1. ホイクベースラジオ
  2. センスは生まれつきじゃなかっ..
センスは生まれつきじゃなかった #105
2026-09-09 46:54

センスは生まれつきじゃなかった #105

「センスがいい」は生まれつきの話ではなく、後から身につけられるものだと言い切る一冊です。センスをセンサーの感度と選ぶ力として捉え直すと、子どもをどう見るかという保育の仕事そのものに重なってきます。収録の後半は、そのまま自己分析の時間になりました。


今回は木曽さんが『センスのレッスン』(千原徹也/ソシム)を紹介します。


▼今回の話の流れ

保育とセンスは、あまり結びつけて語られない/センスは生まれつきではなく、後から身につけられる/「センスがない」は、言語化から逃げているだけかもしれない/人に向けて使うと、それは暴力的な言葉になる/本の中では「センスとは観察であり仮説」と書かれている/センスの語源はセンサー、つまり感じ取る力/アウトプットより、インプット側にこそ現れる/雑草という名の草はない/子どもを見るセンサーの数と感度が、保育の本質/選ぶ力もセンス。今は選ぶことが難しい時代/保育士は毎日、声をかけるかどうかを選び続けている/共通の話題が減るほど、選ぶセンスの重みは増す/同じ服を着ていたジョブズも、それを選んでいた/「子どもが好き」の一歩先を言葉にしてみる/「やりがいは何ですか」に当たり障りなく答えてしまう/当たり障りのない答えなら、AIが出してくれる/コップ重ねを転がして遊ぶのが好き/相手の世界に違和感なく入れるのは、立派なセンス/漫画に没入する人と、俯瞰して読む人/自分のセンスに気づくには、まず数を打つこと


▼「ホイクベース」ダウンロードはこちら

iOS版

https://apps.apple.com/jp/app/%E3%83%9B%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B9/id6503190795


Android版

https://play.google.com/store/apps/details?id=com.hoikubase&hl=ja


▼ラジオの感想、質問などは以下フォームよりお送りください。

https://forms.gle/99JjK5eacPnjN7YAA


BGM : MusMus

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

今回のエピソードでは、千原徹也氏の著書『センスのレッスン』を基に、「センス」とは生まれつきのものではなく、後から身につけられるものであるという考え方が展開されます。センスは「センサーの感度」や「選ぶ力」として捉え直され、特に保育や看護といった専門職において、子どもを観察し、その状態を感じ取る能力がいかに重要であるかが語られます。センスがないという言葉は、言語化から逃げているだけであり、他者への暴力的な言葉になり得るという指摘もなされました。また、現代は選択肢が溢れているため、「選ぶ力」の重要性が増しており、スティーブ・ジョブズのように自身のスタイルを確立することもセンスの一環であると述べられています。さらに、自分のセンスに気づくためには、まず様々な経験を積み重ね、「数を打つこと」が大切であるという結論に至りました。後半では、自身の「好き」や「やりがい」を言語化することの重要性や、他者の話ではなく自身の内面と向き合うことの価値についても深く掘り下げられました。

