みなさん、こんにちは。都市デザイナーの杉田まれ子と、エクスペリエンスデザイナーの石川佳子です。
Good News for Citiesは、世界中のグッドなニュースから、自分たちの手で都市の暮らしを豊かにするアイデアを探求していく番組です。
はい、みなさんこんにちは。今日は我々の大切な友人に来ていただいております。中川晃太さんです。よろしくお願いします。
中川さんは、結構長いお付き合いで、我々が2021年に4 Cities Weekっていう東京でイベントをやったときに来ていただいて、一緒に街を歩いて、それが最初だったよね、きっと。
だと思うんですけど、中川さんは一言でくくれないんだけど、私にとっては都市の人であり、アーバニストであり、土木の人でもあり、市の人でもあり、市民の人でもあるっていう、なんかいろんな興味のあるトピックを共有している仲間だと思っております。
ちょっと簡単に自己紹介お願いできますか?
はい、ありがとうございます。改めて中川晃太と申します。今、仕事としては都市計画とか、街づくりに関するコンサルティングとか、研究とかをしています。
その傍ら、自分としては都市と土木と写真みたいなものをテーマにして、バックグラウンドが結構土木だったりするので、その辺も要素も取り入れつつ、陣を作ったりとか、表現の活動をしたりとか、まる子さん、ゆかくさんと一緒に活動させてもらったりとか、出るものです。よろしくお願いします。
今回は中川さんを迎えて、中川さんが出版された、市的都市という本のテーマに紐解いていけたらと思うんですが、これが他社の言葉である、市下を通して、他社の視点から都市を考える試みとして作られた本ということで、まる子さんも寄稿しているということで、
今日はこの市的都市をテーマに中川さんとお話ししていきたいと思います。
これはどういうきっかけで作ることになったんでしょうか。
そうですよね。その説明がいろいろ難しいんですけど、まずまる子さん、本当に素晴らしい素敵な文章を寄せていただいて、本当にありがとうございます。
ありがとうございます。
本当に読み返しちゃいますね。自分でというか、本当に文章を寄せてくださった皆さん、素敵で感謝をしています。
本当に素敵な本で、私今手元にあるんですけど、概要欄にリンクとかも貼っておこうかなと思うんですけど、なんかピンク色で、そもそもかわいいの。
手に収まる、片手でこうさっと持って出かけられるようなサイズで、中川さんが編集をされていて、今回6名の方、中川さんも入れて6名に声をかけて、5名が、中川さん以外だと5名に声をかけて、
書いてもらったっていう本ですよね。
そうですね。なんか、作ったきっかけ的なことを話すと、都市の話をする中で、結構、仕事で使う言葉に最初は違和感というか、ちょっと引っかかることを感じて、
例えば、街づくりのビジョンとかを見ると、にぎわいとか活力とか、そういう言葉ってよく出てくるじゃないですか。
それはもちろん全然間違ってはないんですけど、どの都市見ても書いてあるなみたいなことを思って、
だからもう少しその言葉って掘り下げられるんじゃないかなってずっと思ってたんですね。
でも、それをどうしたらいいかよく分かってなかったんですけど、
自分がその制作の中で短歌を作ってる友人と一緒にジンを作ったりもしてたんですけど、
だんだん詩とか詩歌っていうものに興味を持ったときに、
なんかその都市を考えるときにも、こういう詩歌を通して考えると、すごい個人的な視点がもっと出てくるんじゃないかなっていうことを考えて、
それで、都市を詩的に考えるってどういうことだろうみたいなのをやってみたいと思いましたと。
で、その最初の取り組みとして、まずは自分の友人で詩とか、詩だけに限らずなんですけど、
いろんな表現をしている人たちに声をかけて、本という形でまとめてみたら、
まずそういう都市を詩的に考えるってどういうことだろうっていう視点を提示できるのかなと思って作りました。
なので、内容としては先ほど紹介してもらった通り、自分を含めて6人の人たちが、
最初は言葉から出発したんですけど、よく考えてみると、言葉というよりは、
本当にその個人、他者の圧倒的な他者の視点みたいなものを出してほしくて、
それで詩歌に限らず、エッセイだったり写真だったりっていうのを組み合わせる形で、
6人の作品が無事一つにまとまったという感じですね。
今の他者の視点っていうのを、結構キーワードで、今回前書に中川さんが書いていて、
すごい素敵だなというところを引用していいでしょうか。
ありがとうございます。
作曲指示について書かれた文章を読んだとき、詩歌は常に異界から届く他者の言葉であるという立説に出会えました。
っていう言葉が前書にあるんですけど、詩歌、詩歌って詩、歌だね。
誰か他者の視点に立ってみるとか、他者の靴を履いてみるとか、そういうことなんじゃないかみたいなお話をされていて、
それがすごい私はグッときて、一番最初に初めて書きませんかってお話をいただいたときに、
このむちゃくちゃ熱いステートメントが送られてきて、これを読んだらもうイエスとしか言えないよね、みたいな感じでした。
嬉しいですね。前書に今、引用してもらった言葉書いてあるんですけど、
この元というか、まりこさんにお願いしたときに、前書の前書っていう、ただただ思いあふれるだけの文章を送りつけたんですけど、
そうですね、まさにそういうところを大事にしてますね。
詩とかってあんまり意味わかんないじゃないですか、一回読んだだけ。
ずっと読んでも意味わかんないことの方が逆に多いくらいなんですけど、そういう言葉がもっと街に入ってきたら面白いなって思ってますね。
2人はどんなものを書いたんですか?
