特に、保育園の方だと保護者の方から、うちの子最近どうですか?みたいに聞かれて、ちょっとスラスラっとは言えないみたいなパターンとかあるという想像を勝手にしたんですけど、どうですか?
ロセン先生は言えそう。 そうだね、いろいろあるけど、どこまであけすけに言っていいものかみたいなところは差し加減があるんで、
そういった意味じゃ、言葉を選ぶとか、そういうことは日常茶飯時皆さんしてるんじゃないかなという気はします。
そうですね、あとまあ保育園に限らず、皆さんそうだと思うのは、最近どう?って聞かれた時に、むずいみたいなちょっとないっすか。
まあ抽象的やからな。 最近どう?元気だよぐらいで終わる。
それ以外言えないな。 バリバリっすよみたいなことを、抽象的な返事にしか考えないよね。
最近考えてることはやっぱセンスの正体ってことに考えててみたいなこと言ったりとか、それはそれでちょっと怖いじゃないですか。
でも一方でなんかあの話すればよかったなーとかをちょっとやっぱ思い出したりとか、あれすればよかったなーとか思い出したりするっていうのは、
その話せ側の語彙が足りないとかそういう話というよりは、聞き側の聞き手の力っていうのがこの言語化においては実はすごい大事だよねーみたいな話をされているものなんです。
面白そう、いいね。
はい、というのでそちらはちょっとそれを軸にいろいろお話をしていこうかなと思っております。
はい。 よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
この本、先にもう結論というか、僕なりのこういうことを言ってるよっていうのをズバッと言ってしまうとですね、
言語化っていうものは、その伝え方とかどう言うかっていうところっていうよりは、何を言うかの部分だよねっていう、そのもう一歩手前の部分。
言葉にする部分よりもう一歩手前、言語と化す部分、それをどう伝えかっていうのはまた別の話っていう整理をして。
HowではなくてWhatということかな。
そうだね。だから言い方の工夫とかも大事ではあるんだけど、それより前に中身みたいな部分をちゃんとまず自分の脳内でもいいから言葉にできるようにしようねっていう部分をどちらかというと重視しているっていう本なんです。
なるほど。
なんか漠然とあれかな、頭の中をもっとちゃんと整理してから喋れよみたいなこと?
まあまあまあ、乱暴にまとめるとそういうことですね。
だいぶ乱暴にまとめると。
乱暴にまとめるとそういうことです。まさに千代が言ってくれた、まず頭の中を整理しようっていうか、言葉出ないときに頭の中で何が起きているのかっていう話からしてくれていて、
この本によると、僕らが考えたりとか感じていることのほとんどは、頭の中にあるときはまだ言葉にはなってないよね、なんとなく。
本の中の例で言えば、会議に出るのがなんとなく億だとか、将来のことがなんとなく不安だっていう、なんとなくっていうものでしか関与されないよねっていう状態が多いですと。
このなんとなくを言葉に変えられることこそが言語化だよっていう状態なんです。
これは保育現場ももちろんいっぱいあって、なんかなんとなく今日この子変とか、なんとなくなんかイビテチブと違うみたいなのってとても保育士さんたち気づく、それこそキャッチする能力がすごくあるので、センスがすごくあるので、
それを言語化するっていうのがみんな苦労してると思うから、期待ね。
まさにそこが今日話したいところだったんですよ。
で、なんとなくが言語化できてないと、一般的にどういうふうになっちゃうのかっていうと、特にモヤモヤみたいなもの、言葉にならないモヤモヤっていうのが消えるんじゃなくて、態度とか行動のほうに出ちゃうっていうパターンが多いんだって。
なるほどね、確かに。
なんとなくモヤモヤしてるっていう状態を言葉にできずにいると、周りからあの人最近イライラしてるな、みたいなことを言われちゃうとか、そういう本人が気づかないような態度でできちゃうよねっていうのがあるらしいんですね。
わかる気がするな、なんかね、確かにな。
でも、これって下手したら大人もそうだし、子供もそうだし、一般的に子供のほうがありそうだけど、大人でも全然あるよっていう話ですね、これは。
子供のほうがより顕著にこう、機嫌悪いとか、クテクされてるとかね、すごーくわかりやすいけど、普段ね、とりつくろって一応社会人としてこう、社会に溶け込んでる大人でも、まあ、行きすぎればやっぱ不気払みたいなことになるわけだからね、不機嫌、ハラスメントですよね。
まって、大人の機嫌って、より子供のほうが敏感に見てるよねっていう。
ああ、まあ、そうだろうな。
ちょー先生、すごく今。
いや、もうね、最近のこう、私の反省としてですけど、子供がね、自分のね、保育園ではないんですよ、仕事でこんなことあんましないんですけど、
自分の子がなかなか朝準備しないとか、歯磨きしろって言ってんの、いつまでもグダグダゴロゴロしてるとかで、もういい加減にしなさいと、それはそれはもう日々、もうシッタシッタな日々でございまして、激励のないシッタの日々でございましてね。
激励のないシッタ。
で、なんかやっぱね、その上の子にそういう注意をしてる時って、なんか下の子って、普段さんざんギャーギャー言ってんのに、非常に上手にこちらの機嫌を伺って、なんかちょっといい人にしてみたりとか、ちょっと可愛い子ぶってみたりとか。
自分も下の子だから、なんかその感覚はすごいよくわかるんだけど、ああ、俺めっちゃ今機嫌見られてるよな、なんか悪いなって思いながら、でもそうでもしないと動かないしな、こいつと思いながらこう。
日々ね。日々です、今ここ。
親々が溜まってる感じするね。
本当にね、ちょっとどうしようと思って。
助けてほしいです。
助けてますね。
それも無理やり言語化するとしたら、まさにチロが言語化できてないがゆえにかもしれないし、まあかといって全部が全部できるわけでもないと思うけどね、こういうのは。
特にね、その本当に自分次第だった親子みたいなもので言うと、なんか何とも言えない何かみたいなものはあり得る世界だと思う。
いや本当にね、最近舐め腐ってるんでね、良くないなと思いながら、どうしようかなと思ってるとこです。
親をどの程度舐めていいかっていうのをちゃんと敏感に感じてるんだね。
いや本当に。
試されてる。
試されてる。
試されてる。
めっちゃ余談だけどさ、ちそくんも思うと思うんだけど、チロがこの子供に嫉妬してるって結構意外じゃない?
