1. すぽきゃすTV
  2. 第37回【GODAI亀戸テニスコー..

【テニスが大好き】理由はない。だたラリーしているだけでも幸せ。
中学時代ソフトテニスから始め、高校は全寮制の学校に入り、テニス部へ。隙あらば、テニスコートへ行く高校生活を送った。
たまたま雑誌で見た求人広告のキャッチコピーに心を打たれGODAIへ!シンプルなのに面白い伊藤コーチのテニス人生!





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【GODAIスポーツポッドキャストすぽきゃす】
この番組は、スポーツを通じて人々の健康生活の実現を目指す
GODAIグループの提供でお届けいたします。
はい、それでは本日は亀戸支店、伊藤コーチです。よろしくお願いします。
お願いします。
はい、亀戸コーチ。ポッドキャスト、スポーキャスト始まって以来の
はい。
寒ペを用意しているの初めてです。
言っちゃダメっすよ。
寒ペを用意してきて、ここまで用意周到にね、ちゃんと用意してくれたの、準備をね、してくれたのは伊藤さんが初めてです。
いや、これは僕が言っちゃうよ。嬉しいんですよ。嬉しいです。
ほんとですか?
嬉しいです。みんなね、もう本当に裸一貫で来るんで。
なんか、石崎がうまくやってくれるんでしょ?的な感じでやるんで。
僕もこう言っちゃうんですけど、もう30回以上やってるんですけど、これ結構大変なんですよ。
はい。
伊藤さんなんか自分の中でちゃんとまとめて、今までの人がね、まとまってないから何も考えてないってわけじゃないですけど。
はい。
ちょっとそういう準備をしてるの笑っちゃったんですけど。
はい。
いやあの、伊藤コーチも僕ら出会ってですね、実は何年目になるか知ってます?
そうですね。ちょっと細かくはわかるんですけど、10年ぐらいですかね。
10年は経ってないんですけど。
10年は経ってないんですけど、もうすぐ9年ぐらいになるんですよ。
あ、ほんとですか。
そうなんですよ。
えー。
最初のファーストコンタクトってどんなんだったかなとかって、伊藤さんと話す前にどうだったかなと思いながら、
まあ色々僕も思い出がたくさんあるんですけど。
はい。
今日は僕らの思い出というよりはですね、伊藤コーチを深掘りしていくっていうね。
まあ色々と事前から聞いてたんですけど、ポッドキャストをたくさん聞いてくれているうちの一人ということで。
はい。
実はこれ30万ダウンロードを超えてですね、そのうちの29万ダウンロードは伊藤さんなんじゃないですか。
僕ですね。
それぐらいの勢いで全員聞いてくれてるっていうところなんで、
まあ今日はね、楽しいトークができるんじゃないかなという。
はい。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい。伊藤コーチはですね早速、テニスヒストリーというかどういうきっかけで、
どんな出会いがあってテニスを始めてきたのか、そしてここまで来たのかっていうところをお聞きしたいんですけど。
はい。
一番最初にテニスを出会ったんですか?いつですか?
そうですね。始めたのが中学校の暗色で、これはよくあるパターンなんですけど、
なんとなく球技が好きで。
03:02
そうですね。
あと個人種目っていうのも結構好きで。
はい。
それでなんとなくしましたね。
卓球とかも気合じゃなかったし楽しかったんで、
まあそのなんとなくで入ったのが始まりです。
そのなんとなくって何だったんですかね?今思うとどんな感じですか?今でもなんとなくですか?
なんとなくですね。
でもちょっと母親が少しだけやってました。
家にラケットは落ちてたというか。
でも見てたんだラケット。
僕が小さい頃にやってたぐらいなんで、親が昔やってたなぐらいな感じで、それはあんまり書けないですね。
そうですか?
はい。
でも見てたっていうのでも大きいんじゃないですかね。小さい頃からね。
ラケットってこれなんだろうっていうね。触ってたのが落ちないですよね。
そうですね。
団体と個人って言ったら個人のほうが好きなんですか?
個人のほうが好きです。
テニス始めて後から団体戦もあるっていうのが分かって、個人なんですけど団体戦の良さっていうのがそれも味わえる。
ダブルで味わえるなっていうのが後からこれいいなっていうのは思いましたね。
個人戦っていうのは好きでいいなって思って入ったんですけど。
なるほど。
公式に転校していくわけですよね。
はい。
そのきっかけはやっぱり中学卒業して高校に入った時ですか?
