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GODAIスポーツポッドキャスト、すぽきゃす。
この番組は、スポーツを通じて人々の健康生活の実現を目指す
GODAIグループの提供でお届けいたします。
はい、それでは本日は白楽支店、大橋コーチです。よろしくお願いします。
大橋です。よろしくお願いします。
はい、大橋コーチ。今、事前にポッドキャストというのをご説明しましたが
非常にクリアな声が、耳に突き刺さるように聞こえてくるのは印象的でした。
オープニングの声は誰だかわかります?
あれは、たぶんミトベさん。
ミトベさん、そうなんですね。
いい声ですね。
いい声ですよね。
本当に思ってます。
思ってます。
思ってます。
思ってます。
思ってます。
思ってます。
よそゆきの。
ということでですね、いろいろとコーチとの会話をですね、今重ねてきて
大橋さんで何回目なのかな、もうでも20…
そんなに?
30人目近くになってくるんですよ。
すごい。
そうなんですよ。で、なんとですね、今スポーツポッドキャスト、スポキャスというのをですね、
初めてですね、おかげさまで累計25万ダウンロードを超えてまして、非常にですね、
制作会社さんの助けられながらやってるんですけど、これ意外と聞いてくださる方たちいっぱいいるんですよね。
今日もですね、大橋コーチのお客様にも聞いていただきたいので、いろいろと大橋コーチを掘り下げていきたいと思います。よろしくお願いします。
まずですね、大橋コーチのキャリアを聞いていきたいなと思ってるんですけど、僕もある程度のことはね、
大橋さんと出会ってから僕9年ぐらいになるんで、ある程度のことは今まで聞いてきたこともあるんですけど、
また改めてね、知りたいなと思うんですけど、まずテニスと出会ったきっかけ。
テニスと出会ったきっかけ、きっかけはですね、ちょっとちょっとね、これは複雑なことがありまして、
複雑な?
はい。もともとは中学時代にバレーボールをやってたんですよ。
部活ですか?
部活で。僕は栃木県の出身で、最後の大会で県大会に行って、関東大会まで行って、
ちょっと話しておきますけど、関東大会の初戦で横浜の中学校に負けたんですよ。
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横浜の?
いや、偶然ね、横浜っていう日は偶然。しかも中学の卒業旅行も横浜に行った。
なんとなく横浜にその時繋がりが初めてできた瞬間。話に戻って、バレーボールをやって、
県大会に行って、関東大会まで行って、そうしましたら、県の選抜選手っていうのに選ばれて、
県代表のメンバーによる全国大会にまで行かせてもらったんですよ。
で、全国大会が12月25日のクリスマスの日ですごい覚えてます。
で、やったんだけど、全国選抜になると中3なのに190センチの人がいっぱいいるわけ。
僕が約175センチで、バレーボールは高さが大事なので、この世界で食っていくのはちょっと難しいなって。
その時、初めて難しいなって思った。
で、12月25日まで毎日練習して試合してたから、当然勉強してなかった。
で、もうなんていうのかな、選手としては難しいなと思って。
一般入試で、栃木県では県立高校、公立が第一志望で、私立が第二志望みたいな感じなのね、田舎の方って。
で、第一志望、県立に行って、スポーツとしてバレーボールをやっていこうかなって思ってた矢先に受験に失敗して、私立の滑り止めに行ったの。
行くしかなくなっちゃった。
そこがなんとバレーボールが県で2位の私立だから強くて、そこでやれって言われて部活に入ったんですよ。
3日間だけ。
で、僕はその時進学クラスに入っちゃってたんで、もう部活には入ってるけど、あんまり試合には出れないよみたいなこと初めに言われちゃったし。
もともと県の一番強い高校から特大で来てたんだけど、そこがさらに田舎で寮生活で丸坊主で身長175センチじゃん、もう難しいなって思っちゃってて。
辞めて一杯入手で落ちて私立のところに行ったわけね。
で、バレーボールに3日間入ったんだけど、なんかもう全然合わなくて、もうそれから自主退部して1年間もんもんと過ごしたんですよ。
で、その時の記憶って暗いからあんまり覚えてないんだけど、なんか母に言われたら家帰ってくるとハニコンばっかりやってるでしょ。
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おばさんは?