「センスのレッスン」紹介とセンスの定義
こんにちは、保育園看護師の千尋先生こと佐藤です。 新規事業の力で日本を開国せんとす合同会社黒船の基礎です。同じく黒ひろの工事です。
僕たちは高校の同級生3人で、高校の同級生3人で、保育業界向けの新規事業を作ろうということで日々頑張っております。
このラジオでは、演習代わりに我々が本を紹介しながら、保育のことについて考えたり、ちょっと発想を飛ばしていろんなことを深掘ったりしていこうということで続けているそんなラジオでございます。
はい。 同じことを違うことかのように2回言うと、やりましたね。
すいません。 映像バグっちゃうかなってちょっと思っちゃった。
今日はただ、私ちょっと映像バグりそうな絶妙な回線状態と、前田のごとく低画質な、私だけちょっと低画質な感じで、
大丈夫ですよ。 ビックリしておりますが、はい。ちょっと頑張っていきたいと思います。
はい。 というわけで今日は、せんとす基礎こと、基礎さんから。
いろいろとややこしい。
はい、今日は基礎の紹介の回ということで、私がですね、本日紹介したい本は、センスのレッスンという本でございます。
レッスン。
前に、センスは知識から始まるっていう水野学さんの本を紹介したことがあったと思うんだけど、
勝手に自分の中でセンスシリーズと名付けて、センス系のことをちょっと考えたいなと思って、今日は持ってきましたというところで。
センスって、得体が知れないよねってずっと思いつつ、保育とセンスってあんまりなんか語られないというか、
結びつけられないで、なんか関係ないものみたいに思われてるけど、まあこういう本を読んでると意外と保育とセンスはめちゃくちゃ関係あるんじゃねえかみたいなところを思ったので、
今日はこちらを紹介したいと思います。
はい。
センスのレッスンですね。
はい。千原哲也さんという方ですね。アートディレクターの方なんですけど、結構いろんな、まあ映画作ったりとかもしてるし、
本業としては多分広告とかのデザイン系のお仕事っていうのがメインなんだけど、まあいろんなことを結構やられてる、見た目にも特徴のある。
うん、調べたらすごい金髪メガネ帽子の人だ。
そうそうそうそう。
そうなんだよね。
なんかまあそういう人が語っているセンスについての本ということで。
なるほど、センスありそうな見た目してるこの人。
よし、じゃあ私たちもこれが聞き終わる頃には金髪メガネでいきたいと思います。
帽子もね。
よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
センスのレッスン千原哲也さんという方の書かれてる本なんですが、この本が出たのがですね、2026年の2月とかなので、
今年。
比較的最近の本というかなんでございますけれども、
まあね、センスってなんだろうってすごい思うじゃないですか、基本的に。
センスってなんなんでしょう。
そう、なんかいろんな面でね、センスって考えることの側面があると思うんだけど、
この本の概要すごいざっくり言うと、センスっていうことについてこの千原さんが考えてる、なんていうのかな、
センスについて結構多面的に捉えている本みたいな考え方ができるかなと思っていて、
センスを発揮してどう使うかとかっていうことよりも、いかにしてそういうセンスというものが作られるのかみたいなこととか、
っていうところが中心で、本当にいろんな定義っていうとあれだけど、センスとは何々みたいな表題みたいなのがいっぱい出てくるんですよ。
まあ簡単なところで言うと、センスはカルチャーとか、コミュニケーションのセンスは相手への想像力とか、無駄こそが人生のセンスとか。
なるほどね、なんかそれ一個一個は、なんかわかる気がするね、そのタイトルレベルの表現を聞くと。
そうそうそうそう、結構あーってなる、基本もうずっとあーってなるから、なんか、何だろう、
まあ割と正しく自分はセンスを捉えている、この人と近いセンス感を持ってるみたいなところもあるし、割と汎用的な考え方かなと思うし、
なんかキャッチーな、なんていうの、身近なところで考えられるセンスについての本だなっていうふうに思っていて。
「センスがない」という言葉の暴力性と言語化の重要性
で、なんかまあこの本をね、あの、保育士さんに読んでほしいという理由はですね、まず、まあ最初も言ったように、保育とセンスってあんまり結びつけて考えられないっていうところがあって、
そうそうそう、なんか保育士にセンスはいるんかって感じとか。
なるほど。
なんかセンスって言うと、すごい簡単な考え方って言うとさ、奇抜な格好をしているとか。
そうだね、なんかイメージはやっぱ、ファッションのセンスが一番、センスって聞くと一番イメージがしやすいんだけど、すごいハイセンスで、なんていうか、ちゃんとこう、あ、やばい、全然言葉出てこない。
早い早い早い。
健康というところが。
流行を捉えてて、流行ってなんて言うんだっけ。
トレンド?
トレンド、トレンド、トレンディーで、奇抜な、それこそ色使いがすごい独特なんだけど、それがオシャレ、だからオシャレとセンスがなんかすごい近い概念としてずっとあって。
なるほどね、でもセンスっていう概念はさ、たぶんそのセンスのレッスンもそうだけどさ、難しいのはセンスとはこういうものであるっていうものを、
演劇的に決めるのは難しいと思うのね。
定義するというか。
バチッと。
そうそうそう、っていうものがあって、そこからこう、これだよねっていうのは難しくて、これはセンス、これはセンスじゃないみたいな。
機能法的なね。
だからそのセンスが何っていうものが、実は人によってちょっと違うとかは動きそうだよね、今さきそくんも計らずに言った通り、どの千原さんとはまず合うなみたいなものもあれば、合わないなみたいなのもあるわけで、
ファッションにおいてはいろいろセンスみたいのはあるだろうけど、センスがもし数直線上で測れる高い低いがあるんだとしたら、でも一直線ではないんだろうね、合うかどうかみたいなね。
ある種の好みというかね、趣向性みたいなのがあるってことだよね。
