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2019-08-02 35:32

第40回【GODAI港北支配人紹介】牧内伸浩

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早くも40回!?記念すべき第40回は港北支店、牧内支配人!
スポーツのきっかけは小学生から始めた野球だった。中学校まで野球少年だった牧内少年は高校でテニス部へ。入部したきっかけは、野球の世界にはない、壮大な景色だった(笑)(笑)(笑)
大手テニススクールで12年間勤め、そこで得た経験が今コート上そして、港北支店の運営に大きく役立っている。GODAIが自分の在り方を変えてくれた、刺激がある毎日を楽しくお届けします!






00:02
【GODAIスポーツポッドキャストすぽきゃす】
この番組は、スポーツを通じて人々の健康生活の実現を目指す
GODAIグループの提供でお届けいたします。
はい、それでは第40回になります。
港北支店支配人牧内さんです。よろしくお願いします。
やっと来たね。
やっと出番が。
40回で。
40回です。記念すべき。
まだかまだかって言われてたからね、お客さん。
まだまだかまだかって。
若干2人ぐらいしか言われてない。
2人ぐらいしか言われてない。
もう、そうなんですよ。これは記念すべき第40回っていうところを、
もうこれは牧内さんしかないんで。
もうやる人いなくなったからもういいだろうぐらいで。
40人ってことでしょ、だから。
そうなんですよ。
39人やってきたんだもんね。
39人やってきた。
これはすごい。
正直言って若干疲れが出てきたね。
だろうね。
でもまだまだいますからね。
そうだよね。
記念すべき第100回は誰にしたいかっていうね。
そんなところですね。
今日は普段、みんなそうなんですけど、牧内さんの
追い立ち言ってたんですけどね、ちゃんと聞いたことがないんで。
壮絶な?
壮大なスペクターなんですけどね。
今日は提供していただきたいなと思うんですけど。
よろしくお願いします。
これ聞いたことはあります?
もちろんもちろん。
ありがとうございます。
牧内さんを丸裸にするっていう、丸かじりみたいな感じでいきたいんですけど。
まずですね、牧内さんがテニスに出会ったきっかけっていうんですかね。
そういうところから。
小中で野球やってて、高校でどうしようかなと思ってたんだよね。
ずっとボーズだったし、それもどうかなと思ってて。
小中同じだった幼馴染のやつがテニスの体験、仮入部の前の段階かな。
部活体験みたいなのに行った時に、女の子がすっごいいっぱいいて。
めっちゃ楽しいって。
ちょっと行こうという感じで。
俺はいいよいいよみたいに言ってたんだけど。
行ったら、なんとなくできたんだよね。
野球やってたから、物を使ってっていうところで、結構上手くできて。
しかもすごい楽しくて、女の子もいってキャーキャーキャーやってる感じだったから。
すぐ入った。
その小中でやっていた野球を捨てて。
すぐ入った。
03:00
高校デビュー。
ほんと高校デビュー。
ボーズっていうものには抵抗があったんですか?
中学まで全然考えてなかった。
高校になったらみんなボーズの部活なんて他にもないし。
いろんなハンドボールとか、おしゃれっぽいのもいいなと思ってたんだけど。
テニスっていう時は全然考えてなかった。
でも実際やってみたら楽しくて、これはいいなと思って。
そっからだね。
ご家族で親戚でテニスやってた人は?
いや全くない。
ないんですか?
全くない。
なんの魅惑力も?
そう、なんもない。
本当に理由は女子がいて楽しそうだったっていう?
今こんな仕事してるけど、こんな素晴らしい仕事してるけど、
彼をなんとなく誘ってくれたものはきっかけで、今それが仕事としてやらせてもらってるっていうのはすごいなって改めて思うんだよね。
きっかけがそれだから。
すごいですね。
まだお付き合いあるんですか?
あるある。
たまに会って。
たまに会って。
じゃあもう恩人ですね。
本当にそう。
その彼もテニスはやってなかったんですか?
彼もやってない。
やってない。
やっぱりその彼も同級生も女子だっていうことなんですか?
