね。ある種、なんだろう、数学と似たような使われ方、ここで使ってる数学っていう意味と似たような使われ方で言うとロジックとエモーションの対比があるじゃないですか。
感情と論理みたいなところ。
でもなんか、やっぱ対比されがちだけど、実はある種論理的にというかね、そこが。
論理っていうとちょっともしかするとあれかもしれないけど、数学的というかシステム的に感情も捉えることができるよねっていうふうに見えるのかもな。
今の話面白いな。論理と合理と数学的思考がちょっと違うんじゃないかっていう感じもちょっとあるというか。
そうそうそう。ちょっと違うと思ってる。
だから数学的思考法っていうのはどこに差異があるんだろうっていうのは。
論理とか合理とかと比べて。
確かに合理的。
今回の千尋が紹介している趣旨としては、数学っていうのがある種なんかその場合分けとか関数とかシステム的に何かを構造的に捉えるみたいな意味合いで使われてるような気がしていて。
そうだね、なんとなくざっくりその状態とか子供の様子みたいなのをそのままで捉えて、あーじゃないかこうじゃないか考えるのはもちろんあるんだけど、考えるっていう行為がすごくすっきりしないときがあるのよ。
言葉としては伝わりにくいと思うんだけど。
何について話してるのかがすごいずれたり、それこそ論点がずれていたり、すごくその人の感情ベースになりすぎちゃって、いやそれはあなたの考えですよねみたいな方向になってしまったりとか。
その子供の様子に対して何を今課題としていて、それがどういう状況で起きていてっていうのを物事の整理、そのお子さんの様子を整理しきれてないっていうのがたまに感じるのね。
で、これってやっぱりベテランになればなるほど、やっぱそこの整理ってすごく早くできるし、この整理が早くできるってことは記録が早く書けるみたいなのとほぼイコールにつながっていくから、
ただそれを体系的に研修とかで教えてもらってるのかどうかちょっとわからないし、そういうふうに指導をしているっていう人もあんま見たことがないし、少なくとも数学的思考法を用いてみたいなのもちろんないから、
ある種この本で書かれているような考え方、思考法を保育現場に取り入れることで、もっと状況を整理しやすくなるのでは、考えるスピードが上がって一個一個処理するスピードが上がるのではっていう気がすごくしたっていうね。
なるほどね。
感じです。
論理合理数学的思考法。
でも論理的っていうのは、割と数学的思考法に近いのではというのも思うけどね。
そうね、論理的って言ってるのは、地面を積み上げた結果ここに至るよねっていう、因果関係とかの説明というか、論理的な人だよねっていうのは説明が順序が合ってるよねみたいな意味合いのニュアンスが強い気がしていて。
整理されてるみたいな感じかも。
実際ね、その整理が本当に適切なのかっていうのがあるけど、実際ちょっと論理的であると説得されやすくなるというか、確かになって思いがちというか、あるけどね。
数学的思考法って言ってるのが、どっちかっていうと場合分けとか構造を捉えるみたいな言い方。
そうだね、俺が一番言ってる趣旨としてはその構造を捉える力みたいなところが一番関係ないな。
確かにね。数学っていうのも実は解像度を上げると、整数の問題なのか、不積の問題なのかみたいな。
分野がまたいっぱいあるから、それごとでまた違うよねとかあるだろうから。
どっちかっていうと捉え方は確かにチロンのような構造を捉えるぐらいに理解しちゃったほうが、今はわかりやすいってことだよね。
そうだね。
でも知れない。
確かにね。
構造を捉えるか。
数学的思考法の実践:問題解決と試行錯誤
数学科の中でもやっぱり数学整数とか数自体を扱う人たちはより変態だみたいな話とかあるじゃないですか。
確かに。
もうほぼ哲学だよなみたいなところまで行き着くよね、きっとね。
確かに。
数学。
一方、建築とかで使うような構造計算とか、三角関数とかになってくるとか、素数とかだと暗号とかに使われたりするから。
そうだね。
結構実学っぽくなってくる。
なるほどね。
そうだね、その数学のいわゆる数学的な整数とかの整数論みたいなのを掛けてる人は本当に数学オタクっていう印象があって哲学的な世界だなって思うけど、
その実学っぽいところ、統計とかもある人だと思うんだけどさ。
