1. Healthcare Hackathon Hub - H3
  2. #9 H3アンバサダーインタビュ..
2025-04-22 42:41

#9 H3アンバサダーインタビュー 藤岡 正人先生(前半)

第9回となるH3アンバサダーインタビューでは、北里大学医学 教授の藤岡正人先生をゲストにお呼びしました。藤岡先生は、米Harvardポスドク、大学病院、市中病院、医療法人経営とM&A承継、大学スタッフ、医師主導治験責任医師、スタートアップ立上げを経験されました。藤岡先生のこれまでの人生を深掘りしています。お楽しみに!

サマリー

本エピソードでは、H3アンバサダーの藤岡正人先生が北里大学での活動や耳鼻科の専門家としての経験についてお話しされています。また、医療研究や教育におけるバランスの重要性、社会実装の必要性についても触れられています。藤岡正人先生は医師としてのキャリアや原点について語り、医療経営や耳鼻科に対する興味がどのように形成されたのかを掘り下げています。さらに、医療法人の経営や手術などの実務経験にも言及し、キャリアの中での様々な学びについてお話しされています。藤岡正人先生は自身の医療業界における経験と価値付けについて語り、特にiPS細胞の社会実装やベンチャーキャピタルとの関わりを通じて、再生医療の未来や新しいビジネスモデルの重要性について触れています。また、藤岡正人先生はベンチャーキャピタリストとしての経験や挑戦についても語り、投資者との関係やリスクについての洞察が紹介され、職業に対する考え方が深まります。

ポッドキャストの概要
H3ポッドキャストは、BGMもないもない始まりを、毎度ありがとうございます。
私は、Healthcare Hackathon Hub H3総統企画課の、普段はVCをやっております木村でございます。
このポッドキャストはですね、主にですね、われわれこのH3のコミュニティのアンバサダーの皆様にですね、
お登場いただいて、アンバサダーの皆様のこれまでとこれからというところを振り返ったり、お話をいただくということをやっておりまして、
今回この前半戦のところはこれまでというところ、後半ではこれからというところを、ビジョンを求めてお話をいただこうという場でございます。
主々としては、この放送を聞いていただいた方が、H3のコミュニティ内の方は違うんですけども、
初めてこのポッドキャストを聞いて、H3のことを知っていただいた方とか、ゲストスキーカーの方のことを知っていただいた方、
ゲストの方に絡みやすくなるようなポッドキャストができればと思っております。
本日のビッグゲストの紹介にお届けしていければと思うんですけども、
本日のゲストが、H3のアンバサダーでいらっしゃる藤岡先生、北里大学医学部分身典学教授の藤岡先生にお越しいただいております。
藤岡先生、今日はどうもありがとうございます。
よろしくお願いします、藤岡でございます。
よろしくお願いいたします。
いやいやいや、始まってしまいましたね。
毎回こう、なんていうんですかね、今、あかたがきを読み上げているんですけど、
医学部の教授とポッドキャストを、私結構ポッドキャストは個人的に聞く方なんですけど、いろんな。
あんまり現職の教授でポッドキャストをしゃべってかかって、お耳にしたことがなくてですね、
実は珍しい機会なんじゃないかと今ご紹介したと思ってましたけど、本当にお忙しい中、このお時間ありがとうございます。
そんな藤岡先生のですね、本当に感謝でございます。
そんなちょっと藤岡先生をですね、ご存じの方も聞いている方に多いかもしれませんけど、
簡単に、2、3分ぐらいで自己紹介というか、どんなことをやっていらっしゃって、というところをちょっとだけご紹介お願いできるとありがたい。
藤岡でございます。私は一応、一応ってよく言うんですけれども、
医者でございまして、2002年に大学医学部に出たら、ずっと耳ですね、
いわゆるジビ科という領域ですけれども、中でも耳に特化していた診療というものをずっとやっていると。
その中で、腸って治らないよねってよく言われていたし言われているんですけれども、
そこの部分に対してですね、何かもうサイエンスからですね、治療に結びつくものを世の中に出せるものはないかって、
ぼんやりと始めたのがもう大学出た頃なんで、そこから20何年間かずっと一貫してそういう仕事をやってきています。
一貫しているのはそれだけで、あとはもう本当にめちゃめちゃバラバラな職務履歴でございまして、
学生の頃から基礎研究もそうですけれども、そこから基礎の研究室に行って海外で3年ちょっとですね、ボストンで研究して戻ってきて、
普通に大学のキャリアパスを持っていく中でですね、ある日突然、前日まで普通に仕事をしていた父が抱えしまして、
3年ちょっと父の医療補充を回したんですね。
