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2019-12-06 25:51

第55回【GODAI亀戸テニスコーチ紹介】角田朋隆コーチ

キッズ時代にGODAIでテニスを始めた。もうGODAI歴では25年!?
家族もテニスを楽しむテニス一家に育った。学校生活よりもGODAIで出会った友人とコーチとのコミュニケーションが楽しかった。コーチがいつもそばにいて、身近にいたから興味が湧いた。
シンプルに深く考えないで、行っちゃうタイプで楽しいと思うことに飛び込んでいった。お客様にもそのシンプルにテニスを楽しい!やってみたいと感じたように思いっきりやってほしい。そんなシンプルなお話。





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【GODAIスポーツポッドキャストすぽきゃす】
この番組は、スポーツを通じて、人々の健康生活の実現を目指す
【GODAIグループ】の提供でお届けいたします。
はい、それでは【GODAIスポーツポッドキャスト】第55回になります。
亀戸支店、角田朋隆です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
朝、9時ですけども。
もう、どう考えても、さっき起きましたって感じでね。
完全な寝起きです。
で、俺の予想、8時45分くらいに起きちゃいそう。
で、やべえと思ったでしょ。
大急ぎで起きちゃいました。
いや、今日ね、朝の8時の練習に、もう角田がいないっていう時点で、
これは怪しいなって思ってたんだ。怪しいなって思ってたんだ。
僕だけはしてはいけないと思ってた。
いや、でもね、もしかしたら忘れてるか、寝てるか。
いや、これは可能性あるなって思って。
いや、もうね、角田んちに行こうと思ってたんだけど。
いやいやいや、困りますよ。
忘れてはなかったです。
ちょっと緊張してたんです。
あの、ポッドキャストって、もうこれを、
意外と、角田が思ってる以上に結構聞いてくれてる人がいるんだよ。
いるんだよ。
そうですので、今日は、あの、角田の、あの、裏の。
いや、裏もなんもないですけど。
なんもないの?
ありすぎるだろ、お前。
いやいやいや、何も隠してないです。
じゃあ、ちょっと掘り下げていきたいと思いますが、
スポーツカップ、ポッドキャストってね、聞いたことが、
伊藤校長だけ聞いたんだっけ?
というところで、全く興味がない。
いやいやいや。
あの、もうね、これを機に、そういった興味を持っていただきたいなっていう気持ちは私はあるんですが、
ところで、角田コーチの、まずテニスに出会ったヒストリー、いつ?
本当に一番最初に会ったのは、遊びで会ったのが最初で、
母がずっとテニスをしてるんで。
お母様がね。
それで、旅行先で、家族でやったのが最初ですかね。
そうだよね。お母さんはまだ通ってらっしゃる?
はい。通わせていただいてます。
あのー、お会いしてないけれども、今何日にいらっしゃってるんだろうね。
いやいや、これ全部割れるじゃないですか。僕の母どこにいるかみたいな。
だから、全部裏向きだもん。
いやいやいや、どっかの白白の午前中には、第4日のはくらかな朝にいます。
すっごいいいお母さんだよね。優しくてさ。
ちょっと寝切れてるよね。
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いやいや、本当にこんな息子になってごめんなさいって俺が謝ってあげるわ。
それは僕も思ってます。
それで、お父さんもやってたの?
父も僕らと同じように、付き合いでというか、遊び程度でやってて。
で、たぶん幼稚園の時に、僕地元が近いんで、幼稚園のみんなとここにキッズで1期ぐらいいたと思います。
あ、ここに幼稚園の時に入ったの?
たぶん幼稚園ぐらいだと思う。
LKっていうやつ?昔あったやつ?
ああ、そうです。それにでも3ヶ月ぐらいしかいなかったと思うんですけど、入ったと思います。
あ、そう。津田こっち何歳になられたの?
僕、30です。
ここに初めて来てから25年経ってしまいました。
25年、ここに25年。もうそんなに経ったの?
本当。古代歴25年。
古代歴25年、すごいね。5歳の時にここに来て、すごいね。
なるほど、みんな聞くことたくさんあるな。
で、その時は5歳の時か、スポンジボールみたいなところから始めたのかな?
いや、たぶんそうだと思うんですけどね。
その時に習ってたコーチって覚えてるの?
たぶん、中村コーチ。
中村コーチ?
中村裕健コーチ?
