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  2. 第41回【GODAIセンター南 ゴー..

出身は宮崎県延岡市。
陸上に出会い、学生時代は短距離選手として青春を走り抜けた!

大学時代に出会った新しい世界が今のゴールデンキッズとつながる運命の始まりだった!?

表現者であり、母であり、コーチだからこそ、伝えられる事がある。

パワフルママのパワフルトークを聴いて下さい‼️





00:02
GODAIスポーツポッドキャスト、すぽきゃす。
この番組は、スポーツを通じて人々の健康生活の実現を目指す
GODAIグループの提供でお届けいたします。
はい、それでは本日はセンター南、GODAIセンター南支店のゴールデンキッズのコーチです。
神谷コーチです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。神谷です。
はい、とうとうですね、40回を、
今日ですね、ちょうど迎えて、牧内さんが、牧内社員が40回目を飾ったんですよ。
素晴らしい。
それで、やっと俺の出番かっていう話でね、話してるんですね。
はい。
で、40名を超えてきてですね、これからですね、ゴールデンキッズのコーチを
これからちょっとフォーカスしていきたいなっていうところで、
大会の神谷コーチをよろしくお願いします。
よろしくお願いします。ありがとうございます。
はい、で、まずですね、そのゴールデンキッズのことも、
ゴールデンキッズ、聞いてる人はね、多分これ聞いてくださると思うんですよ、みんなが。
そうですね。
神谷さんがめっちゃ宣伝してもらって。
頑張ります。
GKメールでいっぱい流してもらって。
はい。
で、そのゴールデンキッズのことも後々後で教えてもらいたいんですけど、
そんなにもうね、かしこまらないでくださいね。
はい。
いつもの神谷さんですよ。
で、いろんなものを聞いてもらってる人は聞いてもらってると思うんですけど、
今日は神谷さんがどんな人なのか、どんなスポーツを経験してきたのかっていうのをいろいろ聞きたいんですけど、
まずですね、神谷さんが今までやってきたスポーツ歴、ちょっと教えていただきたいんですけど。
はい。
小学校の時はバトントワリングをやってました。
バトントワリング?
はい。
えー。
えっと、PL学園ってわかります?
わかります。
PLがやってるそういうバトンスクールは地元、宮崎なんですけど。
え?
宮崎。
あ、あれ?PL学園って。
大阪なんですけど、私が所属してたのは宮崎にあるそういう。
宮崎県なんですね、出身ね。
そうです、宮崎のところのそういうスクールにまず通って、
人前で踊ったりとか、パレードしたりとか、大会出たりとかっていうのを結構小学校低学年の頃から始めたんです。
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始めまして。
へー。
やりましたね。
そうなんですね。
はい。
え、あのもう、僕のイメージだとアクロバティックな感じで投げたり。
そうです、投げて取ったりとか。
でもあれとは違うのかな。回転して取ったりとか。
そうです、投げて回転して取ったりとか、なんかそういうのをやりまして。
へー。
で結構、九州の大会ではいいとこまでその時は行って、全国大会とか行ったことあった。
全国大会行ったんですか。
大阪まで行ったんです。
大阪まで。やっとそこでPLに近づくわけですね。
そうです、ちゃんとそのPLのところでやるんです。
PL学園はそういったことを主催されてるんですか。
なんかそういう、あったんですよね、スクールは。
スクールは。
うろうごえではあるんですけど。
はい。
でもなんか低学年の時にも辞めて、高学年では辞めてしまって。
はい。
小学校の時、足がすごい速かったんです。自分で言うものなんですけど速かったんです。
へー。
で、結構学年代表のリレー選手はずっと1年から6年まで出てます。
へー、代表選手だと。
いや、分かりますか。学年リレーと別に対談リレーっていうのがあって。
対談。
対談、段ごとに1人選抜されて出るっていう。
へー。
そういう対談リレーの選手で出てます。
でもなんか足は走ってると見たことないですけど、僕。
速かった。
マジマジと速そうな感じがしますね。
速かったんですよねー。
速かったですよねー。
そうなんですよ。
で、それに目覚めたのが高学年で。
はい。
中学校行ったら陸上部に入ろうっていうところから今度は陸上競技生活が始まります。
あ、じゃあそこで陸上やってるんですね。
そうです。走るのも好きでした。
はーい。
早いなって自分で自負してたので。
じゃあその小学生時代はバトントワリングをやって、そこから中学生は陸上部に入って。
そうです。陸上部に入って。
で、やっぱり走ることっていう短距離をやってたんですか?