そうそう、これ一番最初が、まずは統計のデータの話から、得票率とかね、どうして選挙速報が開票率0%でも投格を出せるのかみたいな。
実は我々が直感的に思う数よりもずっと少なく、ほぼこうだっていうデータを弾き出せるんだっていうところに、なんかびっくりみたいな話があったり。
私、ちょっと世代的な話にはなるけど、トリビアの泉とかでさ、よく何人ぐらいに聞けば妥当だと思いますみたいな、だいたい統計の先生出てきてたから。
あれってことだよね。
懐かしいね。
そうそう、あれ楽な仕事だなって、2000って言えばいいんだろうって思って、俺も言うのだと思って、絶対2000って言うやろって思って。
懐かしいね。
これぐらいだと妥当だと思いますみたいな。
そう、そんなん超楽勝すぎるだろうと思ってびっくりしてた。
そういう何人にボスに対してこうでとかっていうのをちゃんと弾き出すと意外とこれぐらいの数値でできるっていうのが直感に反する可能性が、直感に反してるというか、感覚的にはそうとは思えないんだけど実はみたいなこと。
わかる。なんか頭角出んの早すぎだろうとか思ってたよね、感覚的に。
確かに。
でもそれ直感に反する状況に直面した時とかこそ数学っていうのはすごく力になるし、あと面白かったのはなんか俺、問題をちょっと角度を変えてみるだけで実は急に解法が見つかってくることがあるみたいな例があって、
なんかこうすごく複雑に絡み合ってる問題だからああだこうだやってみてもなかなかうまくいかないんだけど、なんか一本補助線を引くような感じで、仮にこうだとしたらとかこっちから見てみたらってやったらなんか案外簡単に解けちゃったりみたいな問題がやっぱりあって、
なんかそれをこう世の中のいろんな課題に対して取り入れていくっていうのが数学的思考のすごい強みというか。特にこんだけやっぱりAIがいろいろ出てきてる中で、なんというか短絡的にこうっていうことはもう、
ただ早く正確に解くだけだったらAIでもういいじゃないかっていう話が今いっぱい出てると思うんだけど、なんかでもそうじゃなくて、我々の知能というか、直面してる日々直面してる問題って本当に複雑な構造だと。
だからそれをどっか一側面から見て課題を解決するっていうのは不十分だよねっていうところから、そういう多次元的な問題に向き合い続けていくために、数学っていうものを使っていきたい。
だし、なんかその一番ね、俺が読んでて面白かったのはね、とはいえ、こんだけいろいろなそれこそロジック的な感じで、こういう解法がある、こういうやり方がある、こうやったら最適化できるみたいな話がある中で、なんだかんだ最終的に行き当たりばったり試行錯誤してみないと当たらないみたいな問題も出てきた。
だからその泥臭さすごい面白いなと思って。なんかいろいろな、そこに対して最適化できない、この課題を解決するために、いろんなすべての数学、今ある数学のすべてを駆使しても意外とこうだって数式に起こせないみたいな問題は案外短いたくさんあって。
で、それに対して何をするかっていうと、もうとにかくやってみる、試行錯誤を繰り返すっていうことでしか解法に近づいていかないっていうのが話があった。これなんかすごいね、これぶっとくるものがあって。なんかやっぱ保育はそうだよな、ちょっと思った。
最適化した公式に何か当てはめるとかではないが、何て言うんだっけな、試行錯誤していくことでしか何か解法は得られないんだけど、ただやみくもに試行錯誤していくだけじゃなくて、ああかもしれない、こうかもしれないっていうのを考えながら、
その考えるために構造を整理して、考え方の質を高めるというか、感じができると、今の保育現場における課題の解決方法とかも見つけていくのではって思ったよっていう感じですね。
おもしろい。高校生の時、全然学校のテストとかはできなかったんだけど、なんでできないって、学校のテストってあれ、知らないと何も手足が出ないというか。
知識問題に近いもんね。
そうそうそうそう。
あんけだもんか。
そもそも、知らないともうこれ以上手が出ませんみたいなものってやっぱつまんないんだよね。
確かに。知ってるか知らないかじゃんみたいな話だもんね。
そうそう。思考を止めずに済む問題の方がやっぱ好きというか。
あー、最悪もう思測演算だけで答えにたどり着けるような。
そうそうそうそう。
組み合わせで。
だからやっぱ、基本物心ついてなかったから覚えてなかったけど、今思い出したのは、数学のテストで一個だけ全部わかんないんだけど、一問だけその2の50乗は何でしょうみたいな問題が。
