2024-09-30 39:43

#100 大ちゃん、恩師に会いに行く① ゲスト:檀原延和先生

spotify apple_podcasts

僕たち「ほぼ教育最前線」は、ついにエピソード100本目を迎えることができましたー!!

聴いてくださっているみなさまのおかげです。いつもありがとうございます!


100回の特別編は、大ちゃんが小学校の先生になりたいと思ったきっかけを作ってくれた、小学校時代の恩師に会いに行っちゃいました。

問題児だった大ちゃんが、始業式のたった1日でガラッと変わったといいます。

みなさんも、ご自身の恩師や青春時代を思い出しながら聴いて下さいー!


そして!この度、「ほぼ教おたよりフォーム」としてご意見・ご感想の窓口を作りました。


・応援メッセージ

・大ちゃん・つぼけんへの質問

・番組へのご意見ご感想


など、ぜひお気軽にお寄せ下さい!

一部番組でも読ませていただこうと思っています。


https://forms.gle/FNjmUKtDRNyuD4wZ8


こちらもぜひよろしくお願いしますー!


=


《 ゲスト:檀原 延和 先生 》

大ちゃんが小学校5、6年生の時の担任で「ほぼ教」の大ファン。

現在、東京都小金井市立南小学校の校長。子どもたち、教職員、地域の方々と一緒に協力し合って、今日が楽しく明日が待たれる学校づくりに取り組んでいる。

小学校の先生として順風満帆に活躍していた大ちゃんが退職し、「先生の幸せ研究所」や「ほぼ教」で、新たな教育のムーブメントを起こしていることを知り、何か突き動かされる感情をおぼえる。

また、ヒロックの蓑手先生が「自由進度学習のはじめかた」を執筆したときの学校の校長で、蓑手先生の公立小学校での様々な実践、コロナ一斉休校時の対応を現場で応援し見守った。



《 つぼけん 》


大学の自主映画サークルで映像制作の面白さを知り、映像の制作会社に入社。カメラマンディレクターとして、北極🐻‍❄️から南極🐧まで世界各地で撮影をしてきた。現在は「月曜日に会いたい人をふやす」をテーマに、映像🎥・写真📷・Podcast🎤などメディアを横断して活動中。



《 大ちゃん:大野大輔 》


共育ファシリテーター。

学校と自分が嫌いだった学生時代を、ある恩師が幸せに変えてくれたことがきっかけで教師の道を志す。10年勤めた公立小学校を退職し、現在は(株)先生の幸せ研究所のコンサルタントとして全国の学校園の伴走型支援を行うなど、「教育をもっと自由に」をテーマに活動している。

○(株)先生の幸せ研究所 コンサルタント

○鎌倉市教育アドバイザー

○社会教育士


=


感想はX(旧Twitter)「#ほぼ教」でつぶやいていただけたら嬉しいです!

