1. Healthcare Hackathon Hub - H3
  2. #7 H3アンバサダーインタビュ..
2025-04-09 44:01

#7 H3アンバサダーインタビュー 桜井 公美さん(前半)

第7回となるH3アンバサダーインタビューでは、プレモパートナー代表取締役の桜井公美さんをゲストにお呼びしました。桜井さんは、早稲田大学・大学院で生体工学を専攻し、慶應義塾大学病院で血液凝固の研究に従事した後、複数の大手医療機器メーカーでビジネス経験を積まれました 。桜井さんのこれまでの人生を深掘りしています。お楽しみに!

Summary

今回のエピソードでは、プレモパートナー株式会社の代表取締役、桜井久美さんがゲストとして登場し、彼女のキャリアや医療機器開発のインキュベーターとしての取り組みについて語っています。桜井さんの学歴や職務経歴、医療機器業界への思いなど、多岐にわたる内容が紹介されています。桜井さんのインタビューでは、医療機器業界におけるキャリアや、特に女性がこの分野で活躍する重要性について語られています。また、彼女の研究背景や「メタテクーマン」というコミュニティ活動についても紹介されています。桜井さんは美容業界でのキャリアとマーケティングの役割について語り、特にクリニカルマーケティングの重要性を説明します。さらに、元同僚との出会いからプレモパートナーの設立に至る経緯をシェアしています。桜井さんは自身の経験やマーケティングに関する考えを語り、スタートアップや医療機関における重要な役割について考察しています。彼女のバックグラウンドや思いが、現在の経営者としての基盤を築いていることが強調されています。

桜井久美さんの紹介
H3 Podcast。この番組は、Healthcare Hackathon Hub H3の共同企画者である、今回は私、木村、普段はベンチャーキャプターでやっています木村 赤です。主に、我々H3のコミュニティ活動をアンバサーとしてバックアップをしていただいている業界のすごい方々の実像に迫るということで、
大体、前後編で3、40分ぐらいずつで、その方のアンバサダーさんのこれまでと、これからについて前後編でお聞きするということをやっているPodcastでございます。
早速、今回のスペシャルウィークゲストなんですけれども、ご紹介でプレモパートナーの桜井さんにお越しいただいております。桜井さん、今日はどうぞよろしくお願いいたします。
桜井 よろしくお願いします。
おだしょー 本当に忙しい中、いつも本当にいつもいろんなところでありがとうございます。
桜井 とんでもございません。
おだしょー なので、私と桜井さんが毎週とある会社の定例ミーティングで会っているとか、それはちょっと後でまた置いておくとして、
一旦、このPodcastを聞いていただいている方で、まさか桜井さんとかプレモパートナーさんを知らない人は、少数派かもしれないんですけれども、とはいえ始めません方もいらっしゃるかもしれないので、
ちょっとこれからのお話をする上で、簡単に2、3分とかそのぐらいの尺で、桜井さんがどんな方とかどんなお仕事をやっていらっしゃる方があって、簡単に自己紹介をお願いしてもよろしいでしょうか。
桜井 はい、わかりました。木村さんありがとうございます。私、桜井久美と申します。プレモパートナー株式会社の代表取締役をしております。
私のキャリアですが、早稲田大学の理工学部に入学した後、そのまま大学院に進んでいます。生態工学を専攻しまして修士号を取りました。
その後、慶応義塾大学病院で約10年以上、血液凝固の研究に従事しました。その背景はですね、生態工学当時、人工臓器を研究するにあたり、やっぱりマテリアルとそれから血液が接触することで血栓ができるっていうような問題とか、いろいろありまして、ちょっとすごく血液に興味を持ちました。
その後、外資系医療機器メーカーに転職をしております。そのきっかけは単純に、私が指示していた教授が退官されたということがきっかけなんですが、その病院に出入りしていたベッグマンコールターという会社、血球計数機を主に扱っているアメリカの会社ですが、
その会社の社長さんからですね、あなたは研究よりビジネスの方が向いているとくどかれまして、そこにベッグマンコールターに転職ということで、私のバックグラウンドは、まずアカデミア、それからここでインダストリー、大企業に転職をするということが大きなきっかけでした。
その後ですね、日本メドトロニックで薬剤溶出性ステント、感動脈に留置するステントで、ステント血清症がすごく話題になっておりまして、それを解決するステント血清症の学術のところで力を発揮してほしいというお誘いを受けまして、日本メドトロニックに転職をいたしました。
そこで8年程度、循環器のビジネスのマーケティングをしております。その後、セントジュードメディカルというところで、今度は循環器領域で、循環器内科の先生だけではなく、心臓外科の先生ですね、人工弁というものとか、大動脈面をかけているといったような、心臓外科の先生も関わってくるようなビジネスというところで、私のビジネスチャンスとしてはちょっと広くなるということで、セントジュードメディカルに転職します。