検務しながら回して、検務しながら回したものを最終的には良い先生に使いましたので大学出して、そこから大学の講師、研究のほうに行って、
そこで医師指導知見を1つ、IPSサービスを使った創薬ということで知らせていただいて、
いわゆる知見責任者として、そこそこ良い結果が出ましたけれども。
そんなこんなで流れていって、現在は本当にいわゆる基礎の教室の主任教授をさせていただきながら、
週に1回、大体週に1回ですね。大体週に1回医者やって、月に1回手術して、残りで大学の教授職をやりながら、ここまで来ていると。そんな感じですね。
研究と教育の重要性
はい、まずざっくりで。
ありがとうございました。非常にですね、お聞きいただいた方々も分かりいただけるんじゃないかと思うんですが、
短く言うと、医学部の現職の教授でいらっしゃるんですけども、そういう職業をつけるとですね、
ご自身の、さっきおっしゃったような大変な受け入れもあった上で、医療法人の経営とあるいはM&Aというか、事業状況までやられてきている、
経営としてのご経験も積まれているプラス、いわゆる大学ベンチャーの創業だったりとか、その臨床という意味でのリード、
臨床研究者のリードも含めて見返せということを、一人のですね、人間が、特にこの日本のですね、
抗議の医療者というカテゴリーの中にやっちゃう方がいらっしゃる方は、いらっしゃると思うんですけど、
かなり珍しい組み合わせのキャリアというか、ご経験なのかなとは、私もベンチャーキャピタルの仕事をですね、
10年ぐらいそろそろやっていることになるんですけども、なかなか聴覚性が高い方にはお会いすることはないなというところですね、
本当にすごく、この後聞いていただければ、すごく近くに接していただけるので、
私のような土分系キャピテリストでも、いろんなご相談としていただきたいとするかもありますし、
ここで言うことではないかもしれないけど、プライベートでも、私の家族や子どもさん、
するぐらい、本当に気さくにいろんなご相談、いつも感謝しておりますというので、
そんな聴覚性の魅力に迫る、この前半にできればと思っているんですけども、
この前半パート、現職でのご活動のご紹介という部分と、ここに至るまでのところをですね、いろいろ深ぶって、
お話をお伺いできればなと思っていまして、改めて過去のお話とかはですね、
そっちをどんどんお伺いしたい回でもあるんですけど、今やっていらっしゃる活動について改めて、
北里でのお仕事をもうちょっと幅広に教えていただいてもよろしいですか。
北里は本当に普通に教授をやっていまして、大学っていうと、いわゆる研究と教育と、
そうですね、医学部の臨床の先生だったら臨床と言われていたわけですけど、
それだけじゃダメだよねということで、今は社会実装という言葉が必ず入るようになっていて、
そこらへんはバランスよくやっていくというところが私たちのところで気を使っていまして、
どうしてもその、本当はですね、自分の興味の研究をやりたいわけですよ。
俺の研究の価値なんてお前が決めることじゃないよ、将来の人が決めることだってやりたいんですけど、
そういうことをやるとラボが潰れますので、私たちが研究費をおかみからいただいておりますので、
社会に役立つことも大事ですけどね、でも臨床の立場からするとですね、
やっぱり治らないものに対して、何らかのブレークスルーをもたらすことができるって、
やっぱりサイエンスでしかできないことなので、そこのところがあるよね、
そういう中でやはり役に立つ研究、現場に役に立つ研究ってのは何かということですね、
それを実践していくというところと、誰の役に立つのかわからない研究、
何の役に立つかわからないような研究というものを、できれば今のところは実際、
7割ぐらいは自分の研究室の役を取って、役に立つ応用研究に向けた基礎研究というところに
重きを置いていって、残りで基礎的、本当は半々でやりたいところですけどね、
そんな感じで進めています。
役に立つの定義っていうのが、またこれがいろいろあると思うんですけど、
私は元々は研究やってはいましたけど、臨床医ですので、臨床医が役に立つっていうところって、
臨床医が研究するってすごい面白いと思っていて、要は患者さんのすぐそばにいるので、
一番ペインを見てるはずなんですね。マーケットのそばにいるはずなんです。
一方でそれを臨床試験っていうところで絶対借り出されますので、
何かを実現するにあたってのプロセスというものを見ているわけです。
ここら辺のところから、現場で必要なのか何かっていうところを、
ちゃんと基礎研究の最初のほうまでグーッと戻してあげる作業っていうのを、
そこら辺をやらないと、すごい面白い研究なんだけど、
それちょっとなかなか難しくないっていうものはできてしまったりとか、
あとすごくいい薬を作ったはずなんだけれども、何だかわからないけど、
この領域のこの時にしか保険が効かないとかですね。