裕健コーチだと思うんです。
そっか、今もね、元気にやってらっしゃいますが、中村裕健コーチ、25年前。
テニスは全然覚えてないんですけど、ヤンチャーだったんで、めちゃくちゃ怒られたのだけは覚えてます。
レッスン中に全然言うこと聞かなくて。
絶対怒られるよ。
300%怒られる。
ここで五大博楽で、その当時横浜テニスカレッジだったんだけど、テニスを始めて、そこから小中高と進学する中でずっと続けてたの?
いや、小学校の時は全くやってないです。
やらなかったんだ。何やってたの?
小学校の時は野球、サッカー、水泳、いろいろ。
野球も結構やってたんだ。
割とどれも長続きせず、あまり根性がないタイプで、ちょっとつま揺れがある。
でも、スポーツには興味があったの?
いや、もう完全に親がやれ。
いろんなことやらされてる。
あんまり運動のできない男子になってほしくなかったんじゃないかなと思うんで。
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中学は?
中学入って部活を必ず入らなきゃいけなくて、学校で。
それで選んだのがテニスで、それでテニススクールとか通わなきゃなと思って、戻ってきました。
中学生からまたスクールに5台に入り直したんだ。
そうですね。中学1年生の後半ぐらいですかね。戻ってきたと思います。
そこから高校までずっとやったの?
そうですね。中高6年間。
そこで通ってたんだね。
テニスを6年間続けてこれた?
小学校6年間はいろんなスポーツをやって。
小学校の時ってずっと同じことを続けるって、いろんなことをやったりする方があれでありがちだけど、
6年間ずっとテニスを続けられてたのって今から思うと、
なんでだった?
6年間中高。
多分そこって大きくない?
今の自分にとって。
ちゃんとよく続いたなと思いますね。
何が続けられた理由?
結構みんなに聞いてるんだけど。
あんまりがっつり試合も出てなかったし。
試合も出てなかったんだ。
部活もちゃんとしてなかったんですよ。
全員部活に入らなきゃいけないんで、
とりあえず入っておくかっていう人たちがいっぱい入るのがテニス部だったんで。
小学年60人ぐらいいて、コートが1面で。
中高6年間で1面しかないんで。
きついね。
部活はほぼなくて、スクールだけだったんですけど。
多分スクール、テニスも含めですけど、
スクールに来ることが楽しかったのかなっていうのはありますね。
続いた理由として多分それが一番大事なんですね。
週何回行ってたの?
基本は週1回なんですけど。
母の分を勝手にジュニアに振り返って、
母の名前でジュニアに入る。
それって週2くらいですかね。
週2くらいで。
お母さん知らずに減っているっていう。かわいそうに。
僕が多分小学年の時は全然テニスできないみたいな。
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そうだったんだ。
で、じゃあ大体週2とか部活とかでちょろっと顔出して。
そうですね。
高校生くらいになったら結構部活ってやったんじゃないの?
それも変わらず。
中高一環なんで。
変わらずなく、部活も弱く。
あんまり青春時代の部活動みたいな。
やったことないです。
じゃあとりあえず名前を入れといた。
そうです。
じゃあ鶴田コーチのテニスの青春っていうのは
まさにここ五大博楽でやったっていう感じなんですね。
そうなんだね。
で、当時の雰囲気とか、
今から言うと何年前?
10年くらい前になるのかな?
12年くらい前。
10年前じゃない。10年前は20歳だから、
もう15、6年前か。
最初の頃そうですね。
そこから中1って13歳?
そうですね。17年前ですかね。
そうだよね。
そこから5、6年。
その時の雰囲気ってどんな感じだったの?
スクールって。
角田少年から見たコーチとかさ。
先輩とコーチが怖い。
怖いんだよ。
怖かったです。
なんかもう先輩って結構先輩がいて。
それはクラススクールのクラスメイトってこと?
そうです。
で、自分でやるテニスが上手で、
ちょっとヤンキーっぽくて。
ヤンキーっぽかったんだ。
でもテニスは上手で、
すごい長距離してもらったんですけど、
ちょっと怖いみたいな。
部活でそういう縦の繋がりあんまり経験してなかったので。
なるほど。
ちょっと怖い。
で、コーチは、
その時、多分試合に、
ご自身も試合に出られてて、
ちょっと戦闘モードっぽいし、
しかも真剣であまりしない。
でも真剣であまり喋らなかったんで、
超怖かったです。
あ、そう。
その時は今いるコーチいる?
誰に習ったの?
一番習ったのは大橋コーチです。
大橋コーチのやつなの?
大橋コーチのアシスタントが後藤コーチ。
あ、そうだったんだ。
広北の。
超怖かったです。
誰に習ったんだ?
そうです。
大橋コーチのどこが怖かったか言っていい?
