そうですね。たまにはこうやって描くとうまく描けるよみたいなテクニックや技術を教えてくれる場面もあるんですけど、
最初からそういう話にはならないっていうのが特徴かもしれないですね。
だってもうおっさんって呼んじゃってますからね、先生とかじゃないですもんね。
おっさんですね。
おっさんですね。
いや、いいですよね。そう、なんかすごく、名前だけでも見えてくるものがありますね。
そっか、素敵。ありがとうございます。
じゃあ、引き続きあらゆかさんに伺いたいんですけど、小釜っていう場所について伺いたいんですけど、
僕ずっと東京で生まれ育ちまして、恥ずかしながら小釜という場所のことはあまり存じ上げませんで、
どういう場所で、なぜ学びの場が必要だなっていうふうに思ったんですか。
小釜は埼玉県の一番西側、山梨県や群馬県のほうに一番近い町で、
昨年度の埼玉県内で人口減少率が一番高い町ということで、今、なっています。
で、今、人口は1万1000人ぐらいで、徐々に減少傾向にはありますね。
で、何年か前に町の中で4つの中学校があったんですけど、
子どもたちの数が少ないということで、今、1校に等配合されていたり、
小学校も今、4つあるんですが、数年後には、そちらも1つに等配合されるみたいな、
大きく教育の形が変わろうと、町民の方もどうなるんかねって、みんなが気にしているような、そんな状況にある町です。
地域に学びが必要っていうのは、ちょっと私の話なんですけど、
私自身が、全校生徒40人ぐらいのちっちゃな学校で育ってきた背景があって、
そのときに、結構地域の大人たちが学校の中に入ってきて、
町の有名な歌舞伎とか、田植えとか、いろんなことを教えてくれたっていう経験があるんですよね。
そうすると、地域の人を自然と知っていって、自分のことを知ってくれているって安心感があるので、
そういう学びから生まれるつながりみたいなことが、やっぱり人口減少している町にとっては、
これから重要になってくるんじゃないかなと思って、
宇佐川さんが立ち上げてくれた大人の学校に変わろうと思いましたね。
なるほど。原床さんは小釜の出身でらして、小釜の問題とかっていうのを感じていたんですけれども、
発信は宇佐ちゃんが作りたいなっていうことでだったってことですか?
2人の出会いとか発足のところを聞きたいですね。
宇佐ちゃんはどうですか?
そうですね。発足のところでいくと、僕はもともと北海道の札幌出身で、
わりと郊外なんですけれども、自然がわりと囲まれたような田んぼも多くあるような場所だったんですけれども、
それで発足のきっかけは、小学校の教員、大学卒業して小学校の教員になったときに、
教育学部出身とかでは全然なくて、卒業してから教員の免許は取ったりしたんですけれども、
小学校の教員になりたいと思ったのも、自分が小学生のときに最初思ってたんですね。
小学校の時になりたいなと思ってて、理由は結構単純で、とにかく楽しかったんですよ。
小学校時代が楽しかった記憶しかほとんどないぐらい楽しかったんですよね。
っていうのがあって、大人になりたくないと思ってたんですよ、ずっと。
親にも言ってたんですけども、大人はつまらなそうだってすごく感じてたんですよね。
一方、自分は自由だと、いっぱい遊べるし自由だなと思ってて、
で、あれば自分が大人になるとしたら子供と一緒にいたいなって思ったのがきっかけで、
で、結局小学校の先生になったときに、でもちょっと自分が思い描いてたのとちょっと違ったんですよね。
自由さとかのびのびさみたいなものが割と感じられない場面も結構あって、
で、唯一感じるとしたら、中休みだけちょっと子供とのびのびできたなぐらいはあったりしたんですけども、
っていう経験もあったんで、それでちょっと日本の学校どうにかしたいと思ったんですけども、そのときは。
どうにかしたいと思ったんですけども、あ、市なんか新米の自分には何もできないなってそのとき思って、
で、もっと一回飛び出そうと思ったんですよね。
で、そのときに幸福とか幸せみたいな観点からいろんな国の教育を見ていったときに、
北欧の教育に関心を持って、で、さらにデンマークには大人の学校っていう近いようなものがたくさんあることを知って、
で、そこに行ってみて、で、すごくよかったんで、で、それをちょっとその体験をもとに、
小釜町に来て大人の学校っていうのを始めたっていう感じですね、ざっくり言うと。
小釜は何の関係があったんですか?なぜ小釜なんですか?