それともログを使って解くみたいな。
大数を使って解くなんだけど、もうそれに全てを費やして、2の50乗を全力で手で計算するっていう。
やるよね。
これなら、まあ1時間あるし、いけるやろって思って。
大事。
全振りしたんだ、そこに。
そうそう。それを何桁でしょうかわかんないけど、そういうのがあったから、それをバーってやって、何桁だってやって、それだけ正解した記憶があります。
いいね。
ちゃんと計算ミスなくできたんです。
それはそうだよね。知識だけじゃないもんな。
で、しかも今もよろしくですね、やっぱ近くの数学好きな人とかも、公式を覚えるのが好きとかじゃなくて、公式も何でそうなるか確かめるって言ってたんだよね。
公式自体がね。
ただ覚えるんじゃなくて。
なるほどね。
こういう定理があるかもしれないけど、定理って誰かが導いてるはずなので、仕組みさえ知ってれば自分でも作れるはずだって言って、答弁するみたいなことを趣味にしてるみたいな。
趣味だな。
ほんとね、うちの高校も結構変態いっぱいいたんだよね。
そうだね。
特に数学得意な人は変な人が多かったですけど。
やっぱ自分でその筋道をたどってみないと気が済まないっていう人もいるよね、それは。
でもなんかこの数学のそういう問題を考えるっていうところが、今の世の中の未解決な問題、課題に対して取り組んでいく姿勢に現れているっていうのがすごい面白くて。
数学的な思考法があるからこそそこに立ち向かって生きるというか、何も分からず分かりませんってお手上げ状態になるのではなく、とにかく手を動かしてやってみているっていうのがすごいかっこいいなって思ったんですよね。
問いの設定と「見立て」の深化
確かにな。なんか構造を整理する力というか能力というか態度っていうふうなことだと考えるとさ、構造を捉えること自体ってある種の、多分数学で言うと多分因数分解的なね、何がどうなってっていう構成している要素なんだっけみたいな話になると思うんだけど、
なんか今の時代ってさ、多分よく言われてるけど、問い自体がない。問いの設定自体が難しいよねっていう話だと思っていて、なんかその保育現場においてこれが課題だっていうその認識するフレームというか、課題であると認識されるフレームってどういうところにあるんだろうなってちょっと聞いてて思ったかな。
なるほど。もうなんというか、変な話。現場にいたら課題にすら、課題とすら思えていない課題がいっぱいあるよなっていう話。
多分だから構成要素はいっぱいあるしさ、課題だと思わなければ課題でないこともたくさんあるわけじゃん。
確かにね。
なんかそれこそ保育の保育館じゃないけど、ある角度から見たらすっごい課題なんだけど、他の角度から見たら全然課題に思われないみたいなことって多分あると思って。
なんかそれに対してそのおのおの数学的態度で捉えると、でも課題と認識してない人はそれを構造化しようと思わないんじゃないかなっていうふうに思ってさ。
今の話すごい面白くて、もしかしたら数学って課題があるものじゃなくて作るものなのかもしれないよね。
その人が世界史とかならあるとか、暗記ならあるかもしれないけど、数学はやっぱ作る自分でみたいな、問題からみたいなのがより強いから、
問題を見つけるじゃなくて作るんだみたいな思考、もっと数学的思考の学位なのかもしれないね。
そうだよね、有名なその数学的な未解決問題みたいなのさ、存在してる時点で、ある種、それは解いた人も当然すごいんだけど、その何年も解かれない問いを立てた人めっちゃすごい。
なんかその切り口で考えようと思ったなみたいな、なんでこれ問題としようと思ったんだろうみたいな感じだからさ。
保育においてもそういう、これが問題ですっていうところを見つけるの自体にも、数学的な態度というか考え方っていうのがもしかしたら必要だったりするのかもね。
なんかそれこそ問いとはちょっと違うかもしれないけど、仮説を立てるみたいなところはなんかちょっと近いのかなと思うんだけど、
それがさっきの例で言うと、この子がすごく噛みつく子がいるとか、落ち着きがない子がいるっていうのを見た時に、どうしてなんだろうってだけじゃなくて、こうなのかもしれないっていうその仮説をどれだけ多く立てれるかとか、なんかそういうところにつながるのかな。