わずか半年後にですね、アボット社がセントジュードメディカルを買収するというようなことになりまして、そこで、最後はアボットメディカルというところで仕事をしていくわけですが、自分の中でですね、外資系の会社にいると、いろいろそういった、私の自分自身の環境の変化ではなく、外的な環境ですよね。会社と会社がくっつくとか、売り払うとか、
そんな環境の中で、このままこういうのを業界に行ってもいいんだろうかということ、それから、そういう外資系の会社がM&Aを繰り返して大きくなっていく、その元のスタートアップの会社を買収するという事例を、本当にまさに見ている中で、日本初のそういう医療機器のスタートアップを応援したい、新しい医療機器に何か巡り合いたいという気持ちがありまして、
2019年、医療機器開発のインキュベーターとして、東京大学のバイオデザイン部門で部門長をしている前田優次郎と一緒に統合しまして、このインキュベーターというのを日本に作ろうということで、共同創業したというような経緯になります。
現在はですね、東京都で推進しているAMDAP、そういった先進医療機器を作りましょうというプログラムがあるんですが、そこのカタライザーですとか、あと文科省、それから文科省の学術審議会専門員として、ヘルスケアをどうアカデミアから社会実装していくかみたいなところの文脈で、そんな専門員もさせていただいていたりしております。
途中でですね、私のバックグラウンドは工学修士だったんですけれども、ビジネスにも専念するということで、AMDも取得しております。こんな感じでよろしいですか。
はい、ありがとうございます。本当ですね、一言で言うと、すごいとしか表現が、語彙が貧困ですけど、出てこないと、本当にすごい人だなって、普段毎週ある定例でお会いしてるんですけど、すごい人と毎週お話をしてるんだなってことを感じながらも、
この通りすごく、こんなぺいぺいな私が、こんな口を聞かせていただけるぐらい、日々ありがたく思っておりますので。
いやいや、とんでもないです。私自身もスタートアップです。なので、申し上げた通り、アカデミアの経験をして、大企業に、いわゆる外企業で、会社員として頑張って、十何年間頑張りましたと。その後、起業したということで、3つの経験があるというところで、少しは皆さんのお役に立てるかなと思っています。
素晴らしいです。プレモスパートナーさん、改めて、創業で言うと何年になるんでしょう?
今、6年目です。
医療機器開発の背景
6年目、2019年ですね。なので、それで言うと、6年目経営者というところで、Lighten Venturesが始まった2017年ですので、私が9年目経営者。冗談でございます。
本当に、5年は経ったけど10年は経っていない。
そうですね。
でも、プレモスさんは全然会社としては、より会社らしくなられていると思うので、
頑張らなきゃなと思いながらも、そんな会社としてのプレモスパートナーさんがやっていらっしゃることを、触れた部分が分かるんですけど、どんなことを具体的な事業とか業務としてやっていらっしゃるか、少しだけプレモスさんのご紹介をお願いします。
はい、ありがとうございます。
一言で言うと、医療機器開発のインキュベーター。
でも、インキュベーターという言葉はすごく馴染みがないと思うんですけれども、
お金をスタートアップに、とか、あと、医療機器を開発しようとする人たちに、お金の面では木村さんのようなベンチャーキャピタルさんが投資をして、お金の面でサポートするっていうところをメインにやっていらっしゃると思うんですけど、
すごく医療機器開発って、やっぱり専門的すぎて、規制の問題とか、医療機器の要求の事項とか、あと保険とか、薬事、いろんな意味で、マーケティングもすごく特殊な業界です。
そういったところのノウハウの面を支援するっていうのが、私たちプレモパートナーのインキュベーターの仕事と思っています。
実際には、いわゆる薬事とか、保険の戦略のところだけじゃなく、事業戦略ってところもすごく力を置いてまして、ニーズ調査、市場調査ですね、それからKOLとのお付き合いの仕方、どうやって探すかとか、KOLマッピングというサービスもしています。
あと、専門家同士のマッチング支援ですとか、本当に市販後のマーケティングのサポート、資料の作成からどういうふうにやっていったらいいか、実際には競合他社の価格調査なんていう生々しいことも仕事にしています。
あとは、スタートアップが本当にどこで困っていても、うちのところに1回来てくれば、何らかのソリューションを提供できますということで、間口を広くさせていただいているというところが大きなポイントと、日本発だけではなく、海外にもたくさんスタートアップがありまして、日本に進出したいというところの方々のお手伝いを製造販売業の代行業務ですね、というところの観点からいろいろやっていきたいと思います。
はい、ミュート解除遅れましたね。
