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【GODAIスポーツポッドキャストすぽきゃす】
この番組は、スポーツを通じて人々の健康生活の実現を目指す
【GODAIグループ】の提供でお届けいたします。
はい、それでは本日はゴールデンキッズコーチ、戸辺剛司です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
戸辺剛司ですね、ゴールデンキッズコーチ週間で今お届けを実はしようと思ってですね、
上谷剛司がトップバッターで、2人目ですね。
これが今日のトーク次第で、戸辺剛司次第でボツになるか。
未だにね、ボツになった人はいない。
俺、若干期待しているのは、沢田剛司あたりがボツになるんじゃないかなって。
こないだ上谷剛司がやったっていうお話を聞いて、いつか回ってくるんだろうなとは思ってたんですけど、
まさかこんなに早いタイミングで来るとは思わなかった。想定外でした。
これはね、来るんですよ。みんなね、意外と最近意識を失ってるみたいで。
最初に始まった当初はね、何なのかなっていう感じだったと思うんだけど。
そうですね、僕も始まった当初は知らなくて、このポッドキャストのルーティン。
知らなくて、そこから知って聞き始めてっていう形なので。
ポッドキャストって他の番組もダウンロードしたことある?
ないです。
そうなんでね、意外とみんなもったいねえなと思ってて、聞いてる人はね、知ってる人は知ってて、
俺はもともとラジオが好きな少年だったの意外とね。
だから夜な夜なラジオを聞いてたこともあって、そういうの好きだったんだけど、
だからポッドキャストっていう存在はもともと知ってて、
それを聞いてて、ここをサポートしていただいてるキクタさんっていう会社があるんだけど、
キクタさんっていっぱいやってらっしゃるんですよ、番組も。
もうね、有名な方、著名な方たちの番組もプロデュースされてたり、
そう、そんな会社さんがね、うちのプロデュースもしていただいてるんですけど、
なんかね、他にもね、これをきっかけにトベコーチにはポッドキャスト、いろんな番組があってね、
だから聞いてもらいたいなって。
そうですね。今はまだ5台のやつだけなんですけど。
聞いてんの?本当に。
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聞いてます。本当に、一緒に事務作業しながらちっちゃい音で流しっぱなしにして聞いたりとか。
そんなBGM代わりになる?これ。
でもよく相原さんとかも一緒に流したりするんですけど、
ああ、そうなんだ、知らない一面だったりされてる方の一面だったりを聞けて。
意外とあるでしょ、そういうところは。そういうのもちょっと狙いで、
要は相互理解というか、その人のバックボーンを知ることによって、
ああ、この人こういう人なんだなっていうのが分かるでしょ、意外と。
そうですね。そうだったんだ、こんなこともやってたんだっていうのが意外なところにつながってたりしてあって。
いいこと言うな。面白いなって思って。
とべコーチざると思いねえ。今度持ってきますよ。
というところでね、今日はもうこれぐらいにしておこうかなと思います。
さあ、とべコーチのみんなにも改めて、とべコーチを知ってもらいたいなと。
これをぜひ子どもたちにも聞いてもらいたいですよね。
ということで本題に入りますが、とべコーチヒストリー。
まずは、とべコーチ出身は?
出身は栃木です。
栃木ね、栃木ってなかなか行かないんだよね。
そうですね、那須なんですけど。
那須、那須って言った方が響きがいい。
あ、那須って。
いいとこだね。
俺はゴルフでしか行ったことがない。
みなさんそうでした。
じっとこうって言われて、那須って言うとゴルフ場いっぱいある。
うちの場合そうなっちゃう。
なるほど、那須の出身で。
まずは、スポーツに出会ったきっかけっていうのはいつのときだった?
そうですね、特定のスポーツを始めたのは一番最初は野球が。
野球出身だ。
野球出身で、野球は小学校1年生の時からずっとやってて、
それは姉がいるんですけど、姉がソフトボールをやってて、
そこにずっとやっぱり末っ子なので連れて行かれてるっていうところで、
そういうボールの方に入ったっていうのが。
ボールの方で。
急に入ってきた。
お姉ちゃんの影響で。
お姉ちゃんがソフトボール、女子のソフトボールが流行ってね。
そうですね、うちの家系がそうなんか、みんな小学校はお姉ちゃん3人いるんですけど、
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お姉ちゃん3人もいるの?