本当になんか、これはセンスですっていうのは結構難しいよねって思っていて、この本のアプローチとしては結構機能法的というか、これもセンス、これもセンスみたいな考え方とかをしていて、
相対としてセンスを理解しようとするみたいなアプローチのことが近いのかなっていうふうに思ってる。
もちろん千原さん本人としてはもう明確にこれがセンスみたいなコアなコンセプトは多分あるんだと思うんだけど、この本を読む上ではそういう難しいことというか何だろうな、定義がこうだからこうみたいな難しいことを考えずに、
センスについて、確かにこれもセンスなのかみたいな考え方ができるかなっていうふうに思っていると。
あえて性格悪いこと今から言うんだけど、本気に捉えないでほしいんだけど、センスっていうのって言語化から逃げてるだけみたいなときあるよね。
とてもいい指摘だと思いますね、それは。まさにあれなんだよ、この本だったかなんか別のインタビューだったかわかんないんだけど、千原さん本人もある意味それに近いことを言っていて、
そうそうそうそう、なんかこれまで自分はセンスで結構なんとかしてきたんだけど、その挫折というか自分なりのね、そういう失敗みたいなものを経て、それじゃあかんというふうになって、
なんかその言語化で言うかな、再現可能な形でそれを考えていくには結局なんか積み上げとか、そういったことも必要になってくるよねという話をしていて。
この本の中ではやっぱその、再現可能なものであるっていう、主張としてまずセンスはそもそも生まれ持ったものではなくて、肯定的なね、身につけられるものですよっていう話をしてるんだけど、なんかけいたんも今言ったよね、センスって言葉を使うと言語化から逃げれるみたいな側面は間違いなくあって。
僕これこのラジオでも何度か言ってるかもしれないんだけど、センスっていう単語に社会人になって初めて触れたのが、なんかあんまりその関係値が高くない先輩みたいな人に、かわいそうに頭はいいかもしれないけどセンスないよねって言われて。
そう言ってたな、そういえば。
なんだそれと思って。何がどういう意味か教えてくれよって思って。
そうだよね、ふわっと言うなよみたいな。もうちょっと具体的な指摘をしろよと言うなら。
何の意味もない、お前の中のセンスっていうものを当てはめて、人ないっていうちょっと下げる言い方をするなって思ったから、ちょっとなんかその、別に千原さんがそうとは思わないけど、センスっていう言葉を使うときにないとか、これはセンスがいいんだってことだけで止まっちゃうっていうのは、なんかもったいないかもねっていう。
何かがあるかもしれない。
間違いない、間違いないしセンスないって言うやつもだいぶセンスないよなって思うけどな、普通に。
それは本当にそう。
結構この本の中でしっかり言ってたのが、センスちゃんと言語化できるというか、仕事するっていうこともすごく大事だっていう話をしてて。
だからそのケータが言われたことに関しては、言ってる人がある意味センスを放棄しているというか、それはセンスがないというふうに捉えることはできるかなっていうふうに思ってる。
そっかそっか。
あんまね、センスないの文脈で人に使うと暴力的な言葉にしかならないから。
センスってこうなんかフィーリングな、言語化じゃないところになんかふわっとあるものっていう認識がなんとなくあるな。
あるよね。
個人的には。
確かにね。
センスを「観察」と「選ぶ力」で捉える
でも最近あの、この規則が初化しろ本と別の本の話だし悪いんだけど、知的生産のセンスっていう本が。
いいね、センス本がある。
ほんとつい最近出まして、これが、
気になる。
クスノキケンさんっていうひとつばしの文学教授の人と山口修さんっていう。
山口修さん。
この番組でも何度か。
ほんとだ。
そう最近じゃん。
人の二人が対談している本で。
そのまさに知的生産、なんか前も対談した本で出るらしいんだけど、それの続編とは言わないけど、第2弾みたいな。
もので、これはもう知的生産のセンスっていうものは、これ僕の言い訳ね、言い訳なんだけど、センスって要するにセンサー、感覚する、感受するみたいなものなので、
アウトプットにかかるというより、どこに良さを感じるかみたいな。
インプット側にこそ現れるんじゃないかみたいな話をしてると、僕は解釈しました。
なるほど。
普通に言うみたいなセンスシリーズつなげられそうだし、面白そうだし。
そうそう、確かに現役に戻ればセンスってセンサーなわけじゃないですか、感覚とか感じるってことだから、何にセンサーを持てるかみたいな領域が感度が高いとか、この領域では解像度高く感じれるみたいなことが、結果裏返ってアウトプットにつながるみたいな考え方なのかなと思ったり。
面白いね。
なるほどね、確かに。そうだよな、インプットね。
雑草というのの草はないわけじゃないですか。
そうですね、名前はついてますからね、総体として雑草だけどね。
万物をなんとなく過ごしちゃうっていうことは、センスを低くしちゃってるっていうことも言えるかもな。
いいね、それこそセンスを感度で捉えるってめちゃくちゃいい。
そうそうそう、子育にしてもさ、子供たちは見るときのセンスっていうのはさ、センサーの感度だと思うのね。
素晴らしい。
さすが、歌手の人はすごいね。
その通りで、本の中でも言ってたのがさ、センスとは観察や仮説であるみたいなことを言っていて、それはまさにそういう感じ取ることの話だと思うんだけど。
ちはらくんわかってるじゃん。
誰だ、君は誰だ。
さわり教授になっちゃった。
ちはらくんさっき調べたら15個とか20個ぐらい年上だったけど。
たぶん50歳ぐらい。
ちはらくんごめんね。
センスとその保育とか看護とかって、こういう専門職としてはさ、あんまり業種としては聞きなじみがないとか、あんまり普段使わないなと。
そう思って最初聞いてたんだけど、今河瀬が言ったセンサーとしての感じるっていうところと、高橋が言ってた観察することっていうのは、まさしく看護とか保育の本質的な業務であって、
