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2020-03-14 24:16

第62回【GODAIスポーツアカデミー】教頭 安藤美穂〈前編〉

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すぽきゃす、徐々に内容を
グレードアップ!?しながら引き続き配信して行きたいと思います!
これからもよろしくお願い致します!


GODAIの中でも、異色の雰囲気を放つ
冷静と情熱を放つ教育者!
安藤美穂先生とのトークです。

国内にとどまらず、
海外での教育経験をしてきたからこそ
日本の教育文化の素晴らしさがわかる。

一つの仕事にとどまらず、
常に新しい事を企画し、行動し続ける
チカラはどこから湧き出ていくのか?!

昨今、女性の活躍を期待される世の中、
一つの指針となる働き方をしていると
思います!

3週連続でお届け致します!





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5代スポーツポッドキャスト、すぽきゃす。
この番組は、スポーツを通じて人々の健康生活の実現を目指す
【GODAIグループ】の提供でお届けいたします。
スポーツポッドキャスト第62回目になります。
これから思考を変えまして、今までスタッフのバックボーンを聞いたり、
その人のコーチのテニスに対する、ゴルフに対する、そしてゴールデンキーツに対する
というところで聞いてきたんですが、これから思考を変えて
様々な幅広いような形でお送りしたいと思いますので、
ぜひともこれから飽きずに聞いていただきたいと思います。
それでは、今日はまたうちのメンバーになるんですけれども、
今、うちの中で幅広く活動してまして、話を聞けば分かるんですが、
いろんな他方面でGODAIの中で活躍をしてくれています。
安藤美穂先生に来てもらいました。よろしくお願いします。
今、安藤先生はGODAIスポーツアカデミーというところで
教頭先生をやりながら、今、皆さん聞いている方、
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、
IMGとの連携をしたり、または社内での社員教育で
幅広い形でやっております。
今日は、また同じような形でバックボーンなども聞かせていただきたいと思いますので、
よろしくお願いいたします。
いろんなところで僕がよく言っちゃうんですが、
僕が高校の時に先生だったという、
これも鈴木さん運命でございまして、
楽しい限りなんですが、
今日はこんな形で、まさかのポッドキャストという形で
録音するとは思わなかったんですけれども、
お話を聞きたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
安藤先生は、今でも先生なんですが、
僕がキャリアを知っている限りでは、高校の先生というところから知っているんですが、
高校の先生、いわゆる教育者になるという心を指すまでの
どういった経緯があってそうなったのか。
大学を選んだ時から先生になりたいなと思っていて、
中学校の時に出会った先生がすごく素敵で、
体育の先生もそうだし、
一つ私が一番影響を受けたのは、国語の先生で、
国語の先生が国内暴力とかすごいあった時代で、
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卒業式とかに卒業生がバイクで入ってきたり、
選挙しちゃったりという、そういう時代だったんですね。
その時に、そういう荒れてた時代の国語の先生が、
中学校2年生の時だったんですけど、
新しく違う学校から来て、
女性の先生で、相手が誰であれ注意するところは注意する。
曲がったことがない嫌いで、きちんとやってたんですね。
すごい先生だなと思っていて、私はすごく好きで、
厳しい先生だったんですけど、
その先生が、当時本当にみんな悪かったので、
先生に叱られたヤンキーたちが、
みんな顔ボコボコに腫らして、
学校に来るようなことが結構あって、
その国語の先生も、すごい厳しくやってたら、
たまたまお礼参りに会っちゃって、
顔中本当に腫らして、
当時は先生が警察に通報するなんてことはなかったので、
自分の信念を貫き通して注意をしてたら、
結局最終的には自分がバンバンやられて、
ある時からやっぱり女性だったので、
そこから急におとなしくなっちゃったんですよね、先生が。
それである時先生に、先生どうしたの頑張ってよって言ったら、
その女の先生が泣きながら、
信念のある先生でもダメになっちゃうんだって思ってて、
すごいショックを受けてたんです。
ちょうどそのヤンキーたちが、
少年官別賞とか卒業するとかってなった時に、
その先生に、先生ごめんなっつって謝りに行ったりして、