そうですね。高校で行く高校が決まってそこに公式テニス部があると。逆に軟式がないっていうのが分かってましたので、その時点でその時も公式の方が楽しそうだなっていうのがあったので公式やろうっていうのがありました。
それで僕高校は全寮生の学校に行ったんですけど、だから春から寮に入るって分かってたんで。
なので中学卒業するぐらいの一学期だけですかね、ここで作るという一学期だけ近所のテニススクールに通いました。
その時に何もかも持ち方も違うわ、何も違うわっていうのがあって、そこで結構コージに立てついたんですけど。
立てついたんですか?
なんか上向きの面でボールが下に行くわけないでしょみたいな感じでコージに行って、いや行くんだよみたいな感じで言われて。
でもその時すごい楽しくてテニススクールが。今でも覚えてるんですけど、水曜日の夜9時のクラスだったんですけど、大人の方と混ざってやってて。
でもそのレッスン始まる前のロッカールームで着替えてる時がもうテンションのマックスで、うわーって感じのぐらい楽しみで、めちゃくちゃ楽しかったです。
何がそんなに操作されてたんですか、当時の伊藤少年を。
テニスが好きだっていうのもあったし、春から公式始めるっていう期待感もあり、テニススクールっていうのはやっぱりある程度コージがいて、上手な人がいて仕切ってくれるっていう環境がすごい楽しかったですね。
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でも始めたばっかりだったんですよね。
スクールで初めて公式やりました。ホームラン連発してすげー怒られましたけど。
着替えてる時はワクワクしてたんですよね。
終わった瞬間から次の水曜日の夜9時が待ち遠しくて、水曜日の夜9時を中心に生きてました。
周り大人じゃないですか。当時伊藤少年は、夜のクラスで。
その人たちと一緒にやることが楽しかったのか、それとも公式テニスをやること自体が楽しかったのか。
完全にそれですね。
自分がもう。
どんな人がいたかも覚えてないですし。
中3ですもんね。
とにかく公式テニスをこれからやるっていうところに対して教えてくれて。
のめり込んだんですね。
めちゃくちゃ楽しかったです。
当時はそれはどこだったんですか?住んでた場所は。
僕地元が川崎なんで、今はもうないんですけど。
川崎のスクールに行ったんですね。
はい、そうですね。
その後、全寮生の。
はい。
全寮生ってまたどこかに行ったんですか?地方に行ったんですか?
そんなでもないですけど、東京の高雄っていう駅からタクシーで、みんなで。
バスが通ってない場所なんで、相乗りで20分30分くらいかかる場所の高校に行ってました。
全寮生なんですね。
はい。
高雄って高雄さんの高雄ですか?
そうそうそうそう。高雄さんの高雄です。
なんていう高校なんですか?
今でもその高校はあるんですけど、
聖パウロ学園高等学校です。
聖パウロ?
はい。
もう完全にキリスト教の匂いしかしないんですけど。
そうですね、でもみんな聖書みたいなの買わされてましたけど、みんな枕にして授業中で寝てました。
ごめん、そんなこと言っちゃいけないですね。
でもあれなんですけど、やっぱりキリスト教ですよね、これね。
キリスト教で聖書とか賛美歌とか。
そんなでもないですね。
そんなでもないですね。クリスマスとあと校長による聖書の授業があるぐらいで。
でもクリスチャンなのは校長だけで。
みんながクリスチャンになるわけじゃないですけど、でもそういう学校の教育方針っていうところに聖書があるわけですよね。
そうですね。
清められました?
