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2025-04-14 16:09

言語化が苦手でも互いに理解し合うコミュニケーションが取れるのは

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月曜日【オカンの学びと気づき】

本日のテーマ;「言語化が苦手でも

互いに理解し合うコミュニケーションが取れるのは】

サマリー

このエピソードでは、言語化が苦手なことが互いの理解に与える影響について考察されています。高橋優乃は自身の育児経験を通じて、感情を言葉にすることの重要性や家族間のコミュニケーション不足が引き起こす問題について語ります。また、言語化が苦手な人でも理解し合うためのコミュニケーションの重要性が取り上げられています。家庭や学校環境が影響を与える中で、自己表現を増やす必要性が強調されています。

コミュニケーションの課題
皆さんこんにちは、自分軸を育むコーチ、高橋優乃です。
七転び八起きのママLife、この番組では、自分の考えをもとに、自分の言葉で子どもたちと信頼を築いていきたいママへ向けて、言語化する力、自分軸を育むヒントをお届けしています。
すみません、噛みました。もうすぐ噛む。
皆さんいかがお過ごしですか。
我が家はですね、今日息子は、幼稚園が入園式でお休みですので、今から公園に行くんですけど、その前にちょっとサクッと撮れたらなと思って、時間を作って今撮っているところでございます。
今日は月曜日ということで、おかんの学びと気づきの回でございます。
今日はテーマといたしましては、言語化が苦手でも互いに理解し合うコミュニケーションが取れるのは、というテーマでお送りしたいなと思っております。
なぜこんなテーマにしたかと言いますと、昨日娘との会話のやり取りをしていた時に、自分自身について思ったことがあったんですよ。
だいぶと怒るっていう感情を使うんじゃなくて、本当の本音の気持ちを娘に伝えることで、会話とか話を進めていけるようになったなって、抵抗がなくなったなってやり方というんですか。
本音を話すことに。
それがきっかけだったんですけど、昔は本音を言葉にできなかったなって思ったんですよね。
それってなんでなんかなって思った時に、自分がそもそも言語化が苦手なタイプの人やしって思ってたし、怒りっぽい性格だからとかね。
そういうふうに思ってて、だんだんこんなだから仕方ないっていうふうに思うようになって、より言語化する、言葉にしていく、気持ちを伝えていくっていうことをしなかったよなっていうことを振り返ってちょっと思ってね。
そうなんですよ。そんなことを思ったので、言語化が苦手な方。
なかなかお互いに理解し合うコミュニケーションを取るのって難しいなって感じてるんじゃないかなと思ってね。
しかもそれって自分が自分の性格上の問題だったりとかって自分のせいなんじゃないかなとか、もしくは相手が理解してくれない、理解力が低い子供たち、理解力が低い夫だからって思ってるんじゃないかなと思って、
自分の性格でも相手が悪いとかそういうことじゃないんだっていうことをね、今日お伝えできたらなと思ってこのテーマにしました。
家族間の理解の重要性
はい、そうなんですよね。なんか言語化難しいじゃないですか、自分の感情を言葉にするって。
でもこの言語化をなんかしない、言葉にしないってなって言葉不足になればもちろんコミュニケーション不足って起こりませんか。
それによってやっぱり人間関係のトラブルってコミュニケーションが不足した時にやっぱり起こってくるようなと思ったんですよね。
家族間でもやっぱり伝わってへんなって、分かってもらえてないなってやっぱりそれによって思うようになるんですよね。
どういう風に結局なっていくかって言ったら、どうせ言ったところで分かってもらえないよねっていう風に考え方が固定化されていくんじゃないかなと。
それで夫にも話さなくなる子どもたちにも何でこうなのかっていう説明を省いて怒ってコントロールしようとしたりとかっていう風になって結局話さないことによっていろんなことを私自身抱え込んでいったなと思ったんですよね。
育児も家事も。
そうなるとね、やっぱりイライラやね、なんか腹立つなみたいなって募るの当然やと思いません?
だけどそこでね、頭では分かってるんですよ。絶対この気持ちというか、高校で困ってて手伝ってもらえたら嬉しいんだみたいなのを言葉にできたらいいんだろうなと。