うん。あんまり記憶ないの。悪いイメージだから。やってて、なんか秋だ秋だって言われて、なんか運動やらないのって言われて。
で、もともとボール、球技が大好きで、バレーボールやってる時に順番が回ってこないんですよ。
体育館を使う時間が2時間って決まってると、テニスみたくこういつも打てない。
もう自分がこうスパイク、アタック打ちたいのに時間切れみたいな。もんもんとした。
どうせ今度球技やるんだったら、その個人のやってみたいなっていうのがあって、そこで母親からスポーツやらないのって言われて、母親の勤めてるところにテニスコートがあって、
そこの人たちやってるから明日できないよって言われて、そこで初めてテニスやって。
高2の時。
高校2年生なんですか?
そう。高2でやったの。で、それとほぼ同時に地元のスクールに通わせてもらって。
そうなんですね。
でもめっちゃ楽しかった。一番楽しかった。レッスンで一番楽しかったのは、レッスンが終わった後の最後の10分間だけ空きコートになるラリー。
あれが一番楽しかった。本当に。
で、それが高2じゃない?で、また進学校に行ってたので、高3で受験ですとなって、高3の夏までスクール解散。結構長いでしょ。
で、そこでテニス一家辞めて、受験勉強に専念しますみたいなフリで、友達の家にラケット置いて、
終わっては、友達は普通科だったんで、仕事はしなかったんで、もう高卒で就職決まってたんで、暇だったんで、
毎日行っては、ずっと友達と市営コートっていうところでラリーした。
で、宇都宮なんてのも市営コートの1時間200円とか。安い。今思うと、高3の時なんて、2時間ずっと今でもランダ。ランダあれが楽しかった。
で、本当は参考資格からと言って、図書館に行くから、嘘ついてはテニスコート行ってラリーばっかりした。それが高3。
で、高3終わって、自分としては大学にどうしても一人暮らししたかった。一人暮らししたら東京か横浜。都会だから。
だって、色々受けたんだけど、受かったのが結局横浜大学だったわけ。そこで最初に話した横浜との縁が結びついて。
しかもその初めて横浜に住んだところが、関東大会で負けた中学のすぐそばだった。マジかよと思って。ここに負けたのか。
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で、大学行って、部活に入って、テニス三昧を日々をして。でもテニス部って僕は夜間部だったんで。
なぜ夜間部に行ったかって言うと、高校の時の担当の先生に、川上先生って言ってたけど、もはしくはね、絶対浪人しちゃダメ。遊んじゃうから。
受かったらどこでもいいから行きなさいって言われて、もうなかなか夜間部に行って。で、夜間部のテニス部に入って、昼間はフリーなんで。
っていうところで、大学2年生の時に、今の五大博楽にアルバイトとして来た。
大学2年生の時に?
19。で、理由としては、自分の一戸の先輩が東博楽に住んでらっしゃった。
東博楽、はいはい。
それで、すごいその、我々のテニス部の中で、テニスが盛り上がって、もっと上手い人がいると盛り上げなきゃダメだみたいな。
なんかテニスコーチのアルバイトすると、お金ももらえるし、なんか上手いコーチに練習もしてもらえるから、いいらしいよみたいなのが教わって。
で、その先輩が先、先輩が先入った時は、違う、ほぼ同時かな。で、先輩があるよって聞いて、
わざわざ金沢八景から電車乗って博楽まで来て、19の時に初めてアルバイト。
それが五大博楽との出会いだろう。
あ、じゃあその時は、あれですよね、関東学院大学ですよね?