先生が涙を流してるとかを見て、
すごい大変だったんですけど、間違ってなかったんだなと思って、
教育っていうか、そういう音が深いというか、
だから信念を持って、その時は伝わらないかもしれないけど、
伝えていくっていうのは重要だなと思って、
先生になりたいと思いました。
それは初めて聞いたということですね。
学校の先生になりたくないなと思うのが、
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大体の人なんじゃないのかなって思うんですけど、
その先生の姿を見て、すごいなって。
それともう一人、すごく嫌な先生にも出会って、
その先生は学校がそれだけ荒れてたから、
友達同士とかいろんなこともすごく荒れてた時に、
先生に伝えたら、
友達関係がぐちゃぐちゃすることを絶対内緒にするからって先生に言われて、
ちょっと話さなきゃいけなくて呼び出されて話したことが、
先生が私が言ったっていうことをその当事者たちにはって言って、
ちょっとお礼前みたいなのに会ったことがあって、
こんなやつには絶対にならないと思って、
私はそれ全部中学2年生の時だったので、
その時に自分の心もすごく揺れたから、
こういう時期に出会う先生っていうのはすごく大事だなと思って、
中学校の先生になりたかった。
それで中学校を目指したいと思って先生になるっていう方向に。
ちなみに、全然わかんなくて、
中学校の先生になるのと高校の先生になるのは免許が違う?
一応大卒4年の大学を出ていると、中高両方の免許が取れるので、
単大までだと中学の免許なんだけど、
大体4大卒だと中高両方の免許が取れる。
また小学校は別?
小学校は別。中高は専門科目なので、
ただ中学校の専科って言われる家庭科とか美術とか体育とか音楽とか、
そういう免許を持っている人が小学校で教えたりすることもあります。
体育とか、タイミング先生が小学校を教えるけれども、
そういうのを教える人もいます。
その今の話の中で、いわゆる教育者としてっていうところで、
こうありたいっていうのが理想像みたいなのが出てきて、
それで僕が知っている限り高校の先生になったわけじゃないですか。
その高校の先生になった時に、
僕もその3年間いる中で、いろんな先生に出会って、
確かに先生によってはっきり言って
なんだこの人っていう人もいたりとか、
その教育者としてっていうところの部分っていうのは、
やっぱり日本っていうのは、その先生の考え方とか、
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学校のいろいろと方針とかってあると思うんですけど、
基本的に日本っていうのは先生に委ねられている、
その生徒との関わり。
私立だと、私もそうだったら中高両方で、
中高の一貫校だったので、中学も高校も教えていて、
それをどうしていくかっていうところで、
その先生のキャラクターが出るかなっていうところがある。
ただ中学っていうのは、公立と私立は全然方針が違ったりするので、
私立の場合はある程度経済的とか家庭環境とかも
同じような属性の人たちがすごく多いけれども、
公立の場合はやっぱりすごいお金持ちもいれば、
採用性のあるところ、本当に小さな社会なので、
私は公立の中学校の先生になりたい。
それは中学校に行くのと高校の先生になるので、
ハードルというか、そういうのがやっぱり…
公立の場合は、東京都とか埼玉県とか、
そういうところでやっている教員採用試験を受けて、
高校を選んだら高校、中学校を選んだら中学という感じになる。
だけど私立の学校も首都圏がすごく多いので、
そこはほとんど中高一環になっているから、
中高の教員免許があれば、そこはそこで受けていくという感じ。
ちなみに教員免許は取ったらずっと保持できるもの?
私が取ったときはずっと保持できたんですけど、
そこからは10年更新というので、
必ず10年に一度更新の講習を5日間受けて、
初めて有効な教員免許というふうに。
5日間?
5日間。朝から晩まで。
もしくは通信教育でも取れるので、
大体先生たちは夏休みとかを利用して、
5日間で受けたりする人が多いかなと思います。
そのときに大学を4年間卒業して、
それで先生になろうとなったときに、
一番最初のステージが高校の先生になった?
私は1年間フィットネスクラブで社員をする。
社会人?
それはなぜかというと、大学でテニスをやっていたので、
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大学の最後の試合が当時は春だったので、
教育実習に当時は5月とか6月に行かなきゃいけなくて、
でも大学の大事な最後の試合がそれこそ5月、6月に当たっていたので、
そこのいわゆる普通の教育実習に行けないというのもあって、
それと当時は本当に教員になれなくて、
東京都の採用、保健体育の採用とか200人に1人とか、
