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#048 俗文学をやるならば、雅文学もやらなければならない/『椿説弓張月』/本語り
2026-10-11 16:45

#048 俗文学をやるならば、雅文学もやらなければならない/『椿説弓張月』/本語り

第85回西日本文化賞奨励賞の受賞を記念して、受賞対象となった現代語訳『椿説弓張月』(光文社古典新訳文庫)について語りました。馬琴研究と小津久足研究という私の研究の二本柱、キャラクターの魅力、譲りあう物語、AI時代における翻訳の価値、さらには『オデュッセイア』との意外な共通点までお話ししています。

【言及した本】

・曲亭馬琴、葛飾北斎画、菱岡憲司訳『椿説弓張月』(光文社古典新訳文庫、全5巻、2025)

・菱岡憲司『大才子 小津久足』(中公選書、2023)

・菱岡憲司『小津久足の文事』(ぺりかん社、2016)

・曲亭馬琴、林美一校訂『傾城水滸伝  初編・二編』(河出書房新社、1984、1986)

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サマリー

第85回西日本文化賞奨励賞の受賞を記念し、菱岡憲司が現代語訳『椿説弓張月』と馬琴研究について語る。研究のもう一つの柱である小津久足との出会いや、「俗文学をやるならば、雅文学も」という恩師の教えにも触れる。『弓張月』では、為朝や強い女性として描かれる白縫など、魅力的なキャラクターと、争いの対極にある「譲り合う物語」という主題を取り上げる。さらに、AI翻訳では再現しにくい馬琴の語彙・七五調・文体を人の手で訳す価値を論じ、クリストファー・ノーランの『オデュッセイア』と為朝の意外な共通点にも話を広げる。

