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2025-01-04 20:55

「天才」と「秀才」

サマリー

このエピソードでは、漫画『ブルーロック』を通じて才能開発や成長の概念が探求されています。特に「自分型」と「世界型」に焦点が当てられ、天才と秀才の違いやその重要性が論じられています。また、秀才と天才の違いについて深く掘り下げ、パフォーマンスの最大化に向けた思考のアプローチに焦点が当たっています。特に、執着心が秀才の成長を妨げる要因として取り上げられ、自己の特性の理解と活用の重要性が示されています。

ブルーロックの概要
Buenos días, gente!
この放送は、SWC🦥スロースウィズクリエイターズのコミュニティメンバー、ワーパパCTO🦥がお送りいたします。
今回は、漫画界ですね。
ブルーロックという、マガジンで連載中のサッカー漫画の中に出てくる概念についてお話します。
ブルーロックはどういった漫画かと言いますと、
イサギヨイチという主人公の成長物語です。
日本フットボール連合という組織が、
日本をワールドカップ優勝に導くことができるストライカーを作り上げるというプロジェクトを立ち上げました。
そのプロジェクトの名前がブルーロック。
青い勧告という意味ですね。
日本中の高校生のサッカー選手から、有力なフォワードを300人集めて、
ブルーロックという合宿場に閉じ込めて、
その選手を育成し、選抜していくという風なお話になっています。
プレイヤーたちは超人的なプレイを繰り出すので、
若干異能力漫画っぽいところはあるんですけれども、
この漫画の特筆すべきところは、
各プレイヤーの活躍がロジックで説明されているところです。
主人公のイサギ君はですね、プレイしながら他のプレイヤーを分析して、
そのプレイヤーの動きと盤面ですね、フィールド上の動きの状況を、
自分に適応させながら成長していくんですよね。
この成長が非連続であって、
試合の最中に何かを掴んでいって、どんどんと活躍をしていくという風な描画がされています。
この成長と活躍というのがすごくヒロイックでですね、
読者が魅力されていくという風なお話になっています。
ブルーロックはアニメ化されて、第2期がちょうど2024年末に終わったというところですね。
漫画は今、32巻まで発売されています。
このブルーロックなんですけれども、
才能開発とか組織開発といった分野で注目を集めています。
小原さんですね、小原和弘さんとか、楽天大学の中山真也さんとか、
あと才能博士の高陳さんとか、そういった著名人の方も、
ブルーロックは才能開発の観点ですごく学びがあるという風なお話を
されています。
今回の放送では、ストーリーについてはほとんどお話せずですね、
29巻と32巻で解説されていた概念についてお話したいと思います。
なのでストーリーのネタバレはせずに解説するんですけれども、
その概念も含めて、ご自身で漫画を読んでみたいという方は、
ここで見ていただいていいかなという風に思っております。
はい。
集中力の型
ではまずはですね、29巻の254話で提示された概念について
お話をしたいと思います。
その概念は、世界型と自分型というものです。
人によっては最高のプレイにたどり着くための方法というのは
違ってきます。
集中力が高まるプロセスというのは、人によって合う合わないというのが
あるという話ですね。
これを2つに対別したもの、集中力を高めるプロセスを2つに対別したものが
世界型と自分型です。
自分型はどういったものかというと、周りのことを気にせずに
自分の快感を追求することで最高のパフォーマンスを発揮するという風なタイプです。
価値基準としては、自分にとっての価値というのを最重要視しています。
自分の感情やこだわりというものに没頭することでパフォーマンスを発揮します。
例えば、めちゃくちゃ絵を描くのが好きで、そればっかり熱中しちゃうとかですね。
人付き合いみたいな、一般的にちゃんとやった方がいいよって言われているようなものは
二の次になってですね、ほとんどどうでもいいみたいな感じで
自分の好きなものにめちゃくちゃこだわってやり続けちゃうみたいなタイプ。
こういった感じで集中できるタイプが自分型と呼ばれます。
サッカーでいうと、自分型の人がサッカーでゴールを決めた時には
ゴールを決めた俺がすごいだろうっていう風に思うタイプですね。
一方で世界型はどういうタイプかというと、周りのことを理解して計算して
世界の壺みたいなものをついていくことで最高のパフォーマンスを発揮するようなタイプです。
価値基準としては、世界にとっての価値というものを最重要視します。
世界から見た意味とか意義とか、あるいは世界の価値観の中での功績みたいなもののためにパフォーマンスを発揮するタイプです。
例えば、世界のルールがこうなっているからそれに合わせてこうするとか
社会構造がこういう風になっているからこうした方がいいよねみたいな風に思うタイプですね。
社会的な名誉や功績のために頑張るとかも世界型に当たるかなと思います。
世界型の人がサッカーでゴールを決めた時には
俺が決めたゴールそのものがめちゃくちゃ美しかっただろうみたいな風に思うタイプですね。
先ほどの自分型はゴールを決めた俺がすごいだろう。
世界型は俺が決めたゴールがすごいだろうっていう風な違いがあります。
これはどちらのタイプが良いか悪いかという話ではなくて
