「何者かになりたい」という願望の背景
教えてマックス! 両太郎さんに、アイデンティティと尊厳についてお伺いしたいなと思いまして、本日、コラボ収録させていただくことになりました。よろしくお願いします。
お願いします。両太郎でーす。
ありがとうございます。
タイトルコールがあるとは思ってなかったです。
教えてマックスシリーズ。
定期的にシリーズやりたいです。
はい。
と言いますのも、きっかけは、両太郎さんのクラファーに応募させていただいたっていうのがあるんですけど、
結構、私が持ってない感覚の話をしたいなと思っていて、
昔、シライさんのスタイルフのコメント欄で、アイデンティティ感覚みたいな話をしつけられたじゃないですか。
なんとなくわかった気はしてるんですけど、他の人の様子とかを見てると、なんかそれと違う感じもするみたいになったんですよね。
特に、まずアイデンティティがそもそも何かっていう話と、それと尊厳みたいなのがめっちゃひも付いてる人と、
自分は尊厳とそれ関係ないっていう感覚があって、完全に関係ないわけではないんですけど、
みんなほど重視してないというか、重視してるのが人によってだいぶ違ったりとかして、
そうなった時に、アイデンティティっていう言葉がぼやけちゃったり、
みんながそもそもなんで悩んでるのかがよくわかんない、
アイデンティティっていう言葉関連で、ありとあらゆる、よくわかんないってなったんですよ。
で、いろいろ結構ご存知だと思うので、お伺いしたいなというのが今回の議会でございます。
アイデンティティについてね。
それって、まずちょっともう疑問点から整理したいのが、
本当にアイデンティティとか尊厳のことについて知りたいと思っているのか、
それとも札本の何者かの感覚がわからなくて言っているのか、だったらどっちですか?
どっちかというと何者かですね。何者かという感覚が本当にない。
それについてもうちょっと言うと、何者かって言ったら、もう何者かではあるじゃないですか。
名前ついてるし、みんなが何者かにならないといけない。
何者かにならないといけないという感覚すらよくわかんないのと、
何者っていうのが何なのかもわかんないし、
例えばYouTuberになりたいとかだったら、何者かじゃないじゃないですか。
YouTuberになるし、その何者かが何を指しているのかよくわかんない。
これみんなが悩んでいるっぽいけど、感覚がわからすぎて。
で、わからんだったらわからんでもいいんですけど、
経営している都合上、他の会社のメンバーとかが悩んでるっぽい時はあるんですよ。
自分のキャリアについてとか。
そこ悩むんだ!ってなった時に理解できなくて。
対処するべきなのかしないべきなのかもわかんないし、
わかるよ!わかるよ!ともなる。
何者かっていうところから、アイデンティティの話に移ったじゃないですか。
ちょっと調べてみたらアイデンティティっていうところが出てきたみたいな感じですか?
そうですね。何かしら関係してそうだなと思って。
何者かというのもある意味で、理解が正確かはわからないんですけど。
例えば自分は農家の息子ですとか、エンジニアですとか、経営者ですみたいな。
あと子育てを積極的にしていたり、
ジェンダーインクルーシブルにすごく課題感を感じている人間です、
みたいな自己認知があるんですよ。
その自己認知っていうのと何者っていう言葉って近そうではあるんですけど。
ただ関係してるんじゃないかなとは思って。
何者かって調べてよくわからなかったので、
じゃあアイデンティティから調べたらわかるんじゃないかなと思って。
アイデンティティと紐付けてちょっと調べてみたけど、
「何者か」の二つの意味:アイデンティティと独自性
わかるようでわかんないみたいな。
自分自身が何者かっていうより尊厳を持って生きてるかみたいな。
プライドとは違うんですけど、
自分自身の国だみたいな感覚を持ってたら、
そもそも何者かって言わないのでは?みたいな気もなんとなくしちゃって。
なるほどな。
それでアイデンティティ、尊厳、何者みたいなのが気になる領域としてあるんですよ。
なるほどな。長くなるな。
長くなるなこれ。どうしよう。
一番は何者かの感覚とかをまず知りたいかっていう感じ。
あーちょっと待って待って。何者かの感覚が知りたい。
そうですね。何者かになりたいっていう感覚を持っていってない。
あーパパさん自身が。
そうそうそう。
なるほどな。
他の人がそれをどうやら持ってるらしい。
ここのギャップを解きほぐしたいっていう感じ。
なるほどなー。
これ何者かって言葉が結構あるんですよ。
まず2種類あって、
それこそアイデンティティの話ですね。
なるほど。
もう一つが独自性です。
独自性。
これが両方とも何者かというワードで語られているっていうところにまず混乱が生じている。
なるほど。
っていうのは勉強してみたら分かりました。
同じ言葉だけど違う意味が重なってるみたいな感じですかね。
日本語で言うときの何者かっていう言葉に自分自身の同一性っていうアイデンティティの部分と
あとはオリジナリティみたいな独自性っていう部分。
だからアイデンティティとオリジナリティが両方含まれている何者かっていう言葉に。
それが文脈によって様々な使われ方をしてしまっているから何者かっていう言葉がぼやけてるっていう。
なるほど。
確信持って俺にはアイデンティティがないって思って何者かになりたいって言ってる人もいれば
俺にはオリジナリティがないと思って何者かになりたいって言ってる人もいるが
この両者が互いに話し合ったときに同じく何者かになりたいよねって言ってても
ずれてるってことは起きるし
それを両方とも達成してしまっているまたはどっちも興味がない人からすると
いったい何について喋ってるのさっきからみたいな
分かるようで分からないなっていう感覚になるとかはある。
なるほど。
と思いますね。
なるほど。
お互いの持ってる定義みたいなものがずれてるから
空中戦みたいになっちゃってるのかな。
何者かになりたいって言ったときに
その欲求はアイデンティティ不全から来てるんですよっていう風に論じる人もいれば
それは社会からの要請である独自性を要請されすぎていて
読み出せていないのであるって論じる人もいればみたいな感じです。
時代と共に変化する「何者か」の像:工業化社会からポスト工業化社会へ
どうやら。
なるほど。
量産型みたいに言葉あるじゃないですか。
アイデンティティを持ってるかどうかは分からないけど
少なくとも独自性の話を知ってる話なんですね。
そうですね。
量産型になりたくないっていう人は
自分が独自でありたいという欲求を抱えているっていうことですね。
ただ一方で
パパパパさんの世代がどうか分かんないけれども
確実に僕の親世代
70年代とか80年代の教育を受けてきた世代とか
それより上の人たちっていうのは
量産型になりたい。
なりたい?