受賞と馬琴・小津久足研究の二本柱
本語り48回目です。 先日発表されたばかりなんですけれども、第85回西日本文化賞奨励賞学術文化部門に大変光栄なことに、私が選ばれまして受賞することとなりました。
その受賞懸命としましては、江戸後期の極低馬琴・椿説弓張月の官役や文人・小津久谷の研究を通じ、金星文学の価値と魅力を伝えた功績ということになっております。本当にありがたいことです。
つきましては、その受賞を記念といたしまして、鎮瀬弓張月について、いま一度語ってみたいと思います。
取り上げます作品は、もちろん、極低馬琴・椿、葛飾北斎賀、菱岡憲司役、鎮瀬弓張月前後官、古文社古典新約文庫です。
まず、今回のこの受賞懸命、そして受賞理由としても言及されているわけなんですけれども、鎮瀬弓張月だけではなく、小津久谷ということも言及してくださっているのが、本当にありがたいことでした。
具体的な受賞理由の中には、鎮瀬弓張月の官役の前後官に加えて、2023年に忠孝宣書の一冊として出した大祭司小津久谷にも触れてくださっております。
これは大変感慨深いものがあります。
というのが、私が初めて出した著書、小津久谷の文字という論文集があるわけなんですけれども、こちらの後書きにも書いていたことなんですが、この2つというのは、実は私の研究の出発点とも言えるものなんですね。
もともとは卒業論文から馬琴を研究しておりまして、修士課程でも馬琴を研究したわけなんですけれども、博士に進むという段階になったときに、九州大学の博士だったわけなんですが、中野光敏先生はもう既に退官されていたわけなんですけれども、中野先生の訓導が小先輩方を介して伝わってくるわけなんですね。
そしてその中野先生の訓導の一つとして、こういったことがあったわけなんです。
それは俗文学をやるならば、画文学もやらなければならないということなんですね。
江戸時代を理解するためには、俗文学だけではなく画文学を見なければいけないというふうにも言い換えられるかもしれません。
そして馬琴といえば当然ながら、当時の俗文学に当たるわけなんですけれども、これを我が身に引き付けると、じゃあ馬琴をやるためには何か画文学をやらなければいけないなということを一つ、自分のノルマといいますか、やらなければならないこととして意識するようになったわけなんですね。
そのうりに御子の板坂陽子先生にお会いすることがあったわけなんですが、板坂陽子先生は近世の気候文学研究の第一人者でいらっしゃるわけなんですけれども、何の気なしに話していたところでこんなことをおっしゃったんですね。
オズヒサタリというのは気候分解の馬琴だよというようなことをおっしゃったわけなんですね。
これでどういうことかと言いますと、まずそもそもオズヒサタリというのは馬琴研究者で言ったらオズケイソーという馬琴の友人として有名なんですけれども、そのケイソーがオズヒサタリという本名で持って大量の気候分を残しているということ。
こんなことは板坂陽子先生しかご存じないことだと言っていいと思います、当時においてはですね。ほとんどの人がオズヒサタリの気候分なんか知らなかったと思います。
時代的にも近い、まあ友人ですのでね、馬琴の生きていた時代にヒサタリも生きているわけなんですが、馬琴においては特に読み本作品になるわけなんですけど、オズヒサタリは気候分ということになりますが、ともに土時代後期を代表するような大量の数、そして良質の作品を残しているということをおっしゃったわけなんですね。
オズケイソーとしては知ってましたが、オズヒサタリとしてはそこで初めて出会ったという形になりまして、それからオズヒサタリの研究をすることになったわけなんです。
すなわち俗文学をやるならば、画文学もやらなければならないという言葉が、私においては馬琴をやるならばオズヒサタリもやらなければならないというふうに置き換わったわけなんですね。
学生過程からになりますけれども、大学院生の時から、そして現代に至るまでずっとその両方の研究を続けてきたということがあるわけなんです。
馬琴もオズヒサタリも大量の作品を残していますので、片方だけでも大変なんですけれども、何とか両方頑張って研究してきたわけなんですけれども、
それが今回の受賞においては、両方を理由として挙げてくださっているというのは本当に大変ありがたくて、いろいろ見ていただいているんだなという形で深く感謝したところです。
『椿説弓張月』のキャラクターと強い女性
今回は親切弓張月について話したいと思うわけなんですけれども、既にこのポッドキャストの第4回でも観光が完結した記念で弓張月について触れましたけれども、
今回はそれと重ならないように、観光後の反響、あるいは略している時には思いもしなかったことで気がついたことなど、そういったことをお伝えしたいなというふうに思っております。
もともとこの親切弓張月というのは、キャラクターが大変魅力的で、今風の言い方をしたらキャラ立ちしているわけなんですね。