【つぼけんX(Twitter) : @tsuboken_mol】


「ほぼ教おたよりフォーム」

https://forms.gle/FNjmUKtDRNyuD4wZ8

00:03
どうも、お邪魔しまーす。
ありがとうございます。
どこでもいいんだけど、確かに。
ドキドキ、ドキドキ。
管理職の面接試験、緊張してます。
そんなに?
こんにちは、ほぼ教育最前線 あなたにかわって、私が聞きます。
始まりました、つぼけんです。
大ちゃんです。
この番組は、教育ファシリテーターの大ちゃんと、つぼけんの2人でお届けする番組です。
学校教育をはじめ、学びの最前線にいるゲストとともに、ほぼ最前線に迫っていこうと思います。
というわけで、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ついに、われわれほぼ教育最前線、エピソード100本目を迎えました。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
本当に感慨深いですね。
100本目、いやー、もうほぼ3年ですよ。
エピソード100本目、どうですか、大ちゃん。
いや、本当にね、ここまで続くって、僕最初思ってなくて。
思ってなかったね。
本当に趣味というかね、楽しいからやろうよって言って始まったし、
なんなら一番最初、つぼけんから、ポッドキャストやろうぜって言われて、
いいね、最高、絶対やろうって言って、ポッドキャストって何?って言ってくれて。
確か。
わかんなかったよね。
そもそもラジオやろうっていうのも、わからずになぜかつぼけんとやりたいと思って、
いいって言ったんだけど、ここまで来るっていうのは本当に嬉しいね。
本当に、その間、いろんな人との出会いがあって、大ちゃんは職業まで変え、
ガンガン全国に行ってるっていうね、100回でございます。
しかもね、結構100本目楽しみにしてますとか、かなり連絡くれてるんですよ。
今度ちょっと言いますけど、100本目に向けてってことで、ある贈り物が来たりとかね。
また今度の回で話しますね。
わかりました。楽しみでした。ありがとうございます。
ありがとうございます。
そしてですね、この番組の感想。
普段はXQ Twitterでハッシュタグ北部京でポストしてくださいねっていうふうに言ってるんですけど、
せっかく100回なんでコメントを送れるように準備したいなと思ってまして、
このエピソードを聞いた後にご案内しますので、
こんなふうにコメント残したいよとか、相談したいよとか、こんなふうにお便りしたいよっていう方は、
ぜひこのエピソードの最後まで聞いてもらえればなと思っております。
そっちも楽しみだね。
いいね、これ。すごい楽しみ。
どんどん番組内でも取り上げていきたいなと思いますので、お便り寄せてくれるととっても嬉しいです。
というわけで、そんな大切な100回目なんですけれども、今回は特別編でございます。
そうなんですよ。
03:01
僕にとって特に特別な回でございます。
もう3年ほど前、主役が始まる時にもうこの人に来てほしいなって名前が上がってた方だからね。
そう、僕がもうここをある意味目指してきたし、それを100回目っていうね、回数は決めてなかったけど、
メモリアル回で是非っていうのもね、決めてましたよね。
そうですね。というわけで、ついに夢が叶ったということで、今回のテーマはこちら。
大ちゃん恩師に会いに行く。
実際に大ちゃん先生の先生だった人に会いに来ちゃいました。
そうなんですよ。もう実際にね、僕のことを担任してくれていたあの方です。
はい、お前にいらっしゃいます。それではほぼ最前線に行ってみましょう。
それでは本編です。今回のテーマは大ちゃん恩師に会いに行く。
ということで、ゲストは小金井市立南小学校、段原信一校長先生です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
お願いします。
ついに段原先生に会うことができました。ありがとうございます。
つぼけん。
はい、大ちゃんどうした?
この方がダンちゃんです。
ダンちゃん。先生のことダンちゃんって呼んでるの?
もう多分初日からダンちゃんって言ってたと思うんだよな、僕。
先生、担任の先生のことダンちゃんって、ちょっとそれもびっくりしちゃった。
はい、その辺も詳しく聞いていきたいところですが、じゃあ段原先生簡単に自己紹介をお願いします。
はい、大ちゃんが小学校5、6年生の時の担任で、ほぼ今日の大ファンの一人です。
うれしい。
現在、小金井市立南小学校で校長をさせていただいていまして、教職員、子供たち、保護者、地域の方々と力を合わせて、
今日が楽しく、明日が待たれる学校づくりに取り組んでいます。よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
何ですか、その素敵な言葉。今日が楽しく、明日が待たれる。
結構私がもう以前から好きなフレーズで。
もうこれがあればもう他にいらないなと思うような、そういう私のイメージの言葉です。
いや、めちゃくちゃ素敵。