要は平均的でありたい。
平均的国民像になりたいという欲求がやっぱりあった。
知らなかった。
工業資本主義時代ですよね。
結局フォーディズム的な工場があって
そこで工場の規約に沿って働ける
優秀な人材です。
マニュアルに則って働ける優秀な人材になりたい。
なるほど。
っていう欲求があった。
そうである人が人間が一角の人物だと。
大企業に入ってお給料をもらって
専用主婦がいて子供が3人いて
どんどん立診出世していくという
このテンプレートにはまりたい。
なるほど。
と思っていた人がいっぱいいた時代もあるわけです。
なるほど。
それがいわゆるフォーディズムの
2羽付き1個だけで毎回持ってっていう幸せ像がある。
みんながあーだから俺もあーなりたい。
というふうに思ってた世代からすると
その大企業に属し基地である。
課長である、部長であるというのが
アイデンティティーになるわけです。
なるほど。
彼ら
彼らって言っていいのか分からない。
彼らはそれが
アイデンティティーになったんですね。
そうです。
名詞になんとかって書いてある。
会社名で言う。
自分のことを
なんとか工業の何々です。
なんとか自動車の何々です。
みたいなことを言うことが自分のアイデンティティだから
そういう会社とか役職で自分を語る。
名前は付属品みたいな。
その肩書きをスケールアップさせていく。
グレードアップさせていくっていうことに
快感があって。
みたいな人たちからすると
そこへの悩みがあるかもしれない。
先ほどの社の人たちが
キャリアについて悩んでるって言った時に
ここの悩みなのか。
工業資本主義の名残的に
出世したいのだが出世できないという悩みなのか
それともポスト工業資本主義の
後期近代的な
オリジナルでありたいという悩みなのかっていうところは
多分経営者の人は
分かっておいた方がいいかもしれないですね。
ありがとう。
自己実現と独自性の融合が現代の「何者か」像を形成
そういう意味だと完全にポスト工業主義で
自分自身が
社会にとってどういう価値を持っている
1個の人間であるのか
みたいな感じが
感じる。
例えば自分の強みって何だろうとか
他の人が持ってない何か
その中には
時代感とかもあると思うんですけど
うちの会社で出世したい
みたいな感覚もなさそうなんですよ。
肩書きも
肩書きとか欲しいって聞いたら
別にみたいな
あったら嬉しいですけど
必須ではない感じですって言ってて
独自性っていう意味では肩書きは
ワークするんだろうけど
それよりはもっと
オリジナリティみたいな
感覚には聞こえてます。
でもさ、これ不思議なのは
それこそオリジナリティが欲しかったらさ
肩書きが欲しいはずじゃん。
あなたは
ドコドコ会社の何とかという役職で
これはあなたしかないですよ。
世界唯一無二ですよ。
肩書き欲しいですよね。
そういう風になるところが
ならないのはなぜかというと
これ流れの話で
興業資本主義があって
その上で今後期近代が来ていて
ポスト興業資本主義になっちゃっていて
先ほども言ったけど
興業資本主義というのは立心出世なので
上への上昇志向があるわけですね。
自己実現要求というのがあるわけです。
この自己実現と独自性が悪魔合体しちゃっているのが今なんですよ。
オリジナリティもあるし
何か経済的にもちゃんと成功しているっていう
そこの両局面が満たされていないと
人は満足しないんです。
なるほど。ハードル高いですね。
それが結局インフルエンサーとか
だったりするわけですよね。
オリジナルだし稼げてる。
YouTuberになりたいというのは
トップYouTuberになりたい。
YouTuberになって稼ぎたい。
ヒカキンとかヒカルとかみたいになりたい。
インフルエンサーみたいに1個ポストしたらバズる。
バズったことによってアフィリエイトがもらえるみたいな状態で
そこを目指しているときは
自己実現プラス独自性
この両局面となっていないと
自分は何者かに慣れていないと思っちゃうっていうのが
現代の病です。
なるほど。
逆にオリジナリティだけがあっても
俺経済的には成功してないなって思ったら
満たされないんですね。
そうです。
それが昔は工業資本主義への暗示提示として
現代社会における「成長」への強迫観念と自己啓発
俺はヒッピーで行くぜって
そっちの人種もいたわけです。
要はこのカチカチに決められた
こんな教育だとか
補助労働なんてしてらんねえから
俺はあっちの方で寝転がりながら歌うぜみたいな
髪も伸ばしちゃうぜみたいな人たちがいて
その人たちはある意味トレードオフだったんですよ。
確かに。
俺はあっちみたいにならないで
こっちの道を選ぶんだって
これもアイデンティティです。
なるほど。
俺はヒッピーで行くって思えていたら
それで良かったんです。
あんな基本主義のあれには
惑わされないぜって歌ってれば
良かったんだが
今はヒッピー的独立を
経済成功したいっていうところと
組み合わさってしまっていて
これは何となく時代が平均的
要は平均的であるということが
良いことではないというのが浸透してきたから
平均を決めてこれになっていましょうっていうのは
外れ値が異端であるっていうふうに
言うわけじゃないですか
これが結局良くないよね
マイノリティにとって
男性はいいかもしれないけど
女性はどうなの?とか
健常者はいいかもしれないけど
障害者はどうなの?っていう
そこが絶対関わってくるじゃないですか
こうあるべきっていう
真ん中が丸なんだっていう世界観から
多様であるっていう世界観に
じわじわとなってきているので
女がそれぞれ特別だよねみたいな感じなわけです
特別な中で経済成長しなきゃいけない
経済の成功を収めなきゃいけない
っていうような要請があるんで今
なるほど
みんな困ってる
あれは困るわ普通に
これが一個もう
何者かになりたいの
原因というか病院の
説明になるかなっていう
確かに分かりやすい
片方だけじゃダメ
何者かになったという実感は得られないんですよね
そうなると
そこに価値を置いている場合ね
結局大企業に勤めて
普通に払いて
休みの時には海外旅行に行って
楽しいって思えていて
幸せならこんな悩みはいたかない
確かに
そうですね
だから70年代とかを過ごした時は
いわゆる何者かみたいな悩みよりは
立身出世して経済的に成長したね
俺はって言って納得して
そこに価値を置いているかどうかっていう
個人の認知の話はあるんですよね
そうですね
個人の認知の話はあるが
その要請がやはり
逃れられない
という状況もあるよね
やっぱり結局
大企業は
今のままで幸せですかっていう
囁きが
なるほど
常時
なるほど
来るわけですよね
会社員で
会社員の給料だけでいいんですか?