そういうことになっちゃうんですよね。こうやってすごいくだらない、
何ていうか、格論の積み重ねなんですけど、
格論の積み重ねが最終的に効いてくるところがあるので、
そこはまるっとトータルバランスでやっていく必要があるかなと思っていて、
それは一つ、長い目で、自分、メディケム以外の基礎から臨床の試験、
フェーズ1、2まで一通り、本当によくご紹介をおっしゃってもらいましたけど、
経験させていただいているので、その部分は一つやっていること、
テーマとしてやっていることっていう感じですね。
教育はもっとまた別で、
医学部ってどうしても国家試験があるので、
怒らせなきゃいけないんですけれども、
そればっかりやっていると、今度は未来の人を作っていくっていうのがまたあるわけです。
なので、研究の教育っていうのもそうですし、
今お話ししているようなトータルバランスで見ること、
つまらない言葉で言うとTPPに落とし込むとかいう言い方になっちゃうかもしれないですけど、
トータルバランスで見ていくっていうことと、メソドロジーと、
それから基礎研究とかも臨床研究とかもそうですけど、
この場でこうやってストラジティを立てて、
ゴールに向かっていって、素早く解決していくっていう、
そのPDCAの回し方とかは、別に研究に関わらない、研究以外でもやっぱり出すことなので、
こういうのはやっぱり早い段階から、学生の頃からやらないといけないと思っているので、
現職では割とそこら辺のところを気を使ってやっているかなというところが気がします。
ちょっと具体的に何やっているかはともかくとして、
そんな感じでやっているかなというところです。
ありがとうございます。素晴らしいというか、お聞きすればするほどですね、
お忙しそうだなっていう。
本当でも医学部の先生とか教授とかも語って、
当たり前なんですが、今改めて認識したのが、
臨床研究と教育って1個だけでもお腹いっぱいになりそうなものですね。
全部ハンドリングしなきゃいけないって言われてみれば当たり前なんですけど、
実はそういうふうにまとめしお話しすることがあまりなかったかもしれないので、
いつ寝ていらっしゃるのかなと、そういう問題じゃないです。
本当にハードな。だけど、頭が切り替えが大変な仕事なのかなと思ったりしたので、
今、率直な個人としての感想なんです。
よく言いますけど、
ツイッター今エクセしたっけ?よく言われてるやつですけど、
雑用多くて日本の研究者は研究できないと言いますけど、
一番最初におっしゃってた、大学教授ってなかなかこういうところに出てこないよねとおっしゃってたのは、
多分そこら辺のところでも、例外なく自分の周りみんな、
いわゆる大学の管理職の人って隙間なく詰まっているので、
そこら辺の中でどんどん新しいところへと飛び出ていく。
意識的に飛び出ないともう飛び出られないんですよね。
そこら辺はイノベーションを考えたときに絶対に間違っていることなわけで、
うちの研究員とか諦めてるのも、教授は夜で歩くのがお好きでとか、夜しか働いてないとか言われますけれども、
いろいろな人とお付き合いとかお話できる時間が比較的どうしてもワーキングアワーの外になってしまうので、
皆さんお家庭もあるし、なかなか難しいところがある中で、
藤岡先生の医師としての原点
結局そういうところで、最初からフランクな状態でお知り合いすることが非常に多いので、
結果的に痩せがプラスになっているのかもしれないですよね。
なるほど。夜しか逆に人に会えないぐらいってことと、
この収録、秘書の方にもご聴取いただいた昼にやらせていただいてますけど、
貴重なデイタイムをいただきまして本当にありがとうございます。
お昼休みですからね。すいませんね、木村さんの。
大丈夫です。カロリーメイトしか食べません。ヘルスキャピオンが良くないかもしれません。
今、いろんな後半が来たことでの原子力発動をご紹介いただいたと思うんですけど、
今の藤岡先生って、いつ頃から今の藤岡先生なんですかみたいな原点を探るという意味で言うと、
そもそもになっちゃうんですけど、
医学部とか医師にっていうのは、さっきちょっとお話がありましたけど、
いつ頃からとか何がきっかけだったかっていうのはやっぱり、
ご実家がもともと医療の家系でっていうのが大きかったのか、
個人としてのきっかけとかって思い返すと、
あそこが今の自分の原点かなって、なんかあったりされるんです。
これなんか、このHCのポッドキャスト聞くと毎回この質問出てて、
それかって何にしようかなって思うんですけど、
本当にわかんないんですよね。
なんとなく親父に医者になれって言われたことはなかったような記憶がありますし、
なんとなく、ただ昭和の医者ですから、
よくわからないですけど、
夏休みとかで受け付けて探されたりとかしてたんで、
すごいですよね。
当時電子カルテとかもなかったですから、
完全に手計算で、