今日が楽しくて、もう明日も楽しみだなっていうことですよね。
そうですね。
学校に来て、もちろんね、授業が楽しいっていうのは多分理想だと思うんですけども、
友達に会いたいとか、あるいはこの先生に会いたいとか、
そういった思いが持てれば子供たちが学校に向かう元気がありますし、
もちろん遊びでもいいかなと思いますし、
そんなことが学校の中に一つでもその日にあれば、また明日学校に来たくなると。
06:05
それは友達の成長につながっていくという思いで、このフレーズを大事にしています。
これはもう教員生活ずっとこのテーマって感じなんですか?
この言葉を具体的に使ったのは、校長になった時の学校の警報信の基本的な考え方に載せるようになったんですが、
この言葉を読むと、細かい学校警報信のすべて、これが裏付けになっているなというふうに思っています。
ありがとうございます。
そんな、今日が楽しく明日が待たれるを大切にしているダンバラ校長先生ですけれども、
大ちゃんのいつの先生、いつの恩師って感じですか?
小学校の高学年ですね、5年生、6年生の時の恩師というか、担任をさせてもらっていました。
なるほど。
大ちゃんは何をしていたのかというと、
5年生のときの担任です。
恩師というか、担任をさせてもらってました。
なるほど。
はい、だいちゃん。
小学校5年生、6年生のときの担任の先生って
今でもつながってるってことなの?
そうなのよ。
僕が、人生がね、変わったのが
たぶんこの2年間であるし、
いいな、学校ってっていうのと、
先生っていいなと思ったのもこの2年間で、
かつこのね、今日が楽しく明日が待たれるって思ってたはず。
この2年間、僕は本当に幸せで、
そのおかげでね、僕ほんと救われたんだよね。
たぶんそのときにこの言葉使ってなかったにしろ、
たぶん体現されていたし、
だから楽しかったんだなって、
僕思ったのを今すごいかみしめていて、
だからそれまでが悪いわけじゃないけど、
それまでは本当に今日がつらくて、
土曜日を待つ日々を僕はずっと過ごしていて、
いわゆる問題児だったんだよね、僕は。
いや、もうだいちゃんといえば、
教室飛び出しちゃっているようなイメージがあったから。
これほぼ教会で何回もしゃべってきたけど、
教室飛び出すは友達に悪口言って、
授業中に喧嘩勃発させて、
プールサイドに逃げて、
授業中に怒られるみたいな。
だからそういうようなさ、僕が2年間、
ゴールデンタイムとか呼んでるんだけどさ、
いい子になったかわかんないよ。
でも本当に2年間幸せに過ごせたっていうのは間違いない。
へぇ〜、何が違うんだろう。
じゃあ、ダンバラ先生、
だいちゃんのイメージって何かあります?
当時思い返すと。
いや、こう、いろいろ思い返したんですけど、
私の中には全然問題児だったという記憶は全くないんですね。
あ、そうなんすか。
ただ、4年生までのことっていうのは、
私も全然詳しく知らないんですけども、
もしいろいろなことがあったとしてもですね、
きっとその時子供たちもいろいろ辛い思いをしたでしょうし、
09:02
学校の先生たちも保護者の方も、
いろいろ大変だったのかもしれないですけども、
きっと4年生から5年生になるときに、
多分いろんな入るとか、いろんな人の思いがそこで、
何か繋がったのかなっていうふうにちょっと感じました。
というのは、例えばクラス替えでいろいろ配慮をしたりとか、
あるいは子供たち自身の中に、
もう既に、例えば4年生のときまでにうまくいかなかったことや、
うまくできなかったことを踏まえて、
もう5年生になったらこういうことをしっかり変えてやろうとか、
こういうところは直していこうとか、
そういった子供たちが変化する準備が、
きっと4年生の終わりまでにできてたんじゃないかなって、
これはもうあくまでも想像なんですけども、
だから、私が出会った5年のスタートのときには、
ほとんどそういう姿が見られなかったのかなというふうに思っています。
そうなのよ、つぼけ。
これね、ダンちゃんほんとにその状態、たぶん知らないと思っていて、
なんでかっていうと、初日で僕たぶん落ち着いちゃったんだよね。
ほんとびっくりするぐらい、
ほら、僕たち子供はさ、去年から続きいなわけ。
だから、初日に、あれ、あいついい子にしてるぞとか、
なんであいつあんなに落ち着いてるんだって、
たぶん思い合ってたと思うんだよね。
で、ダンちゃんはもう初日に、ある意味僕は心をつかまれたわけで、
初日のときに、たぶんがらっと変わっちゃったから、
たぶん知らないって事実なんだよね。
なんで?なんで初日で変わっちゃう?
いや、これね、僕が覚えてるのは2つのエピソードがあって、
僕はね、先生イコール、怒るっていうのがしょうがなくすり込まれていて、
これあれですよ、先生悪くないですよ。
僕が悪いことしてたから。
そうね、飛び出してっちゃうからね。
で、僕ね、初日にね、新しい先生だと思って、
スタスタスタって前の方に行ってさ、
で、ダンちゃんのあごひげをジョリジョリって触ったのよ。
急に。
これさ、普通だったら問題児扱いされるし、