そうです。短距離をやりました。100mと200mっていう2種目とリレーっていう3種目。
3種目。へー。
をやりました。中、高、大と。
あ、中、高、大って陸上部なんですか?
ずっと陸上部でした。
あ、そうなんですね。
10年間でした。
へー。そうなんですね。もうずっと短距離ですか?戦後も。
ずっと短距離でした。
へー。
そうなんです。
どうだったんですか?あのー。
戦績ってやつでした。
そう、あの大会でいろいろと多分いろんな試合出るんですよね。
まあでも本当に宮崎は田舎の延岡市っていうところで育ったんですけど。
延岡市。へー。
延岡市というと朝日加生。
朝日加生の。
朝日加生の町なんですけど。
へー。
えーと、そこで育ったんですけど、市ではもちろん1位でした。
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あ、1位だったんですか。
はい。で、そのまま県大会とかで。
県大会って。
うーん。
じゃあ。
記憶にないよ、県大会。
じゃああれですか、あのー、陸上のあのー、強い高校に行って、陸上ができる大学に行ったんですか?
と思うじゃないですか。でも、高校は地元の普通科の高校に行きまして。
あー、そうなんですね。
そんなに強いってわけではなかったんですけど、でも、結構いい先生がいらっしゃったので、そこで九州大会ぐらいまでは高校の時は行き、でも行ったら今では行けなかったっていうところだったんですけど。
はい。
うーん。
僕知らなかったっす。
中学校ね、すごい長い間やったんですね。
すごい長い間やったんですよね。うーん。走るだけなんですけど。
いやいや、僕の、あのー、それがすごいと思ってて、あのー、まあ、例えば僕なんかテニスやってるじゃないですか。
うーん。
テニスってただ単にボールっていうだけなんですけど。
そうですね。
でも、まあ、テニスも走るだけって言ったら陸上も走るだけ、テニスだったらボール打ってるだけみたいなんですけど、あのー、陸上の場合ってその動きが特に同じじゃないですか。
あー、そうですね。
その同じことを、あのー、とにかくその反復で、多分細かいと思うんですよ。足の上げ方とか、いろんな改善点が出てくると思うんですけど。
でもそれをね、僕にやり続けるって、すごいなって思ってるんですよ。いつも陸上の選手って。
いや、ほんとなんか、あれですよ。追い込むのが好きなんでしょうね。
好きなんですか。
痛みつけるのはね、自分でね。
そうですね。痛みつけるのは大事なんですよ。
そうだと思いますよね。自分でそう思います。
うーん。あ、でもそういうちょっとその、なんて言うんでしょう。自分をしっかりと追い込める、そういう気持ちを持ってないと、なかなかやり続けられないんですよね。
そう思いますね。
クローズドスキルとオープンスキルってゴールデンキッズに入るんですけど、それのそのクローズドスキルっていうのが陸上はそっちに入るんですよね。
次の動きが決まっていて、それを繰り返しやるっていうものなんですけど、それにはすごい得意なんじゃないかなって思ってるんですね。
ただしさっき言ったオープンスキルっていうのが全く私は苦手で、テニスなんかとんでもないぐらい下手くそだと思います。
でも前でも僕スポルで上谷さんがやってるところを見ましたけど、苦手っていうか、あんまりやってこなかったんだろうな、そういうこと、いろんなこと。
例えばラケットを持つ、道具持ってやるという球技とか、そういうのはやらなかったんだろうなと思うんですよね。
その通りで、なのですごい苦手意識が球技とかボール関係の感じとかあるんですよね。
そこまでね、クローズドスキルを伸ばしていけばね。
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まずそこまで陸上ずっとやって、それで長距離やりたいなとかって思わなかったんですか?