そこら辺か身近なところに医療があったっていうのは実際ですね。
うちの父も実は研究をやりたいっていうところもあって、
プラスアルファで仕事を始めたりしてた時期も知っているので、
そこら辺のところはあったのかもしれないですけど、
そうなんですよね。あんまりよくわかんなくて。
よく言うんですけど、
医者って長いこと1人の患者さんを見ますから、
10歳とか8歳だったのが大人になって、
そういうのが一番多いんですよ。
そういうのが一番多いんです。
基本的に雑談しかしない外来とかをやっていると、
言われるのが、
要はキャリアを考えている中で、
自備科の選択と研究への興味
何をやりたいのかわからないって言われたことがあってね。
何をやりたいのかわからないって言われたことがあってね。
何をやりたいのかわからないって言われたことがあってね。
何をやりたいのかどうやって決めたんですかって聞かれて、
ふと思ったんだけど、
何をやりたいかよくわかんないけど、
やってて面白いことやってるなと思っていて。
それは一つあるのかもしれないですね。
その原体験はおそらく、
多分親に感謝で、
思い起こすと小さい頃から、
バーッと何かをやって、ピタッといって次に行って、
次をバーッとやってっていうのを許していたっていうか、
上手にモチベーションコントロールっていうのを親がしてたなと思っていて、
そこら辺はもしかしたら原体験なのかもしれないな。
何が再現できるのか。
キャリアの再現ってやっぱり僕たち、
どうしてもキャリアに関わる人間っていうのは、
大学の教員はそうですけれども、
考えるわけですけれども、
個人個人のキャリアってのを考えたときに、
何が再現できることなのかなっていうと、
再現できないですよね。
自分では再現できないやつですけれども、
自分たちの次の世代に返せることはあるのかなっていう気がしますね。
なるほど。ありがとうございます。
もう、あれですかね。
医師として専攻とか専門家、
自備科の自備医工官となっていったっていうのは、
そりゃなんか、なるべくしてやっぱりなったって思われるのか、
医学部に入られた後にいろんな選択肢もあったけど、
悩んだ結果そうだったのかというと。
そこはどうだったの?
2つって、1つはやたら僕なんか小さい、
いわゆる自分でも変ですけど、手先が比較的器用だったんですよ。
なので、大きいものが苦手なのかもしれないですけど、
なので眼科とか自備科とかは割と最初から、
ちっちゃいとか職人芸的なものはやってみたいなっていうのはあったんですよ。
それも自分の特性にフィットするかというところだと思いますけど、
でも研究もやりたいなと思っていて、
あとぼんやりと脳研究にはやっぱり、
フロンティアですよね。
僕らの頃だと養老先生とかそういった先生方が、
橘さんもそうですけど、いろんな方が発信してた時代でしたので、
ふわっと脳研究に興味がある中で、
実は感覚っていうものをいじって、
外からのインプットを変えられるって、
例えば右耳とかなんですよね、自備科って。
なぜここで自備科の宣伝を始めるかわからないんだけど。
だったので、
手術で途端に耳が良くなると脳がどう変わるかとかですね。
そういうことも興味があったので、
割と自備科に入る時点で、
医者になる決まった自備科に入ることにしようという時点で、
医療経営の経験とその影響
耳聴覚の研究をやろうっていうのはセットになっていったという感じですね。
一貫して聴覚をやるっていうことだけは、
大学に出るときからずっとやっています。
ご自家は自備科ではなかった?
自備科でいました。
あ、そうなんですね。
英才教育を。
それで、慣れと言われたことはなかったけど、
自分の得意なこととかやりたい研究とかとも、
馴染みもあるし、繋がっている。
たまに聞くじゃないですか。
親が何かなんで何か選びましたっていう話で、
何十回か聞いたことがあるんですけど、医師の方から。
そういうわけじゃ別になかったってことです。
すり込み、すり込みきっと。
すり込みが影響してるかもしれないけど、
そういう理由じゃないっていうので、
すり込みってわかりやすいです。
そこまですり込みかわかんないですけど、
そうなんですね。
小さいものを動かすっていうのは、
今でも耳の手術は内関の手術やってますけども、
こればっかりは教えてできるものじゃないなって、
自分が教える立場になると思う時もあるので、
そんなことは言っていけないんですけど、
もちろんラーニングカーブはあるわけですけど、
その中でも見かけ抜きはあるので、
なので小さいもの扱いたいなって思ってたんですよね。
そこからですね、もちろん医師として、
研究者としてってことをやられてる中で、
触れなきゃいけないかなっていう大事なところで言うと、
大変だった時期かもしれない、
医療経営の時期というか、
お父様があって、
それっていつ頃の話なんでしたっけ?