やめなさいとかなっても別に仕方ないじゃない。
でね、そのときありがとうって言われた記憶があるんだよね。
あごひげ触ってくれてありがとう?
あごひげ触ったら、ダンちゃんにありがとうって言われたんですよ。
これが僕の中の人生一番の衝撃でね、
当初考えられない。
怒られるか?とか、どんなこと言われるだろうってちょっと構えてたら、
ありがとうって言われて、もう多分そのときちょっと止まったんだよね、フリーズして。
だからそこはね、今聞きたいなと思ったんだよね。
絶対覚えてないと思うんですけどね、そんなことで。
12:00
もう何年前だよって話だから。
触ってくれてありがとうってことなんですが、それどういうことなんですか?
えっとですね、これあごひげ触られてありがとうって言った記憶は正直ないんですよ。
そりゃそうだよね、こんな前のことね。
ただもしかしたら、初めて担任になって教室にいる担任とかにわざわざそばに来てくれて、
あごひげ触っただけじゃなくて何か話しかけてきたんじゃないかと思うんですよね。
でもそれって、なんか私の感覚では向こうの方から声をかけてくれるとか、
そういうのはすごいありがたいことじゃないですか。
例えば街中であった、こっちはなかなか名前と顔が一致しない子でも、
お田原先生って話しかけてきてくれると、そこでなんか話が会話が弾んで、
声かけてくれてありがとうねなんていうことは結構やっぱりあるので、
もしかしたらその流れで、だいちゃんはあごひげを触っただけだと思ってるかもしれないけども、
やっぱりそばに来てくれて声をかけてくれたっていうのは、
まず向こうの方から先生とコミュニケーションをとってくれたっていうのは、
すごい子供にとっては大きな勇気も必要だっただろうし、
それに対してありがとうって言ったのかなーってちょっとそんなふうに思っています。
いやー、そんな感じかも。
なんかすごいニコニコしてたんだよね、だんちゃんが。
で、ありがとうって言って、みんなもそこに5、6人いたんだよ。
で、なんかそれでだんだんだんだんこう集まってきて、
結構な数、休み時間でさ、みんなで喋ったのを僕は覚えていて、
たぶんその来てくれて嬉しいよとか、みんなのことをもっと知りたいんだよみたいなところが、
でも子供ながら伝わったんだろうね。
へー、めっちゃいい話。
だからまあ無言であごひげをつかんで引っ張ったわけじゃなくて、
なんかこうコミュニケーション取りたかったんだよね、子供としてはね。
たぶんそうだと思うよ。
新しい先生だし、先生先生って話しかけに行ったことだったんだろうね、きっとね。
そう、で、たぶんその2つ目のね、僕のエピソードにつながるんだけど、
僕があごひげ触りに行こうと思ったきっかけの言葉があって、
僕は、僕でだんちゃんね、
みんなの前で、子供たちの前立ちながら、
たぶん最初の1、2フレーズ目に言ったのが、
僕はたこのみんなを知らないからって言ってくれたはずなんだよね。
だから思いっきりいいことしていいよっていうふうなことを、
正式なフレーズでは覚えてないんだけど、言ってくれたんですよ。
それって僕たちにとってはすごい救われる言葉で、
やっぱ子供たちってね、実はけっこう感じているんですよ。
あ、去年本当に悪いことしちゃったなとか。
実際、先生もね、ちょっと体壊しちゃうとか、
今は本当に反省してるんだけど、
そういうのがあって、先生が途中変わっちゃったりとか、
あったんですね、実際。
子供たちなりに、なんであんなことしちゃったんだろうとか、
15:03
本当に申し訳ないなと思っているのね。
きっと僕みたいなやんちゃな子って、それからさらに思っていることが、
どうせ僕のことやんちゃって思っているんだろうなって、
引き継いでるだろうし、前のね、先生からも聞いてるんだろうなとか思って、
けっこうビクビクしてるんですよ、初日って。
いかに悪そうな態度をしたりとか、
なんかすごい睨んだりしてる可能性もあるじゃない、こういう時って。
だとしても、心の中ではけっこうビビっていて、
あ、また僕がやんちゃって思われちゃうのかなと。
そんな感情だった中で、この過去のね、これまでのことは知らないから、
思いっきりいいことしていいよ、みたいなこと言われたときに、すごい嬉しかったんですよ。
それでこの人、もうちょっと話したいなと。
で、たぶんアゴヒゲをジョリジョリ言って、
そういうことか。
言ったんだよね。
田村先生、そういう話をすることってありますか?
そうですね。
その時、だいちゃんのクラスで、自分が担任、毎年持つときに一番、
この学級開きって特に大事にしてるのは、
昨日までの君は死にました。明日からの君が好きです。
おめでとうおめでとうっていう、実はそういう歌詞があったんですよね、ある歌に。
で、要するに昨日までの過去の君は死んだっていうことは、今日が毎日誕生日なんですよ。
つまり、今日が毎日みんな誕生日なんだよ。
例えば、昨日まで何か良くないことをしていたことは、もう忘れられていいんだよ。
逆に、昨日までいいことしてたことは、それはもう忘れずに、今日も続けていいんだよ。
毎日君たちは生まれ変わって、少しでも一歩前進した人になってるから。