むしろその今言ってたように、子供たちをどう見るか、何が感じ取れるかっていうところの、それこそセンサーが多分、高橋とか河瀬よりも僕の方が子供を見るそのセンサーをめちゃめちゃいっぱい持っていて、
働いていく中で、そのセンサーをもっともっと持っていたものをもっと稼働しやすくするのか、新しくどんどんいろんなセンサーを取り込んでいくのかっていうところで、やっぱりそのインプット、その子の表現だったり様子だったり状況から何を感じ取れるかっていうところに専門性を深めていく、
経験を積んでいくということの本質的なものがあるような気がして、センスから捉える保育って言われたときに、そういった感受性をもっともっと積み上げていこうみたいなメッセージ性を感じられて、面白いなと今思いました。
だから逃走だもんね、意外と 途中あったファッションみたいなのも実は多分そこなんだよね、何がオシャレと感じ取れるかみたいな層が高いってことだよね、多分 だから我々にはやっぱさ、パリコレはちょっと遊んでるようにしか見えないじゃん
そんなゴルギリにしか見えないもんね そうそう 大特集とかさ、日常着る服としてのものではないかったりするからね どうして、あれがどうしてファッションのもう第一線として成り立ってるのかを、やっぱり僕にはそれを感じるものがないのよ、分かんなくて ゴミ袋じゃねえみたいな格好してるときあるもんね
でもそれもやっぱりセンスはインプット料とかからね、築けるんだもんね、こういう文脈なんだろうなって思えたら分かる そうそうそう、なんとなく全身ユニクロよりもちょっとハイラーなものを着ている人の方がオシャレだなとかって感じられるのはなんとなくあるんだけど
それってなんか、おしなべてというか、このセンスの話を俺考えているときに、この本の中に直接的にそれが書いてあるわけじゃないんだけど、結局、そうなんか俺が最近個人的に考えているテーマとも近しいからこういうのをちょっと読んでるんだけどさ、その選ぶ力っていうのが結局なんかセンスの、なんていうのかな、正体って言うとあれだけど、センスって言われるものに近いのかなっていうふうに思っていて
選ぶ力 そうそう、結局それってそのどのぐらいの流度でその物事を感じ取れているかによってどういう選択をするかって変わると思うんだけどさ、なんか今の時代って選ぶのが大変だし、作るコストが下がった分作るのは簡単になったけど、その中からいいものを選ぶっていうことの難しさは増しているように思うんですよ、私、これは個人の話で本の中の話ではなくてね
そう、だからね そうだね、だってこんなAIがどうこうじゃなくて、僕が大学で習った古典的な理論として、なんだっけ、スーパーのジャムの中から一番いいものを選ぶっていうのを本当にやろうと思ったら、めちゃくちゃ時間がかかるんだよみたいな理論がもう当時からあったくらいだから
どうだよね、その行動心理学的な要素とか そう、本当の意味での比較っていうのはすごく時間がかかるものだし、それを選ぶっていうのはかなり習慣とか直感とか日々のもので、どこか非合理に決めている部分が当然あるんだよっていう、なんかより顕著になってるみたいな
そうそう、もう玉石奉公というかさ、もうなんだろうね、もの自体の価値というか作ること自体の価値はなんだろうな、プロセスとしての意味はあると思うんだけど、作られたものから何かを選ぶ、それこそさ、ネットフリックスとかで動画を見るもさ、あんだけある中から何を選ぶかっていうところとかもあるし
なんか愕然とするよね、もう棚でさえ素敵な作品いっぱいあるのにさ、一生かけても絶対見れない、何かの本でも曲でもドラマとか映像作品でも、どうすりゃいいんだろうね、たまに愕然とするとなんか、我々が子供の時代はさ、まだその子供のコンテンツっていうものはさ、まだある程度限られてはいたじゃん
そうだね、アクセスできる情報がだいぶね 時代が共有しているものとか、同世代が共有している作品っていうのはやっぱり往々にしてあってさ、だいたいは まあせいぜいテレビの何チャンネルかみたいな、多くても10個ぐらいだとかね
とかさ、まあ僕はわりと早く寝ちゃうタイプだったから夜中の番組のことはわからないとか、だからそういう際はあれど、でもある程度でも共有しているものがあったのに、やっぱ今の子供たち見てると、それこそユーチューバーのこれとこれとこれだとかさ、でこの作品があれだこれだとかさ、もうなんか多様すぎて
共通言語みたいなものがどんどんどんどんこう薄まっているような感覚がある中で、でいてSNSでつながっていなきゃいけなくて、いいねをもらわなきゃいけなくて、本当に大変なティーンがいっぱいいるなっていう、そんな中でアイデンティティを確立していかなきゃいけないっていうのが、これはそれは大変だよなっていう
ちろんがZ世代じゃなくてよかったなって思った
共通言語の減少と個性の尊重
俺Z世代だったらもうどうなったことやらね
でも僕の感覚値はそれあんまりネガティブではなくて、なんでかっていうと、僕らのギリの世代のインプットとかカルチャーって、共通はあるっていうのはいいことだけど、逆に言うとそれを見てるのが前提みたいな強いみたいなのがあると思うわけなんですね
だから昨日のあれ見てないんだってなったら、もうついていけない度合いがより高い、だからこっちはテレビとか全然興味ないのに、あれ見てて当然でしょみたいなことを言われるのはだるいなって当時から思ってたから、だから今のほうがそこが揃わないっていう前提があるから
ロパガキZ世代だったね、彼女らと
お互いがお互い好きなものっていうものがあるよねっていうのが、前提のコミュニケーションが飛べるっていう意味では、チロもこっちのほうが相性いいんじゃないとは思うよ正直、チロも別にそんなこうみんなと共通の話題で盛り上がりたいみたいなタイプじゃなかったもん、あんなもの見ていて
あ、そう?全然それとなく知ったかぶって乗り越えていたものだった気がする いや、わかってたよ知ったかぶりしてるなって
