1. 本語り~読んだ本について語るひととき~
  2. #047 武烈天皇は本当に暴君だ..
#047 武烈天皇は本当に暴君だったのか/『継体天皇』/本語り
2026-10-04 19:27

#047 武烈天皇は本当に暴君だったのか/『継体天皇』/本語り

いま話題の『継体天皇』をとりあげ、過去に百舌鳥・古市古墳群を実際に歩いた経験も交えながら、継体天皇を日本の世襲王権の始祖とみる見解や王統交代をめぐる議論を紹介し、さらに武烈天皇の暴君像はいかに作られたのかという問題にも触れ、現代の学際研究や共同研究のあり方についても語りました。

【言及した本】

・河内春人『継体天皇:六世紀に現れた世襲王権の「始祖王」』(中公新書、2026)

・ウィリアム・シェイクスピア、小田島雄志訳『リチャード三世』(白水uブックス、1983)

・ジョセフィン・テイ、小泉喜美子訳『時の娘』(ハヤカワ・ミステリ文庫、1977)

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

河内春人『継体天皇』を読み、継体天皇を現代まで続く世襲王権の始祖王とみる説が紹介される。5世紀以前には複数の王族集団から大王が選ばれたという前提に立ち、百舌鳥・古市古墳群を王族集団の勢力として捉え、文献・考古学・漢籍を組み合わせて古代史を考える方法が語られる。日本書紀の武烈天皇の暴君像は漢籍をパッチワーク的に用いたフィクションだという河内の立場を、リチャード三世の悪人像を再検討する『時の娘』と比較する。後継権力者が前代を悪く描いて正統性を示す構造や、漢籍利用をフィクション・脚色・類似事実の三類型に分ける議論にも触れる。最後に、異分野の成果を一方的に利用するのではなく、方法論を相互に還元する共同研究のあり方を論じる。

