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  2. 第59回【GODAI船橋・亀戸支配..

サッカーの街。静岡で生まれ、サッカーが大好き少年だったが、父親の影響でテニスをすることに。
テニスを通じて様々な経験をしたからこそ、恩返しがしたい。
テニスの名門柳川高校に進学し、厳しい練習環境や熾烈なレギュラー争いをする中で、【限界】は超えられることを知った。全国大会での優勝経験や上位成績を常に強いられる環境下、それがもたらしたアクシデント。。。
その天国と地獄を経験したからこそ、スポーツの醍醐味を伝える立場になろうと思った。
温厚な柔らかい語り口から発せられる言葉で深入りコーヒーのような苦みとコクがあるお話。





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五代スポーツポッドキャスト、すぽきゃす。この番組は、スポーツを通じて、人々の健康生活の実現を目指す、五代グループの提供でお届けいたします。
佐竹君〈後編〉はい、本日は後編になります。先週の続きをお聞きください。
佐竹君〉中央大学の流れになってきたんですけど、いわゆる怪我があって、そこで半年っていうことがさっきフレーズとしてあったんですけど、結果的にちゃんとプレーができるようになったのは何歳になったと思いますか?
佐竹君〉ちょうど半年で、高校3年の3月ぐらいからちょっとずつテニスをやるようになって、当初大学のリーグ戦が4月だったんだよね。これもまた不思議で、半年やってたから相当技術も落ちてるんだろうなと思ったんだけど、体は覚えてるもんで、やったらそれなりにできたんだよね。
佐竹君〉どれくらいするんですか?
佐竹君〉半年?
佐竹君〉丸々半年?
佐竹君〉9月から3月ぐらい。
佐竹君〉高校3年生の時って夏で終わりですよね。そこからもうプレーしないわけですよね。
佐竹君〉3月から…
佐竹君〉4月は間に合わないですよね。
佐竹君〉1試合出させてもらったんだけど、練習試合とかでもレギュラーの方に向かったり、出させてもらったんだけど、またそこで痛めちゃって。
佐竹君〉大学でも痛めちゃったんですか?
佐竹君〉結局またそこから夏までリハビリ。
佐竹君〉そうだったんですかね。
佐竹君〉そこでもう難しいかなって思ったけど、そこでまた当初の福岡のトレーナーの人に紹介してもらって、トレーナーの人でやって、そこでも正直、選手としてやっていくのは難しいかなって思ったけど、
佐竹君〉やっぱりテニスは続けたいなっていうのがあったし、一番は大学に関しては、それで自分を取ってくれた中央大学に何か恩返しはしないとなって。
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佐竹君〉大学は続けたのは正直そこだけのモチベーションで、なんとかテニスに復旧して、学生の中で少しでも最終的に3年生4年生の時に活躍ができればっていうので地道にやってた感じかな。
佐竹君〉なるほどね。じゃああれなんですね、いま逆に思うとようやくそういったものが不安がなくなった時が4年生ぐらい。
佐竹君〉そうだね。でも正直そこは騙してますし、なんとなく疲労がたまるとちょっとまずいなっていうので、ちょっと休んでみたいな。
佐竹君〉そこは自問自答だったんですね。そんな時に何も知らずに僕と出会うわけなんですよ。そんな苦労がありながらそこに。
佐竹君〉その時ですよね。やっとそこで気持ちよくプレーできる。その時も4月ですからすぐ引退でしたよね。僕もよくすごい覚えてますけど、最後のリーグ戦はすごすぎたんで語らないようにします。
佐竹君〉その後ですね、大学でそういった柳川時代の、もしかしたらそこでのすごい追い込みが怪我につながったのか、それとも何かのことがあって、そういった不運があってですね、怪我を乗り越えて大学時代最後の最後でまた活躍してってなるんですけど、
佐竹君〉その次のステップ、実業団で有名な理工っていうところに入社されたわけなんですけど、そこでいわゆる選手としてっていうところで、でも一つは理工で勤めながらっていう仕事をしながらっていうところの選択になったわけじゃないですか。そこの部分もちょっと聞きたいなと思って。
佐竹君〉大学3年生後半ぐらいからなんとなくテニスもそれなりにまたできるようになってきて、目の前の試合をただ頑張ってただけだけど、全日本のランキングとかも結構20位台とかまでいけるようになって、
それでもうちょっとできるところまでやりたいなっていう。最初は2年生ぐらいのときはもう大学でテニスやめようっていうことを思ってたけど、結構体がついてきてくれて、もうちょっといけるかなっていうところで、
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そこで実業団の話もいただいて、働きながらやるっていうものはどういう感じなんだろうと。結構本当に違った環境でやるっていうのは、それはそれでちょっと楽しみがあって。
佐竹君〉最初の小学校の留南のときは、本当にコーチに教えてもらったっていう。中学まで。仲間もいたけど、コーチにいろいろ一から教えてもらったっていう。高校は、監督ももちろん教えてもらったけど、周りの仲間からいろんなものを学んだなっていう。
大学は逆に本当に自由で、自分で考えて練習メニューを組んだり。当時はコーチも専属もいなかったし、自分たちで考えてやるっていう。また違った角度からテニスと向き合えて。
社会人になるってなると、本当に限られた時間でやらなきゃいけないってなると、またなんか違った練習への取り組みとか。大学とか高校は結構時間がある中でやってたけど、大学になると本当にね、仕事は普通に周りの人と一緒に平日はやってたから。
限られた時間の中でやるテニスってどうなんだろうなっていう。そこに少し興味があって、やってみて。やっぱり本当に1時間、2時間、週に毎日もできない中でやる練習っていうのはそれまでと違って。
本当にもう自分の必要なものに特化してやるとか、より効率を求めてやるっていうところでは、またいい築きがあったかなっていうのはあるかな。
時間がもう限られてて、しかも理工って日本リーグに出なきゃいけなくて、そこでまた違った責任感が出てくるわけじゃないですか。会社の実業団って一見、日本リーグまでやってる会社だとテニス部でやってるんだっていうことで見るかもしれないですけど、
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実際勝たないといけないとか、あとは正直部の存続とかにも結果って関わってくるじゃないですか。そこの部分での葛藤って結構ありませんでした?