僕、まりこさんの朗読してほしい一説があるんですけど、
朗読?
はい、どこですか?
まりこさんは、なんて言ったらいいんですかね、京都と台湾を結ぶような文章、まりこさんの視点で結んで、
いろんな場所と時間が行ったり来たりするような文章を寄せていただいたんですけど、英語と日本語が組み合わされてるんですね。
その英語のパートの3段落目がすごい好きなんですよ。
ここを読んでほしいっていう。
英語で読むの?
お願いします。
ちょっとそれめっちゃ恥ずかしいな。
ぶっちゃけこれこのポッドキャストで私英語喋ったことないんだけど、すごい話してる。
そうなんですか。
もし良ければ大丈夫です。
でも多分英語で喋ってもあんまりリスナーの人は分かんないかもしれないので、
簡単に前置きを話すと、このポッドキャストでも私話した、台湾についてちょっと話したことがあるかなと思うんですけど、
台湾という町に去年の12月から1月ぐらいまで行っていて、
イーラン市の中のルオドンという小さな町にいて、
そこが昔日本の当時時代に林業ですごい栄えた町だったんですね。
そこで私は山間部と少数民族の人たちと、
あとそこから日本に送られていたという欅の木の物語についてリサーチをしていて、
ちょうど私も今収録している京都で、
私がやっている場所も日本が台湾を統治している時代に建てられた建物で、
ちょっと話すと長くなっちゃうんだけど、私の京都の場所と台湾の物語と、
台湾の山の中の物語と、少数民族の人たちとというのがすごいリンクをした瞬間があって、
それをもう表すことができなくて、この文章を書きました。
台湾で最終日に展示をして帰ったんだけど、
その時にステートメントみたいな感じで英語で書いた言葉を少し直して、
今回この指摘都市に寄稿させてもらったんだけど、
私も正直読むたびに泣けるんだよね。
自分で書いたんだけど、すごい胸がキューッと熱くなります。
ちょっとごめん、英語はここでは朗読しないですけど。
いえいえ、でも本当に最後に書いていただいてる通り、胸がキューッとなったって、
終わりが締められてるんですけど、本当にそんな気持ちになりますよね。
今言ってた、明確に表すことができない言葉っていうのがすごくポイントなのかなと思って、
詩ってすごくパーソナルじゃない?
でも、さっき中川くんが言ってたみたいに、日々の生活の中で、
言葉の選び方とか発し方って、相手にすごく早く伝わることだったりとか、
分かりやすく伝えることだったり、多くの人により理解できることだったり、
そういうことを結構求められがちだけど、
結構半数以上がままならない言葉というか、ままならない思いみたいなもの抱えてて、
それを共有したりとかする手段っていうのに、
例えば絵とかビジュアルとか音楽を使う人たちはいるけれども、
言葉っていうもの自体でも表すことができるんだなっていうのも、
詩はそういう力を持ってて、
コウタさん自身もそこにすごくパワーを感じているんだなっていうのが、
今の話に関わってきました。
コウタさんはね、何を書いてる?
そうですね。
ぜひ、朗読を押してほしいですね。
街とは他者の集まりであるって書いてるんだけど、
それがなんか今のその移動性の話と私はすごいリンクしてるなっていう風に思っている。
確かにそうですね。
いろんな人に読んでほしいな、この本は。
かわいいのとりあえず、とにかく飾っておきたい素敵な、
ビジュアルとしてもポエティックな本になっています。
嬉しいですね、そう言っていただけて。
今後やってみたいこととかってありますか?今回本を出してみて。
その前にちょっと周りからの反応とか聞いてみたいな、なんか出してみてどうでしたか?