『継体天皇』と世襲王権の始まり
本語り47回目です。 前回も中高進賞を取り上げましたが、今回もまた中高進賞です。
今回は 孔子春人
継体天皇 6世紀に現れた摂洲王権の始祖王
中高進賞です。 近頃、皇室戦犯の改正などもありまして、
時期にかなった面もあると思いますけれども、 この継体天皇がとても売れているということで、私も興味引かれて読んだということになります。
さすが中高進賞といいますか、もともと歴史には強い歴史物のヒットを連発しておりますけれどもね、
今回も時期にかなった比較ということもあり、大変な売り益みたいです。
先に言っておきますけれども、私は古代史は全然明るくありませんので、本章が解く内容は大変興味深く読みましたけれども、
研究史上で正しいか正しくないかという判断はつきませんので、 一読者として楽しんで読んだということになりますので、
専門的にここは正しい正しくないという判断は完全に保留させていただきたいと思いますので、 どうぞそこら辺はご容赦ください。
そもそもポイントは、この副代にありますように、現代まで続く世襲王権、皇室ですね、
これの始まりはこの形態天皇なんだというところが一つのポイントになっているんじゃないかと思います。
じゃあそれ以前はどうだったんだということになるわけなんですけれども、
5世紀以前というのは、複数の王族集団から適任者が大王と書いて大君ですね、
になっていたという状態があったんだというのが大前提としてあるわけなんですね。
ここら辺私本当に古代史に詳しくないので、何が正しいか正しくないかというのは分からないわけなんですけれども、
文献・考古学・漢籍から継体天皇を見る
どこまでが先行研究が言っていて、どこからが考知説ということもね、はっきりと分かってないんですけれどもね、
今回はそういう説があるということで楽しんで読んだという前提で話していきます。
まずそもそもなんですけれども、日本の古代を知ろうとしたら、
日本書紀、古事記といったね、紀記によらないといけないわけなんですけれども、
両者がね、かなり書きぶりが違うことっていうのはよく知られているんじゃないかと思います。
特に日本書紀というのは古事記に比べて正式なものにしようという意識、
つまりは漢石の書きぶりに習おうという書き方をしているということは知られていると思います。
そうなってくると、漢石をパッチワークのように利用しているということも明らかになっているわけなんですね。
その利用の仕方というのが後々問題になってくるわけなんですが、そちらはちょっと後で触れたいと思います。
しかしこういった文献史学ですね、文献上ではやはり限界がありますので、
昔のことを知るには考古学的な知見を活用しないといけない。
そして河内さんが得意としているのは漢石ですね。
漢石から日本を見ていくということもかなり得意とされているようですので、
いわば日本の文献史学、そして考古学的知見、そして漢石から見えるものというもの、
これらのものを総合して形態天皇に迫っていくという、かなりスケールの大きな取り組むというのが魅力のひとつなんじゃないかと思います。
百舌鳥・古市古墳群を歩いた経験
まずなんですけれども、考古学的な知見という点で興味深いのが、
大阪の堺市にある文津古墳群、あるいは富士寺羽引きのあたりにあります古市古墳群というのがありますね。
ここら辺の古墳群というものが一つ、考古学的知見のバックボーンとして現れてくるところです。
ちょっとここで脱線しますけれども、実は私、昨年この文津古墳群と古市古墳群というものをちょうどフィールドワークしたことがあるわけなんですね。
なんでそんなことをしたかと言いますと、私の研究している尾塚ひさたりという人物が柳桜日記という、
かなり尾塚ひさたりにとっては初期の長編の記効文があるわけなんですけれども、この中でこのいずれの古墳群も回っているわけなんですね。
それはイニシエの興味があるというところが前提になるわけなんですけれども、そこでのり長説の検証なども含めていろいろ見て歩いているところがあるわけなんです。
そして私はその尾塚ひさたりが歩いたところをさらにたどるという追跡調査というものを折に触れてやっておりますので、
昨年はこの柳桜日記を報告したついでに、文津古墳群、古市古墳群を歩いてみたわけなんですが、
これがなるべく尾塚ひさたりに習おうと思っておりますので、ひさたりというのはものすごく歩くわけなんですね。
ですので私もなるべく同じ行程を、公共の交通機関を使わずに歩こうと思っておりますので、真似してみました。
すなわち天王寺あたりから出発して歩き始めまして、朝早くですね。
そしてずっと南下していって堺市まで行くと。
この道中もかなり楽しいものだったわけなんですけれども、いろいろ寄り道しながら着くと。
そして文津古墳群を見て、その後に古市古墳群に向かうということを1日でやったわけなんですね。
相当ハードでしたけれどもね、興味深いものでした。
私はこの古墳ですよね、これをこういってまとめてちゃんと見るというものは初めての経験でしたので、
かなり計画したときからワクワクしていたわけなんですけれども、結論として言えるのは古墳というのは出落ちだなということでした。
すなわち出たときにワーッとインパクトを与えるというのがあるわけなんですけど、その後がちょっとどうも続かないと言いますかね。
順番も良くなかったと思うわけなんですけれどもね、どうしても順番的に最初に見えてくるのが、いわゆる忍徳天皇陵、すなわち大仙古墳ですね。
なんですけれども、これは日本最大のものなんですよね。
それは最初に見たときにはもう衝撃と言いますか、こんなにデカいのかというね、もう一端しか見えない、すごいなというふうに感銘を受けたわけなんですけれども、
なんしろ日本一を最初に見てしまったわけですのでね、その後見ていくものが、いずれも全部それよりスケールが小さいものになってしまいますのでね、