それはあったね。大学は確かに恩返しっていう気持ちで何とかやってはいたけど、会社だとある意味そういうビジネス的な要素も入ってきたり、ただ好きでやってるだけではダメで、ある意味会社のために結果を残さないといけないっていう意味で。
それもまた今までに感じたことのないプレッシャーがあったり責任感があったりっていうので、本当に違ったいろんな環境でやれて、それぞれでいろんな気づきがあったのはすごく今思うといろんないい経験させてもらったなっていうのはあったね。
理工で勤務しながらテニス選手としてやってきて、それでこの前ちょっと調べたらどうやら後代に転職をして10年になるんですか?
そうだね。ちょうど10年になるんですよね。その10年前、理工っていうところを経てテニススクール業界というところに転職をするわけなんですけど、その決め手となったことってどんなことだったんですか?
理工で7か8で選手を引退して、正直高校中学の後半ぐらいからなんとなく全国に行けるようになってからは楽しいっていうよりも勝つためにっていう感じでテニスをやってきて。
楽しい部分もあるけど大半は苦しい部分が大きくて。最後は当然練習時間も限られてくる中で実力も当初よりも落ちてくるのは実感してくるので、
これで選手を引退したらテニスから離れようかなって思ってて、理工の実業団選手を引退して丸1年全くテニスはやらなくて、ラケットとかテニス用具もシールに全部しまって、もう二度とテニスはしないって思いで、
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違うスポーツにいろいろ触れ合ってみたいな、テニス以外の世界を知りたいなっていうのでやっていたけど、結局ちょくちょく後輩の試合を応援に行ったりとかやっている中で改めてふつふつと自分はテニスが好きだったんだなっていうのが徐々に
出てきて、自問自答しているうちに正直に生きようっていうところでもう一回テニスの道に行こうかなと。そこで地元が静岡だったから、最初は静岡に帰って、静岡への恩返しができればっていうので、
いろんな静岡のテニススクールの人に話を聞いたんだけど、なんとなくそれなりに結果も出ていたから、結構ウェルカムな話もいただいたりしていた中で、
たまたま後代が先輩もいて、話を聞いた時に、後代は結構あんまり自分の過去の実績は関係なくというか、コーチとして一からやってもらうよっていう話を聞いて、それを聞いて、
コーチとしては当然経験もないし、初心者なんで、逆にそういうふうに言ってくれる方が安心したというか、ちゃんとコーチっていうものを教えてくれるかなっていうところで、それで後代を選んだっていう。
なるほどですね。
ずっと昔からの話をずっと聞いていると、やっぱりどこかで佐々木さんってハードル作るんですね、自分に。
例えばですけど、流難に入ったのはそれであれですけど、その中でもこうやって目標設定してやっていったところと、あとは柳に入るっていうのは結局自分にハードルかけることじゃないですか。
その中でもあって、普通だったら、僕もよくわかりますけど、ウェルカムな場所にいた方が気持ちいいわけじゃないですか。でもあえてそこでやったことがないところで、テニスはテニスなんだけど、やったことがないところに行くっていうところっていうのは、
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佐々木さんの性格なんですかね、それとも。
どういうのかね。
どういうのですかね。
自分は人って弱いなって思うから、本当は自分の意思で全てを乗り越えられるといいんだろうけど、
あえてそういう厳しい環境に置くことで、自分がやらざるを得ない状況に置くっていうもので、何となくそれで何か後悔したっていうことがなかったから、
それですごく自分も成長させてもらってたっていうところがあるから、最終的に迷ったらそういう判断かな。
どこだったら結構自分を追い込めるかとか、逃げないかなって。
そこって簡単な方を選ばないっていうか。
簡単な方を選ばないですよね、かっこいいけど。
成長を期待してるわけですかね、自分に。
そうだね。
そこかな、自分は。
やっぱりそこはあれなんでしょうね、柳川で時代に無茶に追い込まれた潜在意識を、能力を、そういうところも関係してますからね。
もっと言えばリューナンもね。
リューナンももっときつかったんですよね。
でも自分がこういうこともできるんだとか、無理と思ってたことができたりとか、その瞬間は本当にそれがいいんだろうね。
そうですね。
柳川と中央大学で両方ともキャプテンやってきてるんですよ。