でもこいつ本当は見てもないのになんか見たような顔してるなってわかってたよ 全然いいの別にその話題がどうとかじゃなくてみんなが楽しいから、楽しいね、ハッピーだねっていう
まあそれのほうだったら絶対今のほうがいいんだって、みんなそれぞれの楽しいからって なるほどね、そっか
っていう考え方もできるかもね、やっぱりトパガキとしては今の世代を応援したいからさ トパガキ代表にいって礼は代表だもんな
俺はやっぱトパガキ代表としてはみんなの好みを多様性を大事にしたい なるほどね
え、でも本当そうだよね、共通文脈がなくなっていくからこそセンスって大事さは上がっていく 樋口そうそうそうそうだと思う
自分が取り入れてるもので自分を説明するみたいなのが強いから そうそう、言ったらさ、すごい簡単なとこで言うとさ、高校とか中学とか制服がある方が楽みたいな人もいるし
制服がない方がいいっていう人もいるし 制服ある方が楽だろう でしょ、それは多分これを見ておけばいいみたいなチャンネルとかがさ、ある程度固定化されてる方が
逆に言えばそこを見ておけばその、なんていうのかな、話についていったりとかさ、その場を回すためにはすごい良いことなんだと思うんだけど
逆にそれに馴染めない人からすると、自分の好きな服を着たいとかさ、そういう表現があってもいいよねみたいなと言えば良かったりとか
なるほど なんかそういうことなんだろうなって気がするよね、制服がある方がセンスがわかりづらいというか選ばなくていいからさ
あーそうだね そう、私服になると選ばなきゃいけないっていうのがあって
それ大変だった 大変だよな うん大変だった、大学生大変だった
あー服って同じの着てちゃダメなんだっていうさ ダメじゃないけどな
なんで別に スティーブ・ジョブズだって同じ服着てんだからさ うん、誰とも話さないんだから大学生活なんてどうでもいいでしょ別に
あーそっか、まだ物心ついてなかったもんな そうそう、でもそれで面白いのってスティーブ・ジョブズって同じ服着てるけどセンスないわけじゃないじゃん
あーそうそうそうだね 選んでんだよね、それを選んでんだよ
要はさ、やっぱ自分のスタイルみたいなものが彼はあるわけじゃん、でそれってなんかその数あるセンサーの中からもう選び抜かれたこれっていうものがきっとあって、あの形に落ち着いたなと思うけど
そうそうそう そうだね、なんか何だろうな、こうセンサーをこう増やしていくというか
うんうん、感度を上げていくことだね センサーを学ぶというか感度を上げていくっていう行動がなんかすごく得意な分野とやっぱりあんまり何とかそういうのが入っていかない分野と
なんとなく個人的にはある気がするんだよな うん、そりゃそうだよね、断絶に去年思ってない
それが個性なんだろうけどっていう、元も子もない あ、めっちゃあるらしくてさっき言った知的生産のセンスっていう本でも
楠木さんも山口さんもそれ言ってた 本をたくさん読むんだけど、1ページ読んだだけで合うか合わないかっていうのがあって
好奇心と「合う・合わない」の感覚
合う本ならめちゃくちゃスラスラ読めるんだけど、合わない本はどんだけ頑張ってもあんなに読んでる人たちも読めない
ああそうなんだ、何でも読めそうなのにね、ああいう人たちって ね、なんか楠木さんって今その人差しとかの教授とかをやってる人だから
ビジネス系の院とかに住んでる人なんだけど、30代ぐらいまでやってた研究がなんかもう全然頑張ってはみたけど
合わないみたいな、合わない教育頑張ってたみたいな 楠木 はいはい、一番つらい奴や
そっから今やってる競争戦略みたいな分野に変えたらめちゃくちゃ論文もめっちゃ読めるし、もう楽しくてしょうがないみたいな
なるほどね なったっていうのがあるから、やっぱあるんだって相性っていうものは
楠木 間違いなくあるよね それはなんかもうやっぱ、なんていうの、ある種才能みたいなところと近しい感覚なのかな
楠木 才能っていうよりは、俺的な見解で言うと好奇心をどこに持ってるかっていう、なんか自分の根底的な感覚としてどういうものを
摂取したいかみたいな感覚の違いなのかなと思っていて、なんか好きなことってさ、好奇心というか結局深掘るじゃん、これどうなってんのっつって
それは全ての領域にもちろんあるわけではなくて、自分なりにこうすごいなんか勝手に調べちゃうことが自分の興味のある分野みたいなことがある
なるほどね 楊 わかるわ、俺もよくチャットGPTに、やっぱ剣と魔法の世界において貴族主義っていうものは盛り上がらないと思うんですよっていうのをすごい聞いて
そう、それは間違いない 楊 本当にレベルみたいなものが可視化される世界だったらみたいな話をずっとして解像度上げる作業とかやっぱやっちゃうもんね
みんなやってると思うけど すごい 楊 いや、剣と魔法の世界についてのディスカッションは俺はしてないかな
考えたことなかった、魔法大好きだけど ゲームみたいなレベルっていう概念があったらさ、人間の価値とかが絶対普段の現代世界とは異なるはずなんですよみたいな話を一生懸命考えてもらったりしてた
なんかそのシステム側に興味があるんだね そう、なんでそうなんのみたいな
好奇心とも言えるし、ある種のフェチとかを言えるかもしれないね、ここにどうしてもこだわってしまうというフェティッシュな
楊 なんかでも、ある種、なんかこう日本のオタク文化じゃないけど、結局本当にさ突き詰めてずっと電車好きな子がそれこそ社長さんになったりとか
その電車の工学的な方に行って研究に進んだりとかって、もう本当フェチでオタクで大好きなことを突き詰めた結果
自分の本当得意を伸ばし続けた結果、自分もハッピーだし社会的にもうすごく有益な研究につながったりとかっていう
そういうなんか個性の生かし方って一番いいサクセスストーリーだなって そうだね
楊 やっぱそういう子たちが苦手な集団生活が苦手とかさ、やっぱどこどこ出てくるにせよそれを伸ばしてあげられるっていうのは素敵なことだな
まあ本質じゃないけどその議論系はさ、それがわかんないけど社会役につながるような才能だった子供をどうするかみたいな話はあるよね
