例えば喉が渇いたってなったときに、コンビニ行って買うときに、なんかパッて選ぶじゃないですか。
でもなんでこれ選んだろうってあんま考えないで自然と取ってるじゃない。
でも意外とそういうの見てたら、こういうの選んでるな、集中してるなってわかってくると思うんですよね。
なんかそういう選択するものに自分の気持ちがなんでそれを選んだのかっていうのをちょっと考えるだけでも違うかなと思ってて。
なるほど。
自分これ好きなんだとか、ちょっと嫌だなって感じることとかも他であるじゃないですか。
ありますあります。
でもなんか考えないからまたなんか同じことになっちゃって、嫌な自分になってっちゃうじゃないですか。
だけど自分が喜ぶもので揃えていってあげれば、なんかそれを知ってそれを揃えれば常にご機嫌な自分になれるかなと思って。
だからそういう自分の行動を、要は自分のことを考える時間が少ないっていうところがそこだと思ってて。
何が嬉しくて何が嫌なんだっていうところからがスタートかな。
確かになんか米飲み物買おうって思っててもなんとなくになっちゃうし、それでこれをなぜ自分はこうしたのかなって思ったことないかもしれないですね。
でもなんか意外と考えてみると、なんかパッケージでもいいし味でもいいけど、なんかそれ取るとテンション上がるとかあるじゃないですか。
なんかそういうのがいっぱい知ってると、それをね一つずつ知ってた上で自分が好き、どんどん好きになっていくというか、自分を深めていくっていうのかな。
一歩目ってことですね。
これ僕が自分にやったことなんですけど、自分もじゃあ過去自分が好きだったかっていうと、実際そんな好きでもなかった時はやっぱあって。
で、一つきっかけがあったのは、なりたい姿と今の自分ってどうなんだっけみたいなものを一回全部書き出してみたんですよ。
紙に。
もう欲求ですよ。なりたいって。あとなりたくないもどっちでもいいです。両方とも欲求なので。
憧れる自分を一回全部書き出してみた時に、今の自分ってあれ意外と真逆じゃねみたいな。
で、じゃあなんでこれなりたいんだっけみたいな。なぜっていうのを僕自身紐解いていった時に、僕は結構ジェンダーがそこに紐づいてたんですよね。
結構なりたい姿は僕は憧れてる男性像がガーって出てきたんですよ。
多分過去の今その時書いてた自分って結構作ってる頑張ってたんだな自分っていう。
例えばなんですけど、もともと感受性がそこまで豊かではないので。
笑っちゃってんじゃん。
喜怒哀楽っていうものが多分人より波があんまり激しくない。穏やかではあるんですよ。
でも性格的なものはあるんですけど、例えば泣かないみたいなものもどこか自分の中で過去にルール化されてたものがあって、
今も涙をする回数は少ないんですけど、じゃあなんでそうなったんだっけっていう紐解いてた時に、
僕が思う当時の憧れてた男性像ってあんまり泣かない人みたいな、それがかっこいいみたいな。
どこか自分の中でシフトチェンジされてたんですよね。
でもそれって本当に必要なルールみたいな。
思った時に泣きたい時に泣けばいいし、自分でそこで縛る必要がないよねっていうことに駆け出していった時にようやく気づけて、
そういういらない自分も手放したことによって、今の自分がより生きやすくもなったし、こういう自分でもいいんだなって好きになれた。
1回書き出してもらうっていうのはめちゃめちゃおすすめです。
ある種の自分の小骨になってる部分っていうか、言葉にできてない、なんとなく嫌だなっていうようなことを整理整頓するって、
やったことないですしね、手放すってすごくいい言葉だなと思って。
しかも発見して、でまた手放していくっていうのはすごく良さそうだなと思いますし、
だいちゃんもそういうバイアスっていう言葉を使った研修であったりもよくしてるから、共感するのも多いんじゃないですか?