本当にお金の面ではメインはベンチャーキャピタルでというふうに話していただきましたけれども、医療機器で必要とされる、そういう仕事で必要なものは本当に全部ということもありますし、
海外発のというところであれば、業況感も含めてというところも1つのサニーアドルになったりするところで、実業の面でもそれが特化してあったほうがというので、すごく短く言うと、他の業界でも分かりやすく言うと、インキュベーターってコンサルみたいなもんだったら一番分かりやすく言うとそうなんですけど、
いわゆるコンサルティングっていう言葉がイメージするような、レポート書いて終わりかって言ったら全然そうでもなくて、本当に実務的な実行支援、医療機器に関してはワンストップで提供されるっていう、そういうものなのかなというふうに聞いていただいて、
スパッと言ってらっしゃいますけど、結構すごいことをやっていただいているのと、私自身も医療機能業界に行っているのはむしろ後発でして、ベンチャーキャピタルとして全然まだまだ勉強中だなとは思うんですけど、
サクラエさんもそうですし、プレミアムパートナーの共同創業者でもある前田勇次郎先生さんとの出会いとかで、私と前田さんの一番最初の出会いって、普通に先生と生徒というか、ジャパンバイオデザインのワンデイセミナーの先生が前田さんで、
僕が7万円、7万円だったら7万円か8万円個人で払って受けに行ったってところは、最初は本当に教えていただいてみたいな感じだったんですけども、本当にそのわからないですよね、やっぱり医療機器ってすごく興味はあっても、どこから手をつけたらいいかわからないだったりとか、地域の面もありますし、
やっぱり実際に事業がある上では動かなきゃいけないので、それが実際にできる人がどこにいるかだったりとか、どんな中間生化物質ですね、最後は医療機器だと思うんですけど、規制も伴う業界で保険とかそういったものもあるので、ビジネスモデルの面でも、地域のそもそもお届けする上でも、いろんなルールを守りながら、その中でも思い切ってビジネスモデルも作らなきゃいけないですし、ビジネスとしてはディストリビューションも考えなきゃいけないというところは、
個別の専門家の方が、今も昔も私、お会いすることがあるんですけど、ここはできますみたいな、モンスターの方として、薬事だけとか、スタートアップとか、我々VCみたいな立場の人だとすると、その後にそこだけ聞いても、全体の内が解消されるだけで、機遇はわからないので、やらなきゃいけないことが多い中でいうと、
本当にこうやってらっしゃる方は、おそらく大変だったんですけどね、決めたって。全部一旦受けていただいた上で、紹介していただけることとか、より詳しいとご紹介いただけるっていうのが、本当にありがたいものだなというふうに思ってはいるんですけども、こういうお仕事を今やられているに至る、今の桜井さんっていうのは、いつ頃から今の桜井さんなんでしょうかというか、現代劇みたいな感じのところで言うと、
桜井さんの原点
一番古くまで遡ると、そもそもアカデミアから始められてっていう、バスが入られてからの慶応のってこともありましたけども、そこは生まれた瞬間からアカデミアにいたわけじゃない、よくやってるわけじゃないと思うんで、おぎゃーの瞬間からやってるわけじゃないと思うんですけど、今の桜井さんが手続けられている、思い出せる範囲で一番古い原点って言うと、何歳ぐらいの頃のどんなことってあったりされますか?
ありますあります。小学校5年生ですね。銀河鉄道39の映画を見ました。なるほど。機械の体を持った、人間、機械、そういう生身じゃないものが機械に置き換える未来って本当に来るかもしれないなってすごく思ったのがきっかけです。
人工臓器とかいう言葉は全く知らないですよね。単に化学が化学が好きな中学生時代を過ごしていまして、その中でですね、私の家系が祖母が薬剤師で祖父が医者みたいな、なのでなんとなくこう、あと親戚にも病院経営してる親戚がいたりとかで、
割と医療の領域っていうのは割と生活の中で身近だったんですけど、どうも自分がですね、医者になるイメージは全然持てなくってです。で、まあそうですね、両親はやっぱりそういう手に即応みたいなことを望んでいたんですけど、それを振り切って和世田に行きました。
で、そこであの研究室を選ぶときにですね、ほんと生態工学、人工臓器って言葉を掲げている坂井教授がいらっしゃいまして、そこはもう人間は一つのプラントだと。もう酸素、二酸化炭素を吐くとか、栄養を取って出すとかっていうプラントとして考える生態工学、まさに工学。
その考え方がすごくですね、私に何て言うんだろう、目から鱗というか、人工臓器イコール、ひょっとしたら機械の体を作れるんじゃないかみたいな、臓器の一部を人工物で置き換える、まさにこれ医療機器ですよね。そこが私が本当に勉強しようと思ったきっかけになります。
なるほど。リンガー鉄道3-9はですね、完全ににわかなんですけど、なんとなく一般的に知られた人知らなくて、メーテルさんがそうなんでしたっけ?メーテルさんはそうでしたっけ?