そういうわけじゃないです。
相当清められましたね。
清められてますね、なるほど。
そこにテニス部があって、3年間やるわけですけども、その3年間はどんな生活だったんですか、公式テニス部。
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そもそも人数が少なくて、一学年30人いないような学校だったんで、だから各部活数人しかないですね。
全員運動部に入るのは義務なんですけど、みんなバラバラの部活に入るんで。
なのでテニス部も例外なく学年4人ぐらいですかね。
で、3学年合わせて10人いないかぐらいで。
やっぱりみんな義務で入らなくちゃいけないんで、運動部義務なんで。
なので一番テニスが楽なんじゃないみたいな感じで来る子もいるんで。
経験者がその中で全体で、数人ぐらいで。
そんな環境でしたね。
なんか良かったな、3年間続けてて。
もう3年間ずっとワクワクしてたんですか、スクールに通った時みたいに。
楽しかったですね。
しかも山の、その学校山の中なんですけど、山って夕暮れが早くて、授業が4時に終わって4時半に暗くなるんで。
高尾は。
そんな違うんですね。
なのでもう本当にちょっとしかできなくて。
雪も降りません?冬って。
めっちゃ降りますね。
膝ぐらいまで降りますね、降るときは。
その少ない時間を。
コモンの先生が車のヘッドライトで照らしてくれるんですけど。
全然見づらいですよね。
僕も高校町田の方だったんで、町田と八王子寄りだったから、ヘッドライトで照らされてましたよね。
よくありますよね。
そうっすね。
そんな感じで。
でも周りもそんなに経験者もいないし、自己流で雑誌見ながら。
自己流だったんですね。
やっぱりソフトテニスから、高校にもそういうちゃんとしたコーチっていうか、先生がいらっしゃったと思うんですけど、コモンの先生が。
だけどちゃんと専門的に教えてくれるっていうわけではなかった?
そうですね。でもコモンの先生は体育の先生だったんで、テニス初心者だったんですけど。
一生懸命練習していろいろ教えてくださりましたね。
大会時代にも土日しかうち学校出れないんで、日曜日にほかの近くの学校と練習所で組んでくださったり、一生懸命すごいやってくれたのを覚えてます。
先生ってすごいですよね。今更ながらなんですけど、改めて。先生もテニスの未経験者だったわけじゃないですか。
そうですよ。
そういう高校もありますもんね。多いですよね、今はね。一生懸命教えてくれた。先生のおかげもあります?やっぱり続け、楽しくやれたっていう。
そうですね。先生がいろいろサポートしてくれたし。ガッととか張り切りもないですよね。
ガッと張り切りもない。
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なので先生に渡して、先生に八王子のウィンザーまで行ってもらって。
今は亡き八王子のウィンザー。
八王子のウィンザー。
ウィンザーに先生が行って、わざわざお金渡して行ってきてくれて、持ってきてくれたんですけど。
友達の。
俺の先生大変でしたね。
ハードヒットの友達が先生が仕上げて持ってきてくれたガッとを、ちょっと試し打ちで一発目で切って。先生またお願いみたいな。
そういう部分でもちょっといろいろ迷惑かけたし、いろいろしてくれましたね。
いやすごいな。高尾だと周りになかったんでしょうね。ガッと張れる場所が。今はあるかもしれないですけどね。
そうですね。
なるほど。その後ずっと続けてきたわけですよね。辞めることなく。
そうですね。はい。
その公式を3年間やってる中で、ずっと続けられてきた、今思うとテニスの楽しさって、伊藤コーチの中でのテニスの楽しさって何ですか?
僕はラリーとゲームが好きで、ずっとラリーしてすぐゲームしようぜって。
そうですね。ゲームって、やっぱりラリーだとめちゃくちゃ打つ人もいますけど、ゲームってなると勝ちたいってお互い思うんで、やっぱり打つ人も打たなくなったりしますよね。
お互いミスしない中で何ができるかっていう勝負がすごい好きで、それでゲームは好きですね。
ラリーは単純に楽しい。ボーデータやストロークも楽しいし、ロングラリーも楽しいし、ラリーとゲームっていうのがすごく楽しくて。
さっきは夜は、平日は30分ぐらいしかできない季節もあるって言ったんですけど、土日だと一日でできるんですよ。
なのでちょっと周りの人を誘うんですけど。
全寮制だからか。そっかそっかそっか。
誘うんですけど、みんな眠いとかラリーとか言って、その人を頼むって引っ張り出して一緒にやってもらいましたね。
なんかでもほんと変わんないですね。今でもね、だって練習大好きですもんね。
そうですね。
その後、高校卒業してまだテニスを続けるわけですよね。
はい。
その次はどんな形で進学したんですか?
基本的に僕はチャランポランでだらしないんで、受験大学、現役の時は勉強したんですけどダメでもう浪人したんですけど。
予備校もほとんど行ってないですね。
テニスをやったり?