うん、いや、おもろいよね。
うん。
あんまりね、そうね。
なんていうの、正直究極どうでもいい他人に対してはそこまであるけど、家族になっちゃうとやっぱり追い詰められるっていうかさ、
まあ、なんていうの、縁を切るじゃないけども他人になれないわけじゃない?基本的に。
いや、そうだね。
そこなんだと思うんだよね。
とてもそういう辞任がありますね。
そうだね、やっぱり。
だからある種、仕事だったらさ、他人じゃないですか、そんな別にやってよって言ったことやられなくったって別に困りはしないのよ。
いや、困るけど、なんていうの、別にそれが仕事だし、そこに何の感情も乗らないというか、普通に対処できる。
個別の指導とかじゃなくて、他の子たちもいる中で、その縁の運営みたいのもある中で、まあ、一人一人に向き合うとしても、なんかそういう一人でさ、一生時間を使うわけにはいかないから。
そうそう。
そういう意味では、その子がなんか、たとえどういう動きをしていても、まあ、いいか、今好きにさせてあげようみたいな感じになるけど、
自分の子だったらそう思うけどね。
どうだった?
いやだって、もう家出なきゃ、もう出る時間なんだって言って、毎日言ってるじゃん、今もう出るんだって、間に合わないんだって言って。
いいね。
意味わかんないの、そんで。やらない理由がないし、とかっていうね。
やらない理由がない、本当に。
いいね。
本当にいいね。
私最近、ずっとキレてる。良くない。非常に良くないと思いながら。
これね、本当、まあ、キス君とかだったら、もう僕もね、こういう話何度も聞いてるから、もうだいぶわかるんだけど、
チューロ先生を知ってる、まあ僕の共通の友人とか、僕の配偶者は僕らの高校の後輩なので、
チューロ先生のことは、ちょっと知ってる先輩、直接はそんな話したことないけど、あんな人だよねーみたいな距離感から見てる人からすると。
印象があるぐらいの感じだよね。
え、子供に怒るんだーみたいな。
いや本当だよね。
いや本当にね。
そういう意外な一面を出せてるのが、なんかいいなーって僕は思いますね。
なんかだから、ちょっと僕も僕で子供に甘えてるところがあるんですけど、もっとちゃんと言語化しないといけないですね、これは。
なるほどね、子供に甘えてるかもしれないっていうのはいい言語化かもしれないですね、それはね。
でもちょっとなすすべないから教えてほしいです。
はい、じゃあちょっとその方法というか、言葉にする方法みたいなのがいくつかあるんですが、ここで話せる範囲でちょっとお話をしていこうかなと思っていまして、
まず一番これ分かりやすいというか、やってみたら面白いかもなーと思ったのが、聞く順番を変えようっていう方法が載っておりまして、
聞く順番。
はい、例えばこの本の中であった例として、まあえっとじゃあチョロ先生、今あなたが働いている縁の名前についてどう思いますか。
え?どう思いますか?
どう思いますか?
そうですよね。
どう思いますか?