タメトモ自身も大変魅力的なんですけれども、それ以外ももう本当に敵から味方から脇役から全てキャラ立ちしていると言えるわけなんですね。
どれもこれも魅力的なので、語りだしたらキリがないわけなんですが、個人的には最初に読んだ時は私は八丁粒手の喜平寺なんかが大の悲劇だったわけなんですけれども、
あるいは狼の山本乃風というのもね、これは出てきてある意味すぐに退場してしまうキャラクターなんだけれどもね、ファンが多いですね、とってもファンが多いので私も大好きなものです。
あるいは災いというね、この世の災いというものを形にした幼獣というものが出てきますけれども、
これなんかも担当編集者の方なんかはね、これはジブリのキャラクターにもいそうな魅力的な存在ですね、なんてことをおっしゃって本当そうだなと思ったわけなんですけどもね、そんなものがあるわけなんですけど、
実は私はユメハイズキはね、授業でも扱うことがあるわけなんですけれども、そうやって授業でも紹介し、そして読者の反応なんかでも圧倒的な人気を誇るのは誰かって言いますと、
それはシラヌイなんですね。タメトモの妻、ヒロインであるシラヌイです。これは本当に圧倒的な人気で他のツイーズを許さないぐらいファンが付くものです。
学生なんかでもね、シラヌイが良かった、シラヌイが良かったという形でよく言われるものです。
確かにね、このシラヌイ本当に素晴らしいんですよ。まず強い女性ですよね。
強い女性と言ったらシラヌイもそうなんですけれどもね、クマギミという敵方でもね、本当に憎々しい素晴らしい悪役が出ておりますけれどもね、
味方にしろ敵にせよね、こういう強い女性を描いたっていうのはね、バキンのね、見事なところだったんじゃないかなと思います。
あるポッドキャストを早くから聞いてくださっている方なんかもコメントを寄せてくれたことがあるわけなんですけれども、
ちょっと私の言葉で言ってしまいますけれども、古典に出てくる女性というのは、ただメソメソと泣いている介介し女性ばっかりということが多いわけなんですね。
そんな中、こういった強い女性ですね、敵にせよ味方にせよ強い女性というものが大変魅力的だっておっしゃってくださってて、本当に私もそれはそう思います。
もちろん限界はありますけれどもね、自ら人生を切り開いていくような女性たちですよね。
これはやっぱり今の時代も、そして当時も受けていたんじゃないかなというふうに思います。
というのがバキンっていうのは、慶成水古伝という作品を残しているわけなんですけれども、これは水古伝の108人の盗賊、男が多いわけなんですけれども、
その男を女に、逆に女は男になんですけれどもね、性別を逆転させた上で描くというね、よくこんなものをね、描いたなと思うような作品があるわけなんですね。
中国のものを日本を舞台にして、性別を逆転させているというもの。
となると水古伝というのは盗賊の話ですので、朝廷側に反旗を翻しというのが最初の頃はあるわけなんですけれどもね、
ここで描かれる慶成水古伝の主人公の多くは女性ですよね。
それはバッタバッタと敵を薙ぎ倒す女性ばっかりということになってね、これがもうまた大ヒットするわけなんですね。
江戸時代にね。これはあの、慎碩弓張時でもずっと後の時代に描かれた、
合わせる薪と書いて合間という作品なわけなんですけれども、そちらで描かれている。
という意味でもね、やっぱりこの強い女性がウケるというものは江戸時代にもあったはずなんで、
今も昔もこういったキャラクターのね、魅力というものはあり、そしてそれを描けた馬琴の素晴らしさというものをね、
改めてこの皆さんの反響なんかを聞いていたら感じるものでした。
AI時代における人の手の翻訳
最近本当にAIというものの発達が大変なもので、言ってみれば大学関係者が今一番頭を悩ましていることでもあるわけなんですね。
特にレポートというものがもう出せなくなったとおっしゃる人もいまして、
私はまだ頑張って課題をレポートにしているわけなんですけれども、
AIで書いてきますんで、なかなか難しくなっているという状況があるわけなんですね。
大規模言語モデルという形のAIの最も得意とするのは何かと言いますと、言ってみれば翻訳と要訳なわけなんですね。
そうなってくると、例えばですけど、私なんかでも演習の課題なんかで現代語訳しろっていうところもあったりすると、
今までよりも非常に簡単に現代語訳を、おそらく担当者の文体じゃないんじゃないかなと疑わしいような文体で訳している。
しかし文句はつけられないというものが出てくることもあるわけなんですね。
きっとAI使っているんだろうなということもあって、訳という形で演習の評価をするというのは難しいなということを実感するわけなんですけれども、
しかしそれはそれとしてなんですけれどもね、私が読んでAIくさいなと感じる文章ではあるわけなんですね。
間違いではないにしてもね。
そんな時に今回私がバキンの作品をもとに当たり前ですけど、AIなんかを一切使わずに訳したものの価値というものは、
今までよりも上がってくるんじゃないかなというふうに思います。