それはならなかったんですけど、社会人になる大学生の4年生の時に、ゼミが運動生理学っていうのを勉強してたんですけど、
そういう健康づくりとか、体を動かして健康になろうっていうようなことを勉強した中で、
エアロビックダンスの方をやっている先生とか先輩とちょっと出会うことがあって、
大学4年の時に資格を取りたいと思ってエアロビックダンスをそれを養成コースに通って、
大学4年の時に福岡大学の方で取ったのがきっかけで、そういうフィットネスとか健康づくりの方に携わって。
そのタイミングで、ちょっと指導者っていう道がちょっとずつなってくるんですね。
陸上の指導者みたいなコーチはたくさんいらっしゃると思うんですけど、そういう道に指導者になろうと思わなかったんですか?
そっちよりも、やっぱり大学の時の全員がそういう健康づくりとかいう方に行ってしまったので、
健康づくりとか体を動かしてっていうのがあって、そこの人と関わる楽しみとか健康づくりを教えたりする楽しみとか、
先輩の人とかにもバイトで学生の時に歩き方を教えに行ったりとか、そういうバイトもしてたりすることもあって、
そういうのにすごい興味を持ち、そっちの世界の方がいいなと思って、
先生か教師かそういうフィットネス系の指導者になりたいっていうふうに思ってたんです。
中高、大も含めての過程の中で、僕の勝手なイメージなんですけど、
例えば陸上で最近有名になったのは、受賞競技だと竹井壮さんとかテレビ見てると、孤独感を感じるんですよ、話聞いてると。
陸上選手の、でも陸上は個人競技になっているわけじゃないですか。
確かに孤独っていうか、自分の成績を上げてなんぼっていうか、早く退網っていうところあると思うんですけど、
今ちょっと雰囲気超えて話聞いてると、部に入ってたんですよね。
大学。
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中学、高校って。
部です。
部ですよね。
なんかその中でどうだったんですか。
学生時代って、自分の走ることを追求を考えて、それだけを考えていたのか、
どちらかというと結構部の仲間とかそういったところが好きだったのか、どっちですか。
どっちなんですかね、でも多分、結構記録をやっぱり残したいって思いはあったんで、
最終的にはそういう走ることには考えてはいたと思うんですけど、
でもきっとその部の、そこはすごく楽しかったから、人をまとめるとかそういうのがすごく楽しかったので、
もしかしたらそっちの方が楽しかったのかもしれないです、今思うと。
あんまりそこ意識してなかったんですけど。
でもお話聞いてて、結構陸上、僕も知ってる人も、陸上を結構極めてきた人って、
もうすごい良い意味で、ハングリーな人たちが多いなっていう感じしてて。
でもやっぱ大学に行った時に本当に怪物みたいな人いっぱいいたんですよ。
かなわないなっていう奴らがいっぱいいて、
その中でどう戦っていこうかって思った時に、
自分は競技の方よりは100人くらいいたくなったんですけど、副大の陸上部って。
そんなにいらっしゃるんですか。
なんですが、そこをまとめるとかそっちの方がいいなと思って、
4年の時は幹部会の方に入って、
そういうのをやったりとかしてたので、結構まとめるっていう方はよくやらされてたんですよ、実はそういえば。
そういうの聞いてるとだんだん上谷さんがすごい見えてくるなっていう感じがしてて、
やっぱりそういうことを学生時代に経験していると、
チームに何か連絡したりとか伝えたりとか、
あとはお互い連携しないと、特に高校大学とかになってくると自分たちじゃないですか。
指導者が毎回いるわけじゃなくてっていうところで。
そうですね。それはやってました、そういえば。
思い出しました。そんな時代があったなっていう。
つい最近じゃないですか。
そうですね。
その中で話をちょっとまた戻させてもらうんですけど、
エアロビーの方に入っていて、資格を勉強して、
どんなことを勉強しているんですか、エアロビーの世界って。
体のことなので、解剖学とか、筋肉のこととか、あとはトレーニングの仕方とか。
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やっぱりちゃんとロジカルなところとか、座学的なところとか理論っていうものをしっかりとやって、