その時最初に登場したテニススクールで、浪人中も運動不足はいかんと思ってスクール通ったんですよね。
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そしたらそこで、コーチじゃないんですけど少し手伝ってって言われて、結局手伝う代わりにコート自由に使っていいよって言われて、結局ずっとそこでテニスやってた。
テニスやってたって。
浪人中に遊んだりもしてましたし、そこでテニスやってて。そんな困難でいい大学に行けるわけもなく、最初は短大に行ったんですね。
そこでも部活に入ってやったんですけど、高校の時と同じで短大なんで、上手な人があんまりいなくて、どんどん欲が出てきて、うまいとこでやりたいなって思って。
そこで短大って変入できるんですけど、調べて、僕の今の頭で行けるとこはどこだって言ったら、いくつか出てきた中で湘南高科大学が出てきたんですよね。
ここ変入受け付けてるし、そんなに行けるんじゃないかっていう偏差値だったんで、ここで自分より強い人がバリバリいる中でそういう感じでテニスしたいと思って変入して、なんとか受かったんですね。
小校って言ったら高校はインターハイとか全国選抜とか優勝しちゃう超名門ですよね。
受かった瞬間に行ったんですよね。秋ぐらいにテストがあって、春から入る伊藤ですと変入で3年から入りました。今から部活に参加させてくださいって言って。
まだ短大生だったんですけど、毎日湘南高科行ってて。先輩には上手な人がいたんですけど、湘南高科は意外と俺と同じくらいだなって。
後からわかったんですけど、湘南高科って大学はテニス部は高校はめちゃくちゃ強いんですけど、みんな出てちゃうんですよね。
その上には行かないんですよ。
当然環境はすごく良くて、高校生は周りでガンガン打ってる。大学生はあんまり上がってこないからそんなでもなくて、僕とどっこいどっこいの人がいるくらいな感じで調べが足りなかったですね。
でも同じレベルというか、切磋琢磨できる人がいたってことですよね。
逆に良かったんじゃないですかね。
うちの芝風、人工芝、変えてくれてる。
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短大の方ですね。
大Xの彼は。
短大というか小校ではないんですよね。
そこの時に別れちゃったんですね。
でも彼はテニスやってなかったんですか?
テニス部ですよ。
今カメイドで。
今やってくれてるんですよね。
ダイアティクスのナスの感がね。
いろいろと芝を守ってくれてますけど。
この前もやってくれたばかりですよ。
メンテナンスを。
そうですね。テニスちょっとかじってたからそういうのが。
今そういうテニスのコートを作る仕事を。
そういった形でテニスがめちゃくちゃ好きになって、
理由はないっていう感じですよね。今まで聞いてるとね。
大好きなんだっていう感じなんですけど。
その後、大学を4大を編入して卒業して、
今に至るって思うんですけど、
その後の5大とのきっかけってなんだったんですか?
大学のテニス部は、
そうですね。大学のテニス部の最後のリーグが終わって、
あと就職まで半年というところで、
テニスコーチやったらもっと上手な人がいっぱいいるんじゃないかと。
上手い人がいる環境を求めて、
みんな一緒なんですけどね。
テニス練習できて上手な人がいて、
アルバイト代もいただけるという一石二鳥で、
テニス雑誌で探しました。
雑誌で?
そこで、一応大学が辻堂で、家が川崎だったので、
その間だったらどこでもいいやっていう範囲で、
当時のテニスマガジンかなんかで探したんですけど、
他のスクールはコーチ募集、経験3年以上、
経験者優遇とかありきたりな文言があったんですけど、
横浜テニスカレッジの募集だけはちょっと違ったんですよね。
そうなんですか?何だったんですか?
一言、テニスに熱い奴募集。
ウェーって書いてあったんですよ。
本当にそれだったんですか?