そういったお友達のいいところを少しでも見つけたら、それを自分の中だけにしまわないで、みんなに紹介してねっていうことを、
クラスの学級開きだったり、学級開きのとき以外でも伝えた記憶があります。
いやー、めっちゃいいな。
めっちゃいい言葉だね。
帰りの間にですね。
特に帰りの間は、私はいつも大事にしていて、あんまり長くならないようには意識はしてるんですが、
必ず友達のいいところを発表しようよっていうことをやってて。
よくね、そういうことをやる参加者さんも多いと思うんですが、
その中のいいことっていうと、すごいレベルの高いことを要求しちゃうっていうイメージが子供たちになるかもしれないんですが、
例えば消しゴムを忘れたときに、隣の子に貸してって言って貸してくれたとか、
あるいは落ちた鉛筆を拾ってくれた友達がいたとか、
まあそういったこと、そんなことはとっても些細なことだけで、すごいことなんだよっていうことで、
それを黙ってたらいけないから、必ずそれは、必ずっていうか、帰りの帰りで発表してね。
そんなことを続けていくと、これでやっぱりヤンチャーな子がいて、
その子が隣の女の子に、隣の大野君が今日拾ってくれました、なんてことが発表されると、
そこで子供たち同士の関係が一気に良くなるんですね。
18:02
自分のことを認めてくれたとか。
あとそういった男の子が女の子とか、女の子が男の子とか、異性の子の発表したときには特に褒めまして、
だいたい中学年、高学年って結構男子が女子がっていう時期があると思うんですが、
まあそういったこともですね、かなり常日頃意識していたので、
だいちゃんと最初の出会いのときにも、こういうことを話したのかなっていうことはあるなと思います。
いやー、素敵。
すごいですから、ツッコケ。
僕が救われた理由わかるでしょ?
すごくよくわかった。
全員に対してこうしてたんだなって思うし。
歌詞、何の歌詞ですか?
実はですね、サダマサシさんの歌の歌詞にあるんですよ。
ハッピーバスだったかな?もしかしたら。
もう毎日が生まれ変わってる、毎日が誕生日だってことですもんね。
そうですね。
一番初めに言ってくださった、今日が楽しく明日が待たれるにもすごくつながっているし、
言葉がすごくよく伝わってきたなと思って、
今日が楽しい子が明日も楽しい、これはもう素晴らしいことじゃないですか。
でも、この言葉の中に今日が楽しくなかった子も含まれてるんだなってことがすごいわかりました。
たとえ今日楽しくなかったとしても、明日待ったらきっと楽しいことがあって、
生まれ変わって、また明日、また明日って言って、どんどん楽しくなっていくみたいなイメージがプラスされて、めちゃくちゃ素敵ですね。
そうですね、本当にどんな些細なことでも学校の中に楽しいことがあればなっていうことをいつも思ってます。
もう本当、例えば給食なんかとっても大きいですよね。
給食が好きってだけでも子供が学校好きになる子たち、
本当、些細なことでも学校の中に楽しさを作りたいなといつも思っています。
いやーだいちゃん素敵、もうこれは恩師って言うわ、本当に素敵だな。
でね、これってさ、言葉で言うの簡単だけど、すごい難しいことだと思っていて、
だってさ、もちろんね、今日からお見るよって言ってくれるのは嬉しいんだよ。
でもさ、多分行動がガラッと全部変わるわけじゃないじゃない?
そうするとさ、きっと今日からお見るっていうのは覚悟でもあると思っていて、
絶対今、だんちゃんは覚えてないかもしれないけど、きっと引き継ぎされてるんだよ。
で、こういうことがあって大変だったんだとか、
で、だいちゃんって子は特に声をして、本当に先生困らせてさとかも多分聞いてるはず。
僕も現場にいたし、なんとなくそういうのって悪口を言うわけじゃないけど、
ちゃんと事実としてこういうような特性があるんですよとかはさ、
引き継がれることが多いと思うんだよね。
それをどう受け取るかっていうのは別にしても、
それがありながらあの言葉を言えてさ、
で、実際にこうやって受け止めてくれるって多分何大抵のことじゃないと思うんだよ。
だから今はね、本当ありがたいなって聞きながら思ったね。
21:05
とっても素敵な関係だってことがわかってきました。
ダンバラ先生的には、だいちゃんは問題ではもうすでになかったっていうことで言うと、
どんな印象っていうか、あの時の小学校の大野君はこんな子だったなっていうのはあるものなんですか?
そうですね、今回この補強の話し合った時に、
だいちゃんの小学校の時の記憶っていろいろ思い返したんですけども、
すごいクラスの中で目立つ子だとか、表に出て今のように活躍してたっていうイメージが、
たくさん思い浮かんでこなくて、印象としては積極的に声を出すわけだったわけじゃないし、
どちらかと言うとそんなに目立たない方というか。
あ、そうなんだ。
目立たないというかシャイだったんですよね。
シャイで、友達とはよく一緒に遊んだり関わりはしてたんだけども、
授業の時とか、じーっと友達の様子を見たりとか、
時には多分先生の様子をよく見てたりとか、
クラス全体の様子を見て観察をして、