メーテルさんはそうです。
あってますよね。すごいファンの人にこれメーテルはそうじゃなくてあいつなんだよって言われてて、すごい失礼なことやっちゃうんで。
たぶんメーテルさんがそうだったと私は思ってます。はっきりと映画なんか出てきてないですけど、メーテルさんそうです。
ということですよね。だからこう、メーテルさんとの出会いがなければ、プロパートナーはなかったし、今の桜井さんのキャリアもなかったかもしれないくらいのこう、何かズキンとくるものが。
ありましたありました。そうなんですそうなんです。私はあれです、今その何でしょう、版画?原画?あれが家に飾ってあります、玄関の横に。
そのくらいのファンなんですね、本当にもう。
そうですね。
ファンがすごいおしゃれです。
そうです。絵ですね、よく3Dのポスターですね、あれの。
ビートグラフのあれを買って、いつも初心を忘れないようにと思って飾って。
いいですね。これは自分でお聞きしててですね、このPodcastで毎回お話ししてるんですけど、自分がお話しされたらなんだろうと思ったら。
僕にとってはそれは、横浜三菱さんが書いた三国志っていう漫画の諸葛孔明だなって今思ったんですけど、
ちょっと版画までは持ってなかったんですけど、今反省しまして、ちゃんと初心を忘れないように。
自分の部屋にはなんか、孔明の罠だみたいな感じのコマとかちゃんと大ゴマにして印刷しちゃおうかなって思ったくらい。
ここまでの現体系のコミットメントがあるっていうのはやっぱり、だからこそ日々のプレモンさんと桜井さんの活動のですね、これをって大事ですよね。
目に見えるところに自分の原点とか、ある意味原点であり、ちょっと理想系なとこもあるかもしれない。
これを目指していくんだぞみたいなことが繋がっていくみたいなふうに思いながら美のストーリーを作るってすごい素敵だし大事なことです。
ありがとうございます。
そう心がけてます。
いいですね。今度ね、桜井さんとかプレモンさんとお会いになることがあった医療機器企業家とか、
企業を志してるですね、医師の先生方だったりとか、
エンジニアの方は明治さんに詳しくなったと、ちょっと桜井さんと仲良くなりやすくなるかもしれないですね。
ちょっとPの範囲を超えた相談もどうなんですか?
しやすくなるかもしれないので、是非ですね、名作ですからリメイク版も含めてご覧くださいって言って。
ぜひ。
真面目にお聞きしてるんですけど、ちょっとカジュアルな話があったんですけど、
ギュッと聞いていくと、それで大学とか研究室ってところがあられた上で、
でもアカデミアから医療機器のメーカーの世界に行っているところも、
序盤の自己紹介を触れていただきましたけど、
ちょっと自己紹介でも触れていただいた、
研究の世界からビジネスの世界に行くきっかけは、
最初の就職としては最初の先になられた。
そうですね。
そういう売り文句で巻き込まれたみたいなところがあったと思うんですけど、
それはもうその通りっていうか、桜井さん自身がそれを良しと思えたというか、
面白いなって思えたりとか、そこに対して不安もあったから、
こういう条件だったらみたいなことって何か、
アカデミアからのビジネスになったところって、何か期待と不安両方あったと思うんですけど、
そこって何かあられたでしょ?
そうですね。アカデミアにいるとき、私がアカデミアに残ろうとしたきっかけが、
結構研究のビギナーズラックで、私の最初の研究成果が、
アメリカの大きな血液学会、アメリカの血液学会でオーラルハプリを採択されたんですね。
それがビギナーズラックです。
私、何か研究いけるかもって思ったんですけど、
その後ですね、主人の転勤でミネスタに1年いて、そこで子供を産んだりとか、
2人目も研究している間に産んだりとか、ちょっと研究のペースが落ちた時期がすごくあったんですよ。
その中で、細々と研究を続けていたんですけど、
この研究ってどういうふうに社会に役に立つんだろう、みたいなことを思うようになりました。
多分、それって子育てをしながら、社会との接点をいろいろ考えるっていう、
ただ単に研究が好きっていうようなマインドからですね、
これがどう役に立つんだろうと思った時に、
あまりにも遠すぎる。自分の研究と社会をつなぐものが遠すぎるなーって、
ちょっと思った時にそういうきっかけがあったっていうのは実際そうなんです。
ただ、本当に2人の子供を育てて、本当にフルタイムで働けるかっていうところにはすごく不安があってですね、
とはいえ、私は病院側、いわゆるメーカーにとってはお客様側にいた人なので、
そのメーカーの方に、私はもしそっちで働くんだったら、1.5日の在宅金ももらえなきゃ働かないわ、みたいな、
ちょっと強気な姿勢で交渉したら、本当に人事規則を変えていただくことができましてですね、
転職したっていうのが本当に最初のきっかけです。
マネージャーとしての挑戦
もう働く時間と子育てとの両立がすごく大変な2年間でした。
最初は良かったんですよ、学術担当でみたいな。
それならできるかも。
