電車のアナウンスとかはすごいよね。ホームでもさ、右側の線路と左側の線路のアナウンスが違ったり、それにプラスして駅員のセッションみたいなものが重なったり。
ものすごい音だよね。
最近私はね、これも今回いろいろ総合音に関するトピックになってきそうだなと思うんだけど、
今住んでる高円寺の商店街が、すごいお祭り好きな商店街で、すごい元気がいい商店街なのね。
だから、月に数回路上でいろんなパーティーとか、いろんなイベントが行われてて、
先週末は、なんだろう、結構パンクバンドとか、いろんなジャズバンドとか、そのバンドたちがもう路上のそこら中で演奏しまくるっていう回だったのね。
だからもう日中から結構爆音で、いろんな音が、もう本当に狭い路上中に響き渡っているんだけど、
ある種それは晴れの日として楽しい人もいれば、普通にそこで住宅もある家の周りだから、そこで住んでる人とか、
なんか一個お店に入ったら、ちょっと相談があってお店に入ったら、そのお店の人もすごい音の中仕事をしていて、
なんかこう外に出れない状況だと、彼にとってはこれはもしかしたらそうになるかもなとか思っていて、
そういうなんか許される状況とそうでない状況が、なんか騒音の捉え方すごいありそうだなっていうのは思った。
そうだね。結構なんか主観的な部分もあったりとか、気にならない人は気にならなかったりとかするよね。
最近私たちのインターンで来てくれてるポーランド出身の子が日本に初めて住んでるんだけど、
なんかルームメイトが何人かいるらしくて、最近17歳のアメリカ人がルームメイトでやってきて、
朝の7時半からメタルの練習をギターでするのに、毎朝泣きながら起きてるみたいなことを言ってて。
うるさいからってこと?
うるさくて、うるさくて、それで毎回起きなきゃいけない。7時半だよ。
そのさ、時間帯いつならいいのかみたいな話も、私も公園の前に住んでるからさ、
なんか結構、一月夏とか犬の鳴き声がすごくて、5時ぐらいからけっこうけたたましく鳴いてて、
私もそれで毎回起こされちゃって、飼い主の人に話しに行ったりとか、それでも他のワンちゃんも来て。
飼い主の人に話しに行ったんだ。
もうね、何回もお願いしに行った。警察呼ぶ人もいるけど、これって結局ヒューマンとヒューマンの話だと思って。
すいません、7時以降にしてください、みたいな感じでお話しに行ったりとかしてたんだけど、
それもさ、人によっては5時起きの人とか全然気にしないだろうし、私とかモーニングパーソンじゃないからしんどいしとかさ、
やっぱ都市に住んでると、みんなリズムが違うし、みんな近いから、そこが結構大切だね。
それこそやっぱこう睡眠とかさ、そういうものにも関わってくるなとか思って、
我々が渋谷とか中目黒にいた時期があったと思うんだけど、私も中目黒に住んでいて、
あの街で熟睡できたことそういえばなかったかもなとか思い始めて、
っていうのも、やっぱり夜まで賑やかなんだよね。街の中もお店やってたりするし、
結構道路も、あそこ結構交通量が多いからタクシーとかさ、車が通ってて、
なんか今は住宅街の方に引っ越したからわかるけど、やっぱり住宅街とああいう街中の賑やかな場所の細かい夜の音とか、
無意識化である環境音ってだいぶ違ったんだろうなとか思って、だいぶ今はよく眠れます。
そうだね、それってさ、環境変えて初めて気づくみたいなところも確かにあるかもしれないね。
私も生きじりに住んでて、確かに今思い返せばすごいうるさかった。まあでもマシな方ではあったと思うけど、
今京都すごい犬の鳴き声、朝の鳴き声以外はすごい静かな住宅街だし、なんかこう川が流れてるからチョロチョロチョロみたいな水の音とかもあるし、なんか全然違うね。
あとなんかさ、私たちベトナムによく行くじゃない。ベトナム基本的にバイクのドゾドゾって音が基本デフォルトでずっと流れてるからさ、
それも結構無意識でストレスレベルに関わってるんじゃないかなみたいなことは思いました。
なんか今回騒音話にあたって一番うるさい都市どこなんだろうって調べてみたんだけど、
なんかまあそんなネガティブなデータは客観的には出てないんだけど、一応出てたのがバングラディッシュのDACCA、平均の騒音レベルが約119dB。
多分WHOとかがこれぐらいが良いですよ、これぐらい以上が騒音ですよって言ってるのが53dB。なので倍ぐらいが平均の音らしいです。