お姉ちゃん3人います。
4人目?
4人目です、4人目の末っ子なんです。
4人目の末っ子なの?
そうなんだ、じゃあもうお姉ちゃんからも可愛がられたんじゃないの?
いや、子供の時は全然そんなでもなかったですね。
年は?
年は一番上とは5歳差。
それでも5歳差なんだ。
5歳、4歳、1歳ですね。
それはあれだね、本当にご両親に脱合だね。
そうですね。
そうなんだ、4人兄弟の末っ子、そしてお姉ちゃん3人。
どうしても男の子が欲しかったみたいな。
そうなんだ、すごい。
そこでもう全員アネガソフトやってて、その影響で僕も野球をするようになって、
そこからずっと小学校の間は野球をやってて。
それは何?お父さんお母さんも野球、お母さんソフトボールやってたとかそういう感じじゃない?
お父さんはずっと野球を。
ずっと野球やってたんだ。
社会人になっても会社の中の草焼きをやってたっていう。
じゃあお父さん社会人になっても土日、チリに行ったりとか。
見に行ったりとかっていうのでも必然的にそっちの方に仕組まれてたというか。
なるほどね。じゃあお姉ちゃんも喜んでやってたのかどうかちょっとお話しなさい。
3人ともやってたの?
はい、全員。
全員ソフトボールをやっていたのか、やらされていたのかは定かですよね。
そうなんですね。
ちなみにお姉さん方はいまだにソフトボールをやってるとかっていう人いない?
もう小学校で全員辞めました。
やっぱりお父さんの影響だね。
僕もそうですけど、ほんとに小学校で辞めたんだな。
で、中学校はどうしたの?
中学校はやっぱり陸上を僕は。
あ、そこで陸上を?
陸上に移って、もともと野球をやろうと思って中学校も行って、クラブとかも見てたんですけど。
入るのが35人、野球部に入る。
35人?
なってもうそこで人数の大きさに挫折をして、じゃあ何ができるかなっていう時にもう。
小学生の時から走るのが、長距離がずっと好きで。
長距離好き?
走るのが好きで、マラソン大会とかお父さんと一緒に出てたりとか。
そうなんですね。
小学校のマラソン大会でやっぱり1番も取れた。
1番も6年間以内に3回取れたっていうのがやっぱり大きくて。
それでじゃあ野球を辞めるんだったら陸上の方に行こうかなっていうのでそこで陸上を本格的に。
本格的に始めた。
09:00
それは正解だね。
いわゆる勝てるところに行く。
そうですね。
だってそこまで野球っていう気持ちは別になかったわけじゃない?
そうですね。頑張ろうかなっていうのはやっぱりあったんですけど。
でも本当に入る時には半々ぐらいの形だったんですけど。
でもやっぱり自分がやれるところはどこなのかなってなった時にやっぱり陸上の方が強かったんで。
じゃあ陸上部に入って。
中学校の陸上の世界ってお話いろいろ聞きながら学んでるところなんだけど。
自分がやりたいっていう種目に行けるものなの?
基本的には中学校はいけます。
じゃあ自分が長距離やりたいとか200m、100mでやりたい、走り幅跳びやりたいとかっていうのが基本的にはその方向に行ける。
中学校はいけますね。
種目がたくさんあるでしょ?陸上ってなると。
全部やっちゃう人は10種とかやっちゃうわけじゃない?
その中でもやっぱりこれだけをやりたいっていう専門的な。
例えば100mとかに特化した人とか、あとはマラソンに特化した人って出るわけじゃない?
陸上部って入るじゃん?