あれより小さいなという残念な印象しか持たないわけで、しかもその古墳自体というのが最初はその大きさに衝撃を受けるわけなんですけれども、
周辺をずっと辿っていったらね、行ってみれば地面から見たら堀のある山なわけなんですよね。山の周りをぐるぐる回っているだけということになりますのでね、
なんか最初の感動が一番すごかったけど、あとはなんかよくわからんなという感じになりますし、あるいはその任徳天皇陵よりも小さいものがちょこちょこあるなという印象になってしまいますし、
どれも似てるなという当たり前なんですけどね、そんな感じで何か消化試合をずっとしているような感じになってしまってね、
これは私が考古学的知見、古代の知見があまりにも乏しいということが大きいと思うんですけれどもね、
古墳巡りというのは知識を相当蓄えた上で行かないと難しいもんだなということを思った記憶があります。
それから古市まで歩いてっていうのもかなりの苦行だったわけなんですけれどもね、着いた先も同じようなものがいっぱいあるという当たり前のことがあったんですけどね、そんな印象でした。
それはそれとしてなんですけれども、先にこの経代天皇というものを、まあ今年出たからしょうがないんですけれどもね、読んでいたらまた全然違った印象があったんじゃないかなというようなことを思いました。
というのが、それぞれの古墳群、モズ古墳群ですとか古市古墳群というのが、それぞれが大きみを排出する王族集団だというふうな言い方をこの川内さんはされているわけなんですね。
すなわち、これらのモズ古墳群や古市古墳群というのが有力なわけなんですけれども、それ以外にも複数の王族集団というのがあって、それから適任者が順繰りと言いますか、それで大きみを排出しているというふうな説を取っているわけなんですね。
そういう目で見たら、それぞれの塊っていうものに対する考えもまた違ったものがあったでしょうからね、先に知っとったらよかったなというふうにこの説を思ったりしました。
この説がどれくらい学会に受けられているかどうかというのはわかりませんけれども、歩いた感じの塊感というものは何か一つ実感を伴うものがあったなというふうには思います。
武烈天皇の暴君像とリチャード三世
さあ問題はこの形態天皇なわけなんですけれども、形態天皇の興味深いのが出身母体というのが、このモズや古市などの有力なものよりも一段劣ると言いますか、ちょっと王系と言っていいのかどうかわかりませんけれどもね、北陸集団というのが出身母体なんだというところがポイントなわけなんですね。
形態天皇から以降はそれがずっと現代の天皇まで続くという形になっているわけですので、いわば母系のようなところから主流になっていったわけなんですけれども、興味深いのがその前代、形態天皇の前の天皇が何かと言いますと、ブレス天皇なわけなんですね。
そしてブレス天皇といったら亡虐の君主ということでよく知られています。日本書紀の中での描かれ方というのが妊婦の腹を裂くですとか、生爪を剥がして芋を掘らせるとか、木に登らせてその登った人を夢で殺したり、あるいは木を切り倒して倒れて死んでしまうとかね、そういったことを繰り返した亡虐の君主として描かれているわけなんですね。
それこそ陳雪由美肺月の冒頭のあたりでもブレス天皇のような形の例えでも用いられるような形で有名なわけなんです。
しかしなんですけれども、この日本書紀で描いているブレス天皇の姿というのが、例えば妊婦の腹を裂くというのは、露子春樹に基づいてその文章をパッチワークのように利用して造形しているということが明らかになっているわけなんですね。
だから河内さんはかなり踏み込んでますけれども、これはもうフィクションなんだという形、ブレス天皇のこの行い自体がすべてフィクションなんだという立場を取っているわけなんですね。
ここで私がまた全然違うことを思い浮かべたわけなんですけれども、それはギリスのリチャード三世のことなんですね。
リチャード三世といったらシェイクスピアの劇で有名でして、スケルの大きな悪人として造形される王子殺しをはじめ、大変極悪な策略を巡らしたという形で造形がされている人物なわけなんです。
そのシェイクスピアのせいもありまして、リチャード三世というのは非常な悪人だというふうな印象が強いわけなんですけれども、それに対してミステリー小説なんですけれども、ジョセフィンテイの時の娘というものがあります。
アンラクイス探偵あるいは歴史ミステリーというふうなカテゴリーになるそうで、というのが私はミステリーに詳しくないので、たまたまピンポイントでこれを読んでいるだけなんで、系譜的にどうだということを言うことができないわけなんですけれども、時の娘自体は大変面白いものです。
どういうことかといいますと、怪我をした刑部というのがリチャード三世の肖像画を見るわけなんですね。
そうすると、悪逆の君主として知られているリチャード三世の肖像画というものが、もう人のいいね、非常に善良そうな肖像画が描かれているわけなんですね。
そこからあれ、これはイメージと違うぞというところから調べ始めたら、リチャード三世というのは全然そういった暴虐という振舞いはない、それはフィクションだったというふうなものにたどり着いていくというのが大筋なんですけど、
こんなことを言っても面白いかどうかわかりませんが、実際は非常にスリリングに解き明かしていくものなんですが、
すなわちこのポイントは何かといいますと、後を継いだ後代の権力者というものが、前代の権力者というものに対して自分の正当性を主張するために、前のものは非常に悪かったんだというものを脚色を加えていくということなわけなんですね。
ですのでリチャード三世というものも、前代を悪く造形するということによって非常に悪人にされているけれどもね、実際はそうでもなかったというのが、この時の娘の歴史ミステリーのポイントなわけなんですね。
