僕にとって特に特別な回でございます。
もう3年ほど前、主役が始まる時にもうこの人に来てほしいなって名前が上がってた方だからね。
そう、僕がもうここをある意味目指してきたし、それを100回目っていうね、回数は決めてなかったけど、
メモリアル回で是非っていうのもね、決めてましたよね。
そうですね。というわけで、ついに夢が叶ったということで、今回のテーマはこちら。
大ちゃん恩師に会いに行く。
実際に大ちゃん先生の先生だった人に会いに来ちゃいました。
そうなんですよ。もう実際にね、僕のことを担任してくれていたあの方です。
はい、お前にいらっしゃいます。それではほぼ最前線に行ってみましょう。
それでは本編です。今回のテーマは大ちゃん恩師に会いに行く。
ということで、ゲストは小金井市立南小学校、段原信一校長先生です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
お願いします。
ついに段原先生に会うことができました。ありがとうございます。
つぼけん。
はい、大ちゃんどうした?
この方がダンちゃんです。
ダンちゃん。先生のことダンちゃんって呼んでるの?
もう多分初日からダンちゃんって言ってたと思うんだよな、僕。
先生、担任の先生のことダンちゃんって、ちょっとそれもびっくりしちゃった。
はい、その辺も詳しく聞いていきたいところですが、じゃあ段原先生簡単に自己紹介をお願いします。
はい、大ちゃんが小学校5、6年生の時の担任で、ほぼ今日の大ファンの一人です。
うれしい。
現在、小金井市立南小学校で校長をさせていただいていまして、教職員、子供たち、保護者、地域の方々と力を合わせて、
今日が楽しく、明日が待たれる学校づくりに取り組んでいます。よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
何ですか、その素敵な言葉。今日が楽しく、明日が待たれる。
結構私がもう以前から好きなフレーズで。
もうこれがあればもう他にいらないなと思うような、そういう私のイメージの言葉です。
いや、めちゃくちゃ素敵。
今日が楽しくて、もう明日も楽しみだなっていうことですよね。
そうですね。
学校に来て、もちろんね、授業が楽しいっていうのは多分理想だと思うんですけども、
友達に会いたいとか、あるいはこの先生に会いたいとか、
そういった思いが持てれば子供たちが学校に向かう元気がありますし、
もちろん遊びでもいいかなと思いますし、
そんなことが学校の中に一つでもその日にあれば、また明日学校に来たくなると。
もう何年前だよって話だから。
触ってくれてありがとうってことなんですが、それどういうことなんですか?
えっとですね、これあごひげ触られてありがとうって言った記憶は正直ないんですよ。
そりゃそうだよね、こんな前のことね。
ただもしかしたら、初めて担任になって教室にいる担任とかにわざわざそばに来てくれて、
あごひげ触っただけじゃなくて何か話しかけてきたんじゃないかと思うんですよね。
でもそれって、なんか私の感覚では向こうの方から声をかけてくれるとか、
そういうのはすごいありがたいことじゃないですか。
例えば街中であった、こっちはなかなか名前と顔が一致しない子でも、
お田原先生って話しかけてきてくれると、そこでなんか話が会話が弾んで、
声かけてくれてありがとうねなんていうことは結構やっぱりあるので、
もしかしたらその流れで、だいちゃんはあごひげを触っただけだと思ってるかもしれないけども、
やっぱりそばに来てくれて声をかけてくれたっていうのは、
まず向こうの方から先生とコミュニケーションをとってくれたっていうのは、
すごい子供にとっては大きな勇気も必要だっただろうし、
それに対してありがとうって言ったのかなーってちょっとそんなふうに思っています。
いやー、そんな感じかも。
なんかすごいニコニコしてたんだよね、だんちゃんが。
で、ありがとうって言って、みんなもそこに5、6人いたんだよ。
で、なんかそれでだんだんだんだんこう集まってきて、
結構な数、休み時間でさ、みんなで喋ったのを僕は覚えていて、
たぶんその来てくれて嬉しいよとか、みんなのことをもっと知りたいんだよみたいなところが、
でも子供ながら伝わったんだろうね。
へー、めっちゃいい話。
だからまあ無言であごひげをつかんで引っ張ったわけじゃなくて、
なんかこうコミュニケーション取りたかったんだよね、子供としてはね。
たぶんそうだと思うよ。