その人がどちらの方が合っているかという風な傾向の話になります。
どっちのメンタリティで戦ったら最も自分の能力を発揮できるかという風なお話でもあります。
天才と秀才の関係
そして次は天才と秀才の話をします。
ブルーロック32巻の第281話でまず生物の進化の話がされます。
生物は突然変異的に今までその生物が持っていなかった特徴を持つということがありますよね。
例えばすごく足が速かったりとか感受性が強すぎるとか
体が長い首が長いとかですかね。
そのような突然変異的な特徴を持つものの多くは環境に適応せずに自然到達されてなくなっていくということが起こります。
しかしごく稀に環境に適応するような突然変異体というものが発生します。
そのような環境に適応するという風なものにランダム的に適応した突然変異種は
自然到達の結果で生き残りやすいわけですね。
環境に適応して自然到達の結果生き残って子孫を残していくということが起こります。
そうするともともとの種族とは異なる種族に変わっていくことになります。
これを進化という風に呼んでいます。
進化という言葉は非常に誤解されやすくて
恣意的に進化しようと思って進化したかのように思われがちです。
キリンは首を長くしたいと思って首を長くしたみたいな
そういった言説がありますけれどもこれは誤解だというふうに言われています。
あくまでも確率論による環境適応の結果自然到達が起きて残ったみたいな話が進化論ですね。
これはコテンラジオの第300回目の放送でもそういった解説がされているのでぜひご参照ください。
ここでブルーロックのお話の中では天才と秀才について独自の解釈を展開していきます。
人間社会においても多くの人と異なる特徴を持って生まれてくるという人がいますよね。
その特徴が理由で他者から理解されない、生きづらいといったことが起こります。
これは進化論における突然変異的なものとアナロジーになっているわけですけれども
いわば人類における進化の遺伝子の可能性を持った人が稀に生まれてくると
その人たちは特徴的な何かを持っていて
だけれども他者から理解されない、生きづらいみたいなことは起きます。
その特殊な特徴というのはある意味突出しているとか
喪失しているというふうに言うこともできるかもしれません。
そのような凸凹みたいなものが他の人とは異なる独自の活動や表現を生み出します。
その表現を人間社会に投げかけるということができます。
その独自な表現活動がたまたま時代や環境に対して確率論的にマッチすると
それが世界の標準を変えていくということが起こります。
歴史上、スポーツでも芸術でもそのようなことは何度も起きてきました。
分かりやすいのがフィギュアスケートにおけるジャンプなんですけれども
誰かが一度とある難しいジャンプを成し遂げた後に
時を経てそれは標準的なジャンプにどんどんなっていくんですよね。
ゾルトレアークみたいな感じかもしれないんですけれども
1988年に伊藤みどり選手が当時女子には不可能だと思われていた
トリプルアクセルを世界初女子選手で飛びました。
その後トリプルアクセルを飛べるという選手は
片手で数えるほどしか登場しなかったんですけれども
2015年以降になると急に成功者が増えていったという話は
もしかしたら聞いたことがあるかもしれません。
他にも日本のサッカーが近年ワールドカップでものすごい活躍をしていますが
これも日本のサッカーの標準が
様々な過去のプレイヤーたちによってどんどん塗り替えられていった結果だと言えると思います。
このような世界の標準を変えていくことができるような種
そのような種を持つものをブルーロックでは天才というふうに解釈しています。
ただしそのような世界の標準を変えるような革新というものは
天才一人で成し遂げられるようなものではありません。
天才は最初に申し上げた通り
生きづらかったりするので
変人とか忌み婦とか言われてですね
社会からパージされるようなリスクがあります。
なので革新を起こすためには天才の種を見つけて
その価値を理解し世界に伝えるというふうな才能が必要になります。
再現性や実現性を高め
種の発芽を促し世界の標準に差し替えていくというふうなことができるものを
ブルーロックでは秀才というふうに解釈しています。
改めて整理すると
規格外の能力を持ってスーパープレイを放つような突然変異体が天才
そしてその天才の存在が時代の得意点を生み出します。
そしてその天才や得意点を分析解析して
転用したり対策したりしながら
ロジックで新たに設計し直すということができるものが秀才です。
つまり天才と秀才は上下関係ではないんですよね。
秀才は天才の介護官のようなものではなく
世界を変えていくための両輪であり
ダブルエンジンでもあるというふうなことです。
ここで天才と秀才の特徴が
それぞれ自分型と世界型にリンクしていることがわかるかと思います。
天才は自分の特徴に着目し
それを軸にパフォーマンスを発揮するしかない
つまり自分型
一方で秀才はロジックで周囲の物事や状況を分析し
そこに自分や他者を当てはめて
総合的なパフォーマンスを発揮する
つまり世界型
ということでそれぞれ天才と秀才は
異なる特徴を持っており
秀才と天才の違い
パフォーマンスを最大化する方法が異なるというふうなことになります。
メンタリストダイゴさんが
YouTubeで天才と秀才の違いを
次のように表現してみました。
秀才は既存の評価基準の中で評価される人