もうちょっとこうした方が良いのでは?
みたいなのとか
なるほど
副業で
副業でどうのこうのとか
結局そこは自分の満足感
いやだから結局
俺は満足なんだ今の自分で
って思わないと
ノイズキャンセルできないとか
そういうのがあったりするので
だから
静かな時間作りましょうとか
なるほど
趣味に没頭しましょうとか
制作に仕込みましょうみたいな
ああいう処方箋的なものがやはり
デジタルデトックスしましょうとか
瞑想しましょうとか
結局社会の規範とか評価から
距離を置いて
自分自身が
今豊かかどうかとかを見つめましょうね
みたいな
処方箋があるわけなんだけど
困っちゃうのが
感情労働と自己の希薄化
これらすら全部自己啓発に回収されるっていう
なるほど
自己啓発の文脈の中に全部こう
そうぶち込まれるじゃないですか
こわ
その瞑想をすることにより
会社に戻ったら生産性上げれるよねっていう
あれになっちゃう
なるほど
今だからほら
世界のエリートが身につけている教養とかさ
はいはい
結局全部教養も
世界のエリートになるために
エリートになるためにどうのこうの
エリートになることは前提ですかみたいな
著者さんはそんなこと思ってないんだけど
まあ確かに
売るために編集者がそういう風な
タイトルをつけちゃうみたいな
それが売れるってことは
やっぱりみんなどこか
自己啓発的にそういったものも
急遽消化してしまうっていう
感じだよね
確かに
そうですね
メタ認知が大事っていう風なつもりで
していても
それはなんか
超人的にいろいろな
そうそうそうそう
大丈夫な自分になりましょうね
っていう風に
自己啓発の文脈に入っていっちゃいます
そうそうそう
こえー
それが別に個展としては望んでない
でも結局
この消費者側が
やっぱりどうしても
自己啓発マインドになってしまっている
っていう
問題なんじゃないかなとは思うし
やっぱ資本主義と生きていくっていう
しなっちさんが書いた本も
やっぱその成長マインドを一旦脇に置いて
現状維持でもいいって思うようにしましょう
みたいな
あるんだけれども
やっぱり
多分無理だと思う
どうしても成長していなければ
もって3日じゃない
成長するのやめたって言って
成長しないで入れるのって
多分無理だと思います
そうよね
なぜならやっぱりこれは
その消費というのが
物消費からこと消費に変わって
結局工業製品
工場で工業
工場で工業製品を作っているっていう時代
から
もうその認知文化的なものが
商品になっているっていう
イベントであったりだとか
それこそ本であったりだとかっていう
物ではなく認知とか社会的な
文化的なものに価値があるっていう
高いので
どうしたって
冷蔵庫は1個買えば
ガタが来るまで使い続けられるけれども
自己啓発本は1冊読んで
読むよりも2冊3冊読む方が
4冊5冊読む方が
良いっていう
になっていて
どんどん変えちゃうじゃないですか
確かに確かに
戦後に
みんなが生活を守るために
物が必要でした
みんなが物が必要だから工場は物を作ります
白く物が行き渡りました
そうなったらもう物は必要じゃないから
頭とか心に
健康な物を
っていう風になっていくから
自己啓発のブームが来るのも分かるし
押し勝つが流行るのも分かるし
イベントとか付加価値みたいなものがないと売れないよねっていう
風になっているっていうのが今なので
ぼーっとしてても
多分
何かしらには取り込まれると思う
自己啓発か押し勝つか
いわゆるフロンティアみたいなのが
工業製品をどう
それで埋め尽くして生活を
物理的な生活を豊かにするのかっていうのを
そこのフロンティアがなくなって
今度は精神的なところとか
自分のラベルみたいな
希望みたいなもので
交費をさせるっていう
企業の
末期を持って
それがあふれまくっているのが今ってことですよね
そうですね
アイデンティティ論の変遷と現代の課題
ビジネス書でも自己啓発本は売れると思うし
あとはあれですよね
お金の勉強系とかもやっぱ売れるとか
投資とか
それだって結局
自分も成長させないけれども
その投資というものはどういったものが
都合がいいのかとか
っていうのを学べば学ぶほど
投資が上手になるわけじゃないですか
これも成長の欲求になるし
あとそれを自分が成長するのをやめて
推しというものに特して
推しを武道館まで連れていくっていうので
課金するとか再生数回すとか
SNSでタグ入れするみたいな
こういうものを自分の人生だとして
ある意味それがアイデンティティだと
私はこのグループの紫推しですっていうのが
自分のアイデンティティだっていう感じになっていくとか
もあるだろうし
なるほど
そっちはアイデンティティなのか
でも言うて
アイデンティティって言葉が
それこそ40年代とかなんですよ
1940年代に
出てきて
エリックソンっていう精神分析がいて
それ発達の人なんですけど
このエリックソンっていう人が立てた
発達のモデルライフサイクル理論っていうのの
思春期の課題として
アイデンティティの獲得
っていうのがあるっていうのがあって
これがもうアイデンティティ論の始まり
アルファでありオメガなんです
で
ここから更新されてないっていうのが僕は
そっちは問題意識があるんですよね
どっちかというと僕はアイデンティティ論が
更新されてない
なぜなら
優れすぎてる
エリックソンの理論が
本当に
びっくりするぐらい優れてて
ガチガチ
隙間ないんですよ
素晴らしすぎて
1940年代の理論なのに
発達
ライフサイクルを述べるときに
それが引用されてるというか
誤読的なものはあるけれども
基本的な幼児期にはこういうのが発達課題で
児童期にはこういうのが発達課題で
思春期にはこれで成人期はこれで
老年期がこれでみたいなのがあるんですけど
8つの段階があるんですけど
これがずっと使われ続けてるんですよね
80年ぐらい
そっか80年かも
そろそろ見直そうみたいな
確かに
特にその思春期のところは怪しいんです
アイデンティティ獲得っていうのが
課題であるっていうのは結構怪しくて
例えば前
入児期、幼児期
児童期とかっていうのは
どっちかっていうと
DNA的な
遺伝子的な話で
生物としてこういうふうなことが
人
ホモサピエンス的には
この時期にはこれが課題だよね
みたいな感じがあって
児童期はある種
社会に羽ばたいていく上での教育っていうものの
圧倒なので
ここもズレはないんですけれども
社会が変わっているので