それって大変ですね。
僕はエアロビーはジムに昔入会して、講座があるじゃないですか。
あそこで何回もトライして極めてやろうと思ったんですけど、大変じゃないですか。
とにかく、ど素人で上級クラスとかに行っちゃった日には、
しかもジムの人たちって、大丈夫ですよ、全然いいですよとか入れてくれるじゃないですか。
もう最初からついていけないみたいな。
あの動きもしっかりとマスターしていかなきゃいけないじゃないですか。
そうなんですよ。
よくやりましたね。
そこが多分陸上部が生きてくるんですよね。
コツコツと一人で練習して続けるっていう。
結構そういうのが嫌いじゃないんでしょうね。
好きなんですね、多分ね。
本当に大学の時も一人でも音を作って、それに合わせて動いて、
すごいやってました。
テストとかもあったので、試験とかあったんで。
追い込むのが好きなんです、多分。
すげえな。
多分そうなんですよ。
すごいですね。
資格も取れたので、大学に行く時に。
結局それを活かした仕事をしたいって言って、教員も受けたんですけど、
教員じゃなくて、健康づくりの方の指導者になりました。
最初のビジネスキャリアという仕事として、
エアロビクスのインストラクターだったんですか?
そうです。
とか、スイーミングを教えたりとか。
スイーミングも?
はい。
いわゆるフィットネスジムに勤めたんですよね。
社会保険健康センターって今はないと思うんですけど、そこに勤めてました。
そこに勤めてました。
社会保険健康センター?
社会保険健康センターっていう国が作ってた施設。
そういうところだったんですか?
あったんです。今は多分全部なくなってるんですよね。
そこの宮崎は地元の延岡にできたんですよ。
そこを受けてみなさいよ、あんたって言われて受けたら受かったので、
そこで7年ぐらい。
地元の延岡で7年間?
7年間仕事してます。
ああ、そうだったんですね。
本当に宮崎が好きなんですね。
宮崎が好きだったんでしょうね。
帰っちゃったんですよ、一回。
福岡から。
福岡から。
宮崎いいところですからね。
僕の祖母も宮崎に住んでいて、宮古城っていうところなんですけど。
おっしゃってましたよね。
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すごくいいところなんですよ。
いいところですよね。
いい意味で何もないところがいっぱいあるんですよ。
本当にそうです。
山しかないねとか海しかないねとかいっぱいあるんですけど、
でも人も温かくていいと思うんですよね。
そうですよね。
なるほど、そこで7年間健康センターで。
健康センターで大人の方を相手にそこでは仕事をしたんです。
そこは全然子どもは入ってない世界。
今までそこではない?
そうです、その後ですね。
そこで7年間やった後、エアロビの指導者として次のステップがあるんですか?
その後は、主人の転勤が入り、結婚をしてますその間に。
結婚してます、なるほど。
子どもも生まれました。
7年間。
その間に転勤でこちらの横浜の方に来ることになって、
そこからは結構ブランクがあるんですよ、仕事は。
実は。
お母さんだったんですね。
そうです。
なるほど、こっちに来ちゃうんですね。
こっちです。
なるほど、横浜に。
横浜に上陸をしたんですね。
来ちゃったわけですね。
なるほど。
そうです。
そこからフィットネスっていうと、やっぱり子どもに携わるような仕事がしたいと思ってます。
子どもと一緒にやれることしたいなって思った時に、
日本子どもフィットネス協会っていうのがあります。
そうなんですね。
あるんです。
日本子どもフィットネス協会。
フィットネス協会っていうのがあって、そこにキッドビクスっていうのがあったんです。
キッドビクス。
そのキッドビクスは親子でやるエアロビクスだったんです。
知らない、聞いたことない。
その資格を取ろうって思って、それを仕事はしてなかったんですけど、取りに行きました。
子どもも一緒に通いながら資格を取ったんです。
ほんとストイックですね。
またそこで資格取りに行くんですか。
そうなんです。
すごいわ。
取ってですね、要はそこでまた仕事をもらえるようになり、
フリーで、そこからはフリーのインストラクター生活を始めました。
フリー?