デンマークに行く前に、そのときも結婚してたりして、日本に戻ってくるつもりではあったので、
どうしようかなと思ったら、学校に戻りたいとはそのとき選択肢になかったので、
よく高校魅力化プロジェクトみたいな、まさに僕たちが今受けているような社会教育士研修が始まってるような島根県で始まった、
高校の学習を地域に飛び出して、地域の中で環境学習をやろうみたいな流れが生まれてきてたのも知ってたので、
デンマークから戻ったら、地方で教育×コミュニティ作りとか、町作りをしたいって思ってたんですよね。
でも、東京に家族もいるし、東京からまずは通える範囲の場所がいいなと思って、
小釜町に偶然そういうことを既にしてる人もいますよ、みたいな話を。
小釜高校って場所でそういうことをしてる魅力化プロジェクトみたいなことをやってる人いますよってのを聞いたりして、
そういう縁でちょっと来たっていう感じですね。
じゃあ小釜の事態が変わろうと、教育でちょっと変えていこうっていうような動きがもう既にあったってことなんですね。
結構、最初は魅力化プロジェクトとか、小中学校の探究学習、
小中校を連動した総合探究学習をまっすぐ進めましょうみたいな、
そういう動きに最初、わりと公の部分に入っていくっていうようなイメージで、
最初協力隊になったんですね。
街に雇ってもらったみたいな感じもちょっとあったので。
でも一方で、僕はデンマークで住民主体で学校を作れるっていうのが結構デンマークの特徴だなっていうのがあって、
法律でも保証されてるんですよね。
学校は国だけじゃなくて住民が作れるっていうような、保護者も作れるみたいな法律があって、
それにかなり感銘を受けて、いいなと思って。
で、小川の町の結構、熱量の高いお母さん方と繋がりができたので、
そこからデンマークのまずは講演会をしましょうみたいなお声掛けをもらって、
一緒にやりましょうってとこから始めたので、
結構まだまだどういう方向に進むかも決まってないっていう段階ぐらいのときに、
でもみんなで作る、学校を作るっていう文化を作りたいなみたいなときに、
足立由加さんからちょうどご連絡をもらって、
でも小川の町でしかもかなり20代で若い方から、小川の町の方で連絡をもらったっていうのは、
なんかちょっと驚いたというか、感じはちょっと覚えています。
どんな思いなんだろうっていうのをすごく驚いたっていうのを覚えています。
で、第一印象ですよね。
で、メッセージをもらって、早速荒井子さんの方からテレビ電話で話せませんかって、
もう早速3通目ぐらいですかね、来たので。
もうこれだって思ったわけですね。
なんとこの行動力のある方なんだろうっていう雰囲気は感じたんですけども、
オンラインで話をしたら、たぶん僕以外にもたぶんそのとき荒井子さん、
いろんな人にたぶん今後のご自身のキャリアとかどういうことをしたいかみたいなのを、
荒井子さんのとき壁打ちって表現されてましたけど、
いろんな人にスケッチブックで聞いてまとめられてたんですよね。
で、しかも僕がこういうことやってますって言ったときに、
たぶん荒井子さんもそういうスケッチブックとか持って、
もうすでに荒井子さんの方もこういうやりたいものを共有しますみたいな最初の話だったので、
なんとこう行動力というか、壁打ちって言葉があるテニスプレーヤーみたいな、
なんかそんな行動力のある方だなっていう印象ですね。
素晴らしい。それが2年前ですか?
2年前ですね。