陸上部ってなるんだけど大会って種目がいっぱいあるから。
俺が例えば陸上部の先生だとしたら、
みんなマラソンにしろとか目の際とか言ってさ、言われねえのかなと。
中学校の部活の場合は本当に最初はみんな一緒みたいな形で。
本練習になるときに別れていくっていう形で。
僕の中学校の場合は短距離の先生と長距離の先生がいたんで、そこで別れたっていう形。
でも短距離の先生も跳躍とかは一切わからなかったので、
そういう跳躍系に行った人たちは月に一回周りの中学校と合同で練習会があって、
そこで長距離の先生に教わってたりとかっていうのがありましたね。
中学校にそういう設備もなかったりとかもするんで、高跳びとか走り幅跳びもそうですけど、
高跳びのマットがなかったりとか。
環境によって変わっちゃうし、スペシャリストがいないとなかなかね。
そうですね。
基本短距離はみんな走るで構成されますんで、
そういう練習会のときとかにさらに別れてっていう形が基本的には中学校のやり方だと思います。
その跳べコーチは長距離が得意だったわけでしょ?
12:05
そのままちゃんと3年間長距離をやらせてもらったんですか?
そうですね。ずっと長距離をやってて、僕が入ったとき先輩が4人しかいなかったんですよ。
2年生3年生を含めて?
はい。4人しかいなかったんで、その中でやるってなったとき、
1年目のときは長距離の専門の先生がいなかったんですよ。
なのですごい練習が遊びみたい。
ただ走ってる。
ずっとただ40分間走ってるみたいな感じのものだったんですね。
でもそれもその中に鬼ごっことかを勝手にしたりとかして、
面白いなーっていうのでやってたんですけど、
2年目から専門の箱根駅伝にも出た先生なんですけど、
その先生が来た瞬間に厳しくなりましたね。
練習が一気にやっぱり専門の先生なので、
その通りのものだったりとか、
この日はこれやって、1日明けてこれやって、
みたいなプログラムがされて、一気に強くなったって感じです。
そうなんだ。
でもそういう先生が来て良かったね。
そうですね。
3年間鬼ごっこで終わった先生があったってことでしょ?
はい。
でもその箱根駅伝に出た先生が来たっていうのはラッキーだったね。
そうですね。
その先生は本当にすごいですね。
僕らの時は関東駅伝までだったんですけど、
もうずっといて、僕らの五湖下ですかね、
五湖下は全国優勝したので、駅伝で。
駅伝で、中学校の大会で。
中学校です。
でもその先生は本当にずっと長く、同じ中学に。
中学校の先生って基本何年かスパンで変わっていくので、
そうですよね。
ずっと、12、3年ずっと。
いたんだ。
ずっといて、結果を残して。
残して。
なるほど。
だんだんとこうやって結果を残していくにつれて、
その中学校の先生に襲われるんだって思って、
そうですね。
陸上部に入る子とか、もしかしたら越境にして来る子もいたのかもしれないね。
そうですね。
あたしも走りなんだ。
そうですね。僕ら土台にされてたんだ。
土台にされてたんだ。
最初の時だったので。
関東駅伝っていうのは関東大会であったってことね。
でもそれはすごいよね。
人数が少ないっていう中で、駅伝で何人必要なの?
駅伝で。
駅伝は中学校の場合は7人。
7人ってなんだ?
7人は、僕らの台の時に僕らで4人入って、
あとは中学校って結構借り部をするんですね。
野球部から借りてくる、サッカー部から借りてくるみたいなので、
結構賄うのが中学校の駅伝なんですね。
15:00
あ、そうなんだ。
じゃあちょっと転生の速さを持ってるやつが。
持ってくるそうです。
たまにサッカー部とかバスケ部とかなら、
やられるんですけど。
そういうやつに負けたくないと。
それで僕らのフライドがあって負けたくないでやってたりするのも
そんなのかもしれないですね。
なるほどね。
じゃあちょっと7人で頑張って関東大会まで行って。
なるほど。
じゃあそれでまたその高校に行くわけでしょ?
はい。
どうなったの?
自分はそのまま高校にも、
栃木の中だと結構有名な
那須卓陽っていう高校なんですよ。
那須卓陽。
駅伝で有名なんですけど、
そこにもその駅伝の先生で、
すごい先生がいて、
有名な人でいうと渋井陽子が卒業生なんですけど、
その人を教えてた先生がいて、
そこに僕も行ったっていうところ。
那須卓陽の出身なの?