フリーで。
フリーでした。
フリーランスです。
フリーランス。
じゃあいろんなところに。
そうです、いろんなところに行きました。
なるほど。
そうですよね、だってテニスコーチもいますし、いろんなところで講座を持って。
そうです、そこからフリーランス生活のMSインストラクターの仕事をお願いしたのが、やっぱり5、6年ました。
そうなんですね、なるほど。
そこでまたお母さんをやりながら、
そうですね。
キッドVIXの資格を取って、それを活かした仕事で、いろんなところで子どもに、今度は子どもに教えるようになります。
子どもとか親とか。
なるほど、なるほど。
それでずっとフリーでいろんなところで活躍をしていた中で、その5年間やった後に、ボールデンキッズに出会う。
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出会うんですよね。
そのきっかけは何だったんですか、ボールデンキッズのきっかけ。
ステップアップしたいなって思った時に、自分がやってきたことを活かせる仕事って思ったら、
子どもに教えるのも、ダンスっていうよりは違うことで教えられないかなって思った時に、いろいろ探してたんですよ。
そしたら、パンって見つけたのが、ダンスやります。走り方やります。球技もやります。
私の仕事じゃない?
ビビビって来ちゃったんですか。
これじゃん。ダンスもできるし、走れるし、すぐ電話して。
っていうのがきっかけですね。
だからステップアップしたいなって思ったんだと思うんですね。
今やってることをさらに。
やってることをさらに活かせる仕事をやりたいし、ダンスだけじゃないことをしたいなって思ってしまったんですよね。
すごいですね。陸上から短距離やってて、エアロビー行って、お母さんになり、そこで子育てをしている中で、子どもと一緒に触れ合っていたいなと。
キッドビクスを取り、さらなる5年間の家庭の中で、もうちょっと何かやりたいなと。
すごいですね、その向上心というか。
ものすごい興味が湧くタイプなんですか、神谷さんって。
いやでもなんか、きっとじっとしていられない性格なんですよね。
なんかやりたい、やりたいって常に思っているんでしょうね。
なるほど。
ちょっと改めてという形で、簡単にまた紹介という意味でも教えてもらいたいんですけど、
今そういったBBBと来たゴールデンキッズ、どういったことを子どもたちに伝えているのなんですか。
やっぱり今の子どもたちって本当に環境が目まぐるしく変わる時代にいるなって本当に実感しているんですよね。
自分も子どもを持っているからわかるんですけど。
でもやっぱり大切なことは昔から変わらないなって思うんですよね。
その中でもやっぱり本当に人の話をしっかり聞いて考えて動くとか、
スポーツを通して学ぶ最後まで諦めない気持ちとかそういうのもそうだと思うんですけど、
その中それをすごく大切にしているスクールであって、
っていうことはその子の今じゃなくてその先の将来まで考えたことを伝えていけるのがゴールデンキッズの仕事だと私は思っていて、
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だから本当に単純な運動を教えてますよ、投げれますよ、走れますよだけじゃないところに一番魅力は感じてますね。
私はすごいやりがいを感じてますね。
本当に苦手な子が得意になるのももちろん、足が速くなるのももちろんなんですけど、
それだけじゃなくて生活の中でも変化ができてきたとかそういう話を聞いてやっててよかったって本当に思うし、
それを改めて知ったことで私は自分の方にまた見つめ直すこともできたし、