新しい先生だし、先生先生って話しかけに行ったことだったんだろうね、きっとね。
そう、で、たぶんその2つ目のね、僕のエピソードにつながるんだけど、
僕があごひげ触りに行こうと思ったきっかけの言葉があって、
僕は、僕でだんちゃんね、
みんなの前で、子供たちの前立ちながら、
たぶん最初の1、2フレーズ目に言ったのが、
僕はたこのみんなを知らないからって言ってくれたはずなんだよね。
だから思いっきりいいことしていいよっていうふうなことを、
正式なフレーズでは覚えてないんだけど、言ってくれたんですよ。
それって僕たちにとってはすごい救われる言葉で、
やっぱ子供たちってね、実はけっこう感じているんですよ。
あ、去年本当に悪いことしちゃったなとか。
実際、先生もね、ちょっと体壊しちゃうとか、
今は本当に反省してるんだけど、
そういうのがあって、先生が途中変わっちゃったりとか、
あったんですね、実際。
子供たちなりに、なんであんなことしちゃったんだろうとか、
本当に申し訳ないなと思っているのね。
きっと僕みたいなやんちゃな子って、それからさらに思っていることが、
どうせ僕のことやんちゃって思っているんだろうなって、
引き継いでるだろうし、前のね、先生からも聞いてるんだろうなとか思って、
けっこうビクビクしてるんですよ、初日って。
いかに悪そうな態度をしたりとか、
なんかすごい睨んだりしてる可能性もあるじゃない、こういう時って。
だとしても、心の中ではけっこうビビっていて、
あ、また僕がやんちゃって思われちゃうのかなと。
そんな感情だった中で、この過去のね、これまでのことは知らないから、
思いっきりいいことしていいよ、みたいなこと言われたときに、すごい嬉しかったんですよ。
それでこの人、もうちょっと話したいなと。
で、たぶんアゴヒゲをジョリジョリ言って、
そういうことか。
言ったんだよね。
田村先生、そういう話をすることってありますか?
そうですね。
その時、だいちゃんのクラスで、自分が担任、毎年持つときに一番、
この学級開きって特に大事にしてるのは、
昨日までの君は死にました。明日からの君が好きです。
おめでとうおめでとうっていう、実はそういう歌詞があったんですよね、ある歌に。
で、要するに昨日までの過去の君は死んだっていうことは、今日が毎日誕生日なんですよ。
つまり、今日が毎日みんな誕生日なんだよ。
例えば、昨日まで何か良くないことをしていたことは、もう忘れられていいんだよ。
逆に、昨日までいいことしてたことは、それはもう忘れずに、今日も続けていいんだよ。
毎日君たちは生まれ変わって、少しでも一歩前進した人になってるから。
そういったお友達のいいところを少しでも見つけたら、それを自分の中だけにしまわないで、みんなに紹介してねっていうことを、
クラスの学級開きだったり、学級開きのとき以外でも伝えた記憶があります。
いやー、めっちゃいいな。
めっちゃいい言葉だね。
帰りの間にですね。
特に帰りの間は、私はいつも大事にしていて、あんまり長くならないようには意識はしてるんですが、
必ず友達のいいところを発表しようよっていうことをやってて。
よくね、そういうことをやる参加者さんも多いと思うんですが、
その中のいいことっていうと、すごいレベルの高いことを要求しちゃうっていうイメージが子供たちになるかもしれないんですが、
例えば消しゴムを忘れたときに、隣の子に貸してって言って貸してくれたとか、
あるいは落ちた鉛筆を拾ってくれた友達がいたとか、
まあそういったこと、そんなことはとっても些細なことだけで、すごいことなんだよっていうことで、
それを黙ってたらいけないから、必ずそれは、必ずっていうか、帰りの帰りで発表してね。
そんなことを続けていくと、これでやっぱりヤンチャーな子がいて、
その子が隣の女の子に、隣の大野君が今日拾ってくれました、なんてことが発表されると、
そこで子供たち同士の関係が一気に良くなるんですね。
自分のことを認めてくれたとか。
あとそういった男の子が女の子とか、女の子が男の子とか、異性の子の発表したときには特に褒めまして、
だいたい中学年、高学年って結構男子が女子がっていう時期があると思うんですが、
まあそういったこともですね、かなり常日頃意識していたので、
だいちゃんと最初の出会いのときにも、こういうことを話したのかなっていうことはあるなと思います。
いやー、素敵。
すごいですから、ツッコケ。
僕が救われた理由わかるでしょ?
すごくよくわかった。
全員に対してこうしてたんだなって思うし。
歌詞、何の歌詞ですか?
