そうね。実際に困っちゃったらね、なんとかなんとかしてくれよって。
親どうなってんだよって思っちゃいますよね。
これはどうなんだろう、私最近の親も何もちょっと時代比較ができないからあれなんだけど。
だいちゃんとかはどうなんですか?
ねえ、ムースさんいいね、なんか宿徳の有吉みたいな。
結構ドッグ入ってくれて。
有吉。
結構好きだな。はっきりしてるのが好きだわ。
いやー素晴らしい。
たぶんムースさんの言葉聞いて、そうだそうだって思う人はたくさんいるだろうし、
たぶん学校関係者でも結構聞いてくれてる方いますけど、超共感しますよね、たぶん。
ここから僕もちゃんと意見述べないとだめだよね。
これ炎上案件だからね。
でもここで逃げたらほぼ今日じゃないですよ。
なるほど、お願いします。
都会でちゃんと保険かけるんですけど、やっぱりくぐっちゃいけないよね。
集合が大きいって、僕も本人も言ってたよね。
ムースさんも言ってたけど、僕もちゃんと言いたいのは、本当に昔からそうだけどね、
すごくいい保護者もいれば、ちょっと学ばなきゃいけないぞっていう保護者もいて、
じゃあ、自分がどっちに入ってるかって言ったらね、本当に僕めちゃくちゃ情けない親でして、
保護者として。
僕がね。だから、親になって分かったけど、親って大変ね。
分かる。
ちゃんと保険かけたので、僕意見言いますけど、やっぱり昔と今とか比較って、
本当、部分のね、保護者で比較できないから難しくて、あえて部分で言ってみるよ。
やっぱり、たりつだったり、うのみみたいのはすごく感じたのが正直なんですよ。
例えば、たりつって意味ではさっきのね、ムースさんの事例でもあったけど、
これが本当に先生のせいなんだっけ?みたいな責任の乗せ方をしてくるっていうのは、
僕何度も正直経験あります。
なんかね、うのみっていう言葉ね、これは結構増えたと思ってる。
例えば、子供が家に帰ってきてね、
ママ、僕何々くんにすごい殴られたとか、嫌なことされたって言ったら、
そうなの?分かった。私が何かしてあげるって言って、電話をバーッとかけて、
あなた知ってますか?これ。うちの子。泣いて帰ってきたんですけど、どうなってんですか?みたいな。
クレームみたいな。これはやっぱり数としては増えてます。
実際これリサーチが国としてもされていて、クレーム件数だったり増えてるんですよ。
うん。
だからそういう意味では、たぶんムースさんが思っている最近のおやってっていうテーマは、
インターネットとかだって、生まれてほんのね、20年とか、20何年?
SNSとかが活発になってまだ十何年とか、そんなもんでしょ?
うん。
だからなんか、社会のあり方が追いついてないままに、困りごとがね、あちこちに多発しているから。
昔だったらこういうふうに、近所の、それこそその近所ネットワークで解決できてたものが解決できなくなっちゃったりとかもするし、
昔だったらね、自分の目の前の親に相談すればよかったのが、もう社会のありようも違うし、親も離れてるしみたいな感じで、全然サポートも受けられない。
誰も正解を知らないような子育ての世界の中で、一人一人が戦ってるような状態。
みんな知らないんだよね、どうしたらいいのか本当に。
うん。
分かんないからこそすごい不安だし、確かになんかそういうのはあるだろうなって。
で、それでいてまたそのね、なんか声を上げるのがまたこう自由になってきてるのもあるじゃないですか。
うん。
昔より声を上げやすくなって、それいい面でもね、困りごとが多分顕在化しやすいっていう意味ではもちろんいい面ももちろんあると思うけれども、
その分苦情とかそのクレームっていうのも届きやすくなっちゃう。
悪い面ももちろん距離一体であるんだろうなって。
だからやっぱそこのね、クレームの数の増えからやっぱ親御さんの困りごとにやっぱ視点がいく大チャンはやっぱすごいなと思うし。
そうね、大チャン。
でもやっぱりそういう、ムーンさんもでもね、そういう時代の変化をね、そうやって感じるんだなっていう。
そうだよね。
なんかだって20年前生きてなかったはずじゃない?大学生ぐらいだったらね。
そうね。
そうそう、その頃の時代を知らない人でもなんかやっぱりその危機信号という危険信号を感じるアラートがなるんだなと思って。
今の子育てのこの現状に対して。
確かにね。ムーンさんがさ、学校の先生のリスペクトについて触れてたと思うんですけど、やっぱりリスペクトが薄れていった。
これやっぱり事実の部分あると思っていて。
例えば、学級崩壊って言葉、これって誰が生んだ言葉かって、元々たどるの難しいけど、よく言われるのは、確かNHKのドキュメンタリーで初めて公に出てきた言葉だったはずなんですよね。
そこらへんからたぶん、ある意味の煽りみたいなのが出てきていて、うちは大丈夫なんですか?とか。
もう一個、新聞社名は言えないけど、マイナスな情報なんで。
学校の先生にもっと物申していくべきだ、みたいなのは、実はかなり出てたんですよ。
で、やっぱり学校は社会構造が変化したのに変わらないでおかしいから、もっともっと保護者地域から声を上げていかないと学校変わらないから、もっともっと行っていいんだよ、みたいな。
地域限定されるとあれだから、愛知県のほうの学校で保護者の方と対話するみたいな場を作ってる学校があるんですよ。
それが、けっこう本音で話せるすごくいい場をたくさん作っていて、そこもちろん自由参加なんだけど、かなり来るんですよ、人。