そうするとですね、半年後にマネージャーになってくれないかと言われ、
半年後ですか、早いですね。
早すぎますよね。
社会人経験半年後にマネージャーになってくれないかと言われ、
とはいえ、やっぱりマネージャーの仕事、責任も多くて、
でも時間にも限りがあるし、自分でもどうしていいかわからない、みたいな不安はあったんですけど、
そこでマネージャーやってみようと思ったのは、
子供分で初めてお母さんになるときって、みんな誰でもお母さん初心者じゃないですか。
マネージャーとか管理職になっている方も最初は初めてなんですよね。
誰でも初めてなんですよ。
チャレンジしてみようかなという気持ちになりまして、お引き受けすることにしました。
すごい勇気をもらえるというか、
おっしゃるとおりですね、母親になるのは誰だって、
僕も割と最近父親になりましたけど、いまだに初心者ですけど、
父親は初心者。
男女平等にいろんなものをやらなきゃいけないと思うんで、
その変化とか実感をより深く持てるし、
女性の方がより強くそれを持てるなと今お話を聞いてて思ったりもしていて、
あれができたんだから、わからないけどこれもできるかって思えることもあるのかなと思った一方で、
性別はあまり関係ないかもしれないですけど、
父親は2人のお子さんもいて、いろんなチャレンジはしたいけど、
でもやっぱり守らなきゃいけないものもあるから、もっと安定したりとか、
毎日は安定の結果、家庭から出たいけど出れないみたいな感じにそっているのも、
昔も今も多くいらっしゃるんじゃないかと思っていて、
そういう葛藤はなかったんですか?
ありました。でも私本当にラッキーなことに、
夫の母親が自粛で薬局をやってまして、
私はどうせ薬局をやってるから子どもたちの面倒は見るわよって言ってくださったのと、
働く女性だったので、2つのプレースがあるほうがいいと。
仕事と家庭、そのほうが夫婦がよくいくって言われました。
アドバイスがあったんですね。
ありました。なので頑張ったらということで、義理の母の後押しというサポートがすごく強かったというのが、
それはその後もいろいろありますけどね。
一緒に2世帯住宅で住もうって言って断られたり。
普通は逆じゃないですか。
大丈夫です。婚姓残ってるんで、もしどこかで関係者が聞かれることがあったら、
笑いましていただけるといいかなと思うんですけど。
本当に私の実の母のほうがそれでいいの?みたいな。
大丈夫みたいな。
心配されてる。
なんとかなるでしょみたいな。みんなと育てましょうみたいな。
私がこんな雑な性格なのでなんとか乗り切ったというような。
でも仕事しながらやっぱり続けられないなとか、やっぱり役割っていうところを変えてほしいなとか、
それは会社の中ではいろいろ交渉もしましたし、
そこはなかなかこの短時間では語れない。
それだけで1本ぐらい言けるかもしれないですけど。
そうですね。
ちょっと先に言ってしまうと、
まさにそういった、それだけじゃなくていろんなご経験があって、
でもこの頃のご経験もあるから、まさに個人としてやってらっしゃるようなですね、
正式名称が正式なやつが言えないかもしれないですけど、
女性の医療機器業界。
メタテクーマンです。
メタテクーマンみたいなコミュニティー活動をやってらっしゃるっていうのは、
まさにこういうものが今よりはなかった時代に、
切り開かれたってこともあるし、周りも理解してくれたっていう成功体験とか、
そういうこともあったけどそれを乗り越えてきた経験もあるから、
女性の活躍とコミュニティ活動
せっかく名前が出たんで、メタテクーマンについて簡単にご紹介いただきたいと思うんですけど、
どんなことやってらっしゃるのかチェックしてください。
ありがとうございます。
本当にこの医療機器業界って女性が少ないんですよ。
製薬業界の方がまだ多いぐらい。
でもこの医療機器の業界でイノベーティブなものを起こそうとした時には、
当然いろいろな人が集まって、いろいろ活動していかないとイノベーション生まれないなと思う中で、
非常にスタートアップ業界ってこの女性のマルチタレントな、
マルチタスクな能力っていうのはすごく活かせるんじゃないかなっていうことを、
私自身すごく実感しています。
実際に弊社で働いている女性の皆さんも、やはりマルチタスクすごい可能なんですよ。
スタートアップってうちの会社もスタートアップみたいなもんなんで、
いろんなことに臨機応変に対応できる能力ってすごく高いなと思ってまして、
一方で将来自分は子育てに専念したいんだけど、将来どうしようとかやめちゃっていいんだろうかみたいな悩みを持っている、
若い子たちから私も相談を受けることが多いので、
一つロールモデルというよりも、こんな働き方をしているよとか、
こんな仕事をしている人たちがいるよっていう、
勇気づけられる機会を作りたいなと思って、
2ヶ月に1回、この業界で活躍している女性を取り上げて、
ウェビナーをしているっていうのが今の活動になります。
素晴らしい。
感想はそれしかできません。ご意味が貧困なんですけど。