そして今ですね、冒頭に紹介しましたけど、亀戸支店というのを立ち上げから支配人として、そして今船橋支店も兼務して支配人としてやってらっしゃるわけなんですが。
いわゆるキャプテンなわけじゃないですか、チームのですね。
そういった、僕今話聞いてて、星のもとに生まれてきたんだなと思ったんですけど、
今ここ五代に、そしてこの業界に転職をしてちょうど10年というところで、そういった今役目をしていて、
どうですか今この業界を見て、またはそして今スクールというところを見ていて、またどんな思いでやってるんですか。
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今は正直今までのテニスでのキャプテンとか、そういうのとまた全然今は違って、
今はテニスだけじゃないし、ゴルフもあってゴールデンキッズもあったりもするので、
いわゆるキャプテンというかマネージメントというところでいくと、本当にそこも初心者でまだまだだなって思う中で、
いろいろと何年かやらさせてもらって、結局うちはそういう人が全ての職業で、
コーチ一人一人がレッスンにやりがいを持ったりできるかというのが全てだと思うので、
今まで自分の経験でもテニスをやってきて、
自分なりに大事かなと思うのは、そういう経験とか気づきとか、そういうものでモチベーションって上がるのかなと思うから、
何か教えるとかっていうんじゃなくて、いろんな気づきがあるような経験を上手くさせてあげられたらな、
自分もそういう経験がすごく成長を感じたし、自分がそういうのに気づけるとやりがいにもつながっていたから、
その辺をいかにできるかなっていうところを今、日々考えているかなと。
そういった今一緒にやってくれているコーチと、そういったことのビジョンを共有しながらやっていると思うんですけど、
今後お客様にどんなことをスポーツを通してご題で感じてもらいたいという思いはありますか?
スポーツはオリンピックもこれから盛り上がるし、テレビの番組でもトンネルズがいろいろやったりするけど、
基本的にスポーツってゲーム性でそれを競って楽しむっていうのが本質だと思うから、
ゲーム性っていうのは試合だけじゃなくて、テニスだったりゴルフだったりゴールデンキッズを通じて、
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スポーツのゲーム性での楽しさっていうのを実感してほしいなっていうのが一つ。
あとはやっぱり楽しい。お客さんが常に見て笑顔になっているかなっていうところ。
楽しい時間っていうのが本当に今価値があるというかね。
ストレス社会で家庭のことだったり仕事のことだったり悩んでいる人がいっぱいいる中で、
大人になって本当に心から笑顔になったり楽しめる時間って本当に価値が高いなって思うので、
そこの価値がどんだけあるかっていうのをお客様にも実感してもらえるっていうところを目指して、
楽しさって当たり前だけど、そこが本当に貴重というか。
そういう意識でコーチをやってほしいなって思うし、お客さんにも実感してほしいなって思うかなと思います。
今もかなりいい話を聞けたので、ここくらいにしようかなと思ってますけど。
最後にですね、今佐竹コーチとしてもお客様にレッスンしていると思うんですけど、
そして今通ってくださっている亀戸支店のお客様と村橋のお客様に最後メッセージをいただきたいんですけど。
本当に感謝しかないですね。やっぱり自分も含めてまだまだだなって思うし、
お客様は本当に自分よりもいろいろ苦労している方もいっぱいいるし、
そういう中で週1回月謝を払って来てくれるっていうことがどんだけありがたいことかなっていうのは日々感じていて。
やっぱり大事なのは常に、うちができることとしては常に新しいものを追求して、
もっともっとということを、失敗もするかもしれないけどチャレンジしていくことが、
何か出来上がったものっていうよりはそういう姿勢とか意識が大事かなと思うので、
これからもそういうのを意識して自分も一緒にやるスタッフもやっていきたいなと思っています。
真面目だね。
こんな感じでお話し切ると思いませんでしたが、カット。
これからも亀戸支店と船橋支店、さらに皆様のおかげなんですが、
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これからもさらに楽しいエンターテインメント性を持たせてスクールになっていきますので、よろしくお願いします。
ありがとうございました。
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