元となる研究はあるわけなんですけれども、それを基にした脚色したフィクションなわけなんですけれども、でもこういうことって世の中にあるわけなんですね。
実際の悪人かどうかというのはよくわからないけれども、違う系譜のものが後を継いだ時に、自分の正当性を主張するために、前のものは非常な悪人だったんだという造形をしていくということは、歴史上大変よくあることですので、
言ってみれば同じことが、この形態天皇の系譜によってブレス天皇を極悪に仕立て上げたということがあるんだというふうな構造をとっているわけなんですね。
漢籍利用の三つの可能性
さあ、そうしてみた時に、この形態天皇の即位というものを見たら、漢石の式ですね。式の漢の文底の故事というものが大変文章で利用されているということが明らかになっているわけなんです。
ここで川内さんが、漢石を利用して日本書紀が書かれている、日本書紀に限らずなんですけど、ある文章が書かれている時に可能性としては3つあるんだというふうに言っているわけなんですね。
まず1つとしてはフィクション。要するに、元ネタがないのに漢石の表現を使って勝手に事実を作っているというフィクションであるものと。
2つ目が、元ネタはあるんだけど、その漢石を利用して脚色しているということですね。脚色が大きいというものがもう1つ。
3つ目というのは、事実として非常に似ていることがあるので、その表現を借りただけというケースがあるんだということなんですね。
大きく分けて、この3つの漢石の利用の仕方があるというわけです。
じゃあ、この経代天皇がどれに当たるかというものは、やっぱり逐一確認していかないといけないけれども、
事実なるものが文献だけを見ていったら限界があるので、考古学的知見というものを活用しましょうというのが川内さんの立場なわけなんですね。
異分野を還元する共同研究
大まかなスタンスとしてはこういったことなんですけれども、興味深い説をいろいろ展開しているわけなんです。
その中で、例えば朝鮮半島の御間のことですとか、あるいは九州に関係する岩井の乱というのがありますよね。
石人ですとか石場というものがありますけれども、そういった地理関係とこの文献上のものというのを照らし合わせて考えるという形で、
そういったことで当時はこうだったんじゃないかということをいろいろと見極めていくという作業があって、
それでいずれも刺激的な説を提示しているわけなんですね。
もちろんこれは諸説がいろいろあると思うんですけれども、内緒に残っているものが少ないですので古代は、
それでは限界があるところに諸学の成果をすり合わせて利用するというスタンスというものは、
これまでもされているでしょうけれども、これからより一層盛んになってくるでしょうから、
それぞれの専門性というのは非常に高いわけなんですけれども、諸学を給合してと言いますか、
統一する視点というものがこれからいよいよ必要になってくるでしょうから、
それを積極的に試みられているということは見習えたい姿勢に思いますね。
私は文学の人間なわけなんですけれども、文学だけにとどまらずに諸学を参照するというものは非常に
心がけているつもりですので、共感するわけなんですけれども、私が気をつけていることは何かと言いますと、
例えばその文学の成果を出すために、歴史学とか、あるいは経済史ですとか、美術史とか、
そういったものの成果の上積みをとって文学に利用するということをついついやってしまいがちなんですけれども、
これというのは諸学を統一的な視点で物事を明らかにしたとは言えないんじゃないかということなわけなんですね。
すなわち、成果のあるものを得ているのは文学だけになってしまいますので、
他の学問の人たちが一生懸命明らかにしたことを都合よく上積みだけを利用しているだけということになってしまいますよね。
これだとあんまり生産性がないという気が個人的にはしております。
というのが、共同研究というのはよくされますし、異なった分野の人たちが共同研究をすることはあるわけなんですけれども、
そのときにうまくいくものとそこまでの成果が出せないものというものがあるように個人的には思うわけなんですけれども、
そこまでじゃないものというものは何かと言いますと、それぞれの専門家がそれぞれの専門のものを持ち寄っていくということなんです。
これは当たり前のことで、それ以外に何か方法があるのかということがあるわけなんですけど、
それはやっぱり持ち寄ったものをある方が利用するというものだけだったら、あんまり面白くないわけなんですね。
どうなったら面白いかと言いますと、それぞれの専門家が違う分野の、例えば私だったら文学ですけれども、
歴史学の成果を取り入れるんじゃなくて、歴史学の方法論自体を取り入れて、
そして何ならば歴史学に還元する形で何かのアウトプットを残すということが肝心だと思います。
ですので、ゴールを自分の分野に引き付けないということなんですね。
あるいは他の分野に特化しないで、もっと違うところに出していくというところがポイントだと思いますのでね。
これは今学問の話をしておりますけれどもね、案外いろんな物事の共同作業ということで、
自分にとって都合のいい成果を利用するというだけだとやっぱり限界があるので、
何か相手に還元できる形で自分がいろんなものを学んでいくということによって、
逆にそれは自分に大いなものが返ってくるという気がしますのでね。
そこを目指したいなというふうに個人的には思っているわけなんです。
そういった意味で、コーチ・ハルヒトさんの試みというものが今後どんなふうに展開されるかというものはね、
非常な興味を持って今後も見ていきたいなというふうに思っております。
本語は毎週日曜日更新です。
Spotify、Apple Podcasts、Audibleなど各プラットフォームで聞くことができます。
継続してお聞きくださる方は是非フォローをお願いします。
以上で47回目を終わります。
19:27

コメント

スクロール