一方天才は新たな評価基準を作ってしまう人
これは秀才は世界型であって
周囲の状況判断や今のルールをうまく解釈するからこそできる
既存の評価基準で評価される動きというふうなことが
得意な生き物だと言えます。
また天才は自分型であって
既存の評価基準は重要視しない
自らの欲望に沿って行動してパフォーマンスを出す結果
新たな評価基準のベースになる
そういった意味ではブルーロックの説明と
だいごさんの説明は非常に近しいものになっているのではないかな
というふうに思います。
ここで次のように思う人は少なくないのではないかなと思うんですが
いくら天才と秀才は両輪でダブルエンジンだと言われても
結局天才の方がすごくないかということですね
実は秀才は一つ大きなつまずきのポイントを持っています
それが執着です
秀才は自分が天才ではないということに気がついています
そして憧れとともに嫉妬します
なので天才のマインドセットを模倣しようとするんですね
ですけれどもそもそも秀才は世界型なので
ロジックで戦う生き物なんですよ
天才の自分型を模倣してしまっては
秀才が本来持つ持ち味、得意分野というものが生かされず
最高のパフォーマンスを発揮することはできません
その結果自分が天才ではないということに
苛立ち、失望し、手や足を止めてしまうということが起こり得ます
一方で天才の方は自分のことにしか興味がないので
そんなことには悩まないんですよね
ただただ自分の興味の赴くままに爆速で突き進むだけです
この違いによって圧倒的な結果の差が生まれます
秀才が持つ問題というものは
天才に対して持つ憧れと嫉妬から来る執着です
執着心を捨てる重要性
この執着を捨てない限り
秀才は常に苦しみと隣り合わせになります
いやむしろ執着を捨てた先にこそ
秀才が生きる道があるとも言えます
私たちが持っている執着というものは
本当は必要がないものというものが結構多いんですよね
例えば上司からの評価が気になるとか
同僚の学歴が気になるとか
友達の会社が上々企業であっていいなって思ったり
同窓会で久しぶりに再会した友人の年収が
自分より高いみたいなことが気になったり
負け犬とか負け組とか
そういったことが呼ばれることが怖くなって
世間体を気にして執着するみたいなことは
普通にあると思うんですよ
例えば転職して年収を上げていくのが普通だよねみたいな
そういった100年前には存在しなかった価値観ですけれども
そういったものが邪魔をして
本当はこういう仕事がしたかったんだけどなって思っていても
年収を下げて入るみたいなことはできないとか
社会的意義があると思っている会社に
自分は転職したいと思っているんだけれども
周りから何か言われるかなみたいなことが気になって
一歩が踏み出せないとか
こういったことが世の中にあふれていると思うんです
そしてこれらが執着となって
世界型である秀才の動きを封じ込めるんですよね
ですけれども先ほど言ったような
ある意味不要である執着を
一つ一つ捨てることができたら
その先に最後ちょっとだけ残るものがあるんですよね
それは例えば社会に対する怒り
意気通りだったり
誰かに愛されたいっていう寂しさだったり
社会をもっと良くしたいっていう希望だったり
多くの日本のクリエイターが
もっといろいろなお金の稼ぎ方ができるんじゃないか
世の中にしたいという願いだったり
そういったものが最後にちょっとだけ残ると思うんです
その最後に残ったちょっとだけだけれども
絶対に譲れないものというものを認識した時に
世界型の秀才は覚醒することができます
執着を捨てた先に思考がクリアになるんですよね
自らをその譲れないものの実現のために
ある種一つのパーツのように
扱うことができるようになるんです
世界型は世界を分析して
自分の特性と他者の特性というものを分析して
それらが最もパフォーマンスを発揮できる場所に
適切に配置していくことができるようになります
その時に天才という存在は
憧れや嫉妬の対象ではなく
世界型にとってのたった一つのパーツになって
そのパーツを最も進化が加速する場所に
配置するというふうに使うようになるんです
そこには嫉妬や憧れといった執着はない
その上でただただ
自分が最も譲れないものを実現するために
邁進するというふうな
ある種自我を超えた何者かになることができる
こういうお話がブルーロップの29巻と32巻で
解説されていました
これが世界型と自分型
そして天才と秀才のお話です
いかがだったでしょうか
最後までお聞きくださった方の
何かしらのヒントになれば
嬉しいなと思います
では最後に告知をさせていただきます
2025年1月4日土曜日
本日の夜22時10時から
SWCで活躍されている千葉辰菜さんと
私とでスタイフでのコラボ配信を行います
内容はSWCのトレカについての壁打ちですね
千葉さんが連載されていた漫画
ボクゼロがついに完成しまして
おめでとうございます
2025年は新たなチャレンジをされるということで
その一つがトレカですね
こちらについてがっつりお話していきたいと思っております
ご都合の良しい方はぜひリアタイで
ご参加いただけると嬉しいと思っております
ご都合が合わない方はアーカイブを聞いていただけると嬉しいです
それでは最後までお聞きくださりありがとうございました
スロスロスロース
20:55

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