そう、彼は女の子大好きだったから。
僕は全然そうじゃなかったんだけど。
どうですか?
本当だからそんなきっかけだからね。
そこでそういうきっかけがあって。
確かに野球をやってた僕の同級生も野球部が体育でテニスってあるじゃないですか。
やると上手いんですよね。できちゃうんですよね。
ここで言うと後藤もそうだよね。後藤も中学生まで野球をして高校からテニスをね。
野球多いですよね。博楽の田中慎さんもそうなんですよね。
なるほど、それで3年間部活をやるわけですか?
そう、本当純粋に部活だったけど、でも本当に顧問の先生がいないような部活だったからみんなで楽しくっていうかな。
本当試合もあったけど全然勝てなかったし、みんなで楽しくやってた部活だったね。
その3年間って楽しかったから続けられたと思うんですけど。
野球のほうが得意なわけじゃないですか。やっぱり野球やろうかなとかそういう感じにならなかった。
全然ならなかった。
でもね、その学校、朝日高校って言って、サッカーが強かったんだよね当時。
朝日高校。
その1校への先輩が全国大会とか行くような感じだった。
でも学校全体がサッカーみんなでやろうぜみたいな、そんな雰囲気で。
朝みんなでサッカー部みんなで朝連でサッカーやったりとかしたりとか。
06:03
っていう感じのスポーツとか結構盛んな学校で。
それはそれで楽しかったけど、でもやっぱりテニスがすごい楽しかったね。
テニス自体も楽しかったし、部活の仲間も楽しかったし。
そこに女子もいたからちょっと楽しかったなって。
それはそうですね。めちゃめちゃ楽しいですね。
ちなみにですけど、ポジティブに興味があるのは、男女で一緒に活動する部活だったんですか?
うん。ちょっと校と分かれてあったりとか、でも一緒に被る時間があったりとか。
そういう感じかな。
僕の時は、僕の部活経験しますけど、すべて完全に分けられてたんで、なんですかその楽しみ。
そういう楽しさから入ったから、逆に続いてるっていうのもあるかもしれないね。
じゃあその3年間。公式ですよね。
公式。
じゃあ難式は全く経験せずに。
難式は全く。つい最近経験した。
つい最近経験した。この前の隠れウィンブルドン。
そうそう。その前の経験したぐらい。
あれ結局結果はどうだったんですか?
結果は西谷持田ってやつが優勝かな。
優勝して。
あれですよ、今回ウィンブルドン優勝者当ては男女の当てで、そこも当てないと。
4人いたって言ってたね。
4人いたんですか。
4人いたって。
でもみんなじゃない、森屋さんがさ、インターハイとか言ってたから確か難式で。
みんな森屋さんに投票した人多かったんじゃないかなと思ったけど。
結構裏切ったもんそれ。
違う面でも最高だった。
最高でした。
平和だったけど最高だった。
ボールの距離感が全く合わずっていう噂が。
そうそう。
空回りしてた。
空回りしてた。
でもそうなんですよね、意外とインターハイ出てたりとか。
難式の経験をしている人は中学校の難式が多いんで、そういう人たち多いんですけど。
野球をずっとやってきて、そこから急に公式テニスっていうところで。
楽しかったっていうところ。
やっぱり友達ですかね、そういうところってずっと。
テニスがスポーツが楽しいっていうところはもちろんそうだと思うんですけど。
高校生の時に3年間続けるってやっぱり途中であるじゃないですか、やめちゃう人もいるんでしょうし。
友達が大きいですか?