そう。 関東学院大学の近くに住んでたんですか?
そうそう、金沢八景。
で、金沢八景住んでて、で、先輩が東博楽に行ってて、俺の家の近くにスクールあるんだよって。
今みたいなところは、インターネットがなかったから、評判とか全然知らないんじゃない?
でもね、すごい良かった。
なぜかっていうと厳しいで、先輩がいっぱいいて、あ、ここなら俺変われるみたいな、上手くなれるみたいな、思ったのを覚えてる。
じゃあその、高校2年生の時には、バレーボールだったんですけど、一応ネットプレイはしてたわけなんですか?
してたわけなんですよ。
ノーマン系なんてしないのは、それはすごいあると思う。
そうですよね。
その、バレーボールの経験があって、バレーボール始めたのが中学から始めて、その前はスポーツはあんまりしてなかったんですか?
田舎なんで、何でもやってて、一応習ってたのは空手。
空手もやってたんですか?
そう、夏に寒い、窓全開でさ、警戒着一枚で寒い、それで風邪ひかない体質、やってた。決まんなかった、空手は。
でもそこで結構そういったメンタルも結構。
うん、そうですよね。
じゃあそれで空手やって、それでバレーボールやって、で、その中であれなんですね、きっかけはお母さんだったんですね。
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そう、お母さんがやってて。
お母さんはやってたんですか、テニスは。
月に一回ぐらい。
それで、お母さん思ったんでしょうね、スポーツやってた少年が。
はみこまかしたから。
それで行ってみないとなって、その時にテニスを初めてやってみたわけじゃないですか、その時って覚えてますか?
覚えてます、すんごい覚えてる。一応スポーツ全般的に見てて、卓球マスターのクラブとかで、
今言うとバックのスライスってあるじゃないですか、あれを卓球の感じで打ったら全く飛ばないよ、他のはなんとなくできたんだけど、
バックのスライスだけ飛ばなくて、なんだこれはっていうのをすごい覚えてる。
卓球とは違う。
卓球とは違うってこと?
卓球とは違うってこと、ゼフトマネージャーカットしたみたいな。それはすごい鮮明に覚えてる。
その時にふつふつと、これをもっと思ったんですかね、その時の大橋少年は。
もっと上手くなろうって思ったんですか、それともこれ楽しいと思ったんですか。
いや、自分の性格上バレーボールやってる時も真剣にプロになりたい、プロなかったけど選手になりたいと思ってやっちゃうタイプ。
何かある。
テニスもやって、単純に強くなりたいって思ってたから。
でも高校時代は部活に入ってなかったんで、シングルスってやったことなかったんですよ。
スクールだから、ダブルスってやったことが起きて、っていうのを覚えてるけど、
強くなりたいって思っちゃって大学入ってから、周りに強い人がいっぱいいたりして感化されて、
競技って風に見ちゃってたんだ。
そういったアスリート思考があるんですね、元々。
そういうのがないとダメだね。目標がないとつまんない。目標を立てたい。
それがあったからね。
今も話聞いてて、大橋さんの今に繋がってる感が僕はひしひしと感じるんですけど、
その中で大学生の生活の中でアルバイトを、その当時横浜テニスカレッジでスタートさせて、
もうそのまま今に至るわけじゃないですか。
それがきっかけだったわけで、その期間、これ何年になるんですか?
19歳だからぶっちゃけもう27年目?