これ多分ほとんどの人がそうで、どう思いますかって書いても、まあそうだなーって思うというか、
縁の名前だなーというか。
そうですか。
どうでも、まあそれこそ企画みたいに自分でつけたみたいなさ、思い入れがあるとかなら全然別だけど、
多くの働いている方は、まあ名前が好きでとか思いを理解してとか、共感が高くてとかであれば即答できるかもしれないけど、
大体それぐらいの関係だと思うね。
そうだね、知名だしなとか思っちゃうもんね。半分知名だしとか思っちゃう、そういうもんだよね。
なんで、そういう時には質問を変えようっていうので、
あなたが自分の縁、まあ例えば逆に縁とか働き場所、会社みたいなのの名前を口にするのってどんな時ですか?って聞くんだ。
電話、電話取る時。
すごい、まさに電話取る時ですっていう例とかありますよねって書いてあったのがちろん言ってくれたからびっくりした。
すごい。
社会人だから。
社会人電話取る時。
そうだよね。
社名言うでしょ。
冗談だけど、僕社会人生活で固定電話取ったことないからわかんない。
そうだね、そういう働き方じゃないもんね、固定電話取らないからね。
最初の新卒の時は東京オフィスで新卒が電話を2コール以内に取れみたいなこと言われてたから。
あったんだそういうの。
でもみんな同期が全部取ってくれてたから取らなくていいかと思って。
すごい意識高い同期がいっぱいいたんだね。
そういっぱいいた、すごいね。
そういうことだ、すごい。
とか取引先に自己紹介する時ですとか、そういうシチュエーションが思い浮かんでくるっていう時に、
口に出す時に何か感じることはないですかっていうエピソードセットになってくるとちょっと思い出しやすかったりするよね。
あるある、よくね、もう一回言ってくださいって言われる。
非常に、氏名を知らないとちょっとパッと変換できないっていう名前だから。
確かにな。
そう言われると思うところあるわ。
どう思う、どうの部分があるわね。
そう、だから人間って自分の身に起きた出来事は割と簡単に言葉にできるんだって。
なるほど。
聞き取ってもらえなかったとか。
そういうことは結構言葉にできやすいけど、いきなり感じたことっていうのを聞かれるとパッと出てこない。
面白いね。
だから出来事をまず聞く。
さっきの例であれば、その会社名を口に出すのはどんな時ですかっていう出来事を思い出してもらって、
その時に感じたことを聞くっていう順序にするだけでかなり答えやすさが変わってくるよねっていう。
面白いね。
出来事をまず聞くね。
これなんで会社名とか組織名みたいなので例を出したかっていうと、
まさにこの著者の方が新しい会社名を考えてほしいみたいな仕事があったんだって。
それで社長から最初に頼まれたのは、かっこいいのがいいって言われたらしくて。
まあありそうだね。
ざっくりしてる。
かっこいいのにしたいんだよって言われて、でもそれはさ、無限じゃん。
かっこいいって言ってもね、絞れるものではないよね、あんまり。
台服とかではないんだろうなって気はするけど。
その人のかっこいいがわかんないしな。
ボタン欲しいってやっぱり、ジャパニーズ、トラディショナル、クールだねみたいな人だとしたらかっこいい。
それもかっこいいけどな。
トライオリオちゃんはかっこいい、難しいな。
なのでそこで、じゃあそのさっきの例で、それこそどういうふうな、どういう時に言いやすい名前がいいですかとか、
いう質問に変えていくと。
例えばどういう時に会社の名前言いますか、そういう時にどう言いやすいのがいいですかみたいなのを聞いていくと、
その社長の人の経験として、前に働いていた会社は名前が長くて頭文字でなくして使ってたから、それがちょっと嫌だったみたいな。
わかんないけど、日本放送協会はNHKって言ってましたみたいな。
そういうことだよな。
正式名称とちょっと違うもんね。
ちょっと嫌だったので、それを変えたいんだっていうことをもっともっと深掘っていくと、最終的にはその会社や事業への思いが表現されていながら、
短くて言いやすい会社名にしたいんだっていう結論だったよねっていう言語ができた。
すごいまとまるね。そしてなんとなく見えてくるよね、きっと。
そうそうそう。それならこうだねっていうのが見えてくるみたいなのがあるみたいです。
もう一つ聞くとき、これ基本的にこう聞くといいよの本名なんですよ、言語化の本名みたいな。
面白い話し方なんだ。
だから自問自答みたいなパターンもあるだろうし、人の言語化を助けるみたいなパターンもあると思うんですよね。
実は言語化って自問自答より他人と話したりした方がいいっていうのはちょっとオッテなメッセージとしてあるかもなと思った。
確かに壁打ちとかそういうものってさ、ある意味そういうとこあるよね、ちょっと人に聞いてもらうとか。
思考を整理するというか。
そうなんです。で、聞くときのコツとしてもう一個載ってるのが、アドバイスをしようとしないっていうことだって書いてある。
カウンセリングみたいだね。
そうそう、誰かの悩み聞いてるとついついこうしてみたらとか、もっとこうしたらいいなって言いたくなるのを言葉にすることっていうのが目的なんだったら、とにかく聞くごとに徹したほうがいい。
アドバイスをした瞬間にそっちにやっぱ思考が寄っちゃう。
分かんないけど、ちょっと何度も例に出して申し訳ないけど、チロがどうしてもお子さんに感情があった時に、いやいややっぱ子供といえば他人なんだからさっていうことを言っちゃうのは何か違うじゃん。
いやマジでぶん殴るよ、ほんとに。
分かってもねえくせにだし、そういうことじゃないんだよなって思ってた時に全然違うとか、みたいなことが起こるので
あんまりこうアドバイスっていうのは、よっぽど心欲がない限り、心欲っていうとしても言葉にすることが目的だったんだらしたいほうがいいっていう。
そうだね。
まあそうだろうね。
こちらがそれを求めて何か聞いた時に言ってくれる分には全然嬉しいですけど、それはちょっと嫌かもね。
っていう話が他にもいろいろ細かいメモを取ろうみたいなものとかいろいろハウは出てくるんだけど、この後。
僕今さらっと言った2個目のアドバイスをしようとしないっていう話、結構難しいなと思って。
自分でしないほうがいいよって言っといてなんだけど、これ100%じゃなくない?