分かってても、なんかね、頼むもなみたいになるんですよね。なんか頼むっていう、なんかお願いしますみたいな感じに感じて、手伝ってほしいんだっていうことを言えない時期とかもあってね。
話すことに二の足を踏んでいるという状態が非常に長かったんですよね、私。
やっぱりそうなっていくとコミュニケーションが本当に激減していくんですよね、家族間の。
でもそれってこの状況を見た時に、自分が伝え方が下手だからだって思ってたし、その当時は。
で、夫もタイプの違う人間なのでね、夫婦であっても全然考え方も違うから、彼は頼み上手というか、言葉にすることも上手だし、感情表現が豊かな人で、私はそうじゃないからとかね、比べたりもしてたんですよね。
で、ずるいなあ、あの人はって思ってたこともありました。
だけれど、自分の性格とかが言えない性格をしているとか、向こうが表現上手だから、こちらの気持ちを理解できない人間だからっていうことではないんじゃないかなと思ったんですよね。
で、それが何なのかって言ったら、私たちがそもそも受けてきた学校教育、振り返った時どうでしょうか。
私は1984年生まれ、昭和の人間なんですけれども、生まれは。
で、学生時代って平成とかね、その時代をずっと生きてきた人間なんですけども、やっぱり学校での教育ですね。
振り返った時に、自分の考えとか思いとか、そういう自分で考えて何かを発言するっていう機会は少なかったかなと、小学校も中学校も、高校もそんなになかったかなと。
やっぱり答えが決まってて、この正解は誰かわかりますか?みたいな感じで、国語でも正解があって、この登場人物はどんなことを感じているでしょうか?みたいなので、悲しいですとかがもう決まってるんですよね。文章の中に答えが書いてあるから。
それを答えないといけない。もっといろんなことを想像して巡らせて、本当は悲しいに行き着くまでにこうだったんじゃないかなって思ってても、その仮定はいらないんですよね。
文章に書いてある登場人物は悲しいと感じていますみたいなのを線引きして見つけ出してきて、それを答えて先生がはい正解みたいなんで、自分の思いというよりは正解か不正解か。
で、それによって丸罰が決められてっていう教育だったんじゃないかなと思った時に、それをずっと受けてくると、自分の思いを言語化するってそもそも苦手な人って重いんじゃないかなって思って、性格とかの問題ちゃうんじゃないの?とかってちょっと思ってたんですよね。
教育と自己表現
みなさんどうでしょうか。今の教育がどうなのかっていうのは知らないんですよね。娘は学校通ってますけれど、授業一環として3日目で見させてもらうこともあるんですけど、でもさほど変わってないんじゃないかなってちょっと思っているところもあるんですね。
これは私個人の意見なんですけども。で、学校教育でもそういうふうな形で正解を答えるようにっていうふうにしているので、あまり考えるよりも正解を見つけていくっていう過程だったんじゃないかなと思ったんですよね。
で、自分の経験なんですけどこれは。両親との関係でもどうだったかなと思った時に、あなたはどう思っているの?どんなふうに考えているの?っていうふうに聞かれる機会ってめっちゃ少なかったんちゃうかなって思ったんですよ。何食べたいとか、そんなのは聞いてくれてましたよ。
だけれども、勉強したくないなとか、あるじゃないですか。宿題したくないとか。で、わかんないなとか、宿題もね。でもそれに関して、今どういうことを感じてて、どんなふうにわかってなくてとか、どんなことを考えているのかっていうよりかは、この子は理解力がないから塾に入れた方がいいなって親が心配してね。
判断してくれて、勉強のサポートをつけてくれたりもしたんですけど、そもそもそんなんじゃなくて、本当に何言ってるかわからへんっていうぐらいのレベルだったんですけど、私の場合は。
だけれども、どう思ってるの?とか、自分の言葉で自分の今の状況を説明するっていうのを両親にもしてこなかったなと思ってね。何かに関して嫌だなって感じても言えなかったっていうのがあったんですよね。
それって個人の何かの家庭環境にもよるとは思うんですよね。けど、私は言えなくって、本当はこうしたいなとか、本当はこう思ってるんだよっていうのはあったんですけど、言ったら困らせるよなっていう気持ちがかってしまって、結局言わずじまいできたんですよね。
それがチリに積もっていってですね、泣いたりとか怒ったりとか、子供なんでね、小学校の時ってそういうことあるじゃないですか。でもその時に、もうしつこいなって言われるとかね、何に関して泣いてんの?みたいなことある?みたいなことを言われるとね、もう言えなかったんですよね、その時期が来た時には。