27年目。その27年間に渡り、もうこれすごいことだなって前から言ってるんですけど、
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ずっとやり続けられた理由たくさんあると思うんですけど、
やり続けられた。
そのところの部分を僕は前から聞きたいなって思ってて。
まず一つはさっき言った自分の競技思考的なところで、
テニスの競技って面白くて、なかなか上手くなんないですよね。
上手くなんないですよね。
上手くなったと思ったらまた違うところ上手くなくなる。
逆に言っちゃうとその代わり、やればやるほど一番成長を感じられるスポーツ。
それが分かりやすい。
仕事とか恋愛とか、それっていうのは自分の中だけで変えられないけど、
テニスってとりあえず練習していけば、それに関しては絶対に上達するのをその場で分かるので、
バレーボールやってた時はチームプレーだから、自分がやりたいこともやらなかったし、
ポジションも決められちゃってるし、
あとは自分が調色しても周りが良くなければダメだし、
こういうのを感じるの。
テニスの面白いところは、全てのショットを自分一人で難しいけどできるわけじゃない。
ああいう人はああいうショットを打って、じゃあ俺もやってみようみたいな、
そういう興味が尽きないスポーツとして。
それが多分、まず一つテニスをずっとやってる一つの原因だと思う。
なるほどですね。
もうだって、テニスって全部自分で責任を持たなきゃいけないわけじゃないですか、
そこにバレーボールと違う面白さを感じたのか、それとも開放感だったんですかね、
バレーボールからの。
いや、全然面白さ。100%面白い。
テニスの方が。
やっぱり今でも求めているものはあると思うんですけど、
今さっきおっしゃってたように、自分で目標設定をして何か目指さないとっていうのがあるじゃないですか、
そういうのを細かく自分で設定する方なんですよ。
例えば、今まで思い返してきて、ここまでにこうやってこれをできるようにしようとか、
例えばこの試合に出るからこうしようとか、どういったモチベーション。
モチベーションって僕大事だと思ってて、続けるには。
楽しいっていうところの中にその設定があったんじゃないかなと思うんですけど、
どうやって自分の中でモチベーションを作ってきたのかなって。
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設定するっていうところで言えば、まずは最終目標は試合。
試合。
今で覚えているのは、20代の頃は試合が毎月ないと本当に練習も適当になっちゃうんですよね。
それが年を取るごとに3ヶ月に1回でも半年でも1回でも、
モチベーションが保てるっていうわけじゃないけど、
仕事に行ったりとか家庭に行ったりとかっていう時間配分がある中で保てるようになって、
設定と言われると一つの大きな試合であったり、目標っていうゴールがあって、
それを逆算してどういう風にしていきたいなっていうのはやってたのかなって思う。
試合に出る楽しみって何歳ぐらい、どれぐらいの時に感じますかね?
だって19の時ってまだ…
19の時って初めてシングルやったの。
そのシングルスの楽しみとかダブルスの楽しみってどういうタイミングで?
これはですね、ちょっと話が矛盾しちゃう感じがする。
あんまり試合は楽しくないんですよ。
あ、そうなんですか。
要は試合っていう目標があるから、自分の体、技術、メンタルを上げていくっていうツールなの。
テニスはね。自分の人生なのに。
試合っていうのは何がいいかっていうと、やっぱり勝ちたいわけ。
勝ったら嬉しいけど、例えばシングルスで背で負けると、昔はよく自分の人生を否定された感になるわけ。
だけど、目標がないと自分のモチベーションを保てないからって。
でも試合は緊張するわけよ。緊張してなの。
だいたい練習とかできなくて負けて、また俺みたいなのを繰り返してる。
繰り返してる。
でも試合っていう目標がないと保てないよな。
でも試合って緊張するよな。でも勝ったら嬉しいよな。
あともう一個はテニスコーチっていう職業なんで、職業からやっぱり成績っていうのは何らかんだ言っても必要な部分はあったので、
若い時は横浜市議大会とか全業選手権とか目指してシコシコと練習して試合で立ったっていうのはあった。
試合手でどうしても緊張しますからね。
だからその過程をすごい楽しんでるわけなんですよ。
本当はもしかすると試合って無くても、昔は今だったら大丈夫なのかもしれない。
でもやっぱりどっかで試すっていうか。
あとね、試合っていうのは自分の中では自分を試してるわけ。
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その緊張した状態とか状況とか、不利な状況ってどれだけ自分の人間性がいつも通りできるのかみたいなのを試してる。
お前今俺ジャッジ嘘ついたんじゃないかとか、今イラッとしたんじゃないかとか、そういうのを試してるのでもあるのね。
俺ってちっちゃいなっていつも思いながら。
試合っていうか結構あれなんですよね、ストイックですよね。
ストイック?ジャッジ?ほら。
なんだろうな。
でもストイックってストイックですよね。
だってもうアサレンのルーティーンってもう何年続けてますか?