そうです、友達、仲間だよね。
一緒に部活を本当に先ほど言った先生がいなかったから、自分たちで考えてやっていくっていうところで。
一応部長だったけど、2年の夏くらいかな。
部長だったんですね。
自分一人でも全然わからないし、みんなで協力してながらとか、あざこざ言いながらやってたのが楽しかったのかな。
09:02
でもルールとか最初わからないじゃないですか。
ルールを教えてくれる人いたんだけど。
そりゃ先輩がね、こうでこうでみたいな感じで、そんなに教わったのかな、なんとなくかな。
そうなんですね。
でもなんか僕からしたらすごく新鮮で、僕なんか結構幼い頃からテニスの母親の影響でやってたんで、
なんとなくこうやってやってきちゃったっていうのもあるんですけど、途中から始めたことがその先ずっとってなるわけじゃないですか。
結構今までポッドキャストとか聞いてて、急にテニスってあるじゃん。
でも結構僕も多分この業界多くて、高校からとか大学からとか。
だからテニスって言うと障害スポーツって言うじゃないですか。
だからいつから始めてもできちゃうスポーツなんだな。
結構いまだに難しいスポーツだなって思うんですけど、でもできちゃうんですよね。
そうだね。コーチでも本当、僕野球出身とか、バスケット、あれでもバスケやつだったよね。
そうなんですよ。
いろんな出身がいるから何式ももちろんいるし。
だからそれはそれですごく特徴があって良くて。
いろんなお客様がいる中でバレーボールやってたとか、何やってたっていう人に対して、
いやだったらこういう風なやり方がありますよねとか。
そういう違うスポーツを絡めてできるっていうのは一つの特徴で面白いかもしれないね。
その3年間、テニス歴3年じゃないですか。
卒業後から今にかけてテニス人生が続いてきたと思うんですけど、
コーチになろうと思ったきっかけって何ですか?
卒業してから専門学校に行って、そこはスポーツ全般、
要はスイミングもあったし、トレーナーのジムを目指してた学校だったりとか、
いろんな球技もやったしっていう専門学校で、
その中でスポーツクラブのインストラクターになりたかったんだよね、その時は。
なるほど、フィットネス。
そう、フィットネスっていうのがあって、そういう授業とか習ってたんだけども、
伊豆に初島っていう小さい島があって、
あそこに当時、初島クラブっていう大きなリゾートができるって言って。
今エクシルが何かやってるのかな。
そこが新しくできるから、そこには大きなホテルがあって、
リゾート施設だったんだけど、そこにスポーツクラブもあって、
そこに一回見学に行って、そこで内定ももらったんだよね、最初。
12:01
そこでは夏がトップシーズンだから、夏は2、3ヶ月ずっと毎日仕事。
でも冬になったら逆に1ヶ月くらい休みがあるよみたいな。
でも島だから、熱海から1時間くらいかかるんだよね。
だから熱海から夜6時くらいが最終みたいで、
普通に遅れたら帰れないみたいな。
ホテル、職場に戻れないみたいな。
そこだけ気をつけてみたいな感じになって。
そういうのも面白いのかなと思ったんだけども、
当時同じ専門学校でテニスをやってた仲間が、
テニスコーチ受けたら、それもいいんじゃないみたいな。
受けてみようかなと思って受けて、
それが最終に就職したプリンスホテルのところで。
結局そこのリゾートってやっぱりちょっとどうかなと思って、
で、プリンスホテルに最初就職したっていうところだね。
あの、当時あれですか、新横浜に。
そうだね、新横浜。
新横浜ね。
今の場所で言うと、僕も行ったことあると思うんですけど、
場所がおぼろげなんですけど。
なんて言うんだろうね。
ぺぺがあるじゃないですか。
ぺぺがある。
ホテルとか今のぺぺの。
あの近くでしたっけ?
あっち側ね、ニッサンスタジアム側。
ニッサンスタジアム側。
じゃあ結構ちょっと離れた感じ。
その当時は、今もスケートセンターがあるのかな。
スケートとテニスとボウリング場。
3つスポーツ施設があって。
そこだ。ちょっと離れてる。
ちょっと離れてるんでしょうね。
テニスコートインドアで7面あって、
4面ぐらいスクールやって、3面はレンタルコートみたいな感じでね。
施設的にはすごくいい施設だったかな。
系列で言うと、今、品川の高永と同じ系列。
同じ系列。
何年やってらっしゃったんですか?