渋井先生は。
先輩なの?
何回も会ったことある。
普通に正月の時とか練習に来てたりとかしてたので、
何回も会ったことがあるんですよ。
そうなんだ。
そんな名門で3年間。
陸上、長距離またそこでやることになる。
それはマラソンなの?それとも。
高校になると基本的には5000mと10000mです。
5000mと10000m。
5キロと10キロですね。
あれなんで陸上って5000mとか1000mっていう単位、
一応10000mとかって表示するんだろうね。
多分トラックでやってる種目だからだと思うんですよね。
トラックでやることはキロで表さないの?
メートルで表しますね。
200mごとのラップを取ったりとかもするんですけど、
ロードの場合はそういうのが取れないので、
キロ表示でなってるっていう違いだと思うんですよ。
時々ね、10000mとかじゃなくて、
何?何?って10キロなんですよ。
でも同じところをぐるぐる回るのと景色が変わっていくのと
精神的に違わない?
違いますね。
10000mの場合、トラックの場合25周ですから。
いやー、そんなことはできない。
25周。
それはさ、本当に何て言うんだろうな。
好きじゃない人。
できないですね。
僕も最初の時は嫌いでしたね。
わかるの?自分が何周かと。
基本的にはゴールラインのところに残りの周数が書いてあるんですよね。
基本一周遅れになってしまうと自分でやったりとか、
18:03
あとは何人かの記録員の方たちが見てくれてたりもするんですけど、
基本的に書いてある数字で把握してるって感じです。
書いてあるんだ。スコアラーみたいなのがあるんだ。
でもさ、もうさ、周回遅れになっちゃったらさ、
もう折れないところを。
折れます。僕も周回遅れ先輩でさせられたことあるんですよ。
めちゃくちゃ折れましたね。周回遅れをした時は。
周回遅れってさ、マリオカートでもやらないといけない。
そうですね。
でもやっぱりいろんな大会でやっぱりどうしても早い人と混合で組まされてしまったりとか
っていうところは絶対毎回あるんですよ。周回遅れになるっていうことは。
1万メートルとか回ることはできない。
1万メートルってタフだね。
そういうきついのをやってたんだね。
そうですね。
すごいわ。
それはやり通して、何か高校まででね、
中学校、高校と長距離をやり続けたわけじゃないですか。
そこで学んだことっていうのは、どんなことを学ぶわけ?
長距離ずっとやってきて、自分の今のためになっているなと思うのは
本当に続ける力と諦めない、逃げない力っていうのは本当についたかなと思います。
まさにそうだよね。
辞めたくても辞めないように頑張るようになるっていうのは
本当にこの走ってきた中でついたかなと思いますね。
そうだよね。まさに諦めないという。
諦められないよね。
そうですね。
諦めたらもう終わりだもんね。
だって記録にもならず、失格でしょ。
失格になっちゃうもんね。
途中でここまで頑張ったとかそういうあれじゃない?
じゃないですね。ゼロか100かのどっちかなので。
そういう意味でメンタル的な部分も。
めちゃくちゃ強くなったと思いますね。
ねえ。
いやーでもそうだよな。
なかなかその…
で、例えばちょっと苦しいなって
またマラソンとは違った苦しさがあるでしょ、恐らく。
また5000は5000で辛さがあって
1万は1万でっていう世界があるわけでしょ。
なんかその…
心拍数がひんはーしちゃってる時のさ
時々間違ってしまうとさ
呼吸がわけのわからない音がして出したりする経験があるわけでしょ。
スコッコッみたいな感じのさ
どこで息してんだ俺はみたいなね。
21:00
そういうのをね、やり続けたんだね。
そうですね。
で、その後陸上高校卒業してから続けるわけ?
いや、大学に進学したんですけど
そこではもう一切やらなかった。
あ、そこでもやめた?