本当にさらっとおっしゃってますけど、すごくお忙しかったです。
いろんな意味で。
忙しかったですよね。あまりにも仕事が忙しい時には、上司から言われる時には、
もう3人目産んでやるから、産んでやるとか言って3級取ってやるみたいな。
なんかそんな見えた目が記憶もあったりとか。
ひどい人ですね。ひどい部下ですね。
いやいや、ひどくはないです。全然ひどくはないです。
そういうことがあった中で、アカデミアからビジネスに対するっていうのが、
美容業界でのキャリア
高谷さんのパッションと、あとは周りのご理解もあったということで進んでいった中で、
美容業界で働いててっていうので、さっきも問題意識が現れたっておっしゃられましたけど、
やっぱり、美容企業界の中での役割の変遷で言うと、学術担当からマネージャー、学術担当のマネージャー。
そうですね、はい、そうですそうです。
その後でロールの変化で言うと、どうなって最終的にはメーカーにいらっしゃったっていうのは、
どういうお仕事までやってらっしゃったんですか。
でもその後、ベルトロニックではもう学術っていう部門がなかったので、
マーケティング部門ですよね。
マーケティングって3つ種類があって、まずプロダクトマーケティングとか、
これはだからもう本当に製品のことを中心に考えるプロダクトマーケティングって役割と、
あとクリニカルマーケティングっていうのを私は作ったんですよ。
製薬業界ではクリニカルマーケティング、要は学術エビデンスをもとに
クリニカルな情報をお届けするマーケティングっていうのは製薬業界ですごく一般的だったんですよね。
私が慶応病院に行って、いろんなプロパーさんとMRさんと付き合いをしている中で、
こんなプロモーションがあるんだっていうのを知ってたので、
医療機器業界にも絶対クリニカルマーケティングって絶対必要だと思って、
クリニカルマーケティングって言葉を作って、私がそのクリニカルマーケティングみたいな。
あとフィールドマーケティングって、これはもう先生とドクターとお話をして、
本当にフィールドでマーケティングをするっていうような、
エデュケーションとかトレーニングに近いところの仕事だと思うんですけど、
マーケティングは多分3つの役割があるんです。
私はクリニカルマーケティングってところが長かったんですけど、
ペリフェラル事業部に移動した時には、すごく小さな事業部でこれから申請書を立ち上げましょうっていうところだったので、
いわゆるマーケティング担当1人しかいないところで、
マーケティングでヘッドとしてやらせてもらったっていう感じですね。
セントキュートメディカルに行った時には、
マーケティングのヘッドとして本当にあらゆる製品を、月間も長い間も関係なく、
いわゆるこのマーケティングストラテジーを主に考えるみたいな、
そんなお仕事をしたっていうのが最後ですね。
短く言うと、すごい人ってことですね。
やっぱり仕事をしていく上ですごく大事だと思うのは、
自分の強みを生かさないともったいないなと思って、
自分の強みって何だろうって言った時に、アカデミアの経験が、
アカデミアとアカデミアの時にやってた思考、仮説を立てて検証するっていう作業とか、
やっぱりこの受け手側ですね、お客様側の立場で私は経験していたので、
それがやっぱり強くて、学術的なマーケティングを、戦略を作れるっていうところが、
いわゆるキーオープニングリーダーの先生方とのディスカッションと同じステージに立てるっていうところが、
やっぱりすごく強みで、やっぱりスプライサンじゃなきゃっていうような、
バイネームでやっぱり指名されることが多かったっていうのが、
すごく自分の自己肯定感が上がるというか、
そんなところで、仕事を遂行できたっていう強みはすごくありましたね。
プレモパートナーの設立経緯
逆にその頃からそれを強みにされていてってことで、
私も多分聞いている方も理解したかなと思うんですけど、
逆に言うと、私は学術だった頃からマーケティングになられて、
周りのやり方とかと桜井さんの強みがピッとしない部分というか、
そういうのが悩まれることってあったり、
それはそうなんですよね。
やっぱり私は割と仕事を拾う癖があって、
いろんなところにカスタマイズしようとする癖がちょっとあるので、
時間はいくらあっても足りないんです。
やっぱりアメリカの企業の考え方の中では、
8割オッケーだったら2割捨ててもいいよみたいな、
すごく法律重視みたいなところがあってですね、
そこは何を捨てて何を拾うかという判断はすごく難しかったですね。
学術で研究をしていると、
そこで何とかしていろんな人に届けたいという、
ロングテールって私は言うんですけど、
本当に長齢数が少ないお客さんにもアプローチをする方法を
どうしても考えがちになっちゃうというところが、
本社全体の考え方、
ハイボリューム、ハイセンターで選択肢を集中しましょうみたいなところっていうのは、
なかなか考えが切り替えることができなかった、正直なところですね。
ドライになれない?