ベビーブーマーなので、倍率だったから、
もうちょっと難しいなっていうのもあったので、
ちょっとその人生というか先生にはなりたいけど難しいなと思ったときに、
フィットネスクラブっていう選択肢が出てきて、
教員も難しいし、教育実習もそこでできないってなって、
就職活動を先に始めていて、就職が決まって、
その後に後期の教育実習っていうのがあって、
それが9月、4年の9月とかなんですね。
その後期に行って、やっぱり先生になりたいと思って、
でも就職も決まっちゃってるから、ないてもらってるから、
もうどうしようと思ってたぐらい、その時に人生迷うぐらい、
やっぱり先生になりたかったって思って、
1年間フィットネスクラブで社員をしながら、
でもそれでも、やっぱり若かったので、
先生もしたいけど学校にも行きたいとか、いろいろ迷いながらいて、
で、参考にチャンスがあって、入ってやるようになったっていう。
なるほど。
じゃあ、中学校の先生になりたいって、
じゃあ、なりたいから中学校の先生になりますっていうような状況ではなかったって。
もう試験を受けて、それこそ200人1人とかした。
200人分ってすごいね。
当時東京は本当に多かった。
そうか、東京ってなるとまた。
なので、なかなか厳しい。
もちろん採用だけっていうのを目指して、
勉強してる子たちもたくさんいたんだけど、
私はそこまで覚悟は決められなかったので、
で、フィットネス業界とかもすごく楽しそうだったからいいなと思って、
で、フィットネスに行って。
でもそのフィットネスの1年間も本当に楽しくて、
もう最高っていうか、
どこに行っても嫌なこともあるけど、
すごい終わった後にやっぱりいい友達ができるっていうか、
学校の先生の時代もそうだし、
どこに行ってもそうだけど、
必ずそこで本当に人に恵まれて、
最高に楽しくて、
また嫌だなって思っちゃうぐらい、
どこでもやっぱり楽しいなって思える。
あー、そうなんだ。
なるほど。
その中で今はキャリア的なところで、
ちらほら出てきてるところで、
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いろんなものに興味を持っていたっていうところがあるじゃないですか。
はい。
で、その高校の時に、
まず何年間高校の先生をやりました?
8年。
8年。
8年間。
あえて年齢は聞きませんから。
そりゃ8年ってすごいね。
小学生がさ、中学生になる。
8年間そう。
ということで、
簡単に言うと、
3年間だから、
その人たちの世代、僕も含めて、
3年間見ているところの中で、
約9年間。
高校の先生になってみて、
思ってたものと現場って、
どうだったんですか?
やってみて。
やっぱり若かったから、
すごい理想とかエネルギーとかがあったんだけど、
なんか、
古い先生たちってこれでいいんだって。
言うのも、多分どこの社会もそうなんだけど、
新卒とか若くて入ったりすると、
古くからいる住人の人とかキャリアのある人とかで、
もちろんその人たちにもいろいろ信念を持ちでやってらっしゃったとは思うんだけども、
生徒に対する考え方だったりとか、
情熱とか、
そういうのも含めて、
こんなに楽していいんだっていう人たちが、
何人かいるのがショックだった。
もっとみんな、
うわーってなってたと思ってたら、
意外とタイムカードに並んでる人たちがいて、
時間になったらガシャーンとして一番バスに、
生徒よりも先にバスに乗っていく先生たちが、
おじちゃんたちがずらっと並んでるのとか見たときに、
ああ、こんなもんかっていうのを思ってすごくショックだった。
なるほど。
その思ってるものがやっぱり、
もっと教育者としてもともと、
中学校の時に感じた子どもたちとの、
あれだよね、
ちょっと戻っちゃうけど、
その時の、
中学生の時に見た時代とかっていうのが、
いわゆる映画になってたりするわけじゃないですか。
漫画になってたりとか。
Bバックとかそういう時代。
三年B組。
金髪先生とか。
いわゆる熱血というか、情熱派とか、
そういった人との関わり合いというところに対して、
もっとやっていきたいという気持ちが強かった。
先生だけかというか、
子どもたちって、
中学生くらいの時は本当に自分もそうだったけど、
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揺れてるから、
友達関係も今みたいにスマホとかはないけど、
友達関係も家庭でも、
いろいろ難しいわけじゃない。
その中で、
本当に、
私は部活とかがあったからすごく良かったんだけど、
クラスでうまくいかなかったとしても部活があって、
学校に来れる子もいれば、
家庭が難しいけど、
学校がいい場所の子もいるし、
学校嫌だから、
なかなか足が向かない子も当時からいたけども、
部活だけ来る子とかもいて、
やっぱりそこで、