なのでね、自分の言葉で自分の思いを伝えていく、それをコミュニケーション、言葉をコミュニケーションツールとして誰かと伝え合う、理解し合うっていうのを経験自体が少ない環境に置かれていることもあったんじゃないかなとちょっと思ったんですよね。
だから今ね、家族間とか夫婦間、子供たちでなかなかコミュニケーションうまくいかへんなってなった時に、何やろう私のこの怒りっぽい性格なんかなとか、あの子たちが、あの人がこうだからかなとかっていうふうに考えがちやと思うんですけど、そこで一旦ちょっと立ち止まってもらってね。
そういう学校教育があったんじゃないかなとか、自分の幼少期をね、振り返ってみてほしいんですよね。
そうそう。で、あの、何て言うんですか、自分史って言うんですか。自分の歴史を振り返ってみてほしいんですよ。ここまで生きてきた家庭と言いますか。家庭環境や学校での置かれてた自分の環境を、まあちょっとゆっくりとね、振り返ってみてほしいなと思ったんですよね。そうそう。
まあそうしたら、日本のね、学校教育が悪いんかとか、自分が置かれてた家庭環境のせいなんかなとか、両親がこうなんじゃないかっていうふうに考えてしまうかもしれないんですけれども、
たとえね、そういうふうに思ったとしても、ここから先なんですけど、一番伝えたいことを伝えさせていただきますね。
そういった環境下でね、あまり自分の思い、感情、本音を口にしてこれなかった、言語が苦手になってしまったっていうのは環境のせいもあるかもしれないんですけれども、これから自分がどうしていきたいって考えていますでしょうか。
本音を口にして互いに理解し合えるようなコミュニケーションを夫、子どもたち、自分が本当に大好きだなって大切にしたい人たちととっていきたいと思うんであれば、それを選んでほしいっていうことをすごい今回一番伝えたいなと思ったんですよ。
そうなんです。だからまあ、言語家がね、すいません息子が入ってきたんで途中で、なんかね、鼻が垂れてるから鼻水吸ってる音聞こえてたらごめんなさいね。
でね、お話戻しますね。言語家、苦手なんだったら苦手で、それはもうそれでいいと思うんですよね。でもここから自分でこうしていきたい、思いを伝えたい、本音を言葉にしてみたいなって思ったら、それを伝える経験をどんどん増やしていってほしいんですよね。
で、そう決めて行動していくことで苦手であってもですね、互いに理解し合おうとするコミュニケーション、今よりそうしたいと思って行動したことって確実に増えるんですよね。
私が実際にそうだったんです。どうせ自分は言葉にするのも下手だし怒りっぽいし、で旦那さんとはタイプが違って、どっちかって私が暗くてあの人がなんかこう陽気な人やから私の気持ちなんて分かるはずなんてないんだって思ってたけど、分かってほしいって伝えたいって思ってから変わったんですよね。
だからドキドキしますよ、そりゃ伝える時。やけど上手じゃなくていいんですよ。苦手なままでいきました。で、少しずつ少しずつ段階を踏んでですね、伝えるという経験を踏んでいったんですよね。伝わらないこともたくさんありましたけれど。
今でも言語家がめちゃくちゃ得意になったわけじゃないんです。でもただ伝えたいっていう思いをもとに伝える経験をたくさんしただけなんですよね。
なので言葉にする、感情を見つけ出す、こういうふうに伝えたら伝わるんじゃないだろうかっていう考え方がなんか出やすくなっただけなんですよね。
そうそう。なので今回は言語家が苦手でも互いに理解し合うコミュニケーションが取れるのはということで、言語家が苦手な方、自分の考えがどうにもこうにも伝えられないなって家族と仲良くしたいんだけどなって思う方の何かヒントになればと思って今回は撮ってみました。
自己表現の増加
伝わりますでしょうか。本当に音声に乗せて言語化して、こういうことを伝えたいなっていうことを伝えるのって毎回難しいなって思いながら撮っているんですけれども、これも本当に私も経験だなと思って日々頑張っておりますので、皆さんももしよかったら振り返ってみるとかね。
自分は何で言語家が苦手なのかなって自分の歴史をちょっと振り返って一つでも行動にね、何か感情を伝えるっていうことを今日一つでも行動していただけたら嬉しいなと思っております。
はい、では今日はこんなところで終わりにしたいと思います。はい、ではまた。
ママ。
何?待って、切るから。
16:09

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