エリクソンがアイデンティティを作った時
なるほど
社会が変わっているから
このアイデンティティっていう部分は
怪しいなって感じなんですよね
結局アイデンティティ何かというと
児童期までは
こういうふうにやるんだよって
言われてたと
親からとか教師とかから
こういうふうにすることが丸ですって
言われ続けていた
先生が起立って言ったら
起立するのが正解です
なぜならこういうことができないと
工場で働けないですからねっていう理論じゃないですか
なるほど確かに
上の言うことを聞けないと
使い物にならないから
使えるようになりなさいっていうふうに育てられていた
ただそれが思春期になって
その社会を見てみたときに
多元的自己の時代とアイデンティティ
教員が言うほど
親が言うほど今の社会で
そんなに起立って言われて
起立する必要ないんじゃねって
なっていって
ここでめっちゃ葛藤するんです
今まで俺が受けてきた
教育に従ってていいのか
みたいな
この先俺は本当に働くことが可能なのか
みたいな
そのまんまの感じで生きていっていいのか
みたいなのを葛藤し始めて
ようやくこういう面に目が向いていくんです
なるほど
ただただ
教わる側の人間じゃなくて
主体的になって
自分で道を切り開いていきたい
って思い始める
それである意味いろんな情報を選択していって
やっぱり社会はこうなってるよね
俺って
親にはめっちゃ賢いって言われてたけど
実際どう?とか
母ちゃんにはやればできる子って言われてたけど
実際どう?とか
なんかそういう
実際俺ってどんなやつ?
みたいな
気持ちがめっちゃ芽生えてくるのが思春期なわけです
なるほど
でその思春期で
それを確認する作業として恋愛みたいなのがあるんです
おーへー
でもうバチバチじゃないですか恋愛って
あなたのこういうところが嫌い
さよならって言われて終わるみたいな
えーってなって
あんなに俺はもう
めっちゃモテる存在だと思っていたにもかかわらず
振られるんだみたいなので
めっちゃ葛藤があって
じゃあ次はどう?って言って
次の子にもまた振られる
じゃあ次はどうだ?ってまた振られる
どんどんどんどん自分
俺が正しいと思ってたことがどうやら正しくないらしい
みたいなもので葛藤しあって
男同士で集まって
それはあっちが悪いよみたいな
それは女の方がどうかしてるよとか言われつつ
答え合わせしていって
人格形成していくみたいな
感じになってきてようやく
こんなにこうやって管巻いてるんじゃなくて
結局こういうことをして
やっていかないと
いけないよねってなって社会に出ていって
みたいな
社会に出ていってから先は結局
子孫を残せるか
とか
自分がやってきた
キャリアとか仕事
っていうのを後輩に手渡すことができるか
みたいな
生殖という
それが実際の生殖でもあれば
メタファー的な生殖でもあるんですけど
そこが俺は果たしてできるのだろうか
っていうのは
社会人1年目教わる側でやってきて
伸びてきたけれども
子供も生まれただけれども
部下を育てることができない
みたいな
悩むみたいなものが
ここら辺で中年危機みたいなのが
来るわけですよね
あんだけ可愛かった子供も
あんだけ愛情たっぷり育てたのに
パパ嫌いって言われちゃった
なんでみたいなのも
あんなに元気だった親がどんどん弱っていくの
見るのつらいみたいなのが
加わってくるのが中年の時なんで
このここに悩まされるのが中年危機
これこの辺も結構
普遍だと思うんですよ
そこから老後になった時に
人生を振り返って
良かったか悪かったか
の判断するみたいなところも
普遍なのかなと思うんですけど
ここの既春期の
この葛藤場面
というものが
結局今僕って
自然とどっかの企業に勤めて
立心出世していくモデルを言ったけれども
これが正解では
なくなってきているわけですよね
いろんな働き方があって
いろんなコミュニティがあって
学校の友達だって
昔は友達といえば学校の連中
よくて塾
とか習い事くらいだったけれども
今やなんかおっさんとか
名の知らぬ
誰かとか
インターネット上で繋がることができちゃうとか
確かに確かに
それも別に
繋がってるだけだから本当に害はない
テレビの画面の
向こう側で一緒にゲームしている
友達これが俺の親友
だけれどもそれが果たして
どこに住んでてどういうのか分からない
みたいな状態とかがあるわけですよね
なのでそうやって
自分というものを
何かこう一点に
集中させてアイデンティティを獲得していく
俺はこっちの道で行く
って思うっていうこと
の前提が崩れている気がしている
これが
多元的事故の時代って言うんですけど
自分というものが
いくつもある
昔は
ちょっと病扱いされてたんです
なるほど
やっぱその
一貫してない
ここの人に言ってることと
あっちの人に言ってることで
言ってることが違うというのは
事故が一貫していない
極端に言うとね
乖離しているみたいな
感じなんだけれども
乖離をしていないほうがおかしい
みんなに一貫で
接してたらおかしいと
やっぱ時と場合によって
言ってることを分けて
いろんな側面がある
家庭での自分 学校での自分
インターネットの中の自分
インターネットの中であっても
ゲームをしている自分 Xに書き込む自分
とか全然違うロブロックスしている自分とか
全然違くて
当たり前ってなっている時代なので
ここに
じゃああなたは誰なんですかっていう問い
そうした時に
私はこれですっていうのが
なくて当たり前だと思うんですよ
そういう時代だから
確かに確かに
それを捕まえて
この子はアイデンティティが獲得できていないから
この思春期の時の
葛藤を超えるってことがなかなかできてないよね
なぜなら思春期ってやっぱアイデンティティ
獲得するべきだからみたいな
論を思うのは
ちょっと時代遅れなのかなっていうのは
思ってはいるんですけど
でもあんまりそこ語られない
自分自身
そういう
多元的事故というものがあって
自分を培養化できていないまま
年齢を重ねてしまうから
自分は何者でもないと思ってしまうのだ
っていう
論の方があるんです
これアイデンティティ論で考えたら
それは辻褄があってるんですけど
僕的にはそもそも
前提が間違ってると思ってる
思春期の時代に
アイデンティティを獲得する必要がもはやない
いろんな自分というものが
集団への所属と自信のなさ
いて当たり前
なのにも関わらず
働くことを
絞りましょうねとか