でもその姿に私のイメージが、なんかうちに秘めたものをどっか持ってるなという印象はすごく残っています。
あと目つきがですね、目つきって言い方は良くないんですけども、
今本当にダイちゃんの笑顔って最高ですよね。
だけど、くって何かを見定める時、鋭い目つきになる時もあるんですよ。
その鋭い目つきの時と、笑顔のダイちゃんの顔と、その両方が私の中には印象に残ってますね。
あとは運動神経抜群でしたし、野球が好きでということで、
お友達にも優しい、本当に可愛らしい丸坊主のダイちゃんの印象が、私の中での思い出ですね。
ちょっとツボケン聞いてよ。
僕、シャイだったんです。
で、多分今丸坊主って出たじゃん。
あれも野球ではさ、丸坊主がその時はやっぱり決まりになってて、
なんかね、5年生になってからなんだけど、急に恥ずかしくなってきて、
僕、毎日ね、工房かぶってたもん。
あ、丸坊主はしなきゃいけないんだけど、坊主は恥ずかしいから帽子かぶってる。
で、それまでは全然恥ずかしくなくて、
で、多分、これ今あれだよ、完全に想像で話すけど、
きっとその時のダイちゃんは、ちょっといい行動をたぶんしだした時期でしょ?
そうするとさ、僕の中のある意味のアイデンティティである、悪いことをして目立つっていうのがなくなったんだよね。
で、そうするとさ、なんか小恥ずかしいっていうか。
デビューじゃない?これって、わかる?
デビューした自分が恥ずいとかって、きっとあったんだろうなって思ってて、
それが象徴的なのが帽子を。
来る時とかさ、登校下校をかぶるのは大体、
24:01
公募がある学校はそうじゃん。
で、僕ね、授業中もかぶってたんですよ。
で、それってなんか、単純に、いや、俺好きだからとか、たぶん当時言ってたんだけど、恥ずかったんだよね。
で、そんな帽子かぶってれば恥ずかしくないっていうのも、なんかダンちゃん認めてくれてて、
僕ね、写真、今見返すとね、結構な割合で帽子かぶってるんですよ。
それぐらい、けっこうシャイな面があったんですよ。
じゃあ、まさしくもう4年生から5年生になって、5年生の始めの頃っていうのは、
こう、生まれ変わろうとしている、幼虫が成虫になるみたいな、トランスフォームしてる、ちょうど中間みたいな感じだったんだね、きっとね。
そうだね、これで恥ずかしいんだよっていう気持ちはね、なんか知っておいてもらえると嬉しいかもしれないね。
だから、怒ることをする子いるじゃないですか。
あれって、ほんとにもしかしたら、自分を表そうと頑張ってるのかもしれないんですよ。
せめて何もない自分とか、なんか何かできない自分を目立たせるための方法としてやってる子もいるんですよね。
それが自分になっていて、だからなんか、ただただ怒るとかどうなるのではないアプローチが結構有効っていうのは、
なんかダンちゃんが教えてくれた気がするね。
素敵です。ありがとうございます。
そんなわけで、生まれ変わろうとしている小学5年生のだいちゃんでしたけども、授業とかは受け方も変わってきたって感じなの?
だいぶ変わったんですよ。
で、僕、これ絶対ね、ダンちゃん覚えてないと思う。
僕、実際に教員やってたからわかるけど、思ったより子供たちの方が覚えているっていうのがあると思っていて、今から2つエピソード言っていいですか?
1つはね、僕は算数がめちゃくちゃ苦手で、ほんとすごい簡単な計算とかもできなかったんですよ、5年生で。恥ずかしながら。
算数の授業中もね、なかなかもうわかんないわね、僕。
すごいガラッとね、デビューして変わったとはいえ、すぐにそんな学べるわけでもなかったんで、僕、算数の授業中に、今覚えてるんだけど、詩をね、詩を書いてたんですよ、ポエム。
ポエム?算数って。
ポエム書いてたんですよ。
で、それって多分普通の先生だったら、おそらく何やってんだとか、算数やんないのとか言われるし、で、僕、言われると思ってたのよ。
そしたらなんかそれをね、すごくほめてくれて、で、できたら教えてって、授業中に言ってくれたんだよね。
で、そのときに書いてたのが、時の流れっていう詩で、時間を大切にしようっていうようなメッセージなんですよ。
で、なんかこれまでに、僕がけっこうやらかしちゃったりとか、いろんな迷惑をかけたことの反省をあらわす詩でもあったの、あたあとに。
27:03
で、それをね、書いてたら、ほめてくれて、で、帰りの回でね、それこそね、紹介してくれたんですよ。
だいちゃんがね、こういうの書いたんだよって言って、教室にね、掲示飾ってくれたんですよ。
で、そこでね、僕、ここにいていいんだって思ったんだよね。
で、なんか算数やらなくてよかった、ラッキーとかって一切思わなくて、
あ、なんか今ここにいる自分がここにいていいんだっていう、これも初めての体験で、
それまでってどっちかっていうと、僕がここにいちゃいけないとか、いないほうがいいなって子供ながら思っていて、
それで、この5年生になって、そのエピソードが、たぶんわりと始まって1週間経たないぐらいだと思うんですよ、算数の始まりで。
これね、すごい印象的でしたね、一つ目。
ダンバル先生、そんな算数の時間にポエム書いてて大丈夫なんですか?