やっぱりファミやサイブに、
実際に宿ってると思うんですけど、サイブが好きなのもあって、
好みなのもあって、
行ったり来たりするところは両方大事なんだけど、
悩みながらバランスを取られている。
そうですね。
そういう中で、
これ前半だと最後のお伺いする話にしたいなと思うんですけど、
そんな中でキャリアも積まれていった中で、
辞められて、MBAも取られていたのと先ほど言いましたけど、
プレモパートナーを創業するに至るわけですけども、
創業物語みたいなやつがあるとしたら、
インキュベーターをやりたいっていうのは、
最後がアボットなんですね。
アボットメディカルですね。
アボットを辞めたときにインキュベーターをやろうと思って辞めたのか、
ある意味ちょっと考える期間があったのかとかで、
どんな経緯でプレモパートナーができているんですか?
これが全くノーアイデアだったんです。
辞めるときに、
MBA取りに行こうって思ったんです。
自分が今までビジネスやってきましたけど、
仕事ってすごく狭い範囲のビジネスだったので、
自分の今までの経験というのも、
答え合わせをしたかったっていうのもありますし、
いろんな思いで経営を勉強して、
何か自分がバイネームで、
誰かに役に立てるような仕事をしたいなっていう、
すごく漠然とした感じだった。
これが仕事を辞める、
自分で会社を作ろうかなって思っていると、
スタートアップから助けてよと、
マーケティングの仕事とかで、
スタートアップに助けてほしいっていう案件が、
大きな案件が1、2件。
本当に知人経由がありまして、
とはいえ、スタートアップって物を売るまでは、
あんまりマーケティングの仕事はないんですよ。
大事なのって、
出口からプランをするってことがすごく大事で、
それなりに私の役割はあるんですが、
その会社にとって1の仕事はない。
そんな中で、
共同創業者の前田雄二郎に、
会社を辞めることにしたんだっていう話をして、
ランチを一緒に取った時に、
バイオデザインで人材育成をした後に、
スタートアップを作ろうと思っている人たちが、
実際にどうやって事業化、
インプリメントしていくかわからないので、
そういったところの会社を、
組織ですよね。一緒にできたら面白いよね。
まさに私がやりたいなと思っていることが、
アメリカではすでにフォガティインシティチュートみたいなところで、
アントレプレナーで勉強して、
医療機器まさにシーズを見つけて、
このシーズ元に大きくなっていきましょうっていう人たちを
もらう受け皿っていうのがアメリカにはあります。
アメリカが20年かけてやっていたエコシステムっていうのを
私も覗くことができまして、
これから日本にもそういう組織は絶対に必要だと
確信して、
一緒にこういうことがやれるといいよねっていう、
本当に出会って3ヶ月、
もともとバイオデザインのプログラムで
先生と生徒で私は生徒だったんですけど、
何でしたっけ?
おだしょー 楽しいパターン
大平 これが6ヶ月くらいプログラムなんですけど、
先生と生徒で、
それで何かやってることも分かってたし、
前のビジョンとかと私のビジョンが一緒、
共鳴するところがあったっていうところでは、
会社を作るのがダメだったら辞めればいいし、
とりあえずトライアルアンドエラーで
ご作戦しながら、
インテリベーターっていうものを作っていこうかっていうのが、
本当に最初のきっかけです。
共同創業者との出会い
おだしょー すごい、
理想的な人と理想的なお互いで
タイミングで、
そういう話をランチもできたからって、
めちゃくちゃできすぎなくらい、
よくできた協働創業ストーリーだと言うんですけど、
振り返ってみて、
そのランチが、
3年後とか3年前だったら、
また違う意思決定になってたかもしれないとか思います。
想像してみると。
3年前に同じように前田さんとランチしてとか、
MBM取って終わった3年後で、
あのタイミングだったから良かったみたいなものってあったりするんですか?
