それでは続きになります。今日のテーマはハピネスクリエイターになるということで、ゲストは平岩国泰さんです。よろしくお願いいたします。
リスタートお願いします。前半ではですね、ハピネスクリエイターって言葉について、中華でみんなで楽しませて生まれたということが分かっておられました。
決めた後に中華に行った。
中華に降りられる気は全くじゃない。
それは嘘でしたね。はい、わかりました。
はい、みんなの思いが詰まったハピネスクリエイターということが分かってまいりました。
ではですね、そもそも平岩さんがなぜ教育の道に行ったのかなと思ったんですけども、いわゆる教職免許を持っているわけでもなく、経済学部で教育の道に行こうと思った、そもそもきっかけみたいなのってあるんですか?
そうですね、直接的に子供が生まれたっていうのが直接的で、ずっと一生懸命やれる、熱くなれるテーマとかいうのは大人になっても探してはいたんですよね。
自分は野球部だったんで、野球部みたいな仕事はしたかったんですよ。
みんなで一生懸命になって、一つの目標を追っかける、ちょっと無理な目標を立てちゃったりして、それでみんなで頑張っちゃうみたいな世界を大人になっても望んでいるところはあって、
それで子供が生まれて、子供に尽くすっていうのが一つの人生の大事なテーマだなと思って、そこが一つ教育に踏み出すきっかけなんですけれども、
ちょっと元をたどると、大学の時には自分で野球をやったわけじゃなくて、自分の出身の中学校の野球部のコーチっていうのをやってたんですよ。
大学4年間それしかやってなかったようなサークルとかアルバイトとかをやらずに、そういうのばっかりやってたんですけど、
それですごくコーチをしながら、一つ子供が成長する側にいるっていうのは本当に素晴らしいんだなって、絵も絵も言葉にならないような感動がたくさんあるんですよね。
人を育てるような仕事とか、人が育つ側にいる仕事って本当に素晴らしいなと思ったのが、思えば原点なのと、
もう一つはコーチっていう限界を感じたんですよね。結局選手じゃないんだっていうところもあって、
いくら練習では良いコーチができたとしても、最終的に選手が試合で活躍するってことになるとまた別だったり、
逆にコーチの言うことをすごいよく聞く子は試合で弱かったりですね。
いろんな問題意識が生まれてきて、僕は最後に大学3年から4年ぐらいにかけて、教えないコーチ宣言っていうのをしたんですよ。
今までごめん、いっぱい俺教えてましたと。だけどそれをすればするほどみんなが考えなくなるのかもしれないと。
したがって今日から教えないコーチになりますと。何か聞くかもしれないけど、これだと思うよってこっちから言わないねと。
本当プリントにも自分で当時手書きだったんですけど、でかいタイトルで教えないコーチ宣言みたいなのを書いて選手に配ったんですよ。
だから後日この番組の出てくれた山本先生と出会って、教えない授業っていうのを見た時には僕なりにはものすごい運命を感じて、
これだと思って山本先生にアタックしたっていうのがニートベイのいろいろな変革の始まりだったかなっていうところがあります。
教えないコーチ宣言、子どもたちも親もびっくりしちゃうんじゃないですか。
そうですね。当時は野球部、今もそうかもしれませんけど、かなりシェーマ的なコーチが多くて、それが熱心な良いコーチだってされてる時代だったし、
僕もかなりそうしてたかなっていうところもあったんですけど、本当にそうすればするほど考えなくなっちゃうし、試合で弱くなっちゃうんですよね。
野球って特に6秒に1回監督を見るって言われてるようなスポーツなんですけど、かなり1球1球サインを見るような。
かなり大人に指示を仰ぐようなスポーツ体系で元々あるんですけど、さらにそこでこうしていっちゃうと考えなくなっちゃうっていうのがあって、
それでその時にはその結論に1つたどり着いたのが自分なりのコーチ像というかだったんですよね。
大学3年生で教えないコーチ宣言を今に繋がってますね。
今に繋がってて、それで子どもが生まれて、何をやろうか、子どもに対して何ができるかっていうのをいろいろ考えてたんですよね。
その時にちょっと残念なあれなんですけど、子どもの連れ去り事件とかがものすごく多かった年だったんですよ。
もうあちこちでそういうのが飛び火するように日本全国で起きちゃってて、でも悲惨な事件も多いんですよね。
