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こんばんは。
今日はなんかこういう感じです。
こういう感じです。
合唱の意味を学ぶ
今日のテーマは、人間関係に疲れたら試してみてほしいこと、というテーマです。
心を穏やかにするアクションです。
もういけない結論なんですけど、これなんです。合唱。
僕は今、仏教のことをもっと本格的に学ぼうと思って、仏心相学院というオンラインスクールに入学して学んでいるんですけど、
今日はそこで学んだこと、この合唱の意味を学んだので、
今日はそれをちょっと皆さんにシェアしながら、この合唱の意味を知っておくと、
もし人間関係に疲れて、心が疲弊しちゃってるとか、そういう時にすごく役に立つ書作になるかなと思います。
なので、そういうふうに夫婦関係もそうだし、この合唱がどういう意味があるかというと、
まず左手。左手は自分自身という意味になります。自分自身を象徴する。
どちらかというと、自分の方にフォーカスが向いちゃってるというか、
自分にフォーカスが向いてないから疲れちゃう。
向いてないから疲れちゃう。
他人に矢印向いてるみたいなのをよく聞くもんね。
それって要は、自分自身と他人を比べた時に、自分自身の方をちょっと上に持ってきちゃってたりとか、
なんで私のこと分かってくれないのって思ったりとか、自分の方を高く置いてる状態だと思うんでね。
そういう自分と相手の垣根をなくして、一緒なんだっていうことにすると、
そこで相手と自分の境がなくなるから、自分も大切だし相手も大切。
そこをこのポーズをすることで、自分も相手も一緒になる。
これが思いやりの心を育むということにつながると。
なんかニヤニヤしてる。
何回も同じこと言ってる。
今、学びたてのことだからね。
自分の中のことを整理しながら話します。
伝わるかな?大丈夫かな?
大丈夫じゃん。みんなを信じて。
文化と習慣の影響
そう、ということで、なかなか日常で合掌のポーズをして相手と話すとかって、
普通の日本の生活してるとなかなか難しい部分はあるかもしれないけど、
でもタイとか行くとね、普通に手を合わせて挨拶するって日常になってたりするんだよね。
僕も弟がタイにいるから2回ぐらい行ったことあるけど、
お店に行くとお店の人みんな手を合わせて挨拶してくれるし、
ホテルの事業員さんとかもみんなあれなんでね、
手を合わせてくれる。
エアコン喋って。
部屋の温度暑いかなって。
だから、
文化でしょ?
そう、文化なんでね。
例えば、うちの我が家の習慣で言うと、朝必ず紙棚に手を合わせるって習慣あるじゃん。
そうだね。
それも今まではなんとなくじゃないけど、
なんとなく手を合わせてたけど、
そういう意味を考えると、
自分自身と、
紙棚でも仏教の考え方なの?
厳密に言うと違う部分はあるけれども、
でも日本に座ってる仏教って、
結構神道と仏教一緒になってたりする考え方もあったりするから、
結構ごっちゃになってるんだよ、そこら辺って。
神仏一体みたいな。
やっぱり長い歴史の中で、
仏教もただの仏教じゃなくて、
いろんな宗教と結びついて、
いろいろ変わってきてるから。
ひとつあれじゃない。
私、仏教を習ってるわけじゃないから、
こういう感じになるんだよね。
どうだ?
なんていうの?
仏教のこと知ってるわけじゃないじゃん、私は。
だからこういうふうに。
仏教だからとか、神道だからとかっていうことって、
あんまり関係ないような気もするし。
気持ちでしょ?
日本人はクリスマス・キリストの文化でやって、
お正月は神社に行って。
結婚式はどこでやろうかなみたいな感じで。
でもそういうふうに、
自分と何かを合わせるって意味があるんだってことを知っておくと、
そこから、慈悲の心、思いやりの心とか、
相手を大切にする心とか、思うんばかりの心が、
先に形をすることで、気持ちがそういうふうになっていくと。
いうのを今日学んだので、
僕はしばらくこれを実践してみようかなというふうに思っています。
今思ったけど、立洋教育もそういうことじゃない?
そうかもね。
そうかもね。
おしぼねを立てるっていうことをやって、
強い心とか、健康な体とか、そういうのが育つっていう。
それもやっぱり、姿勢とか体から入ってるよね。
心・義・体って、武道の言葉でもあるけど、
これも一番最初は体なんでね。
心、心でしょ?