仮説もそうだし、それこそ構造かもしれないよね。噛みつくっていうところに至るまでの、じゃあなんで人間に歯が生えるんだろうとか。
確かに。
歯って欲しいな。
極端な例ではあるけど。
でもそこ、そのぐらいね、なんというか表面的なとこだけじゃなくて。
そうだね。子供が噛みつきたくなるとはどういう事象から生まれてくるのかみたいなところまで着目するとか。
でも、そこは本当に大事。今わかっている発達心理学とか人間の発達そのもののどの段階にあってどうしてなのかとかっていうのを知ってるか知ってないかだけでも見たては変わるし、見たてだな。
要は仮説ってさっき僕が言ったのは、教育現場ではよく見たてという言葉を使うので、どう見たててるのか。そのお子さんの様子を。
見たてるために必要なものっていうのは何なんだろう。その冒頭ぐらいでちょっと話に出てたさ、感情もある種関数的なものというか数学的なものじゃないかと違ったと思うんだけど。
人間をその装置として捉えるなら、外からの何かしらの情報の入力をいろんな目とか耳とか鼻とかのセンサーを使ってやった上で何かしらの処理がされて、それに対して何かしらのアクションというかアウトプットとして出るわけじゃん。
何かを見たてるっていう時は情報が入ってきて、でも同じ情報が入ってきても同じ見たてに至らない可能性ってあるじゃないですか。
そうそうそうそう。それって知識の差なの?
知識と経験と、それこそ変な話、センスじゃない。保育士の、保育者の。
なるほどな。
で、ある種経験が強くある、経験がたんまりあるすぎると、自分の中でのそれに当てはめようとしすぎる傾向が、やっぱりバイアスがかかるような感じで出てきたりっていうのもあるから、やっぱ常にアップデートしていかなきゃいけないものでもあると思うんだけど。
見たてるってある種のパターン認識、人間のその認知自体がパターン認識だと思うんだけどさ、基本的には。何かと見たてるなら、何かと見たてられるベースとなるものを知らないと見たてようがないから。
そうだね、だからこそ資格として、もと保育者保育士になるための大前提はあるとして。
最低限の知識は最低限あるよねっていう。
プラス個々人のセンスと勉強してきたことと経験等が折り合わさっていき、やっぱり1年目の新人職員が見たてる子供の姿と、延長クラスの先生が見たてるその子の様子姿っていうのに、
やっぱり理解度が全然違うのと、何だろうな、解像度が違うというか。
確かにね、何だろうね、やっぱ延長たちの方がそういう問いを立てる力みたいなのはあるんだよね。だから培っていくものなんだと思うけど。
パターンとかサンプルするな気もしちゃうけどね、シンプルに。
そうだね、それももちろんあると思うんだけど。
なんかそれこそ医療の現場だと。
症例みたいなものがたくさん積み重なって研究があって、この症例に対してこういう治験を行って、これが効果的だったから、これの第一治療の選択肢としてはまずはこの薬を使うとかこの手術を行うみたいなものがどんどんどんどん、
それこそロジックが溜まっていって、現場に還元されていくと思うんだけど、保育ってそういったものがすごく少ないし、一般化できないとか、なんか再現性がないと言うとちょっと違うんだけど。
個別のケースすぎるってことだよね。
そうそうそう、でも個別のケースすぎるんだけど、なんていうかな、個別のケースだからって言って、なんかいろんなその研究を跳ねられてるような感覚があるというか、あまりそこのが開かれていないような感じがあって。
まあ確かになんか、医療とかでさ、症例じゃないけど、わかりやすく外傷とかはさ、同じようなケースっていうかサンプルを集められるから、ある種一般化できるっていうことがあると思うんだけど、保育だとその事例っていうのもあるんだけど、その問題のある行動だったり何かがあったときの、なんだろうな、その子自身の持っているものプラスそのいる環境が異なる。
そうだし、なんつーの、それこそ診断がついていたとしても、自閉症だっていう診断があったとしても、もうほんと千差万別、その子の症状というかその子の様子も違うし、なんかこの本に書いてるようなことで言うと、
本当にね、複雑すぎるんだと思う。要は関数として表すにしても、こう、なんつーの、何次元なんだろうという感じの、ぐにょんぐにょんな図になってしまって、一個の図として表せないような状態。