100%のアドバイスを必ずしないほうがいいってわけではないってこと。
分かんないけど、教えなきゃいけない瞬間は絶対にあるじゃん。
まあね。
なるほどね。確かにね。要は先輩から後輩にじゃないけど。
もちろん目的は言語家だからみたいな差はあるかもしれないけど、
そのアドバイスをするべきかしないべきかみたいな線引きをどこに置くかって結構難しいなって。
こういう話を聞くたびに思うんだよね。
確かに。ちょっと分かるのは、今僕直属の部下っていうわけじゃないけど、同僚ではあるけど、同じ専門職で、年下で、
僕の方が経験があってっていう子がいるんだけど、確かに1から10まで全部手取り足取りっていうのもちょっと違うし、
でもかといって僕のやり方だけが正解なわけじゃないから、それを全部こうだ、ここはこうしてっていうのも違うしって思うと、
なんかね、やっぱ上手く、どこまで何言ってあげたらいいか、何が指導になるかすごい悩ましいなと思うところがあって、
あからさまなさ、その語字脱字とかだら指摘しやすいじゃん、こここうだよとか、ここ文章違うよとか、
そんなのはいいんだけど、なんか難しい、それこそちょっと言語家に近いと思うんだけど、
例えばお便りを作るとかさ、なんかそういうものって一種の言語家みたいなものだと思うんだけど、何を伝えるかとか、
僕だったらこのテーマだったらこの部分をやっぱ押して伝えたいと思うし、保険便りなんて基本読まれないから、
それでもちょっとでも目に触れて読ませて印象に残るフレーズをって思うとここなんじゃないかな、みたいなのがあるんだけど、
それが100%正解なわけじゃないしなって思うと、どうなんて伝えようかなみたいに思う場面は確かにあって、難しい。
そうなると言語家におけるアドバイスとかじゃなくてもはやその指導というか教育というか、そっちの文脈な感じもするよね。
そう、その難しさもある。でもなんか言語家を目的とした、一応あれも言語家だなってちょっと思ったから、アドバイス、アドバイスか、そうね、難しい。
俺もさ、このアドバイスをしようとしたいって言うのは言語家を目的だよっていうのが前提だっていうのは言っておきつつもさ、
これは言語家を目的だな、これは言語家を目的じゃないな、みたいなのを0か1かで分けるっていうのもそれはそれで難易度があるよなというのも。
まあ少なくとも俺は人生で意識したことはないね。
ないだろうね。
これは言語家だなとか思ったことない。
なさそう。
思ったことないし、正直あんまり困ったこともないしっていうのがある。
まあ、貴族は確かに他人に興味がないから、この話は難しいかもしれないけど。
ちょっと今日難解な気がする。
上とか下とかもないしね。さっきからね、たかしの反動がいつもと違うもんね。
なんかね、俺が言語家みたいなことを考えるときに、自分自身の言語家っていうよりも、意外とその仕事で人の話を聞く機会が多いというか、インタビューじゃないけど話を引き出すタイミングは多くて、
そういうときには、質問とかね、質問の角度っていうか、そういうの考えるんだけど、なんかこの本で言ってるような言語家、特に自分の言語家できなくてもやんぼやがたまるみたいな話とかがマジでないんだよね。
あるし。
びっくりするけど。
自分が伝えたいことは全部言語家できているということでもあるわけですよね、きっとね。
だと思います。少なくとも言葉になってない状態でまずもやもやしてることが少ない、考えてることはあるけど、考えてることは考えてるし、みたいなところで、なんかもやもやがたまるっていう構造がいまいちわからん。
相手がさ、クライアントとか、
全然脱線しちゃったっけ?
いいよ、クライアントでもいいし、例えば僕がもっとコンディション悪くて全然出てこねぇやみたいなさ、それこそ言語ができてないみたいな場面にさ、つまりこういうことですかみたいなの端的に言ってくださるじゃないですか、
なんかそういう場面でそんななかなか出てこない、例えば僕にちょっとそのもやもやを感じた理由はしない。
はしないね。
むしろそこから何を出せるかを、なんかどうしたら出てくんだろうみたいなテンションになるかな。
あ、ちょっと楽しくなっちゃうぐらいな感じなんだ。
そうそうそう、なんか怒りとかもないし、ムカつきも別にしなくて、どうしたらその人が思ってることが出てくんだろうなみたいな、どう引っ張り出せるんだろうなみたいな気持ちになるから、なんか全然そこで人に対してのその怒りというか、みたいな感じなんだな。
あ、そうなの。
うん。
面白いね。
だから今日の話はさ、言語化はするって逆に言うと、そんなに言語化がなんかパーフェクトなものだとも思ってないけど、なんていうのかな、言語化できないと態度とかあれに出てくるっていう話はすごい、なんか自分に全くない視点だったから、すごい、えーって、えーって感じだった。
発見だった。
そうなんだ。
面白い。
そうか。
びっくりしたぐらい。
面白。人間って面白。
リューク、リュークや。
りんごや。
そうなんだ。
りんごくんだよ。
りんごや。
面白。
面白いね。いやーでも、僕はわりとどっちもわかるというか、わりと言語化できるほうだとは思うけど、まだ言えないんだよなっていう感覚も持つことがあるので。
まだ言えないっていうのは。