えっとですね、すいません、そのことを具体的にはっきりは思い出せないんですが、
なんか書いた詩を取り上げて、これいいねって言ったことはたぶんありそうだなって、あっただろうな、ちょっと今思い出しました。
ただまあ、普通ね、算数の時間に違うことしていれば、違うことしないでこっちやろうねってことは当然言ってると思うんですけども、
でもその時の子供たちの状況って様々なんでね、もしかしたら私の身を盗んで書いたかもしれないし、書いてるのはもしかしたら黙認してたかもしれないけども、
でもその書いた詩は、たぶんすごく良かったんだと思うんですよ。
だからそういう時には、私自身の書いたものについては、すごくいいなと思ったからこそ、たぶん帰りの回だったり、
何かの場面で他の子たちに紹介して、だいちゃんこんな詩書いたんだよっていうような紹介はしてたかもしれないですね。
でもだいちゃんはそれをはっきりどっかで覚えてくれたんですね。
僕からしたら、帰りの回で最初に詩を書いた人がいますって言った時に、これ鮮明に覚えてるわけじゃないけど、絶対ね、やべって思ってんだよ。
いやそうそうでしょ。
はい怒られるって思ってたら、褒められたって、これまた衝撃だよね。
でね、その後算数、ちゃんとやれたかどうかは覚えてないけど、僕たぶん算数やってるんですよ、その次の集とか。
これってなんかすごいパラドックスというかね、その場でやってないから怒んなきゃいけないとか、注意しなきゃいけないとかって、
葛藤はあると思うんだけど、そのタイミングで僕を認めてね、褒めてくれたっていうのが、実は算数をちゃんとやるようになったっていうのは、教育だなって思います。
授業中に別のことやってても、それダメだぞって言います。算数の授業だぞっていうことはしないんですか?普段から。
30:04
いやそれは注意は当然してたと思うんですけども、
子供たちって算数の時間に限らず、今の子供たちの姿って、そこで100%の完成形を求める必要があるのかなっていうのをいつも考えちゃうんですね。
今はその子のしたいことにもちゃんと理解を示したり、でもそれが大ちゃんの言った中身って言っても、確かにそうだった、それはよかったなと思ったのは、
その時にその子を認めたことが、次の行動をその子が変えようっていうきっかけだったり、エネルギーになることって私いっぱいあると思うんですね。
ですから、強制的に斜めなさいって前斜めとか何とか曲がってるとかっていうのを昔は当たり前のにやってて、それもそれじゃないってわけじゃなくて大事な面もあるんですけども、
じゃあできない子があって力づくで叱って今できるようにすることよりも、ゆっくりその子が時間が経ったり何週間なりあるいは何ヶ月何年か経った時にこういう子になればいいっていう姿がイメージできてれば、
今この瞬間を感性系にする人は、私はそんなに必要ないなと思っていて、むしろその感性系にするためにその子を傷つけてしまうことの方が、
後になっての悪影響とか、その後の先生との関係が悪くなるってことにもなるでしょうし、そこのバランスとか状況判断っていうのは常に気を使っているなと思う、
いい思いを今でも持っています。当時そういう風にしてたかどうかはっきりちょっと覚えてないですけども、もしかしたらそういう感覚でやってたのかなっていう気はします。
すごい。
すごいでしょ。
これは恩師だわ。
今の重ねてもう一個いいエピソード。
お願いします。
僕宿題やれなかったので、これって多分怠けもあっただろうと、当時の僕だから。
でももう一個の側面は本当にわかんなかったんだよ。特に算数は家だと無理。わかんない。
で、お家でも悪い子だったんで、父母に聞くなんかもできないわけですよ。
で、兄弟とも喧嘩しまくってたんで、兄弟も聞けない。そうするとさ、僕一人ではできなかったんだよね。
だから僕宿題やらなかったんだよ。
で、その代わり、僕犬大好きで当時。
その犬を探求するっていうので、僕犬の自主学習ノートを毎日ね、書いてたんですよ。
なんて犬。算数の宿題やらないで。
そのきっかけが、いきなり毎日書き出すとかいう意欲もなかったから、僕なんとなく犬のこと調べて、それ書いて持ってったんだよね、ダンちゃんに。
で、それですごいねって言ってくれて、たしかそのときがね、1枚目だからファラオハウンドっていう、当時その昔エジプトで、かなり前に犬が飼われていたんだって事実を知って、僕がたまたま。
33:02
で、僕犬の図鑑を読んで、それで書こうと思って、ファラオハウンド調べてさ。
で、これはファラオ王の側近にいた人よりも地位が高い犬、書いてるのを持ってったらすごい喜んでくれて、きっと宿題のこともね、もしかしたら注意とかしたかもしれないけど、僕は嬉しかったんだよね。
で、そっから僕あれですよ、犬全種、当時の図鑑に載ってる全種類、僕毎日書いて持ってったんですよ。
当時はもう歩いてる犬とか見たら、あれ何々だよ、ハスキーだよとか、全部言えたんですよ。
当時宿題やんないで何やってんだっていうことも多分できたし、でもそれ潰さないでいてくれたおかげでさ、こうやって意欲がさ、どんどんどんどん湧いてきたっていうのもありがたいなと思ってるんだけど、絶対覚えてないよね、ダンジョンに。