保育士の「好き」を深掘りし、センスを活かす
社会役、人殺しの天才みたいな話がある そう、人をナイフで刺すのが楽しくてしょうがないんだみたいな才能が出てきて
ベッパーになるしかない 見てないのよこっちは
ベッパーになるしかない 全員がB盤見てると思うなよ、こういうことだぞ
こういうことだな 子供の好きは大事にしろ
いやでもそうなんだよね、なんか選ぶのとこに戻るとさ、お育児さんって結構日常いろんな選択をしているわけじゃないですか
すごい、今声かけるかけないとかさ、なんか予定してた活動をやるのか変えるのかとか、じゃあもうどれを使わせるのかとか、人を選ばせるのかとか
その選ぶことがセンスならもう日常的にセンスバリバリ使ってるやんみたいな
いや、そうだね だしなんかさっき言ってそのたかすたちが言ってたその興味とか好奇心の話で言うと
なんかそれこそセンスを言語化していくみたいなことにもつながっていくと思うけど、大勢って子供が好きだから保育士になりましたっていうのが大元、大筋としてあるじゃない
なんかその子供が好きっていうところを、なんかそれ以上深掘ったことはなかったなと思ってて
いろんな保育士さんたちにとって、じゃあ子供の何が好きなのかな、どこに興味を持ってるのか、何が面白いと思ってるのかっていうのを
もう一歩二歩言語化していくと、なんというかその人の得意が見えてきたりとか、その人のより光る保育みたいなものを
それこそ再現性を持って、要は記録にも残したりとか、研究とかにもつながっていくようなことになるんじゃないかなっていうのはなんかちょっと今聞いてて思って
そうだね なんだろうね、子供と同じ子供に対応していてもやっぱ一人一人対応の仕方が全然違うのと同じような
みんながみんな漠然と子供が好きだとは思ってるけど、なんかそれ以上考えたことってあんまりないような気がしていて、そういうディスカッションを
それちょっと考えてみたら、より一層自分の保育感というか、自分は保育において何を成し得たいのか、保育の世界の仮に自己実現をしていくっていうところまで
突き進んでいくのであればどうしたいのかっていう、なんかただ赤ちゃん抱っこして可愛いからいいやぐらいな、それでもいいと思うんだよ、それはそれでさ、穏やかに赤ちゃん抱っこしててくれれば安心っていうところがすごい大事だから、それでも全然いいし
抱っこの天才になるかもしれないから そうそうそう、寝かしつけする瞬間が好きなんです、だったらもう寝かしつけのプロになる勢いでやってみたらいいしと思うし
逆にその子供、なんていうか一見すると別に子供得意じゃないでしょ君みたいなタイプもさ、いや一定数いると思うのよ、なんかそんなに人付き合いが得意なタイプじゃないとか、変な話保護者対応は本当に苦手ですとか
でもこの世界に身を置いてやっていきたいと思っている、その保育士自身のもっとを深掘っていくような、もっと光るセンスがどこなのかっていうのをなんか聞いてみたいというか、調べてみたいなって思う
どこにあるのかっていうことね そうそうそうそう、最近人と話しててそうだなって思ったのが、仕事のやりがいって何ですかみたいな質問にさ、結構その白く当たり障りのない回答をしちゃうよねっていう話を出て
例えばプログラマーとかエンジニアだったら、自分が書いたコードが動くことですって言っちゃうみたいな、嘘じゃないんだけど本当にみたいな話か、あと我々みたいなウェブサービスを作ってる人、やっぱユーザーの喜ぶ声が聞こえた時ですとか、ぶっちゃけ聞かれたらそう答えるけど、思ってはないなって
日常からそういうわけじゃないけどね うれしいはうれしいんだけどね、それより多分もう一段階行くと、こっちが仕掛けた意図に気づいてくれる人がいたとか、この仕掛けに気づくやついるんだふーみたいなご相手みたいなのがほうがうれしいぐらいまで行くと
相手のセンサーに自分のやったものがちゃんと届いたってことか そうそうそう、てことか、それはどっちかっていうと、人が喜ぶってより自分の意図を知らしめたいとかになってくるかもね、みたいな話がもう一段階変わってきたりするとかで、でもこれって当たり障りのない言葉も嘘じゃないから、それで自分を納得させちゃうときがあるなーって思うんだよね
なるほど 別にお客さんが喜んでくれるのがやりがいなんですもん、嘘じゃないから、そうなんだって自分で自分を思い込ませるとき、みんなもあると思うんですよ そうそうそう、まあそれこそチロが言ってた子供が好きもあるし、そうだよね、そこで止まっちゃうと
そうそう、子供の笑顔が見たいからみたいな、なんかそんな綺麗事じゃなくて、もっとお前のフェチ聞かせろよ、ぐらいの思いになるもんね、やっぱね そうそうそう、止まっちゃうのはもったいないよね、やっぱり
確かに確かに 本当に、なんかこの、なんていうのかな、当たり障りのない回答ってもうAIが基本は出してくるわけでさ、もっと君を見せてくれよ、みたいな気持ちにならない
「自分の話」をすることの重要性
だし、なんかそれが大事になってくるよ、より一層 最近僕、前の会社で一緒に働いてた人と飲み行ったときに、その人が結構業界の話が好きで、あのベンチャーの社長実はこうらしいっすよ、みたいな話とかいろいろしてくれるんだけど、それがあまりに多いから、この前も酒飲みながら、いやもういい、その話、他人から聞いた他人の話をするなと
お前の話をしてくれって、ずっと言い続けた回があった、でちょっとでもうそういう話できたと、あ、今他人の話してるよね
わ、他人の話警察だ、こえー 止めて、お前の話をしようって言って止めるように会話をやったりしてた
面白いね、なんか腹割って話せないのに、自分の話してほしいんだね いや、そう、他人の、これね、ギリ自分が思う他人の感想ならいいのよ、ギリ
Aさんが言ってたBさんのことって、なんかもうネットじゃん、ネットの人にはめちゃくちゃわかる、せっかく君といるのにすごい薄い話をしないでくれって思うよね
面白いね 俺その他人から聞いた他人ってもう、絶対俺の中では別人だから、Aさんから見たBさんとCさんから見たBさんは別人だから