でもそれはまだ言えてない、まだ言葉にできてないここがなんかあるんですよっていう感覚は持つみたいな。
なるほどね。
そこに何かあるのはわかってるけど、形がわかってないみたいな状況ってことだよね。
そうだね。
その感覚はわかるかもしれない。
特になんかその、仕事において、例えばこういうことをしたほうがいいと思うんだみたいなのって、わりとあんまり最初は根拠なく自明勝ちというか、なんだってやったほうがいいじゃないですかみたいなことがある時に、
ここでなんでってなって、無理やりこう、でもまだ言えないけどなんとなくいい感じがするんですみたいなことを言っちゃうみたいなことはたまにあるな。
なるほどね。
そこに、ここに何かがあるんだって、ここほれワンワンじゃないけど、理由はわかんないし、今は説明ができないけど、なんかここがいいんじゃないかみたいなことがある。
そうそうそう。
そう。
それはたまにある。これは絶対いいと思うということだけはわかるみたいな。
なるほどね。面白いな。
それはそれで、なんか言語化しちゃうと歪症化するかもなって思っちゃう時もある、それが。
それはわかる。言葉が必ずしも正解ってわけでもなかったりするしね。
なんかそれで言うと、俺割と子供相手だからかもわかんないけど、言語化できない、されていないそのもやもやした部分を、
そういうもやもやしたものだという認識でそのまんま受け止めて、うんそうだよねって言える感覚はあるかもしれない。
でもそれは近いというか、その感覚が一番俺近いかもな。
なんかそのもやもやに対して、もやもやしているなというか曖昧とかまだ形が定まってないなって感覚は持ちつつも、
別になんかそれで自分がどうこうっていうことにはならないとか、そのまんま受け止めるっていう今のチロの言葉は、確かにって思った。
なるほどね、だからむしろ言語化のもう一個手前にも気づいてない人みたいなのがいたらそれは気づいてほしいねってのはあるのかもしれない。
そうだね、そうだね、子供であろうとなって。
不機嫌であるとかさ、態度にめちゃめちゃ出ちゃうみたいなのって、なんかその域じゃない、言語化の二歩手前ぐらいのところでなんかそのもやもやがもっともやもやしてるようなさ。
地面がないんでそういう感情になってるかとかに気づいてないみたいなケースはあると思うね。
確かにな、もやもやっていうかさ、すごい話すれる話するんだけど、自分が何に怒っているかみたいなものの特徴って人によって変わるみたいなのある感じしない?
あるんじゃない?
何に怒りを覚えるかみたいな、なんだっけこれ、何かの漫画であったよね、その人のことを知りたければ何が起こるかを知れるみたいな。
そうそうそう、いや俺も今同じこと思ってた、なんだっけあれ。
なんだっけこれ、ハンター×ハンターかな。
2人で共通してたらハンター×ハンターかジョジョか。
クラピカあたりが言ってるんじゃないかっていう気がしている。
どのシーンか全く、ゴンかな、ゴンかも、ゴンが最初のクラピカとリオリオが船の上で喧嘩してるときに言ってた気がする。
1巻の2話ぐらいか3話ぐらい。
初期も初期のハンター×ハンターで。
これね、僕最近はわかったの、何に怒るかっていうのが。
失敗すること、いや、他人がやったときに自分が怒ること。
おお、はいはいはい。
他の人に対して怒りを覚えるときってことね。
そう、なんか何もしてないときだね。
何もしてないとき。
えっと、何て言うのかな、失敗はいいの、できませんでしたは良くて。
で、究極、そうだな、やろうとしたけどできませんでしたもん、まだギリ。
やってもないし、それを言ってこないが一番なんかムカつくなっていう感覚があって。
これはさらにちょっと実は前提があって、一緒に仕事を進める上でっていう前提があるな、それを言ってこないと。
なるほどね。
一緒に仕事を進める上で、亡霊相みたいなものができないっていうことに一番イラつきを覚えてるなっていう感覚があって。
その、言ったことができないとかならまだいい、言ったことができなかったことを聞かれるまで言わないっていうことに一番ムカつくなっていうのも。
なるほどなるほど。
このずっと聞いてるのは、対会社ではないんですよ、これ。
僕が個人的にやってるyoutubeで一緒にやってる相方がずっとそうなので。
そうだろうなーと思いながら聞いてる。
はい、ずっとブチグレてるんですけど。
で、それがなんかその、一番僕にとって不義利だ、僕のことをないがしろにしてるっていう感覚を覚えるなって思った。それが一番。
でも、なんか根っこの部分はやっぱそこな気がするな、自分が大切にされていないというか。
そうそうそうそう。
ちょっと悲しいに近い。
確かにね。
でもその感覚は俺もほぼ一緒な気がするわ。
イライラとか。
一緒に仕事するならね、こうなるよね。
そこだよね、そのやっぱ怒りの奥の感情ってさ、そういう悲しいとか寂しいとか。
なんかもっと違うものが怒りとして消化されて表に出ることの方が多いけど、どっちかというと二次的な感情です。もっと根源的な一時的な感情でそういう寂しいとか悲しいとかの方が強くは本来あるはずだからって思うと。
何も響いてないってことはまあ、なんだろうね、何の影響も与えてないってことじゃんってなって。
そうそうそうそう。
それっている意味ある俺みたいな感じになるよね。