大平 多分あってですね、
大企業でマーケティングで、
すごく部下も20何人いて、面白い時だったんですよね。
持ってる予算もいっぱいあって、
全くそんなこと考えてなかったです。
なので3年前はありえなかった。
大企業に言うとM&Aでスタートアップを買う側の、
こうやって会社と大きくなっていくんだって、
新しい製品が会社に入ってきて、
いろんな新しい新製品出すの楽しいみたいなところで、
全くその意識はなかったです。
スタートアップとか新しい製品を作る側に回っていくみたいな、
それはもう多分難しくて。
大平 全くなかった。
3年後って言うと、本当にこのスタートアップがあって、
岸田首相がスタートアップを日本の機関産業にしていくみたいな話をしてる時に立ち上げたんです。
多分遅くって、
やっぱりあのタイミングで出会えてやってた実績があるから、
今スタートアップのやろうっていうスタッフの中に、
私たちの実績をもとにサポートできるっていう流れで、
まさにJカーブじゃないですけど、
やっと私はインキュベーターですって自信を持って言えるようなことが今なので、
3年後前だと出会ってたら、
インキュベーターっていうより私本当に個人事業主で、
単にコンサルタントとして、
ボソボソと仕事をしていたんじゃないかなって気がします。
なるほど、面白いですね。
そんなもんかなっていろんなスタートアップの話を職業柄聞いてたりとか、
我々大体インベンチャーシステム、
偶然の産物って今がありますんでっていうのがあるんで、
結構多分医療機器を企業構造に触れる先生方とか、
医療機関プレイ機関の方とかも、
共同創業者ってどことどうやって出会うんですかって真面目に悩まれてる方って、
たくさんいらっしゃるじゃないですか。
もちろん健全な悩みなんだけど、こんなもんですよみたいな感じのところで、
いろんな人と話をしてみるやったりとか、
いろんな人と出会う場所に身を置いて、
変な人も世の中にたくさんいますけど、いい人もたくさんいるので、
話してみたら、日方そういうリラックスしておけるから、
何か生まれたりするかもしれないっていうのは、
プルモさんにとってもそうですし、
スタートアップをやりたいっていうのにとっても同じことがあるのかもしれないですね。
セレンデビティ。
結婚と結婚するってとこまでは大げさなもんじゃないじゃないですか。
嫌だったらやめればいいんですよ。
確かに。うまくいかなかったら嫌だったらやめればいいんです。
それくらいの気持ちがいいなと思って。
でも、その相手が見つからないんだったら、
マッチングサイト行って、いろいろみんな
桜井公美の経験
ボーイフレンドがあると探すじゃないですか。
それは自分で見つけに行かないとね。
みんなこういうご時世ですけど、
しっかりね、ちゃんと肉食男子女子になってですね、
性別は関係ないんですけど、
本当おっしゃる通りで、
サーキューサークルとか、
学生団体とか作ってた人が
スタートアップの大きい会社のファウンダーって多くて、
全然威力と関係ないですけど、
メルカリって会社の一時期代表もやってらっしゃった
小泉さんって方とか、今アントラズの社長ですけど、
有名ですけど、結構大きな学生団体、学生時代に作って、
多分その時の経験とかが、
その後、証券会社に入ってミクシーのCFOやられて、
メルカリになられるようになってて、
私もよくこの仕事やってて言うんですけど、
サーキュル作れるようなもんだから、
良くも悪くもその思いをこらえなくていいんですよ、
サークルって面白かったら人集まるし、
つまんなかったら集まらなかったりとか、
集まっても練習誰も来なかったりして、
自然会社になってくるじゃない。
そんなもんだから、それのちょっとガチめなサークルで、
ベースランニングとか真面目にやらないと試合勝てないじゃないかっていう、
ガチさを求めたりするところと、
その後のバーベキューが楽しいみたいな感じのところ。
そういう塩梅でうまくやるようなもんだから、
仲間探しとかスタートアップって会社ってなると、
特に医療機関だと、
ビジネスビジネスしたバックグラウンドじゃない方、
研究とかにその方が来ることも多いので、
なんですけど、
医学部時代に先生、サークルとか部活とかやってらっしゃったでしょ。
常務部とか、
やったりすると、
あれを立ち上げるようなもんですよ。ゼロから。
できなくはない気がしません。
確かに。
そのノリで、大事なのは別のバックグラウンドの畑にいる人と、
同じような医学部医者同士じゃなくて、
やるところだけの違いだから、
人間として向ければいいんですよ。
偉そうに申し上げると、
私はいいこと言った気分になれる。
多分そうなんですよね。
私が今、経営者として6年目を迎えて、
何とか会社を続けていられるっていうのは、
この大企業での管理職の経験、
すごく大きいんですよ。
予算持たされて予算配分をするとか、
会社と一緒に仕事をするとか、
横の組織と一緒に仕事をするって、
マーケティングってすごくハブなんですよね。
薬事、それからホーム、
あと営業さんに売ってもらうとか、
あと海外の本社のメンバーとか、
そういうマーケティングに立って、
すごく今の私の経営者としての基盤を作ってくれたな、
機能としてね。
薬職職務としてそういう予算任されて、
チームマネジメントをしてきたっていうのが、
多分すごく大きな自信になっているなっていうのはあります。
ある意味、
慶応病院からいきなりそこで、
その頃の桜井さんがインテリベーター、
やろうと思うことはあったかもしれないけど、
今みたいな形ではプレモさんはなっていなかったかもしれない。
本当に今までやったことが全部繋がって、
プレモの創業だったら今の自分が繋がっているっていうところですね。
ありがとうございます。
スタートアップと医療機関の重要性
じゃあすごい盛り上がってしまってですね、
前半コーナーだけで結構お時間いただいちゃったんで、
一旦ここで一区切りとさせていただいて、
この後これからパートをちょっと止めますので、
一旦前半こちらに切り出していただければと思います。
じゃあ一旦切り出します。
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