働くっていうことに
ちゃんと熱意を持てとかって
要請をしてしまうと
働くのはなあなあで
普通に昼休みにX見るのが
一番の喜びで
帰ってからお昼のライブ見るのが
一番の喜びでっていう人たちに対しては
いやお前仕事でちゃんと成果出せ
みたいなこと言っててもあまり意味がないのかな
っていう
気はするんですけど
この辺がすごく今ね
ずれてる感じがします
それはでもすごく
感覚的にしっくりくる
話というか
そもそもやっぱり
えっと
パッコたる自分とか
どの方向から見ても
同じ形をしてる自分っていうのは
なんか
個人的には全くしっくりこなくて
うん
なんかまあ
移ろい行きますよねとか
角度によって違うのは
当たり前だよねとか
自分で違う面見せるじゃないですか
部活の自分と
あと
わからないけど
大学の時の自分と
仕事してる自分と
親としての自分は
全部違ったりするけど
それを一つに
まとめるなんて
そもそも無理では
って思ったりするので
もう文人
文人の方が
しっくりはくるんですよね
そうね文人と
言いますね
うん
なんかその
個人というよりは
個人ではあるんだけど
その面によって
違うっていうか
でもそれもひっくるめて
全部自分だよねってことでもあるとはやっぱり
思うし
そうですね
だからそこの自己矛盾というものに
どれだけ葛藤を抱えるのか
ですよね
次の課題としては
結局そういう
ここではこういう発言をしています
でこっちではこういう
発言をしています
ってことに対して全然
違うことを言っていたとしても
これはだってコミュニティが
違うんだから便は分けるでしょう
って思えてたら葛藤はしないけれども
だから
要はなんつーの
発泡美人的に
自分が合わせちゃってて
で結局
ちょっとこの計算が苦手だったりするから
こっちより
違うことを言っている子とか
こっちのコミュニティにバレちゃって
それで
全然私たちといるときと
違うことを言っているじゃないどういうこと
詰められちゃって
ごめんごめんってなっちゃって
みたいな風になるとかはあるし
やっぱ思春期コラブルとかも
結局
そこが苦手な子というか
不器用に
なっちゃう子とかは
両グループから
被られてしまい
辛いみたいなこととかも
あったりするみたいだし
そこはね結局
多元的事故で
人に見せる面が
違ってて当たり前だよねっていう話と
それによって生じる
二次的なもの
の話はまた別なのかな
二次的なもの
ちょっと自分の話になっちゃうんですけど
二次的なものを
私自身は全く
気にならなかったんですよ
大学でも
何グループくらいあったかな
3,4グループあったんですけど
全部仲良くて
その日の次の授業の
タイミングに合わせて
一緒に食べる人違う
そもそも
デフォルト一人でいます
みたいな
大学生だから
それぞれ
個々人だよねっていう前提が
あったのもあると思うんだけど
高校生とか中学生とかに比べて
グループで
動くことの価値そんなに大きくなかったと思うから
なんかその
何て言うんだろう
それに比べると
みんな結構
グループでいることを
重視しているように見える
そこにしなければ
いいんじゃないって僕は思うんだけど
すごく
気にしてて
そうするとさっきの
あっちでこう言ってただろう事故が
起きたり
起きることを知ったりみたいになって
窮屈そうには見える
それに関しては
人と人がなぜ組むのかっていう
ところの話で言うと
結局それは自分に
自信がないからっていうのがあって
集団内の自分
っていうしかも
集団で
みんなと同室であるという
ことに
安心感を抱く
っていう人がいるんですけど
これがどういう
心理作用かというとやはり
そこがまだアイデンティティが確立できてないんですよ
そういう
めっちゃここからやりほしくなるけど
てかねそもそもかわいはよとか言ってるんだけど
エリクソンが
アイデンティティっていう言葉を作った時に
めちゃくちゃこれそもそも
曖昧な概念であると
そもそもが
多様であるというか
意味わかんないじゃないですか
アイデンティティ
同一性とか自己同一性とか
言葉自体がまず曖昧だと
っていうところが大前提であるので
あんまり
何かを成し得たからアイデンティティが獲得された
とかいうことがないんですよ
そもそも
っていうことを一回挟んでおいて
いうと
結局
群がる人っていうのは
まだまだ自分に自信がない
証明するものがない
だからドコドコグループの誰々であるというか
ドコドコグループの一員
っていうことで
ひとまず安心する
って感じですね
結局そのまんま
その所属メンバー
ということの
状態から
変わらない限り
その所属メンバーに
依存する
じゃないんだけど
依存するとも違うんですよ
結局その所属し続ける
そのメンバーであるということを
言い続けるみたいな
感じに
思い続けるみたいな
感じ続けるみたいな
感じで過ごすことになり
そうするとそのグループから
強制的に卒業ですみたいな言われちゃった時に
この人は結局新しい現場でも
グループ合わすみたいな
誰かと
2個一にならないと気が済まない
ランチを友達を作らないと気が済まない
みたいな
ランチを友達がいないという自分が
恥ずかしいのでトイレでメッキ食います
みたいな
そういう感じになっていく
っていうイメージですね
フォーディズム時代の終焉と現代の処方箋
なるほど
構造的には最初に言った
ポストじゃない
フォーディズムの
組織の中に属して
量産型になって
埋没するけど
そこには幸せみたいなものがある
すごく似てる
と思ったんだけど
似てるのかなやっぱり
どうなんだろうな
っていうかそもそも
フォーディズムの仕組みっていうのが
異常なんですよ
なるほど
あれが特殊なんですよ
結局
工場に人を詰めて
マイホームローン買わせて
働き続けるようにして
奥さんに専業職やってもらうから
交通機関で
どうにかなるような
ところに住んでもらって
みたいな
電車通勤なんだか自動車通勤なんだか
わかんないけど
っていう風にして
あれってやっぱ
従業員を
辞めさせない仕組みじゃないですか
従業員辞めさせない代わりに
こうしておけば給料払うし
子どもも産まれるし
子どもの面倒
奥さん見てくれるんだからめっちゃハッピーじゃない
っていうことを
代々的に打ち出して
なるほど
めっちゃいいじゃんってなって
みんながそれを求めてたっていう
わずか
ちゃんと
それが回ったのって1940年代から
70年代の30年間くらいなんですよね