テニスに熱い奴募集って書いてあって、
若干一人懐かしい声が聞こえたんですよね。
なるほど。テニスに熱い奴募集って書いてあったんです。
経験も何もなくテニスに熱い奴募集って書いてあって、
それで速攻電話したんですよね。
横浜テニスカレッジの。
21:00
当時その雑誌の掲載を、文字を考えられた
っていう人事担当のコーチに電話して、
そしたらそういう話で、
じゃあもう、すぐ来てくれっていう感じになって。
じゃあもう本当見て、雑誌見て、
テニスに熱い奴募集、電話して。
もう俺だと思って。
いやそうですね、まさにね。
でもその人も勝手でテニスに熱い奴募集とか書いておいて、
伊藤君はテニスの成績はどんな感じ?って。
大学で関東学生って言って、
関東で64人に入ったの?って言われて、
いやーそこまで行かなかったんですよねって言ったら、
あ、そう?って逆に一気にテンション冷めてるのが分かったんですよね。
向こうもテニス上手い人求めてる。
熱い奴より、本当上手い奴募集だったんだけど。
いやーそこまで行かなくて、
じゃあね、今度ね、日曜日に来るといいよみたいな。
それはもうすぐ感じ取っちゃったわけですね。
しょうがないと思って。
でも日曜日おいでって話は。
そうですね、当然その人いなくて。
日曜日いなくて。
いない。
でも話しつけておいてくれて、参加した時に、
やっぱりみんな、学生とか社員の子、職業コーチの方がいたんですけど、
全員コーチだった。
自分はコーチじゃないから、
コーチの希望生なんで、
もうすごい嬉しかったですね。
みんなが上手いと。
で、後から分かったんですけど、
横浜テニスカレッジはテニス上手い人が他のスクールより多くて、
そこで初めて中、高、大ってやってきて、
自分より明らかに上手い人がゴロゴロいるっていう環境がめちゃくちゃ楽しくて、
土曜と日曜日の夜、当時研修やってたんですけど、
あと月曜日の朝もやってましたね。
もうフル参加で。
お前学校いいのか?みたいな。
いや、学校行ってないです。
月曜日の朝に研修、土日の夜も研修来て、
そう、すごく嬉しかったですね。
自分より上手い人がゴロゴロいるっていうのはすごく嬉しかったです。
でもそう考えると、
高校の時からの願いがやっと叶ったっていう。
そうなんですよね。
それが大学生の2年生の時ですね。
それが、そういったことが雑誌で見て、
自分で求めたところがこれだというところで。
で、それが何歳ですか?
20?
20歳?
それが、何歳ですか?
22、23ですか?
いやいやいや。
僕、最後に言いましたけど、チャランポランなんで。
もう余計多く勉強してるんで、
6年くらい大学。
24:01
行ってますね。
導入もしてますね。
なのでもう半ばですね。
半ばになってますね。
でもそれで行き先が決まって、
でもそこが例えば20年、5、6になっちゃうとするじゃないですか。
その時に。
そうですね、4、5でしたね。
4、5で、そこから、
もう何年目になりましたか?今ね。
今、15年です。
15年ですよね。
15年。
15年、また、何て言うんでしょう。
その熱い気持ちを忘れず、
やり続けてこれた、そのテニスコーチとして。
テニスコーチとしてやり続けられた理由って、
いくつもあると思うんですけど、
どういったところなんですか?
そうですね。
テニスコーチになったっていうのも、
そもそもなんか教えるのが好きとか、
そんなかっこいいんじゃなくて、
ただテニス続けたいだけ。
就職したくないだけみたいな。
なるほど。
僕、さっき半年限定でアルバイトするつもりで、
引退してからなんです。
当然、もう普通に就職しなきゃいけないんだなって、
思ってたんですね。
だけど、アルバイトしてると、
先輩方が、
この人たち毎日来てるけど、
普段何やってるんだろうって思ったんですよ。
ここの横浜テニスカレッジの人たち。
元々通ってたスクールが、
みんな仕事しながらアルバイトコーチやってたんです。
なるほど。
テニスコーチの社員っていうのがあるのが分からなくて、
みんな片手間でコーチやってると思ってたんですね。
でも、今でも活躍されてる大橋コーチとか、
初先輩方が、
この人集合でいるなと思って、
え?と思って、
よくよく聞いてみると、
これって仕事にできるんだと思って。
そういう感覚なかったんですか?