まだあんまり反応を聞けてなくて、
今日なんか初めて感想をちゃんと伝えていただいた気がしてるんですけど。
そうなんだ。
そうですね。
なんか、都市とかまちづくり関係じゃない人にも一部届いている気がして、
それがすごく嬉しいですね。
書いてもらってる人も、全然その建築都市とかは関係ない方たちも半分ぐらいいるので。
これからとしては、この本は結構とりあえずこういう視点があるよっていうのを提示しただけで、
あんまり何か答えを出しているわけでは全然ないから、
これをもう少し実践というか、具体的に言うとなんか展示をやったりとか、
街を歩いてワークショップというか、何かみんなでやってみるみたいなことをしてみたいとは思っているんですけど、悩み中ですね。
ぜひ相談したいところでもあります。
展示したいですね。
展示したいですね。
なんかこういう、なんだろう、詩的な瞬間とかって思い浮かびますか?普段暮らしている生活の中で。
確かに、ゆうか子さんどうですか?詩的な瞬間。
っていうとちょっと大げさすぎるかもしれないんですけど。
そうだね。でもなんか、時間が止まるというか、時間がスローになる瞬間は所々あって、
そのタイミングだって思考が少し、いつものメインの思考のプロセスから外れるみたいな瞬間は結構たまにあるなと思って、
それが詩的な瞬間なのかわからないんだけど、いろんな時間軸を自分の頭でも旅するし、
なんか明確な言葉はなくて、何を考えているかって目的もなくて、
その時間があるから自分の心が落ち着くとか、そういう時間は確かにあるかも。
それをそのタイミングで言葉にしてみようみたいなことは、あんまり私はしてなかったんだけれども、
もしかしたらそういう瞬間に出会った時に、その言葉の断片とかを取り留めておくとか、
そういうことがこういう表現につながっていくのかもなと思って、やってみたくなりました。
思い出したんですけど、ゆかこさんのプロフィールに帰り道が豊かな街は良い街だって。
これ詩ですよね。
確かに。
これは詩なのか。
これめちゃくちゃ好きで。
嬉しい。
それで何か具体的な思いとかあるんですか?
私がやっぱり街を好きになった一つのきっかけが帰り道だったんだよね。
それは学生時代から遡るみたいな感じなんですけど、
いろいろやっぱり都市の暮らしって日常ってすごくいろいろなものが決められて、
学校だってスケジュールが決まってて、社会に出てもある程度レールがあるみたいな。
その中で、その枠組みで生きなきゃいけない中で、帰り道だけはいつも自分の時間だったんですよね。
だから自分の時間であり、自分が自由に選択できる時間であり、
その帰り道にいろんな素敵な出会いがあり、発見がある。
私の発想のための時間であり、ケアのための時間であり、
そこにいろんな選択肢がある風景や都市が私が好きだったっていうところから、
今でもすごい自分の中では帰り道がどう豊かにみんなにとってなるかっていうのを考えながら、
この街の仕事をしているっていう意味でこれを書いてます。
素敵ですね。
たぶんこれ、僕が好きな理由って、帰り道って絶対家に帰る道だから、
自分の身近な場所を指しているイメージがあって、
自分の興味としても、自分が街を考えるときもやっぱり自分が住んでいる近くの生活圏というか、
そういうところを考えたいと思っているから、
街中のキラキラした場所というよりは、
本当に郊外とか地方とか、いわゆる普通の街みたいなところを考えるのに、
使用を通して考えるみたいなのがいいんじゃないかなって思ったりしてました。
本当そうだよね。冒頭で言ってたような、にぎわいとかいろんなワードで、
それってやっぱり伝わる速度が早いから、いろいろなコミュニケーションのプロセスを省くために、
その言葉で括って合意を取るみたいなコミュニケーションだ。
だけど、私たちが見ている街、一つ一つディテールも全然違うし、
そこにいる人も違うし、歴史も違うしってなったときに、
やっぱりもっと言葉を持つべきだし、もっと多分考えて絶え終わすべきだし、
それが足りてないなって思うことは、すごく多々あるなと思って、
今日聞いてて、私もハッとさせられました。
今の帰り道の話で、ゆか子が帰り道は自分の時間って言ってたじゃない。
自分の時間とか、自分のパースペクティブとか、自分の言葉を取り戻せるのが詩だなというふうに思っていて、