1920年代くらいから
それが始まって
ようやく形になってたのが40年代からの
30年間くらいらしくて
そっからちょっと残りが
ふわーってありつつ
90年代に入ってうちにあると30年
感じじゃないですか
今みたいな
感じなので
あんまりメタファーとして
アナロジーとして
オーリズムのときの
それと似てますよねって論じるのは
あまり
特殊すぎて意味がないから
なるほど
逆っすね
そういう人間の特性を
上手く使って
報道者は
こうやればいいやっていうのを発明し
めっちゃいいね
他の企業も真似してみたいな
それが社会全体の当たり前になって
大企業に勤めなさい
大企業に行くためにはいい大学に行きなさい
って言って
っていう風に
女子たるもの
家事ができなきゃダメなんだからつって
家事をやらせて
男は技術女は家庭家みたいな
そういう
時代があったけれども
それが30年の幻想が
終わったんです
それで書かれたのが
レクビッツの幻想の終わりになるんです
幻想が終わったっていう
なるほど
盛大なこの本のPRになっちゃった
そういった幻想が
終わった我々どうしますか
なるほど
あれが幻想の
特殊機関だったんですね
そうそう
構造が似てるというよりは
人間の特性を
うまくハックして
めちゃくちゃハマってしまった
そうですね
それより前は争いだから
なるほど
フロンティアじゃないですか
結局それより前は植民地の話じゃないですか
うんうん
みんな国決まったねーってなって
ここからじゃあ
どうやったら
物売れるかなって話になって
確かに
1920年とか第一次世界大戦の後
うん
そうそうそうそう
戦争も良くないよねー
物も売れないよねー
ってなってるから
頭の心に訴えるしかないやん
頭の心に訴えるしかないやん
って言って
トパガキが生まれてるわけですよね
それが今現在ですよ
トパガキが
やられちゃってるっていう感じですよね
こう整理するとよく分かるよね
うん確かに
現在地っていうのが
なるほど
現在地が分かっただけで
感情を取り戻すことの重要性
処方箋がないみたいな状態ですよ
うんうん
自己啓発っていうのが一個の処方箋だったけれども
うん
今日は
お前が成長すればいいんだよ
うん
話です
うん確かに
それは一つの処方箋
悩んでるぐらいなら動け
勉強しろっていう
うん
っていう風になってて
だって世界の偉人というのはな
って言って
あーなるほど
毎朝早く起きて
なんか出勤前に何々して
働くは働くで
働いた後に帰ってからもこれをやっていて
毎日続けて
その習慣が大事なんだみたいな
うんうん
だから成功したければ習慣だみたいな感じになって
世界のエリートは
習慣をこう過ごしているみたいな
実際そういう本が
去年めっちゃ出たらしいです
すごい習慣改善
っていうなるほどってなるわけですよね
うん
そういう習慣を守って
成功したってことはそれをやるかって感じなんだけど
でもこれ完全に論理学の
ロジックにやられてるわけで
その人はその習慣を守ったから
成功したかもしれないけれども
その習慣を守ったからといって成功するとは限らないんです
うーん確かに
必要以上に動けない
で言うじゃないですか
習慣守ってたのに
うまくいかなかったんだけど
いやそれは張りてない
言われるだけ
本気でやったか
思い返して365日思い返して
なんか1ヶ月間ぐらい
トータルで1ヶ月間ぐらいはサボってた時期があるじゃないの
あなたのこのサボってた時期
このサボってた時間
つなぎ合わせたらトータルで1ヶ月ぐらい
サボってたってことになるんだよ
1ヶ月サボってたらそれは無理だよね
こっちにクレームしないで
お前のせいだから
でそれを
真に受けちゃって
そうなのかーって思ってまた頑張っちゃう
確かに
その先になんか
幸せを実感できるかどうかは
謎だよね
ウェルビーイングっていうのが大事だよって
やっぱ言われるのも
あるけどねやっぱそれは
でも結局
ウェルビーイングも成長の先にある
みたいな風に言われちゃうと
ですよね
確かに
また全部事故
成長とか
怪我で回収されてしまうのか
僕はだから結構
今自分で実験的に
この世の中でどうやったら
あえて鍵かっこで
幸せってことはするけど
幸せになれるのだろうかっていうのを
ずっと考えていて
それが結局
感情を取り戻すとか
あとは文章を書くみたいなことに
一旦
自分のこの
パーソナリティとか得意不得意を
照らし合わせてみたときにそういうことなのかな
これは具体なんで抽象化できてないですけど
そういう具体は
思いついていてそれをやっている
みたいな感じですね
なるほど
結局
自分の感情までも
企業に回収されてしまうっていう
そういう
世の中でもあるわけで
感情労働っていうものが
あるから
結局その要は物ではなくて
サービスに価値があるんだよ今
物消費からこと消費になっているので
結局物を売ってたとしても
物を買いに来てたとしても
お客さんが求めているのはサービスなんですよ
確かに分かる
本当にいい物を買ったのに
店員の態度が良くなかったから
損した気分になる
せっかくお会計の手前までは
いい気持ちだったのに
最後のこの袋を渡すときの
所作が
なんか適当な感じがしたから
残念
確かに
美味しいご飯を食べたのに
店員が
態度悪かったから
ありがとうございましたとか言ってくれなかった
美味しかったですって来ちゃったのに
お待ちください
次のお客さんに
言っちゃって
せっかくいい気持ちで終わろうと思って
ごちそうさまでしたとか言おうと思ったのに
それが報われなかったな
今の消費の仕方って
それじゃないですか
だから企業は
そういう気持ちをお客さんにさせないために
しっかり
感情を整えて
お客さんの感情をちゃんと豊かにするような
サービスを心掛けてくださいねってなってるので
そのキャビンアテンダントとか
普通に飲食店もそうだし
みんなその
感情労働
お前の感情はいい
大事なのはお客様の感情だから
従業員としての感情を
持ちなさいって言って
だんだん自分が分かんなくなってきたんですよ
確かに
お客様にクレームをいただいたときに
申し訳ございませんって
言わなきゃいけない感情になってるから
家帰って旦那さんに
これできてないんだけどって言われても
ごめんごめんって言っちゃう
あー
お前がやれよじゃなくて
それが染み付いちゃってる
なるほど
クレーム対応する体になっちゃってるから
はい
もらはらとか受けてても
それやばくない?
