皆さん、こんにちは。都市デザイナーの杉田麻里子と、
エクスペリエンスデザイナーの石川由加子です。
Good News for Citiesは、世界中のグッドなニュースから、
自分たちの手で都市の暮らしを豊かにするアイデアを探求していく番組です。
今日は、私がアーバニストになるまでの第2弾。
今回もゲストをお招きしておしゃべりします。
今日は、どんなアーバニストが来てくれているのでしょうか。
今日はですね、テクテク歩きながら日常を鑑賞する視点を育む学問である
テク学というものを立ち上げたテク学者ののび太さんをゲストにお迎えして、
アーバニストになるまでの道のりをねほりはほり聞いていきたいと思います。
今日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
テク学を初めて聞く方もいらっしゃるんじゃないかなと思うんですが、
前回ね、今年の3月末ぐらいですかね、渋谷でやっていたイベントでのび太さんとお会いして、
このテク学っていうものをやるために会社辞めました。先週みたいな感じで。
そうなんだ。
ヤバいやつがいると思って、これは仲良くならねばいかんと思い、
いろいろそこからお話しさせていただいてたんですけど、
今まさにいろいろ活動をこれから仕掛けていくっていうところもあって、
ぜひ我々もそのモチベーションをいろいろ聞いてみたいなと思っております。
ちょっとじゃあ簡単にテク学とは何かっていうのはちょっと最初教えてもらってからのび太さんについて話していきますか。
はい、ありがとうございます。
テク学、冒頭でもちょっと紹介いただいたんですけれども、
テクテク歩きながら学ぶ学問っていうのを作っております。
普通の学校の勉強とかだと国数理者みたいな形で、
基本的に学校の机の上で勉強するっていうところになると思うんですけれども、
テク学では実際に街に出て、街を鑑賞しながら学んでいくっていうスタイルをとっております。
基本的には街歩きのイベントをやったりとか、それにまつわる教科書を作ったりっていうことをやってるんですけれども、
街歩きの中にも大きく2つのパターンがあって、
まず1つ目が問いと一緒に歩くっていう歩き方になっておりまして、
これは僕の方で毎回テーマを変えて問いを用意しまして、
例えば街の中から好きな色を探してその色に名前をつけてみてくださいっていうお題とか、
あとはメトロノームで街の心拍数を測ってきてくださいっていうお題をもとに、
実際に住人とかでメトロノームをみんなで持ってカチカチカチカチ街の心拍数を測ったりとか、
色を見つけてきて名前つけたりみたいなことをやっているっていう問いと歩くパターンと、
あとは専門家の方をお招きしてその人の視点を借りながら歩くというところで、
例えばお笑い芸人さんを呼びして街に突っ込みながらお散歩をするとか、
あとは薬膳アドバイザーの方が野草を普段から食べているっていう方がいたので、
本当に街中の道端の野草をつまみ食いしながらお散歩するみたいな形で、
普段自分では見えないような視点というのを専門家さんからある種レンタルするような形で、
その人の視点を通して街を鑑賞するっていうようなパターンの街歩きをしているというのが現状の活動になります。
仕事を辞めたんですか?そのテク学をするために。気になる。突っ込ませてまず。
そうですね。仕事を辞めてしまいました。
辞めてしまいまして、ケリケリ行くと今、社会人もう何年目かわからないですけど、多分9年目ぐらい。
そうなんだ。
最初はPR会社の企画職に勤めていて、
企業の商材サービスとかをどうニュースの中で取り扱ってもらうかっていう企画を作ったりしていたんですけれども、
そこから今度、メルカリに広報として転職をして、
今年の3月末までメルカリで勤めていたという形になるんですけれども、
きっかけがありというか、暴走してしまって、
よし、テク学っていうのを本業でやってみるかというか、
散歩で整形立ってる人間がいたら面白いんじゃないかなっていうので、
半分ちょっと衝動的に出る形をとって、今テク学者っていうのを名乗っております。
いい衝動ですね。
いい衝動にしていかないといけませんね。
辞めてから結構もう経ってるってことですよね、テク学本業にしてから。
今年の3月末って終わったので、
まだ実際に有給特期間とかが終わって、4月の13日とかに正式に終わったので、
今は丸い順番で、
どんな気持ちですか?生成としている不安、楽しみ。
めちゃくちゃ楽しみで、
すごいなんか辞めてからっていうか、卒業してから、
毎朝これ考えようかなとか、あそこ歩こうかなとかすごい楽しみになりました。
うん、うん。
緊張いい。
なんか、
なんか、
なんか、
なんか、
なんか、
なんか、
なんか、
なんか、
なんか、
うん、緊張いい。
なんか、そういう散歩とかさ、街について関心を持ち始めたのはいつ頃だったかとか、
あーこれきっかけだったなーみたいなのってなんか覚えてるのありますか?