この話、私も今思い出したんですけど、だいちゃん家にかわいい犬がいて、家庭訪問のときにもすごく可愛がってるっていう印象がすごくあって、
あー、そうなんだ。
だいちゃんがその、これもうほんとボロ毛なんですけども、だいちゃんがその犬の図鑑を書いて、何枚か書いたって覚えてるんだけど、何百枚も書いたとかってところまでは正直にすいません、言うとちょっとはっきり記憶にないんです。
ただその宿題っていうことに関しては、もう私自身が結構決められた宿題、例えばこの漢字は1行全部10回必ず書いてきなさいとか、強制的にね、そういった宿題の出し方っていうのは自分もやる立場になると嫌だなと思ったので、
ずっと初任者の頃から宿題ってもうちょっと合理的にできないかなとか、だから私は例えば漢字だったらドリルに全部、この5問は何月何日にやるよっていうのを全部子供に書かせるんですね、ドリルに。
そのハードルの低い5問テスト、ミニテストをやるんですけども、だから子供たちは、当然漢字は覚えないとならないですから、ハードルの低いミニテストをやるために勉強してくると。
勉強してくるのであれば、別に覚えてる漢字を何回も練習する必要ないので、回数は覚えるまで書けばいいよと、そういった出し方はしてたかなと思うので、宿題を出す意味っていうことについては自分なりに考えたかなと。
だいちゃんがそういう中で今話を聞いて、自分で調べてみたい、まさに今でいう探究ですよね。
まさしく。
もうそれをだいちゃんがその時にやってたっていうのを、ちょっとはっきり覚えてない、今自分が。
申し訳なくて、本当にだいちゃんに申し訳なかったんですけども、それをだいちゃんの思いを潰さなくてよかったなって、今ちょっとほっとしています。
いや、ほんとさ、逆に覚えてたら怖いから大丈夫ですよ、だいちゃん。
そういうもんなんですね。
ほんと僕、今思い出したのが、犬調べるの楽しくなっちゃって、めちゃくちゃ褒めてもらって、僕それで犬飼ったんですよ。
元々飼ってたけど、どういうこと?
36:01
確か調べだして、それで楽しくなって、で飼いたいってお願いしたはず。
そうか、調べるのが先だったんだ。
そうだよ、それで北海道犬っていうの飼ってさ。
思ったよりでかくなって、家族会議したみたいな。
でかいですね、お母さん。
凶暴になりすぎて、僕の友人2人くらい噛みつくっていうのがありまして、でもそれも探求士に火がついたんだよね。
そこから、例えば育て方を知りたいから、医学的なことの本も買ったし。
だからそう考えたらね、つぼけん考えたよ。
宿題をそこで強制にやらせて、算数やったらやっていいの?とか言われたら、今の僕ないかもしれないよ。
本当だわ。
今では、毎年100冊以上必ず読むような大人になれたのも、もしかしたら繋がってるよね。
本当そうだ。
まさしく探求だし、自分で目当てを決めて勉強するっていう意味では自由心度かもしれないし、今話題に出てくる勉強の仕方が集まってる感じもするね。
その子の人生を見てあげるって大事。
今その瞬間での捉えっていうのは結構怖いんだよね。
宿題ってそもそも何のためかとかもあると思って、そうすると僕を潰さずに、僕の探求士の目を育ててくれたって観点では最高だよね。
素晴らしい。
ダンちゃん、ありがとね。
いや、全然もう深くこんなこと当時は考えてなかったと思うし、
でも多分いつも大事にしてるのは、そこで子供の心を傷つけちゃったらいけないなっていうことはいつも意識しているので、
本当にその時に大ちゃんのことを潰さなくてよかったなと、今本当にホッとしてます。
ラストエピソードは、ダンちゃんが給食じゃんけんで切り干し大根もらえずにめちゃくちゃ落ち込んでたっていうエピソードだったね。
最後にお伝えして。
いっぱい言いたいことまだまだあるんだけどさ、これ以上喋ると終わらなくなっちゃうんで、この辺で。
はい、どうもありがとうございます。小学校の頃の思い出をたくさん伺いました。
はい、というわけで改めましてツボケンです。
最後までお聞きいただいてどうもありがとうございます。
エピソード100回の特別編、お楽しみいただきましたでしょうか。
今回はですね、大ちゃんとダンバラ先生の小学校時代の思い出をお伝えしたんですけれども、
実はですね、大ちゃんが先生になりたいと決めた日は高校3年生の時だったんですね。
その日の様子は次回以降お伝えしたいと思います。
39:03
さて、冒頭にお伝えした番組へのお便りについてのお知らせです。
このエピソードの概要欄にですね、ほぼ卿お便りフォームとしてURLを記載してあります。
応援メッセージであったりとか、大ちゃんツボケンへの質問、番組へのご意見ご感想などなど、
どんな内容でも大丈夫です。
ぜひぜひお伝えいただけるととっても嬉しいです。
番組でも読む可能性がありますのでね、大ちゃんへの質問、学生さんの質問スペシャルみたいな、大ちゃんへの質問というのもいいかもしれません。
それではまたエピソード101回目でお会いしましょう。
いつも聞いてくれてありがとうございます。
また次回。
39:43

コメント

スクロール