本当これはひどいなと思ってて、こういうのを自分が子どもを産まれると思うと、より胸が張り裂けそうになるようなニュースで。
ちょっと1つその時に気づきがあって、子どもが襲われたりする事件や事故が何時ぐらいに起きるのかなっていう時間が気になったんですよね、たまたま。
そしたら新聞記事って全部縁に時間が書いてあって、それを見てたらほとんどが午後2時から6時の間ぐらい。
正確に言うと3時から5時ぐらいが一番多いんですけど、下書のデータなんか見ると子どもの被害になってしまう事件は2時から6時の間に全体7割ぐらいが集中してるんですね。
あれこれ放課後の時間じゃんと思って。
結局そうなんですよね、学校にいる時間と家庭にいる時間のやっぱり隙間が当然狙われると。
今でもだから子どもの事故が起こると一番にパッと時間を見ちゃう職業病みたいなのがあるんですけども。
それで放課後が変わっちゃったんだと思って、それでちょっと放課後の仕事をしてみようっていうことが興味が湧いたってことですね。
親としても自分の息子が塾に行ったりダンスに行ったりしてるんですけど、やっぱり心配なんですよね。
雨の日はバスで行かないといけないとか、そもそも自転車も心配ですけど。
なんか今日声かけられたとか言われると、別にそれが道を教えてぐらいでもその人ちょっと怪しい人だったんじゃないかなとか思っちゃうじゃないですか。
今の保護者はやっぱり少なからず放課後って怖いっていう感覚をお持ちだと思うんですけど、昔は多分そうじゃなかったと思うんですよね。
あるいはちょっとあったかもしれないけど、それも含めてとにかく子どもだけで放課後は過ごせよっていうのが昭和の時代の一つの常識で。
だから子どもが小学生になるともう安心ですねとかって言われてた時代があったんですよね。
ところがいろんなそういう事件や事故が起きて、子どもたちが本当に放課後危ないというふうに思うようになっちゃって、
それでじゃあどっかに居場所を作んなきゃいけないということで、学童保育が必要になったり、
あとおうちですごくゲームだったり動画だったりを見ることになったり、一生懸命習いごとに行くようになったりですね。
子どもの居場所をしっかり確定させながら放課後を過ごしたいという時代に変わってきたと。
そんなこともあって、それで僕がやってるアフタースクールっていうのがあるんですけど、
そのアフタースクールっていうのはアメリカでやってるっていうのを知って、
それでこれだったら日本の放課後の役に立てるかもなと思ってスタートをしたっていうのが一番最初でしたね。
そして僕どうしてもリスナーの方に聞いてほしいエピソードがありまして、
僕多分5回目ぐらいなんですけど、何回聞いても何回でも泣きそうになってしまうんですけど、
アフタースクールを始めた頃のお話ちょっとご覧ください。
最初公民館でやってたんです。
僕は流通業の会社に勤めてたんで、本社にいたんですけど、水曜と日曜が休みだったんですよ。
なので水曜日の公民館でアフタースクールをやってたっていうのが僕の原点にあるんですね。
その時のお話なんですけど、最初に見つかった私たちは市民先生って呼ぶんですけど、
市民先生、いろんなことを教えてくれる市民の先生なんですけど、
その方は料理人のおじいちゃんで70代ぐらいの年齢ですかね。
もう現役は引退してるんだけど、半分更新の指導をしながらみたいな方だったんですけど、
その方が和食を子供たちに教えてあげようということになって、
最初子供が全然集まらなかったんですけど、4人ぐらい子が来てくれて、
3ヶ月くらい毎週水曜日やろうということになって、
小学4年生の男の子は1人と、小1、小2の女子が3人ぐらいですかね。
っていう感じなんです。
4年生の男の子だけ1人年上だったんですけど、その子のストーリーなんですけど、
その子本当に最初元気なくて、後から聞くとスポーツも苦手で勉強も苦手で、
ちょっと精神的にもまだやや幼な目で、お母さんからするとすごい心配で、
学校全然面白くないしうまくいかないし友達もあんまりいないと、
自分には何もいいとこないようにも思えるみたいな、たぶんそんな心境だったと思うんですよね。
そんな中迷い込むようにアフタースクールに来たんですけど、
料理人の方がすごく彼に目をかけてくれて、どうして目をかけてくれたかいまだに聞けないままに、