すなわち通り一遍の翻訳というものは本当にAIがやってしまう、意味が通るだけの文章というものはやってしまうわけなんですけれども、
しかし元々のバキンの原文にある語彙選択へのこだわりですとか、七五調も含めた文体の選択ですよね、
そういったものをいかに訳文に反映していくかというところ、
あるいは字の文と会話の訳仕分けとかいうところも、
これは本当に一語一語、どの訳者もそうだと思いますけれども、
頭を悩ませながらバキンの文体がいかに伝わるか、しかし分かりやすいようにという形で付信して訳をしていったわけなんですね。
これはAIなんかを使ったら、もしかしたら通り一遍の意味だけは通るものができるかもしれないけれどもね、
この形の訳文というものを、やれるもんな、やってみろという思いは結構ありますね。
AIでやれてしまったら悲しいんですけれども、まあできんだろうと今のところは踏んでおりますけれどもね。
やっぱりそれは判断とか評価というものをするのは人間なんですよね。
ですのでそういったところで、うちの通った文章というもの、
そしてそれを訴えかけるものというのはやっぱり人の作業というものをやっぱり信じるところがありますのでね。
人の手で訳したという当たり前の言葉なんですけれども、
その価値というものが今後上がってくるんじゃないかなというふうに帰って思ったりします。
『弓張月』が描く譲り合い
そしてまた別のことなんですけど、
親切絵見張り図記で描いているテーマというものがあると思うわけなんですけれども、
まずはその方言の乱というのが舞台になっているわけなんですよね。
方言の乱というのはご存知の通り主君と親家、そして親子とか兄弟が肉親同士が争うような状況なわけなんですよね。
そのアンチテーゼとしてこの親切絵見張り図記を描いたというところがあるわけなんですけど、
これは第5巻の解説に私の見解として示したところなんですけれども、
譲り合う物語という点をかなり馬琴は強調して描いているように私は思っております。
方言の乱というのは親子兄弟が譲り合うどころか争いあって殺し合うという状況なわけなんですよね。
そんな中馬琴の描く禅玉というのはみんな譲り合うわけなんですね。
何かにつけて譲り合っていると。
ある意味読んでいてまどろっこしくなるぐらい譲り合うことがあるわけなんですけども、
やっぱりこれが大事で馬琴の思い描く理想の姿というものをそこに込めているという意味でも重要なわけなんですね。
そんなこの馬琴が込めた思いというものがもちろん限界はあるわけなんですけれども、
現在の紛争が世界的にもやはり起きている状況においては、
力と力でぶつかり合う、憎しみ合うという世の中において譲り合うという心を示すというものも示唆するものが大きいんじゃないかなという、
いつの時代にも争い事があったとは言えるわけなんですけれども、
その度ごとにこの弓張月の訴えかけているものというものは一定の力を持ってくるんじゃないかなというふうなことを思わされたりしました。
『オデュッセイア』と為朝の共通点
そして最後に一つなんですけれども、これは思いもしなかったことなんですが、
何でも今公開されている映画、クリスタファー・ノーランのオデュッセイアというものがありますね。
こちらが弓張月を思い浮かべたという感想が寄せられたんですね。
えーっと思って私はちょっと気をつかれましたので、
もともとは気にはなっていたんですけども、なかなか忙しくて行けなかったところをこれは見ねばならんという形で映画館に見に行ってみました。
見ましたらオデュッセイウスがため友にしか見えませんでしたね。
原作で最後の勘所で弓を使ったシーンがあることは知っていたわけなんですけれども、
確かにあの最後のシーンで弓をあんなふうな形で強い弓と言いますかね、それを引けるというのがポイントになってくるならば、
前の部分でもずっと弓が強いわけですから、戦闘シーンでは弓で活躍してもいいわけなんですよね。
そういった意味でオデュッセイウスは強い弓かつ知恵者という形で人物造形が当然ながらされているわけなんですね。
かつその物語自体が海洋冒険端、さまよえる物語ですよね。
確かにこの境遇もため友なんですよね。
そういった意味で全く思ってもしなかったけれども、オデュッセイヤと親切見張り好きの思わぬ近しさというものにね、気づかされたというものがあったりします。
またこのオデュッセイヤに関しては改めて読み直しましたので、近々また本語で紹介したいと思っております。
というわけで今回は光栄なことに第85回西日本文化賞奨励賞学術文化部門の受賞を記念して、親切見張り好きについて改めて語ってみました。
今回のことを機に、引き続き馬琴とひさたりの研究に励んでいきたいと思いますので、見守りくださいますと幸いです。
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以上で48回目を終わります。
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