本気なので、
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中途半端なことをすると、
学生なんで集中力が集中してない時とか、
練習しても意味がないような変な球とか打つじゃないですか。
すごい雰囲気になりますよね。
怒鳴ったりする方じゃないんで、
酷いことを言ったりする方でもないんですけど、
一瞬止まるというか、
やっちまったみたいな。
雰囲気で潰されそうな感じになるんですよね。
しかも大橋コーチも後藤コーチも、
もうミスをしないというか、
お二人がやる時は。
こっちが調子乗っていけんじゃないかと思っても、
全く通用しない感じ。
怖いっす。
大橋後藤は怖いっていうね。
今はすごいお世話になって優しいですけど、
本当に怖かったです。
今でもね、大橋コーチはね、
角田コーチを時々指導してますけど、
後藤でね。
そこからなんだね、
そういった指定関係というかね、
その時の時代からテニスを教えてもらってね。
そういった出会いというのは素晴らしいよね。
そうですね。
やっぱりそうやって自分でテニスをやって、
ここでやってきて、
やっぱり今、角田コーチとして職業として
テニスっていう世界に入って、
コーチっていう道を今歩んでるんだけども、
やっぱりここでそういった出会いとか、
学んだことっていうものが大きい影響っていうのは。
テニスコーチをやってるっていうのは、
そういった時に大橋コーチに出会ったりとか、
後藤コーチに出会って、
いろんなコーチに今まで出会って、
6年間あったと思うんだけど、
その後テニスコーチになるまでの間で、
いろいろあったと思うんだけど、
どういった思いでテニスコーチになったのかなって。
元々はでもやっぱりそういう、
すごい人だったんで、
僕から見たテニスコーチが。
あんまりこう、
慣れるとも思わないし、
慣れるとも思ってなかったんで、
大学でもずっとテニスやってたんですけど、
このレベルの人間がやっていい仕事だと思ってなかったんで、
本当にテニスがすごい人がやるもんだって思ってたんで、
全然やるとかやりたいとか思ったことも一回もなかったんで、
本当に偶然電車で会って、
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誰に?
今いないんですけど、田中賢治コーチに。
賢治成功ツイスト?
そうです。
ちょっと今後どうしようか悩んでた時で、
大学4年くらいで仕事どうしようかなと思ってて、
お誘いいただいて、
いや絶対無理だろうと思ったんですけど、
田中賢治コーチが小橋コーチに話し通してくださって、
電話来て、
じゃあ今度来いって言って、
高校卒業以来なんで、マジ高だったんですけど、
それで始めたんで。
じゃあ大学生の時に、
バイトとアルバイトがきっかけで、
じゃあちょっとやってみようかなと、
賢治成功ツイストの院長の賢治コーチに。
できるべって言われたんですけど、
絶対できるだろうと思ってたんですけど、
それが最初です。
賢治がきっかけだったんだ、最初。
そうです、本当に偶然お会いして。
賢治が当時ずっとうちでやってくれて、
今は院長になられて、
すごいですね。
もう何百人一度知るか分かりませんけど、
南部線のなんだっけ、
武蔵中原です。
武蔵中原にある賢治成功ツイン。
徒歩2、3分ですごく近いので、
完全な宣伝です。
これも完全に宣伝したんで、
田中賢治から広告費をいただくので、
なるほど、田中賢治コーチにきっかけでね。
それで学生時代やってみて、
どうだったやってみて。
一般のレッスンに入ること自体初めてだったんで、
受けたことがなかったんで、
楽しかったです。
どういうところが楽しいって感じた?
組んだのが、一番いっぱい組んだのが、
小須田さん。
小須田さん?
小須田さんが。
いい感じにやんちゃをして、
盛り上げて、
ちょっと騒いで、
アシスタントも楽しかったですね。
メインがそういう感じで、
明るく、
進むとこういう感じなんだと思って、
一番強いですからね。
何年か上の先輩お兄さんが、
コーチがいて、
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コーチたちと一緒に
お客さんを盛り上げていくような、
その感覚が楽しく感じたんだね。
でもそれってよかったね、
そういう感覚でね。
難しいなとか、
人に落ちられるのって難しいなとか、
苦しいなっていう感覚になっちゃうより、
自分が楽しめるっていう感覚になるとさ、
続けられるしさ、
そういうメンタリティになるとさ、
勝ちじゃない?