ちょっと料理人の方も天国にいらっしゃるんですけど、
おそらく元気のなさとかを見てくれたのかなと思ったり、
4人しかいませんでしたから、どの子ももちろん1人1人目をかけてくれてたんですけど、
その子のことをある時点ぐらいから一番弟子ってまず呼んでくれたんですよね。
年齢が上だったからっていうのもあって、
その子もすごいどんどん来るごとに楽しくなっていって、
なんか厨房で働いてるみたいな感覚になってたらしいんですよね。
あるとき、またアフタースクールにあるときにバーって彼が入ってきてくれて、公民館にですね。
その料理人の方が一声かけたんですけど、
その声かけが僕は彼を決定的に変えたと今でも思ってるんですけど、
その言葉が割と挨拶っぽく軽く言った言葉なんですけど、
一番弟子来たなって、俺は君がいないと困るんだよなって肩に手をかけながら言ったんですよね。
君がいないと困るって言ったんですよ。
その時も自分の中ではビビッと来た言葉だったんですけど、
その時はまだこれがそんなにってのはよくわからなかったんですけど、
今思えば彼の居場所が本当にできた瞬間だったんだなって思って、
君がいないと困るって皆さん言われてますか?
僕はあんまり言われてませんとかそういう感じなんですけど、
仕事でも家でも言われません。
思わず愚痴が始まりそうですけれども。
やっぱりそう言われたくて生きてるようなところってみんなありますよね。
彼は多分クラスでもなかなかそういうこと言われないし、
お家でもなかなかそういうのを感じにくいような生活をずっとしてきたんですけど、
親でも先生でもない人が出てきて、
君がいないと困るって言ってくれてるというのはすごく彼にとって大きかったんだなと思って、
それで彼がすごくさらに元気になっていって、
料理をお家でやるようになるんですよ。
お父さんお母さんがすごくそれを喜んで認めてってくれて、
お家でも。
お家で。
やると結局どんどんどんどん上手くなっていくし、
今まではよその子とやっぱり比べちゃってたらしいんですよね、
お父さんお母さんから最後ちょっと手紙をいただいたんですけど、
そうではなくてよその子と比べないでその子のいいところを見てあげるっていうのがやっぱり親としてできるようになって、
親としてもすごく救われたし、
料理って本当に回を追うごとに上手になっていくので、
そういう比較するとしても前の彼と今の彼しか比較しませんと、
っていうのでみんな当然おいしいおいしいと喜ぶし、
なので本当にいいことだらけで彼のいいところに気づいたらすごくいろんな生活の循環がうまくいって、
クラスもうまくいくようになって、
結果的にすごい元気に学校に行くようになって、
変色も治ったっていうのを最後聞いたんですね、
僕からすると信じられないんです、
彼は変色なんてまさか見えないくらい料理に夢中だったんですけど、
でも変色だったんですって、
変色って多分その味とかがどうのこうのもあるんですけど、
やっぱり自分を見てほしいっていうメッセージの現れなんだなと思って、
そこの安心感が多分得られたんで、
彼はいろいろ食べるようになったのかなって、
その時は保護者とそういう話をしたんですけど、
というぐらいやっぱり親でも先生でもない市民が、
こうやって変えることができたんだっていうのが、
アフタースクールの原点で、
今でもだから彼のような姿を追いかけて日々活動してるかなっていう感じですね。
素晴らしい。
リスナーの皆さん、聞いていただけないでしょうか、
僕この話大好きなんですよ、
君がいないと困るって言われないですよね。
言われないですね、おかしいな。
言われたいっす。
本当に素敵だなと思って。
でもそうやっていう大人がそばにいるっていうことも、
ある程度ラッキーな部分もあったりするし、
そうやって自分が別に何もしてなくて言われたわけじゃなくて、
小さなことかもしれないけどアクションをした結果、
一番ですっていうふうに言っていただいた部分もありますし、
めちゃめちゃいいですよね。
私はあなたを信じてますみたいなメッセージって、
いろんな漫画でもドラマでも映画でも、
いろんな作品で出てくるじゃないですか。
見るたびに無条件で泣けてくるんですよ。
今おっしゃった話もそうですし、
何かこう人を信じる、
私は信じてますっていうシーンだけでグッときちゃうんですけど、
そんな部分ってあったりします?