5年齢とかキャリア的に言うと、
一回大学を離れてっていうのをやられて、
そういったかもしれないですけど、
そっちが医療経営がメインだった時期っていうのは、
いつ頃の話なんですか?
医療経営がメインだったっていうか、
いわゆる研修の後半だったんで、
生きて24年とかから卒業、
たぶん10年とかだと思うんですけれども、
その頃ですね、
ちょうどある程度、
少し手術もできるようになってきた。
いわゆる、
ホットキャストいいのかなと思って、
白い巨頭じゃないですけど、
大学の中でスタッフがあって講師があってっていう、
前の段階だったんですよね。
そのタイミングで一日突然高いして、
それまでは留学先はハーバードでしたけれども、
その前もいわゆる国内のビッグラボでしたので、
バリバリに普通に基礎研究やっていた人間だったので、
戻ってきて手が動くように、
いわゆる医者としての手が動くようになってきた
っていうタイミングで、
いきなりわからないようですよ、本当に。
講座を見ながら、数字を見ながら、
これ給料っていくらにするんですか?
みたいな話から始まるわけですね。
やはりミクロが始まるわけじゃないですか。
参加がこれくらいで、点数はこれくらいだから、
だからこれくらいの人数を送ってこれだから、
どう考えても3分の1だからこれくらいしか切り渡せないからとか、
そういうのって、あの時は本当に不安でしかなくて、
でも嘘は言っても自分を一緒にするまで育ててくれた、
そこの収入で育ってきたわけで、育ててくれてたわけで、
患者さんいらっしゃるので、ずっと通ってらっしゃる患者さんのことを
あんまりポイっていうよりも、全然それ気にならなかったし、
なのでそれで同期とか周りの人に手伝ってもらいながら、
なんとか回していた時期なんですけれども、
今にして思うと本当に、よく言えば生のトレーニングですし、
悪く言えば本当にいろんな人に迷惑をかけまくったとは思うんですけれども、
それが多分なければ、その後のスタートアップのお手伝いとかもそうですけれども、
今の延長でラボに応援するとかもそうですけれども、
なかなかそういうところに直接行き着かなかったのかなという気がします。
ありがとうございます。
おっしゃる通りで、やりたかったというよりもやるしかなかった、
正しい状況の中でコミットされてやり切られているということだと思うんですけど、
ちなみにこういう仕事をしているとそういうことばっかり気になっちゃうんですけど、
事業状況というか、ついていただける方が見つかってみたいな話もあったじゃないですか、
それは何か振り返ってみるとどんなご経験でしたか?
すごい初めて、人生で1回もやらない人も、医師の方とかでも、
普通の人間だと、事業が誰かに渡るタイミングって、
経験しない方が多いと思うんですけど、
どんなポジションを振り返ってみると?