分かんない。
分かんないんですよね。
誰よりも早く来て準備してっていうのを。
年を取るごとにさ、準備もかかるわけよ。正直正直。
体が温まるとかね。
年を取るごとに朝も早くなるね。それは夜は早いね。
あと家庭のリズムとか。
朝しか時間がないよね。
でもそういった中でずっとやり続けてきたっていうところが僕はすごいなと思うんですけど。
そういった流れで目標とか設定とか。
前ちょっと今フレーズ出ましたけど、コーチなんでっていうところでレッスンっていうところがあるんですけど。
そのレッスンも27年間ずっとこういった形で。
もうおそらく何人に出会ってきたか分からないと思うんですけど。
すごい数ですよね。
はくらくおかげさまで僕らはだいたい約ここに3000人ぐらいのお客さんが出入りしてくださってるんですけど。
そう考えると何万人ですよね。今まで出会ってきたレッスンした人っていうのは。
そこのレッスンっていうものをずっと自分の職業として、そしてプロコーチとしてやり続けてきている。
そこのモチベーションとか理由とかそういったところを聞きたいんですけど。
ついにセキュララに勝った時が来て。
正直レッスンはあんまり好きじゃない。
好きじゃなかった。
好きじゃなかった。
意外。
いや本当に好きって言われるのは好きじゃない。
なぜかというと好きなんだけどプレッシャーなの。
お客様に楽しんでもらえ、毎回楽しんで笑顔になってもらってすごい難しい。
それが1日1レッスンなのか3レッスンなのか5レッスンなのかで自分の気持ち的なエネルギーとか体的なエネルギーがあるので。
あとは次のメニューを考えるって寝るわけじゃない。寝れないわけだから。
それが大変。
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しかも簡単に休めないでしょ。
それがすごいプレッシャーで。
そういうところから見るとレッスンってあんまり好きじゃない。
今でも大変なの。正直言うと。
だけどやっぱりレッスンがうまくいってお客様が笑顔になってくれて自然とお客様同士がつながっていくのを見てるのはすごい幸せを感じる。
それはすごい幸せを感じる。
嫌いとか好き嫌いっていうあれじゃないですよね。
目の前の1つ1つのレッスンに本気で考えるからこそ出る苦労というかしんどさですよね。
だってメニュー作るのってそんなに簡単じゃないし、あと人数が変わればレッスンで世界が変わるじゃないですか。
人数、男女比率とか年齢とかニーズもあるから。
そういった意味では好きだからっていうことではなくて、そこにかける力。
どんなお仕事でも大変さはあるんですけど、そういった中での部分では時間がかかりますよね。
レッスンに入るまでの。これは若いコーチにぜひ聞いてもらいたいですね。
実際にレッスンをやり終えて、それで1つ1つでお客さんが満足した顔で帰ってもらうっていうのをずっと続けた中で、
お客さんのためにっていうところってすごい強いと思うんですけど、
何かレッスンをずっと提供し続けて、今までのキャリアを築いてきた中で、
大橋さんが常にテニスを楽しんでもらっているお客さんに対して、どんなことを伝えたいなと思いながらやってるんですか。
伝えたい。
伝えたいというか、テニスをやってらっしゃる、今受けてくださっているスクール生の方たちとか、
例えばですけど、これからテニスに出会うであろう人たちとか、何かを伝えたいっていうところってあるんじゃないのかなと思ってて。
伝えたいっていうのを優先している感じじゃなくて、来てくれているお客さんを喜ばせたいが優先。
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その中で伝えられることがあるかなみたいな感じ。
自分が伝えたいことをどうしてもあって、レッスンに来てくれている方を、じゃなくて、来てくれてくれている人を何とか。