そこではもうやらなかった。
よかったね。
そこまで走り続けたらさ
ちょっとなんか違う領域に入っちゃうよね。
続けた人にして欲しいんだけどね。
そこはもうやらなかったですね。
そこでやめたんだ。
大学は何してた?
大学はスポーツ医療の勉強をしに
スポーツ医療?
柔道専属士とスポーツトレーナー
アスレチックトレーナー
AT?
チームに対応してる
会った時にケーピング巻いたり
サポートしてる人の勉強をしに行ってました。
なんでまたそういう勉強をしたいなって
自分がやっぱり長距離やってた時に
何回も怪我がどうしても練習重ねてくると怪我が起こって
やっぱりそこで自分も性骨炎とかに通ったりして
影響で身近に柔道専属士っていうものが
感じてるところがあったので
やっぱり自分もそういう
サポートをしてあげたいと思いから
そっちに進んだっていう
そうですよね。
怪我はスポーツはどんなものでもつきものなんだけど
長距離の選手で多い怪我ってどういう怪我なの?
やっぱり足でが多くて
ほとんどは慢性的なものになってきちゃうんですよ。
どうしても知らないうちに膝骨折をしてたりとか
俺それテレビでも聞いたことある
知ってて知らなくて
いつのまにかその骨に与えてしまってたりとか
あとはやっぱり設置の仕方で
念座もしますし
かかとから生きてると
やっぱりかかとがずっと痛くなってしまったり
そういう骨系につながることが多いですね。
あんだけ走ってたらね
なんかそのほら
一般的に素人から見たら
走ってるだけに見えるじゃない?
でも今ねゴールデンキッズのね
あとでちょっと触れるところなんだけど
その走り方っていうところで
フォームからしっかりと教えるわけじゃないですか
姿勢の角度とか足のももの上げ方とか
手の形とか
シンプルな中に陸上って
ものすごく考えなきゃいけないことが
たくさんあるじゃない?
そうですね。単純な動作
ただ走ってるだけって思われがちですけど
本当にいろんなところに気を使わないといけない
24:01
ところが多いですね。
なんかその
今はだんだんね
俺の悪い癖なんだけど
辞世するんだけど
だんだんマニアックな世界を聞きたくなっちゃう
そうすると
時間がいつも無くなるっていう経験をよくしているから
またそれはねおいおいね
スキル的な技術的なところを聞いていきたいんだけど
そのいろいろと
6年間
約6年間かけて陸上を
耐え忍んで
楽しんで
やりながらそこの経験をもとに
やっぱりそういった怪我とか
そういったものを経験して
スポーツのやってたからこそ
見方を変えたんだよね
そうですね
自分も経験したので
そういう選手の気持ちが分かるっていうところが
自分ができるんじゃないかな
って思ったので
そっちの道の方に進んだっていう感じですね
その学んでる中で
そういった
現場以外の
実際のアスリートへの対応とか
そういう施術的なことを
学校で経験するの
そうですね
まずは本当に学校の中で
まずは座学を
ひたすら勉強して
ようやく3年生になって
外に出れるっていう形です
2年生の後半ぐらいから
少しずつ出れるようになって
本格的には3年生から
出れて
いろんな
契約してるじゃないですか
連携を取っているところの大学だったり
そういう実践だったりに
実習に行くという
実習に行くという
形です
なるほど
その大学でそういった
まずは
人体を学んで
そういったケアを
やっていく上で
大学を
ちゃんと卒業した?