要はかなり研究とかも面白くなっている時期だったんで、
大学でやっぱりやりたいっていうのが強かったんですよね。
サイエンスやりたいっていうのがすごい強かったんですよ。
なんですけど、一方でそのコミュニティの医療を支えている、
そういう医療法人だっていうところもあって、
なので正直3年間、確か3年半とか見つからなかったらもう大学やめようっていう感じでやってたんですね。
それはただ単にいろいろ計算した時に、
フルタイムでバンバン回さないと、
基本的には患者さんって定期的に来てくれないから苦労にはならない、絶対にならない。
なのでいろいろ計算した中で、
数字書いてエクセルに叩き込んで、
3年ちょっとでダメだったら本当にデコイでしないといけないなって。
もちろん畳むっていう選択肢もあるにはあったんですけれども、
そういう状況の中で探していたっていう感じですけど、
あの頃って例えば今ならばMCDとかもそうですけれども、
いわゆる医療法人の売買に関するなんとなく適正価格みたいなものも含めて、
あるいはコミュニティとかコミュニケーションの取り方も含めて、
いろいろ今は非常にありますけど、
あの頃ってまだ全然そういうのがなかったので、
医療業界における価値付け
それこそMRさんだったりとか卸の人だったりとか、
ちょっとご相談してとか、
パティ1進行に載せてとかですね、
本当にもうまだなかった時代なんですね。
だから結局医療法人に浸って、
一つの診療所に浸って、
当然バリエーション価値をつけるっていうことが、
作業があるわけで、
Jリースさんから経営者さんがそういうことをするわけですけれども、
ネゴすると、
1000万っていう付けてくる人から、
ゼロでも引き取ってやるっていう方まで、
いろいろなご相手が出てきますんで、
なんか値段、物の値段って何なんだろうって、
今まで考えたことなかったんですよ。
なんとなく医学部に行って、
部活やって、バイトやって、
研究やって、医者になっててんで、
初めて本当に価値付けって何なんだろうって思ったんですよね。
もちろん価値付けってももちろんのれんもありますんで、
そこのところがいきなり突きつけられたっていう気がしますね。
一つだけ絶対に忘れちゃいけないし、
絶対に正しいと思うのは、
足を止めちゃうとアウトで、
動き続けないと絶対に相手って見つからないから、
常に常にコンスタントに活動はしなきゃいけないので、
言ってることは多分スタンドと経営にどれも合ってると、
ぴったり重なってくるんですけれども、
本当にそういう感じで、
辛かったとしか記憶がないですね。
すみません、辛かった記憶をたくさん呼び起こしてしまいまして。
でもね、原職、
変な嫌味で言ってるつもりは全くないです。
尊敬の意味を超えて原職の医学部の教授で、
こんな辛かった記憶じゃないですけど、
大変なことか、
それまでの価値観と違う人たちと仕事をしたり、
いいことも悪いこともあったりっていうのを経験されて、
しかも暴れは乗り切ってきた時期にやられてっていうところっていうのは、
やっぱり今の藤岡先生としては大事な原点なんだろうなと、
iPS細胞と商業化の道
話しながら思ったんですけど、
大学発電チャーを創業にかかれた時の話もですね、
今でも活動中の会社かもしれませんので、
言える範囲で聞くときに、
どんな始まりでどんな感じだったんですかっていう振り返りを
ちょっと聞いていただければと思います。
最初の立ち上げに関しては、
あれは、いわゆるiPS細胞を使った社会実装っていうときに、
体の中で足りない細胞を補充するやり方と、
今、再生医療って言われると、
基本的にはそちらの方だと思うんですけど、
細胞用法ですね。
それ以外に、iPS細胞って体の中の何にでもされる細胞で、
血を取れば作れて、その細胞を使って、
その人の病気の細胞を作ることによって、
その人の病気の、目の前の人の病気の人の細胞から
その反応を見るとか、薬を作るとか、役立てるとか、
そういうのがiPS細胞創薬とかiPS創薬という言い方で、
ちょうどそれがある程度形になりつつあるというか、
売り出している時期だったんですね。
その時期に、本当に幸運なことに、耳の領域で薬の候補を取ることができていたので、
これを何とか実用化しようかねというような、
細胞ってこれだけ説明しているのは何なんですけど、
細胞って全くなかったんですよ。正直。
全くなくて、何が始まったかというと、
もう随分昔のことだから喋っていいと思うんですけど、
ある日突然、秘書さん経由でアポ取ってきて、
ジャフ子の方が現れたのが最初ですね。
すみませんね、同僚者はね。何に来てきたんだということとか。