そうですね、結構そこは明確にあって、
20歳の頃、大学2年生とかの時に、
なんかこう、構想というか、手くかくの構想始まりみたいなのはあって、
もう、なので構想自体は10年ぐらいしていたんですけれども、
イベントとかやりだしたのまだ1年半ぐらいで、腰重くてずっと8年ぐらい構想だけやってたっていう形になるんですけども、
その当時、カナダのトロントに1年留学をしていて、
ただ、あんまりこう、僕はカルチャーショックとかをそんなにちゃんと感じられずに、
留学先もそんなに楽しめずに、1年結構ボケーッと過ごしてしまったみたいなのがあって、
学校に行って勉強して帰ってきて、日本語でアニメ見るみたいななんか、
ネタラクな生活を送ってたんですけれども、
どっちかというと、海外に行った経験というよりかは、
日本に戻ってきた経験というのが、すごい良い意味でショッキングだったなっていうのがありまして、
当時、東京都の三鷹市っていうジブリの美術館がある市に住んでたんですけれども、
その20年住んでたその町を1年離れて戻ってきた時に、なんか風景は変わってないんですけれども、
やたらと自分の近くにすごい入ってくるといいますか、
普通の草とか見ても、これってあれから見たら相当なスケールに見えるだろうなとか、
家を見ると卵焼き役の上手なおばあちゃん住んでそうだなとか、
そういうのがやたらと目につくというか、五感を通り抜けていくような感じがすごいあって、
その延長線上で通学している時に、コンクリートのブロック部屋があって、
コンクリートの部屋によく穴が開いている部屋があると思うんですけれども、
あれがスカッシ穴って呼ばれる、ブロック部屋のスカッシ穴っていって向こう側が見えるような穴になっていて、
そのスカッシ穴の横をバーって駆け抜けていった時に、
スカッシ穴から、連続したスカッシ穴から見える世界っていうのが、
パラパラ漫画みたいにパラパラって切り替わってたんですね。
それがすごい面白いなと思って、
自分の意識一つで、街中のものって何でも教材になるんじゃないかみたいなことを思ったのが、
その講座の一番最初の部分でした。
それが20歳前後で、日本に戻ってきて、目が変わっていったみたいな感じなんですかね。
そうですね。その時に、ルンルンですごい楽しそうにお散歩できる人間になったら、
散歩を楽しめる人だったら、何でも楽しめるんじゃないかなって思って、
漠然と世界で一番楽しそうにお散歩できる人だったら、
漠然と世界で一番楽しそうにお散歩している人間になりたいなーみたいなのを思い始めました。
いいですね。
トロントにいた時はお散歩をあんまりしてなかったんですか。
そうですね。あんまり意識的にお散歩するっていうのはなかったんですけれども、
なんとなく今日は青に注目しながら学校行ってみようとか、
今日は音聞いてみようとかっていうのは振り返ればやってはいました。
それが20歳ぐらいで、帰ってきてからもう学生生活を過ごしてたんですか。
そうですね。大学にまた戻って、2年間通ってですね。
大学は専門は何をしてたんですか。
経済学部の政治学科にいたんですけれども、
本当は経済学科に入りたかったんですが、間違えて政治学科に入ってしまって。
めっちゃ間違える。
そうなんです。受験票を書き間違えて間違えて入っちゃって、
あんまり政治そんなに詳しくないし得意じゃないしってところだったので、
結構序盤は単位とか軒並み落としてたんですけれども、
後半になってから幕末とかの思想を、
留学を経てっていうのもあると思うんですけど、すごい好きになっていったりして、
なんとなく政治の方にも興味を持っていったっていうのはあります。
ありがとうございます。
あれですよね、今、茅ヶ崎と2拠点で、茅ヶ崎をフィールドに結構そのテク学のプロジェクトをやろうとしているでしたっけ?