なるほどね。それイコールこのバングラディッシュのその街に住んでる人の騒音の苦情っていうのはやっぱ多いのかな、というのもそれに関連してシンガポールは本当にうるさくなったのかっていう記事を最近読んだんだけど、
シンガポールの住宅開発庁の統計を見ると、騒音に関する苦情についてが2019年は4800件だったのが、2022年には27600件になった。
5倍になってる。3年で5倍になってて、それって街が客観的に、今デシベリーで測ったときに客観的にその3年間でむちゃくちゃうるさくなったのか、それとも市民の許容力というか音に対するセンシティビティが変わったのか、どっちなんだろうみたいなことを書いた記事で、
ストレス、隣人の生活音とか公園の音とかが、バックグラウンドの音からストレスに変わる時ってあるじゃない、私たちも。今まで気にならなかったけど急に気になるようになったとか、そういう現象がシンガポールで起こってるんじゃないかみたいなことを書いていて、
何か過密社会で何かストレスが溜まり始めて、それが結構鬱とか不安障害みたいなものにもどんどんつながっていくみたいな話で、結局面白かったのがその記事のコンクルージョンで、何かつまり今シンガポールに必要なのって、何かその分厚い床板とか吸収剤とか入れて、その盆を完璧にするっていう物理的な話じゃなくて、
精神的な何か呼吸できる余白とか、精神的な余裕みたいなものの方が、結局それに今必要とされてるんじゃないかみたいな記事だったんだよね。それで面白くてシンガポール色々調べてたら、シンガポール行ったことある?ちなみにシンガポール。
なんかさ、公共交通機関の地下鉄の駅とかでさ、水とかさ、何かドリンク飲んでたらバッキン。食べ物とかも食べれないじゃん。みたいな感じで、今うるさい人もバッキンをかせられるらしい。
大きく。クレーマーみたいな。
動画とかをヘッドホンとかしないでうるさく流してたりする人はバッキン化されるらしい。やばいよね。
すごいね、結構バッキン社会というか規制し合う社会になっちゃってるね。
もしかしてそういうのもストレスにつながって音に対する過敏な反応みたいなものも生み出してるんじゃないかなみたいなことはちょっと読みながら思ってました。
でもやっぱ本当にそうやって年化してありとあらゆる人が住んで隣も見えなくなり、密度も高まり、交通状況も変わりみたいなので、一気にその3年でその数値ってなかなかすごいことだね。
そうだよね。
なんか騒音とメンタルは確かにすごい関係してるなと思って、いろいろ記事を見たとき、最近それこそガーディアンが出してた記事でノイズポリューションって書いてあるワードを使って、
向こうだとそういうノイズポリューション、音汚染みたいな感じで言うんだなと思ったんだけど、
ヨーロッパのヨーロピアンエンヴァイロメントエージェンシーっていうところが発表した2025年のデータで、
EU圏でやっぱりすごい騒音の問題が加速してるっていうので、
彼らの調べによるとその環境騒音、道路の音とか鉄道の音とかそういう騒音がEU圏の中で1億1000万人以上の人々に影響を及ぼして、
約20%ぐらい以上の人に影響を及ぼしていて、その中でも6万7万ぐらいの人に対して年間健康被害があって早期死亡が推定されるっていうデータを出して、
心の疾患とか睡眠障害とか発達認知障害、子どものとかそういう影響が結構ファクトとして見つかってきているっていうので、
それをEU全体で30%、2030年までに削減しようみたいな動きが今出てきているらしいと。
結構どういう方向で解決していくかみたいなところで、今シンガポールみたいなメンタルの余白、心の余白みたいなことは書いてなくて、どっちかというと都市政策として道路をどうデザインするかとか、車のスピードをどう緩めるかみたいなスタッフだったりとか、
そういうことをやろうとしているみたいで、ヨーロッパとか東京とかそれこそダッカとかに比べたら密度としては多分全然まだ余裕があると思うけど、実際にそれが健康被害になっているっていうのは結構怖いデータだなと思いながら、
街をデザインすることにもこういうデータとかポイントっていうものを考えられていく時代になってきたんだなっていうのを思ったりとか。
ヨーロッパ基本静かだよね。そうだよね。