先生と保護者が頻繁に話せたりとか、それだけではなくて、授業をね、保護者地域の方が見に来るみたいな機会もたくさんあるんですよ。
それで見た後に対話するとか、これって負担が増えるように見えて、負担が軽減されていくっていうのは、その学校の先生たちが言っていて、
良好な関係になっていくことで、いろいろ相談もできるし、知らないがゆえに起こるトラブルはかなり防げているんですよ。
その学校ね、退勤時刻めちゃくちゃ早いのね。残業時間超少ないし、質の高い教育もできてる。
で、保護者の方、地域の方と触れ合う時間をたくさん作ってることで、知っている状態が作れてるんですよ。
で、一番最初の対話会で僕とファシリテーションやらせてもらったんですけど、その中である保護者が言ってたのが、
あ、先生も人間だったんだって。
これ、そのレベルからやっぱり話さなきゃいけなくて、
あ、なんだ、そんな働いてるって知らなかったとか、
あ、先生もそんなこともやってくれてるんですねとか、
これ反対もあってね、保護者って朝学校に送るっていうのがどれだけ大変なのかわかりましたとか、
お互いの苦労してる部分とか、創意工夫してる部分とかを知っていくことで、見えてくるものってたくさんあるじゃないですか。
そういうのやってるって学校があって、すごいシンプルだけど、お互いを知り合うっていうのを充実させていくだけで、
ほんと見違えるような姿でなるっていうのも結構ありますね。
ちょっと聞いてみたいんですけど、私もね、ぜひね、そういう先生の本音みたいな、
もう本当に個人としての話をね、ぜひ聞きたいなと思うんだけど、
例えばそれって、保護者会みたいなのってあるじゃないですか、段階とか。
授業参観とは別に、クラスで先生と話せる場とかってあるんだけど、
全然そんな雰囲気にならないんだよね。
先生は先生っていうかさ、やっぱ先生としてそこに立っちゃうみたいなのってどうしてもやっぱりあって、
なかなか本音トークにお互いにならないんだけど、
そういう、なんだろう、同じ先生と保護者が集まってる場でも、
全然多分質が違うんだろうなって思うんだけど、
そこに例えば第三者の介入って必要なのですか?
第三者いなくてもそういう場で作れるものなのか。
どうだろうね、なんかいろんな切り口はありそうだけど、
まあなんか、無理なくちっちゃく作るなら何気なくこう接する場面とかってあって、
なんかそこら辺で5分ぐらい話してみるとかでもね、いいかもしんないし、
それぐらいから始めるってのもありだしね、
あとはなんか保護者会のあり方とかもそうだし、
なんかそういう構造的なね、ものをこう変えるとしたら、
それなりに組織として動くものがあるから、
第三者みたいなのをね、活用して変化させていくっていうのはもちろんあるけど、
一保護者としてなんかできることとしたら、
たまに会う場面で何気なくこうちょっと開示してみるとかね、
自分からね。
うんそうそうそう。
あとは先生のパーソナルの部分聞くっていうのは、もしかしたら聞きにくいかもしんないけど、
なんか人間見合うような話をするようなところから始めてみると、
いいかもしれないとかあるけどね。
なるほど。
超個人的な興味があることを聞いてしまいました。
全然、めっちゃど真ん中だったと思う。
意外と嬉しいんだよ。
そうなのか。
聞いてもらうとか、そういう話ができるっていうのは全然嫌いじゃないし、
そういう機会が少ないっていうのは事実だからね。
本当は多分先生たちもそういう機会作りたいと思ってるかもしれないけど、
学校としてそういう全体で決まってるから、なかなかできないっていう人もいるだろうし、
働き方改革とかね、今たくさんこう言われて、僕も推進してる立場ですけど、
それがゆえにそういう機会が減ってるっていうのもあるわけだし、
本当難しい中だけど、実際そうやってね、お話するっていうのは全然嫌いじゃない人が多いと思うから。
なるほどね。なんかその肩書とかさ、立場を背負って話すと、
やっぱなかなか難しいのかな、そういう対立向上になりやすいのかなと思ったんですよ。
やっぱりなんか話を聞いてて、親御さんからのクレームとかも、
立場っていうものを背負っちゃった瞬間に言えなくなることがあったりとか、
あるある。
そうそうそうそう。なんかそうじゃなくって、やっぱその手前の段階でなるべくね、
ある程度肩書きはあるんだろうけど、1対1とかね、個人と個人として何かシェアできるものが増えるだけでも、
全然物事に対する見え方って変わるだろうなと思うし、
思いやりの部分ね、相手の向こう側、だいちゃんが言ってくれて、母さんにも事情があるかもなとか、
目の前で起こってることだけじゃないところに目が行きやすくなるんだろうなっていうふうに、
お互いに、親側も先生側も思って。
確かに。
私もじゃあ非常に個人的だけど、ちょっと自己開示を。
しに行く。
はい、しに行こうかなと思いました。
ありがとうございます。
ムーさんもありがとうございます。
そうそうそう、そう思いました。
このムーさんのね、親の方から、なんでなんだよって来ちゃったから、うーって、なんなんだよって思っちゃうけど、
その親の方が、もしもちょっと今まで見れてなかったけど、やっぱりその子のために真剣に向き合いたいって思ったから、
ちょっと成績上がる方法一緒に考えませんかっていう態度だったら、