で、自分もテニス楽しかったし、やっぱりテニスっていいスポーツで、頭も良くなるし、健康にもいいし、心的にもいいし、
いろんなことをテニスで僕は教わったんですね。本当にここでは喋れないけど、いろんなことがあって、
テニスって本当にいいなって思っているので、テニスで応援して来てくれているお客さんがいらっしゃるから、
じゃあ来てくれたからには、こっちは何か楽しませてあげる、喜ばせてあげる、満足させたいなっていう思いだけ。
その中にテニスを絶対に上達させるとか、テニスで悩んでいることはプロ講師として絶対に答えられるように、
常に勉強して努力はしてますけど、レッスン伝えたいって言われたら、来てくれている人を喜ばせたいっていうのが一番ですかね。
もう今ちょっといい話だったんで、カットします。
いや、喜ばせたい。すごい。
なんか落ち込んでいる人を見るのがすごい悲しくなっちゃうタイプね。
職場でも道端でも、かといって人見知りなんで声をかけられないんですけど、そういうのが気になっちゃう。
遠巻きに大丈夫かなって。
内向的で人見知りだから。名前は明るいんだけど、これ結構ギャップがある。
明るいんだけど意外と人見知り。
人見知りに見られないですよね。
そう、レッスン中も大丈夫。仕事ってしたら普段は結構寡黙なの。
そうなんですよね。だから勘違いされやすいよね。
結構されやすいよね。
そうなんですよ。
そうなんですか、そうなんですか。
なるほど。今日なんかちょっといい話聞いちゃったんで、お蔵入りにしようかなと思って。
さらにですね、キャリアをその30年、まだまだ上には上がいるので、まだまだ目指せる部分はあると思うんですけど、
最後にですね、今後のどういうビジョンを持ってテニスをコーチにしたいというところ。
そして、あとはお客さんに対してメッセージをいただきたいなと思うんですけど。
そうですね、まずお客様に対しては本当にテニスっていうスポーツを通じて、心も体もあそこに行ったらまた若返った、また楽しかった、また行きたいなと思ってもらえるようなレッスンを提供し続けたい。
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そのために自分もテニスの練習、勉強、人間の勉強、いろいろしていかなきゃいけないなと思ってて。
もう本当に、もうなんていうのかな、施設がある限り来てくれるお客様を満足させて。それが一つ。
あと何でしたっけ。
自分のビジョンか。
自分のビジョンで言うと、先ほども言いましたけど、本当に僕はテニスっていうスポーツに出会って、たまたま横浜の今で五大博楽に勤めさせてもらって。
ぶっちゃけ地元の時の記憶がないぐらい勉強させてもらって、自分なりに成長できたっていうのを日々実感させてもらってるので、願わけばそういうふうに思える人材、コーチの育成とかをやってみたいですよね。
なるほど。まさに僕なんか、そうだったって思いましたよね、冒頭で。横浜市出身じゃなかったって。
もうそれぐらいここの博楽が地元みたいな形でずっとやってきて。
でもまさに今、これからテニス界もコーチをずっと育てていかなければいけない状況にもなってきてるので。
また、そして今、五大スポーツアカデミーっていう専門学校もあるので、そういった中で今の若いコーチの育成と、これから未来に向けてテニス界に入ってくるっていうところ。
そして、今いる目の前のお客様、勉強しなきゃいけないってことですよね、いろいろと。
足りない。
そういったところをイメージしながら、これからさらにキャリアを伸ばしていくという。
今日は大橋コーチの素晴らしいお話を聞けちゃったので、いろんなところをカットして編集しております。
またぜひお付き合いください。
どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。