実はですね、サダマサシさんの歌の歌詞にあるんですよ。
ハッピーバスだったかな?もしかしたら。
もう毎日が生まれ変わってる、毎日が誕生日だってことですもんね。
そうですね。
一番初めに言ってくださった、今日が楽しく明日が待たれるにもすごくつながっているし、
言葉がすごくよく伝わってきたなと思って、
今日が楽しい子が明日も楽しい、これはもう素晴らしいことじゃないですか。
でも、この言葉の中に今日が楽しくなかった子も含まれてるんだなってことがすごいわかりました。
たとえ今日楽しくなかったとしても、明日待ったらきっと楽しいことがあって、
生まれ変わって、また明日、また明日って言って、どんどん楽しくなっていくみたいなイメージがプラスされて、めちゃくちゃ素敵ですね。
そうですね、本当にどんな些細なことでも学校の中に楽しいことがあればなっていうことをいつも思ってます。
もう本当、例えば給食なんかとっても大きいですよね。
給食が好きってだけでも子供が学校好きになる子たち、
本当、些細なことでも学校の中に楽しさを作りたいなといつも思っています。
いやーだいちゃん素敵、もうこれは恩師って言うわ、本当に素敵だな。
でね、これってさ、言葉で言うの簡単だけど、すごい難しいことだと思っていて、
だってさ、もちろんね、今日からお見るよって言ってくれるのは嬉しいんだよ。
でもさ、多分行動がガラッと全部変わるわけじゃないじゃない?
そうするとさ、きっと今日からお見るっていうのは覚悟でもあると思っていて、
絶対今、だんちゃんは覚えてないかもしれないけど、きっと引き継ぎされてるんだよ。
で、こういうことがあって大変だったんだとか、
で、だいちゃんって子は特に声をして、本当に先生困らせてさとかも多分聞いてるはず。
僕も現場にいたし、なんとなくそういうのって悪口を言うわけじゃないけど、
ちゃんと事実としてこういうような特性があるんですよとかはさ、
引き継がれることが多いと思うんだよね。
それをどう受け取るかっていうのは別にしても、
それがありながらあの言葉を言えてさ、
で、実際にこうやって受け止めてくれるって多分何大抵のことじゃないと思うんだよ。
だから今はね、本当ありがたいなって聞きながら思ったね。
で、それをね、書いてたら、ほめてくれて、で、帰りの回でね、それこそね、紹介してくれたんですよ。
だいちゃんがね、こういうの書いたんだよって言って、教室にね、掲示飾ってくれたんですよ。
で、そこでね、僕、ここにいていいんだって思ったんだよね。
で、なんか算数やらなくてよかった、ラッキーとかって一切思わなくて、
あ、なんか今ここにいる自分がここにいていいんだっていう、これも初めての体験で、
それまでってどっちかっていうと、僕がここにいちゃいけないとか、いないほうがいいなって子供ながら思っていて、
それで、この5年生になって、そのエピソードが、たぶんわりと始まって1週間経たないぐらいだと思うんですよ、算数の始まりで。
これね、すごい印象的でしたね、一つ目。
ダンバル先生、そんな算数の時間にポエム書いてて大丈夫なんですか?
えっとですね、すいません、そのことを具体的にはっきりは思い出せないんですが、
なんか書いた詩を取り上げて、これいいねって言ったことはたぶんありそうだなって、あっただろうな、ちょっと今思い出しました。
ただまあ、普通ね、算数の時間に違うことしていれば、違うことしないでこっちやろうねってことは当然言ってると思うんですけども、
でもその時の子供たちの状況って様々なんでね、もしかしたら私の身を盗んで書いたかもしれないし、書いてるのはもしかしたら黙認してたかもしれないけども、
でもその書いた詩は、たぶんすごく良かったんだと思うんですよ。
だからそういう時には、私自身の書いたものについては、すごくいいなと思ったからこそ、たぶん帰りの回だったり、
何かの場面で他の子たちに紹介して、だいちゃんこんな詩書いたんだよっていうような紹介はしてたかもしれないですね。
でもだいちゃんはそれをはっきりどっかで覚えてくれたんですね。
僕からしたら、帰りの回で最初に詩を書いた人がいますって言った時に、これ鮮明に覚えてるわけじゃないけど、絶対ね、やべって思ってんだよ。
いやそうそうでしょ。
はい怒られるって思ってたら、褒められたって、これまた衝撃だよね。
でね、その後算数、ちゃんとやれたかどうかは覚えてないけど、僕たぶん算数やってるんですよ、その次の集とか。
これってなんかすごいパラドックスというかね、その場でやってないから怒んなきゃいけないとか、注意しなきゃいけないとかって、
葛藤はあると思うんだけど、そのタイミングで僕を認めてね、褒めてくれたっていうのが、実は算数をちゃんとやるようになったっていうのは、教育だなって思います。
授業中に別のことやってても、それダメだぞって言います。算数の授業だぞっていうことはしないんですか?普段から。