卒業しました
卒業して
その後
どういう道に
その後は
大学を卒業した後は
実は半年
フリーターをしてました
その中で
地元には戻らない
こっちで頑張ろう
っていう
親元から離れたところで
ちょっと頑張りたいな
っていう風に思って
こっちに残って
アルバイトを別のしながら
他の
自分何やりたいのかな
っていう風に考えた時に
陸上を経験してきてて
その後
大学でそういう勉強もしてきて
27:01
じゃあ何がいいのかな
ってなった時に
自分子供を好きだったので
じゃあそれをセットに
できるところないのかな
子供に陸上だったり
っていうのを
教えることができたり
そういうケアをしないように
指導ができるところないのかな
って考えた時に
ゴールデンキッズと出会った
っていう形ですね
じゃああれだったんだ
大学卒業して
ずっとどうしようかな
みたいな感じの時に
そこからもうあれだったんだ
ゴールデンキッズだったんだ
今何歳になったの
今27歳になった
ほんと
じゃあ22の時にちょっと
23になる年
半年間
インターバル期間を
それで
ゴールデンキッズって
何だろうって
何で見つけたのゴールデンキッズ
タグワーク
タグワーク
すごいねタグワーク
見つけて
そうか
バイト探しはタグワーク
タグワークすごいね
見つけて
見に来させていただいて
面白いなと思って
これだと
でそこから
始めさせていただいて
そうなんだ
今子供のね
スポーツを通して
教育っていうところを
やってるんだけども
子供が好きって言ってたじゃん
何で子供が好きなの
どこで子供が好きなんて
思っちゃったの
元々
別に弟とか
妹がいるわけじゃなくて
なんですけど
何て言うんですかね
いろんなところで
親戚の自分より年下の子たちが
とかかわることが
多かったっていうのもあって
やっぱりそういうので
自分より下だったり
子供が好きだなあ
っていうのは思い始めて
やっぱりその後に
お姉ちゃんに子供ができた後に
もう一個目一個だと
またさらに見る目が変わって
自分の身近に
いる機会が多かったので
やっぱりそこで
ですかね
なんかお一個目一個って
可愛らしいね
そうなんですね
俺は兄弟がいないから
そういうのは感じられないけど
なんかみんなね
すごいじゃない
自分の子供のようにさ
そういう
なるほどね
お姉ちゃんの子供を見て
いろんなあれがあるんですよね
そうですね
30:01
そこですごい子供
陸上を教える
サポートする
みたいなものが
重なったって運命的だね
そうですね
本当はオールデンキッズを
見つける前までとかは
本当にそういう陸上クラブ
みたいな方で
何かないかなとか探してたんですけど
でも陸上だけじゃなくて
自分野球はやってたので
それがオールデンキッズの中に
入ってるってのも
大きかったりして
そうだね忘れてた野球やってたんだ
それも大きかったよな
走るだけじゃなくて
ボール投げるのはできるな
教えも少しはできるな
って思ったこのセットが
大きかった
なるほどね
走る投げる
そして今は真似るっていう
ダンスっていうところとか
いろいろと取り入れて
ダンスは避けて取ってきました
避けて取って
でもダンスは流行ってた
世代じゃない
そうですね流行ってたり
してたりもしたんですけど
僕は人前でそういうのをやるのが
恥ずかしいタイプの方で
だから全然ダンスとか
人前で踊るっていうのは
できなかったですね
そうなんだ
野球やってると
なかなかそういうところに
意識がいかない人が多いので
でもその中で走ることと
投げること
そういうことを
伝えられるだけでも
今までやってきたことは
すべて生きて
今ゴールデンキッズで担当して
何年目になるの?