そういったところになったっていうのは、
テニスが好きだからそうなったんだろうね。
結構アホだったのがあると。
それはよく知ってるけどね。
マジで何も考えていなかったと思うんですよね。
でも考えすぎちゃうよりはいいかもしれないよね。
最初はね。
楽しめたのは。
コーチ、アルバイトからさ、
大学を経て、
それで社会人としてなっていくんだけれども、
そのままテニスコーチをやろうっていう気持ちになってたの?
どうなんですかね。
あんま覚えてないですよね。
あんま覚えてない?その頃の感情は。
ただとにかく楽しく?
そうですね。
でもあんまり迷ってもなかったと思うんですけど、
今思うと大事な時期だからちゃんと迷えよって思ったりはしますけど、
覚悟を思い出すとね。
でもたぶん楽しくてあんまり見えてなかったんじゃないかなっていう。
なるほどね。
今さ、こうやって、今カメイドでね、
博楽でずっと角田コーチはレッスンをしていて、
そこからカメイド支店に行くことになったんだけども、
今カメイド支店でこうやってレッスンをしていて、
改めてそのコーチとして、
どんなことを伝えたいなテニスを通してやってる?
一番はお客様が、
なんていうんですかね、
自分から、
どのレベルでも、
なってほしいなっていうのはあります。
なんかこう、もっとするとやっぱり、
こうできないことがすごく自分で気になってきたりとか、
あと自分より上手な人を見て私もあれをやってみたいとか、
そういうのがあったりとか、
そういうのがあったりとか、
そういうのがあったりとか、
そういうのがあったりとか、
あと自分より上手な人を見て私もあれをやってみたいとか、
そういう感覚が出てくると思うんですけども、
そういう感覚になるように、
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テニスを好きになってテニスをプレーしてもらえれば、
嬉しいなと思ってます。
やっぱりもっともっと上手くなってほしいなっていう気持ちが強い?
それとも楽しんでほしいなっていうところは?
両方といえばあれなんですけど、
一緒にテニスをして楽しんでいただくっていうのはもちろんですけど、
一応コーチなので、
与えられるものがゼロでは良くないのかなっていう、
その個々人に合わせていろいろ幅はあると思うんですけど、
何かしら一つでも提供できて、
それが意欲になればなとは思ってます。
なるほどね。
常にレッスンで必ずヒントを伝えていきたい、
何かこうやって何かを与えていきたいなっていう思いで?
そうですね。
毎回毎回レッスンでそういったところで、
確かにただこうなんだっていう、
AなんだBなんだっていうことよりも、
その人に当てはまらないこともあるもんね。
そういうときにその方に気づいていただくことも必要だったりするもんね。
そうですね。
知らない間にコーチになったもんね、一緒に。
一緒に。
なったんですかね。
そうか。
今毎回お話聞いてて、
今担当している角田コーチのお客さんが、
そしてこれから5代カメイドに行ってみようかなとか、
これからテニス始めてみようかなって思ってる人に、
コーチからメッセージもらってるんですけど、
最後にバチンと。
もうマイク向けちゃおうかなって思って。
なんですかね。
5代は本当にいい意味で変わった人も多いし、
本当にいろんな方がいるんで、コーチも。
そのコーチが作り出すクラスも本当にいろんな、
いろんな雰囲気とかタイプのクラスがあるんで、
お時間さえ合えば誰でも入るところはあるかなって、
絶対気に入ってもらえるところはどっかにあるかなって感じなので、
ぜひって感じですかね。
ぜひって感じですね。
今担当させていただいてる方には、
謝罪みたいになっちゃうんですけど。
謝罪する?なんで謝罪する?
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本当に今担当させていただいてる方には、
どっちかっていうと僕がレッスンやってるというより、
周りの皆さんにレッスン保っていただいてるという。
来ていただいて、謝罪というよりは感謝の気持ちがね。
本当にポンコツなんですけど、
運良く僕担当させていただいてる方、
面倒見の良い優しい方ばっかりなんで、
本当に皆さんのおかげでレッスンできてるのか分からないですけど、
やらせていただいてるんで、いつもありがとうございます。
本当に角田コーチを支えていただいて、
本当に皆さんに感謝の気持ちがあるところで。
でも本当に毎回これで50何人と話をしてきたんだけど、
やっぱりみんな、当たり前だけど、
クラスに通っていただいてるお客様がいるからこそ、
スクールがこうして成り立っているというところがあるので、
僕たちはそこを忘れないようにいきたいですよね。
というところで、角田コーチが最後に懺悔で終わったという。
いいんですかね、この終わりは。
全然いいです。
角田コーチはこれからもカメイド視点で活躍していきますので、
よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
第54回、角田コーチでした。ありがとうございました。
ありがとうございました。
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