あそこで12年ぐらいかな。
新横浜で。
学校を卒業して、
初島に行かず、
プリンスに就職をして、
あそこから、
専門時代のテニスは、
いろんなスポーツを経験しながら、
テニスだけはずっと続いてたんですか?
スポーツは部活というか、
クラブ活動的なもので、
クラブ活動でやってたね。
いわゆるテニスコーチ科みたいなものではない?
じゃない。
へー。
じゃあ、趣味で、
部活と、
自分が試合に時々出たりとか。
そうですね。
学校の試合だったりとか、
そういう感じかな。
テニスコーチになるための学校ではなかったよね。
そうですね。
15:01
その時に、
インストラクターのカテゴリーの中で、
テニスのコーチ、
やったことないわけですよね。
うん。
テニスコーチと、
ジムのインストラクターって、
また違うじゃないですか。
コーチと。
そこのところっていうのは、
やっぱり、
ノリですか?
それとも、
かわいい子がいたから?
なんだろうな。
テニスも好きだったし、
楽しかったしね。
だから、
テニスコーチっていう仕事もいいなと、
漠然に思ってた。
実際に、
自分がテニススクールに通ったこともないし、
テニススクールに見に行ったこともないような感じだったんだよね。
へー。
どんなものかっていうのを全く知らない中で、
はい。
テニスコーチっていう道を選んだ感じだね。
そうですよね。
なんか思い出せます?
その時の選んだ感覚って言うんですか?
こっち、
新横浜行こうかなっていう、
テニスコーチになろうと思った、
感覚って言うんですか?
うん。全然思い出すな。
多分、そんなすごくいいよ決してとか、
考えてない?
そんなないと思う。全然なかったと思う。
でも、12年間の結局、
続けたわけですよね。
中で、
全くわからず。
ほんと最初ね、
2月、5月に入社して、
もちろん当たり前なんだけど、
みんな上手いんだよね、テニスコーチって。
自分が想像してた
世界と全然違くて、
すごく上手くて、
もちろん自分は球出しの
研修もしたこともなかったから、
球出しもできない。
みんなほんと笑われたし、
サインに入ったんだけど、
もちろん学生のコーチとかもいる中で、
はい。
全然ダメで、
先輩には、
もうお前は、
他の仕事しなくていいから、
ずっと練習してていいよって言われた。
社員でやったら。
1年間くらい。
何もやらなくていいから、球出し練習と
自分の練習を
ずっとやってていいからって。
言われたくらい、
ほんと下手だったんだよね。
そこで、
ちょっと朝早く行って、
球出し練習したり、
先輩がレッスンに混ぜてもらって
入ったりとか、
ひたすらボレボレやったりとか、
そんな感じだったね。
そうだったんですね。
いつも昼休みになると、
近くに川があって、川のベンチで、
いつもやめようかなと思って、
絶対無理だなと思って、
そんなことが
ずっとあった。
そんな事例があったんですね。
やめたくなりますよね。
だってみんなレベルが違うし、
全然違う。
お客様の方が上手かった。
ほんとそうだと思う。
18:03
よく耐えましたね。
よくできたなと思う。
でもそれもね、結局、
社員でやったけど、
大学生とか同じ年代の
同じ世代がいて、
彼らにもすごく色々教えてもらったりとか、
一緒に遊びに行ったりとか、
先輩にも恵まれたのかな、やっぱり。
その中でなんとなく
少しずつできるようになってきて、
レッスンももちろんアシスタントから
スタートして、
そこから少しずつ
楽しくできるようになってきたのかな。
この世界で、
プリンスのテニススクールで
12年間やってる中で、
これやっていけるな、このまま。
って感じたきっかけとか
タイミングってあります?
やっぱり自分自身に
自信が
持ててきた時かな。
持ててきたっていうのは、やっぱりその技術的なところ。
技術的な。
ずーっと教えてもらって、
環境的にはいいよね。いっぱいコーチがいて、
上手い人がいっぱいいるから、
自分から聞けば
全部教えてくれるし、
盗めるものは盗めるし、
そういった環境で
続けられたっていうところが、
一つの自信になって、
もうちょっと頑張れそうかな、
もうちょっと頑張れそうだな、
っていうのが続いて
いった感じかな。
結構相当練習しましたね。
練習したね。
だってほんとね、
ほんと下手くそよ。
ほんと下手くそ。
たまたまなんですけど、
前に牧井さんにも
同級生なのかな?