フィクションの世界だもんな そう、その情報聞いたって俺にとって何の意味もないから、やめてくれって
それ言えるのはすごいね ね、腹割って話せってほぼ同意だったんだ 腹割って話してる、腹割るとかってつまんないからやめろって言って
面白いわ うん、でもなんか面白いな、その
なんだろう、シロが言ってたところのさ うん
わかりやすい例としてそこの話に戻っちゃうけど、なんかその子供をなんで好きか
を、と、みたいな話、深掘ってみるみたいな話も、一応本にこじつけるとというか、本の中でそういうセンスに必要なのは
分析するとか、自分と向き合うことっていうのがあって、自分のそのセンスがどこにあるのかって、というかセンスのいいアウトプットとかの話になってくるんだけど
結局そういうのって自分とどれだけ向き合っていくかっていうところになってくるみたいな話があってさと
ああ そうそう、だからその経済が今言ってた他人の話なんて、自分と向き合ってる要素一切ないからさ、それはおもろくねえよなっていう
この辺の話を立ててるだけだから そうそうそうそう、その辺の話なんだよ、どっかで
そんなんはSNSで十分なのよ うん、わざわざ会って話してる意味がなくなっちゃうもんね
そうそう、そうなんだよね、なんか そう思うとかわじは本質的なコミュニケーションをちゃんと取ろうとしていて偉いね、なんかね
人間が知りたいんじゃなくて面白い話をしてるだけなのこっちは、自分の面白いがその他人の話は面白くないから言ってる
だから矛盾してない、俺のパラワーって話はない理論まだ ドーパミンが出るか出ないかの、ドパ書きとして許せないってこと
ドパ書きのためにはやっぱりもう、お前の話を聞かせてもらわないと思われる なるほど、お前のかつ面白い話な、面白いと思えるような話
経験の積み重ねとセンスへの気づき
そう、お前の面白いと思ったことを言ってくる、いやでもそうだね、でもこの辺のさ何に面白いと思うかっていうのを気づくっていう方法ってやっぱ数ってめちゃくちゃ大事だと思うんだよね、間違いないでしょ
それこそ何度も話して申し訳ないけど、知的生産のセンスの方では、お二人がめちゃくちゃ読んでるから、これが面白い面白くないっていうものがわかってくるっていうのが前提としてあるかな
なんか割と決め打ちでやらずに、いろいろやった上でこれってなった方が、自分のセンスみたいなものに気づけるかもねっていうのは 間違いないね
それはでもあるかもな、保育でも、なんというかその、僕が面白いと思うおもちゃとか、僕が面白いと思う遊びみたいなもので、特に僕は保育に入るならゼロ歳に入ることの方が圧倒的に多いから
ゼロ歳にあるおもちゃをやっぱほぼ全部使ったことがあるんだけど、個人的に一番好きなおもちゃがあって、コップ重ねが僕一番好きなんですよ
コップ重ね、なんかこの競技みたいになってる、こういうやつじゃない?
ちょっと近いんだけど、10個ぐらいの大小のカップ、これぐらい浅いお皿みたいな、子供用のプラスチックのお皿みたいなやつが、要は重なって10個ぐらい全部入ってて、ひっくり返して重ねていくとこうスタッキングできるような、ちっちゃいちょっと山みたいにできたりとか、で、おままごとみたいにお皿でも使えるみたいなやつがあるんだけど、
僕はあれを、縦にして、縦にしてグンって押すとタイヤみたいになってグルグルって回って飛んでったりとか、回転させるとめちゃめちゃ綺麗に回ったりとかをするんですよ、で、大小10種類で色違いだから、もうその様はすごい面白いし、赤ちゃんってなんでかその回転とか、
その動いているとか、そうなんかより原始的な物理の動きにすごい興味を示すのね
確かに赤ちゃんの寝るとこの上によく回転するものくっつけてる メリーとかもそうだよね、だしそれこそなんつーの、ほらハンドスピナーか、ハンドスピナーみたいなさ、ハンドスピナーの壁につけといてくるくる回るとかさ、
なんかそういうほんとすごく単純な動きだけど、なぜか目を引くみたいなものが、その反応はすごい面白くて、だから変に遊び方が決められてるとか、こういう風に遊ぶ、ボタンを押したら音が鳴りますとか、鍵みたいになって開けますみたいな、それもギミックも面白いし、ある程度それで遊ぶはもちろん大きくなったらできるんだけど、
なんかほんとあのまだ何もできないハイハイしてるような赤ちゃんから、ある程度0歳も後半になってもう1歳1歳半くらいになっても、ただただおもちゃが回転してるとか、ただただ飛んでいくとかっていうのにすごいキャッキャッキャッキャッと一緒になって楽しいし、
あのだんだん慣れてくる、昔さ、それこそまたあるあるの話で申し訳ないけど、テレビでさ、ドラム缶をさ、こうぐるんぐるん回してさ、隙間に入れるみたいなさ、シュイーンみたいな、一瞬流行った時期あったじゃない、あんなようなこと一生できるのよ、この手元で
分かる、ドラム缶転がして、 そう、ドラム缶転がす技術みたいなのがやたら優れてる人がいて、だからそんなようなことができたりとか、遊び方が非常に僕としては無限にあるわけよ
限定されないってことね、遊び方はね そうそうそう、限定されないのにめちゃめちゃシンプルな物理だっていうところにすごい僕は興味があって、でそこにちゃんと食いついてくる子どもたちっていうのに遊びの本質があるような気がしていて
僕はすごい好きなんですよね 今、コップ屋さんで検索したらやっぱこれね、なんか名おもちゃみたいな、その評価が高いっていうか
そう、これは僕みたいに遊んでる人がなんか種ではないような気がするんだけど、その派生で僕はやっぱおままごとが一番面白いなと思うね
遊びの中で、それこそレゴで何かを作るとか、そういうなんか制作とかが得意で好きな子もいりゃ、本当にただ外で鬼ごっこサッカーするのが好きみたいな、幼児になるとある程度好みもね個性が出てくるけど
僕はもうおままごとが自分は多分ずっとやってたし、今でもおままごとの世界は寮で入れるんだよね、個人的に
特技やなそれは やれと言われると、まあ今もほぼおままごとみたいなもんじゃないですか、仕事っておままごとみたいなもんじゃん、だってさ