茅ヶ崎と、あと今その岡山に2拠点生活してる。
そうだ、岡山だ。
してまして、茅ヶ崎で今プロジェクトを多めにやってるんですけれども、
その岡山の方も瀬戸内海とか、裏に山があったりとかって、
あそこあそこで独特な雰囲気を持っていて、独特な感性があったりするので、
あっちでも活動していきたいなっていうのは思っていて、
今、あっちのつながりでそのテク学の教科書とかも作ってるんですけど、
それを岡山の本屋さんに置いていただいたりとか、
知り合いの宿のところで街歩き絡められないかなみたいなのを、
ちょうど先月ぐらいにちらっとお話いただいて、
まだ活動自体はしてないんですけど、そういうのやっていきたいなと思っています。
茅ヶ崎と岡山はどういう理由でこの2つなんだろうっていうところも気になったんですけど、
出身は?
三鷹です。
なんで?
なんで茅ヶ崎と岡山?
順番で言うと、最初に拠点始めた時は岡山と東京にいて、
その時は普通に東京で暮らしていて、
前々職から前職に転職するタイミングでちょっとゆっくり、
いろんなところを8泊ぐらいかけて国内旅行をしてみようかなみたいな感じで、
その年がちょうど瀬戸内国際芸術祭が開催している年だったので、
そっちの方まで足を伸ばしてみようかなみたいなのを考えていて、
もともと僕、旅行するときすごい、予定を細かく立てていくタイプだったんですけど、
それやってると結局、次何時に行かなきゃとかっていう感じで、
全然余白がなくて、そういうのを前半やってたんですけど、
人にオススメされた岡山のデニムホステルフロートっていう、
泊まれるデニム屋さんっていうコンセプトでやっている宿があるんですけど、
そこに行った時に、まだコロナ直前ぐらいにおそらくオープンした施設で、
コロナ禍でその後人が1回来なくなってっていう状況もあったので、
全然まだ、何ですかね、宿はあるけど食事のメニューが
整ってるわけではないみたいな段階の時に行って、
そうするとゲストとホストの境界線がすごい曖昧になるといいますか、
一緒にご飯食べようよみたいな誘われてご飯食べて、
その後みんなで洗い物してみたいな感じで、
誰がホストで誰がゲストかわかんないみたいな感じだったので、
そこですごい人と仲良くなって、そこがすごい気に入って、
結局エンパクト感もして、
その日からあんまり予定を立てる旅行みたいなのをしなくなって、
すいません、まだ明日何も決めてないんですけど、どこがいいですかねみたいなと、
人に話して、じゃあここ行こうよとかっていう風に誘われたりみたいな、
すごい偶発的な出会いが増えていったみたいなのがあって、
その延長で結構あっちでもコミュニティーがすごい色んなつながりができてきたので、
その半年後とか1年後ぐらいに、
2年前に2拠点を先に始めたっていう形になります。
すごい出会いだったんだね、それ。
旅のスタイルが変わるって結構ね、旅って結構性格がね、
どういう風に時間を使うかとか、そこの出会いでガラッと変わってしまったのは、
なんか素敵な原風景だなと思って聞いてました。
旅のスタイルに限らず、そこから結構色んな生き方そのものも変わってきたような感じはあって、
確かに今となっては無計画すぎるというか、
本当になんかあのお散歩的な生き方。
お散歩的な生き方ね、ふらふら。
そうですね、こっちを持って行くっていうか、
いいね、お散歩的生き方。
今日のテーマですね。
でもさ、多くの人がきっとできないんだよね。
それは何でだろうね、お散歩的生き方。
確かにな。
けど、怖さはね、
怖さはね、
でも、
でもなんかそういう拠点が複数あったりとか、
そこで共感してくれる仲間が見えてきてるとか、
多分なんかそういう複合的な色々な地震とか、
後押しが、
その伸びたさんを、会社を辞めさせてくれたりとか、
そういう、
そういう、
そうですね、特に岡山の友達とかはすごいたくさん影響を受けていて、
あっちは結構、写真家の方とかが多くいらっしゃって、
いろいろな、
いろいろな、
いろいろな、
いろいろな、
いろいろな、
いろいろな、
いろいろな、
写真家の方とかが多くいらっしゃって、