なかったです、全く。
へー。
親にも迷惑かけたから、
仕事しなきゃと思ってたんですけど、
最終的に就活してるフリしてて、
意を決して、
自分のお父さんとお母さんに、
ちょっといい?って言って、
普段そんな話しないんですけど、
チャランポランなんで、
さすがにそれは言わなきゃ悪いなと思って、
で、ちょっと俺今アルバイトしてるところで、
テニスコーチ続けて、
アルバイトして続けて、
将来的にはそういう仕事にしたい、
っていう風に伝えたら、
すげー怒られるかと思ったんですよ。
そしたらお父さんが、
もうそうしろって言って、
で、お母さんもそうだそうだって言うんですよ。
なんだって思って、
すげードキドキしていったのにって思ったら、
そしたらお母さんが、
あんたもう大学も行かないし、
一元なんか行ったことないし、
テニスしかやってないし、
そのくせ試合だと、
27:01
4時だろうが5時だろうが、
栃木だろうが群馬だろうが、
山梨だろうが行くじゃないって言って、
もうそうじゃないと、
あんた仕事続かないよって言われて、
テニスじゃないとって言われて、
おーすげー表紙抜けたなと思って、
だけどまあすげー親は分かってんだな、
というぐらいちょっと僕が、
うん、テニスはちゃんとやってる、
それ以外はダメだみたいなことはバレてましたね。
まあそれはもう見たら分かったんでしょうね、
それはね。
今の話聞いてるだけでも、
テニスしかないとは思わないですけど、
うん、
やっぱりもう、
理屈じゃないんですよね、
テニスが本当に大好きなんですよね、
うーん、
もうそこで、
それでもう、
親もそう思ってくれたらもう、
って言って、
そのまま就活しないで、
このまま続けさせてくださいと、
ああ、ということなんですね。
最終的にちゃんと学校は一応、
けじめをつけたんですか?
ああ、いやもう、
後輩総動員で卒業しました。
部活なんで、
部室にレポートも全部あるし、
僕留年もしてるから、
後輩と同じ学年なんですよね。
はいはいはい、
後輩がもうちょっと色々、
出席も取っときましたみたいな。
もう学校そっちのけで、
授業そっちのけで、
テニスに没頭して、
最終的には、
自分の就職先も決めて、
はい。
それでやっぱ15年って、
でも、
すごい長いキャリアだと思うんですよ。
で、やっぱ好きだけでは、
あのー、
なんていうんですか、
15年って、
歩めなかったんじゃないのかなって、
僕は勝手に思うんですけど、
はい。
やっぱその15年の中で、
色々と努力もあったでしょうし、
やっぱりテニスが好きだけでは、
はい。
コーチっていう仕事は、
まさにね、
やってると思うんですけど、
15年やってるとできないじゃないですか、
はい。
そういった中で、
やはり苦しい時も、
悲しい時もあったと思うんですけど、
そういったものを、
15年続けられた理由っていうか、
好きな以外のところっていうのは、
どんなところを感じますか。
好きな以外のところって、
おっしゃってましたけど、
好きが、
常に、
支えてくれましたね。
そうですね。
好きだからこそね、
できたっていうところで、
やっぱりレッスンって、
自分の、
自分がこうやって提供していくものなんですけど、
はい。
形のないものであって、
お客様あってのっていうところになってくるわけじゃないですか。
そうですね。
石崎さんが言ったみたいに、
やっぱ人が好きなんで、
30:01
すごい人が好きなんで、
子供も好きですし、
やっぱりそういうところでレッスンしてて、
喜んでくださったり、
うまくいったよって報告してくださったり、
子供がテニスだけは休まないって、
保護者の方から教えてもらったり、
主婦の方が普段大変だけど、
テニスやるとスカッとするのよねって、
言ってくださったりするっていうのは、
そういう風に言葉として言ってくれることが、
これだけやってればたびたび、
ちょこちょこあるので、
それがやっぱり、
そうですね、
疲れてる体にガソリン入れてくれるじゃないですけど、
っていうのは絶対あると思います。
はい。
どういったことをレッスンで伝えていきたい?
自分の中でそういったものってテーマとか、
自分の中でこういったことがあって、
自分の中でこういったことを軸にして、
レッスンをやってるってことってあるんですか?
そうですね。
まずはしっかり来てもらってるんで、
もう汗びっしょりかいてほしいですね。
運動量とか。
とにかくやっぱり汗をたくさんかけるように、
ストレスっていうところとか、
ストレス発散とか、そういったところですか?
はい。で、あともちろん上達も。
テニスは上手くなればなるほど、
楽しさが増すと、
経験が浅い方はそれなりの楽しさってあると思うんですけど、
楽しくなるとそれなりに楽しさの深みっていうのが出てくるんで、
やっぱり上達は不可欠なんで、
上達も絶対していただいた方が面白いし、
続けていただけるし、
気をつけてるのはその人の持ち方とか、
身体能力とか見て、
それを尊重して、長所を尊重して、
何かアドバイスができたらいいなっていうのは常に思ってます。
はい。
テニス大好き人間の伊藤コーチから、
テニスをもっと大好きになるためのコツって何かあります?
これ完璧に書いてないですよね?