そうそうそうそう。
何回こうしたらって言っても何もその場ではすごく申し訳なさそうにするのに、何の行動にも移らなかった。
めちゃめちゃ具体的な個人しか頭に浮かばないんだから。
それは何の意味もないんだよって。
15回目くらいにやっぱもうこっちも虚しくなってくるじゃん。
そりゃそうだね。
分かるよ。
そうだな。
これが分かんないけど、これが対子供とか自分の子供かどうか分からなくても一定のちょっと言葉難しいけど未熟さを兼ね備えてる。
それこそ部下とかだったらまあ50回くらいは耐えれるんだけど、対等でやろうって言ってる相手にそれをやられるのが一番。
なるほど。
すげえ分かるそれ。
前提としてイーブないはずなのに、なんでこんな一方的ななんだろうことになるんだみたいな感覚ね。
それはめちゃくちゃ分かる。
それでも今の話めちゃめちゃ子育てに応用できるかもって思った。
なんかそれこそ僕が息子に対してあれこれ言うときって、僕は基本対等な人間だと思って接しようとする節があって。
これはね、なるほどね。
僕も嫁も保育関係者だから、なんかその子供だから子供扱いをするというかさ、可愛いし子供だから全然可愛いんだけど、でもやっぱり一人間として扱うべきだろうっていうのがなんとなくあって。
だからなんとなく対等な関係でいたいもあると思うんだよな。子供と親っていうよりも、僕チロ先生と息子のなんかその一人間同士の関わりを強く持ちたいってちょっと思ってるんだろうなって今気づいて。
だからその対等な関係で、いや俺もう時間だから行かなきゃいけないんだからあんたは準備自分のことしなさいよっていう、そういうメッセージになりすぎて、そこにギャップがあってないがしろにされるから悲しいしムカつくみたいな感じだわ。
そうだわ。だからだ。だからある種、もっと適正に親と子供としてのある種必要なパワーバランスみたいなものをもうちょっと僕も認識すべきだし、どうだね確かに。
だから徐々にそのパワーバランスはさ、ちっちゃい頃からちょっとずつ育っていくにつれて、例えばもう中学生とかまで行ったらほぼ大人みたいなさ、部分もあるわけだから、なんかそういうチロの思ってるバランスにどんどん近づくんだろうけど、現状ではまだなんだろうね、きっと。
そうそうそう、なんかベースそういう人間として扱いたいはまあ変わりはないんだけど、なんというかこう、やっぱ未熟で発展途上にある子に対して、その対等に物言ったってやっぱ伝わりにくいだろうし、動かない、なんかね、今自分がしてる話を親御さんとか保護者から聞いたら俺別になんかなんとも思わないというか、
あーでもね、そういう時期ですもんね、みたいなことを全然平気で言えるなって思っちゃって、今。
分かる分かる、いやめっちゃ分かるそれ、俺もその今話した話、他人から聞いたらいやいや、まあそんなん見捨ててさ、行けばいいじゃんみたいな、見捨てた距離保てばいいじゃんみたいな、やっててもあんま変わんないよみたいなところ、そういうチャンスを持っちゃうけど。
ある種こう模範回答みたいなさ、なんか正しい解消法みたいなのは、頭ではあるというか分かってはいるんだけど。
いいね、人間だね、すごい、いや俺的にはもう人間なしさというのがね、これからのテーマだと思うからいいよ、この会話、人間を感じるよ、非常に。
アカエスに刺さったなら嬉しいよ。
うん、非常に刺さった、なんかこう分かっちゃう、いるんだよ分かっちゃうっていう。
そうそうそう、2人の感覚っていうか。
だから変に僕がそこに対して必要以上に怒りを覚えたり、イライラしてるっていう根底に、その対等なものからその何が示されているという、勝手に自分で食らってるだけっていう構造に。
そうだね、勝手に自分で食らってるだけ。
違う違う、こいつはまだ5、6年しか生きてない赤ちゃんだから。
そうそうそうそう。
っていう認識はちょっと1個持てれば。
それその技僕使えないんですけど。
あ、ごめんごめん、それは。
確かに。
それはごめんね。
ごめんなさい、ちょっと待ってください、その技僕相手もう34年くらい生きてる男性なんですけど、どうしたらいいですか。
あ、でも、いや彼、
それはまたあの後で話すわ、電波で載せられない話をするわ。
そうだね。
そうだね、すごいいい気づきだったわ今。
なんか子供として見るのに抵抗があるんだったら、単純にちょっと後輩だと思って接するぐらいがいいんだろうなって思った、今のキャリパーとしては。
子供と大人っていう関係性がちょっとなんか上下関係を感じちゃうというか、フラットじゃない感じがするけど、先輩後輩って意外と実は俺はフラットだと思っていて、ただ歴の違いでしかないというか。
だから偉そうにするのは違うと思うんだけど、まあ明らかにだって当たり前で10年生きてる奴と5年生きてる奴だったら10年の方がさ、経験が多いわけだから基本的に。
だからなんか教えることあるし、逆に言うとこの子はまだ私の半分なんだって思います。
怒りって感じはまあなくなるし。
そうだね。
そういう距離感なんだろうねっていうふうにちょっと思ったっていうところですね。
ちょっとなんというか、親の保護者側のアンガーマネジメントとしてこういうふうに捉えてみるといいかもみたいな感じがしたわ。
いやでもチロは元々、チロ自身を子供と見た時の親子感もなんか仲良いというか、