ロールプレイ的な そうそう、だし看護師も保育士も、ある種おままごとなんだよ、なんか世の中おままごとで成り立ってるようなもんなんだよ
ってかおままごとがそもそも 今気づいた?腹をあって話さないんだよ、ちろんくん、おままごとだから
みんなおままごとだから いや違う違う、おままごとは、でもおままごとはマジその人の腹が全部見えるから
ほんとに、おままごとで腹が終わる いや違う違う、おままごとそんで、先生によって得意不得意がなんとなくあるのよ
ええ面白いな、あるだろうね なんか自分の世界に引き込んでいっちゃうタイプの、こう訴求力があるタイプの先生だと
その子供たちのおままごの世界を絶妙に崩しちゃうとかね、ある種ブレイクして面白い時もあるんだけど
僕はなんかその、ほんとわけわかんない、今の自分の下の子の2歳半ぐらいの子のを作る、わけわかんない世界にも非常に心地よく入れるのよね
相手の世界に合わせる能力があるんだ そうそう、これ私のセンスというか才能だなっていう最近の気づきがあるんだけど
そういうのがすごい面白くて、っていうのでもやっぱ僕の個性というかセンスが出るじゃないですか
間違いなくね でもやっぱりいろんな保育士さんの好きな遊びを深掘るとか、やっぱどうして子供が好きなのか深掘るみたいな方向から
保育館を考えていくとか そうだね、自分と向き合うってことだからね
そう、知っていくっていうのはやっぱさっきの話に戻るけど、いろんなおもちゃをやっぱ遊んだりとか、いろんな保育者見てきてとか
やった結果、俺はこれが好きだなって分かったから、やっぱり数打つのは大事だなって、保育の世界でも一緒だなってちょっと思った
今の話の一番面白いのは、チロがおままごとか得意だとかわかんないけど、子供を楽しむのが得意だっていうか
相手の世界に合わせる能力が高いよねっていう気づきに至るっていう、そこが一番おもろいかもな
そうだね、汎用性がより高いというかね、抽象度が一段高い気がする
そういうものに置いたほうがいいよね、たとえそのふわっぽしすぎてないというか
そうだね、そうね、だから何だろうね、何に向いてたんだろう ひと昔前だったら、チロは小魅力が高いとかで片付けちゃうかもこういうのって
没入と俯瞰のセンスの違い
そう、小魅力が高いとは別に思ってないんだよな、そんな好きでもないしだって最近よく思うし
じゃなくて相手の世界観に自分を染めることができるっていうことを活かさせることができるっていう違和感なく
そうだ、そこだわな、なんかそれこそ漫画とか読んでると、みんなそうだと思うんだけど
その世界に没入するじゃないですか、だからその没入具合が完璧
なんつーの、なんつーのかな、その世界の住人としてそこにいて読んでるから、なんか自分の感想とかじゃないの
確かにね、あー面白い そう、なんつーの、その、なんつーの、なんかカワジュみたいに
一歩引いた目線での そうそう、その世界をちゃんと第三者というか自分が読んでるから、俯瞰して作品を見て
なんかそのシステムがっていう感想とか全くなく、同じその世界にいる人間として、なんというか
考えちゃうっていうかね もう神の目線で見続けてるみたいな感じの没入感なんだよね、読めるときって
実際さ、現実で生きてる僕らはさ、この世界の仕組みがどうなっているとかを普段考えながら過ごしてるわけじゃない
だから創作物を見たときになぜこの世界の仕組みはこうならないんだろうって考えることは没入ではないよね
そうだね、没入ではないね 思って、どっちかその俯瞰寄りだよね
俯瞰寄りだね、それは そうそう、本当の没入だったら確かに
言い高すぎるかもしれないよね もっと他に考えることあるよね
そうそうそう、だからある種何にも考えないで、ただぼーっとしてると言っても過言じゃないんだけど
でもすごく世界に入り込んで読んでるから 確かに、僕めっちゃ俯瞰だな、作者なんでこのキャラクター出したんだろうとか考えちゃう時があるから
そうだね、そこは明らかにその態度が違って面白いね、二人の そうだなって思ったんだ、さっきそう、マーカーの話をしてて
確かに 面白いな これはセンスの違いだね これはセンスの違いだね、そう、どこにセンスを置くかっていう感じだと思う
センスを多角的に捉えることの面白さ
あー面白い めっちゃ面白い、感じ方の差が出るな、いやほんと、なんでちょっとなんかセンスはね
完全にセンスのことを理解したな、レッスン受けたな、今完全に レッスン受けたな、レッスンをちろくに学んだ
レッスン受けた感じね、ありがと 本当にでもなんかセンスってまだまだね、ちょっと考えたい観点とかさ
なんか俺的に面白いのは、なんか一人で考えるよりもセンスってなんかこういうふうにやっぱ複数人でツッツキ回すと、今みたいにちょっと予想しない角度からの続きがあって、おもろいなと思っていて
確かに その差異というかさ、ずれとかもそうだし、なんかそれをちょっと考えたいので、もしかしたらしばらくセンス系を持ってくるかもしれないですね
計らずと自己分析の時間になっちゃいましたね 自己分析の時間 そうだ、チローの言語が一個進んだね
私という人間がより明確になったんじゃないでしょうか はい、というところですね、まだまだ語れることはあるんですが、今日はこのあたりで
ありがとうございました、本日はセントスキソにセンスのレッスンですね
はい、センスのレッスンです はい、センスのレッスンです そこはね、セントスキソがめっちゃ引っかかってる
何だっけ ご紹介いただきました、こんな感じで週替わりで本紹介しながら深掘っていきたいなと思ってますので
感想、質問、ご意見等々ぜひお寄せいただければ嬉しいなと思っております
はい、大概ね、僕が子供の寝かしつけをしてからちょっと夜に収録するという感じなので、ちょっと美中があれですけど
あそことご要請いただければなと思いつつ リアリティがあっていいと思いますね
本日もご視聴ご清聴のほどありがとうございました ありがとうございました ヤンヤンありがとうございました
46:54

コメント

スクロール