なるほど。
はい、私自身に。
なのでそういうふうにまた改めて大事なことを当たり前のことをもう一回私自身も知ることができたのがこのゴールデンキッズに出会ってから出たことだと思いますね。
やはりでもすごいですね、ゴールデンキッズって神谷さんがスタッフの募集というかそれを見た時にビビビと来たわけじゃないですか。
はい。
要は自分がやってきた要素が。
そうなんですよね。
活かせる要素が入ってたわけなんですよね。
そうですね。
結構運命的な感じですね。
いや本当にそうで、なんか例えば電話した時も出ないことだってあるわけじゃないですかね。
たまたま出るとか。
逆にかかってきた時に、代表高島からかかってきた時に本当にレッスンとレッスンの合間にかかってきて出れたのか。
タイミングが良かったのか。
そうなんですよ。すごいそういうタイミングもあったり。
うんうんうん。
なんか縁を。
それはありますよね。
ご縁を感じたというか。
はい。
なのでこうしかないなって最初から思ってたんですよ。
10年、9年くらい前かな。
はいはい。
神田さんそうなると9年経つんですか。9年目なんですか。
ゴールデンキッズが来年で2020年、オリンピックイヤーの年に10年になります。
ちょうど10年です。
ちょうど10年なんですよ。
そうですね。
私が入ったのが立ち上がって1年目だったので、私9年目ですか。
うん。
いやそうなんですよね。
というのは実はこの話はあまり僕の話は掘り下げないんですけど。
僕も同じぐらいの入社の時期なんですよね。
そうなんですか。
そうなんですよ。
で、ちょうど本当に代表のですね、高嶋さんがこれからこういう構想で。
ちょっとこれは高嶋さんとかお話ししようと思ってるんであまり言わないんですけど。
ちょうどそのやっぱり計画をしっかりと立てていらっしゃる時のことは覚えてるんですよね。
で、今ちょうどあれですよ。
聞いてる方はわかんないかもしれないけど、ここの部屋がですね、その部屋だったんですよ。
そうなんですか。
ここでゴールデンキッズの今後のまだ産声を上げたところでしたよね。
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確か。
今あれよあれよと2020年で10年目を迎えるんですね。
それはでもある意味すごい良い流れですよね。
そうですね。
本当に今全国12店舗広がってゴールデンキッズのフランチャイズ授業も進んでいってる段階でもありますし、
ちょっと1万人計画を立ててゴールデンキッズ。
そうですね、ゴールデンキッズは1万人計画を立てて。
今動いているところでもあるのでやりがいがある仕事です。
幸せに感じます。
今でも本当それが一番のやりがいを感じてワクワクできるっていうのって本当に素晴らしいことで。
本当そうなんですよね。
あとやっぱり今ライフスタイル授業も五大が頑張ってるところなんですけど、
今ちょっと少しずつ五大センター南でスポーツサラダ。
今それも本当に今聞きたいと思って。
センター南支店は複合というかゴールデンキッズと学童と、
そしてスポーツサラダという女性向けのいわゆるライフスタイルをどんどん改善していくためのプログラムがあるんですけど、
あともう一つはパン屋さんもですね、もぐもぐといってかなりいろんなものがですね。
あとダンススクールもね、五大ダンススタジオが入っていて、
実は規模的には小さい面積なんですけど、そこに5つですかね、もう詰まっているところで。
今上谷さんが担当しているスポーツサラダの部分も聞きたいなと思ったんですけど、今どんなことをされているんですか?