僕より全然年下の人たちも多いというか、
僕もそのコミュニティーの中で行くともう上から2番目か3番目ぐらいに年が上なんですけど、
岡山に行った時にすごい、
あっちの人たち、
ベースみんな1台カメラ持ってて、
みんなコーヒー入れられてみたいなのが、
ベーススキルみたいに持ってるんですね。
ベーススキル。
そう、だからあっちに行くと、
おかえり行っててコーヒー入れてくれたりとか、
一緒に遊びに行った時に写真撮ってくれたりとか、
そういう手渡せるものをすごいいっぱい持ってる人たちで、
なんか結構、
社会人が良くないとかっていうことではないんですけど、
ずっと社会人やってきた中で、
自分が目の前にいる人に手渡せるものをあんまり持ってないかもなみたいなところで、
一回結構それで落ち込んだりして、
それをみんないろいろ渡してくれるのに渡せるものがなくて、
ちょっと戸惑ってるんだよねみたいなことを、
ポロって言ったら、
その写真家のうちの一人の子が、
え、何言ってんの?みたいな。
いろいろ気づきとかも渡してもらってるし、
お散歩が手区画あるじゃんみたいな言われて、
あ、そうかみたいな。
すごい救われた気持ちになったっていうのは、
今でも後押しされたなっていう気がします。
手区画は、
23歳か4歳ぐらいのときに、
実は僕ともう一人で話をしててできた言葉だったんですけど、
いわゆる学校教育みたいな、
教える教えられる関係ってどうなんだっけみたいな話とか、
あと何話したっけな。
さっきの国数理学者みたいに座って授業するだけでいいんだっけとか、
そういうことを、どっちも教育に興味があったので、
そういうのを話していく中で、
いわゆる昔の師匠と弟子みたいなスタイルで、
誰かの鞄を持ちながら歩いて行きながら、
その人の視点を教えてもらうみたいなことができたらいいねっていうのを話してて、
何個か関わる言葉みたいなのを書いている中の、
一つに手区画っていう言葉があったっていう感じでした。
なるほどね。
さっきの渡せるものの話、すごいいいなと思って聞いてて、
物だけに限らずってことだよね。
気づきを渡したり、お茶入れてあげたり、コーヒー入れてあげたりみたいな、
一人一人が自分だけが渡せるものとか、渡したいものって何だろうとか思いながら、
生きていけたら散歩的な人生に近づくのになとか思いました。
心の底からできること、やりたいことみたいな渡せるもの。
そうですね。
それこそ手区画の講座の中とかで、冒頭の方でちょっと紹介した通り、
専門家の方を呼んで一緒に歩くっていうのとかをやってるんですけど、
防災士さんと避難経路を一緒に歩きましょうとか、
あとはサウンドスケープって音風景をデザインする人と一緒に、
路地曲がったらどう音が変わるんだっけとかっていうのをやっていて、
その専門家さんの視点は、すごい分かりやすくて、
面白いなと思ってご一緒させていただいてるんですけども、
専門家の人に限らず、
例えば好きな色を探してきて、その色に名前つけてとかって言うと、
本当にみんな面白い色を出してくるんですよ。
なので、普通に隣にいる人の視点ってもうそれだけで面白いなっていうのを
授業をやるたびに親族を感じていて、
だから、はっきり渡せるものとかじゃなくても、
あなたの視点自体面白いよっていうのがやっててすごい思います。
一個色を紹介していいですか。
うん、どうぞ。
1個目は、
1つ目は、
2つ目は、
3つ目は、
4つ目は、
1個色を紹介していいですか。
うん、どうぞ。
参加者の方が出してた色で、
瀬戸内海の方で、
瀬戸内海でイベントしたときに、
山の上から瀬戸内海を見下ろしていて、
西日がちょうどさす16時ぐらいの時間で、
海面がキラキラキラキラ、
白くなりきらないぐらいの色ですごい綺麗だったっていうので、
その色をすごい見たいんだけど、
眩しくて見れない。
見たいけど見れないみたいな形で、
まばたき色っていう名前をつけている人がいて、
その人別に創作を普段からやってるとか、
詩人であるとかっていう、
アートやってるとかっていうわけじゃないんですけど、