すごいですね、信じるフェチみたいな話で。
もうそれだけでジワーッといろいろ想像するのはすごいですけど。
親とか先生は、特に親はもちろん、
君がいないと困るって子供に対して全く思ってると思うんですけど、
親も先生もなかなか普段そういう表現はしづらいですし、
どうしても指導者にならざるを得ないところがあると思うんですよね。
ところが料理人の市民の方っていうのは完全な伴奏者なんですよね。
彼に対してもちろん料理を教えてはくれてるんだけども、
まず彼の現在の姿ありきで、
そこからどんなことをしていこうかっていう現状地点を肯定してくれるんですよね。
指導者の人っていうのは現状地点をあまり肯定できる言い方ができなくて、
こうありましょうっていうかありたい姿から入っちゃうと思うんですよ。
こうなりましょう、こうありましょう、こういう成功を収めましょうみたいなですね。
そうするとある部分では今の君のままではダメだねっていうのが
裏に隠されてるようなメッセージになっちゃうと思うんですよね。
その指導者がたくさんいるから、子どもに伴奏者をやっぱり増やしてあげたいと思うと、
やっぱり親と先生だけで教育するのはちょっと苦しいので、
もう第三者である市民がいろいろ子どもたちに出会うといいと。
それって当然市民はいろんな市民がいますから、
先生は割ときちんとした部類の人が当然多くて、
しっかりした人がもちろん多いですよね。
あるいは社会が今そういうちょっと変わった先生を許さないみたいな風潮もあるし、
市民はいろんな人がいるわけですよ。
必ずしもまっすぐ来た人ばかりじゃなくて、いろんな回り道してたり、
意外とだらしない人もいるかもしれないし、面白い人もいるかもしれない。
社会って結構いろんな生き方があるんだなって思うって意味では、
社会をどんどん子どもに見せるっていうのはすごく大事なことで、
それって結局今の二戸の学校のあり方にもすごく影響を与えてるので、
放課後でやってきたことをある部分では学校に当てはめたのが、
今の二戸文化学園の姿なのかもしれませんね。
本当そうっすよね。
それこそ野球部コーチの教えないコーチ宣言から、
君がいないと困るんだもん含めて、
すごく完全に今にまっすぐつながってるなって感じはしますけど、
でもお立場としては、教室を運営する先生ではないじゃないですか。
理事長っていう立場でらして、
実際その教育が進んでいるか進んでないか、
自分の理想にはまってるかはまってないかって、
実際に手を動かしているわけではないですけども、
現状のご実感としてはいかがですか。
進んでる方向はすごくいいなと思って見てますし、
それが別に僕が目指した方向とかっていう話でもないと思うんですよね。
みんなで合意して、こういう方向に行こうねって、
そうして進んでるつもりではあるんですね。
もちろんみんな幸せってことはみんな願ってることだと思うので、
みんなの願いと一致してるというふうにもちろん思ってるんですけど、
そこに向かって合意をして、それでみんなで進んでいくっていうことを今していて、
当然まだ簡単な話ではないんですよね。
それ決めたら急にそうなるかっていうとそうでもないですし、
実際には忙しいってこともあるし、
なかなか思うようにならないとか、いろんなことが毎日のように起きてますので、
完全にもう手応え抜群ですみたいな話ではないんですけど、
目指してるところが一致してるような安心感っていうのはすごくあるし、
それが学園の中でみんなの指針になってるってことについてはそんなに不安はないんですね。
ただ一方でやっぱりみんな悩んだり迷ったりっていうのはもう僕も含めてみんなしてるので、
夏に1対1の対話をするんですけど、
先生たち一人一人と僕で今年はずっと対話をするんですけど、
どうですかっていうのを聞きながらやってってるような感じで、
そういうすごく遠い目標と本当の近くにあるような今のお気持ちはどうですかっていう、
一番遠くて一番近くのところを僕が見てるってことが大事なのかなと思ってやってますね。
この番組に山尾先生が出てくださったときに最後の最後に、
やっぱり山尾先生も教えない授業、自分の論理でいろんな子どもたちの学びを深めてきて、
やってらっしゃることもすごく評価されてると思うし、実感もご自身あると思うんです。
でも今までの教育やってきた人たちを何か切り捨ててるような、置き去りにしてるような不安というか、
本当にいいのかなって思う孤独みたいな気持ちってあるっていうのをおっしゃってたんですよ。
そういうのってわかるものですか?