今、やっぱり女性の美と健康は姿勢からというところで、
やっぱり女性の姿勢をとにかくきれいにしてあげようというところをコンセプトに、
今通ってくださっている約100名近くのお客さんもいらっしゃるんですけど、
まずはきれいな姿勢を測定する機会があります。
いいですね、僕も姿勢をよくしたいです。
大事ですよね。
そうなんです、もう五大の全職員の方をやってあげたいです私。
本当に来たいですね。
そういう測定をして、やっぱりご自身の、まず自分自身の姿を知ってくれて、
何をどういうことをやっていったらいいかなということをしっかりプログラムを提供してあげて、
今そこにあるヨガ、ピラティス、あとフィットネスのプログラムもあるんですけど、
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筋トレの方ですよね、筋トレつけてあげたいとかっていうのを、
一人一人に対してカウンセリングをちゃんとしてあげて、
導いてあげるようなことをやっています。
ちゃんとあれなんですね、結構ここにアプローチしているところがやってるんですね。
そこをこの4月から。
またそれは大変なお仕事ですけど。
楽しいですけどね。
同じ世代ということもあって、私と。
あ、お客様が。
同世代なので、同じ悩みを抱えつつ。
それはでもすごい良い見方ですね。
でもやっぱり綺麗でいいじゃないですか。
女性が綺麗で元気だと、多分家族って絶対元気になると思うんですよ。
子供もお父様もご主人も。
なのでやっぱり女性の元気を作ってあげたいなっていうのが一番ですかね。
なるほど。
でも本当は女性が元気だと、なぜか男も元気になりますからね。
本当にそうなんですよ。
やっぱり生き生きしていると、こちらも頑張らなければいけないなって思いますし、
綺麗でいると立ち姿とか姿勢とか見ているだけで嬉しくなりますもんね。
そこをちゃんとアプローチしていくスクールです。
でもそこは残念ながら女性なんですよね。
女性なんです。
女性なんですよね。
そこはちょっといずれっていう。
いずれ男性のポーズができるようになれば。
そうですね。
まずは女性が生き生きと活躍できるようになっているところで。
そうです。
今こうやってそういったスポーツサラダのアプローチをして
子どもたちへのアプローチをしていて、
どんなことが上谷さんのコーチとしての喜びですか。
どんなときが。
でもやっぱり卒業していった子たちが戻ってきてくれたり顔を見せてくれたりとかして、
やっぱり家でやったことが活かされたようなことを言ってくれたりとか、
コーチのおかげでっていう声を聞いたときとか、
やっててよかったし辞められないなって本当に思いますね。
あとやっぱりスポーツサラダのお客様とかも
ここに来ることが生き甲斐なんですっていう声を聞いたりとか、
そのやってることがお客様にちゃんと届いて、
その声が帰ってきたときは辞められないと本当に思います。
やりがいですね。
本当に中毒ですね。
本当そうなんですよね。
人が好きなんですかね。
そうですね。
家じゃ大変ですけどね。
家族に迷惑かけると同じかもしれない。
33:03
それだけ発する母ちゃんであれば、家族も認めざるを得ないですよ。
そうかもしれないです。
こうやって話してるとどんどんいろんなこと聞きたくなっちゃうんですよ。
なかなか話してるとすぐ1時間ぐらい経っちゃったりするんですけど、
いつも最後に皆さんに聞いてるんですが、
今後の活動の抱負とお客様にメッセージをいただいてもよろしいですか。
はい、わかりました。
五大センター南の方で今私は仕事をさせていただいているんですけれども、
そちらの方がまず5周年ということで、
よりお客様に明るく元気に楽しいスクールライフを届けたいなと思っていますので、
ぜひ足を運んでいただきたいなと思います。
私としては今やっていることが何部門かに分かれてはいるんですが、
まずはゴールデンキッズを1万人計画の基本をしっかりやっていくこと、
あとはライフスタイル授業の女性を健康にきれいにしていく仕事を
より充実してやっていくことをやっていきたいと思っていますので、
今後ともよろしくお願いします。
本当に多岐にわたることを今やっている上谷コーチなんですけれども、
今お話ししたことを聞いていただければ、
上谷コーチがいろんな経験をしてきているということは分かりましたので、
いろんなそういった相談をしていただければ、
本当に皆さんの子育てもして、お母さんとしてのアドバイスもいろんなこともできますし、
そうですね、ある程度はできるかと思います。
これからさらにきれいになって活躍しようという女性の味方ですので、
ぜひセンターみなに、そして広告社も担当していますので、
ぜひこれからも楽しんでレッスンを受けていただきたいと思います。
上谷コーチでした。ありがとうございました。
ありがとうございました。
この番組は提供、ご大グループ、プロデュース、キクタスでお送りいたしました。
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