仲良いは元の家族としてよりちょっと友達に近いぐらいの距離感を築けている親子関係に思えていて。
そうだね。
割とフラットだね、そこはね。
親子が。
チロの家もちょっと俺特殊だと思うしな。
うちの家は特殊ですよ。
正直。
環境だと思う。
チロのお子さんもいる場に始めた時にチロのお子さんがチロのことチロって呼んでて、すごって思ってたんだよね、俺結構。
確かに。
確かにね。
言われてみたらそうだわ。
変だよね。
まあでもそれは、今思えばそれこそなんていうか、対等さだよなあというか。
フラットにね。
別にそう。
僕のは親と別に仲悪くはないと思うのよ、別に。別に絶縁とかしてるわけ全然ないし。
うん。
なんだけど、明確に仲良いかって言われたら線がすごくある。
ちゃんと線があるんだね、そんな気する。
それはなんか、なんなら僕はもう礼儀を持って接するべき相手ぐらいに思ってるというか。
ちょっとした取引先ぐらいに思ってる。
いいね。いい表現だね。
ちょっとした取引先ね。
敬語を使わなくていい取引先ぐらいだと思ってる。
僕の評判がある種、なんかこういう変な振る舞いをしてしまうと、
配偶者の評価を下げることになってはいけないみたいな感覚すらあると思うから。
はいはい。
そういうぐらいの感覚を持っている。
それはギリ実家だろうが、同じく他人の大人っていう感覚。
ので、こらえてる種がちょっとあるなって思ってるから、結構違うなって思ってる。
そうだね、チロン家とはまただいぶ違うよね。
そうだね、うちは変わってるね。
変わってるよ。
変わってると思う。
なんか、あれなんだよね、女の子だけの家庭とかだとよく見るんよ。
そういう構造というか、親子が友達に近い距離感の女の子とお母さんとかって結構いるんだけど、
チロン家の感じはすごいと思う。みんな友達じゃん、なんか。
まあ、そうね、広く言うと、なんか友達というかなんかもう、
そうね、友達、いやなんていうの、本当に友達のさ、
だから友達の概念もちょっと難しいんだけど、なんていうんだろうな。
そうだね、なんかまあ同じ宇宙に今ここで生まれてきたんだから、仲間ではねえぐらいな感じ。
なんかそんぐらい、そんぐらい広い感覚としては。
まあ、そうね、そのマインドは多分そのチロンの親がそういうマインドの家庭で育ってるからチロンもそうなってるからね。
そうだと、それはうちの親がね、非常に。
あれでしょ、あの、そでふりあうも多少の縁ってやつでしょ、感覚としては。
まあ、それに近いのかな。
今回の人生はここを選んで、私がお母さんってことね、みたいな、あんたが子供ってことね、みたいな、
そういうおままごとをこの人生ではやるって約束して生まれてきたから、そういう関係ね、みたいな感じ。
オッケー、みたいな。
まあ近くにいたから、ここでチームとしてやってきますか、みたいな感じだもんね。
そういう、おままごとに近い、なんかずっとおままごとしてるみたいな。
得意だ、本当に。
得意、おままごと得意だから。
ナチュラルボーンおままごと人間。
うん、本当に。
じゃあ、転職だ。
転職だね、確かに。
間違いないね、おままごと。
おままごとのプロとしてyoutubeやった方がいいかもしれないな。
できると思うよ、たぶん。
おままごとyoutuberいけるかもしれない。
再生数桁違いだと思う。
確かに。
30過ぎのおじさんがおままごとしてんの。
いや、でもわかんない、その、おままごとする子供たちが視聴者になるかもしれないから。
そうそうそうそう。
いや、こんなん見てたらバカになるってやめなって言うよ、俺。
そうだよ、おままごとできてないやん。
現実に見せてんじゃん。
入りきれてない。
そうね、まあそうそう、だからちょっとね、そういうふうにアンガーマネジメントすることができるなとようやく気づけたので。
なるほどね。
いやでも、最後にこの本をおすすめしたい理由みたいなパートも考えてたんですが、
それよりも今の話こそがまさに一個の言語家の家庭みたいな風習もちょっとあったなと思ったのが、
いや本当に、
面白かったので、
実践できた気がします。
こんな感じです。
すげえ投げたな。
こんな感じです。
モヤモヤしたパート。
でも非常にわかりやすい実践例だったな、今のは。
実例が。
2人ないし3人ぐらいで、あーでもない、こうでもない、それ分かる分からない、
見に行こうだよね、みたいなのを言い合うっていうのも、
なんかめちゃくちゃいい言語家の人なのかもしれないなってのは思いました。
そうだね、確かに。
1人でやるより広がるしな。
なんかなんとなくこう、まあ我々ほらすごいキャラクターも個性も割と違うタイプの3人ですけど、
なんかそれがいいのかなとも今思いましたね。
いい具合にいろいろずれてるんだよな、絶妙に。
場合によってはさ、なんか俺とチロが同じ部類に入るときもあればさ、
俺とケイタが同じ部類に入ることもあるしさ、
今日は完全に俺とカワジェが同じ部類でしたよ。
そうだね。
同じ部類でした。
俺はそうだね、共感、理解はできるけど共感できないタイプの話だったからそうでしょうか。
あ、そうなんだ、みたいな。
だからこそいいのかもしれない。
そうだね、そういうなんか絶妙なズレがあった方が面白いよねっていうのはあるな。
