私たちもわかってるんだけど、でも気持ち的にはすごく居心地が悪くなるときあるよねっていうのは実際にあることだから、そういうのを皆さんがどう思われるかなと思って聞いてみました。
でも今現役で高校に通ってらっしゃるお子さんが実際周りであるわけじゃないですか。
でも大変だからしゃべらんとこうねってだけではきっと親としては追われないじゃないですか。
声掛けだったら分かりたいって理解したいって気持ちはあるし、高校1年生の彼にだってすごくあると思うんですよね。
だから親としてはそういう話になったらどういうふうにこう声かけるったりするものなんですか。
時々こう話し合ったりとかすると、やっぱり私はいつも言ってるのは大きな違いか小さな違いかの違いだから。
だから例えばうちの子は日本人とアメリカ人のミックスなので、
あなたたちを日本人が半分日本人だからって言って差別的なこと言われたら嫌なのと同じで、
その違いとトランスジェンダーになった子とかの違いとかっていうのは何が違うんですかっていうこととかを話して、
そういうのは別にだから差別とかそういうふうにしてはいけないっていうことを丁寧になるべく話すようにはしていて、
だから違ってもいいよねっていうことは言いますけど。
なるほどね。確かに。もう日本と違って国籍とかももう多様ですもんね。
おさんはプレッシャーを感じるっていうのがどういう気持ちなんですか?
困惑するなのか、なんかもう嫌だなあなのか、同じ気持ちを他の人にしてほしくないなあなのか、プレッシャーってどういうことなんですか?
そうか、えっと、なんかわかってわかってって言われるのがプレッシャーっていうか、
でもどこまでわかってあげればわかってあげるになるのかなとか、
なるほど。
どこまでわかってもらいたいですかっていうか。
ニュータントウェーブの今質問を受けているお三方も自分たちジェンダリストとして発信をされているので、
理解の促進という面ももちろんあるかと思うんですけど、
そういう方々とかどう思うかね、確かに気になるところでありますね。
そうですね。
じゃあお三方に聞いてみようと思います。ありがとうございます。
ありがとうございます。
はい、というわけでシンガポール在住のモさんという方から質問をいただきました。
理解したいと思えば思うほどプレッシャーも感じます。どう思いますか?ということです。
シンガポールがですね、お子さんがインターナショナルスクールに通っているということもありまして、日本よりはやっぱり進んでいる。
進んでいるからこそお子さんの同級生の中で女の子だった子が男の子になって何年かしたらまた戻ってくるみたいなことがあったりして、
言葉の問題もあったりするから気を遣う部分はある。
分かりたいという気持ちがあるからこそどうすればいいか分からないというようなお話ではあったんですけれども、
まずこちらの質問いかがでしょうか。
1時間ぐらい喋る。
分かりやすく直接話したいと思ったらモさんと。
いいですね、それいいですね。
いっぱいノートが出てまいりました。
分かってのプレッシャーを感じるっていうのはめちゃくちゃ共感なんですよ。
ちょっとニュータントウェーブの特性がある意味ちょっと変わってるというか、
トランスジェンダーという世の中で言うマイノリティじゃないですか。
ただそのマイノリティだけのコミュニティで育ってはないですね。
女子サッカーっていうマジョリティの中で育ったマイノリティ。
そのマジョリティの環境がLGBTだからっていうネガティブな要素の見方が少なかったんですよ。
割かしマジョリティマインドで育ってるマイノリティに近いんですよね。
だからそういういろんな人がいて発信を見てる中で、
すごく分かってほしいっていう気持ちを自分たちも感じてることがあって、
そういうふうにマイノリティなんですけど、その活動とかを見たり感じたことが、
これって結構押し付けに感じる人多いんじゃないっていうのは3人がすごく感じていて、
マジョリティの中で育っていてネガティブなことが少なかったりするので、
そういう理由があったのでポジティブ発信とかLGBTとはっていうのをすごく伝えるっていうところにいなくて、
一人一人の違いっていうのを伝える当事者っていう位置づけがあるのですごくそこには共感できました。
なんかそれはすごくわかるよね。
ただ感じたのがLGBTっていうワードに対していろんなフィルターが一つあるのかなと思ってて、
それってLGBTだけなんだっけっていうのを考えていくともうちょっと気持ちが薄まるというか、