カメイトで、
CAのコーチの方が、
一回カメイトで
立ち上げた時に、
バボラのイベントで
来た時に、
その方が、
実は、
僕は野球、
野球しかやってない時に、
牧井さんに出会って、
牧井さんに相当助けられた。
テニスめちゃくちゃ教えてもらったんだよ。
今めちゃくちゃ全日本でも活躍してる。
その時は、
出会ったのは、
専門学校の時の
後輩だったんですか?
同級生だった。
その人も同じように
テニスできなかった。
僕は高校3年からしたけど、
彼は専門学校から始めて、
それでめちゃくちゃ
彼も練習して、
今は全日本ベテランとか出ちゃうぐらいの
レベルになってるから、
すごいことになってる。
そこの、
努力っていうんですか、
牧井さんもそうですけど、
なんでそこまでできたのかなって。
楽しいんだろうね。
21:01
テニスっていうものが、
上手くいったこともあるし、
でも上手くいかないことも
多いんだけど、
それをどうやったら上手くいくかなって、
考えたり、
実際やってみたり、
繰り返すよね。
上手くいけばずっと上手くいくものじゃなくて、
またダメになって、
またできるようになって、
そういうのが、
少しずつ階段を上がっていくじゃないけど、
そういう楽しさが
あるんだろうね、
テニスは。
僕がこの業界に
入った時に、
突然びっくりしたのは、
僕はすごい小さい頃から
テニスの世界にいて、
僕が初めて
レッスンっていうものを
知ったのって、
こんなに長くテニス業界にいながら
牧井が始めたんですよね。
その時、横浜テニスカレンジ。
博楽を見に行って、
コートにとんでもない
人数がいたんですよ。
そこで違和感感じなかった。
レッスンって、
プリンスも
すごいたくさん人がいたわけなんですが、
コートに
10人とか10人以上も
入ってたりとか、
そこに違和感って感じなかったですか?
スクールというものは、
そもそも何も知らないから、
最初がそれだから、
こういうもんなのかなと思った。
何も疑問もなかった。逆に。
知らないから。
僕はその一面に、
4人とか、いわゆるダブルスカイするくらいまでの
経験しかしてこなかったんですよね。
いろいろ聞くと、
スクール、いわゆる
グループレッスンっていうものが、
日本特有のものだったりとかして、
海外行くと、
ないんですよ。
見えないよね。
そういった、
たくさんの人たちが
満足して、帰ってもらえるような、
そういったレッスンっていうのを、
僕もやってみて、
テニスは
テニスはできたけれども、
やってみてすごい大変だったんですよね。
その中で、
お客さんとの
いろいろと
コミュニケーションの中で、
僕もすごい楽しさっていうのを経験できたんですけど、
その、
なんていうんでしょう、
今までのキャリアの中で、
マキウイさんがレッスンっていう
もので、
大切にしているというか、考え方とか、
こういった
思いでやっているっていうところを、
いつもみんな聞いてるんですけど、
マキイチ支配人は、
どういうことを大切にしているんですか?