スポーツというか、
自分の好きなことを持っていること、
何でもいいんだけど、
そういう好きなものがあるっていうことが、
人生の救いっていうか、
何かひとつのきっかけになっていくんだろうなっていうのを、
その頃から思っていて、
昔はね、
特に45人クラスで先生一人で、
本当に学位的な指導だったけれども、
何かこう、
やっぱり思い出す先生って、
変な人もいたけど、
やっぱり根性があるっていうか、
ちゃんと向いてくれてた人。
よくぶっ飛ばされたりもしたけど、
私も長生きだったので、先生に。
でもそれを訴えようとも思わないし、
自分が悪いって思うから、
でもそこには何かやっぱり自分を見てくれてるとか、
自分のために言ってくれてる。
その時は、
本当にムカつく、あいつ死ねよみたいな、
思ったりしてた同じことを言ったけど、
でもやっぱりその前の先生の話じゃないけど、
卒業する時とか終わる時には、
ああ、何か嫌いにならないっていうか、
ああ、何か悪かったなって思えるみたいな、
それがいつになればわかるんだけど、
でも何かそういうのはあったから、
その先生っていうか、
別に先生じゃなくても、
子供に何かこう、
別のアプローチ。
親とかっていうんじゃなくて、
会える立場で、
好きなものを通して、
特に部活はやっぱりいいなって思ったから、
部活とかそういうのを通して、
会える大人っていうのは重要なのかなっていうのが、
すごく感じたから。
なるほど。
確かにその役目って、
今思えばいてくれたからこそ、
踏みとどまれた時もあっただろうし、
学校の学生側からしたら、
あなたそうやって、
いわゆる、
何だろうね、
今何か言われる、
サードプレイスじゃないけれども、
実は学生にとって、
そこの場所、
家庭とかあとは、
また部活ってまた違ったステージになるのかな、
今思えば。
私も本当にそう思う。
やっぱり本当に一定数、
部活があるから学校に来れる人。
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好きなことがあるから、
学校に来れる子。
今やっぱり、
学校の選択肢も昔と違って、
いいよ無理していかなくてとか、
選択肢が広がっているので、
それが確率的にいいっていう風にはならないけれども、
でも、
やっぱり私は自分もスポーツをしてきて、
タイトルの先生をやって、
スポーツをやって、
外国に行って、
部活、
日本の部活って、
先生が教えているっていうことにすごく意味を持っていると思っていて、
それができるのって、
本当に日本ぐらいだから、
そこで好きなことを、
学校の中でやれたりとか、
そこに居場所があったりとかして、
やっぱりそういう風に、
やっぱり、
それは大事なのかなって。
これは別に部活じゃなくても、
外の民間のスクールで、
サッカー一生懸命やりますとか、
ソロバンが好きですとか、
ピアノをやってますとかっていうのが、
それがゆくゆくその子たちの進路に、
大学とか、
自分の進路になっていくっていった時に、
自信を持って進んでいけるから、
やっぱり何かそういうものを見つけられるような、
指導ができていけばいいなと思って、
やっぱり、
やっぱり、
いわゆる部活っていうので、
先生と違う関わりを、
子どもたちが持つっていうのは、
その本人たちの、
第三の大人というか、
そういう形になっていくといいのかなって、
感じですよね。
なんか改めて、
そうやって思うと、
学校の先生って大変だけど、
なんか、
そういう思いを持ってなければいけないんですよね。
いろんな人に、
そういう思いを持っていかなければいけないんですよね。
持ってなければいけないんですよね。
いけないというか、
持っててもらいたいなっていう。
特に体育の先生は、
たぶん、
みんな部活をやってきた人たちが結構多いから、
自分が部活のコモンみたいに、
自分が部活やってきて、
部活の先生やりたいから先生やりますみたいな人は、
半分以上いると思う。
へー。
私の周りでもみんなやっぱりそうだし、
なるほど。
部活か。
半分ぐらいはやっぱりいるんじゃないかなと思う。
部活で、
部活のコモンの先生なり、
コーチの先生なりが良かったからとか、
いうのでそうなりたい。
野球なんかは特に、
野球部の監督に憧れて、
自分も教員の勉強をとって、
野球の監督になりたいとか。
それは本当に多くて、
確かに、
野球部。
僕の同級生の野球部は、
3、4人は、
あの中で3、4人いて、
クラスの中で3、4人。
部活をやってたり、
コーチをやってたり、
で、知らない間に先生になったり。
へーって。
なるほど。
さっきちょっとフレーズ出た。
この番組は、
提供、
24:01
ご大グループ、
プロデュース、
キクタスでお送りいたしました。
24:16

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