僕は本当にびっくりして、何しに来たんだろうという感じで、
すごくでも、それもありがたいお話で、
すごく丁寧にいろいろ教えてくださって、
本当にありがたかったですね、今にしてもらえれば。
よくVCとかキャピタリストって、
金のことばっかり考えているとか、取り立ててくるとか、
いろいろそういう経験がないわけですよ。
一番最初にいきなり、何が価値があるかというところと、
何が変えられるかという話ということを含めた中で、
それで初めてなんちょってマーケットのねっていうのを
数字でいろいろ見せてもらって、
丁寧に定期的に何回もいらしていただいて、
結局、投資対象とならなかったんだけれども、
そこがあったのと、あと私、慶応大学の自民高科にいましたけれども、
隣が慶応大の眼科学教室で、
ここに坪田先生という、
日本のアントレプレナーシップというか、
医学の領域におけるアントレプレナーシップ、
生き生き押せ押せという、
非常にインフルエンサー的な要素がある方で、
その影響も大きかったのかなという気がします。
周りで誰かやっている人がいないとやっぱり、
足踏み出せないですね、新しいことって。
環境が整っていたということと、
突然すごくいい人がいらしていたということなので、
基本的には、縁と縁なんですけれども、
そこから始まったという感じですね。
ありがとうございます。
すごくですね、ベンチャーキャピタルで今やっている人間としては、
ベンチャーキャピタルもですね、いいとこあるんだなと、
その雑魚の方がどなたか後で教えてくださいという感じになりましたけど、
すごく、本当、いろんなベンチャーキャピタルの人がいるなとか、
同業ながら思ったりもしますし、
おおむね変な人の方が多いかなとは、
了解できないと思うんですけれども、
すごく特にディープテックとか、
ライフサイエンスのところで、
長く関わっている方ももちろんですし、
割と最近だと人気な職種になっているのかなって気がしてまして、
若くしてベンチャーキャピタルをこざす方にとって、
もともとそれこそ研究の世界にいらっしゃったとか、
勉強の世界にいらっしゃった方が、
結構この3年ぐらいで急に増えた印象があったんですね。
日本のベンチャーキャピタル業界に。
今後ますますこう、
医者出身のベンチャーキャピタリスト
もちろん投資なんでビジネスにしないといけないのは、
自分たちの仕事の責務なんですけど、
とは言えなんか、やりたいからって言ったら、
形にしたいからみたいな、
好奇心ベースでより動くというか、
昔からいらっしゃると思いますし、
それを今後ますます広がっていくといいなという中で、
私も2015年からベンチャーキャピタルの世界に入っているんですけど、
さっきお名前であった坪戸先生とかは、
2016ぐらい、
健康医療ベンチャー大賞の立ち上げの頃にちょうど入ってたので、
私の党先のウインクの清水英介さんとか、
なんか妙に、
別に偏見はなかったつもりなんですけど、
がん科の先生でこんな面白い先生がいて、
がん科とかすべて超えてますよね。
ご機嫌でいらっしゃってってことですから、
すごく医学科以外でもおつながりも広くって、
みんなを盛り上げて、
どんどん新しいことをイノベーションやりましょうよみたいな、
いらっしゃるんだなというのは、
ドペペイの頃の私としてもすごく印象的で、
医学部初のディジコンという会場を作っているということも含めて、
いろんな企業を作られた、
今この瞬間も経営者でいつもいらっしゃる先生だよなと改めて思うので、
近くにロールモデルがいるってやっぱり大事ですよね。
ロールモデルって真似はできないし、
真似したいかというとまた別だけど、
やっぱり影響を受けるなというと、
あと嗣永先生はやっぱりすごく人を見てもらえる、
いい意味でね、
あれだけお弟子さんがスタートアップを開けられていて、
それぞれのスタートアップ、
最近これ思うんですけれども、
スタートアップとか会社とかって、
やっぱりその創業者のカラーと、
なんていうか事業と方向性ってやっぱりそっちに向くじゃないですか、
合うじゃないですか、ビジョンという。
ビジョンとかミッションとか立てていくって、
やっぱりそのCEO、CXOの人隣がモロ表に出てきますので、
カルチャーってすごい大事だなと思うし、
カルチャーって、
お弟子さんそれぞれが、
それぞれのキャラに会ったって言うと変ですけれども、
そっちの方向性で皆さんが活躍されているので、
あれはやっぱりなんていうか、
あれは再現できるように、
僕たちしっかり努力していかなきゃいけないなっていう気がしますね。
話に戻すのがあれなんですけど、
医者出身のベンチャー客体数って増えてるんですか?