書いてないです。
いやー、難しいですね。
最初から楽しかったんで。
でもそれって人それぞれですよね。
試合はもういいっていう人もいらっしゃいますし、
打ち合いが繋がればいいという人もいますし、
思いっきり強くバチンと打てれば気持ちいいのもありますし、
でもやっぱりそこが自分が楽しい。
強く打つのが楽しいとか、
繋がるのが楽しいとか、
試合に勝ったら楽しいとか、
自分が楽しいと思うことだけやってればいいっていう。
そういった自分の楽しいポイント、
嬉しいポイントみたいなところを追求するというか、
見つけるっていうところですか?
33:00
そうですね。
僕なんか試合好きなんで、
そうやったらちょっとっていう風に言いたくなる時もあるんですけど、
次回にお話をして、
僕はバチンと打ちたいんだっていう方がいれば、
絶対そこは尊重しますし、
でもさっきの質問に戻ると、
楽しいってことはやっぱり、
やっぱり別にテニスは勝ち負けっていうのもありますけど、
別にそんなんどうでもいいじゃないですか。
そこをこだわりたい人はこだわればいいし、
速いボールを打ちたければ打てばいいし、
キックサーブを跳ねさせたければそこを練習すればいいし、
なんかもう本当にそうだなと思います。
なるほどですね。
今日もすごい伊藤さんの良さというか、
そういったところが色々と聞けて、
僕個人的にはすごい良いお話できたなと思うんですけど、
さらに最後ですね、
プレッシャーをかけるようですけど、
伊藤さんのですね、今、
伊藤コーチはずっと博楽が担当が長くて、
去年ですね、
亀井戸支店に移動になってというところで、
これを多分聞いてくれている、
今までこれでですね、
30万ダウンロード、
これからも30万ダウンロードを超えているので、
おそらく伊藤コーチの元、
担当されていたお客様が聞いてくれると思いますし、
今亀井戸で担当しているお客様もですね、
聞いてくれると思いますので、
そのお客様たちにですね、
熱いテニスのメッセージを最後いただきたいんですけど。
はい。
そうですね、今までレッスンに関しては
自分の考えとか思いでやってきました。
今亀井戸に行って、
コーチが違えば、
いろいろな理論を持っているコーチもいますし、
いろいろな練習法を知っているコーチもいます。
そこについていこうと思って、
亀井戸の方で人気があるコーチの
いろいろ勉強させてもらって、
勉強は自分の考えだけじゃなくて、
他の人の意見も取り入れなきゃなと思っています。
なので、博楽で今まで私と長くご一緒してくださった方には
本当に感謝しています。
自分の思いだけでちょっと狭い部分の指導も
あったかもしれないんですけど、
長く付き合ってくれて、とても感謝しています。
これから亀井戸では、やっぱりいろんな知識を入れて、
さっきお話しした運動量と上達と、
いろんなところを伝えられるようにしていきますので、
これからご一緒する方、よろしくお願いします。
将来的に博楽に戻ることがあるかもしれないので、
もしその時が来れば、そういう風に大きくなって、
36:00
もっともっと恩返しができるように、
こういう風に知識が増えて、また新しいことを
教えてもらったなと思っていただけるように、
今、修行中です。
亀井戸で頑張っています。
博楽の皆さん、またいつかお会いして、
できることを楽しみにしていますし、
亀井戸の皆さんはこれから、よろしくお願いします。
ありがとうございます。
最後、いいコメントだったので、
全部カットしてもらいたいんですけど。
カット、絶対出ますよね。
大体僕、いい話はカットしたいなと思って、
編集のキック太郎さんにお願いするんですけど、
いい話は流した方がいいということで。
これはぜひメッセージなので、カットせずにお願いします。
分かりました。
今、亀井戸支店ではスポンジテニスって、
スポンジテニスっていうのは誰でも楽しめるものなんですけど、
例えば、一面なかなか動くのがしんどくなってきた、
シルバーソーの方ですとか、
なかなかテニスっていうものにハードルを感じてた方々にも、
非常に効果的な運動量を確保できるスポンジテニス。
今、博楽でもスタートしてるんですけど、
そういったスポンジテニスも、今、伊藤コーチが担当して、
新しい分野のスクール像を5台もチャレンジしていますので、
そういったことに伊藤コーチもチャレンジしていますので、
ぜひぜひ、亀井戸で伊藤コーチのレッスンを受けていただきたいと思いますので。
今日は伊藤コーチありがとうございました。
こちらこそありがとうございました。
38:09

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