めっちゃしますね。
僕が師匠から教わった言葉は、たぶんすごく近いです。
過去の自分に会いに行くんだと。
それでハグしてあげて、ええやんって言ってあげるんですって。
そんなあなたもええやんって。
そうすると手放せるんだよっていう。
僕だったらちょっとパワハラっぽい、ちょっと高圧的な時期があったんですよ、僕は。
その自分はすごい嫌いだったんですよね。
でもその過去の自分に会いに行って、こうギュッてしてあげて、ええやんと。
言ってあげたら手放せて楽になるみたいなやつとかも含めて、すごい共感したかなって思いますね。
全部共感。
本当に。
そうですか。
全部共感。
受け止めるとか認めるってなかなかやっぱそれも結局自分のことを探す時間を作らないと、
そこをキャッチ、自分で抱きしめてあげることができないので、ぜひ。
いいね、書き出すいいですね。
たぶん書いて表出して初めて気づく瞬間でありますよね。
書くことをなんでおすすめかっていうと、やっぱ自分のノートに自分の気持ちだけ書き出せるっていうところと、
結局それが記録に残るので、頭に描くよりも鮮明にずっと残るっていう。
なので書くことを僕はいつもおすすめしてます。
授業でも研修でもめっちゃ書いてもらって。
打つわけじゃないですね、キーボード打つわけじゃない。
紙に。
紙ですね。
自分のルールもそうだし、自分のことも全部書いて伝えるっていう。
全部やってます。
ちなみに僕は毎回やってます。
参加者のほうで。
参加者に混じるほうでやってます。
違うもんですか?毎回やって違うのが自分の中から出てくるんですか?
同じことだったとしてもまた違う意見が出てきたりもするんですよ。
これもまたやってて僕は面白いなって。
一番参加してるんで。
それもやらないと周りも同調を求めちゃうんで。
やらないとやらないですよみんな。
僕もそこ入って積極的にやって。
やっぱりみんなもそれを見てやってくれるんで。
でも一番楽しんでます。
今日も学びになりましたね、感想を言って。
じゃあまずは気づくってところですね。
コンビニでも何でも自分の行動を振り返ってみて、
あれって気持ちいい、あれってダメかもってまず気づくこと。
気づいてからどこに向かおうとし、
なりたい自分ってなんだっけって思い浮かべたことをきっちり出すことっていうのが大切って感じですかね。
あとはそこから好きになるっていうステップは、
好きな部分とか楽しいことってそのままでもいいじゃないですか。
だからよりそれ伸ばすっていうの大事だと思うんですけど、
多分自分の苦手なところを許すっていう作業が多くできてくると、
好きになる、本当の意味で好きになるっていうのは出てくるんじゃないかな。
そうですね。ネガティブと呼ばれるものこそすごくいろんなヒントが隠されていて、
やっぱりネガティブなものってどうしても自分がすごく評価をしてしまうので、
ダメだみたいな、こう言われちゃいけない、さっきの理解しなきゃ、
しなきゃって思ってることはもう自分でそこを評価しているフラグが入ってしまうので、
そういったネガティブっていうものこそ、自分の中で許してあげる作業をぜひしてもらいたいですね。
許し方みたいなところ。この前、めちゃめちゃいい意見が出たんですけど、
自分の好きなとこ苦手なとこ書いたときに、なんでそうなのっていう理由を考えてもらって、
もしかしてそれって自分が本当にそう思ってるのか、周りに言われたとか、
メディアから流れてきた情報、そういうもので自分の苦手なとこが生まれてしまっているのかって考えてもらった後に書いてもらったんですよ。
そしたら、私、それ考えたら、私自身が好きなことを見たときに苦手って思うところが一個もなくなったっていう。
ゼロ。
結局、自分自身が本当にそもそも嫌いなところって、そんな多くなくて、周りに言われたりとか、
SNS、メディアで言っているからそうなんだって思っちゃってる部分がすごく多かったりするので、
それを一回整理してみると、全然なんか周りに左右されてたっていうことが多かったりするんですよ。