そうですね。僕もですね、改革って言葉は好きじゃないんですけど、
改革って昔を切り捨てるみたいに見えますよね。
昔からの延長線上に今の社会もあるし、今のニトベも当然あるわけですよね。
ですからそれらすべてがあってこその今って思うので、もちろん今までのことも肯定しますし、
だからこそ今この社会で何ができるかっていうのが大事なのかなと思うんですよね。
自分たちで全部で当然できるわけじゃないので、次にバトンを渡すまでのリレーのバトンをたまたま今持ってるだけだと思うんですよね。
だから自分たちが全てでもないし、僕も俺の目の暗いうちにとかって思ってるわけでもなく、
一生懸命やりますし燃え尽きてパタッと倒れたいみたいなタイプではあるんですけど、
でも自分で全てのことができるとは思わないので、この時代に頑張りました後、次はお願いしますみたいな風になったらいいなと思うので、
ちょっとそういう今までの人たちを切り捨ててるみたいな感覚は僕自身はないですけど、
一方でそういう人たちも大事にしながらやっていきたいと思って、
ニトベも実際にはもうニトベ何十年って勤めてくれてる先生たちもいっぱいいますんで、
そういう人たちとも今の向かっているところには心を合わせてるつもりではありますね。
絶対完成がないものではあるんですけれども、といっても理事長としてはお若いですよね。
そうですね。理事長会ではたぶん、なった時が45だったんで、今はもう49ですけど、
当時も今もそうかもしれませんけど、若いといえば若い方ですし、でも親世代といえば親世代ですので、
今の保護者の方たちがどんなことを考え、どんな価値観で生きてきたかとかってのはよくわかるので、
その親代表みたいに思うと、自分みたいなのがいてもいいのかなというふうには思ってやってますね。
でもまだまだバタって倒れるまではまだまだ走れる元気のある年だと思うんですけど、
自分の目でここまで見れたら、まあいいんじゃないかな、頑張ったなって思えるのってどんな景色だったりするんですか?
そうですね。なかなかきっとなってもなっても、もうちょっと、もうちょっとって思っちゃうところがあるので、
この景色が見れたら自分は達成感みたいなのはちょっとなかなか難しいんですけど、
もしそういうふうに自分がやってきたことがよかったかなって思えるかどうかって言ったら、
やっぱり目の前の仲間たちとか目の前の生徒たちとか保護者たちが喜んでくれたシーンが思い浮かべたときに多分そうだと思うんですよね。
だからそういう意味でも今の子どもたちの成長してる話とかを聞くと、本当にそれでよかったなって思う子どもがたくさんいるんですよね。
だからそれの積み重ねなんだろうなと思って、未来の景色のためからバックキャスティングして今何をやるみたいに思うことも考えることは考えるんですけど、
その自分の気持ちが肯定されるかどうかってところについて言うと、どちらかというとこのホーキャスティングのほうの今からの積み重ねで、
たくさんよかったですっていうふうに言ってくれた人が多かったとかいうので、そういうふうに達成感が持てるか持てないかっていうのは変わってくるのかなと思いますね。
いや、すごくよくわかったのが、まさに今おっしゃってることはハピネスクリエイターだと思うんですよ。
別に自分がっていうことじゃなくて、関わってくれた人の子どもたちだけじゃなくて、先生とかも含めてみんなが幸せになる方法を考えようね、目指していこうねっていうことじゃないですか。