体って日本で、さっき体の話してたから。
違う違う違う。国の体じゃない。体です。
心、義、体で、心、技、体でしょ?
最初はやっぱり体なんでね。
体から入っていって、技を身につけていって、
最後、心がちゃんとそこで身についてくるっていう。
仏教も同じで、神九異の三号って言うんだけど、
神っていうのは身、体。
苦っていうのは口って書くんだけど、言葉。
最後、義っていうのは意識の義、つまり心なんでね。
それも順番取りで神、苦、義なので、
最初に体、言葉、最後に心。
だから体の姿勢とか、
もう全部そうじゃん。
あれだって、健康名もそうだよ。
あーそうだね。
食べるものとかで、体が整ったら、
あれじゃない?こう、メンタルが整って、みたいなさ。
そうそうそうそう。
全部一緒じゃん。
そうだね、確かに。
体なんだよね。
確かに。
だから、今日っていうか、今学んでる仏心相学院で、
学んでることも、やっぱり仏教は知識じゃないよってことは、
最初からずっと言われてて、
知識じゃなくて、あくまで実践なんだってことなんでね。
体を動かしなさいよってことなんだ。
もう全部それもそうじゃん。
なんなら僕は、家事とかもそうだと思ってて、
やっぱり家事って、なんかめんどくさかったり、
やっぱ溜まってきちゃったり、我が家もそうだけど、大変じゃない?
でも、とりあえず体を動かしてやることで、
その後から、いろんな心がくっついてくるなと思ってて。
きれいになるから。
そうそう。だから、とりあえずまずやること、
手をつけることが、体を動かすことが大事だなと思ってたんだけど、
余談でしたけど。
でも全部一緒だよって話。
そうだね、そうだね。
まずは体からやっていきましょうと。
やっていきましょうと。
見た目から入る的な?
見た目、見た目。
このポーズっていうか。
そうそう。
ちなみに、ポーズで思い出した。
最後にちょっと話だけして終わろうと思うんだけど、
形っていう言葉でしょ?形。
形と知の重要性
これを、僕が学んでる物心集という集派の中では、
形と知で分けるんだよね。
何の話だっけ?
ちょっとややこしくなっちゃうかな。
形ってさ、普通さ、一文字で形って書くじゃない?
そうじゃなくて、
形っていう字と、あと知恵の知、知るっていう字で、
形、知っていう言葉にしてるんだけど、
要は、例えば合唱のポーズがあります。
これって形なんだよ。形。
そこに、さっき言ったような意味がある。
自分と他の物を合わせるっていう意味がある。
この意味をちゃんと理解することは知なんだよね。
だから形だけやっててもダメで、
そこにどういう意味があるのかっていうのを、
ちゃんと落とし込んで、その形をやっていくと、
それがだんだん自分の中に身についていくっていう意味がある。
まあ、なんとなく。
同じことってことでしょ?
同じこと言ってるんだよね、多分。
先にポーズやったら身につくみたいな。
そうそう、そうだけど、その意味もちゃんと知っておこうねってこと。
例えば、挨拶大事だよ。
挨拶しましょうね。自分から挨拶しましょうねってあるけど、
挨拶って何でするのっていうのを、
ちゃんと意味を分かっているのと、
ただ挨拶はしないといけないから挨拶するのと、
やっぱり違ってくるじゃない。
心がないもんね。
仏教の教えと解釈
そういう意味で、形と知恵の地で形が大事だよっていうのを、
今ね、学んでいるところなんです。
これは仏教に限ったあれなの?
それともどっか昔の辞書とかには書いてあるの?
いや、これは僕が学んでいる仏心僧学院の主催の、
大吾生っていうYouTubeでも有名な人がいるんだけど、
その人の考えらしい。
その人がオリジナルなのかな?