で、なんか欧州の人が日本来ると、渋谷とか行くともう音やばいみたいな、私たちもそれは思うけど、なんかあの観光郊外、観光ってサイトスイングの方じゃなくて、
あ、観光郊外か、っていう言葉も最近出てきてるらしいんだけど、なんかパリとかはその観光郊外みたいなのをすごい、まあ人間の感覚、知覚的にすごい、例えばこう光が強すぎるとか音が強すぎるみたいな、そういうところに対して使う言葉らしいんだけど、なんかそのに関しても結構前に記事を読んで気になってたのがあって、
車とかの音に対して、なんか実験的に騒音レーダーみたいなのつけて、デシベル測って、で、それがなんか85デシベルとか超えた場合は罰金を課すみたいなの、あのポリ制作が試験的にかな、始まったみたいなあの記事を読んだことがあって、
どこに自分を位置するかっていうのと、そこにどれだけの音に対する寛容さがあるかって、すごい場所を選ぶ上で大切だなっていう風に思ったな。
なんかさっき言ってた、それこそその騒音ってそもそもなんだ。
まあそういう、なんていうの、この音が騒音であるっていうデシベル的な基準と、
人の感覚でそういう許される状況とそうでない状況が決まっているなと思うんだけど、
なんかその文化人類学者のマリー・ダグラスさんっていうのが、
音、騒音の概念をその場文脈にそぐわない音っていう風に定義してて、
まさにそういうことだからこそ難しいんだろうなと思ってて、
なんかさっき感覚の、シンガポールの時に感覚の話もあったけど、
日本だと騒音問題で印象的だったのが昨今、
幼稚園とか子どもの声が騒音だっていうことでクレームが来るっていう話が結構印象的で、
そういうのを研究している明治大学とNECの共同研究があったのね。
なんか子どもの声はなぜ騒音になってしまうのかみたいなところから、
一応リサーチの結果としては、声を出さないサイレントマジョリティにとっては、
子どもの声は騒音ではなく魅力であることが実証されるっていう研究データを出したんだけど、
その中の1個のデータで私がすごい印象的だったのが、
子どもの声のアンケートみたいなのを取った時に唯一ネガティブな反応をしたのが、
子どもがいない20から44歳の層が子どもの声を他の年代層の人より低く評価したっていうデータがあって、
彼らはそこに社会構造とか属性によって受け止め方が違っていて、
この年代の例えば女性で子どもがいない人は、仕事とか出産の両立に悩んでいたりとか、
子どもの問題でキャリアを断念しているとか、そういう状況があったりするから、
認識として子どもの声みたいなものにネガティブな印象を他の層より知るんじゃないか、みたいな考察をしていて、
確かにそういう自分の置かれている状況とか、もう本当に価値観みたいなので、
良かった音が悪くなるだったりとか、誰もが良いと思っている音がすごく苦しい音になっていくとか、
見えない部分での騒音の認識っていうのも結構ありそうだなって、この研究データとかを見て思ってました。
そうだね。それに関連して、今の文化人文学者の騒音ってバチガイなものとか、
汚れ的なものみたいな概念ってすごい面白いなと思った時に思い出すのが、
いろいろ調べてた時に、騒音問題って差別にも関わっているみたいな話があって、
例えばの例で見つけたのが、1928年にニューヨークで街の騒音に関しての大規模な調査が行われたんだって。
調査手法だったのかとか、どんなデータが取れたのかまでは見つけられなかったんだけど、
面白かったのが、この時の騒音と言われるものの対象とされていた、原教みたいなのがジャズだったらしいの。
音楽のジャズ。
音楽のジャズの社会的な広がりみたいなのが、街中でいろいろジャズの音が聞こえていて、みたいな状況だったと思うんだけど、
それをうるさいと捉えて、騒音だと捉えて、都市の美化運動の一環として、この騒音の社会調査っていうものが行われたと思うんだけど、
ジャズってアメリカの黒人文化の中から生まれてきたものだと思うんだけど、調査側はマジョリティの白人社会で、
その構造が透けて見えるというか、これがまた別の、例えばクラシック音楽が街中で流行り始めたみたいな時に、
同じような騒音の調査って行われるのかなとか、そういったその先にある差別みたいなもの、ここにあるべきではない音みたいなのが、