増えてます。
僕も全部把握せないんですけど、
僕が知ってるだけでも、
この3、4年で業界に入った人が、
5人ぐらいいるはずですね、今。
今のブースで言ったら。
5人ぐらいいるはずですね、今のブースで言ったら。
僕はよくずっと言ってますけど、
やっぱりMDとかMD、PhDのですね、
キャリアパスってこれからどんどん多様化しないといけないと思っていて、
東大とかやっぱりちゃんとなってるなと思うんですけど、
結局その偏差値、
要は一定の偏差値があって、
その偏差値がどんどん増えていって、
その偏差値がどんどん増えていって、
それを定量化しているのが受験の上位層がやる、
確率的な受験なので、
そのやり方が全てじゃないからAOだとかいろいろな中で、
あれを貫きながら取ってきて、勝ち抜いてきた、
その偏差値上位の人たち、
医学部に行って、
いろいろな人たちの偏差値が増えていって、
その偏差値がどんどん増えていって、
その偏差値がどんどん増えていって、
その偏差値がどんどん増えていって、
そういう人ってAOにして医学部に行って、
その優秀な医学部の人が全員医者になったら、
この社会は終わると思うんですよ。
優秀な人ほど3分の1とかぐらいは、
医者以外になってほしいと思っていて、
これは私の立場を反映した意見ではなくて、
私個人の意見でございますけれども、
大学って本当は私学助成金、私学分の私立貰ってるから、
私学助成金は私学資率もらってるから こういうことは本当にポリコレ問題になるんだけど
でも本当にシンプルに心の中で思うものとして 医者って目の前にある業務に対して
的確かつ正確にこなさなきゃいけないわけですよ 例えば今日は僕のクリエイティビティを高めるために
みんなこっち向きに顔には切開線を入れるけど 僕は反対に入れてもいいのかと思ったら絶対困るわけですよ やめてほしいわけです
なので再現性を持ってちゃんとやることが大事なんだけど そこから少しずれたイノベーションのところに入り込むことは
新しいものを出すときには今あるものと ちょっと違う領域に入っていかなきゃいけないので
医学部で医者のことを体の隅から進めた体のことを学んで もともとすごいコンペティティブなところで
その人の頭的な能力で集められてきた集団ですから やっぱり新しいものを作っていくって
作らないと僕たちは新しい何か作られたものを 後を追っていることによって我々は
ベンチャーキャピタリストの挑戦
市の恩恵を預かってますんで医療って最大のものだと思うんで 本当にそういう意味ではやっぱりベンチャーキャピタリストってさっき言いました
いいなと思ってキャリアパスという意味でですね ただめちゃくちゃしんどいですね絶対減りたいと思わないですけど
そうですか 人様のお金を預かって伸ばさなきゃいけなくてその中で
宝の原石をどこにあるかわからないけど多分ここら辺だろって言って 掘り出してきて磨いていって
それをサポートしていくわけですよね いやまあめちゃくちゃ自分がねお金を持って個人投資家として堂々でやるならいいけど
これ人様の金お金借りてやって結果を出さなきゃいけないって すごいしんどい仕事しているようなっていつも僕は尊敬の念なんですよね
確かに10年ぐらいこの仕事やってて自分のファンドで人からお金預かりしてやり始めて8年ぐらいに僕もなりますけど
不思議な仕事だなってことは自分でも思いますし長くやっている師匠とか先輩からも聞いたりしてて
このベンチャーキャピタリスト仕事ってすごい特殊なのがですね
人のお金を預かってた上で あのすごく不可欠性というかアンコントラブルの要素が多い仕事っていうのが
もちろんいろんなショートをそう要素あるんですよ結構大きい仕事だねっていうことは思うことがありまして あの
僕らの仕事の パフォーマンスとかアウトカムって
僕らがいいと思って応援している企業家の皆さんのビジネスの結果ってもずくじゃないです もちろんそのためにハンズオンとかいろんな形のご支援っていうのは
あの惜しみなくやってそれがファンドのリターンにもつながるってことをやるんで そういうもんだと思うんですけど
怖いですね まあ我々黒子であって主役はどこまでいっても企業家の方なわけですから
コントロールすべきでもないしできるものでもない というのもあるんですね
だから
あの 出資者の方々にはいや我々がこうやってやったらうまくいってお金増やし返せますんで信じて
出資してくださいってことをお願いして 実際にもちろんこれを
遠崎の教科の方々ともですね頑張っていこうって言うんですけど あくまでやっぱりそこの
一線を引かなきゃいけない仕事の不確定性が怖くなる人はやっぱり怖いと思います だったら自分でやったほうがまだ
あの出資者に対して責任果たせると自分でやってダメだったら自分のせいだけど 人に預けたお金で人が
思ったようにうまくやってくれなかったっていうリスクを取らなきゃいけないっていうのが 怖くなるとやっぱりいらっしゃる気がしていて
それなんかさっきの先生おっしゃったような怖くてできないじゃないかなっていうのは 人のお金っていう要素とそれをさらに人に託していく
っていう要素が両方あるんで 僕みたいにそれが好きな人はなんかずっとね結果を出すけられる信任がある限りはやりたいなぁ
という変態はたまにいるんですが なんかそういうふうにおっしゃる意味がちょっとわからないなって思いっきり話し出されたんですけど
いやなんかすごいなぁ いやでも僕としては是非お忙しいし教授職としてやるのといっていつでも
こっちの世界に先生来ていただければなって お願いしますので その際はウェルカムって言ったので
一旦ちょっとお時間の良い締めなので 一旦前半このあたりで区切りとさせていただければと思いますので
職業への理解
じゃあ前半を聞いていただいた皆様ありがとうございました 静岡先生もどうもありがとうございました
ありがとうございます
42:41

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