多分人って一人一人マイノリティ性って何かしら抱えてると思っていて、
それの何なのかっていうのでたまたま今の場合ってLGBTだけなので、
他の時ってどうだろうっていうのを考えてみると割ともう少しフラットに考えられるかなっていうのを感じていて。
ご自身もシンガポールの中で日本人というマイノリティだってことをお子さんとお話したりするみたいなことも話してましたよね。
だからあの話ってめちゃめちゃいいなって思ったよね。本当そのまま。
あと最初に気になったのがやっぱりこの理解するみたいな話で、よくある理解するしないとか受け入れる受け入れないみたいな、
そういう言葉が出てくるじゃないですか。でももうそもそもいるし、そもそもいろんな人もいるわけじゃないですか。
そうなった時になんか理解するしないとか受け入れる受け入れないとかじゃなくて、そもそもその状態があるよっていうのを認識していれば一ついいのかなって思ったのと、
友達で考えたらめちゃくちゃ楽かなと思ってて、友達のことって考えて理解していくってあんましなくないですか。
気づいたらこいつのこと理解してたわみたいな。でもそういう友達でも完全に理解ってできてないし、完全に理解ってどこだろう。
それと同じかなと思ったんで、やっぱりそのプレッシャーをすごく感じて理解しなきゃっていう思いが強すぎちゃって、
そこのサイクルに陥っているのかなっていうのは聞いてて感じたよね。
もう一ついいですか。
お願いします。
CとBの話になったじゃないですか。
言葉の問題。
B、Cの他にゼイっていうのがもう選べるんですよね。三つ目で。
ゼイって。
ゼイは彼らとかなんかちょっとこう日本語だと難しいんですよ。
例えばナイキさんとかだと社内で打ち合わせするとオンラインの背景でCかBかゼイって選べるようになってるんですよ。
オンラインの背景。
背景置くじゃないですか。そこに自分のことはCなんです、Bなんです、ゼイなんですって。
呼び名を。
そうです。私のことはこういうふうに呼んでねっていうのを自分で言うんです。
でもそれ何で言えるかって言ったら言える環境とかがあるから言えるんですよね。
だからそこがすごく大事かなと思っていて、結局気を使うっていうことは気を使わなきゃいけない環境を変えなきゃいけないだけなんで、
なんか環境を変える方を頑張らなきゃいけないのかなっていう。
割とそういう多様性が進んでいる国だと会議とか、私のことはどう呼んでくださいっていうのは最初に言ったりする。
もう初っ端で。
そうです。やっぱりそれって日本人とかってなかなかないのが、やっぱり私たちがそこにプログラムをイコールにくっつけているのが自分自身を好きになるっていうので、
アイデンティティを考えるっていうプログラムをやってるのがその理由で、
この方って私が女性であること男性であることフランスジェンダーであることがアイデンティティの大事な一つだからちゃんとそこを言うんですよね。
でも日本人ってなんで男性なんですか女性なんですかって聞いたときにないんですよ。
そこに何も。
言葉として。
なんでかって言ったら割り振られてそうだと思ってるからそうでしたぐらい。
だからそこを考えるとかアイデンティティを考えるっていうのをやらせてもらってるんで、
なんかそういう教育やっていったりとか知るきっかけがあると、
なんかもう少しね、全体的にそこまで思い詰めずに考えられるのかなって思った。
理解しなきゃってきついですよね。
いやそれは思いました。
なんか普通にもさんともしお話しする機会があるとしたら、
ルジーヴィーティーとかじゃなくて普通に僕のことを知ってほしいし、
そのただ背景に僕がたまたま当事者性のあるエピソードがちょっとあるだけ。
多分シンガポールで住まれている中でのシンガポールならではの文化の触れたりとか、
そういうエピソードがちょっとあるだけじゃないですか。
なんかそういう違いをなんか知れたらいいなーって思いました。
同じ人です。
結局ね。
三つ王みたいな。
まあそういう人として知るっていうのが大事。
たださっき言ってたその知るっていう特別こうトランスジェンダーだから困ることもやっぱりあって、
それが男性女性で生きているときに同じことが起きるかというとそうじゃない。
それは本当にこういろんな特性、障害を持ってたらやっぱり配慮しなきゃいけないことがあったり。
一つがLGBTが入ってる。
中でもあるよねっていうだけなのかな。
そう思います。
ありがとうございます。