だからその人の考えで、
結構その一般的な仏教の本とかには載ってないことも、
自分の考えとしてお話しますっていうのも話してるね。
そんな感じで。
決まりがないってこと?仏教に。
ベースはあるよ。ベースはあるし、
でもこれも語りだすと長くなっちゃうんですけど。
ツッコミどころが結構あったからさ。
もともと仏教って、
お釈迦様が最初に唱えられた教えなんだけど、
お釈迦様は何も書き残してないんだよ。
全部口で、35歳に悟りを開いて80歳で死ぬまで、
ずっと放浪の旅をしながら、
いろんな人に自分の考えを口でずっと説明してたんだよね。
その間に弟子もたくさんできたんだけど、
解釈は自分次第ってこと?
そう、だから、ちょっと聞いてほしいんだけど。
だから、お釈迦様が亡くなっちゃった後に弟子たちが、
やっぱりちょっと変な解釈をする人が3日後ぐらいには出てきたらしくて、
そういうことじゃないよねと。
欠柱っつうんだけど、100人ぐらいの弟子が集まって、
お釈迦様だってこういうこと言ってたよねっていうのを、
みんなで意見し合って、
結構ここはいつも聞いてる。
まとまったのが、その経典だったりするんだよ、仏教の。
だから、結構だから解釈って。
でもさ、今の話から言うとさ、今のオンライン和尚さん。
オンライン和尚さん。
明日リアルで会うんだけど。
そうだの、和尚さんいらっしゃるじゃん。
その方はでもさ、自分の解釈でやってるってことでしょ?
自分の解釈じゃなくて、これも難しいけど、
この大和尚の根本的な考えは、
仏陀、お釈迦様の一番最初に唱えられたオリジナルの考え方を大切にしようっていう教えなのね。
元祖ってこと?
そうそうそう。
今、日本で伝わってる、たとえば神道宗、神言宗とか天台宗とか浄土真宗とか浄土宗とかいろんな宗があるけれども、
これはもう全部中国とかから伝わってきて、
2600年の長い歴史の中でいろんな形に変容して日本に伝わってきてるから、
やっぱりいろんな宗教と組み合わさってたりとか、
本来お釈迦様の教えにはなかった、
たとえば三六菩薩さんとか阿弥陀如来さんとか、
そういうのってお釈迦様は一切そんなこと言ってないのね。
何ならお寺とかもなかったんだから。
でも、いろんな形を変えてきていろんな宗派があるけれども、
今、この現代に人々が心を穏やかに安定して過ごすためには、
やっぱりお釈迦様の本来の教えの原点に立ち戻る必要があるよねっていうのが、
大豪生の考えなんだよね。
人間関係を穏やかにする方法
仏教のうんちくを語りだすのが長くなっちゃうから、
このあたりにしようかな。
僕がまた独り語りのときやりますわ。
そうだね。私ちょっとポカーンとなっちゃうかな。
これをちょっと僕もあんまり興味がない方にも、
なるほどーってわかりやすく説明できるように。
あと多分こうやって二人でライブしてるときに言っちゃうとさ、
私が質問とかして収集つかなくなっちゃうじゃない。
この話しようと思ってたのに、横から質問が入って。
それは別にいいんだけど、
やっぱりこれで僕も説明することで、
自分自身もまだあやふやなところがよくわかってくるし、
こういうところまだ全然理解できてないなっていうのがわかるから、
それは全然いいんだよね。
ただそれがコンテンツとして皆さんにお見せできるものになってるのかっていうのは、
ちょっと疑問なところだよね。
そうそう。あれじゃない?
はい。
そんなことでですね、ちょっと今日合唱の意味を学んだので、
それをぜひシェアさせていただきたくて、お話をしました。
なので、ちょっと人間関係がうまくいかないなとか、
夫婦関係がうまくいかないな、悩んでるっていうときには、
これも話しちゃえばいいんじゃない?
ついでにこのように。
これも自分と植物の力を合わせる。
うん。穏やかになるから。
そうだね。プラス香りでね、さらに気持ちも穏やかなって、
慈悲心が育まれると思いますので、
ぜひちょっとしたきっかけのときにね、
一人のときでもいいですし、
手を合わせてみるっていうのを実践してみていただくといいのかなと思います。
我が家も毎朝やってるので、よりそういう意味を持ってやっていこうかなと思いました。
そんな形で今日は終わりにしちゃいと思います。
じゃあ最後までお付き合い頂いてありがとうございました。
ありがとうございました。
今日はこんなところです。
おやすみなさい。
おやすみなさい。