すごいテリトリーというか、政治的だなと思いながら見ていました。
なんか自分たちはそこまで、そういう差別を日常生活で感じないかもしれないけど、もしかしたら日本でもさ、
移民できてる人だったりとか、さっき神戸の話もあったけどさ、そういう中でもしかしたら、
そういう経験をした人とかいるかもしれないよね。彼ら結構集まって話したりとかさ、好きじゃない。
お店とかやってる人も、なんかそういう経験あるって聞いたことがある人もいたから、
日本でもそういう見えない騒音の差別みたいな、音の差別みたいなもしかしたらあるかもしれないね。
あるかもしれないよね。なんか鬼図で話してるみたいなのも、それが日本語だったら何も言われないけど、
例えばベトナム語で会話がされてたらとかね、そういうのも絶対あるよね。
そっか。
あとなんか面白いなと思ったのが、その騒音に関する今昔みたいな、
なんかちょっと論文を見つけたので概要欄にも貼っておけたらと思うんだけど、
騒音という言葉の歴史を深掘ると、なんか時代によってその感覚が違くて、
日本人の雑音感というか、日本人の音の感じ方みたいなのも時代によって全然変わってるみたいな話なんだけど、
例えばさ、私たちこういう会話した記憶があるんだけど、昭和の時代ってもっとうるさくて音に寛容だったんだろうね、みたいな話をした記憶があるんだけど、
平成はすごい静かになってとか、あとさ、江戸時代ってめっちゃ密度、人口密度高くて、防音性とかもないじゃん。
木と、なんていうの、紙と出てきた街で、多分隣の人の生活音とかすごい聞こえてたと思うんだけど、
今みたいにむちゃくちゃ、例えば騒音の苦情だったりとか、それにまつわるトラブルってあったのかな、みたいなことが単純に気になって。
この論文では、それこそ戦後の高度成長期とかで、いわゆる集合住宅みたいなのがバーって作られ始めて、
今までそういう環境で住んでなかった人たちが、急に都会のギュッとしたところに押し込められて、日々の労働とかでストレスもすごい高まって、心の余裕がなくなって、
例えば、ピアノ殺人事件みたいな、子供のピアノの音が原因で、子供を殺されちゃったみたいな事件が実際に起こったらしいんだけど、70年代に、
そういったものにも繋がっていくようになって。
だから明治期には、ほとんど騒音みたいな概念っていうのがなくて、言葉としてもあんまりなくて、それが時代によってどんどん変わっていく様子みたいなのが、この論文では書かれていて、すごい面白いなと思いました。
今、昔の話で思い出したのが、我々が神戸で草冠っていう、かやぶき職人の集団のところに行った時に、実際に彼らが屋根を吹いているところを見せてもらって、少し体験させてもらったんだけども、
印象的だったのが、屋根を作っている時にほとんど音がしないっていうこと。彼らが使っている自然なかやの材料だったり、道具も木でサクサクサクサクって音だけが街中に響き渡るというか、でもその音ってすごい気持ちよくて、
昔ってやっぱり道具も、そういう素材と相性が良かったりとか、やっぱりこう、近代化する中で効率的に、そして早くするためにああいうマシーンが出てきて、その音も結構、工事の音とかってすごかったりすると思うんだけれども、道具が変わるとか、そのプロセスが変わることで、結構音が変わってきた。
だから本当にほんのちょっと前までは、ああいうサクサクサクみたいな音が、家を建てる音であり、みんなが聞いていた音風景なんだろうなとか思うと、どうやってこの音を地獄から逃れられるんだろうみたいなのは思うよね、今のインフラや生活スタイルの中で。
なんかさ、工事現場の横とかさ、同じ建物でどこかの部屋でリノベやってるとか、もう耐えられないうるさそうじゃん、確かに。
今めっちゃあるんだよね、家の周り。
振動とかさ。
そうそう、地震かと思ってさ。
あと車のアイドリングとかもたまに振動とかあるけど。
でも確かに昔の日本の少なくとも日本の工事音って、そんな大きくなかったはずだよね、木とかを。
ジョリジョリみたいな感じとか。
金槌とかもいい音だもんね。
そうそう、木の音で、打つやつも木だったとした時代はもっとたぶん柔らかい音だったんだろうなとか。
そうだよね、この前あと障子の張り替えとかしたんだけど、ほぼ音しないからね。
そうだよね。
当然だけど。
静かに。
面白いね。