もらおうじゃない?って言われても
そうかなーってなっちゃうみたいな
なるほど
そっか
そこの感情労働を
知ってくださいと企業から
言われているのを
ずっとやり続けることによって
ある意味ちょっと改造されてしまったというか
そうですね
そしたら
自分みたいなものが
より分かんなくなるってことですね
そうですね
自分というのが
根性と記憶結びついてるんで
なるほど
扁桃体の横に会話があって
感情が刺激されることによって
会話がこれ覚えておいた方がいいんだなって
思うってことなんです
なるほど
だから感情が揺さぶられないってことは記憶に残らない
はいはいはい
だから感情を押し殺してしまうと
記憶が詰まらない
1日過ごしてて
1年過ごしてて
何が楽しかったって言われても覚えてない
みたいな
何にイラっとしたって言われても覚えてない
みたいな感じになって
そのまま生きていくのっていう
生きてる意味あるみたいな
なるほど
だからすげえ感情大事なんですよね
感情が揺れ動くっていうのがすごく大事で
うんうんうん
って思って
俺のこう
俺の中に残ってる
記憶を探っていった時に
どんな感情が想起されたのだろうかっていうのを
思い返して
僕はノートとかに書いてるわけですね
なるほど
俺ってこういう時にこういう感情になってたんだ
みたいなのをまず取り戻す
うんうんうん
ある程度取り戻していって
俺ってこういうのに
一気一流というか感情が揺れ動くタイプだったな
とかって思えると
感情がいきいきしてくるわけですよ
なるほど
そうすると日常の世界に
感情が戻ってきて
1日終わった時にはこんなことが楽しかった
こんなことにイライラしたみたいなことがあれば
それすごく温かみのある
人生になっていくよねみたいな
あー
っていう感じがする
それをやっぱり振り返る時間が欲しいというか
うんうんうん
じゃあどうやって振り返るの?ってなった時に
僕は文章を書くなので
文章に書いて
残しておいて
だからこないだ旅行に行った記憶を
記録として書き残したんですけれども
そうやってやっぱこう
積まれていく感じがするわけ
感情のハックと人間性の喪失
あーなるほどなるほど
人生が積まれていく感じがして
うんうんうん
エッセイ的に文章の記憶を残しておく
1日の終わり、旅の終わり、1週間の終わり
3日ごと
でもなんでもいいから
感情にフォーカスして
なるほど
記憶を残す
記憶をまず思い起こし
それを残る形にするみたいな
可視化していくと
うんうん
なんか豊かなんじゃないかなっていうのが
思ったっていう
なるほど確かに
なんかその今の話を聞いてて
脳内にイメージされるのは
なんていうか
グレーな空間というよりは
もうちょっとその
いろんな花々だったり
いろんな領域に
バーッと開かっているのを
に近い
なんていうか
記憶屋が
踏まれているなっていう気がしたんだよね
そうですね
結局
いやでもね
大事なのが感情だと僕は思ったんです
もうこの
ポストフォーリズム
資本主義において
ポスト工業資本主義ですね
ポスト工業資本主義において
認知とか
感情とかが
ハックされすぎていて
結局感情だって
タイムラインにハックされて
アルゴリズムにハックされちゃって
別に怒らなくていいことに怒っちゃう
で結局さ
そういうのに怒ってさ
引用リツイートとかさ
リプライとか飛ばしてる人を見てさ
あ汚いんだよ
こんなことで
怒らなければいいのに
こんな一個一個の
タイムラインのポスト見て
感情を揺さぶられるのって無駄だよ
これはもう
無視しましょうスルーしましょう
反応しないみたいな
トレーニングをしていくと
どんどん感情なくなっていくと思うんですよ
僕ってほら中学校の頃からさ
仏教が好きだからさ
無になるタイプ
反応はしないんですよねやっぱり
だから多分
放っておくと本当に無感情に日々を送ってしまって
記憶が残っていかない人間になっていっちゃうな
っていうのを思ったし
これが何かというと
結局社会の
要性によるものなんじゃないかな
っていう風に思った
僕はちょっと違うけど
神とか仏教に
興味が出てしまって
それを学んだ結果
仏教のこういう教え面白いなって思って
無とか反応をしない
不みたいなものが面白かったから
それはただの演技案みたいな話
処理をしてしまっていた
部分があって
それはそれで本当悩みがないし
感情揺さぶられなくていいんだけれども
その代わり本当無だよね
超無だよね
ってなっていっちゃうと
本当極論死んでもいいんじゃないか
死んでても一緒だねみたいな
なってしまうから
それはやっぱり良くない
特に家族ができて子供が生まれて
日々楽しく
のびのびと
この一瞬一瞬を
覚えておきたいなみたいな
思うので
それだけに感情を取り戻すっていうのがすごく大事なんだろう
っていう話です
なるほど
うなったって感じですか
なるほどな
いろいろ
エイリフロムとか
動物化するポストモダンとか
韓国のビョンチョルハン
って人が書いた非道社会とかさ
読んでも結局
こうなんすよね結局
なんかこう
逃げようみたいな
暗想しよう
それこそ
自分の本当にしたいことに向き合おう
みたいなさ
あとは
エッセイストのように生きようみたいな
本とか松浦八太郎さんって人が書いた本とかも
結局その
こんなこと書いてないし
威厄なんだけれども
足元にある
花を見て美しいと思えれば
日々ってすごく
豊かなものなんですよってことを
やっぱり
言ってるように僕は受け取ったんだけど
そもそもその
感性がないからっていう
それは結局
足元の花に
気づくという自己啓発になっちゃうんですか
確かに
豊かな人生を手に入れたければ
足元の花に注目しろっていう本
なるほど
そっか
日々忙しい中で立ち止まることが大事だよね
立ち止まって
足元にある雑草が
なんていう花なのか
ハルジオンって言うんだ