を頑張って頑張って、経験の中に当てはめて、大体これぐらいの図だっていうところに、みんな当てはめて考えていくんだと思うけど、それでも要因というか要素が多すぎて、低量化できないというか、やっぱり公式として何か当てはめられないっていうのが極端に強いんだろうな、保育っていうものを全体的に捉えると。
なるほどね。
だからこそ、なんかある主戦、補助戦を引くような感覚で、園長とかの一言、この子はどうしてこうなってるんだろうねみたいな一言がピンと入るだけで、そこからそのお子さんを見るとすごくこう、こうかもしれない、ああかもしれないっていうのがまた湧いてきたり、すごくそのお子さんの行動がわかってきたりとか、そこから関わりが深まっていったりとかっていうのがあるんだけど。
保育現場における課題と数学的アプローチ
本当ね、世の中の園長先生たちにこそこの本を読んでいただいて、そのご自分の実践をぜひ、やっぱり言語化するだけじゃなく、数式化してほしいというか。
言い方あれだけど、言語化したら難しいのに数式化って相当無理があるだろうね。
面白いよね、数学と国語って相反するさ、対極なものとしてイメージされてるけど、めちゃめちゃ密接だよな。
密接だよね。
だなってすごいね、読んでても思った。
解釈をどうこうとかじゃなくて、国語っていうか言葉って本当は論理的な話じゃないですか、構造の問題だから。
だから実際はそんな遠い分野ではない気もするし、これ俺の経験とかチロも同じ予備校行ってるからわかると思うんだけど、
だいたい予備校で現代文とか国語の教員やってた人って数学めっちゃできるんよ。
確かに。
そうそうそう、バイネームは下さないけど、俺がその国語、さっき現代文の教員やってた先生がいて、あの人なんかもうバリバリ数学ができる人で、
で、音楽作ってる人だったんだけど、音楽もさ、パソコンに向き合ってひたすら波形いじるっていうのはある種数学的なマインドだからさ。
そうね。
そういう意味ではなんだろうな、いや難しいよね、なんかでもいいね、数学的思考っていうテーマのおかげで、
なんかその人間の持ってるその感情面とかいうものとそのある種システマチックな部分について考えるってこれもう哲学じゃん。
結局なんか行く先はなんかほんと哲学的だし、なんかなぜ生きるのかみたいなところにもつながっていきそうな感じがあるんだが、
なんかその中でも本当に実践として使える知識だったり考え方だったり。
でも普通に面白そうな本だなと思った、読んでみたいなと思った。
ぜひお二人、なんかほんとね、文章としてはとても優しいというか、すらすら読めるから、普段そんな本読まないですって人でも読めると思うんだよね。
確かにちろんこっそりさ、自分の保育園にそれ置いといたらいいんじゃない。
確かに。
これで何?ってなるよね。
シレットなんか置いといてさ。
すごく保育から遠そうなのに、僕はすごく保育をここから考えることは面白いと思ったので、みんなに読んでほしいなって思いました。
調先生の本、今紹介してくれた本、面白そうなので。
面白そう。ぜひお二人にも読んでもらって、お前言ってること違うぞってことがあったらぜひ教えていただきたいです。
すごい軽かったよ、200ページないぐらいだし。
でもね、普通に数式出さずに数学的な考えを伝えようとする試み自体が結構穴あきっていうか尖ってて。
すごい、この人のオックスフォード大学でやってる授業って本当に大人気で、いろんな人が聞きに来るというか。
なんか全然知らなかったけど面白い。
企業で働くようなエリートサラリーマンみたいな人たちからも勉強になっているような話が書いてありましたよ。
ちょっと読んでみます、それ。
ちょっと折りに触れて、数学というものを日常生活にもっともっと取り入れていきたいなというふうに思いました。
思ってないよ、今の。
思ってないよ、今の。違う違う、数学をもっと理解したいなっていうところに。
でもそれを気持ち持ち続けてきたからこそ、そのほうが引っかかった。
そうそうそう。これからもちょっとアンテナ張っていきたいなと思います。
まとめと今後の展望
というわけで、今回もご視聴ご清聴ありがとうございます。
GoogleフォームのURLを書いているので、ぜひ皆さん感想、質問等々ぜひ送ってきてください。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
バイバイ。
41:48

コメント

スクロール