それって、
変わってきてて、
前、本当に20代の頃はね、
一緒になって、
汗かいて、
一緒になって、
うわーって、
なんだろうな、
若かったって言ってもあるけど、
うわーっていう感じで、
いやー楽しかったって言ってもらえれば、
24:01
それはそれでよくて、
でもそれがだんだん、
指導っていうところが大事なんだなっていうのが
気づいて、
でもそれって、
5代に入って、
今12年なんでね、
そういうのも、
5代のコーチ、
例えば身近にいたツダ、
仮名取りのツダコーチとかね、
彼とか、
後藤コーチとか、
指導するっていうところって、
すごく大事だなっていうのを感じて、
で、やっぱり、
何年か経っていくうちに、
うわーってだけじゃなくて、
やっぱり、
指導するとこは指導するし、
楽しむとこは楽しむし、
動くとこは動くし、
みたいな、
そういうメリハリも大事だなと思うので、
今はなんで、
今大事にしては、
レッスンではバランスかな、
なんか肩苦しくなるのが嫌なんで、
教えるだけじゃない、
教えはもちろん、
指導はあるけれども、
みんなで楽しむところとか、
ファンっていうのもすごく大事にしたいな、
って思ってるし、
そうだね、
なんか変わってきてるかな、
やっぱりその時っていうのは、
あのー、
新洋館を組み添ってるのを、
テニススクールから、
5代に転職したわけじゃないですか、
そこの時、
5代に入ってからその点の部分が、
結構変わってきたんですか、
ほんと変わった、
プリンスの時はもちろん、
コーチとしてやらせてくださったけど、
自分の持って、
自分の知ってることとか、
自分のできることを、
毎週やった感じだったんだよね、
コーチごとにほとんど任されてたんだよ、
で、実際5代に入って、
毎週テーマがあって、
あとはこのネットを仕切るっていう、
やり方があって、
それがすごく衝撃的で、
それに対して、
いろんなショットをやっていくので、
それを教えるスキルも必要になってくる、
なのでそういうのも、
勉強したし、
教わったりとかして、
すごいなって、
思ったな、最初。
やっぱり、
僕もネットで仕切って、
コートを、
エリアを分け、
細分化して、
ローテーションしていく。
こんなアイディアあるんだって、
思いましたもんね。
未だにすげえなって思ってるんですけど、
今は結構そういった
大型のテニススクールだと
主流になってきているものには
なってるんですけど、
5代に中に入って、
レッスンに対する考え方とか、
お客さんに対する考えとかが変わっていて、
今、
5代に入って、何年目に?
今、13年目だね。
13年目。
今、支配人として、
支配人になったのは、
27:01
何年前なんですか?
本当は、
6年くらいなんだよね。
でもね、
上の方には、
3年くらいって言ってるもんね。
もう長いから違うとこ行けって言われるの、
まだ3年です。
2、3年かなって言ってる。
実際はもう6年くらい。
6年くらいやってますね。
今、その立場に
なってきて、また
ものの見方が
変わってきてるんじゃないかなと思うんですけど、
そういった中で、
変化ってどういったところが?
自分自身はもちろんそうなんだけど、
今日も
レッスン見てて、
コーチが
お客様と一緒に
何かやってたりとか、
コーチがやってることに対して
お客様がリアクションしてるとか、
そのコートごとに
すごく一体感があるんだよね。
それってすごくいいなって
見てて、
今はそういう
他のコーチのレッスンを見るのが
すごく楽しかったりとかしてて、
やっぱり
人気があるというか、
お客様がついてるコーチっていうのは
情熱があって、
一つ
デモンストレーションとか
話をするにしても、
距離が近い。
お客様がすごく聞こうとしたり、
見ようとしたいっていうのがあって、
こういうことなんだなっていう。
やっぱりコーチの言ってることを
逃さず聞こうとか、
全部見ようとかっていう。
逆にコーチもそれをしっかりつけて
伝えようとか、
理解してもらいたいとかっていう。
お互いがすごくいい意味に
刺激し合ってるというか。
そういうコーチってやっぱりいいんだな
っていうのを
今は外から見る機会が増えて、
改めて自分のレッスンでも
こういうことをして
必要なんだな、やっぱりその
思いというか、情熱というか、
そういうのは絶対大事だなっていうのが
今一番わかった。
ちょっと今
勉強になりました。
だいたいいいところは
カットする。
と言いながら
ちゃんと流してるんですけど、
すごいそういった
あれですよね、
自分がするっていうところから
違う角度から
ものを見たり、
あと自分と比べてみたり
っていうところ。
そういったところって
確かに必要ですよね。
そういう
後代ってそういうところがあるのかもしれない。
いい意味で。
いろんな刺激があって、
いろんなやり方があって、
コーチによって。
それを自分さえ
自分の気持ち考えさえ
自分の気持ちって言うのかな、
気持ちさえあればいろんなものが見れて
勉強になるし、
そういう時間を作れば
30:01
いろんなことを学べる機会が
いっぱいあると思うんだよね。
そういう意味ではすごくいい環境で
みんなやってるし、
自分次第でもっともっと
いいレッスンができるんじゃないかな
っていうのが思うな。
今後
牧井さんが
もっとこういう
スクールになれたらいいなっていう
もっとこういう世界にしていきたいな
っていうところってありますか?