っていうことを
大事に思うという自己啓発
になっちゃうんですよ
それをすることによって
また明日も頑張れるようになっちゃうんですよ
だからそれなんか
方向づけがまじで
変わってないなっていう感じがして
一旦そのもうさ
いいよもういいよ
この世はあなたに成長しろ
という風な
ことを言ってきます
結果的に何が奪われるかというと
記憶と感情ですと
あーなるほど
感情なんですと
感情に目を向けましょうと
感情に目を向けていれば
上司からとにかく言われたことになって
イラッとできるし
イラッとできなくなったら終わりよ
人として
マジで腹立ったわあいつ
って言えるっていうのが超大事
でも仕事とプロフェッショナルとしては
やるけどねっていう
お客さんの前では
イラッとしないスキルを使って
イラッとしないことができる
し上司の前でもなんか綺麗な
と思っててもここで言い返しだと
余計めんどいから分かりましたっていう
とかはできるだけれども
内心ちゃんと腹が立ってられると
マジで腐らせらんねえわ
思えるっていう
ここに人間味があるわけで
確かに
それは超大事ですよっていう
感情がずっと自分の中にある
っていうことをキープしておくのって
超大事ですよって
「やりたいこと」の捉え方と自己啓発の罠
成長をやめましょう
とか
現状維持をしましょうとか
政策に打ち込みましょうとか
趣味を持ちましょうとか
瞑想をしましょうとかも
いいかもしんないけど
それをやっている
人間がロボット化していたら意味ないんじゃないかな
それは確かに
政策をするということを
やっておるので
私には
自分の時間があるのであるみたいな
確かにね
めっちゃメイクセンス
わかる
なんていうか
やりたいことを見つけましょう
の話あると思いますけど
なんていうか
取ってつけたやつって
ほとんど意味ないんだろうな
と思っていて
なんかその
行き通りエンジンか憧れエンジンで
駆動してないやつは
なんていうか
全くエネルギーが出ないし
そもそもやろうと
無理やりやろうとしているけど
そこには嘘がつきまとうから
なんていうか
何かをやっている
自分みたいなものに
酔わないと
やっていけないというか
もっとプリミティブに感情的に
これがもう許せないから
やるんだ
もう求めて求めて
仕方ないからやるんだみたいな
感情に動かされてないやつ
やりたいこと
みたいなのは
起点というかさっきの
何だっけ
自己啓発として
やりたいことをやるのが
良いのだよねと言われて
すごく近いなと思ったので
他動力とか言われてるから
他動力があればみたいな
そういう感じですよね
起業しましょうってみんな言うから
起業しないといけないのかなって
副業だって言ってるから副業やって
大変だから出戻ってみたいな
だからそういう人の
流れを見る
ある種
トレンドに乗っかり続けて
過ごしていて悩みがないのであれば
良いのかもしれないが
それが結局
人の差があるというか
人から指示されて
こういう風にするといいよってことをやってみます
ってやるみたいなことで
安心をするっていうのは
あるかもしれないんですけど
それって結局は
フォードをやってた
ことと同じであって
こういう風にやれば
いっていいんだから
やっておきなよって言って
結局それが
Chromeからするとオートマトン
自動人形ですっていうね
その先に何があるかというと
自己作主であると
いう話ですよね
結局
ずっとずっと
自分自身の
自分の
肝臓を食べ続ける鳥のヒール
そのフェニックスがね
ずっとずっと
働いて寝て働いて寝て
っていうのを取り返すとか
ブームに乗る終わる
ブームに乗る終わる
っていう風にやっていく先に
もうバーンアウト
燃え尽き症候群
もう無理ってなっちゃう
それがどこで来るか分かんないですよね
結局
ニュースピックスのブームにも乗っかった
けど特に
成果が得られず人分値ブームに乗っかった
特に
成果が得られず次
やってる時はこれなのか
これなのか
次はこれなのか
多動力の次はメモなのか
次は人分値なのか
やってて
コタンブン
もう無理ってなって鬱になっちゃうとか
燃え尽きちゃうとか
精神に失調期たしちゃうって人が
めっちゃいるよっていうのが
疲労社会っていう本にも書かれてたりしたし
なるほどね
だからそうなるんだろうな
っていう
燃え尽きちゃう
今はやれって言う
禁止はしないよやるのは自分の自由だよ
って言われてるから
じゃあやりますよって言って
あれもできるこれもできるあれもやるこれもやる
メインで働きながら副業をいくつも掛け持ちして
複数の副のほうの副業をやってます
一方で投資もやるしWEB3にも手を出すし
みたいな
いろいろやってやってやってやってどん
終わっちゃう
そこの未来は
本当にタフじゃない限り
誰しもが訪れちゃうんじゃないかな
っていう気がするんですよね
だから一定距離を置きましょうね
っていう処方箋があるんだが
あるんだが
あれもやれこれもやれ
分かりましたそれをやりますのテンションで
距離を置いて
制作に励もうが
スイカ育てようが
根は一緒だから一生懸命やっちゃう
一日のプログラムの中に
組み込んで
副業の傍らそれをやって
それでちゃんと心が
癒えてるのかというと
あー今日エサやりできなかった
水やりできなかった
みたいな
完璧主義の
あれなんか
全然育たないんだけど
なんで
このプラン通り
マニュアル通りやってるのに
なんでみたいな
やめたみたいな
そういうことじゃないっていう
もっとちゃんと
こう
ちゃんと住み分けれる
境界を引ける
成果を出そうとか
オリジナリティを出そうとか
そっちの要請が来るのは仕方ないから
そこはどうにかして
やりつつも
人間の
所業であるという
人間性みたいなものを
ちゃんと保った上でやんないと
マジぶっ壊れるよ
っていう
人間じゃなくなる
っていうね