今5年目になります
5年目になります
どうですか今そういった
5年間やってきて
ゴールデンキッズの
子供たちを
今までどれくらいの
子供たちをやってきたんだろうね
何百人
そうですよね
その5年間を振り返ってみて
そうですねやっぱり最初は
やっぱり教えることって
すごい難しいなと思って
やっぱり自分も
いろんなことを感覚で覚えてきた
人間だったので
それを言葉にして
教えることを
理論に基づいて教えていって
それがやっぱり子供たちに
入っていくっていう
ところまで持っていくのが
本当に最初は時間が
かかって
もう合ってんのかなみたいな
分かってんのかなっていう方が
強くて
でもそこから徐々に
こういう伝え方だと
伝わらないなっていうのを
他のゴールデンキッズのコーチの
皆さんからも聞きながら
やるようにして
ちょっとずつ
それができるようになってきて
そこから自分のクラスを
持たせてもらい始めた時は
もうやらなきゃっていう
気持ちが強くて
33:01
この子たちに
何を変えさせてあげる
何をできるように
させてあげられるかなっていうのは
アシスタントをやってた時よりは
強く持つように
なりましたね
やっぱりいろんなことを
経験させていただいてて
ペンギンカンガルーって言って
ミシュウエンジ
ペンギンカンね
1歳半から3歳の子たちの
担当してるんですけど
実はその年代は
僕はあまり好きじゃなかったんですね
2、3歳でしょ
はい
もう基本止まれないし
教えるっていうのに
入るのかなっていうところで
やっぱりそこの年代の子たちは
僕も本当に苦手で
でも関わらせてもらううちに
やっぱり
その子たちでもやっぱり
できることっていうのは
本当にあって
やっぱりその子たちに合わせたものを
言ってあげたりとか
自分がやってあげたりっていう
ところが今
すごい力に変わってるな
自分の能力に身についてるな
っていうところが
今もう目を通して感じてますね
なるほどね
いや、なかなかね今ね
語り目だったんで
毎回言うんだけど
カットします
でも5年間通して
そういったところで
いろいろ自分の中で
子供のね
ゴールデンキッズっていうのは
小学生を対象にしている
ゴールデンエイジの期間
っていうところになってくると
5歳からっていうところの部分で
どんどん運動神経
能力が発達していくところだよ
っていうところの部分なんだけど
そこのプレーの期間
2歳、3歳っていうところで
やっていくと
やっぱりよくよくアスリートの
老いたちを見てたりすると
2歳、3歳で
なんかやってる
やってますね
大事なんだよね
そうなんですよね
意外に何もやらなくていいかな
と思いがちな年代ですけど
やっぱり上に上がっていく
人たちを見ると
すごいその時期とかを
いい経験積み重ねて
やってる方が多いので
そうなってくると
やっぱり大事な期間を
預かってるんだよね
なるほどね
どんどんいい顔してきたね
今それで下は2歳から
そして高学年になると
6年生までか
そうですね
ゴールデンキッズの場合は
本当にそういった内容を
しっかりと保護者の方に伝えて
こういった考え方で
理論に基づいてやってますよ
36:00
ということをしっかりと
説明している中で
アプローチをしているわけですが
今トベコーチに習っている子どもたち
そして保護者の皆さまに
最後にこれからのトベコーチの
決意を習いちゃって
メッセージを今みんなにもらってるんだけど
そうですね
やっぱり自分も
小学校の時って
いろんなことをさせてもらってたので
水泳もそうですし
いろんなスポーツをさせてもらってたので
まず子どもたちに言いたいのは
今ここに通わせてもらってるということに
今はそんなにありがとうとか
感じないかもしれないんですけど
後々絶対それが
みんなの土台になるので
今は感じなくても
後々感じてほしいなっていうのと
あとはまずは
自分ができるようになるために
まずは自分の力をつけられるようにして
ほしいなと思います
人から言われてずっとやるのじゃなくて
自分でも発見をしながら
で挑戦して失敗っていうのを
繰り返しながら
やっぱり成長があると思うので
いきなりはできるようにはならないので
しっかりとそれを
過程を踏まえた上で
結果が全てじゃないので
やってほしいなっていうのは
子どもたちに伝えたいなと思うところで
保護者の皆さんにも
まずはいろんなことを
経験させてあげてほしいなと思います
やはり保護者の方ご自身でできないこととかを
やっぱりそういうスクールを使ったりとか
していただいている中なので
やはりその中でもっと
私たちも子どもたちを預かる立場で
いろんなことをさせてあげられるように
なりたいので
本当にいろんなこうしてほしい
ああしてほしいというものがありましたら
言っていただきたいなというふうに思っています
はい
ありがとうございます
本当にゴールデンキッズって
いわゆる子どもの
そういった可能性を
木で言うと
幹を作って
枝を広げていく手助けを
はい
そういう前段階
前段階のところで
そういった中で
いろんな可能性を秘めている
無限の可能性を持っている子どもたちに
さらなるチャンスを
というところで
これからも砥部コーチが
さらなる可能性を引き出す
という話をしてくれました
はい
ぜひこれからも
砥部コーチのレッスンを
引き続き受けていただきたいと思います
今日は砥部コーチでした
ありがとうございます
ありがとうございました