今も
ここをずっとみなさんの
おかげで3000人を超える
お客様で
ずっとみなさんのおかげなんですけど
これからまたもっと
みなさまに喜んで
いただけるような施設に
引き続き
僕もなってもらいたいなと思ってますし
その中でもっと
こういうところができたらいいなとか
レッスンに
関してはやっぱり長く
継続
していただくためには
万年にしちゃいけないし
新しいものとか
常に
そういう情報とか
技術的なものも含めて
どんどんどんどんコーチも覚えていかなきゃいけないな
それをしっかり伝えていって
いくっていうのはすごく大事かな
って思います。あとは施設に
関しては
すごくいい施設で
やらせてもらってるので
テニスコート
以外のところでも
何かテニスに絡んだとか
健康でないと
テニスができない
よく怪我された方が
やっぱり本当に
ちゃんと体操してもよかったなとか
健康って大事だなって
言う方がすごく多くて
うちはテニススクール
ゴルフスクールではあるけれども
テニスだけを教えるのではなくて
その前の体について
やっぱり怪我の予防とか
万が一怪我してしまっても
その後のケアの仕方とか
そういうところも
サポートできるような
スクールにしていきたいなって思います
それでお客様がやっぱり長く
テニスを楽しんでいただく
っていうことができるとすごくいいな
って思うね
今もこれは
広北の
お客様だけではなくて
社員の皆さんに
聞いてもらいましょう
そういったところを
今後も
引き続き
そういったいい場所ですよね
ライフスタイルに貢献できる場所に
していきたいですよね
ずっと
今日いい話なんで
ロングバージョンでお届けしたいんですけど
最後になってしまうんですが
皆さんにお聞きして
お客様に
マッキーズさんの
クラスのお客様と
今通っていただいている
お客様の最後に
マッキーズさんの思いを
日ごろ伝えられていないことを
結構伝えてるんだよね
33:01
自分の言いたいことを
言いたいことを
改めて
そうですね
やっぱりテニスって
さっきも
伊勢くれる話を
質問してくれて
自分でも気づいてやっぱりテニスって
面白いなっていうのが改めて
ゴールがない
どのスポーツでもそうかもしれないけど
ゴールがなくて
上手くできたりできなかったり
また上手くできてできなかったり
その繰り返しだけれども
何かそういうテニスっていう
種目が楽しいことと
やっぱり仲間
周りの方と一緒にやるっていうのが
テニスのすごく特徴で
仲間がいて仲間がいてっていう
それはスクールでも
実際に10人とかいる中でも
いろんな方がいて
そういう方たちとテニスを通して
コミュニケーションを取れて
取っていただけるっていうのは
すごくいいなと思ってて
よくサードプレース的な
話は出ますけど
そういう環境をこれからも
しっかり提供して
何かその生活が
自分の気持ちっていうのかな
豊かになるような
楽しかったなって
今日もよかったなって
思ってもらえるような
レッスンだったり
スクールにこれからも
していきたいと思います
今日は思いが詰まった
回になりましたけど
僕も聞いてて非常に
勉強になりまして
ちょっとお蔵入りするかもしれない
いや素晴らしい
お話でした
引き続き広北支店は
今13年目を
迎えて
引き続き15年目
20年目を目指して
これから発展していきますので
これからも
引き続き楽しんでいただいて
ぜひ
これを聞いた方は
後代ってちょっといいなって思っていたら
広北支店
というところでございまして
今日は
広北支店牧内支配人でした
ありがとうございました
35:32

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