他のもさんもちろん会ったことあるので、
すごい優しい方なんですよね。
なんとかしたい、なんとかしなきゃっていうのがベースにあって、
だからこそ辛いっていうふうにもおっしゃってましたけどどうすればいいんだろうとか、
あと自分のことはいいけど子供にはどうやって伝えてあげたらいいのかとかってやっぱり難しい問題があって、
そういうことを言葉にしてくれたのかなというふうに思いました。
だいちゃんも勇気を出してくれたんだななんて言ってくれましたけど。
たぶんみんながどこかで思ってたところを声にしてくれたっていう、
そこに感謝ってありますよね。
僕は考えたのは最初に大ちゃんが言ったこと僕ドストライクで、
全員違くないっていう出発点。
だから僕ね少数派って言葉はこの世からなくしたいんですよ。
例えばですよ、ペット何飼いたいって言われて犬派猫派とかカテゴライズすると好きじゃないですか。
でも別にそれ以外飼ってる人もいるしとか、
さらに犬派猫派だけで言っても犬派だけど飼うのは別にいいかなとか、
動物園見に行くぐらいでいいかなとか、
カテゴライズしたところで分けきれないっていうのがあるから、
だったらもう最初からカテゴライズをしないみたいなところもすごい大事になってくる気が僕はしてるんですね。
多様性学のスペシャリストの方と喋る機会があって、
多様性ってよく言われるじゃないですか今。
その時にこういう人もいるんだなっていう理解じゃないそうです。
僕も多様性の一部なんだなっていう理解が大事だって言ってて、
結局その私と違う人がいる、
ああいう人もいるよね少数派でじゃなくて、
自分もその一人、全員違う中の私も一人っていう理解が大事だって言ってて、
確かに本当に自分のことってあまり考えてないかなと思って、
社会を良くしようって時に社会に自分ってあんま入んないかも言われて思った。
そうなんだよ。世界で一番知らない人は自分なんですよ。
だからダイバーシティーインクルージョンって、
インクルージョンって自分、
いろんな人の良さ強みとか弱みを知った上で、
みんなで力を発揮できる状態にしましょうって言ってるけど、
それが苦手なのって自分の強み弱み知ってる人がめちゃくちゃ少ないんで、
じゃあ何やろうって言った時に伝えられないんですよね。
だからそこ知るところからが大事じゃないっていう。
悪口研究ってあるんですよ。
悪口研究してる人からすると、悪口を言ってる人を分析したら、
全員自分のコンプレックスとか、自分の嫌いなことの知ってる人の悪口を言うっていう。
だからそのミュータントウェーブさんが、
あなたはあなたでいいっていうメッセージをもらったって僕言ったじゃないですか。
それで、あ、私いいんだって、私でいいんだと思った子は、
じゃああの子もあの子でいいんだって思える、この順番っていうか。
まずは自分、いいぞダイちゃん、あなたはあなたでいいんだぞと言ってあげたら、
つぼけん、つぼけんはつぼけんでいいんだって思えるっていう順番っていう。
それがなんか多様性っていう意味。
みたいなのは僕も聞いてたし、すごい共感しながら聞いてた。
え、じゃあお三方は自分のこと好きですか?
好きです。
好きです。きっぱりと。
いいっすね。
どうやったら好きになれるとか、好きになれなかった時代とかってあるの?
でもたぶんあったんだろうな。
僕の場合は、他者の意見は聞くようにしました。
自分のことも自分で理解できてなかった部分が生じがあったんで、
他者に聞いて、自分をなんて言ったらいいんだろう。
客観的に?
客観的に見れてない部分がやっぱりそんなからずあるんで、
他人からの意見をまず参考にしてじゃないけど。
そういうのはメンバーもそうですけど、他の友人たちからも聞くようにはして、
なんか考えた時間って僕の中にはあったかなって。
だいちゃん自分大好きだもんね。
大好き。
生まれ変わってももう一回お願いします。
大好き。
って思えるようになったってだけだから。
それまではつらかったですからね。
もう学生時代低空飛行でずっと来たから。
いつ乗り換えてやろうか人生ぐらいの時もありましたからね。
早くミュータントウェーブに出会いたかったみたいな。
本当だよね。子供の頃出会ってたら全然違ったかもね。
本当だよ。
それがいわゆる一般的に言われてる少数派の子が出会えばよかったとかじゃないっていうか、
全員がそう出会ってほしいっていうのを持っているってとこかな。
俺も出会いたかった。
俺も俺に出会いたかった。
ミュータントウェーブ。
俺がいれば。
それいいな。