確かにそう思うと、なんか自分のそのコミュニティの普段からよく連絡するお友達だけじゃなくて、
それから職場とか、職場で話せる人とか、職場のリーダーの先生とサブの先生とみたいな感じの、
それぐらいのなんかある程度なんていうのかな。
確かに。
いい具合に距離のある人。
なんか仕事の話はするけど、個人の話はそこまでしてない相手とかね。
休日は一緒に遊びに行くとかではないぐらいの距離感の同僚とか。
そういう距離感の人と話すときに、やっぱなんか大事だなと思うこと、今からあのめちゃくちゃ意外なこと言うんだけど、
話した方がいいね。
意外なこと言ったね。意外なこと言いましたね。
ついに聞けたね。
ついに心情を捨てての、聞きましたか?捨て身の一撃ですよ今。
いや、あの、本当は腹割って話しないんだよそれも。なんだけど、本当のこと言わない。
ややこしくなるから。
ややこしくなるから言わないんだけど、なんかそういうときに起きがちなのって、
言うて職場の人だからっていうので、線なりを引いて出し切らないで結局終わるみたいなのが一番もったいないんですよ。
間違いないね。意味ない不完全燃焼やそれは。
そうそうそうそう。だから、思ってないことは言わなくていいけど、思ってることは言ったっていいんじゃない?ぐらいの。
そうだね。
ことをどれだけ言えるかみたいなのが結構ポイントかなっていう気はするね。
間違いないね。
すごい、特にあの、保育士のグループとかだとさ、やっぱそこで考え方ずれちゃったり、
あまりにもオツボネさんと新人さんの中で、新人やられちゃいますみたいなケースって、
まあやっぱね、大きな世界よくありますから、そこでやっぱ払って剥がせるっていうコミュニケーションちゃんと取れると、
絶対的に保育が良くなると思うから、やれた方がいいね。
確かに、なんかそこでの腹割りに、腹を割る勇気がない場合はさ、やっぱりまずそもそも環境としてその職場とか今近しい人ではなくて、
全職の人とか、なんかちょっと今、自分の話をしても自分がいきなり脅かされることはない距離感の人みたいな、
まあそれこそ昔の学校の友達とかでもいいと思うしね。
っていうのであれば、構造的になんか別にぶっちゃけこの人に何話しても今の自分に関係ねえしなみたいなテンションになるというか。
そうだね。
腹が割りやすいかもね。
自己開示を恥ずかしがるっていう概念があって、存在すると思うんだよね。
多くの人に。
確かに、多いと思う。
結構もったいないからやめた方がいいと思うっていうのはよく思うな。
いいメッセージだね。
何の得もない。だってそれで恥ずかしいと思ってるの本人だけだから。
そうだね、それはめちゃくちゃある話だな。
うん、なんか課題評価してるというかね自分を。
そうそうそうそう。
自分の話を逆に課題評価してると思う。
うん、確かに。
なんかあれだね、それこそなんで私はこれを恥ずかしいと思ってるんだろうっていうのをもっと言語化していったら意外と大丈夫だなって思えるかもしれないしな。
そうそう。
なんか大したことないというか、良くも悪くも何も変わんねえなってこともいっぱいあるしね。
うんうんうん。
で逆になんかでも自分のこと知っといてもらったらまあそういうやつだからだなって済まされることもいっぱいあるから、なんかそれは話しとくというかね、知っといてもらったほうが楽だよね基本。
そう、そうなんですよ。
ケイタがさ腹割ることをさ信じてないっていうこともさ、言ってくれてるから俺たちはそういうやつとして見れる。
腹割ることを信じてないっていう腹割るっていう。
そうだね。
腹割れねえっていう腹を割ってるからケイタは。
ある種腹割ってんだけど誰よりも。
誰よりも腹割ってんだけどね。
ちょっとこれは無知余談だけどこれは腹割っているというムーブをするとしたらこうだろうなっていう概念だから。
割ってないよ。
ロールプレイ、ロールプレイの一種ね。
腹割ってる人ってこういう振る舞いをするだろうっていう認知を周囲はするだろうなっていう振る舞いだから。
本当に根底から腹を割ってるわけではなくてね、そういう振る舞いしてるだけですよ。
役者、役者なのね。
アクター、アクターなんですよ。
腹割ってる人ってこういうちょっとロアク的な言葉を使うでしょみたいな。ロアク的なことを言って人は腹を割ると思いがちだから。
そういうことなんですよ。
みんなはこういうの真似しない方がいいです。
そうだね。テクニックじゃなく本当に腹割って話してください。
そうだよね。テクニックでやる意味ないからね。
意味ない。意味まじでないね。
これはカワジが変なだけなんです。
今回はカワジさんから腹割って話そうじゃなくて。
こうやって頭の中を言語化する。
こうやって頭の中を言語化する。なんかかわいいさ、挿絵が書いてある表紙の本だよね。
そうそう。
なんか人のチュンチュンチュンみたいな感じの人の。
チュンチュンチュンみたいな。
ぜひ平積みになってると思うので書店で見かけたら読んでみていただきたいなと思います。
はい。
というわけで今回もご視聴ご清聴ありがとうございました。またぜひぜひ今後ともよろしくお願いいたしますということで。
おつかれさまでした。
タイミングむずいわ。
どこで終わるんだって今ちょっと思っちゃった。
おつかれさまでした。